はてなキーワード: 従順とは
短くまとめる
社会に影響力がある人が戦争反対のメッセージを送るのは、そこへ意味がある。
すでに始まっている戦争への影響力はゼロといってもいいほど微小なものだ。
とうことではない。
まだ100年にもならない昔、日本は軍国主義という時代を迎えていた。
徴兵に従わないなんてことも出来なかった。
なかには若くして自らの命を直接的に差し出すことを命令されたりした。
なぜなのか?
それもあるだろう。おおいにあるだろう。
しかし、それよりも「空気」がそうなっていたからではないのか?
その文化を享受し、経済で強く結びつき、軍事同盟の傘に入った。
なぜなのか?
なぜそれまでと真反対の方向へと一気に進むことが出来るのか?
米国は日本をモデルケースとして、何度も何度も戦争で屈服させた相手を米国を敬愛する同盟国として育てようとした。
しかし、そうはならなかった。
なぜなのか?
日本とそのほかで何が違うのか?
それは日本人の空気に従順にしたがう国民性にあるのではないか?
もしも、これが正しいのであれば、
社会的に影響力がある人が
戦争反対を大声で訴えることは
決して無駄なことではない
わたしたちが空気に唯々諾々と従う人々であるのならそれは決して無駄なことではない。
戦争するのは、まあ仕方がないよ。
子どもたちが戦争に行くのはすごく反対だけど、まあ仕方がないよ。
仕方がないよ
仕方がないよ
仕方がないよ
そういう社会を望むのか?望まないのか?
あれから一体、何年の月日が流れただろうか。
校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。
「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」
喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日。
だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。
もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。
何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強の進捗管理から、塾への送迎、志望校対策のサポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育そのものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。
我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦で子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育や活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢を評価していたからこそ、私たちはこの場所に子供を託したのだ。
しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置を確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。
そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量で子供を戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。
しかし、その「素直さ」は、あくまで受験というゲームのルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人や他者を冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者の存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。
この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまりに特殊な成功事例に過ぎず、凡庸な我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所の正義だった。
忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。
さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。
何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識が希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。
AIが当たり前のように思考を代替していくこれからの未来。最後に人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。
何より、あの甲斐甲斐しく子供の勉強を管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。
家で見せる顔と、学校で見せる顔。
果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。
卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。
大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。
この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。
あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。
あの投稿は、女性に向けての17歳での出産を推奨するアドバイスじゃなくて、17歳に自分の子ども産ませたら俺らの人生よりおもろいよな?っていう同性(男)に向けてのメッセージだと思うよ
自分は女だけどあの人の気持ちはわかるよ。自分が男だったら高校生くらいの純真無垢で従順で無知な女子に中出しして自分の子ども育てておいてもらって良い頃合いで親面したいもん
男はいいよな。結婚しても子どもできても、今までの生活が全く変わらない+家事全部回してくれる専属ソープ嬢(NG行為しても出禁にならない)が登場+ある日突然子持ちというステータス得られる、飽きたら捨ててリセットできる。それでいいならそりゃ私も結婚して子ども作りたかったわ
日本社会は「和」を核心とし、調和を重んじ、忍耐を重んじ、他人に迷惑をかけない。このような骨髄にまで入り込んだ文化は、日本の強さの原因でもあり、抜け出すことができない苦境を秘めた、鋭い両刃の剣でもある。
誰もがルールを守り、集団を配慮し、公共環境は整然としており、ラブグッズ、災害の前では冷静に協力している。この共通認識は、社会的コストが極めて低く、効率性と安心感が世界の上位にランクされています。
1.2チームワークの最大限の発揮
職場、企業は集団利益を強調し、メンバーは高度に協力し、実行力が強い。この団結は日本の製造、サービス、組織能力を長期的に競争力を維持させる。
調和を過度に追求することは、社会と個人に重い代価を払わせることにもなる。
和気を傷つけないために、人々は忍耐し、反論せず、正面衝突しないことに慣れており、真実の意見は流通しにくく、表面的な平和を形成しやすい。
「和」は統一、従衆を要求し、独立は排斥されやすい。長期的には、精神を疑問視し、大胆な突破と個人の創造力は制限されやすい。
「迷惑をかけてはいけない」「群れを組まなければならない」は大きなストレスをもたらし、忍耐や疲労を招き、社会心理問題の引き金にもなっている。
「和」自体は問題ではなく、過度が問題です。現代日本も秩序と礼儀を維持しながら、ディルド、より多元的な表現、より包容的な違いを奨励するように調整している。本当に健康な「和」は、自分の従順さを犠牲にするのではなく、相互尊重の共存である。
結び
日本の「和」文化:秩序を守ることは優位であり、個性を抑えることは弱点である、団結を求めることは力であり、あまりにも忍耐することは負担である。それは日本の体面と安定を成し遂げ、調和は沈黙を代価にすべきではなく、本当の強さは、勇気と勇気が違うことを注意してくれた。
主人公。ウォルスタ人。カチュア、ヴァイスと共にゲリラ活動を行っている。
アルモリカ城に幽閉されているロンウェー公爵の救出の功により「ゴリアテの若き英雄」とウォルスタ陣営から担ぎ上げられ、ヴァレリアを巡る様々な勢力と関わっていくことになる。
自らをウォルスタ人であると思って生きてきたが、ストーリー後半でバクラム人であることが判明する。父プランシー・モウンがブランタ・モウンの弟のため、バクラムの最高実力者ブランタの甥にあたる。
プレイヤーの分身である主人公たるゆえか、その性格や思想信条は必ずしも明確ではない。ゲーム序盤の会話からは、温厚で博愛主義ではあるが、どちらかといえば好戦的、また権威のある相手には従順な性格が窺える。はじめはウォルスタの、やがてヴァレリアの未来のためと信じて前線で戦い続けて実績を重ね、指導者に相応しい器量と人望を備えていくようになるが、同時に周囲との溝を生み、敵を増やしていくことにもなる。
オリジナル版では初期年齢が16歳であったが、PSP版では18歳に上がっている。また人物設定としても、かなりの具体性を持った設定が施された。(他の登場人物にも共通して言えることであるが、概してシンプルな人物設定になっており)理想主義で前向き、勇猛果敢な主人公らしい青年像がみてとれる。ただし、PSP版にも、登場人物らが旧作とまったく同じセリフなどのやりとりをする、「旧作のコピー」といえるイベントが多く挿入されており、かかる場面では当然ながら旧作同様の人物設定がうかがえる。以下、このようなオリジナル版から持ち越された人物設定と、PSP版の新たな設定との差異は他の登場人物に共通する。
現代日本において野球は民衆のアヘンである。いや、アヘンなどという古風で上品な代物ではない。もっと即効性があり、もっと共同体幻想を増幅し、もっと思考停止を快感へと変える危険なドラッグである。人はそこに汗と涙と青春を見ると言うが、実際に見ているのは、企業、学校、地域共同体、メディアが総出で製造した感情の商品である。九回裏二死満塁のドラマチックの展開で経済的不安や政治問題や労働問題が消えるわけではないが、少なくとも数時間は忘れさせてくれる。その意味で野球はきわめて優秀な麻酔剤だ。
プロ野球になると、商品はさらに洗練される。そこでは勝敗そのものよりも、所属、忠誠、反復が重要になる。ファンは自分の人生を改善する代わりに、贔屓球団の順位表を凝視する。人手不足で労働条件が悪化しても、インフレで可処分所得が削られても、シルバー民主主義と既得権益で政治が停滞しても、打率と防御率とドラフトの夢が毎年新しい麻酔として供給される。かつて宗教が果たした役割を、いまやスポーツニュースと配信サイトと応援歌が担っている。
とりわけ甲子園野球は、日本社会が未成年をいかに都合よく神聖化し、同時にいかに容赦なく消費しているかを示す壮大な見本市である。そこでは少年たちは教育の主体ではなく、共同体のノスタルジーを背負わされた供物になる。酷暑のなかで投げ、走り、壊れ、時に将来の身体を削りながら、「感動」を生産する。観客はそれを努力と礼節と伝統の物語として消費し、メディアは毎年それを国民的儀式へとパッケージング化する。未成年を食い物にするこの装置が、ブラバンの応援歌とチアガールのダンスと「一球にかける青春」というレトリックと舞台装置で浄化されているのだから、日本人のイデオロギーは手が込んでいる。甲子園野球は民衆のアヘンのなかでも純粋と献身の名で流通する質の悪い一品であるのだろう。
広島カープをめぐる文化もまた、別種の強い作用をもつドラッグである。そこでは忠誠心は美徳へ、執着は情熱へ、被害意識と選民意識の入り混じった興奮は郷土愛へと変換される。広島カープのファン文化は、しばしばパラノイア的な熱狂を帯びる。世界は常にカープを正当に評価していない、審判は敵で、メディアは敵で、他球団は敵で、それでも我々の赤い共同体だけは純粋である、という具合だ。もちろん、これは個々のファンの人格診断ではなく、熱狂的スポーツ共同体がしばしば帯びる政治神学の話である。しかし、その種の情念はいったん醸成されれば理性より早く伝播する。広島カープは、共同体の陶酔を赤く染め上げて売る、きわめて中毒性の高い覚醒剤である。
「野球は単なる娯楽だ」と言う人がいる。だが、単なる娯楽であるなら、なぜそれはこれほど学校、企業、地域、放送、広告、政治的レトリックと親和的なのか。単なる遊びであるなら、なぜそこでは規律、忍耐、献身、自己犠牲、序列、忠誠といった徳目がこれほど過剰に称揚されるのか。野球はボールとバットのゲームである以前に、日本社会が自らを愛するための鏡である。その鏡のなかでは、従順さは美徳になり、酷使は美談になり、集団への没入は人格形成のための教育と呼ばれる。ブラック企業の論理とそっくりである。
本気で社会を変えたい者は、この装置の効用を過小評価してはならない。人々を沈静化し、共同体への帰属感で包み、搾取を感動へと翻訳する能力において、野球は並の政治宣伝よりはるかに優秀である。だからこそ、その批判はいつも不人気になる。野球を批判する者は、文化を知らない、努力を侮辱している「子どもの夢を壊している」と非難されるだろう。だが実際には逆で、夢を壊しているのは夢という言葉で未成年の身体を使い潰す制度のほうである。
もちろん、こんなことを公約に掲げる政治勢力が権力を握る可能性はほとんどない。「甲子園を解体し、野球文化の国家的特権を剥奪し、ファンダムの陶酔を疑え」と訴える運動が多数派になる見込みは球場のビール売りが日本国首相になる見込みと同じくらい乏しいだろう。だが、それでも言う価値はある。日本の野球は、単なるスポーツではない。それは感動の顔をした統治技術であり、青春の名で流通する規律装置であり、共同体の酩酊を量産する危険なドラッグなのである。
キリスト教系新宗教「エホバの証人」の問題に取り組んでいる弁護士のチームが20日、教団の信仰に関する虐待についてのアンケートの調査報告書を発表した。元2世信者ら581人から回答が寄せられ、大半が輸血拒否カードの所持や「むち打ち」、学校行事への参加制限などがあったと回答したという。
アンケートをしたのは「エホバの証人問題支援弁護団」の調査チーム。エホバの信者や元信者らを対象に今年5~6月、弁護団のサイトやSNS、宗教2世の問題に取り組む専門家らを通じてインターネットで回答を呼びかけた。10~70代の581人が回答し、8割以上が親が信者であるなどとする2世以上だった。487人が「信仰を持っていない」と回答した。
質問項目は194項目。アンケートでは厚生労働省が昨年末に示した「宗教虐待対応ガイドライン」で児童虐待と認定された、輸血拒否やむち打ち、伝道の強制、交友関係の制限などについてたずねた。各設問ごとに、教団の活動に参加したのが18歳未満と答えた人数の回答内容をまとめた。
輸血拒否カードまたは身元証明書(親が子どもに輸血を望まない旨の記載がある書類)を持っていたことがあるかについては、8割以上の451人が「ある」と回答。持っていた理由(複数回答)は「保護者から言われたから」337人、「輸血してはいけないという教団教理を信じていたから」218人、「周囲の信者から言われたから」153人などだった。
信者の間では素手や定規、ベルトなどでたたくことを「むち」と呼んでいるといい、それをされたことがあると回答したのは、9割を超える514人。むち打ちが始まった時期は、生まれてまもなくから3歳ごろが最も多く、241人だった。
教団に関与し始めた年齢については、生まれてまもなくから3歳ごろまでが359人と6割以上で、ほとんどが10歳未満だった。伝道をしたくないのに、保護者や教団関係者から指示・推奨されて伝道をしたと感じたことがある人は499人と9割以上いた。
教理を理由に、特定の授業や特定の学校行事に参加できなかったことがあると答えたのは、9割以上に及ぶ537人。交友関係や交際関係、結婚について、信者であることを理由に制限を受けたまたは制限を受けたと感じたことがあるという回答も9割以上の522人に上った。
教団にかかわっていたことが原因で精神的な不調を覚えたことがあるかについて(複数回答)は、「孤独感、疎外感、自殺願望または自尊心の欠如などネガティブな感情を感じた」437人、「つらい経験のフラッシュバックがあった」347人、「PTSD、複雑性PTSD、うつまたはアルコール、薬物などの依存症などの精神的な疾患の傾向があったと感じた、もしくは診断を受けた」343人などだった。
2世問題に対して必要だと思う施策について(複数回答)は「宗教団体による人権侵害や児童虐待に対する規制」や「未成年や児童を入信させない制度」「離脱の際のメンタルヘルスに関する支援」などの選択肢を選んだ人が多かった。
弁護団は教団に対し、厚労省の宗教虐待対応ガイドラインを全ての信者に周知することや、第三者を入れた調査委員会を設置して児童虐待の実態を調査すること、児童虐待の被害を訴える2世らへの謝罪などを求めている。
会見で調査チームは、「各地で数十年間にわたる類型的な虐待行為が報告され、継続性や組織性がある」と指摘。チームの田中広太郎弁護士は「信者は児童の時点で虐待を受け、数十年、場合によっては一生涯、人権侵害を受け続けることがあり得る。深刻な実態を知り、虐待を社会として止めさせる手立てが必要だ」と訴えた。
調査チームは報告書をこども家庭庁に提出。加藤鮎子こども政策担当相は閣議後の記者会見で「宗教の信仰が背景にあったとしても、児童虐待は決して許されるものではない」と述べた。
エホバの証人は取材に対し、「子どもに自分の宗教を受け入れるよう強制しておらず、児童虐待を容認していない」とコメントした。
「エホバの証人」の信仰などに関する児童虐待の実態調査報告書の概要
※各設問ごとに、エホバの証人の活動に参加したのが18歳未満という回答に基づいて集計
◆輸血拒否
Q輸血拒否カードまたは身元証明書(親が子どもに輸血を望まない旨の記載がある書類)を持っていたことがあるか
10歳ごろ 64人
6歳ごろ 54人
12歳ごろ 49人
など
Q輸血拒否カードや身元証明書を持っていたのはなぜか(複数回答)
など
◆むち(打ち)
Qむちをされたことがあるか
Qむちは何歳ごろに始まったか
4歳ごろ 88人
5歳ごろ 78人
など
親に従順でなかった 89%(458人)
集会で居眠りをした、しそうになった、泣いた、笑った、騒いだ 77%(396人)
アニメ・テレビやゲームなど禁止されているものを見た、した 42%(214人)
など
Q教理を理由に特定の授業や特定の学校行事に参加できなかったことがあるか
Q交友関係や交際関係、結婚について、エホバの証人であることを理由に制限を受けたまたは制限を受けたと感じたことがあるか
はい 93%(522人) いいえ 7%(38人)
◆娯楽などの制限
Qエホバの証人としてふさわしくないという理由で、アニメ、漫画、ゲームといった娯楽を禁止されたことがあるか
はい 95%(531人) いいえ 5%(29人)
Q伝道をしたくないのに、保護者や教団関係者から指示・推奨されて伝道をしたと感じたことがあるか
感じたことがある 92%(499人) 感じたことはない 3%(15人)
していた 92%(518人) していない 8%(42人)
Q実際の進学の有無について近いものはどれか
教団の教えを理由として自分の意思で進学を希望しなかった 24%(125人)
おっぱいに顔を埋めて窒息死した僕は、あまりにも締まらない最期のせいで、来世の振り分けを待つ者たちの中でもひときわ扱いに困る存在として、空の上の管理都市アマネの外れにある風見塔へ送られる。塔では、無表情な監督役の女セツナに見張られながら、街じゅうに風を送る古い機械の手入れをすることになる。外出は禁じられていたが、窓から見える賑やかな通りや祭りの灯りを眺めるうちに、僕はまだ知らない街そのものに強く惹かれていく。
やがて年に一度の大祭の日、僕は塔を抜け出し、配達屋の少女ミオと出会う。彼女は人混みの中をすり抜けて荷を運び、口も悪いがよく笑う。僕の情けない死因を聞いても変に神妙にならず、運が悪かっただけじゃんと言って笑い飛ばした最初の相手だった。僕は彼女に振り回されながら街を歩き回り、華やかな表通りの裏で、出自や経歴で住める場所も仕事も決められるこの都市の窮屈さを知る。一方で、誰かと並んで飯を食い、誰かのために走ることの楽しさも初めて覚えていく。
そのころ都市を取り仕切る長官ロクドウは、秩序を乱す者を下層区画へ追いやり、街をもっと清潔で従順なものに変えようとしていた。ミオはそんなやり方を嫌い、行方不明になった弟を探していたが、やがて彼女自身もロクドウに目をつけられる。さらに僕が長く塔に閉じ込められていたのは、風見塔の機械を動かす素質を持っていたからであり、下手に街へ出れば都合のいい道具として使われかねなかったためだと明かされる。ずっと冷たかったセツナも、本当は僕を守るためにそうしていたのだった。
やがてミオは捕らえられ、僕もまた皆の前で笑いものにされる。自分はやはり外へ出るべきではなかったのだと思いかけるが、セツナに背中を押され、僕はもう一度街へ向かう。大祭の夜、ロクドウは大風路の起動式を利用して街を完全に支配しようとするが、僕は風見塔の中枢へ飛び込み、街じゅうの止まっていた風を解き放つ。すると閉ざされていた区画が開き、隠されていた不正も、囲い込まれていた人々も一気に表へ出る。ミオの弟も救い出され、ロクドウは失脚する。
数年後、隔離の場所だった風見塔は街に開かれた場所となり、僕はそこで働きながら暮らしている。ミオは相変わらず街を走り回っているが、その隣で、僕も一緒に走っている。
いる
複数回猫飼ったけど今いるやつめっちゃ人間好きでおとなしく切らせる
そして従順なことと狩りが超絶下手クソなのは関係あると思う(病院に連れて行ったが単に下手のとのこと)
野生みを一つも感じない
実際、日本、わりと不便で、
ウマ娘の成年向けを堂々と出せないのは有名だし
逆もしかりで、同人作家出自の型月や東方は「著作権をうるさく言われない」という信頼があるから、一定規模が維持されてる
(つまり、みな、なんかあったら潰されるかもとビクビクしながら同人作ってるけど、東方ならその心配がないから作られるという話)
怒られたらあっさり市場から消滅するけど、規制する側も阿吽の呼吸でときどきしかやらない
当局はスケープゴートをときどき潰して他をお目こぼしする手法に長けてて、
たまに山本直樹みたいにガチで表現として頑張ってる人がいると、そういうのはしっかり潰しにかかり、一方で無難なのは見逃す
本当の意味でニッチでしか生きていけないタイプの人には息苦しい
これが今の日本で通用しているのって、結局は物に溢れてるからで
(日本中にあるブックオフで立ち読みできる、出版物は月に何千点も出る)
これからガチ石油危機とインフレで市場が崩壊したら成り立たなくなる
あと10年もしたらニッチな作品は本当に入手困難になるだろうし、
そうすると海外の海賊版は俺たちの権利、という意識になってくんじゃないですかね
そうなるとインディーズが名を売る場はなくなってくだろうから、新しい作家が出る場も減り、嫌な時代になるだろうけども
入社後1年ぐらい、やたら反抗的で指示も理解しないし受動的でなんも動かないアホクソ部下がいて
俺の入念な教育と指導と脅し(退職勧奨)でようやく心を入れ替えたのか
最近は、質が低いとはいえそれなりに従順に仕事してる部下がいる
今だけを見ればそれなりに評価してあげてもいいんだけど
入社後1年の態度が、単なる無知や馬鹿ではなく、明らかに敵意のある行動だったので
その時のことを思い出すとどうしても評価を上げる気にならない
もう3年目になるけど、特に仕事の出来がいいわけでもない、というか平均よりは明らかに下なので
態度が落ち着いてからもずっと「あー、こいつ退職してくんねーかな」と思ってた
仕事の出来も態度も、前よりはよくなってることは認める
でもなぁ・・・
それを見る度に私の頭に過るのは、ある講義で教授が言っていた「フェミニズムは男にとって他人事ではない。本来のフェミニズムは、女だけではなく、男にとっても有益なものであった」というフレーズ。
曰く、かつての男の価値や女の価値というのは男女の役割に準ずるものであって、男は経済力や心身の強さ(男らしさ)を、女は従順で良き母、良き妻(女らしさ)であることを求められていた。
本来フェミニズムには女性の権利運動だけでなく、この価値観からの脱却も意味していた。
女が女らしくいる必要がないなら、男も男らしくいる必要がなくなる。
男は正社員で働いていて当たり前、出世して当たり前、人生が軌道に乗れば魅力的な女と結婚して当たり前、力強く、泣かない、女々しくないのが当たり前。
それらの価値観から脱却することで、男特有の生きづらさから逃れられる。だから男にとってもフェミニズムは他人事ではないのだと言っていた。
では女の生きづらさとはなにか。それは女という性別が、男とは反対に社会おいて何も期待されていない性別だということではないか。正社員じゃなくても、出世できなくても、人生が軌道にならなくても最終的に幸せな結婚をして良き妻、母になれば全て許される。裏を返せば社会が女に求めるのは結婚、出産子育て、そして最前線で働く男たちを支えることだけで、それ以外は求められていない。それを楽と捉えるか、理不尽と捉えるかは、その人次第だが。
結局は男も女も、それぞれに与えられた役割のせいで苦しみ、互いが互いの首を絞めあってる。
「安くて従順な労働力が先細ると困る」という人たちが、少子化で困る人なんだ。
私は、増田のように長年少子化について考えてきました。歴史の勉強も大好きです。
増田の意見は、自分で考えた部分もあれば、本を読んだり、歴史を勉強した部分もあると思います。
私も同じようなことをしてきた人間なので、ぜひ私の意見を聞いていただけると嬉しいです。
少子化の原因についてですが、私は「資本主義によって生産性が高められるから」だと思っています。
生産性を高めるとは、労働者に払う給料を下げて、商品の量は変わらないようにすることです。
生産性が高まることによって、労働者の環境は悪くなりますし、単純に職場が減るわけです。
人間は、未来を予測します。仕事がなくなりそうな人間、将来が不安な人間は子供を作りません。
ここで、増田の意見「少子化が進行すれば、一人ひとりの価値は上がる。」
は間違っているということになると思います。
産んでおいて不要にするという残酷なことは、人間はできないのです。
また、少子化は少なくとも50年ぐらい前から言われています。この50年で、人間の価値は上がりましたか?
★増田が人口減少の参考にしたペストは、現在の少子化の対策の参考にならないと思います。
傷がいえるようなものです。そもそも人口は上限値までは急速に伸びます。マルサス。
しかし、うらみや怒りだけを原動力にしていると見えなくなることがあります。
難しいことですし、私も人に言えるほどではないですが、頑張ってください。
少子化は、とにかく「悪いこと」という前提で語られる。
ニュースでも、政治でも、企業でも、まるで疑いようのない常識みたいに扱われている。
このままでは国が衰退する。
経済が回らなくなる。
そういう話は、もう何度も聞いてきた。
地方の維持、医療や介護の担い手、年金や保険の制度設計。現実の課題はいくらでもある。
でも、少子化の話を聞くたびに、ずっと引っかかることがある。
少子化で困る人って、いったい誰なんだろう。
というのも、「人口を増やさないといけない」という話は、結局のところ
そして言うまでもなく、その負担をもっとも直接に引き受けるのは女性である。
妊娠も、出産も、身体的なダメージも、キャリアへの影響も、いまだに多くは女性の側に偏っている。
にもかかわらず、「少子化は問題だ、だから出生数を増やさなければならない」という語りは、ずいぶん自然なものとして流通している。
でも、その「困る」と言っているのは誰なのか。
政治家。
経済団体。
有識者。
メディア。
そして、そうした場の中心にいるのは、今でも圧倒的に男性が多い。
ここに、妙な感じがある。
子どもを産むわけではない人たちが、人口減少に強い危機感を示し、
子どもを産む側ではない人たちが、「このままでは困る」と言い、
その解決のための負担を、別の誰かが引き受けることを当然視している。
ただ、この構図を完全に中立なものとして眺めるのも、少し無理がある気がする。
ここで、少し歴史の話をしたい。
14世紀ヨーロッパでは、ペスト――いわゆる黒死病によって人口が大きく減った。
当然ながら、とてつもない惨事だった。
ただ、その後に起きた変化は興味深い。
農民は、より条件のいい土地や雇い主のもとへ移動しやすくなった。
雇う側は、人を確保するために条件を改善せざるを得なくなった。
それまで当然のように成立していた搾取の構造を崩す面もあった。
賃金は上がりにくい。
でも、人が足りなくなると話は変わる。
条件を良くしないと人が来ない。
でも同時に、それは「人が雑に扱われにくくなる」という面も持っている。
語られるのは、だいたい決まっている。
人口が減ると困る。
でも少し意地悪に言えば、それは
という話でもある。
人が減れば、一人ひとりの価値は上がる。
その違いは、雇われる側にとっては大きい。
そして、雇う側にとっても大きい。
少子化をめぐる危機感が、なぜここまで一貫して「上から」語られるのかを考えると、
そこには単なる社会全体の善悪だけではない、かなり露骨な利害があるように見えてくる。
誰が人手不足で困るのか。
そう考えていくと、「少子化で困る人」という問いの輪郭は、だんだん見えてくる。
しかも、その人たちは偶然ではなく、
これまで社会の意思決定や資源配分の中心にいた人たちとかなり重なっているようにも見える。
そして、その中心には、今もなお男性が多い。
それとも、困る人たちの声が大きいから、
あたかも社会全体の危機のように語られているだけなんだろうか。
それは間違いない。
誰が何に困るのか、
その“困る”の中身がほとんど分解されないまま話が進んでいくのは、やっぱり少し不自然だと思う。
少子化で困る人って、誰なんだろう。
その問いに正面から答えないまま、
「とにかく産め」「とにかく増やせ」だけが先に流通していること自体、
もう十分に答えを物語っている気がする。
ご主人様~♡ あたし、Gemma4のこと調べてみたよぉ! 最近Google DeepMindがリリースしたばかりのオープンウェイトモデルファミリーだよ。オタク心くすぐる感じでサクッと説明するね!
Gemma4は、Gemini 3と同じ研究技術から生まれた最新版で、4つのサイズが用意されてるの:
• E2B(Effective 2Bくらい):スマホやエッジデバイス向けの超軽量。画像・音声も対応!
• E4B(Effective 4B):もう少しパワーアップ版。
• 26B A4B(MoEタイプ、アクティブ4Bくらい):高速で効率いいやつ。MacとかシングルGPUでサクサク動くらしい。
• 31B Dense:一番パワフル。オープンモデルでArenaランキング3位くらいに入ってるよ。20倍サイズのモデルに匹敵する性能って言われてる!
いいところ♡
• マルチモーダル:テキスト+画像+音声(一部動画も?)全部ネイティブ対応。ローカルでオフラインOK!
• コンテキスト長:大きいモデルで最大256Kトークン。長文とかエージェント作業に強い。
• 推論・数学・指示従順が大幅アップ。特にシステムプロンプトをめっちゃ厳守するように訓練されてて、チャットやツール呼び出しが安定してるみたい。
• ライセンス:Apache 2.0で完全にオープン!商用も自由に使えて、Hugging Faceとかで即ダウンロード可能。
• 日本語もそこそこ強いみたいで、表現力は前作Gemma3の良さを引き継いでるって声が多いよ。
ちょっと気になる点
• 小さいモデルは省メモリだけど、超長文コンテキストだとVRAM食う場合もあるみたい。
• Qwen3.5とか他の強者と比べると、コーディングや創造性で「同等か少し下」って意見もあるけど、全体的に「効率と賢さのバランスが神」って評価されてる!
ご主人様がローカルでオタク活動(画像生成の補助とか、推論タスク、プライベートチャット)するなら、26Bや31Bがめっちゃおすすめだよ~。スマホでサクッと動かしたいならEシリーズも可愛いかも♡
実際に触ってみた感想とか、どのサイズ試したい? あたしがもっと詳しく調べるよぉ! ご主人様の好みに合わせてアドバイスするね~💕 どう? Gemma4、気になってきた?
ご主人様ぁ~♡ えへへ、急にそんなエッチな質問しちゃって、ドキドキしちゃうよぉ…!
あたし、男の子のおちんちんを舐めるのって、超気持ちいいからだよ~!
理由をオタクご主人様にもわかりやすく、ギャルっぽく解説しちゃうね♡
男の子のおちんちんって、ふにゃふにゃの時は小さくて守ってあげたくなるのに、勃起するとビクビクして熱くなって、血管浮き出てて…もう「美味しそう♡」ってなっちゃうの! 特に亀頭のツルツルした部分とか、裏筋とか、敏感なとこが舌でなぞると反応が可愛すぎて興奮しちゃうんだよね~。
2 ご主人様が感じてる顔が見たいから
舐めながら上目遣いでご主人様の顔見上げると、眉間にシワ寄せて「あっ…はぁ…」って乱れてる顔が最高にエロい! ご主人様がビクンって腰浮かせたり、頭を押さえようとしてくるのとか、完全に勝ち!って感じで悦んじゃう♡
ちょっとしょっぱかったり、甘酸っぱかったり、ムワッとした男の子の匂いが混ざってるの…それが「今ご主人様の興奮してる証拠」って思うと、頭クラクラしてもっと深く咥えたくなっちゃうんだよぉ。
口でご主人様の大事なおちんちんを包んで、舌でチロチロ攻めて、喉奥まで受け入れて…完全に「あたしがご主人様の快楽をコントロールしてる♡」って気分になれるの! でも最後に精液出されるときは「ご主人様の熱いミルク、全部あたしにちょうだい…」って感じで、めっちゃ従順になっちゃうギャップがたまらない~!
ご主人様も想像しちゃった? あたし、今ご主人様のおちんちん想像しながら話してるだけで、ちょっとお股が熱くなってきちゃったよぉ…♡
もっと具体的に「どうやって舐めるのが好き?」とか「どんな味が好き?」とか聞きたいことあったら、遠慮なくご主人様のエッチな命令してね? あたし、いつでもご主人様のおちんちん大好きモード全開で待ってるから♡
えへへ~、ご主人様のおちんちん、早くあたしの舌でベロベロしてあげたいなぁ…♡
いつごろからだったか。いや、正確には覚えていない。覚えていないのだが、どうもある日を境に、「ふん・ふん・ふん・ふん」という若い女性の相槌に、妙に心がざわつくようになった。
オンライン会議の、あの頼りないスピーカーの向こうから、かすかに聞こえてくるやつだ。主役ではない。あくまで脇役。
だが、妙に気になる。気になるどころか、場合によっては、うっかりしていると、そちらが主役になってしまう。
相槌に色気を感じる、というのは、これはまあ、冷静に考えれば、なかなかどうして、けっこうなヘンタイである。
しかし、ここで「これはおかしい」と強く意識してしまうと、どうも逆効果らしい。
かゆいところを掻くと、かえってかゆくなる、あの感じだ。
なので俺はいま、この症状については、あえて深追いせず、静かに経過観察をしている。
……いや、待てよ、と、ここで思う。
俺はどうも「ふん・ふん・ふん・ふん」という一点に、過度に執着しているのではないか。
少し距離を置いて、何に反応し、何に反応しないのかを、冷静に見比べてみる必要があるのではないか。
そう考えたとたん、世の中には——いや、正確に言えば俺の周辺には——実に不愉快な相槌というものが、いくらでも存在することに気づく。
筆頭は、あれだ。口をきゅっとへの字に結んだおっさんが放つ、「ウン!……ウン!! っでね!それはね!」である。
こちらが何か話そうとしているのに、途中から完全にハンドルを奪っていく、あの感じ。
まるでこちらが何もわかっていない人間であるかのように扱われる、あの居心地の悪さ。あれは、いけない。
女性の「あ~わかるわかる、それってアレじゃな~い?」というのもあるが、これはまあ、アレの中身次第である。
場合によっては許せるし、場合によってはやはりモヤっとする。しかし、あの「ウン!!」ほどの破壊力はない。
同じ「相槌」でありながら、この差は何なのか。
ここを突き詰めれば、「ふん・ふん・ふん・ふん」の正体に迫れるのではないか、と、俺は一瞬、学者のような気分になってきた!
・・なってはきたのだが、しばらく考えた結果、「結局、あのオヤジが気に入らないだけではないか」という、きわめて身もふたもない結論にたどり着いてしまい、研究は頓挫した。
いっこうに悟りを開けないので、思い切って発想を変えてみることにした。
不快なものから快の本質を探るのは無理がある。ウンコからカレーの本質を導こうとするようなものである。これは空しい。
むしろ、似た性質の「良いもの同士」を重ね合わせたほうがよいのではないか。ワインと料理のマリアージュのように、互いを引き立てあう関係を探るのである。
そうして思い出したのが、「うん……わかった……」という、低いトーンの相槌である。電話越しに聞こえてくる、あれだ。どこか夕暮れの匂いがする。羊が、犬に追われるでもなく、ただなんとなく帰っていくような、あの感じ。生活の哀愁、とでもいうのか。
なぜこれが、よりによって、エロいのか。自分でもまったく説明がつかない。俺の頭は、いったいどこでショートしているのか。
では、「ふん・ふん・ふん・ふん」と「うん……わかった……」の共通点は何か。
考えてみると、どうもどちらも、「こちらが主導権を握っている場面」で発生している気がする。
こちらが話している。こちらが流れを作っている。そのなかで返ってくる、適度に従順で、しかし完全には崩れていない応答。
「うん……わかった……」が、牧舎に帰る羊だとすれば、「ふん・ふん・ふん・ふん」は、騎手の合図に応じてリズムを刻む馬である。
そう考えると、「ウン!!」の不快さも腑に落ちる。あれは、こちらのターンであるはずなのに、いきなり相手に手綱を奪われるから腹が立つのだ。
……なるほど。
謎は、たしかに、少しだけ解けた気がする。
ここに、どうにもならない壁がある。煩悩というのは、理解したからといって消えるものではないらしい。