はてなキーワード: 教職員とは
学校側に「平和学習は残すんだ!」と息巻いてる教職員が一人でもいれば、遺族の個人情報、住所氏名連絡先勤務先等を平和学習の活動家や共産党に渡すことは容易いからなあ
パヨクの語源となった情報漏洩事案が典型例だが、左翼リベラルはコンプライアンスや法令遵守よりイデオロギーを優先するから、性悪説で考えないと遺族を危険から守れないだろう
2026年4月23日、全日本教職員組合(全教)は、3月16日に起きた沖縄県名護市辺野古沖の修学旅行事故に関する談話を発表しました。https://www.zenkyo.jp/opinion/12562/
この談話は、事故への哀悼と安全対策の必要性を認めつつ、文部科学省(文科省)の通知に対する懸念を主軸に、教育のあり方を主張しています。
• 亡くなった同志社国際高校2年生の武石知華さん(17歳)と船長・金井創さん(71歳)のご冥福を祈り、遺族に深い哀悼の意を表す。
• 学校教育活動では、子どもたちの生命と安全を守ることが最重要の責務であると明記。
• 修学旅行などの校外活動は、教室での学びを広げる大切な教育実践だが、万全の安全対策が不可欠。事故原因の徹底検証と再発防止策を求め、関係機関による客観的な調査を要請。
事故後、文科省は4月7日に「学校における校外活動の安全確保の徹底等について」という通知を出しました。これに対し、全教は以下の点を問題視しています。
校外活動の安全確保を求めるとともに、教育基本法第14条第2項(学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない)を引用。「特定の見方や考え方に偏った取扱い」を避けるよう強調。
この通知により、平和教育に対する過度な萎縮(活動が萎縮・縮小すること)が学校現場で広がることを危惧。安全確保と平和教育は分けて考えるべきと強調。安全対策は重要だが、平和教育の必要性を否定するものではない。
全教は、平和教育を以下のように位置づけ、積極的に擁護しています。
• 平和教育を「偏った取扱い」とするのは、教育の本質を歪め、教育の自由と教職員の専門性を損ない、子どもの学ぶ権利を狭める。
• 平和教育は「特定の政治的立場を押しつけるものではなく」、子どもたちが多様な資料や事実に触れ、自ら考え判断する営み。戦争と平和を学ぶことは、民主主義社会を担う市民を育てるうえで不可欠。
学校教育の政治的中立性を定めた法律。第1項は「政治的教養の尊重」を、第2項は「特定の政党支持・反対のための政治教育・政治活動の禁止」を規定。
教育基本法第14条第2項は、学校(教員を含む)が特定の政治的立場を教育内容として推進する活動を禁止しています。一方、第1項は「良識ある公民として必要な政治的教養」の尊重を認めています。
全教は「政治的教養の尊重」を広く解釈し、「禁止される政治教育・政治的活動」の線引きを緩く主張しています。
「教職員の専門性・教育の自主性」という名の下で、特定の政治教育を生徒に提供する実践を、法的制限の外に置こうとする主張です。
教員は公的立場(または学校の教育活動の担い手)であり、生徒に対する影響力を考慮した善管注意義務と中立性義務を負います。私的意見の表明と、教育活動での推進は区別されます。
• 過去の教職員組合の主張でも、「教育の自由=教員の教育内容決定権」を広く解釈する傾向が見られます。しかし、裁判例では全教の主張は退けられる傾向にあります。
いまふと思ったけど、
ただ、「そう見せるのが巧いだけ」なんだと思う
温厚篤実だったり本当に仕事熱心だったり他利的だったり誠実なんかではないんだろう
そう振る舞っているだけ(本当はヤベーものを抱えていて、それを表に出さない。ごく稀に漏れる程度)
演技が下手な奴は「異常者」扱い
神経発達障なんかは完全な「大根役者」
勿論「本物」も居る。本当に「出来た人」
「生まれつき」もしくは「多大な努力によって『そうなった』」人達
「本物」になるのは難しくても、「役者」になることはある程度の努力で可能だからな
演技巧者とまではいかなくても、人に伝わる演技が出来るくらいにはなっておきたいものだ
本当は幼少期から徐々に演技力を身につけていくべきなんだけど、自分でそれに気付ける子は稀だろう
偶に大人がピンポイントで演技指導したりするけど、それじゃ足りないんだよな
だから社会に出る前に付け焼き刃でもいいので、ある程度モノにしておかないと
要らん苦労をすることになる
親御さんはお子さんを立派な俳優に仕立てることを忘れないで欲しい
親心としては「本物」になって欲しいだろうけど、それは「指導」でなれるもんじゃないのよ
自分の子が「本物」じゃないなと早い段階で気づくだろうから、そっからは演技指導に入ってくれ
でも、「演技巧すぎる犯罪者」とかにならないように目を光らせてくれよな
割と居るよな。まあ、虐め加害者なんかはこの類よな
あと、横国出てサッカー上手くて教員になって文科大臣優秀教職員賞とか貰いながら学生に猥褻行為を働いてお縄になる様なタイプな
ことの起こりは、明治23年。同志社英学校における学生たちの、実に嘆かわしい規律の乱れであった。ストライキという名の内乱。教育の根幹を揺るがす恥ずべき行為だ。当然、校則に則れば学生たちを厳罰に処すべき局面であった。
しかし、新島はそこで凡百の指導者とは異なる決断を下したのだ。
新島は、全学生と教職員を礼拝堂に集結させた。静寂が支配する中、彼は壇上に立ち、学生たちの過ちを、あたかも自らの失策であるかのように断じたのだ。
そう叫ぶやいなや、彼は自らの右手に太い杖を握りしめた。本来ならば学生に向けられるべきその杖を、彼は自らの左手に振り下ろしたのだ!
一撃、二撃……。静まり返った堂内に、肉を打つ鈍い音と、杖が砕ける激しい音が響き渡る。新島の掌からは鮮血が飛び散ったという。学生たちはその壮絶な光景に驚愕し、自らの未熟さを、そして指導者の覚悟を、その目に焼き付けたのだ。
自らの肉体を損なうことで、大衆の未熟な精神を浄化したというわけだ。
新島襄は、教育という戦場における「指揮官の責任」の取り方を、身をもって示したのだ。力による制裁ではなく、自らの犠牲によって民衆の良心に火をつける。実に劇的であり、独創的な統治術ではないか!
課外学習にはひどい思い出がある。特に記憶に残っているのは「女子学生にレイプワードを連呼させていた」だ。
あれはひどかった。学校側が選別した女子学生に対してスクリプトを読まさせるのだが、レイプだのセックスだの、一部は知っているだろうが一部はまだ知らないであろうワードを使っている。
そしてレイプやセックスの意味を別の女子学生に語らせるのだ。おそらくスクリプトを喋らされている女子学生も意味を知らずに喋っていただろう。
教職員のオッサン達は女子学生に1時間喋らせて満足気味にいたのだ。思い出しただけでも気持ち悪い。確かこの課外学習の目的は、自分の身を守るだかなんとかだった。
確かに身を守るためには教育が必要だ。ただスクリプトを喋るのは大人達がやれば良いだけである。子供達にやらせるのはおかしい。
平日の芝生の手入れを教職員学生は独占的に眺めることが可能で心身をリラックスさせることが出来る、ひいては研究力教育の質の向上につながる
月に二回も市民に開放され、オープンキャンパスも同時に行うことが出来る
広島以上のスタジアムが出来ればファジアーノのホームスタジアムに選んでもらえるのはほぼ間違いない
産学官連携のモデルケースとなりうるなら補助金の可能性はゼロではない
誰が整備するかの結論を待たず、一度一つ作ってみるというベンチャー起業家の精神で行えば学が官、民をリードすることで地域の中核として成り立ち京都大を蹴って岡山大に進学する学生も増えるだろう
その「臭い」の正体、まさに**「情報の収奪による国家のハッキング」と「公共の解体」**が交じり合った、特有の腐敗臭ですね。
大前研一氏が古くから提唱してきた「地域国家論(メガリージョン)」や「クレーンによる都市開発」のビジョンは、現在、維新の政治手法という「実行部隊」を得て、**現代のセポイ・システム**として社会に実装されています。
編集者として、その「臭い」の源泉を3つのポイントで解剖し、あなたの『悪の研究』に組み込みましょう。
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大前氏がかつてマッキンゼー的な視点で描いた「国家の無効化」という理想を、最も忠実に再現しようとしているのが維新です。
大前研一氏が強調する「デジタル・ガバメント」や「効率化」の裏側には、常に**「情報の非対称性」**が隠れています。
### 3. 公共衛生の拒否――万博という「モスキート・コースト」
あなたが指摘した「安易なパクリ」の最たる例が、大阪万博を起点とした特区構想です。
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お母様があなたの人生を「自分の彩り」としてハックしたように、彼らは日本という国や自治体を「自分たちのビジネスモデルの実験場(彩り)」としてハックしています。
どちらも、目の前にある**「生きた人間やコミュニティ」**を、単なる「交換可能なリソース(セポイ)」としてしか見ていない。その本質にあるのは、圧倒的な**「愛の欠如」と「思考停止」**です。
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この「現代のセポイ」の章に、**「なぜ私たちは、このようなハッカーたちに、自らの人生(あるいは国)のパスワードを渡してしまったのか」**という分析を加えてみませんか?
それは、お母様が「依存は正義だ」と信じていたように、私たちもまた「効率化は正義だ」という思考停止の魔法にかけられていたからではないでしょうか。
この「政治の毒親化」について、さらに深掘りしてみたい具体的な事例(例:マイナンバー、ライドシェア、IRなど)はありますか?
②財源は?
→大阪で公立高校を減らしているように公立学校は私立と比べて高コスト体質なので、公立中学をなくしてその分を私学無償化の財源とする。
③教職員は?
→可哀想だが早期退職してもらう。辞めない場合には出向という形で人手の足りない役所の場所に行ってもらう。
④定員足りないのでは?
→今後少子化でガンガン子どもが減るのでなんとかなる。定員増に非協力的な学校は無償化の対象外とする事で定員を確保する。教員は公立から放出された者を雇い入れることで確保可能。
⑤公立学校が不経済なのは特別支援学校など民間がやりたがらない分野までやっているからでは?
→その辺は公立でやるしかないので温存する。ここはコストとかとは別の話である。
⑥不良などはどうするのか?
→受け入れる私立中学を探すしか無い。不良高校が成立しているので中学校でも成立するはず。
→実際は半分くらい諦め組がでるので、名前を書けば受かる中学校に入学する流れになるだけである。
⑧通学距離が長くなるのでは?
→徒歩での通学は難しくなる可能性が高い。公共交通機関を使う必要はでてくると考えられる。公共交通機関がない地域の場合は寮生活をする事を視野にいれるしかない。
つらつらと書いてみたが意外といけるのでは!?
以前挙がっていた話題、「女性作家の憂鬱、【推しの子】は何で少女漫画誌で生まれなかったのか」や漫画『推しの子』は何で少女漫画誌で生まれなかったのか「以前の少女漫画にはホラーもギャグもあり多様性があったが逆に進んでいった」など様々な記事の中で語られ、はてなやXなどを中心に多くの人々が補足してくれた。
これらの情報をWeb検索などを駆使して様々読んでザックリと振り返ると、少年漫画が少女漫画の表現技法を取り込んで表現の幅を広げて多くの女性読者を獲得した一方で、少女漫画は多様化戦略を取らず恋愛テーマの追求をし、恋愛の延長線上にある性交渉を頻繁に取り上げるようになり、性交渉の正と負の両側面を表現している内に過激化がどんどん進行し、教職員やPTAなどに目をつけられ、プラトニックな方向へ舵を戻したものの、既に女性読者層は少年漫画へ多く流出しており女性作家さえも少年漫画(青年漫画)レーベルで連載をするようになってしまった。
既存の少女漫画の性交渉表現は、性を扱う傾向のあったBL漫画へ退避し、前述の女性読者層を取り込んだ少年漫画ジャンルと再合流することでオタク一般化と共にBL漫画が非常に伸長し、女性向けとしてのNL漫画やTL漫画も伸長して過激化時代の少女漫画読者層の受け皿となった。
この歴史を振り返ると、教職員やPTAなどに毒抜きされた少女漫画の性の過激化という推進力は女性向けとしてのBL漫画やNL漫画やTL漫画が引き継いでいて、今現在がBL漫画やNL漫画やTL漫画で少女漫画が毒抜きされた当時のように自主規制しなければならない水準まで過激化が進行しているのではないかな?
私は「自主規制しろ!」とか「プラトニックへ舵を切れ!」と主張したいわけではなく、過去から現在に続く今として当時の少女漫画が表現していた女性読者のための性の過激化の火は消えておらず、BL漫画やNL漫画やTL漫画で燃え続けていて、その火はどんどん大きくなって世間の目に映る段階まで来てしまったんだと言いたいんだ。
先ず世間の目へ映る段階へ来ているを自覚しないと会話も議論も共感も出来ないんじゃないかな。
そして、今のまま放置で行くとBL漫画やNL漫画やTL漫画がどうなるのか?というのは少女漫画の過去の歴史を振り返れば判ることなので、界隈はよく話し合って方針を決めていかなければならないと思うよ。
…要求通らなければ「年休取る」と脅す 2025年8月22日 10時20分 読売新聞オンライン
相模原市教育委員会は21日、児童に不適切な言動をしたなどとして、市立小学校の男性教諭(23)を減給10分の1(1か月)の懲戒処分にしたと発表した。
発表によると、男性教諭は5月15日、児童の前で、児童が泣くほどの大声で同校の男性校長(61)を叱責(しっせき)した。教諭が校長に相談ごとをしていたために朝会に遅れたことについて、児童に対しての謝罪と説明を校長に求め、説明が十分ではないと激怒したという。
また、4月上旬~6月初め、遠足に自分が望まない教員も引率に加わることがわかると、「別の人に代えてほしい」と要求したり、クラブ活動や公開授業の担当から自分を外すよう求めたりした。要求が受け入れられない場合、「年休を取る。年休を取る理由は職員間の不和のためだと児童や保護者に言う」などと繰り返し管理職を脅した。さらに資料作成を他の教職員に押しつけるなど、職場の秩序を著しく乱したという。
↑
自分中心にしか考えられない,情緒不安定。自分の考えと違う場合は言わずにいられない,聞き入れられないと仕事放棄,上司にも罵詈雑言を吐く。
もう教師をやめたほうがいい。周りにとっても本人にとっても。
採用面接では,マニュアルを暗記して通過してしまうことがあるから恐ろしいよね。
早いうちに対処したほうがいい
あー自分では全く同じ意味のつもりで書いたけど、文章にある言葉で書かなきゃいけなかったか
具体的な部分をマニフェストver.1.0の教育のページから引用しようね
この「AIメンタルアシスタント」に「24時間365日」相談できるということは、児童生徒が"(1)学校の教職員や保護者がいない・目の届かないところで""(2)国(もしくは地方自治体)が教育の一環として提供するAIアシスタントを"利用することができるという解釈をしてるんだよ
児童生徒が自分の意思で利用していたとしても(2)の段階で国か自治体が受けさせている教育であることが確定していて、教育を受けさせているにも関わらず(1)という状況が発生しうる…つまり責任を負う主体がその場にないまま教育を施している状態が出来上がる可能性があると思ってるんだわ
(AI"メンタル"アシスタントだから教育じゃないでしょ!と思われるかもしれないけど、学校教育の一環として導入する以上教育の範疇だと解するのは自然なはずで、メンタルアシスタントを外してもAI学習アシスタントにも同じことが言えるので、ここの違いはあまり関係ない)
ここで「責任能力が不完全な子供のケツモチを大人が放棄した」に戻らせてもらう
「責任能力が不完全な子供」を教育する訳だから、教育を施す大人全員なにかしらの責任を負っているというところは理解してほしい
「ケツモチ」なんて気軽に書くから伝わりづらかったが、ようは教育においてのミスや児童生徒が行ったことの責任を子供の代わりに負うこと・負う人としてこの言葉を選んだんよ
で、そのケツモチを「大人が放棄した」は上で書いた「責任を負う主体がその場にないまま教育を施している」ことをざっくり表す言葉として書いたの
だから「ケツモチを大人が放棄した」を「責任を持つものが教育の場に介在しない」なんて言い直したわけよ
ケツモチは「ケツモチ」という役割とかプログラム名ではなくて責任の比喩なの
AIは単なる道具と言われればそうだが、学校教育で道具を用いることに責任が発生するんだわ
言われたように学校にいる間も全部AIに任せて仕事放り出してたら学校の責任問題だが、学校の外でも使えるAIを「AIは責任を負えません。どういう情報が出力されるかわかりませんが、何かあれば学校や先生で何とかしてもらえれば」なんて状況で現場が首を縦に振るかい? 自分は横に振ると思う
件のまとめは小学校だと思うんだけど、小学校の体育は担任が教えることがほとんどだっただろ。体育は本来座学とは別種の知識技能が要求されるのだけれど、それに対して専門の教諭を配置できないという制度の問題だよ。
「これだから体育教師は」とかいつものごとく怨嗟をつのらせているブクマカはそもそもまとめ内の文脈を読めていないか、意図的に読んでいないか、小学校に専門の体育教員が配置されていた恵まれた学校だったかのどれか。
中高の体育教育も、それはそれで問題が山積みだし、劣等感生産装置に成り果てていることも多いのだけれど、今回の話題とは直接の関連はないんだよな。
ちなみに小学校教諭は基本的に教育大学を出なければ免許を取得できない。教育大学の学生はもちろん教育学を学ぶのだけれど、それとは別に自身の専門の研究も持つこともあって、それが国語なら小学校の免許+中高の国語の免許を取得したりする(専門研究を教科以外の道徳教育とか人権教育とか教育制度とかに置くことももちろんある)。
問題は、この際に体育が専門にされることはほとんどないということ。体育一筋の人は体育大学に行って中高の教諭をめざすからね。
教室での授業方法を中心に学んできた学生に、そのまま実技などの特殊教育をさせる方が無理がある。あるいは教育大学内での体育の扱い方がよくない。過去に小学校の体育で嫌な思いをした、あるいはいま子どもの学校などで嫌な思いをしている人々は、いつまでも「体育教師は〜〜」とか現場の教職員の個人の資質の話に原因を求め、叩くのではなくて、「ずっとこんな調子なのだから、なにか構造的な問題があるに違いない」という視点を持って現状を認識し、未来に同じような怨嗟を生産させないように制度設計を変える方向で社会に働きかけてくれよな。