池袋西武百貨店に青木敏郎展を観に行ってきました。
(写真は会場でもらった絵葉書)
やっとやっと再開できた青木敏郎さんの絵。
17年前に出会ってすぐに生き別れたままの恋人に会うような気持ちで出かけました。 (*^^*)
あの時、「日本にこんな絵を描く画家がいたなんて・・」と
何かどうしようもなく惹かれてしまったんです。
それから忘れることが出来ずにいたその名前と写実主義の絵。
また出会えないかと思い続け、すれ違い・・・
そうして17年が経ってしまいました。
先月、なんとなく導かれるようにあまり見ることのない日経新聞のデパートのスケジュールが目に入り、その中に無意識か意識してか「青木敏郎展」の文字を探して指を滑らせていました。
心臓が止まるかと思いました。
私の人差し指がたどった先に「青木敏郎展」の文字が・・・・・
初日23日は携帯アラームをセットし、カレンダーにも書き込み絶対に行こうと思っていました。
ですが23日は家族とのドラクエ展を優先させやっと今日行くことができました。
最初の絵を目にした時、「ああ、やっと会えた。この時をずっと待っていたの。」という思いでした。
気持ちが落ち着いてきて良く観ると、何かが違う気がしました。
次の絵も。次の絵も。
どこか柔らかさのある角が取れたような絵になっているように感じました(私の気のせい?というくらいの微妙な違いですけれど)。
絵の中に、2011の文字があったので今年描かれたものなのでしょう。
こんなことを私がいうのはおこがましいのですが、深みが増したということなのでしょうか、写実にプラスして「自分」が出てきたということなのでしょうか。
でも、私はちょっと寂しい気持ちになってきました。
あの頃のちょっと冷たさすら感じる、もしかしたら模写で鍛えたテクニックだけの絵だったかもしれない(青木先生すみませんm(_ _)m)絵の方が(青木敏郎という画家に限って言えば)なぜかひかれてしまうのです。
同じ静物、確かに「青木敏郎の絵」だと思えるのですが、でも私が会いたくてたまらなかったあの輪郭のハッキリとした鋭さ、冷たい光、布の質感、それらがちょっとだけほんの少しだけシフォンのベールを通して観ているような感じがして何かモヤモヤと・・・。
でもそれは年齢とともに画家がそのように意識して変えていくものなのかもしれないですね。
ああ、昔に買っておけばよかったかな・・・
先生はいらっしゃらないのか聞いてみたところ、土日にいらっしゃってたとのこと、もしかしたら初日にいらしてたかもと思ってあきらめてはいたのですが残念。
これは、私が青木敏郎という画家に出会った青木敏郎自選展の画集。
この時の40点以上の作品は素晴らしかったです。
こんな素晴らしい写実画を描く日本人がいるなんて知らなかったので衝撃的でした。
青木敏郎(1947年 京都生まれ)。
1977年に描かれた自画像。(画集より)
彼の描く風景画も好きでした。実物は空気のにおいも感じます。
実はこのデジカメの色が実物とはちょっと違っていて、本当はもっと緑がかっているのです。取り扱い説明書を読んでも調節が出来ないカメラみたいでここにある絵は全てそうだと思ってくださいね。それがとっても残念。
彼はフェルメールの「画家のアトリエ」やハンス・ホルバインの「ゲオルク・ギーツェの肖像」など模写もしています。
オランダの王立美術館の館長は若き日の青木さんが半年がかりで模写しているのを見ていてあまりの素晴らしさに「買うから置いて行けと言ったけれどその男は応じなかった」「あの模写はいまだかつてあれに及ぶものを見たことがなかったほどすばらしかった」と惜しがっているほどの作品です。
他の模写も本当に素晴らしいです。
他の画集も出ていますが、これは私が時々卒業アルバムの彼でも見るように(例えばですよ(^^ゞ)見る大切な画集です。
おまけ。
池袋西武前のイルミネーション。
ちょっと控えめな感じでしょうか。