はてなキーワード: 行人とは
普通の仕事みたいに給料が出る訳でもなく、決まった時間に働くわけじゃない。
街中で通行人に面白いこと言って楽しい気持ちにさせるのが俺の仕事。
笑う奴もいる。何も言わずに素通りする奴もいる。
無視されても構わない。
俺のギャグで何百人かの内の一人でもクスリとしてくれれば、俺は満足だ。
ただ、昨日少し悲しいことがあった。
夜道を歩いていた女に
「あれ?何か落としましたよ?」
って言ったのね。
女が少しキョロキョロしたところで
「落としたものは、俺との、恋」
と言った。
そしたら女、なんて言ったと思う?
「こっちはやっと仕事終わってヘトヘトでさっさと帰りたいんだ!無駄な時間使わせるな!死ね!」
こう言って走り去っていった
なんだか、余裕のない人間が多いなぁと。
女らしくない下品な言葉遣いはともかく、仮に男がつまらないことを言ったとしても、
笑うふりでもしてやるのが女らしさってもんだと思う。
男が笑わせ、女が笑う。いい光景だ。
夜中まであんなに怒鳴るまでイライラして仕事して、一体何になるのだろう?
人間に生まれたからにはちょっとは愛想というものが必要と改めて痛感。
じゃないとモテないぞ!
ある雪の降る大晦日の晩のことです。一人の少女が、凍えるような寒さの中、街角に立っていました。
しかし、彼女が売っていたのは「マッチ」ではありませんでした。彼女が売っていたのは、自らの「筋肉(マッチョ)」だったのです。
少女はボロボロのタンクトップをまとい、極寒の中で見事なキレを見せていました。彼女の広背筋はまるで翼のように広がり、大腿四頭筋は丸太のように太く、降り積もる雪を跳ね返していました。
「マッチョはいかがですか……。バルクアップしたての、キレキレのマッチョはいかがですか……」
通行人はみな、ダウンジャケットを着込んで足早に通り過ぎていきます。誰も少女のサイドチェストや、完成されたラットスプレッドに見向きもしません。今日はおろか、ここ数日、彼女の筋肉を「ナイスバルク!」と褒めてくれる人は一人もいませんでした。
夜が深まり、寒さは増すばかりです。少女はあまりの空腹と低血糖で、筋肉が分解されてしまう「カタボリック」の恐怖に震えていました。
少女は決意しました。売れ残った自分の筋肉を、自分自身のために使うことにしたのです。彼女は壁際で、渾身の「モスト・マスキュラー」をとりました。
すると、どうでしょう。少女の血管から凄まじい熱が放出され、周囲の雪がみるみる溶けていくではありませんか。少女がポーズを変えるたびに、不思議な光景が目の前に広がりました。
一度目のポーズをとると、目の前に黄金に輝く「特大ホエイプロテイン」の樽が現れました。二度目のポーズをとると、最高級の鶏ささみとブロッコリーが山盛りに積まれた、夢のような食卓が現れました。そして三度目のポーズをとったとき、かつて一緒にトレーニングに励み、天国へ召された「伝説のボディビルダー」のおじいさんが現れたのです。
「おじいちゃん! 私を連れて行って! カタボリックのない、毎日がチートデイの世界へ!」
少女は残された全ての力を振り絞り、全筋肉を最大収縮させました。その輝きはオーロラよりも美しく、街全体を昼間のように照らしました。
翌朝、街の人々は路地裏で静かに横たわる少女を見つけました。彼女の顔は、とても満足げで、微笑んでいました。
「見てごらん、なんて見事な上腕二頭筋だ……」
「こんなに寒い夜に、一人でパンプアップし続けていたんだね……」
少女の体は冷たくなっていましたが、その筋肉は岩のように硬く、決して衰えることはありませんでした。彼女は今ごろ天国で、おじいさんと一緒に、終わることのないベンチプレスのセットをこなしていることでしょう。
街頭演説の壇上に立つ男は、血管を浮き出させて叫んでいた。彼の名は佐藤。かつては穏やかな教師だったが、戦火のニュースに心を焼かれ、いつしか日常を捨てて抗議の声に全てを捧げるようになっていた。彼の瞳には、遠い異国の空を切り裂く爆撃機の残像だけが映っている。
その剣幕に、通りかかる人々は目を逸らして足早に過ぎ去る。佐藤の怒りは、理解されない孤独によってさらに加速し、言葉はさらに鋭く、攻撃的になっていった。
通行人に詰め寄ろうとしたその時、ふわりと、あまりにも不釣り合いな香りが漂ってきた。
それは、焦げた醤油の香ばしさ、脂の乗った肉が焼ける甘い匂い、そして鼻腔を優しくくすぐる出汁の香り。
「佐藤さん。そんなに喉を枯らしてちゃ、伝わるものも伝わらないよ」
声の主は、路地裏で小さな小料理屋を営む初老の料理人、源さんだった。彼は歩道に小さな七輪と木箱を持ち出し、勝手に店を開き始めていた。
源さんが差し出したのは、銀シャリのおむすびだった。しかし、ただのおむすびではない。表面にはハケで丁寧に塗られた特製の「にんにく味噌」が、炭火に炙られてパチパチと音を立てている。
佐藤は無視しようとしたが、空腹は正直だった。連日の活動で、まともな食事を摂っていなかったのだ。奪い取るようにしておむすびを頬張る。
「……ッ!?」
口に入れた瞬間、凝縮された米の甘みが弾けた。そこに、自家製の米麹が醸し出す深いコクと、ピリリときいた一味唐辛子、そしてカリッと焼けた味噌の香ばしさが追いかけてくる。
「どうだい。うちのぬか床で寝かせた胡瓜も持っていきな」
差し出されたのは、深く透明感のある緑色をした胡瓜のぬか漬けだった。パリリ、という小気味よい音が佐藤の脳内に響く。乳酸発酵特有の爽やかな酸味が、怒りで熱を持った脳を静かに冷やしていく。
「ああ、やめなきゃいけないな。だがな、佐藤さん。あんたの腹の中が空っぽのままだと、あんたの言葉は『爆弾』と同じになっちまうんだ」
源さんは次に、小さな鉄鍋でじっくりと煮込んだ「牛すじの土手煮」を差し出した。
赤味噌で真っ黒になるまで煮込まれた牛すじは、口の中で抵抗なく解けていく。添えられた蒟蒻には、肉の旨味が芯まで染み込んでいる。
「食べることってのは、命を繋ぐことだ。空爆はその繋がりを断ち切る。だから、あんたは怒ってる。だろ?」
佐藤の手から、握りしめていたマイクが力が抜けたように下がった。
温かい煮込みが胃に落ちるたび、強張っていた肩の力が抜けていく。彼は気づいた。自分は「平和」を叫びながら、自分自身の中に小さな「戦争」を飼っていたのではないか。
「……美味いな。源さん」
「だろう? 良い味噌を使ってるんだ。時間はかかるが、待てばちゃんと美味くなる」
湯気を立てる黄金色の塊を箸で割ると、中から溢れんばかりの琥珀色の出汁が染み出す。昆布と鰹節の、主張しすぎない、しかし確かな慈しみの味。
怒りは消えたわけではない。しかし、その根底にあった「悲しみ」が、温かい料理によって優しく包み込まれたような気がした。
「源さん。俺、もう少し静かに話してみるよ。叫ぶだけじゃなくて、隣にいる奴に、この出汁の味みたいに染み込むような言葉を探してみる」
「それがいい。腹が減ったら、また来な。空爆のない空の下で、美味い飯を食う。それ以上に大事な仕事なんて、この世にゃあねえんだからな」
当時の彼氏の家に行こうと思い連絡をした
「今から家行くね」
「信じられないかもしれないんだけど寝てる間に空き巣に入られて色々あって○○警察署にいるからそっちに来れる?」と
着くやいなや、彼が刑事さんとともに出てくる
彼は刑事さんの手を借りながら少し足を引きずっている
「来てくれてありがと、俺寝てないから帰って寝ていい?」と。
警察官の車に乗り、家まで送ってもらう。
その車の中で彼は何があったか話し始めた。
彼は夜の時間に仕事をしているので、朝9時頃に就寝する。いつもの癖でパンツだけで寝ていた。
1LDKのその家に空き巣が入ったのだ。明かりも消していて無人だと思われたのだろう。不用心だが家の鍵は開けっ放しだったそうだ。とはいえオートロックのある住宅街のマンション。そんな事件は聞いていなかった。
物音で目覚めた彼は体を起こす。すると黒い人影と目が合う。急いで逃げ出す犯人。血の気が多い彼はパンツ姿のまま外に出て捕まえようとする。もみ合いになったとき犯人が小型のナイフを出し、足技を決められているその足を何度か刺した。
血が出て痛いはずなのにアドレナリンが出ていて気づかなかったらしい。
マンションの廊下で取っ組み合いになっているところ、通行人が通った。女性だった。がその光景はひどく、黒ずくめの男がパンイチの男に足技をかけられていて黒ずくめの男はパンイチ男の足をナイフで傷つけている。これではどちらが犯人だかわからない。
彼氏は通行人を説得し警察を呼んでもらうことに成功。警察到着後身柄が確保された。
調べによると同じマンションの違う部屋のものを持っていたので現行犯で捕まったそうだ。
それに服もきる
が、鍵を開けられたらどうだろうか
こわい。
彼のマンションはセキュリティかゆるいとかでもない、どのようにオートロックを乗り越えたかというとゴミ捨て場がフェンスを登れば入れるらしい、そこからの侵入だそうだ
いまだに、だ。
これは昔の話だがそんな感じの夢を見たので
注目コメント試し読み
日本が戦争に突き進んだ時代、通行人からそう怒鳴られたという女性のエピソードと、「それまで不愉快に感じていたことを『国防』論理で批判できるようになったわけです」という解説を読み、「今だったらなんと言われるだろう」と思いました。
この女性は「洋服」を着ていたことを非難されたわけですが、今も服装、髪型などは槍玉に挙げられそうです。
飲酒や娯楽全般も取り締まりの対象になるでしょうし、「推し活」なんてもってのほか(もしくは推すのは国防関係に限られる)、反戦界隈は当然、弾圧の対象。それだけでなく、さまざまなマイノリティへの抑圧も強まるでしょう。
とにかく、「戦争の役に立たないもの」すべてが取り締まりの対象となる時代。
そこに「チャンス」とばかりに「乗っかる」人々の存在にもハッとさせられました。
ある鉄道会社の例として挙げられた「一斉朝礼や定刻出社、全社的な清掃運動など。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時の論理で可能となった」。
規律とか管理とか気にする人の「ちゃんとしたさ」と戦争の親和性にゾッとしました。
そして「解放の時代」「引き締めの時代」「戦いの時代」という流れーー。
解放と引き締めを巡る「社会戦争」という視点で今の世界を見渡すと、確かに参政党の躍進やトランプ大統領再選などなど、非常に腑に落ちます。
戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史を研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。
人々にとっての戦争の「魅力」
――なぜ、「日本が戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。
「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的な歴史では、『軍部が暴走し、国民は戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」
「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」
――魅力、ですか。
「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争や全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」
「日本が戦争に突き進んだ理由は、当時の政治や外交を追うだけでは捉えきれません。政治も外交も真空の中で行われたのではなく、時代の磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々が戦争や全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」
――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。
「多用したのは日記です。手紙や新聞、雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代をあぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的なパターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」
「すると、戦争そのものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防や愛国の論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」
――どんな断片でしょう。
「例えば、正月の日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹の神奈川県の青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記の記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」
「東京の小学校長を務めていた女性は、1931年の座談会で振り返っています。洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるから国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防』論理で批判できるようになったわけです」
「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身の青年は、若い頃の日記で国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています」
「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社の社長は経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務の合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時の論理で可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛の対象になりました」
――研究は大正時代(1912~26年)までさかのぼっています。
「大正期は基本的に『解放の時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性が良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートをはいて、さっそうと街を歩けば、男性もオールバックの長髪にして香水をつける。労働運動や部落解放運動、朝鮮人の権利運動も活発になった」
「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」
「ここで重要なのは、手段と目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段)未来の戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段)日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段』自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人やモダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」
「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義や議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立を助長するからです。この『機能不全』を戦争や全体主義で克服しよう、競争と対立、分断と格差で疲弊した社会を立て直し、一体感と調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」
――先ほどの個々の話は、日本が戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。
「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放の時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります」
「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから、復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行の作用だけでないことが見えてきます。そもそも国家が社会から離れて存在するものではないからです」
「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉は独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本の戦争への道を考える上でも、政治や外交だけでなく、人々の願いが集合する社会も検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用は双方向だったのです」
「当時、為政者は国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本が戦争に突き進んだことの理由の一つです」
「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部が日本を戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になります。しかし見落としがちなのは、これが『解放の時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』からの解放の絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」
「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内の戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます」
「上海事変(32年)でも、3人の工兵が爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾三勇士』(現在は事故の可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾三勇士』ブームはむしろ、20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的な運動となった転換点と見るべきでしょう」
「社会のなかの政策決定という点では、外相・松岡洋右が典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面へ進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室の会議でしか言わない。南進論を支持する社会の磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人の意図をはるかに超えて、南進論や対米強硬論の過激化を呼び起こしてしまいました」
――メディアの影響は。
「極めて大きかったと思います。37年7月の盧溝橋事件から12月の南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死を顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会を主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」
「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞が象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾三勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」
「人々が一枚岩の犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治や社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要な役割を果たしていることに無自覚になる。それは他者に責任を転嫁する見方も強めます。戦争への道は人為的なものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」
――「らしさ」からの解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。
「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本の経験を普遍的、現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから、日本史を世界史とつなげて考えることができる」
「為政者の動向だけでなく、普通の人々も視野に入れて政治と社会を総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます」
――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります。
「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います」
「歴史の見方を変えると、現在の見方も、未来の見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去の重要な転換期に、普通の人々が翻弄(ほんろう)されるだけの受け身の存在ではなかったことに気付けば、私たちの現在や未来への向き合い方も変わってくると思います」
「そのおかげで、欧米や日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」
「従来の冷戦史は、米国やソ連、中国の政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々の体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります」
「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域が地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史、20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本が主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」
――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。
「そもそもの歴史学の原理はアナリシス(分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事の真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」
「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治や社会や文化といった事柄も本来分かれたものでもない。だから、アナリシスの対になる概念、シンセシス(総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」
戦争反対デモに自発的に参加することはまずないと思っていた。そもそも誰も戦争したがってないのに止めるも何もないし。
それでも今回行くことになったのは、歳の離れた姉が「ペンライトデモに行きたい」と言い出したからだ。精神的に不安定なところがある人で、普段から外との接点が少ないのに行動力だけはあって、行きたい!と思うと1人で行ってしまう。
トラブル防止の意味もあって、家族にも言われて仕方なく付き添うことにした。参加人数も少なくて身バレも怖いので、細かい部分は多少ぼかして書く。
当日、姉はBTSのペンライトを持ってきていた。自分は抵抗感があったのと、あくまで付き添いなので何も持たずに行った。
現地に着いてまず思ったのは、「人少なくない?」だった。後から報道では主催発表1万人以上と発表されていたらしいけど、自分の体感ではどう多く見積もっても300人いないくらいだった。イベントの列整理とかしてたことがあるから、結構正確だと思う。通行人や野次馬を除いたらもっと少ないかもしれない。
年齢層はかなり偏っていて、男女ともに50代以上がメイン。いわゆる“お年寄り”という印象の人が多くて、40代くらいの人が若い人として扱われて、やたら前に出されていたのが印象的だった。少なくとも大学生はほぼ見なかった。母親に連れてこられた子供はいた。
あと、ひとつの団体が主催している感じではなくて、いくつかの活動家?グループが混ざっているのがわかって面白かった。とにかくいろんな人に声をかけられる。露骨な勧誘というより、「こういうお金もらえるボランティアもありますよ」とか「今度無料のイベントがあって」みたいなことを言われて、連絡先を交換しようとする感じだった。お金もらえるボランティアは触法の匂いがした。
姉はというと、同じくペンライトを持っていた40代くらいの女性に話しかけられてすぐに打ち解けていた。BTSの昔のペンライトを持っていたけれど、過去のライブのタイトルとか曲名もろくに言えないようだったので、もしかしたらメルカリとかで買ったのかもしれない。やっぱり目的がちょっと違うのかもと思った。
デモ自体は大きなトラブルもなく終わったと思う。ただ、自分は最初から参加したくて来ているわけじゃないから、周囲の変な高揚感が怖かった。通行人が足早に去ると突然声を張り上げる人とか早口で職員の容姿を揶揄する人もいた。
あと途中で参加者の壮年男性同士が軽く揉めている場面も見かけて、それを笑って誰も止めないので異様な場だなと思った。
姉はペンライトを振って楽しそうだったし、いろんな人に話しかけられて嬉しそうでもあった。私からわざと離れたところに連れて行って姉と話したがる人もいた。さすがに止めたけど、社会参加したい、みたいな気持ちとか、自尊心につけ込まれてるのでは?って思った。
あと嫌だった話。下ネタをわざと言ってこちらが困っているのを見て喜んだり、食事に誘うようなナンパみたいなことをするおじさんが複数いた。どうみてもチン…なペンライトを持ってきて、女性に持たせようとする人がいたのはさすがに絶句した。
真面目な人がいないとは言わないけど、真面目な人は合唱コンクールの委員長みたいな感じでヒスってたし、反戦とかじゃなくてサークル活動みたいなのが目的なんだと思った。ネットを見て参加した人の高揚感のほかに、全体的に遅れた青春をとりもどしたい、みたいな空回りと焦りがあるのをすごく感じた。
これは長く姉を見てきた立場だから思うことだけど、女性参加者の中には、年齢に関係なく、どこか不安定さを抱えていそうな人が一定数いたように感じた。身体か精神かはわからないけど、ヘルプマーク率も異様に高いし。楽しそうに写真を撮ったりしているのは事実なんだけど、その楽しさがどこから来ているのかは、少し考えてしまう。
結局は寄せ集めの集団で、反戦まともにやってる人もサークル活動気分な人も、明らかに勧誘目的の人も、ナンパ目的の人もいる。ペンライトデモは危険だ!と断言するほどではない。
ただ、日常生活ではあまり見ない人と人との距離感の近さや、興奮状態の人が多い環境ではある。だから、何かトラブルに巻き込まれる可能性は十分にあると思う。公安がー!とかじゃなくて、参加者側にどう考えても違う目的でその場に来てる人が多すぎる。連絡先は絶対に交換しない方がいいし、女性だけで参加するのもおすすめできない。
身バレが怖いので詳しくは書けないけど、姉には後日結構ギリギリのことも起きた。自分はもう二度と行かないし、姉にも行かせたくない。
あと、これは最後にもう一度強調しておきたいけど、若い人はほとんどいない。少なくとも自称若いとかじゃなくて、本当に年齢が若く見える見た目の人は、かなり浮く。行けば間違いなく目立つ。ペンライトやアイドルを使って若い人を呼ぼうとしてるけど、たぶん主催の思惑とは別のところでそれを旨味だと思ってる人たちがいると思う。
なんか雨降ってるんだけどションテン上がらないなぁ。
何が上がらないかってーと、
傘持って歩くのって嫌なので、
私が歩く時間のうちの距離は傘ささなくてどうかすみますように!って
朝出かける出発ギリギリまで窓から雨降ってないかどうかのチェックして
うーん、
どうやら雨の音がするのでどう足掻いても傘ささなくちゃ!って
思ってえいや!って玄関から元気よく左右赤と青のセロファンが貼られた立体に見える眼鏡を掛けてみるように飛び出て見えるの!って
眼鏡を掛けなくても立体に見えると思うわ。
そんな勢いで飛び出したら
雨降ってなくて
天気予報は午後から晴れるつー予報だから100パーセント当たらなくても
そんな元気よく飛び出てわーい!って町を闊歩している横断歩道の信号が青になるのを待っている向こう岸の通行人が
たぶん、
それ袋を開ける勢いでパーン!ってパンが1つ飛び出て地面に落ちたの。
でもその人は3秒以内待ったなし!ってことで慌ててパン拾って食べていて
私が心配した胸をそっと撫で下ろすのよ。
食べられて良かったわね!って。
でも、
ちょっと待って!
今日は雨!
ぜんぜん3秒余裕だと思うの。
カラッとしているから地面の水分がパンに染み込まれる可能性はゼロというシミュレーション結果に基づく私の想像によるとそうなるの。
でも今日は雨!
いや溜まっていないところも、
しっとりと雨色!
そこに着弾した開封した勢いでパーンと弾けて飛び出たミニチョコパン!
濡れた地面に着地したの!
私はそれをマジマジと対岸から見ていると拾って食べるのが恥ずかしがって気にして悪いかな!って思ったので、
横目で目に入った状況を解説すると、
歩道が雨色に染まったところに着地したパン!拾って食べてたの。
たぶん雨の水を含んでいるパンだったと思うわ。
あまりにも3秒以内且つ雨が降っていて地面が濡れたところにパンを落して拾って食べる一部始終を横目の白目で見てしまったものだから、
なかなか食い意地張ってるわね!ってそうサムズアップを送りたいところで信号が青に変わったので横断歩道を渡ったの。
たった5秒の間の出来事だったけれど、
私もそれでミニチョコパン3つ入りが美味しそうだったから思わず買っちゃいそうになったけれど、
私もあまりにもお店で買った勢いですぐに食べたいという衝動を抑えられなくて店頭の店先でミニチョコパン3つ入りの袋をペーンと開けた勢いでパンが元気よく飛び出ていって、
今日のお刺身盛りのお刺身の魚の新鮮さを気にする人みたいにパンがそんな元気良かったら!って思って、
私は待てよ!
ここは待った一番私の得意技待って事務所のデスクでおやつとしてミニチョコパン3つ入りをヒーコーと一緒に3時というか15時というかに食べようかな!って思ったの。
でもさ、
暖簾を腕押しで元気よく大将のお店に入店するときの一言シリーズってあんまり思い浮かばなくって、
1つは
さっきの
何か他にいろんなバリエーションがあったら、
もし私がミニチョコパン3つ入りのパンの包装を勢いよく開けた勢いでパンが飛び出て地面に落としてしまったときの照れ隠しができるじゃない。
つまり、
これは危機的状況!
私はパンを2回までしか落としてはいけないセーフカードなので、
より道端でパンを開封するときはより気を付けないといけないのよね。
だから
大将のやってる居酒屋に入店するときの一言シリーズの手札を増やさなくちゃなぁって。
とはいいつつ、
朝横断歩道の信号待ちで見たパンを落して雨に浸されたパンを食べた人のお腹大丈夫かしら?って心配しちゃうわ。
ひしとその人の二の舞になりませんようにって二の舞あることは三の舞あるにもならないように気を付けなくちゃって。
交差点で食べたい気持ちのミニチョコパン3つ入りを我慢して鞄に忍ばせたの。
そして、
この雨のおかげの足もと滑らせちゃって尻餅ついちゃったわ!
いててて!
でも私は何食わぬ顔で転んでませんけどひっくり返ってませんけどなにか?って涼しい顔をして、
ここで使えるか!?大将居酒屋入店に一言言いたいシリーズの照れ隠しカード!
うわ!って
私は思わず痛めたお尻を抱えて照れ隠さないで横断歩道を渡ったの!
お尻濡れちゃったけどセーフよセーフ!
強引にセーフ!
滑って転んで起き上がるときの照れ隠しカードゲットしなくっちゃ。
照れ隠しにも程があるわ。
うふふ。
雨降って頑張って事務所までいったので
わーい!美味しい大好きなタマゴサンドで雨の日のションテン上がらない気持ちをションテン上げるためには必要でもあるタマゴサンドなのよねー!
美味しいわ。
なんかこの季節の境目になると、
陳列棚のホッツのヒーコーもラインナップも少なくなってきているので、
冷たいヒーコーしかなくやむなくそれチョイスせざるを得ないところが冷たいわ。
起きてボーッとしてている間に
温かいものを取り入れて早く身体を目覚めさせる理に適った朝のホッツ白湯なのよね。
朝ボーッとしちゃうって時は、
ホッツ白湯取り入れるのもいいわよ。
温まったら行動開始よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
かつて北海道のSTVラジオで番組を持っていた日高晤郎というパーソナリティについての疑問。
彼は「ウィークエンドバラエティー日高晤郎ショー」というワイド番組をやってたが、番組内でアシスタントやスタッフ、スタジオ観覧のリスナー、中継先の企業や通行人がいにそぐわない事を行ったり礼を失した態度を取ったと感じると放送中でも怒鳴りつけてた。
個人的にはこのような事を放送中に電波に乗せることに疑問を持っていた。
彼のファンは「人前できちんと叱れるのは立派なこと」「嫌なら聞くな」と言う傾向にあった。
だが、AMラジオの週末日中の番組という性質上、タクシーやたまたま行った店で自分の意志と関係なく聞く事も多かったはず。
そう言った声に日高氏本人は甘えだと言い、ファンもそれに同調していた現実があった。
他にも日高氏の叱責は道路交通情報や天気予報で交通情報センターや気象協会に繋ぐ前に起こった場合、交通情報や天気予報がそのまま中止になる事もあった。
また、交通情報センターの中継先職員を叱責してそのまま交通情報をしないまま中継を切る事もあったりもした。
知人にトラックドライバーがいたが、そのような行為をひどく嫌っていたのを覚えている。
増田も家族で遠方に出かける際に交通情報が得られず父が困る場面も子供の頃に経験した。
そのことに対する苦情・苦言の当初がありましたが、「芸人の言うことに目くじらを立てるのは情けない」「ラジオに頼らなければ運転できないならドライバー失格」と言い、観覧者から拍手が起こることもあった。
故人なので悪く言うことは良くないとは思うが、今のSTVラジオからはこういった事が無くなったことは本当に良かったと思う。
だけど、同時に北海道では彼は絶大な支持を受けていた。
『寒山拾得』っていう、大学時代の旧友が掛け軸や襖絵を模写して、次の街で売ってまた次の街へという旅絵師をしているのに出くわす話があった。
主人公も友人にならい、二人で模写をして、今晩の酒代くらいは稼いで、二人で料理屋に入り、大学時代みたいに語りあって、酒飲むわけだ。
そんで、次の文でこう書いてある。
酔っぱらうほど酒を飲み、相応の時間が経ったこと、通りの人通りがまばらになるほどの時間帯であること、二人とも歩行者のあとをなんとかついていくくらいの足運びであることがわかる。
この文の、情報の詰まり具合に対しての、情景の読み取りやすさはなんなんだろうね。
一読して、読みやすい一文だなと思った後で、飲み屋の戸を開けて外へ出た後に、酒で火照った頬に風が当たる感じとか、同行者が喉をクヒッて鳴らしてるのを見て笑う感じとか、国道を走る車の音と自分たちの足音くらいしか聞こえないなと思う感じとかを思い出したよ。
酒を普段飲まないから、それこそ大学時代の飲み会帰りの光景が久しぶりに頭に浮かんだ。
なんかさあ、別にめっちゃ名文ではないくらいの文だと思うけどさ、どうしようもなく上手だなと思ってさ。
この光景を書こうとしてさ、まず「泥酔者」の言葉を選ばないし、主語省略しないし、「変わる」をまず選択しない上で「変じる」にしたりするわけないし、「後を歩いた」なんて描写を思いつきもしねえよ。
この一文がめちゃくちゃすげえって言いたいわけではなくて、このたった一文だけで、自分との文章構成能力の差を感じたんだよ。
憧れちまう文だ。
大学時代、俺なんかよりかっちょいい文章を書ける女の子が飲み会終わりに歩いていたら「世界なんて滅べばいい。滅んだ後の世界を一人で歩きたい」とか言ってたんだよ。
「『BLAME!』みたいなコンクリートと鉄筋の世界の暗がりを歩く感じ?」と返したら、
「建物や壁なんてひびの隙間から木の幹がぶっ壊して、植物が人間の残響を全部飲み込んだような世界を歩きたい」みたいなことを言っていた。
酔っぱらいのたわ言だし、別に言葉遣いがきれいだったわけでもない。
ただこっちが脳内で想像し提示した世界を、直後にひっくり返した世界を語られたのが、飲んだ後に学生街を仲間と連れだって歩いている深夜に、ちょうどよく気持ちよかったなと思ったことを覚えている。