はてなキーワード: 全集とは
ここ数年で、ハラスメントに対する意識、罰則が高まったと思う。
オヤジの時代だとラフプレー程度に看過されてた振舞いも、今じゃ一発レッドカード。
何なら、ラフにやって人よりも成果出すくらいなら、常にフェアプレーで凡打の方が評価は高い。それでいいのか日本経済、と思う時はあるけど、仕方ない。
仕事をする上で、自身の成果物に対し上司のレビューを受けることが多々あると思う。
その時受ける指摘の全てが同じ「重さ」ではない。かつ上司も部下への指摘なんぞイチイチ覚えてるほど暇じゃない。
受けた指摘のうち7割を対応し(裏を返せば3割は捨て)て、その中にクリティカルな指摘の対応が含まれてさえいれば、だいたいは通るもんだと思った方がいい。
当然、10割を求められるシーンもある。それは7割出して、嗜められたてから気付けばいい。
その時は「忘れてました、すいませーん(やるとはいってない)」でOK。上司もこれに対してきつく当たろうものならレッドカードが待っている。
呪術廻戦の登場人物が似たような話をしているが、結局ハラスメントが生まれないような会社を作る「原因療法」の努力をせず
生まれてきた「xxハラスメント」を悪として個人攻撃する「対処療法」に逃げているに過ぎない。
「あるプロジェクトを任せられたが、スキルセットの備わった人材も集まらず、短工期、周りの社員も知らん顔」みたいな
構造的に詰んでいるホットスポットが、社会の至る所にある。そこに落とされ歪んだ結果、周囲に強く当たる様になってしまった人は、果たして本質的な加害者なのだろうか。
これはマジ。感染る。俺がそうだった。
というより、君の仕事のスキルは多かれ少なかれ上司のスキルに影響を受ける。
学ぶことは「まねぶ」こと。悪癖も意図せず継承されかねない思った方がいい。
「上司ガチャ」なんていう低俗な言葉も流行ってるが、一番大きな影響はこのスキル継承だと思ってる。
④に少し被るが、誰にも頼らず独学で仕事を覚えるのは難しい。それができるなら皆初めからフリーランスで良いわけでなので。
一方、上司も感情のある人間なので、嫌いな奴に手間暇かけて自分のスキルを継承したいとは思わない。
新人の教育は上司の義務だと思ってる様なら大間違い。会社もさほど評価しない。
上司からすりゃ、お前と人事評価を捨て、自分の仕事だけしてさっさと帰った方がマシな迄ある。
なので、餌をもらう立場のうちは可愛げのある新人を演じておくことを薦める。
「俺にちょっと時間かけて教育してくれたら、お前の手足になって多少なりと役立ちますよ」感を出しておけ。上司ひとりではなく、同じフロアに居る周りの大人にわかるように。
ガキのうちから仕事できるフリなんていらない。バカになっておけ。数年したらこんなクソ上司なんて喰ってやるくらいの野心を秘めて。
それでも餌をくれない上司は信義則に反するので、まともな会社なら周りの大人が助けてくれるはず。
「業種・職種的に向いてませんでした」なのか、「この上司嫌です」なのかに依ると思う。
転職、言い換えると自己都合退職とすると、会社責となるため、お前を退職に追い込んだ上司はほぼノーダメ(「まーたこいつやりよった」感が部署内に漂う程度)
一方で、異動しますとなった場合、人事的に少なからずメスが入る。上司も処分迄はされずともカタギな出世ロードからは外れる可能性はある。
最近は転職がよりカジュアルになってきている。会社を続けるしかなかった時代に比べれば、選択肢が増えて良いことではある一方、
お前の職歴に手術痕が残る結構な「劇薬」だということは理解した方がいい。
お前のファウルを誘うきったないプレーをするバカどもが、会社内そこらじゅうにいるものと思った方がいい。
軽い小言、リスペクトに欠ける対応、50:50じゃない業務分担、あからさまではない悪意、必然的に休憩中作業を強いる口頭での指示、色々だ。
(いずれも文書に残らない、その場の「音」として流れ去る言葉・指示というのがまた厭らしい)
彼らはお前の仲間じゃない。本当の仲間は社外に求めた方がいい。
今の日本社会において、ハラスメントはレッドカード。それに準じ、キレるのもイエローカードだ。
夕飯はグラタン。先日よりも玉ねぎを増やした。小さめの玉ねぎを丸ごと入れた。それから、僕の分だけマッシュルームを乗せた。塩を少し多めに入れてしまったが、やはり半量でよかった。チーズも、セブンイレブンのを丸ごと使ってしまうくらいでちょうどいいようだ。後はサラダとパン。僕はパンを二人前くらい食べてしまった。疲れていたのだろう。
デザートに焼きリンゴとヨーグルトまで食べてしまった。お腹いっぱいである。
ドイツ語の文法書をやっていて、基本的な語彙の性別があまり定着していないことに愕然とした。そうなると、五級から四級のページに移るよりも、その時間を生かして文法や読解に時間をかけたほうがよさそうである。それで、六月に五級、十二月に四級、来年の十二月に三級、順調にいけば来年の十二月に二級、くらいの三か年計画にしてみたら楽しいのではないか。また三年も経てばドイツあたりに行きたくもなるだろう。
さておき、文法書のウェイトを増やすのがよさそうだ。週に一章だと、五級の試験には間に合わない。まさか五級でとても高度な文法的内容が出るとは思わないけれどね。
何日か前から書こうと思っていたが、今度はアメリカがホルムズ海峡を封鎖してイランに通行料を払うなと脅している。まるでどっちの組にみかじめ料を払うかどうかみたいな次元である。
ところで、ドイツ語を始めたのは結構だが、昨年の一月に首を傷めてから、筋トレをずっとサボっている。断続的にスクワットくらいならするんだが、良い習慣を複数続ける良い手立てはないものか。
地元の図書館にないと思い込んでいた丸谷才一の全集があったんで、手元の本を読み終えたら気になっていた巻を借りて読むこととする。これは今日でもなくて構わないのだが、膨れ上がってグーグルドキュメント三十六ページになった読書メモから、優先度の高いものを抜粋して、身軽なメモを作りたい。読み返すのがあまりにもだるいメモは、メモとしてあまり機能していない。あとはラハリの本をもう一冊読みたい気がするが、主張は明確なので飛ばし読みになる気もしている。
今日でなくていいとも買いたが、とりあえず直近で読みたいのを二十冊ほどメモしたが、ついでに、軽くてあまり頭を使わないのも欲しい。というか、いざメモを取ってみたものの、分厚い本に取り掛かるのが久し振りであり、実際読めるか大変心もとない。
シーツを室内で干しているのだが、冬と比べて明らかに乾きが悪い。もちろん湿度が原因だろう。敷パッドも干す時間はあるだろうか? 何とか今晩中には乾いてほしい。何とか今晩中には乾いてほしい。と言うか、乾かないせいでベッドに横たわって仕事の終わりに横になって休めない。
書き忘れていたのだが、昨日の晩、水が常時漏れているような水道の周りの汚れをふき取った。定期的にやらないと、カビだか酵母だかが繁殖してしまうだろう。食品を洗うところなので衛生的にしたい。
そういえば朝食を作っていたら、隣のお嬢さんが帽子をかぶって出掛けて行くような姿が見えた。すりガラス越しだったからわからないが、もしかしたら今年から小学生なのかもしれない。というか隣かさえ分からない。隣の隣かもしれない。ただし住人を見かけたことはない。
仕事が終わってから、家の西の方にある公園まで歩いた。春になって分かったのだが、ここの芝生は緑が濃い。また、思った折も生えている樹木が太く、心癒される。前に来た時には冬だったから気づかなかったのかも。今は一面の緑色の葉で木陰を作ってくれる。
公園の周りには、ここにも白いハナミズキが生えており、それからツツジも咲いていた。実家のそばに咲いていた花を見つけると少し安心する。都内なので緑が少ないと思っていたが、そう感じたのは引っ越したのが秋だったからかもしれない。
後は通れるかどうかわからなかったマンション脇の小道を歩いたが、普通に散歩道になっていた。自転車通行可能の標識があったので、普通に公道で間違いないだろう。
セフレと過ごしながらもどこか他人を受け入れきれない主人公。そんなある日、彼女の継父が行方不明になり、弟は暗闇にバケモノが潜んでいると寝不足になり学校で居眠り連発。学校は彼の母親と連絡がつかなかったため、主人公に連絡が来て主人公はその惨状を知る。バケモノに身に覚えがあった主人公は弟とともにうつ状態の母親の過去と暗闇でだけ姿を現すバケモノとの戦いに挑む。
みたいな話。
いや、面白かったね。
今作では「暗闇でだけ存在するバケモノ」というワンイシューをどうやって怖がらせるかに全振りしていて、そのアイデアの豊富さや活かし方がスマートで非常に良い。そして当然そんなワンイシューだけで2時間も3時間も映画が撮れるわけないのでバケモノの由来と対決だけの的を絞って80分という短い時間にまとめた決断も英断。
そんな中でもうつ病の母親&バケモノという重荷を背負いその話をしても誰からも信じられなかったというトラウマから家を出て他人を深くは受け入れないという生活を続けていた主人公が、弟を救うために母親の過去を知り、バケモノとの対決という過程を経る中で、靴下の片方だけでも家には残させなかったセフレには箪笥の一段を与え、一度は捨てた弟を受け入れるという受容を果たすという成長ストーリーや、うつ病で現実を受け入れられず夫や娘には逃げられバケモノが家族を害していたことを見て見ぬ振りし続けた母親が娘による需要を経て最終的には母性を取り戻し家族を救うために決断する展開も入っていて、人間ドラマにもちゃんと目配せできているのはシンプルにえらい。
特に暗闇でだけ存在するバケモノの表現がよくてねぇ。冒頭で大まかなルール説明として継父死亡パートがあって、たぶんアパレル倉庫かどっかで居残りする継父と事務員が襲われるんだけど、スポットライトのむこうの暗闇にぼんやりと”何か”が立っているのが見えて、電気が消えて点くたびに近づいてくるという古典的な怖がらせがある。
じゃあ何で電気が消えちゃうかっていうとその倉庫が自動消灯で動作反応点灯という仕組みになっているという倉庫あるあるギミックを配置してるのが憎い。ずっと動いとけばいいじゃんって思うかもしれないけど、むこうの暗闇に"何か"が潜んでる中でバタバタ動き回れないでしょ。俺は動物として正しい行動だと思う。
こんな感じで暗闇でだけ存在するバケモノと戦う中での「そうなる理屈」が割とちゃんと考えられているのが良い。
地下室に閉じ込められた主人公たちを助けるためにセフレが駆けつけるんだけど暗闇の中にバケモノがいる(このためにバケモノは町の一角を全面停電に追い込んでいる。テロリストかよ)。懐中電灯で照らすことで存在を抹消するんだけど、地下室のドアを開けるためにそっちを見てると光が逸れてしまう。一瞬の隙を突かれて懐中電灯を弾き飛ばされて襲われるも、間一髪、スマホの待ち受け画面の明かりで撃退。一度撤退しようとするもスマホの光は弱いため横が照らせずに再び襲われスマホは手から離れ宙づりにされあわやと言うところで、遠隔キーで車を起動しヘッドライトで撃退。ピンチに陥るロジックと脱出のロジックがしっかりしていて非常に良い。
あとは車での脱出に成功したセフレが警官を呼んできて警官VSバケモノ戦になるんだけど、マズルフラッシュのせいでバケモノの存在が消えてしまいダメージを与えられないというギミックとロジックの正しさたるや!よう考えとる。
ホラー表現としても暗闇の中に何かいるというジリジリした怖さから、電気が消えて次に点いたらどこにいるんだというドキドキ感、実際に急に襲い掛かってくるジャンプスケアといろんなタイプの怖さを取り揃えていて隙が無い。
で、結局このバケモンはなんやったん?っていうのは、どういう人物だったかは明かされるんだけどどういう理屈でこんなことになっているんやというのはかなりぼんやりさせたまま終わっちゃうので解決方法もあれでよかったんか?ってなっちゃうのはややマイナス。あと、あの解決方法だと実際に警官死んでるのどう処理するんやろと言う疑問も。
まぁそんな感じかな。
電気が消えるとバケモノが現れて点くと消えるというギミックをどれだけ多様な見せ方ができるかという点に全集中した潔いミニマルホラーの佳作としてホラー映画好きなら全然見てみていいと思う。
同情はごく大まかに言って発展の法則を、つまり淘汰の法則を妨げる。
同情はありとあらゆる種類の出来損い的人間を生の中に引き留め、そうした人間を夥しく地上に溢れさすことによって、生そのものに陰惨でいかがわしい表情を与える。
生命そのものは、一有機体の健全な部分と退化変質した部分との間にいかなる連帯性も、いかなる「平等な権利」も認めない。
変質した部分は切除されなければならない。
—フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社、1985年8月30日、125-126頁。
生きる意味、生きる権利が失われてしまった後で、医師や病院の処置に女々しく頼って植物人間として生きつづけるのは、
社会の側において深い軽蔑を招くことになりかねません。(中略) ――処方箋を示すのではなく、毎日、自分の患者に対する新しい嘔吐の一服を盛るべきでありましょう。
極めて皮肉なことに、「病人は社会の寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。
エルンスト・クレーが著書『第三帝国と安楽死』の中で書いているように、ニーチェがナチス・ドイツの時代に生きていれば真っ先に殺害対象になっただろうことは疑いようがない。
政治に全く関心がなく、右翼も左翼も何のこっちゃやらで、ただ「父親の本棚めっちゃ本あるな」とは認識していた
それでいて父親も母親も特にニュースを熱心に見るとかでもなく、普通に地方新聞を二つ(県の名前が付いたやつと市の名前がついたローカルなやつ)取って普通に読んでいたのだったが
今思うと父の本棚には本多勝一の著作が多分全部揃っててズラッと並んでたり(悪魔の飽食とか貧困なる精神とかタイトルだけ覚えていた)、マルクス全集みたいな重厚そうな本があったりしたので、確実にガチの左翼だったんだろう
そもそも戦争のこととかよく知らんかったけど漫画で歴史や政治のことがなんかわかった気になり、得意げに読んでいた
父親の逆張りとかではなく、まじで「流行ってたから」以外のなんでもなく、ああいうセンセーショナルなノリがただ面白かったのだ
父親はあまり子供に介入するタイプではなかったので何も言わなかったのだが、もしかしたらずっと父親にうっすら嫌悪されている感じがしていたのは、インテリ左翼的に自分の子供が極右プロパガンダみたいな漫画を好んで読んでるのが意識の低いバカ丸出しで情けなかったのかなと思う
別にそれから右翼に傾倒したということもなく、その後は戦争にも歴史にも政治にも全然興味がなくなり頭スッカラカンで生きていたんだが
「裸の豚がいる! スブタ!」という7秒だけの曲。所ジョージさん史上(オレが知る限り)最短w
「女大嫌い、女大嫌い、女大嫌い、嫌い嫌い嫌い...」 というミソジニストに御用達な曲
「鈴虫のように ゴキブリも鳴いた 冷蔵庫の裏で鳴いて スプレーされた 鳴いても鳴いても スプレーされた」という、これも31秒の短い曲
ルッキズム的に第一印象で嫌われると、内面的・才能的にどんなに良い資質を持っていても一生否定され続けがちという世の風潮に対するプロテスト・ソングだw
https://x.com/thedarshakrana/status/2024894052257370529?s=46
要約
現代人に広がる「原因不明の疲労感」や「集中できなさ」は、睡眠不足や努力不足ではなく、注意力(attention)が奪われていることに起因するという主張。
⸻
• 何に注意を向けるかが、思考・信念・アイデンティティを形成する。
• 現代は、巨大テック企業が心理学・神経科学を駆使し、注意を奪う仕組みを構築している。
• 我々は「自由意思で使っている」のではなく、設計された依存ループに組み込まれている。
⸻
• 新奇性
• 承認
• 怒り
• 性的刺激
などを無限スクロールで供給し、異常なドーパミンスパイクを起こす。
結果:
• 本来価値ある活動(読書、会話、努力)が「つまらない」と感じる
• 不快 → スクロール → 一時的緩和 → さらに悪化、という依存ループ
⸻
の二層構造を持つ。
しかし、
• 退屈
• 静寂
• 何もしない時間
結果:
アイデンティティは「繰り返し向けた注意」から形成されるが、今はアルゴリズムがそれを決めている。
⸻
• 自殺率 +70%
• 自傷行為急増
といった統計が急上昇。
• 発達段階の脳への強刺激環境
⸻
• 通知全停止
⸻
② 注意力のリハビリ
• 意図的な退屈訓練
⸻
③ アイデンティティ再構築
⸻
核心メッセージ
という問いで締められている。
いつかマルクス全集みたいに望月新一も全集作られてからが本番なんだろうなあ
dorawiiより
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一番の「負われてみた」を、ずっと「追われてみた」と思っていた。だから私の中では、赤トンボの群の中で、子どもが赤トンボと追いつ追われつのかけっこをしている風景を浮かべていたのである。次に三番の「十五で姐やは嫁に行き」の部分である。その子どもの「お姉さんが15歳でお嫁に行った」と考えていたのである。昔は15歳でも結婚したのだなと勝手に解釈していた。
本当の意味はどうなのか。まず「負われてみた」は「背負われてみた」なのだ。「負う」は「背負う」という意味なのである。そして「姐や」は「姉」ではなく、「子守娘」のことなのだというのである。三木自身が『赤とんぼの思ひ出(日本童謡全集S12)』に「・・・姐やとあるのは子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである・・・」と書いている。実際、三木に姉はいない。さらに、子守娘は15歳で嫁に行ったのではなく、三木が15歳になった時に嫁に行ったということなのである。自分の誤解のすごさに素直に驚いてしまう。
三木の両親は、三木が7歳の時に離婚をしている。母親がだらしない生活を送っていた父親を嫌って家を出ていったのだ。三木は祖父の家に引き取られるが、そこで出会ったのが、お手伝いとして雇われていた三木の子守娘となった「姐や」なのである。この「姐や」は母親のいない三木をかわいがってくれたということだ。
「赤蜻蛉」は、三木が自身のさびしい幼少時代の思い出を歌ったものなのである。
それにしても・・・私の誤解は、事実を知れば知るほど滑稽に思えてくる。きっと他にも誤解している歌があるに違いない。そっと調べてみようと思う。
必読書コピペにマジレスしてみる・自分のオススメ41冊編(1)
【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて
【22時追記あり】「三体」が好きだった人にオススメしたいSF小説・前編
理系が池澤夏樹の世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する①
ちなみに最近読んでよかった古典SFはラリー・ニーヴン「無常の月」。月が突然明るく輝いたという美しいシーンから始まる、科学的洞察とそれによる行動が素晴らしい。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
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ただし、全てが自分の物ではありません。
いじめに対しての私怨が強すぎて、メタ認知能力が欠如している感情的な奴が多すぎる。まるでヒステリックを起こしている女と同じだ。
「私たちは法治国家であるから法の場で決着すべき」と主張すると、矢継ぎ早に「でも法機能してないじゃん」「学校が隠蔽するから悪い」「被害者だけ損だ」「加害者に制裁が加えられない」という返しを受ける。
いじめ問題は我が国にとどまらず、諸外国を含めた重要なテーマだ。SNSが発達する前にも、数え切れないほどの児童が被害者になっている。それが今、SNSで明るみに出ているにすぎない。
我が国では、体育の授業を含むスポーツができ、ある程度容姿端麗でいることがカーストの頂点に立つ条件になりやすい。つまり、加害者側に立つ場合が多い。
中国では家柄や学業ができる人間がカーストの頂点に立ち、韓国では財閥に近く、かつ容姿端麗であることがカーストの頂点に立ちやすい。
つまり、いじめというのは学校という集団の中で閉鎖的に行われているように見えるが、実際は私たち大人が作り出している環境が問題の根本なのである。
「いじめはよくない」と言っている私たち大人が、「いじめ」という環境そのものを作り、子供たちはただその傀儡として、ほかの児童をいじめているに過ぎない。
親が子供に異常なほど圧力をかける行為の多くは、「良い大学への入学」「良い会社への就職」に集約される。つまり、これらの過程には異常なまでの勉学の強要がある。
子供によって勉学のペースが違うのは当たり前だが、同調圧力によって、ほとんどの子供は同じように圧力をかければ勉学ができるようになると誤認されている。
この同調圧力の被害者もまた親であり、彼ら彼女らも一族という柵にとらわれているのか、あるいはタワマン周辺の競争相手に対してカーストの頂点に立ちたい、もしくは牽制したいのかはわからない。
特に、底辺から成り上がった、あるいはそこまで叡智を持ち合わせていない母親などは、感情的になりやすく、かつ勉強の仕方を知らないため、非効率に子供へ圧力をかける害悪になりがちだ。
容姿端麗でうまく生きてきたが学がないまま、スクールカーストのノリで周囲と比較するような人間が、玉の輿と結婚した末路である。
子供は被害者であるが、圧力鍋と同じで、加えられた圧力は逃がさなければ爆発する。例えば、高学歴家庭の子による親の殺人は、数え切れないほどあるだろう。
その矛先が、自分より不出来に見える人間へ向かうのである。しかし親としては、最終的に良い大学や就職ができれば、赤の他人の子など究極どうでもいいわけだ。むしろ、タワマンカーストや一族内での立ち位置をどうやり過ごすかに全集中してしまい、子の感情など二の次になる。
さて、本例はあくまで学歴が高いコミュニティでの話だが、偏差値が低い学校ではどうだろうか。ヤンキー同士の結婚や、DV男との結婚などが該当する。とても残念だが、トンビからタカが生まれる可能性は非常に低い。
IQやEQが低い家庭では、残念ながらIQやEQの低い子供が生まれやすい。どういうことか。小学校や中学校の延長線上で、彼ら彼女らは生き続ける。スクールカーストで物事をジャッジする。
つまり、「いじめ」を「いじめ」と認識できない子が生まれるということだ。いわゆるグレーゾーンにあたる。彼ら彼女らは、将来的な渇望よりも「今を楽しく生きる」ことに重きを置く。
いじめを行ったことに対するブレーキとなる脳機能が、十分に発達していない。
では、学校はなぜ止めないのか。学校教員の多くも、スクールカーストの中で生きてきた人間だ。民間から教員になるケースもあるが、数多くの教員はアカデミックの世界だけで生きてきている。
だから、社会一般で見られる「いじめ」という行為を、「いじめ」と認識できない教員も少なくない。もしくは、過去の自分の体験を重ね、「これくらい児童間ではあって当然だ」と考えている可能性もある。
本来交わることのなかった学歴によるいじめコミュニティと、言葉を選ばずに言えばグレーゾーンにいる子達のコミュニティ。その混合体がインターネットだ。
いじめ問題が勃発したとき、これらの背景が加味されないまま、「いじめ」だの「暴行」といった言葉だけが一人歩きする。背景を理解せずに、私刑を加える輩が大半だ。
例えば「いじめはいじめられる奴にも問題・責任がある」という主張だ。多くの人は「そんなわけない」と主張するが、それは短絡的である。いじめっ子である彼ら彼女らが、そう思考する環境要因があることを鑑みれば、その発想自体は理解可能だ。
同調が求められるコミュニティで、同調的でない人間がいれば、「あいつが悪い」になる。そういう世界線で生きてきた人間からすれば、「いじめられる側にも責任がある」と考えるのは自然だ。
しかし一般的なIQやEQにいる人間であれば、一歩踏みとどまれる。「でも暴力で同調を求めるのは違う」と。
グレーゾーンに近い人間ほど、時間割引が強く働き、こうした行為にブレーキをかける前頭葉が十分に機能していない可能性が高い。これは「ケーキの切れない非行少年たち」にも類似例が記載されている。
また学のあるコミュニティでは、親が当然のように学のない人間を貶すため、子供たちもそれを模倣する。「学がないやつが悪い」と。
これらは「大人達が子供達をつるし上げ、いじめ動画を拡散している行為」と酷似していないだろうか。
正義感に駆られているのかもしれないが、拡散されている子供達も、端から見れば大人達の被害者である。それにもかかわらず、「いじめる奴が悪い」という主張のもと、動画を拡散し続ける。
自分たちが、いじめている子供達と同じことをしていると気づかない。そのメタ認知能力の欠如ぶりは、見事と言うほかない。
いじめをなくすのは、いじめている本人達を動画で拡散し、つるし上げることではない。そんなの魔女裁判と何も変わらない。今すぐ、拡散という行為は慎むべきだ。
法が機能していないと感じるなら、自分たちが政治家になればいい。いじめのない世界を作ろうと、実際に行動している人間もいる。
そうした努力を無碍にする動画拡散行為は、見ていて非常に腹立たしい。
そして、ただ単に加害者を排除すればいいわけではない。それは独裁国家と何も変わらない。私たちは法治国家であり、そのことに誇りを持つべきだ。
加害者が生きづらいと感じる社会になれば、治安は確実に悪化する。闇バイトや反社会的勢力に流れる人間が増えるだろう。
税金で加害者を更生させることに抵抗がある気持ちも理解できる。しかし皮肉にも、それによって私たち自身が生きやすくなることもまた事実だ。
BitTorrent を使った海賊行為に対する開示請求が増えているという記事
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/2069262.html
に付いたブコメで I KNOW というサイトが紹介されていてアクセスしてみるとエグい履歴が表示されてビビる
いや、このサイズのファイルがダウンロードされてればさすがに気付くか
ルータの管理画面で接続されている機器を確認。見慣れない端末を発見
お前か!お前が我が家の帯域を盗み取って「幼女全集 36G」をダウンロードしたのか!
端末のアクセスを禁止した後に、母親の頼れる相棒ことエコー君のことを思い出し、話しかけてみると反応なし
そういえば君も無線でつながる我が家の一員だったな、すまんすまん。アク禁を解き名前を付けておく
など、一通りバタバタした後にgoogle AIに相談してみると
「お前の接続方式はISPの他のユーザとIPアドレスを共有する方式だから問題ない」とのこと。
ルーターを買い替えた時に「なんか接続方式が変わったなあ、まあ、繋がってるからヨシ!」とあまり深く調べてなかった
その後のAIとの問答と管理画面の情報から、どうやらこのIPアドレスは我が家を入れて64ユーザが共有しているらしいと分かった
「IPアドレスを共有する方式」という知識がなかったのでかなりの回り道になったことだろう
AIやっぱ便利だわ
dorawiiより
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正直はじめての体験だったので、その店舗、というかその人限定の話なのかもしれない。トイザらス新座店の出来事。
子どもとトミカの「ツインコースやまみちドライブ」と「2WAYにぎやか高速道路」を見ていたところ、後ろの棚の整理をしていた店員さんが「それ繋がるんですよ~」と話しかけてきた。
「そうなんですよねー。うちの子も触れるおもちゃ屋さんで繋げたりしてて」と適当に返事をしたら、
「これ、実は間につなげられる幻のおもちゃが本当は合ったんですよ~」
と興味深い話をはじめた。
なにやら元々秋頃に販売予定だったのだが、夏のおもちゃショーの際に触っていた子どもが指を挟んでケガをした事案が発生し、それで販売中止、幻のおもちゃになってしまったそうだ。
よくよくツインコースやまみちドライブのパッケージを見ると確かに連結イメージに見たことがないおもちゃが載っていて「これですか?」と聞いたら、
「それは昔販売していたもので別物なんですよ~。昔のやつは別の連結パーツを付ける必要があったんですが、新しいものはパーツ不要で直接連結できて画期的だったんですが、いや~販売中止するには惜しいおもちゃでしたよ」
と語ってくれた。
その後は特に他のトミカ製品を売り込まれるなどもなく、店員さんは棚の整理に戻り、子どもも他のコーナーへと走り出したので店員さんとの接触はそれっきりだった。
しかしあとあと考えると、発売停止した商品や終売したおもちゃについて語るの、正直まったくセールスに結びつかない。
ただ、個人的には「まさかヨドバシの『商品に詳しい店員さん』みたいな人がトイザらスにもいるとは!」とすごく好感度が上がる出来事だった。
他のトイザらスの店員さんも実はおもちゃにすごく詳しいとで、もし余力があったら、話しかけやすそうな雰囲気で暇そうにしてる親に話しかけてみてもらえるといいかもしれない。
もちろん、私がせっせと飼ってるこのカタツムリのことではない。
https://anond.hatelabo.jp/20251016075559
興味はあるものの、オーダーに至らないまま長い年月が経った。でも、幾度となくリニューアルを経ても残るメニューとなると気にもなってくる。
なおかつ、「にわかカタツムリ博士としては食べてみるべきなのでは!?」という気持ちもあった。
小松菜に付いていたカタツムリを成り行きで飼い始めて1年と数ヶ月。プリプリまるまる肉付きのいい我が家のカタツムリを見てると「ミニアワビ」感がある。確かに食べたら貝っぽいだろうなとずっと思ったので、とうとう本日試してみることに。
普段なら、サイゼリヤは旦那さんと2人で来て、メニューが到着するまで間違い探しをするのがセオリーだ。とんでもない量を食べる旦那さんの様子を眺めながらミラノ風ドリアとサラダを食べてるのだけど、この日はひとり。オーダーはイカ墨パスタに念願のエスカルゴとイレギュラー尽くし。
イカ墨パスタも長年頼んでこなかった長寿メニューのひとつだけど、コイツに関してはすでに昨年デビューを果たしている。美味しかったので、エスカルゴにも期待が高まる。
やめろ、メインを先に持ってくるな。
しばらくしてエスカルゴが到着する。
写真のまんま。さて、実食。
*
*
専用のお皿はたこ焼き器みたいにいくつか穴が空いていて、そこにエスカルゴやら香味野菜やオイルがたんまり入ってる。付属の小さなスプーンで穴をすくうと、エスカルゴがふたつ出てきた。
そう、ちょうど我が家のカタツムリはこんなもん。ティースプーンに乗っかるくらい。うちのやつは黄土色だけどこっちは黒い。第一印象がそれって。
気を取り直して、さっそく食べてみよう。おい、あの頃の友達よ、私は今からサイゼリヤのエスカルゴ食べるよ。
ふむ。別途パンを頼んでも良かったなという濃いめの味付け。私は割とアヒージョが好きなのだけど、まさにあんな感じ。舌が火傷しそうなほどアツアツなのもむしろ好みである。これまた頼んだことがないサイゼのワインにも合いそうだ。
食感はサザエに似てる気がする。アワビのようなコリコリ感はないが、弾力はそれなり。イカとかタコにも似たような。ふむむ。全体でかなり濃いめの味付けなので、エスカルゴそのものの味よりも歯応えを楽しむ感じだろうか。食材の名前を告げずに出されていたら、「マッシュルームかな」などと言いながら食べていた気もする。それくらいクセがない。食べやすい。
でも、どうしよう。
美味しく食べようと意識を全集中させても、ずっと「我が家のカタツムリと同じくらいの大きさやん」という気持ちが頭の大部分を占めてしまう。鼻にはいい香りが届くのに、そのせいで舌にうまく風味が絡まらない。
噛んでも噛んでも無限ループ。どうしたもんか。
…などと悩んでいたら、向かい側の席にいた男子高校生の集団が突然「チ◯コどすこい」と言いながら謎のゲームを始めだした。いや、ナニソレがすぎる。
急いでスマホで検索したけど、そんなゲーム出てこない。ますますナニソレ。私の友達の息子とかも、まだ喋んないけど将来ああなるのかな。
あ、いや違うな。きみたちは昔の私か。ミラノ風ドリアとドリンクバーで何時間でも。進路の話なんかより、実のない話が楽しくて仕方ないあの頃の私たちなのか。きみたちもエスカルゴをメニューで見て「何コレ」とはツッコミつつ頼むことはない感じかな。
キミたちなら、このエスカルゴもうまい下ネタに消化してくれそうだが。
などとよくわからんことを考えて、私はようやくイカ墨パスタを食べ始めた。
美味しかったかそうでなかったかと聞かれれば、「邪念が多すぎてそれどころではなかった」が正直な感想だ。でも、お酒にはすごく合うと思う。大人の味付け。
そういえば昔、父がどこぞの海から持って帰ってきた威勢のいい伊勢エビ。
あれを私はお風呂場で飼うつもりだったけど、数時間後には無惨にも茹で上げられていた。熱湯に入れられる瞬間を見て可哀想だと思いつつも、直後には美味しく食べたのをよく覚えている。あの程度の出会いと別れならうんともすんとも思わない。でも、そうか。1年以上も見てるとこんな感じか。
我が家のカタツムリは元気である。カツンカツンと天井から定期的に落ちながらも、今日もブイブイにんじんのうんちをしている。まさか、コイツと二度目の年越しを迎えることになるのだろうか。
というか、私はこれから先、エスカルゴを口にするとき必ず「うちのカタツムリより小さいな」などと無意識に比較してしまうのだろうか。なんかやだな。
鬼殺隊が、極めてNPOらしいNPOである理由。NPO業界の長老のこの儂が解説しちゃおうかの。
https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/story-kimetsu-no-yaiba-komasaki_jp_5f962692c5b673c60824edd9/
【鬼殺隊の財務】
そんな鬼殺隊に対し、あなたは「お前らボランティアでやれよ。刀とか金かかるのは贅沢だ。ヒノキの棒でいけよ」
と言うでしょうか。
いくら霞柱でも、霞食って生きていけないわけです。
ちゃんと隊員の制服、刀、給与などを出さないといけないわけです。住み込みの隊員もいるから、食費もバカになりません。
どうすれば活動が続けられるのか。
作中には描かれていませんが、おそらく鬼被害から救われた人々が「寄付会員」になって、鬼殺隊の財政を支えているのだと思います。(作中では「藤の花の家紋の家」)
鬼殺隊に救われた家庭には、鬼殺隊事務局から「良かったら寄付会員になって、鬼と戦いませんか?ねずみコースは◎円、虎コースは▲円」みたいなダイレクトメールが送られるはずです。
鬼殺隊事務局には、こうした作業を行う「ファンドレイザー」がいて、日々寄付会員を増やすことに全集中しているでしょう。
ファンドレイザーは寄付を集めるだけでなく、今年は何人の鬼を倒したか。何人の命を救ったか。命を救われた人の声などを「アニュアル・レポート」にまとめて、事業報告会で報告もしていると思います。
以前、「国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代の新撰組の扱い」という記事を書いた。
その続きとして戦前、特に新選組のイメージを覆したと言われる子母澤寛『新選組始末記』(1928年)前後の評価を探っていきたいと思う。
関連:新撰組は「悪役」扱いだったか?~彼らの「語られ方」の歴史を検証する - posfie
なお、新選組が登場するフィクションとしては、前回に紹介した講談を除くと、1913年から連載された中里介山『大菩薩峠』が一足早い。
そして前田曙山『燃ゆる渦巻』、大佛次郎『鞍馬天狗』、白井喬二『新撰組』といった人気小説が1924年に揃って出ている。
いずれも新選組が主人公というわけではないが重要な役どころで登場する。
また新国劇の舞台『新撰組』の初演も1924年らしく人気があったという。
それらを受けてか、1925年から新選組を主役とした映画が立て続けに公開されていた(参考)。
戦後になるが1959年の大井廣介『ちゃんばら芸術史』から、まとめっぽい記述を。
たとえば、小説では、白井喬二の独楽師の角逐というめずらしい題材をとりあげた『新選組』の遠景には近藤勇の池田屋斬込みなどが扱われ、大仏次郎の『鞍馬天狗』の最初の単行本でも、近藤勇がすこぶる活躍した。劇では、行友李風が新国劇に『新撰組』を書きおろし、沢正が近藤勇をやる。映画では、枚挙にいとまないという有様だった。このように、勤皇か佐幕かのチャンバラ、新撰組や近藤勇がしきりにでてくるようになったのは、『大菩薩峠』や『月形半平太』が既にあるにはあったが、『朝日』の『燃ゆる渦巻』が大々的に口火をきった。
と書きつつ鳶魚は「ヘボ剣の近藤勇」などと呼んでボロクソに貶している。
近藤勇といへば、維新当時、鬼勇とまでいはれた武勇伝中の一人で、今に尚、芝居や講談、読物によつて若い人たちの血を湧かして居るが、彼れは若い時分、近藤周斎の門に這入つて剣術を学んだ。
これは古今の剣術家らのエピソードを集めた子供向けの読み物らしい。そのうちの一篇として近藤勇が紹介されている。特に悪い書き方はされていない。
「芝居や講談、読物」によって、近藤勇がよく知られていたことが窺える。
『創作講談』は「近藤勇・宮本武蔵・一休和尚・猿飛佐助・清水次郎長・紀伊国屋文左衛門」という伝記のシリーズで、1925年に刊行されたようだ。
勤王、佐幕、そして今の世は勤王劇流行で、勤王で無ければ成らぬ流行中を、我が澤田は新撰組の佐幕劇を以てその隊長近藤勇で見えている
劇団「新国劇」についての論評。『新撰組』は新国劇の十八番で、たびたび上演されているとも書かれている。
そこで先づ目に映つたのは、此頃人気を呼んでいる新撰組の隊長近藤勇が、大阪の富豪鴻池善右衛門、加島屋作兵衛、辰巳屋文左衛門外十数名から金を用立てさせた「約定証書」は、鴻池の家蔵品として出品されてあつた。
大阪朝日新聞社主催・大阪市後援の「大阪市史料展覧会」のレポートらしい。
そういうイベントに鴻池家が新選組の史料を出している、というあたりに「此頃の人気」が窺えるのではないか。
続いて子母澤寛『新選組始末記』直後の1929年の新選組の評価をいくつか。
今日の大衆文学に行はれている赤穗浪士にしても由井正雪にしても近藤勇にしても、悉く正史よりも寧ろ外傳の史料に拠るものが多い。
剣劇に映画に大衆文芸に何百回となく描かれて居る一代の剣豪近藤勇も、明治元年正月幕軍の敗走以来、落目となつては為す事毎に齟齬し、四月三日越ヶ谷の官軍本営にて捕はれた。
時代は常に逆転す!チャンバラの本家は新選組だ!現代のチャンバラ全盛を地下の近藤勇は苦笑でもやつてるか?明治回天の大芝居の其花形新選組の後始末はサテどうなつたか!?
だが、近藤勇のこの頃の人気は素晴らしい。大衆的人気の上で維新の三傑などは、蹴飛ばしているから愉快である。後代の人気と云ふものは、その時代を作つた人に集らずして、その前代に殉じた人に集るやうである。
以上からすると、『新選組始末記』以前から、近藤勇および新選組は十分に時代劇のスターだったようだ。
維新志士の好敵手として設定されてはいても、しかし「悪役として嫌われていた」という感じではない。
特に1924年ごろからは一種の「新選組ブーム」と言っていいような状況だったのではないか。
ただ当時は、あくまで近藤勇の人気が飛び抜けて高く、次いで土方が知られていたくらいで、沖田などのキャラが立ったのはやはり『新選組始末記』以降だろうか。
(1929年には月形龍之介主演で『剣士沖田総司』という映画が作られたらしい)
「池田屋で沖田が病気により昏倒する」などのエピソードは、明治末の講談に採り入れられてはいたが、それ以降の作品にあまり引き継がれなかった。
そうした細かいエピソードをあらためて掘り起こして、当時大量に作られていた小説や映画に新たなネタを提供した、という点に子母澤寛の功績がありそうだ。
なぜカレーうどんは、普通のうどんよりも、跳ねて服を汚しやすいのか。
これ、ずっと不思議だった。
物理的に考えてみた。
普通のうどんつゆは、ほぼ水。でも、カレーは粘度がある。油分を含んでる。
粘性のある液体は、表面張力が高いから、液体が「塊」で飛ぶ。水みたいに「霧散」しない。
だから、より遠くに飛ぶ。
重たい液体は、落ちる速度も速い。
だから、より強く、飛ぶ。
結果、服に当たる。
でも、それだけじゃない気がした。
もう一つの要素。
「つゆなんて飛びようがない」みたいな気持ちで、ガンガン食べる。
その時は、別にそれほど汚れない。
でも。
2回目、3回目とカレーうどんを食べてると、気づく。
服に少しだけシミついてるぞ。
その気づきが、一切を変える。
4回目のカレーうどん。
今度は違う。
だから、警戒心を持って食べる。
でも。
ここからが厄介だ。
いつもと違う食べ方をする。
麺の吸い方が控えめになったり、レンゲの持ち方が変になったり。
その不自然さが、逆に、麺を跳ねさせる。
本来なら、流れに沿って落ちるはずの液体が、予想外の角度から飛ぶ。
結果、より汚れる。
つまり、「汚れやすい」という認識が、かえって汚れやすい状況を作り出してるんだ。
これ、単なる食べ物の問題じゃなくて、人間の心理のメカニズムだ。
結果、失敗する。
つまり。
警戒心が強すぎて、不自然になる。その不自然さが、跳ねを誘発する。
これは、パラドックスだ。
汚れないようにしようと思うから、逆に汚れる。
そして、ここまで考えた時に、ある真理に気づく。
野球のバッターだって、理論を詰め込みすぎると、かえってバットが振れなくなる。
楽器だって、指の動きを意識しすぎると、かえって音が悪くなる。
それと同じだ。
カレーうどんを「普通に食べる」という、シンプルなことが、知識によって、複雑になる。