綺麗
- 2023/07/23 17:46
- Category: bologna生活・習慣
昨日の雹交じりの風雨はエミリア・ロマーニャ州の多くの街を脅かしたらしい。晩のテレビでその様子が映し出され、うちの界隈が如何に大したことがなかったかが分かった。そう言え少し前にヴェネト州でも雹が降ったそうだ。それはテニスボールほどの大きさだったそうで、車や農作物に大きな被害を与えたらしい。暑い日が続くとこんな事がある。でもそれは近年のこと。私がボローニャに暮らし始めた頃や、20年前、10年前にはなかったことだから、地球の温暖化に大いに関係しているのかもしれない。地球はどうしてしまったのだろう。昔は存在しなかった、人間が生み出したり壊すあれこれを、空が自然が怒っているのではないだろうか。
ところで昨日の風雨で気温が下がった。最近の習慣で夜中も窓を開放して眠っていたら、朝方あまりの冷えで目が覚めて、家中の窓を閉めて歩かねばならなかった。気温は18度まで下がったらしい。最近は最低気温でも22度だったから、雨が随分と空気を冷やしてくれたと言うことになる。此のくらいが丁度いいと思う。そして昼間が27度くらいなら完璧。
それで涼しい朝を利用して相棒が久し振りにテラスの植物の手入れをすることになった。暑さのあまりに先延ばしにしていたことである。このところ成長が著しくて昨年の植木鉢では窮屈になった茗荷。今は植え替えの時期ではないことを承知の上で大きい植木鉢に移し替えた。さあ、どうだろうか。こんな時期に引っ越しさせられた茗荷はどんな気分だろうか。枯れなければよいけれど。それとも広い場所に移って案外喜んでいたりして。兎に角8月に茗荷の蕾を収穫できることを祈るばかりである。他にも色んな鉢があって、作業を終えたのは3時間後。すっかり気温も上がって、額や背中に汗をかきながらの作業、まったくお疲れさまという感じだ。腰は重いが始めるといい加減な仕事をしない、結構忍耐強い人のようだ、相棒は。猫は綺麗になったテラスの隅から隅まで見て回った。と普段は暑さで緩慢な動きの彼女が飛び上がったと思ったら足元に駆け寄ってきた。何かと思えば蝉。生きている蝉だった。飛んでいる蝉をキャッチするとはお見事、と取敢えず彼女を褒めるべく頭を優しく撫で、そして蝉を救出して外に逃がした。彼女の残念そうな顔と言ったら。兎に角テラスが綺麗になった。テラスが綺麗なのは色んなことが上手くいっている印。心に余裕がある印。これは良い兆しなのだ。
ボローニャで10年ほど住んでいたアパートメントがある。ローマの仕事を辞めてボローニャに戻るにあたり、相棒が探してくれた場所。旧市街に歩いて行ける、周囲に青果店などがある便利な場所、そして広いテラスという私が出した条件に当て嵌まる場所だった。混みあった住宅街だったけれど、確かに旧市街に10分歩けば行けたし、バスの停留所や青果店と言ったものが歩いて3分もしない場所に存在して便利だった。そして広いテラス。広いテラスを取り囲む4世帯の為に4つに仕切って使う方式。だからプライバシーも何もあったものではないけれど、私は充分嬉しかった。テラスに沢山の植木鉢を並べた。隣の家長も植物好きらしく、仕事が休みの日は庭仕事に専念した。それを彼の妻も息子たちも快く思っているようで、ときには皆で一緒に作業して、そんな様子を窓から眺めると心が和んだ。ある日、私が鉢に水をくべていると、君たちのテラスはなかなか綺麗にしているねと声を掛けられた。初めは私が言葉の分らぬ東洋人だと思っていたようだけど、そのうち口の達者な東洋人だと分かると、挨拶がてら立ち話をするようになったのだ。それで彼が言うには庭やテラスが綺麗なのは物事がうまくいっている証拠なのだそうだ。心に余裕がある証拠なのだそうだ。ならばあなたのテラスはいつも綺麗だから、色んなことが上手くいっているのでしょうと私が言うと、彼はあははと高らかに笑い、そして嬉しそうに幾度も頷いていた。
隣のおじさんが教えてくれたこと、今も心の抽斗にしまってある。これからもずっと大切にしたいおじさんの教えなのだ。
今年はテラスの花が咲くのがどれも遅く、ジャスミンも周囲よりひと月ほど遅れて開花した。そしてゼラニウムも同様。小さな固い蕾がなかなか膨らまず心配したが、やっと花が咲いた。まるでテラスが綺麗になるのを待っていたかのように。動物も植物も敏感だ。環境や人の心が分かるかのようだと。