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新しい時代に そして母のこと

2019.10.23(15:01) 2705




一昨日辺りから我が家の上空ではおそらく即位礼正殿の儀の取材ヘリなのでしょう、ヘリコプターが飛び回っています。

昭和、平成、令和。

昭和では戦争もありましたが、どの天皇陛下もお心の中は同じく国民のしあわせと平和を望んでいらしたと思います。


そんなお祝いの時にこんな話題は申し訳ないのですが

我が家のすぐ側の病院に転院が決まりその日を待つばかりだった母が転院前日に容態が急変して急いで父のところへいってしまいました。

気管切開をして2週間になるところでした。

その前には瞬きをするようになり、眼をちょっと動かすこともあり、

起きているときと寝ているときが私にもわかるような感じになっていて

このまま奇跡的に意思の疎通ができるようになるのではないかと、その回復力に驚いていたのですが。

救急で運ばれたときから言われていた先生の見立ては正しかったですね。

私達に迷惑をかけまいと転院をする前にいかなくちゃとあわてて逝ったとしか思えないとみんなで話していました。

本当に私達のために倒れてから少しの時間の猶予をくれて(36日間)会いたい人に会って心の準備をさせてくれて

そして結婚してから今までこんなに長く毎日母の側にいたことがなかった私達姉妹がずっと母といる時間をくれて

そしてこれから私達が大変になると思ってしまったのか台風も避け、娘二人が揃っているときに急いで逝ってしまった。

そこから葬儀までも、思い通りの日にちに済ませることができました。

湯灌(寝台に寝たままの状態でほとんどのところは私達に見えないようにしてやってくださった)はシャンプーまでしてくださって(病院でも何度か看護師さんがしてくださっていて亡くなる前日もする予定でしたが血圧が低くなってきていたので念のためやめていたのです)、

係りの方(男女一人ずつ)が洗ってくださっているとき本当にバアバの顔が気持ち良さそうに見えました。

そのあと姉に代わり、次に私に代わり、「バアバのシャンプーなんてしたことなかったね。最初で最後のシャンプーね。」と「なんかマッサージしたくなっちゃうけど」と亡くなっているとは思えないほどで私も笑いながら洗って、そのあとドライヤーで乾かしカールブラシも用意してくださっていて姉と二人で「ああ、いい感じ。美容室の(バアバがお気に入りの)先生のカットとパーマがとても上手だからさっとキマルね。うん、いいんじゃない?」なんて言いながらセットして、出ている部分の腕や脚にいい香りのローションも塗って、

最後に私達の意見も聞きながら(入院中、姉が8月の我が家での写真を看護師さんに見せたようで私が病室にいるときに何人かの看護師さんに「全然お年に見えない、若々しくて本当におきれいな方。生き方も前向きで明るく楽しく一人で暮らしていらして、○○さんのようになりたいわ」と褒めていただいた時、恥ずかしそうに嬉しそうに笑っているように見えたのですが、その頃より頬もこけた感じになってしまいましたが)自然な感じにきれいにお化粧もしていただいて

立ち会っていた私達姉妹二人と係りの方二人で明るいお部屋の中、神聖な儀式ながらとても和やかに、そして穏やかないい時間が持てたと思います

夏におばあちゃん(主人の母)の一周忌を済ませたばかりでした。

これで結婚してから主人の父母、私の父母みんな見送りました。

それぞれに至らなさで後悔が多々ありますが

姉が喪主の挨拶の時に言ってたように母の意思を継いで明るく前向きにこれからを生きていこうと思います。









GREEN TEA


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究極の選択

2019.10.07(00:45) 2704

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気温はいつまでも高くても、空は間違いなく秋だと感じます。

(日が変わって今日は雨のあと晴れても涼しくなりましたね)



今までの人生で、究極の選択をしたことがある方はいらっしゃるでしょうか。

私は二度あります。

一度目は自分の人生をかけた選択。

そして二度目は人の命や生き方を預けられた選択。

前日まで普通に電話で話をしていた独り暮らしのバアバ(母)。

私のお誕生日に話をしたのが最後の会話に。

翌日、夜まで連絡が取れずかけつけたとき

母は倒れていました。

脳出血でした。

出血がかなり多く、脳に損傷も始まっていて

高齢でもあるので手術はしないとお医者様に言われました。

もう、意識が戻ることはないと思いますと。

積極的な延命治療をしてもいわゆる植物人間として生きていくことになるでしょうと。

奇跡的に身体を少しだけ動かせるようになったとしても意思の疎通はできるようにはならないと思いますと。

心臓マッサージをすれば肋骨が折れたりする話や本人にとってはかえって辛い状態になるお話等され、

その場で私と姉は積極的な延命はしないことにしました。

普通ならその日のうちにも、2~3日中にも「その時」が訪れてもおかしくないという状況で見守り続けました。

バアバは自発呼吸が出来ているため酸素を送る管を口から入れ(意識がないため舌が落ち込んで喉を塞がないように気道確保)、鼻からは胃の内容物を外に出したり胃の薬を入れるための細い管が、そして維持液の点滴をして

血圧、脈拍、呼吸数、呼吸のリズム、血中酸素量を見るモニターがついている状態のまま変わることなく過ごしてきました。

本人は何もわかっていないと思うと言われても、話しかけると目に涙が出てくるのは単なる自然の現象ではないように思ってしまう。

モニターのグラフや数値に一喜一憂してしまう。

ICUから個室に移ると看護師さんが、きっと聞こえていると思うからといつもテレビをつけてくださいました。

先生も思っていなかったと思うのですが、落ち着いたまま、自発呼吸ができたまま3週間以上経過。

バアバが倒れた翌週に控えていた娘の海外研修はそのまま行ってもらうことにして、もしものことがあっても娘にはその途中では言わないことにしようとパパと決めました。

私のお誕生日の電話で「次(のお誕生日)は○○ちゃん、24日よね?」と言っていたのが最後の会話だったはずなので

「バアバ、○○ちゃんが無事に行って帰って来るように祈っていてね。帰ってきた翌日が○○ちゃんのお誕生日だからおめでとうって言ってくれるんでしょう?」

って話しかけていました。

そして電話でお墓参りのお話をしていたお彼岸も過ぎ、

お彼岸のお墓参りはパパとお兄ちゃんが別々でしたけれど行ってくれました。

いつどうなるかわからないと言われ続けていましたが安定した状態が続いて

そうなると今度は口から入っている酸素の管をそのまま口から入れていると痰がつまりやすくなり、また痰をとりにくくもなるので気管切開をするかどうかの選択をすることに。

その選択の他に口からの管を抜いてしまうという選択肢もあります、と。

それは何を意味するか。

先生からいろいろなお話を聞き、保留にしたまま姉と悩み続けました。

姉は人工呼吸機や心臓マッサージや胃瘻はしなくても、自発呼吸が出来ているうちはできるだけそれを助けていつか自然に亡くなるような形にできたらとはじめ言っていました。

先生は多分どちらでもいいけれど切開自体は割りと簡単に終わる手術とは言え多少出血もあるし、本人に痛い思いをさせることにもなるし、したとしてももしかしたらすぐに亡くなってしまうかもしれない、また、転院するにしても気管切開をしていると受け入れられにくくもなる、そして意識はまず戻らないまま、「自然に亡くなる」「自然」はどういうことかわからないけれど酸素を送る管を入れていること自体が既に自然ではない、等どちらかというと口には出しませんが、このまま管を抜いてしまってもいいのではないかという方に気持ちが向いているような感じではありました。

バアバの場合、気管切開をしてどのくらい生きられるのかまで聞きました。

本当にいつどうなるかわからないけれど、ものすごくいい状態で一番長くて1年でしょうと。

思いの外、バアバが私たちに時間をくれたのでインターネットでいろいろな記事を読み、点滴の弊害のことを知ったり

少しでもそのままの状態でも生きていて欲しいと考えるのは本人のためではなく残される方のためなのではないかと思ったり。

管を抜いてすぐに舌が下がって窒息で苦しむのは嫌だと思ったり。薬を使って本人は苦しまないようにできるし、すぐにそうなるとは限らない、いつどうなるかわからないのは何を選択してもどれも同じとのこと。

本人の生きる力に任せて酸素の管を外し、自発呼吸だけにしてもらうことも覚悟しました。

でもモニターを見たり本人を見て一生懸命息をしているのを見ると生きようとしているように思えてできるだけ助けてあげたくなってしまう。

最後には姉と、もうわからなくなったからふざけていると思われるかもしれないけれどアミダくじで決めようか、というところまで答えのなさに追い詰められました。

先生も看護師さんも皆さんいい方ばかりで

どの道を選んでも後悔するかもしれないし、正解はないけれど、どれも間違いではないです、と。

多分最後の電話の時かその前の時、バアバとどんな死に方がいいかなんて話していたのです。

前の晩まで元気にしていて気持ちよく眠ったまま朝起きてこなかったなんていうのがいいかなと私が言ってみたらバアバは「そうなのよね。でも逝く人はいいけど残された方はビックリしちゃうのよね。」と。

その前にも「長生きすると言われてもどういう状態での長生きかも問題ね。元気に動けていて長生きならいいけれど病気でずっと寝たきりになっていたりしての長生きではねぇ」と二人で話したこともありました。

転院先としていいと思うところのひとつは口から管をいれた状態のまま転院し、そこでいずれ気管切開をするかどうかを決めるというのではやはり受け入れられず(急性期治療の段階を過ぎていて落ち着いていてその先の状態だから)、もうひとつが気管切開をしていれば部屋が空いていれば受け入れられるとのことで方向は決まりました。

姉ともし最初の病院で受け入れてもらえなかったら気管切開をしてもうひとつの病院へお願いすることにしようと前日にやっと決心をしていたので。

朝先生から電話で受け入れの結果を聞いたその日の午前中には気管切開手術となりビックリするほどの早い展開となりました。

これからそちらの病院と面談をしてから転院できるかどうかになります。

先生もこんなにバアバが頑張るとは思っていなかったと思います。

脳の出血の方は乗り越えたようです。

バアバはどう思っているのかなぁ。

こんな状態ならそのまま逝かせて欲しいと思っていたでしょうか。

切開をして痰も取りやすくなり口周りがスッキリとして楽になったように見えます。

実はこんなことがおこる予感がなんとなく無意識のうちあったのです。

8月に海外旅行に行くことになったときも家族が同じときにお休みがとれるなんてもうこれが最後のチャンスかもしれないって思うと同時にこのあとはそれどころではないことが起きそうな予感がありました。

そしてスマホの留守録はいつも聞いたら消すようにしていたのにたまたまお兄ちゃんのお誕生日とその二日後の私のお誕生日の時にすぐに電話に出られなくて留守録にバアバがおめでとうの言葉を残してくれていたのをなぜか「これはとっておいた方がいいのではないか、なんとなく最後のような気がする」としばらく迷って、なぜかそれを打ち消すように消去してしまったことを本当に後悔しています。最後に録音された肉声だったのに。

そして旅行から帰ってきてお土産を渡すのと写真を見せたりするのにバアバに我が家に来てもらってバアバのお誕生日のお祝いもしました。

その時もなぜか最後のお誕生日になるような変な気持ちがあったのです。

「まあ、最高のお誕生日になったわ」と言ってくれたことばが笑顔とともに耳に残っています。

その時の写真は本当に若々しく輝く笑顔でした。

そして偶然かもしれませんが気管切開をすることになった日の朝、今日はバアバのお父さん(私の祖父)の命日でいつもならお庭の金木犀がたくさん咲いているのに今年はまだだとバアバに伝えてと叔母からメールがあり、

早速バアバに話した途端にモニターのアラームが鳴り出し脈拍が急にすごく早くなったので看護師さんが二人飛んできました。

でも調べてもどこも以上はなく脈拍も戻っていました。

私はバアバが返事をしたのだと思いました。

そう、きっと聞こえている。

親孝行したいときに親は無しと言いますが、

これからやっとバアバの番かな、私もこれからは前よりもバアバに付き合うことができるかな、と思っていたのに。

元気な時にかけてあげたかった言葉、してあげればよかったこと、やっぱりあとになって悔やむことになるのですね。

倒れたときの状況がわからなくて、どんなに心細く私たちに助けを求めていたかと思うと本当にかわいそうです。

でも本当に頑張って息をしてくれていた。

みんなに会わせてくれた。

そして今も話しかける時間をくれている。

バアバありがとう。

最期の時までできるだけ安らかに過ごせるようにしてあげたいです。






GREEN TEA


2019年10月
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  2. 究極の選択(10/07)