私の好きな詩集に中川一政の「野の娘」というのがあります。
(中川一政は洋画、日本画、書、陶芸など、とにかく多才な方です。画家としての方が有名でしょうか。)
とくにその中の「野の娘」という詩は初めて目にした時泣けてきて、
そしてその後読むたびに泣けてきて、
今朝、書棚で目にして開いてしまい、またポロポロと泣けてしまいました(T_T)
「野の娘」
愛子よ
おまへはまつくろけ
けれどぼくの愛するをさないいもうと
けふはクリスマス
おまへをつれて来いと
文子さんは云ったけれど
ぼくはまつくろけなおまへが
かたくなつて
自分のまづしい服装を
よろこぶおまへを
白い足袋からまつくろなふくらはぎが
でてゐるおまへを
あの上品なをさない人達の目に
軽蔑されるのをかなしむ
けふクリスマスと云ったぼくをゆるせ
おまへは野の花だ
くろい口の大きい叫びごゑのあらい
野のむすめだ
たのしさをゑがいてさびしかったら
かけまはつて慰めよ
けふのクリスマス
おまへをはずかしめられたくないので
ぼくはつれてゆかないのだ
つれてゆくと云わないのに
もうおほ兄さんとゆくと
となりに揚言してとんであるく
おまへをみると
ぼくはいろのくろいおまへが
うらめしい
ゆるしてくれ
わが愛惜しむ
くろいいもうとよ
クリスマスでも
俥屋やそばやの子とおまへは遊ぶのだよ
野の花のように純粋無垢で無邪気な妹を思う兄の気持ちが痛いほどわかって、
そしてその妹の無邪気さがまたたまらなくてまた今も涙が出てしまうのです。
「火垂るの墓」もそうですが、どうも私は年の離れた兄と妹の兄妹愛に弱いようです。
そのほかにも全部読み聞かせをしたいくらいなのですが^m^
もう1つだけ・・・
「母」
俺がだまつてゐると
母はやつてくる
彼方の室は母がひとりぼつちでゐる
こつちの室には俺が一人でだまつてゐる
母は時々立上がつてやつてくる
入口に手をかけて
俺の心を読もうとしてゐる
俺はだまつて読まれてゐる
が、しかし俺には愛情がわいてくる
何しに来たのと微笑み乍らきく
何しに来たか俺は知つてゐる
二言三言話した後母はかへつてゆくが
俺は人間といふ者を思ふ
各々支へあつてゐる
両方の人の肩と肩へ手をかけあつて立つてゐるやうなものだ
邪魔におもふ人間をすらたよりにしてゐるものだ
「俺が立つて居ていヽのか知らん」
淋しい人間はさう思ふものだ
俺が立つてゐるので人も立つていられるのだといふことも忘れて
俺の入口へ手をかけて
俺を見にくる母は
もしやさう思ふのではないかしらん
あ、やっぱりお孫さんが生まれた俊さんや、buttyさん、その他お孫さんが可愛くて仕方がない方々や小さいお子さんのいらっしゃる方々にもう1つ^m^
「幼児」
幼児来りて
わが顔を叩く
汝 元気なる幼児よ
汝が我が顔を叩くは
世にも甘き挨拶なるよ
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