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はてなキーワード: 映画監督とは

2024-12-13

ジャッキー・チェンは、不倫隠し子認知しないせいで、人でなし扱い。

サモ・ハン・キンポーは、大勢から尊敬される立派な映画監督と。

80年代映画を見ていたころには、全く想像もつかなったわ。

2024-12-10

[]

小倉智昭さんが死去 77歳

ほんとうに人生100年時代とか来るんか。

これから独身男の割合も増えていくし平均寿命(とくに男)がこれから高止まりすんじゃないか

2024-12-05

文フリ発行アンソロジー寄稿したが場違いだった

先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。

きっかけはTwitterで「公募エッセイ募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。

限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイ執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジー献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。

自分文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名掲載することも可能」と応募要項に書かれていたこから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)

文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。

見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前最後に「他」と書かれていただけ。

たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身名前アピールたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。

この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイート拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身アカウント引用ツイートした。

告知画像自分名前が載っていないのに「このアンソロジー寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。

企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。

リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。

一方私のアカウントは、日常ツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント

恥ずかしくて消えてしまたかった。

それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントリツイートされることはなかった。その間も万単位フォロワーがいる、名前掲載されたアカウントばかりが企画アカウントリツイートされていた。

動けば動くほど、恥ずかしかった。

文学フリマ当日、アンソロジー完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんツイートは見れなかった。

文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。

自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ

おや、と思いつつもエッセイ自体面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。

そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイ自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。

まり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後文章は以下の通りだった。

"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"

ああ、なるほど。

本当に自分場違いだったんだ、と理解した。

企画主催者自分の好きな著名人文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。

本をパラパラとめくると、企画主催者お金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督写真家小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。

一方自分掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置掲載されており、名前のみの掲載だった。

恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。

私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイター文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。

企画主催者公募エッセイ募集したのは、本のボリュームを出したかたからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちから募集ではなかったのだ。企画主催者特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。

公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイター自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。

別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。

言語化が難しいが、すごくやるせなくなってしまった。

せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。

「このテーマ文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐ものに見えてしまって以降この本を読めていない。

テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。

所詮趣味同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。

2024-11-24

anond:20241124094556

ジョージ・ルーカス映画監督)はかなりの童顔で、男社会映画界で舐められないように髭をたくわえている

渡辺陽一(戦場カメラマン)が髭面なのは、現地で社会通念上の"男"と認識されないと仕事にならないか

 

増田日本から出ないなら付け髭で楽しむといい

コスプレ用じゃなく日常用のヤツが売ってる

2024-11-23

女性作家によるレズビアン小説が発表されるが、作者はトランスジェンダー自称男性だと発覚する

高校男子校出身で、大学からトランス自称しては女子トイレに入らせろと揉めて女子トイレ使用権利を勝ち取っていたという

作家レズビアン当事者オンリーというレズビアン小説賞にも応募していた

レズビアン出会いイベントサイトなどは「身体男性を受け入れないのは差別だ」と男も受け入れるよう要請されて潰されまくっているが、その作家も男を受け入れろ派のため叩かれる

ゲイイベント身体女性を受け入れろ運動は起きていないが、レズビアン男性たちから攻撃対象になっている

「女を自称しながらレズビアンイベントを潰すな」といった書き込みに対し作家訴訟を起こし、数人を訴えるも敗訴

刑事告訴するも不起訴

noteで「実名告発しなければこちらが死に追い込まれる」として、開示請求で得た相手一般人女性らの住所氏名を公開

note運営記事を削除され、レズビアンであるが故に差別を受けた、このままでは差別で殺されると嘆く

小説家たち50人以上が作家賛同し「LGBTQの人権擁護しよう」との声明を出す

映画監督ら90人以上も同様の声明を出す

いや~映画監督って女優レイプ告発とか相次いでたけど、その時に「レイプはやめよう」と100人近くで声明出すことなんてなかったよね~

Lは男を受け入れろと言いながらLGBTQとかひとまとめにすんなよ

2024-11-20

[] 平均寿命(とくに男)がこれから高止まりすんじゃないか

75さい前後でおなくなりになった芸能人

自転車趣味にしていると早タヒか?っていう話になってた。→栗原さん

そのとき谷垣禎一自転車きっかけでタヒんだよねっていうのは勘違いでした

平均寿命がどんどんのびっていって人生100年時代かいってるけど、男の平均身長といっしょで

平均寿命(とくに男)がこれから高止まりすんじゃないか?そうおもう今日この頃です。

独身率増えると早タヒ男子グループってのが例外的でなくなるから、こいつらがぐっぐぐいっと押し下げそう!

#103万の壁突破

2024-11-13

松本人志の復帰を支持しない人間馬鹿

松本人志といえば、日本お笑い界を語る上で欠かせない存在だ。彼がこれまで残してきた影響は計り知れず、多くの若手芸人たちが彼に憧れ、彼の背中を追ってきた。そんな松本人志が再び活動を始めたことに対し、なぜ支持しない人間がいるのか不思議で仕方ない。彼の復帰を批判する者は、お笑い歴史松本の功績を全く理解していないのではないだろうか。正直、「馬鹿」と言わざるを得ない。

まず、松本人志がいなければ、今の日本お笑いの形が違っていたことは間違いない。彼は「ダウンタウン」としての活動を通じて、これまでに数々の革新をもたらしてきた。トークスタイル、笑いのタイミング、毒のあるユーモアなど、今のバラエティ番組コントで当たり前とされているものは、松本が作り上げたと言っても過言ではない。彼の復帰は、今後の芸能界にも再び活気を与えるだろうし、さらに新しいトレンドを生む可能性もあるのだ。

批判者たちは、松本人志の「過去の栄光」に固執しているというが、これは明らかに間違いだ。彼は常に新しい挑戦をしてきた。映画監督としての活動や、自身意見を率直に語るテレビ番組での発信もそうだが、彼は一貫して「変化」を恐れず、お笑いの枠を越えた表現を追求してきた。これこそが松本人志真骨頂であり、彼の復帰を支持しないというのは、そうした挑戦を全く理解していないに等しい。

また、松本が復帰することで日本エンタメ業界が活気づくことは間違いない。今の芸人タレントたちは、ネットの影響で注目を集めやすくなっているが、松本のように「地に足をつけた笑い」を知る人は少ない。松本が復帰することで、若手が学ぶべきものが多く生まれるだろう。彼の経験からにじみ出る「本物の笑い」は、ただ笑いをとるだけでなく、視聴者に感動や共感をもたらす力がある。

結局のところ、松本人志の復帰を支持しない人たちは、今のお笑い界に何が必要かを分かっていない。彼の存在は、常に「本気で笑いを追求する」という姿勢芸人に伝えてきた。日本の笑いの底力さらに深め、観る人に楽しさと意義を届けるためにも松本人志の復帰を応援しない手はない。彼を支持しないのは、ただの馬鹿と言っても過言ではないだろう。

2024-10-29

映画監督

好きではない映画監督作品

脚本が良かった。俳優の演技も良かった。面白かったとはいえる。

しかし、まるで全部映画監督自分の功績かのように考えているかのようなツイートをしていてどうにも気に障る。

映像演出は好きではないのに。

2024-10-13

anond:20241013015600

1970~80年代(そのころをキャリアに含む)の映画監督とか漫画家とか小説家とかの、どのタイプ創作論みても、みんな「創作は良い意味でも悪い意味でも影響を与えるにきまってるじゃん」「影響与えない方が負けだよヤバいよ」ってちゃんと書いてるし

オタク勝手トラウマ化してる宮崎事件の後もコミケ創立関係者米やんとかははっきりと「創作は影響を与える側」のこと書いてたはずだけど。

もちろんそれは「キャプテン翼を見てサッカー選手になるのは良い影響!ワンピース見て海賊になるのはあり得ない悪い影響!」みたいなお為ごかしではないよ。

なんか創作論でも、消費者意識がある以上仕方ないんだろうけど、オタクは断絶してる。はっきりいって戦闘経験がない。

オタクがいう「相手に譲歩するのは即負け」みたいな自称リアリズムって、漫画家活動ちばてつや他)とか見てないし実際一度も自身では規制現場に立ったことのない「空想リアル」だろ。それこそプラネテスロックスミスかに影響受けてる辺りの。

2024-09-28

anond:20240928110134

ゲーム開発者や実況者に対する解像度が低すぎてお話にならない。

  

まず、ゲームにも色々ある。FPSのような競技性が高い物(ネタバレとか特に無い)から

紙芝居ゲーやシナリオ重視RPGのような映画ほとんど変わらない物(ネタバレ拡散=そのゲームを購入してプレイする価値を完全に失わせる業務妨害レベル)まである

映画ほとんど変わらない物の作者にとっては、映画監督にとってのファスト映画の公開(しか収益化あり)と何ら変わらない事をされている。

  

そして開発者は実況者全員を敵視しているのではない。

開発者は実況に対してルールを定め、そのルールを守る実況者は敵視していない。

開発者が定めたルールを破ってネタバレ等をしている悪質実況者を敵視しているのだ。

明らかに業務妨害をされているんだからな。

特にその被害が大きいネタバレが命取りになるゲーム開発者が悪質実況者に対して怒り狂うのは当然の事である

実際、映画監督がファスト映画に対して苦言を述べているのはググればすぐ出てくるが、それと同じである

  

そもそも他人現在有効著作権を持っている著作物を許諾なく勝手に利用してやっている悪質な実況と

著作権が大昔に消失してパブリックドメイン(利用するのに誰の許諾も不要)となったルール試合を行っているスポーツ将棋とかとを

単純比較している時点でナンセンス

  

実況者やプレイヤー(プロ含む)の界隈に幼稚な連中が多いのは否定しないが全員ではない。

2024-09-26

映画ブエノスアイレス」のサウンドトラックについてまだ語れる

ブコメ自分思い入れのある分野で、よっしゃーと思いながらブヒブヒ書き始めて、字が足らなくなって、高揚感と消化不良感に包まれて朝の通勤電車に乗ることあるよね?(俺はあります)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/178130/

なので、ピンポイント映画ブエノスアイレス」のサウンドトラックについて増田でもう少し書こうと思う。

ブエノスアイレス香港映画監督のウォンカーウァイの作品であるウォンカーウァイが最近なにをしてるか全く知らないが、90年代後半から2000年ごろにかけて無茶苦茶はやった。マジで流行った。東京の一番オシャレな映画館(と俺が思っていた)シネマライズで前作が動員記録を打ち立てて、その最新作がシネマライズで公開されるってからレンタルビデオ屋で過去作の「恋する惑星」とか予習してから渋谷スペイン坂まで、地方出身の俺は当時付き合い始めたばかりの彼女と出かけたわけである

個人的な思い出はさておき、記憶に残るサントラ重要な要因として「時代性」がある。シネマライズ香港返還ちょっと先取りしたゲイムービーちょっと前の流れだがピアソラブームなどの時代の空気をたっぷり吸った「ブエノスアイレス」はその要素に溢れてる。

収録曲に関してはアストールピアソラフランクザッパ、カエターノヴェローソ、という3人の組み合わせである。この3人を一つの場に持ってこようと思った人間はいないのではないか。そしてその3人は同時代にいながら、互いの音楽を聞いていないのではないか(いや、ザッパは聞いてるかも)。しかし、その三者三様音楽ブエノスアイレスという映画の中にめちゃくちゃ嵌っている。

楽曲以外の収録要素もいい。一曲目のカエターノの「ククルククパローマ」のイントロの前に、短くイグアスの滝の音が入る。イグアスの滝映画の中で象徴的な役割果たしており、サントラの導入としては最高である。また楽曲の合間に、映画本編の登場人物セリフが収録されているのがいい。広東語なので何言ってるかわかんないが、こういうのは雰囲気だ。

CDパッケージも美しくて良い。

こんな最高な作品だが、他の名作サウンドトラックと同様に廃盤となっているようだ。映画自体前評判の割には大ヒットというわけでもなく、ウォンカーウァイの時代も遠い過去になってるからしょうがない。

興味のある人はAmazonあたりで中古で出回ってるだろうから聞いてほしい。

2024-09-20

映画スオミの話をしよう

・大乱闘ブラザー映画と思ってみたらとんでもねえ百合根底に流れている映画だった

・「同じ人を知っているはずなのにまるで別人という人間自分以外にも複数いる」部分が推しカプ妄想の参考になるかと思い見たのであんまり期待してなかったし三谷幸喜作品って50代以降がメインターゲットなのであんまり期待してなかったけど思ったほど悪くなかったし「三谷幸喜が生きてる内に作品を履修できて良かったな」という気持ちになった 合う合わない別にしてエンタメ歴史を残す作り手が生きてる内に本人作品摂取できる機会があってよかった

カプ妄想の参考にはあんまりならなかったけど

ラストヘルシンキ〜で「なにこれ…夢…?」ってなった

夫躍り出る夫の名前の末に番号ついてるのもなんか夢感増してた

スオミの「帰る場所ポジを確固キープし、スオミ人生と並走し続ける黒光さんとスオミ処女貰ったであろう先生が優勝・勝者です以上

最後スオミ本人による供述シーンで夫達それぞれの椅子デザインとか座り方で一目で個性伝わらせようとしてきてくれてる感じがよかった

・指示厨の夫の椅子映画監督(人に指示を出し動かす役割人間椅子)の椅子っぽいのがオッ秀逸!ってなった

映画本編自身が終止して良くも悪くも大衆的で「一目で伝わらせる」のはすごいことなんだなぁとおもった エンターテイメントや…

でも作り手が歴史ある大手すぎるので作り手の感性大衆的が合わせられてる説もあるっちゃあるな…と思った

キスについてキモい西島秀俊おもろ

・3席くらいとなりのマダムが目茶苦茶楽しんで映画観てて、自己顕示欲とかなしに素直に「映画を見てて思わず声を漏らしてしまう」みたいな場面が何度もあって面白さバフかけられた感あった

かに遠藤さん?の体操着オモロイな

・猿轡とちょっと首元はだけてるだけなのにあんなにエロスなの、さっすが天下の大女優長澤まさみさんやでぇ…背景黒なのが尚更エッチ感にバフかけとったな…

・画面の端に映るモブとか登場人物ががいちいちオモロ

・さすがに…さすがに、セーラー服は、ツインテは…キチィて…!いか長澤まさみといえども…!

・頼む…中学時代に誰とでも表面上「仲良く」できる(誰も気づいていない)スミオに対して「あんたそんな誰に対してもニコニコして疲れないの?」っていう黒光さんと誰にも仮面を気付かれないと思っていたスミオさんがハッとする…そんなやり取り絶対にあったでしょう…!そんな過去回ください!いや語られないほうが美しいのでやっぱいいです…!黒光さんは生徒会とかお硬い役職についていたのではないか

映画評価で「序盤でミステリネタがわかりすぎる」とかちょいちょい見たけど全然そんなことなかったぜ!

セスナのシーンで予算限界を感じたぜ!

エンドロールで「航空学校」ってあったから訓練用の設備貸してもらったんかなとか邪推しちゃったぜ!エンドロールが短いぜ!でも助手さんの名前とかも書いてあってヌクモリティを感じたぜ!

最後スオミ応答の演じ分けの長澤まさみの演技がすごかった

警察後輩の存在狂言まわしとしてかなり助かった この人がいないと兄弟たちの身内感に疎外感を感じてストーリーを追うほどの興味を持ち続けられたか少し不安なくらい

・むっちりクソガキのクソガキっぷり草

「ついに捨てられたの?」草

詩人のしょうもなポエムさがすごい

・始まりと終わりが黒一面にスオミの「つい溢れてしまった」ような笑い声なの、よすぎる

2024-09-17

anond:20240917012049

テレビ全然みないんだけど、

映画館宣伝までいわれるとたしかに。記憶から即座に消し去ってたけどあれウンザリするのはちょっとわかる。

というか、BLじゃなくても進撃の巨人実写化とかファンにとってはあまりうれしくないことをするテレビディレクター映画監督多い。

とはいえBLじゃないけどカラオケ行こう!はすごく原作どおりで面白い実写化だったし

昨日なにたべた?もテレビドラマとしての評判はいいから、主語でけえ~が結論

あんまうれてないBL漫画あんまうれてない(そして役柄に理解が浅い)役者踏み台にする地獄はやめてほしいなあ、今なにが映画館でやってるのかは全く知らんけど。

青年漫画である寄生獣とかはけっこう評判よかったんだっけ。

2024-09-05

心霊ドキュメンタリービデオ

有名心霊スポットテントを張って、深夜にその中で出演者が順番に怪談話をするという企画をしてたら、何者かがテントの周囲を歩き回る気配がする。

一同は「ひー」とビビるだけ。だいぶ時間がたってから男の出演者が外にでて、周囲を確認するがなにもなかった。

 

別のビデオ

ベストセラー本で紹介されて超有名な山奥の心霊スポット

そこにかかわって行方不明になってる人もいるというエピソードもある。

撮影スタッフ出演者がそこに訪れて、撮影していたら謎の車がやってくる。

ビビって一目散に逃走。

 

別のビデオ

怪奇現象がおきるということで有名らしい演劇スタジオ

オカルトライターホラー映画監督をそこに招いてインタビュー

しばらくしたら背後の壁の天井あたりから、真っ白い手がぶら下がる。

オカルトライターは「でたーw」みたいな感じで大騒ぎ。

映画監督絶句

 

こういうのを見ていつも不満に思うのは、決定的な瞬間にでくわしてるのになぜ突撃しないのか。

テントの外で怪しい気配がする→すぐ外にでて正体をたしかめる

心霊スポットに謎の車がやってきた→関係者の方ですか?と正体を確かめ

リアルな見た目の幽霊の手が出現した→その手を掴みにいく。あとで手の出たあたりを調べて人がいる余地がないか確認する。

このくらいしてくれないとモヤモヤする。

2024-08-19

昔、伊丹十三っていう映画監督がいたんだ

ヒット作何本も出していて実際面白かった。

今はもう伊丹監督作品をみる方法は無いので忘れ去られてしまうったのも仕方がないんだけどホント面白かったんだよ。

2024-08-12

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

2024-07-08

映画監督の準強姦とか羨ましいけど、身体障害から女性抵抗されたら負ける…😔

映画にかける情熱映画監督の下半身から湧き上がってくるのですね勉強になります

2024-07-05

インティマシーコーディネーターは日本に2人しかいないので色々無理

追記 07.06.01:30】

一応書いておくが「ICを入れない方法を考えた」という発言をした監督を俺は全く擁護していない。

あのテーマ原作を撮っておきながら、どうしてあんなに無神経な発言ができるのか。

追記以上】

みんな今知りたい話題だろ?

俺は、まさに映画ドラマ業界の真っ只中にいる者だ。

そしてインティマシーコーディネーターの起用の有無について意見ができるぐらいの立場職種だ。

俺は日々、撮影現場でありその準備であったりと「作品」の制作に関わり、また他の現場話題も常日頃耳にしている。

そんな俺が、「今、日本におけるインティマシーコーディネーターはどう受け入れられているか」を皆に共有する。


まず大前提として、

インティマシーコーディネーター(以下IC)という職業ができたことを疎んでいるスタッフほとんどいない、

ということをまずは明らかにしておきたい。



ICなんて不要だ!」なんてことをハッキリ言うような人間は、

ICという概念日本に紹介されてからのここ数年間で、俺はまだ一度も見たことがない。

しかしたら昭和時代の頑固オヤジスタッフとかはどこかで言ってるのかもしれないが、

超低予算映画自主制作のような泡沫作品ほとんどだろう。

TV曲や配信流れるような作品制作においては、制作過程においてもそれなりに常識が求められるし、

どのスタッフも、世間空気感への感度はある程度はちゃんとあるのだ。



作品において、性的なシーンがあった場合は、

脚本撮影準備のどこかの段階で、一度は一応、誰かが話題には出す。

プロデューサー監督か、助監督か、事務所人間か、キャスティングあたり)

「今回、インティマシーコーディネーターってどうしますか?」

と。

そして、今の時点では、だいたいの場合の応答はこうなる。

「そうですねえ・・・・以前、同じようなシーンがあった作品では、インティマシーいなかったですが特に問題が起きたことはないです」

「そうですねえ・・・・・インティマシーの人を入れると、撮影インティマシーの人のスケジュール合わせになっちゃって進行がハマらないんですよねえ・・・・」

そう、ほとんど場合はいなくても具体的に表立って問題が起こったことはほぼない。

(ただし、俳優が気づかれないように我慢している可能性についてはもちろんあると思う。)



しかし、今、一番現実的問題としては、

今、日本ICとして活動している人は2人しかいないのだ。



日々、たくさんの映画ドラマがつくられるなかで、たったの2人。

そして今の日本ドラマ流行りは、わりと過激になっている。

ドラマ制作陣がTVerでのランキングを重視するようになってからサムネイルでのインパクト争いになっている面もあって、

(よければTVerのドラマランキングを一度のぞいて見てくれ)

ドラマテーマ不倫セックスレス、など性にまつわるテーマはむしろ多くなっているのだが、

インティマシーコーディネーターは、たったの2人。


現状で、インティマシーコーディネーターの方々は精力的に活動されているが、

それでも制作される作品の数に比べれば、圧倒的に数が足りないのである


そうするとどうなるのか?

インティマシーコーディネーターが作品制作に参加した場合

撮影インティマシーコーディネーター合わせにせざるをえなくなるのである

通常、日本において、作品撮影スケジュールは、忙しい俳優スケジュールに合わせてつくられる。

そして全てのスタッフが、そのスケジュールに合わせるのが当然、これは監督でも同様である

例外があるとしたらよっぽどの大御所映画監督ぐらいだろう)

そして、だいたいは予算不足なので、撮影期間はギリギリ撮りきれる最低限の日数だけ確保される。

そんな状況で、一職種スタッフスケジュール合わせでスケジュールを切る、

ということは基本はありえないことなである

誤解しないでほしいのだが、これは、決してICを軽視しているわけではない。

撮影候補期間は、どのスタッフも全部スケジュールガラガラにあけて作品に参加し、

俳優スケジュールを軸にして最も効率の良い撮影スケジュールを、チーフ助監督が組み立てるのが普通日本現場において、

撮影に必ず立ち会うべきスタッフスケジュールそもそも全然空いてない、

ということに対応できる制作体制になってないのだ。



制作期間が短いのが悪いんだろ」はまさに正論なのだが、

そんなことは当然、我々スタッフこそ毎日身に沁みて思っていることであり、

しかし、現実に、たった今取り組んでいる作品の納品は差し迫っていて、

そしてICに合わせたスケジュールは切れない、

となると、どうしても、どの作品ICの起用に対して消極的になっていってしまうのである

それで、どの組でも

「まあ、今回はICは入らないということで、私達で充分に気をつけてやりましょう」

みたいな会話がかわされ、ICの入らない性的なシーンのある作品今日もつくられていくことになる。


誰も悪気がない。

みな、なんとなく「このままでは駄目だよな」と思っている。

しか現実にはICを入れる余裕がない。

そうこうしてるうちに撮影期間が終わる。

問題が起きなかったのでなんとなく考えるのをやめる。

そして、また次の作品の話が来て別の現場に入っていく。

ということを繰り返しているのである

俺はこういった状況は誰も悪気がないとは思っているが、

擁護もできないと思っている。

世間の考え方の進歩に、ICの人数規模が追いついてない。

どうすれば人数が増えるのかのアイデアは俺にはない。

anond:20240705102530

それが嫌なら「前提知識」を持ってる人同士だけで見せ合いっこでもしてなさい

漫画家だろうが映画監督だろうが小説家だろうがなんの前提知識もない人から好き勝手レビューされてますよ?

それでも高く評価されてる人はたくさんいるわけ

曲が売れないのを客のせいにするバンドマンみたいでみっともないんだよ

2024-07-01

netflixドラマ the8show ドラマ備忘録

ネタバレしか含まないので未視聴の方は読まないことをおすすめしま

三階 ペジン

30代の青年投資詐欺によって巨額の借金を追い、漢江身投げしようとしていたところにショーの招待を受ける。

「冒瀆」と言わしめた彼のダンスシーンには、爆笑

時々滑稽なところもあるが、物価を暗記していたり、最終的にはゲームを終わらせる機転を利かすなど頭は悪くないキャラクター

自ら一線を越えようとする性格ではないので、彼のシーンは安心して見れた。

「平凡な青年の役」はかなり難しい役だと思うので、演じたリュジョンヨルさんに拍手

八階 サラ

借金まみれのアーティスト

気分屋で、一瞬の享楽のために、残酷なことをやり尽くす美女彼女が八階になってしまったのが運の尽き。もちろん、彼女がいないとこのドラマ面白くない。

次に何をしでかすかわからないエキセントリックなところが非常に魅力的。

私は食事中にドラマを見ていたので、彼女提案した不眠拷問のシーンは、思いっきり食欲をなくしたが…

演じたチョンウヒさんは「スマホを落としていただけなのに」で拝見しており、役が違いすぎて驚く。

七階 パクジョンミン

映画監督お金必要な経緯は不明だが、新しい映画制作費のため?

理性的なので、個人的に一番好きなキャラクター

エピソード5の彼が「殴れ!」といったシーンが、カタルシスを感じてよかった。

それだけに、足を銃で撃たれたシーンは不憫

ただし、三階にちゃっかり投票していたり、上層階に支配されている間残酷ゲーム提案していたのは彼だったので、善人というわけでもない。

演じたパクジョンミンさんは、「地獄が呼んでいる」で拝見していたので、役が違いすぎてまたも驚く。

一階

サーカス劇団員。娘の高額な治療費自分生命保険で補うために、事故に遭おうとしていたところショーに招待される。

優しい性格なだけに、虐げられてきた怒りも強かった。一番お金に狂わされたキャラクター

イントロ火だるま男性のシーンがあるんですが、あれは最終話伏線だったんだな。

二階

職業不明お金がない患者の手術費の肩代わりのため、ショーに参加。

参加の動機から分かるように、正義感が強く、勇敢なキャラクター一見暴力的だが、参加者の中で最大の良心

四階

練習生、現駐車場誘導員?馬鹿にした同級生を見返すために、ショーに参加?

最終話葬式でも、「上層階の人は来ませんね」

とわざわざ言うなど、一貫してずるい。

でも、八階や七階ほど頭は回らないし、六階ほど力も強くないので金魚のフン状態

一階が「部屋を交換したい」と言わなければ、拷問に手を貸し続けていたと予想できるので、かなりのエゴイスト

五階

看護師。冷え切った夫婦関係を癒すために出会った男に、全財産を貢いでしまう。献身的性格作品の中で仇となる。

愛情深いが、感情的なために冷静な判断ができないという印象。彼女判断から起きるストーリーの転換は、本当に最悪だった。

得た賞金で、また他の人に貢ぐ羽目にならないといいが…。

六階

違法賭博で失墜した元野球選手中古車販売店で暴力事件を起こしたこときっかけで、高額なお金必要になる。

やくざ者。毎話誰かをボコボコにしていたが、最終的に腰の骨と睾丸を損傷しているので、因果応報はきっちりと受けた模様。

ストーリーについて

展開が読めず、非常に面白かったです。

イカゲームに似ているとの声もありますが、ほとんど似ていません。

イカゲームよりも、もっと残酷で、メッセージ性が強いですね。

「観客を楽しませれば時間が増える」というルールが妙でした。

主催者は謎なままですが、ラストは綺麗に締めたので、気にならなかったです。

エンディングを見るに、機会があればシーズン2を作りそうですが、どうなるかな。

2024-06-30

映画の作り方みたいなセミナー

カルチャースクールみたいなので、

「ヒット映画の作り方」

みたいなお題で話をするといって聞きに行ったことを思い出したでメモ

で、この後、某オリジナルアニメ映画勝負する名物プロデューサの話も聞いた。ただしこの人は社長でもあるのでちょっとは違うだろうが。

で、前者のプロデューサは、何個も誰もが知っているヒット作をプロデュースしている。

後者は、日本はもちろん、世界的に知られる映画監督に惚れ込んで会社を作った名物プロデューサー

2024-06-27

紅衛兵石丸伸二の子供の政治利用

あとで読み返しておきたい。個人読書メモ

 

紅衛兵

私の紅衛兵時代: ある映画監督青春 (講談社現代新書 1008)

目次

天国──北京の思い出

 小さな夢の世界──胡同/北京落城

降臨──文革の勃発

 輝ける「革命の子ども」たち/ゲームの始まり

●群仏──街に繰りだす紅衛兵

 夜を切り裂く「天使たち」/「不良」狩り──暴力快感

●狂灰──いくつもの死と生

 Fの「青春残酷物語」/湖に身を投げた老作家

 人生異郷とする人々/監獄からの「道行き」

青山──野焼き、そして、新生

 毒虫伐採の日々/「反革命女学生」の発狂

 原始の森の死/野花、それは1つの時代の……

紅衛兵時代 (岩波新書 新赤版 222) 新書

概要

一九六○年代後半,中国若者熱狂させた紅衛兵運動は,いまや全面否定されるに至っている.しかし,そもそも彼らは何に反発し,いかなる理想を抱いていたのか.「紅衛兵」という名称の生みの親であり,運動初期のリーダーでもあった著者の体験思索の遍歴から文化大革命に激しく揺れ動いた時代中国の姿が鮮やかに浮び上がる.

 

石丸伸二の子供の政治利用

9歳です。目黒区から来ました。

https://x.com/himasoraakane/status/1806139424671150100

生徒会に100万円

都知事選石丸伸二氏「当選したら全ての都立高校生徒会長に100万円配る」

給食費無償化美術館

https://x.com/AkaeNatsu/status/1805590764375978178

2024-06-22

anond:20240621180844

映画監督河瀬直美結婚して監督名義も仙頭直美にした時、フェミニストがめちゃくちゃ批判してたんだよね

選択夫婦別姓になった時、別姓を選択しない、既に名を揚げた女性パートナーの姓を選択してもフェミニストは受け入れられるのか疑問はある

2024-06-17

結局コロンブスMV意図がわからない

anond:20240613203515

なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。

想定されるのは以下3パターンだが

  1. 植民地主義奴隷制肯定で作った
  2. 歴史的文脈無知で作っちゃった(コロンブスが悪い人というイメージなし)
  3. 歴史背景は知識はある程度あったものの、それを踏まえた上で行けると思った

色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負メディアアンチポリコレを攻めに行く意味がない。

一般的マスコミ批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田考察など猿人文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。

そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。

しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知表現たかった何かがあるとは思えなかった。

そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人ビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。

しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベル知識では気が付かない火薬さらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか

そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である

可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。

少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。

例えばこれがアメリカ黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉アフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分フィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思覚悟必要と思われる。

結論最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。

小説家映画監督意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。


この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画プロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値意味があったと思う。


コロンブス」にそれはあったか炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。


であれば、コロンブス大航海時代英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ好意的解釈をして、コロンブス現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。


結局アーティストMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現たかったの?

追記

植民地主義への批判だろって増田散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。

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