はてなキーワード: チコとは
あるインフルエンサーが友達の結婚式に白っぽい服を着ていったところ炎上した
来賓は花嫁を目立たせるために地味な服にしないといけないらしい
曰く、ウェディングドレスと同系色の服を着てくるのはマナー違反であり『配慮のない人』なのだそうだ
ずんだもんというキャラクターに近い配色の服装をTwitterに投稿した女性が服のセンスをボコボコに叩かれていた
曰く、『こういう芋女が着ていい服ではない』『こういう芋女がフリフリの服を着るからオタクのイメージが悪くなる(?)』とのことだ
Twitterに生息する日本の女を見ていてつくづく思うんだが、なんであいつらは「本人(たち)が良いのならそれで良いのだろう」という考え方ができないのだろうか
Twitterの女発の炎上事件は正直なんでその人が叩かれているのか意味わかんないものばかりだ
彼女らはコチコチに固まりきった自分本位の勝手なルールを『常識』だと盲信し、それから外れる人を『マナー違反』だと糾弾する
そして外部から「いや別にそんなルール無くない?」などと突っ込まれようものならグチグチグチグチグチグチグチグチと仲間内の間でひたすら愚痴を言い合う
まぁ正直正解はわかっている
結局、彼女らは小学校の頃いじめられるなり親が毒親だったりして自己肯定感を育てられなかったカースト下位の化け物たちだ
自分と他人との境界があいまいで、単に自分が気に入らない事物と世間一般的に嫌われている事物の区別がつかない
「私は世間の皆を代表して配慮を求めているだけ!」などという言い訳がないと何の自己主張もできない哀れな存在なのだ
いい歳して「ねーねー!〇〇ちゃんが買い食いしてるのを見たの!これってよくないと思うよねー!?」「よくなーい!!」みたいな学級会ごっこに興じて、満たされることのない過去のトラウマを慰めている
多分発達障害を持っている人も多いだろう
合成エストロゲン製剤内服により血中のコルチゾール値が高値を来したトランスジェンダーの一例
42 歳、男性。
X-2 年に受けた健診で高血圧症、脂質異常症を指摘されたものの、医療機関は受診していなかった。
X 年 4 月、近医口腔外科で下顎歯根嚢胞に対し、抜歯・嚢胞摘出術を予定されていたが、
血圧 160/100mmHg と高値であったため、降圧治療が必要とのことで、前医を受診した。
前医で 2 次性高血圧の鑑別のため、各種ホルモン検査をしたところ、
ACTH 3.0 pg/mL、コルチゾール 46.6 μg/dL であり、ACTH 非依存性クッシング症候群が疑われ、
X 年 6 月に当科を紹介受診した。
身長 172.5cm、体重 86.4kg、BMI 29.0kg/m2 と肥満は見られたが、クッシング徴候は認めなかった。
また顕著な女性化乳房を認めた。
ACTH 3.4pg/mL、コルチゾール 45.6μg/dL、DHEA-S 85 μg/dL、LH <0.1 mIU/mL、
FSH <0.05 mIU/mL、テストステロン <0.03 ng/mL、エストラジオール <5.1 pg/mL であった。
女性化乳房を来しているのにも関わらず性腺系ホルモンの抑制という不自然な基礎値を呈していたため、
ご本人にサプリメント等の内服について、再度確認したところ、ご自身がトランスジェンダーであり、
また胸を大きくするため合成エストロゲン製剤であるエチニルエストラジオールを内服していることを告白した。
この薬剤が高コルチゾール血症の原因と考え、内服中止を指示し、再度基礎値を測定したところ、
ACTH <2.0 pg/mL、コルチゾール 3.37μg/dL に低下した。
経口避妊薬などの女性ホルモン製剤の内服で、コルチコステロイド結合グロブリンの増加を来し、血中コルチゾール値が上昇する。
ご本人から合成エストロゲン製剤を内服している事実について、初診時に申告されず、高コルチゾール血症の診断が遅れてしまった。
また合成エストロゲン製剤の内服中止により、ACTH、コルチゾール値が低値になったことも興味深い経過であった。
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202202258067520027
ニッコマレベルのバカ大学でもなんとなくペタペタ触って遊んでる研究室があるらしいので、あと10年もすればAI絵師と同じレベルで素人のオッサンたちによる趣味としてBMI研究が進むことだろう。
出力するだけのBMIなんてPCにフットペダルを追加する程度のレベルの進歩しか出来ないと思う。
やはり入力だ。
電極ぶっ刺し型は事故のリスクが高いことを考えると、ペースメーカーのようなものを埋め込む形にするほうが安全なのか?
それでも脳みそにそんなものをわざわざ入れる手術をすることがリスキーだ。
割れた頭蓋骨を補修するためにボルトをぶっ刺すのとはリスクのレベルが全然違う。
SFなんかじゃナノマシンが使われているが、ああいうのって使い古した後の古い奴はどうやって捨てるつもりなんだろう。
うむ。
あと20年で出来たら凄い早いと言っていいだろうな。
50年かかっても無理かも。
出力型のBMIについては50年後には流石に実現しているだろうが、そのフィードバックは従来のGUIで終わりになりそうではある。
むしろ、視覚・聴覚・痛覚あたりの神経に対して何らかの入力拡張が出来るような仕組みを作ったほうが手っ取り早い可能性さえある。
たとえば人間は文章を読んでいる時にそこに記載されている物体や情景について視覚的なイメージを脳内に形成することが出来るわけだが、脳みそを直接弄らずにこの機能にアクセス出来るルートを作ってそこに視覚情報を流す形なら脳を焼き切る心配はかなり減るんじゃないだろうか?
重要なのは「今既に人体が持っている情報系を拡張させるような形で入力信号を得られるような仕組みに振れたい」ということなのだ。
いっそのこと睡眠学習的なやり方で人間の感覚を拡張さえてしまうとかもありかも知れないな。
たとえば点字みたいなものをもっと細かくしたような情報を体の特定の部位から得ることが出来るように人体に学習させれば……ブツブツ……
そのまんまやん。ちなみにワイは、
うんちしたのはだれよ!
作:ヴェルナー・ホルツヴァルト 絵:ヴォルフ・エールブルッフ 訳:関口 裕昭 出版社:偕成社 税込価格: ¥1,430 発行日:1993年11月 ISBN:9784039611307
作・絵:土屋 富士夫 出版社:徳間書店 税込価格: ¥1,540 発行日:2000年01月 ISBN:9784198611347
さつまのおいも
文:中川 ひろたか 絵:村上 康成 出版社:童心社 税込価格: ¥1,430 発行日:1995年06月 ISBN:9784494005635
作・絵:キヨノ サチコ 出版社:偕成社 税込価格: ¥660 発行日:1987年08月 ISBN:9784031280303
うんこ!
文:サトシン 絵:西村 敏雄 出版社:文溪堂 税込価格: ¥1,430 発行日:2010年01月 ISBN:9784894236691
みんなうんち
作:五味 太郎 出版社:福音館書店 税込価格: ¥990 発行日:1981年02月 ISBN:9784834008487
おならうた
原詩:谷川 俊太郎 絵:飯野 和好 出版社:絵本館 税込価格: ¥1,540 発行日:2006年06月 ISBN:9784871101585
うんちっち
作:ステファニー・ブレイク 訳:ふしみ みさを 出版社:あすなろ書房 税込価格: ¥1,320 発行日:2011年11月 ISBN:9784751525470
うんぴ・うんにょ・うんち・うんご
作:村上 八千世 絵:せべ まさゆき 出版社:ほるぷ出版 税込価格: ¥1,540 発行日:2000年10月 ISBN:9784593593521
あたりかな
ヤンサンだけは、当時欠かさず購読していた俺が書かないと、という義務感から書いた。
異論は受け付ける。順不同。
この作品を世に遺せたことだけでも、ヤングサンデーという雑誌が存在した価値がある。世界規模で暴力と正義を等価値に描いた、怪作にして超名作。マクロな視点のテーマ性や劇的なストーリー展開と、市井の人々のエゴをディテールたっぷりに描いたミクロな視点の描き込みの両立が天才的。「宮本から君へ」はモーニング連載だが、この作者で一作だけ選ぶならこれだと思う。
「のぞき屋」の頃から片鱗が見えてはいたが、変態的なキャラクター造形と淡々とした描写が素晴らしい。そして前作からの画力の進化にも驚く。海外でも評価が高い。この作風はスピリッツ連載の次の怪作「ホムンクルス」へと繋がっていく。
ヤンサンは、山田玲司を育てた雑誌でもある。個人的には『アガペイズ』の方が圧倒的に好きだが(最高傑作だと思う)、知名度や重要作品としてはこっち。オタクがモテ男に変身していくHowToマンガの側面もありつつ、純愛を志向することでバブル期の軽薄な恋愛観へのアンチテーゼになっているメタ的な作品。ちなみに作者はヤンサン廃刊後、「山田玲司のヤングサンデー」という人気のYouTubeチャンネルを運営していて(後から出版社公認に)、マンガ評論がかなり面白い。
共著の「サルまん」を除けば、これが相原コージの最高傑作だと思う。白土三平的な王道忍者マンガと、「勝手にシロクマ」「コージ苑」的な不条理ギャグと、「サルまん」的な実験的アプローチとを高度に融合して、両立どころか鼎立させた奇跡的な作品。
遊人は、青年誌エロマンガにおいて未到達だった性表現の境地を切り拓いたので、漫画史的にも取り上げる必要がある。散漫なストーリーはともかく、今見ても女の子の絵が抜群に上手いし、性的描写のお下劣さが限界突破している。新宿の風俗店にイラストが無許可で使われ続けてて可哀想。
最初はベスト10作品にしようかとも思ったが、逆に絞るのが難しかった。
冬物語、シーソーゲーム、SOMEDAYなど。ヤンサンの看板作家だとは思うが、これといった新規性は感じられない。
どれも安定した名作揃いで、ほぼ外さないのが凄いのだが、逆に言うとヤンサン時代には、まだ突出した作品がない。
他誌で『ブラックジャックによろしく」があるからなー。名作だが、ドラマ化されるまでは割と知られていなかった。
アオイホノオ、おやすみプンプン、Dr.コトー診療所、クロサギ、イキガミ、土竜の唄などの名作・人気作が、廃刊と同時に他誌へと移転している。本当に、こんな良い作品が集まってた雑誌を廃刊にするとか、何考えてんだよ……。
よくある不条理ギャグと思わせつつ、後半からの哲学的なヤバい展開。しりあがり寿の弥次喜多に通じるところがある。
長尾謙一郎の作風は、ヤンサン以降の「ギャラクシー銀座」などで完成されたので入れなかった。
ちなみに作者は、最新作ではギャグを完全封印して、爽やかな青春空手マンガ「三日月のドラゴン」を書いていて、これもめっちゃ面白い。
前身の「少年ビッグコミック」からの移籍だし、代表作は他誌で『あずみ』があるからなー。
ここは、かなり迷ったが、入れなかった。作者で入るとしたら、「へうげもの」「望郷太郎」かな。しかし、とんでもない傑作SFになる可能性を秘めていた度胸星を未完結で打ち切った当時の編集部の罪は重い。
喜国雅彦は独特すぎて扱いづらい……。「月光の囁き」はシリアス路線で作家史的には価値があるが、基本的にギャグ漫画。どうなんだろう。
忘却のサチコでブレイクした阿部潤、帝一の國などで知られる古屋兎丸、さそうあきらなども、漫画家としての初期は、この雑誌で育てられたという印象が強い。
篠房は発言がキツめであり近年は反AIの急先鋒の一人で四六時中反AI活動してるからそれへのあてこすりだろう
またオタク界隈が暇空茜に取り込まれていた2023年2月時点で「暇空をフォローすることが世間にどう見られるか考えたほうがいい」と発言し、炎上すると共に親交あるクリエイターら大勢が正気に戻って脱暇空するきっかけとなった
ガンダム00放映中は、「メインキャラがクールな奴とクールな奴とクールな奴とちょっとクールな奴しかいなくて、こいつらと飯食ってもつまらなそうと思ったら飯食うシーンが案の定つまらなかった」という発言でも炎上
ドーナドーナがめちゃくちゃ面白くって、これはお前らにも遊んで欲しい……!!と思ったけどドーナドーナが選べるセールが17日までで終わってた。本当にすまない。
https://www.alicesoft.com/dohnadohna/
でもドーナドーナマジで面白いんだ。女の子つかまえてきて売〇させながら色んな拠点にカチコミしまくるゲーム、っていうとインモラルの塊みたいな感じだし実際エロゲーだからそうなんだけど、
ポジションを慎重に調整しないといけない戦闘システムといい、ヒロインやキャラクターの可愛さデザインの完成度といい、ストーリーの完成度といい、ハルウリの意外な奥深さといい、エロシーンのエロさといい、
「これ遊ばないで他にどんなエロゲー遊ぶんだ?」って感じだった。特に菊千代が好き過ぎる。キラキラも、あっけらかんとしているように見えて実はちょっと重たい彼女感にあふれていて好き。
あと三うらしゅ子のストーリーが、よく読むとめちゃくちゃ救いがないんだけど本人可愛いし明るいし一見するといいエンドみたいに見えて好き。エロシーンでいうと人妻NTRが好きなんで高橋菜々実が一番好き。
すまない、35周年セールは今後半戦やってるから、これで浮いたお金を今からでもドーナドーナに突っ込んでくれないか?ドーナドーナはまだ50%オフセールやってるからさ。な?
テントウムシは英語でladybug、日本語の漢字表記でも紅娘という書き方がある
なぜか
調べましょうね
以下思いつくままにメモ 後でぐぐったり書籍を探したりするとき用のとっかかりとして
海外、キリスト教圏でテントウムシがフィクション作品に登場する時の扱われ方
女性的、というのは英語圏では違う?マリア的であって女性的とは違う可能性
英語圏でテントウムシを擬人化したようなキャラがどの性別に割り振られるか?の調査
『赤の歴史文化図鑑』ミシェル・パストゥロー (著), 蔵持 不三也 (翻訳), 城谷 民世 (翻訳)
男は青、女は赤のイメージは日本ではいつから?歴史でみる色分けについて-No.123 - トイレマークつれづれ
「青=男性、赤=女性」というジェンダーイメージは1964年以降に定着した。西洋でも歴史的にイメージは二転三転している!? - 着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2
「テントウムシは赤いからladyとか娘のような呼び名がある」というのは偽っぽいな
紅娘
語源がはっきりしない 初出を国会図書館デジタルコレクションで探す、の前に大きな辞書を引くべき リファレンスの返答で私はそれを学んだはずだ
男性は黒/青、女性は赤というイメージはいつから/どこから? ←このテーマを掘るの面白そう→チコちゃんがとりあげてた
メダロットnaviでテントウムシ型メダロットが女性型ティンペットだった
なんかこの呼び方は中国っぽさを感じるが、関係はあるのか?ないかも 一応軽くググるか
一旦ここまで、日記
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
東京駅のら某有名カレー店のGoogle mapsのクチコのレビューが酷かった。星一つの長文の最低評価。まめると
昔、近くに実店舗があったけど食べたことがなくて今回、期待して会社に持ち帰って食べたらルーはぬるいし、米は冷たいしで、全然美味く無い。お弁当って冷めても美味くなけりゃド三流。1700円は高い
というもの。
冒頭に「昔から知っていた」と書いていたから味が変わったのか?と思ったら、「店名は知っていた」とのこと。おいおい。カレーは温かいのと冷たいのじゃ美味しさなんて相当変わるのが当たり前だろ。そんなことも分かっていない。ランチは1500円くらいする場所なので価格も妥当なんじゃないかな?
レビュー者の他の店の投稿を見るとファーストフード店に星二つ、チェーン店に星二つ…ああ、1700円のカレー弁当への期待が大きかったのね。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
風呂に入る前には脚力トイレに行きたくない、ということで大を我慢したまま風呂に入り、そのまま便意を忘れて就寝。とかやってたせいかどうかは分からないが、便がカッチコチで全く出なかった。人生で一番力んで何とか出した。
そして尻を拭いたら血がついていたのである。
血便!?もしかしてがん!?と思い、がんの症状を調べたりして怯えて眠りについた。
そして翌日、尻の穴が痛いことに気がついた。
激痛というわけでもないのだが、座る時とかちょっとだけイテッとなる。がんじゃなくて物理的に切れただけかと安心しつつ、切れたのか…という謎の感慨に包まれた。
これが一昨日の話である。
今日32歳になった。初めての経験で尻を痛めている32歳の出来上がった日である。
まだ笑い話にする勇気はない。