はてなキーワード: 馳星周とは
2/2週目
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 王林 おうりん
・04 上杉謙信 うえすぎけんしん
・07 優里 ゆうり
・08 雨穴 うけつ
・09 [近似値]72,047(人
・14 鶴竜 かくりゅう
・15 寒(の戻り かん
・16 ハシヤスメ・アツコ
・21 博覧強記 はくらんきょうき
・26 [3択]2.5
・27 馳星周 はせせいしゅう
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
2/2週目
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
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・26 [3択]2.5
・27 馳星周 はせせいしゅう
『平家物語 犬王の巻』とか『きのう何食べた?』とか数冊の本だの漫画だのと平行して読んだので、すごく時間がかかってしまった。最近、年のせいか集中力が続かなくなってしまってなぁ。でも集中力が衰えたからといって本を読む気力がなくなったわけではなく、好奇心旺盛な性格は変わってないお陰で、複数の本をかわるがわるちょっとずつ読むことで気分転換が出来るので、いいんだけど。
暴力団の有力幹部・韮崎が何者かに殺害された。事件には暴力団同士の抗争の痕跡がなかったため、単なる殺人事件として本庁捜査一課が担当することとなった。
事件当時の状況と推定された凶器から、プロの殺し屋の仕業とは考え難い。捜一の係長・麻生龍太郎警部は韮崎の周辺を捜査にあたるが、その過程で韮崎の企業舎弟・山内練と再会する。練は十年前、麻生が担当した強姦未遂事件の犯人だった。
当時は気弱な大学院生でしかなかった練が、なぜヤクザの片棒担ぎに堕ちてしまったのか。麻生は韮崎殺害事件を捜査していくうちに過去の因縁に翻弄されてゆくのだった。
同作者の『RIKO――女神の永遠――』から始まる「緑子シリーズ」のスピンオフ作品。約670ページ、しかも2段組みで細かい文字がびっしり。鈍器のようにずっしりと重い……読む前に見た目に心を折られそうになった。本編よりも分厚いスピンオフってなんなの。でも読み始めてみると、かなりのページターナーぶりで、本の厚みなど気にならなくなる。きっと二十代の頃に読んでいたら徹夜で一気読みしたことだろう。
前半は練ちゃんの章と麻生の章が交互になっていたので、韮崎殺害事件そのものよりは練と麻生のBLがメインなのだろうかと思ったらそうでもなく、ちゃんと骨太サスペンス小説。事件の重要参考人が登場するごとに謎が謎を読んで、なかなか推理のし甲斐のあるストーリーだった。
登場人物の心理描写が巧み。特に、麻生が慣れと惰性から無意識のうちに練ちゃんに自白を強要してしまった事に長年気づかず、担当弁護士から指摘されてもプライドが邪魔をして認められないという所がリアルだった。
練の冤罪事件に関しては麻生はかなりの悪人ぶり。主人公なのにこんなナチュラルに悪い事してていいのかよ……と思いつつも、文章が共感ベースというよりは理解ベースというか、登場人物をちょっと突き放した書きっぷりだから、共感できない事が読書のストレスにならなかった。へぇー、なるほどなるほど。お前はそんな風に思ったからそうしてしまった訳ねー、と他人事として読めるというか。こういう感情移入のし難い主人公も、ありなんだなあ。もし文章が下手な人がそういう主人公を描いたら、ただのイラッとするキャラになるだけなんだろうけど。
女性の登場人物がとても魅力的。麻生の恋人の槙や、韮崎の愛人の皐月、捜査一課の静香など。特に静香は若い女性らしい真面目さと潔癖さと甘さがいい。著者が女性だからなのか、女性の描き方が単純な可愛さやお色気の枠にはまっていない。
しかし一方で、男性の恋愛心理が微妙にリアルじゃないなと思う所もあった。恋人に裏切られたときの男の反応なんかは馳星周の小説の方がいいな。よりバイオレンスだけど。
後半は、韮崎殺しの真犯人は誰なのか、見当がつくくらいにいい案配で小出しに情報が与えられるので、犯人が解らなさすぎて嫌んなったなんて事にならなくてよかった。ラストの犯人との対決シーンも緊張感があってよかった。
クラムノベル作家 馳星周の自伝的小説。馳星周先生が若い頃にゴールデン街の「深夜プラス1」でアルバイトをしていた頃のことをモチーフとして書かれた。
バブル時代。本好きの大学生・坂本は、ゴールデン街のバー「マーロウ」でバーテンのバイトをしていた。コメディアンで書評家の斎藤顕の勧めで上京し、ハードボイルドミステリや冒険小説好きの本読みが集まるというマーロウで働くことになったものの、斎藤顕の酒癖の悪さとゴールデン街の酔っぱらい達に辟易し、心が鬱屈した中年のように老けてしまっていた。
そんな坂本を、ナベさんやリリー、バイト仲間の田丸や常連客など、ゴールデン街の仲間達が慰め支えてくれていた。
ところが、そんなゴールデン街に暗雲が立ち込める。地上げ屋達がゴールデン街の土地に目を着けたのだ。なかなか土地や店を手放そうとしない、ゴールデン街の人々に業を煮やした地上げ屋が、店に放火しているとの噂が立つ。そこで、坂本の敬愛するナベさんがゴールデン街を守ろうと立ち上がったのだが……。
これが馳星周先生の書いた小説なのか!? 最近の馳先生の作品をさっぱり読んでいなかったので、文体の変わりように驚いた。地の文が柔らかい。トゲトゲしていない。ものを投擲しないし、あんまり呪詛の言葉を吐かない。ひぇぇ、まるで別人! でも根のピュアなところは昔のまま残っている。
ノスタルジックなストーリーだ。昔のこと書いてあるんだから当たり前か。あー、青春だなぁって感じ。同じような経験はないけど気持ちだけは共通するような若い懐かしい時代は自分にもあるから、同時に思い出してしんみりしてしまう。
直近に『鎮魂歌』を読んだので、坂本が犬を飼いたいって思ってるシーンで『鎮魂歌』の主人公の一人郭秋生を思い出してふふってなった。
どうしても斎藤顕をゆるせない坂本、許してやれと諭すナベさんや佳子母さん、どっちの気持ちもわかる気がするのは自分も年を取ったからかな。
馳星周先生のデビュー作『不夜城』のシリーズ第二弾。ゴリゴリのノワール小説だが、某BLレビューサイトによれば、本作を読んでBL沼にハマったという姐様もおられるようだ。
私は確か二十年前に本作を一度読んだ記憶があるんだけれども、面白かったという感想だけが残り、内容はほとんど覚えていなかった。闇落ちした劉健一のクズさ最高潮ぶりはぼんやり記憶していたのだけれど。郭秋生のキャラがかなり立ってるのに存在ごと綺麗さっぱり忘れていた、私の記憶力は一体……。
ろくでなしの警察官崩れ滝沢と、凄腕の殺し屋郭秋生のダブル主人公で、物語は秋生視点と滝沢視点が交互となって進行する。
郭秋生は、楊偉民の子飼いの殺し屋だ。暗殺の依頼を請負い、秋生は一年ぶりに歌舞伎町に戻った。いつものように卒なく仕事を片付けた秋生。ところが、楊偉民はいつものように秋生に逃亡先を用意してはくれず、歌舞伎町に留まれと命じた。そればかりか、楊偉民は秋生を歌舞伎町を支配する二大勢力のうちの一つ、上海の老板・朱宏と引き合わせた。朱宏の情婦のボディーガードとして雇われる事になった秋生。いつもとは違う仕事に戸惑い、不安を覚える秋生だった。
その少し後、滝沢誠は彼のボスである北京の老板・崔虎に呼び出された。崔虎の直属の部下である四大天王の一人・張道明が殺されたという。おそらくプロの犯行だった。だが、張道明の居場所を知るものはいなかったはず。すなわち、内部に裏切り者がいて、プロを雇い張道明を暗殺させたに違いない。崔虎は滝沢に裏切り者を探せと命じた。
初恋に囚われ続ける美貌の殺し屋と、ろくでなしの変態サディスト元警官。交わることのないはずだった二人の運命が、交差しようとしていた。
BL描写のある面白い小説を読みたいと思ったらむしろBLレーベル外から探せって事で、二十年ぶりに手に取ってみた本作。何となく面白かったなという記憶しか残っていなかったのだけれども、いざ読んでみたら本当に面白い。ものすごいページターナーっぷり。次はどうなるんだろうと気になってしまい、つい夜更ししてまで読んでしまった。
一般レーベルでのBLっぽい作品ということだけど、お互いに相手に恋し合ってイチャイチャするっていう訳ではなかった。まあ、非BL作品なんだから当たり前だけれど。
しかし、滝沢が秋生に恋に落ちるシーンとか、秋生の声を聞く、秋生に視線を向けられる、秋生と会話をする……その時々の滝沢の反応がめっちゃ乙女チックなピュアラブさかげんで、エモいの通り越して面白かったなw 複雑に絡み合う欲と謀略、大陸にまで及びそうな意外にもスケールのデカい話、とか、最終的にはどうでも良くなって来るくらいの一方通行ラブロマンスだったー! なにこれ。ごめんなさい、こんな時どんな顔すればいいのか、わからないの……………。笑えば、いいと思うよ……………。
滝沢は秋生をどうしようもなく好きなんだけれども、秋生は「正直どうでもいい(早くリタイアして犬飼って暮らしたい」っていうスタンスを崩さない。っていう、無情感が最高すぎる。実に萌えた。滝沢が恋する乙女モードの目で見た秋生は本当にカッコよくて、つられて恋しそうになる。
が、秋生が史上最悪のピロートークをする場面(無論相手は滝沢ではない)で、「日本にいてわかったんだ。おれはホモにもてる」と断言したせいで、脳内に固まりつつあった秋生のイメージ画像に亀裂が入った。ちょ、ちょっとまって。滝沢の乙女チックな秋生描写と世間一般の日本人の乙女に好かれる美男子描写は大体一致すると思うけど、ゲイにモテるとなるとだいぶ違くなる気がする。一体、どのようにイメージを修正したらよいの!? 女にもゲイにもモテる優男とは、どんな風な奴のことを言うのだろうか……。例えば昔のケイン・コスギみたいな人とか? いやでもそれはマッチョ過ぎないだろうか。てか、ケイン・コスギのことなんて、十五年ぶりくらいに思い出したな、私。
かなり脱線してしまった。ともかく、ストーリー展開の面白さを楽しみつつ滝沢の純愛についニヤニヤしちゃう感じで、感動して泣いたりとかはしなかった。
第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分の創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。
馳星周先生の作品って、少年漫画や青年漫画の二次創作でBLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。
冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作の法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。
BL字書き仲間から、「柴田よしき作品はBLだよ!」と教えられて、どの作品がBLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトのマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。
中華BLにかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国の市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国の一般市民の暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題がネットの話多めなんだけれど、中国流ブラックジョークとか、漢詩のパロディーとかが興味深い。
中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画で血気盛んに行政批判(地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音を吐露しているようだ。
ちょっと意外だなと思ったのは、中国の人達、プライバシーを大事にしている。自由と感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策も大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかいう意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。
著者の方方先生は基本的に当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想(極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントをブロックされている。
思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般の武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員とボランティアだ……の感染症対策も情報不足や物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。
日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常の仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。
……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む。
BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしやものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。
性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つのは義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。
非行や犯罪で少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分の存在を肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要な場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女をゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。
唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書の同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい。
実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しかし野火ノビタ先生の作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。
ブロマンス? の方はもうずいぶん前に出版されたものなのでネタバレするけど、すごいBLの方は22日に出版されたばかりなので、極力ネタバレしないようにがんばる。では、ブロマンス? の方から。
同作者による小説『生誕祭』の続編。本作も『生誕祭』と同じく彰洋と麻美のダブル主人公。この二人が憧れの人・美千隆に振り回されつつ、お金儲けのためにそれぞれ奔走する。
『生誕祭』の終盤、美千隆に裏切られて復讐しようと思ったものの、けちょんけちょんに打ちのめされてしまった彰洋。だが、逃亡先の北海道まで、美千隆が探しに来てくれたことにより、懲りずに美千隆に着いていってしまった。
それから十年。彰洋は自身と美千隆しか従業員のいない小さな会社に勤めて、退屈だがそれなり楽しい雌伏のときを過ごしていた。
そんなある日、美千隆が復活を宣言する。時代はITバブル最盛期。バブル景気なんて長続きする訳がない。こんどは土地の代わりに株を転がし、大金をせしめて一抜けし、今度こそ二人で夢の王国を作るぞ! マンハッタンにでっかいビルを建ててやるのだ!
一方、やはり十年前に美千隆に切り捨てられて落ちぶれ名古屋に逃亡した麻美は、東京に舞い戻り、バーの雇われママに身をやつしていた。ところがあるとき、バーのオーナーが麻美に儲け話を持ち込んで来る。それはIT企業の若手起業家を騙して一攫千金を狙うというもので、しかもターゲットとなったIT企業をあの美千隆が狙っているというではないか。麻美は一生遊んで暮らせる金をせしめるため、美千隆に復讐するために、彰洋の元恋人である早紀を巻き込み、立ち上がるのだった。
『生誕祭』ではブロマンスというよりはポチとその飼い主みたいな関係性だった彰洋と美千隆だったけれど、今回は彰洋が成長し美千隆が少し老いたのもあって同じ夢を追う同志、ブロマンス感があった。
美千隆が過去に彰洋に言った「マンハッタンに自社ビルを建てるのが夢」「弟が欲しかった」という言葉が、彰洋をだまくらかす方便かと思いきや案外本心だったのかもしれない? と、胸が熱くなる一方で、王国のキング美千隆についに焼きが回った感じもあり……もはや自身には生き目はなく、夢は弟分の彰洋に託すのだろうか?……と、ちょっと切なくなる感じ。
最高に滾るシーンは美千隆が渾身の演技で麻美を騙す場面。麻美が金と美千隆に執着する理由は安定と愛情が欲しいからではなく、美千隆の隣で同じ夢を追いたいからだと看破してみせるところ。
結局のところ美千隆の相棒になぜ彰洋はなれて麻美にはなれないのか、それは才能の問題ではなく性別の問題でしかない。麻美にはどんなに努力しても越えられない壁を彰洋なら軽く飛び越えられる。最初から分かり切っていたが見ないふりをしてきたことを、当の憧れの人、美千隆に見破られて涙を流す麻美。実にエモい。引き立つブロマンス!! そう、私ら女にはどんなに願っても届かない夢ですな!
でも最終勝者は少年の心をいつまでも喪わないおっさんズではなく、現実的堅実的に復讐計画を練り実行に移した早紀だったというのが痛快だった。愛よりも友情よりも堅実。金に溺れた詐欺師どもより研ぎ澄まされたハンターが最強だなんて、かっこよすぎる……。
国外逃亡する羽目になった彰洋と美千隆がこてんぱんに打ちのめされてだめだめなコンビに成り下がるというオチまで着いて、憧れのブロマンスに泥を塗りたくる黒い快感に目覚めてしまった。
数多のBLの中でもかなり人気のあるタイトル。エロエロだけどストーリーに骨があって絵もすごく綺麗。少女漫画のようなキャラとストーリーが人気な商業BLのなかでは、異色かなぁ。
バーでピアノを弾いて暮らしているマレーネと、マレーネのピアノを聴きに通うリリーは両片想い。だがいくらマレーネがアプローチしてもリリーは応じてはくれない。それは二人が男同士だからというより、リリーの正体が人狼だからなのだった。
リリーが突然発情期に入ったところにマレーネが居合わせたのが縁で、二人は結ばれることになった。ところがマレーネは、実は人狼を迫害するマフィア・ガーランド一家の跡取り息子ヨシュ・ガーランドだった。
マレーネがリリーと急接近したころ、ガーランド一家の当主は人狼殲滅に狂い、唯一の血縁者である孫のヨシュを呼び戻す。かくしてマレーネはガーランドと人狼の抗争に不本意ながら巻き込まれることになった。
一方、人狼の側では、ガーランドとの抗争が70年前に起きた人狼大虐殺事件のような惨事の引き金になることが危惧されていた。抗争の激化から、ついに群れのリーダーであるキーファーは、ガーランド解体作戦を決行すると宣言する。そして、ガーランド幹部暗殺部隊のメンバーとして、リリーことコヨーテも指名された。コヨーテに割り当てられたターゲットは、ガーランド一家の跡取りヨシュ・ガーランドだった。
す、すごいものを読んでしまった……! というのが、4巻を読んで最初に思ったこと。正直、3巻までは普通に面白い映画みたいな話だなぁと思ったくらいだったけど、BLでここまで描くの!? 描かせてもらえるの!? と驚いた。まあ、これほどの画力と漫画構成力をもった作家だからこれが許されるんだろうなとは思う。
BLなのでラブとエロは盛りだくさんだけれど、隙あらば骨太の物語描写をしてしまうのがすごい。逆にいえば、BLってストーリーを台無しにしてでもラブ描けエロをかけっていうジャンルなんだろうな……。
人狼とガーランドの抗争の歴史と背景がちゃんと描かれている。そのことに驚きというか、一般ジャンルの漫画ではむしろそれが普通なのかもだが、よく描いたよなぁ。
今回はメインカプのマレーネとリリーだけでなく、アレンやキーファーなど脇役キャラの活躍や人物描写も豊富で良かった。ドミニクがいいキャラしていてかなり好き。
BLにはあまり出てこないし、これまでの座裏屋先生の漫画にはほぼ出て来なかった女性キャラがけっこうなインパクトを持って登場するのがいい。ミミちゃん! 私の推しのミミちゃん!!
猛烈に続きが気になるところで終わってしまったが、たぶん、5巻が出るのは1年後くらいだ。それまで頑張って生きねば……。
座裏屋先生の『シャングリラの鳥』もなかなか気になる展開なので、続きが待ち遠しい。すげえ連載を2本同時進行している座裏屋先生すごすぎる。
『昭和元禄落語心中』の作者によるBL作品『いとしの猫っ毛』シリーズの紹介本。シーモアで0円なり。
北海道出身の男二人とまたたび荘の癖のある住民達のヒューマンドラマ的な何からしい。群ようこの『れんげ荘』みたいな? いやそんなにシリアスさはないっぽいかな。
商業BL読むんなら履修すべき漫画的にいわれる猫っ毛シリーズ初体験だった。単行本買ってまで読むかというと、微妙。私のほしいものリスト優先順位は、かなり下だなぁ。
エトランゼシリーズも商業BL読むなら是非読むべしみたいなこといって、ゴリゴリにおすすめされるやつなんだが、絵柄がなんかBLを描くよりは圧倒的に百合向きじゃね? という画風なので、私はあんまり。BLだと思わずに読めば面白いと思った。
物語のシリアスさが少女漫画のテイストのそれなので、面白いけど今読みたいのはこれじゃない感。あ、そんなこと言ったらBL漫画の大半がノットフォーミーだけど! BLは少女漫画の1ジャンル……。
かわいい絵柄でガッツリとエロあった。ノーマルなプレイしかしてないから「エロ少」評価されるんじゃないかなと思うけど、当たり前のごとくにまぐわっていらっしゃる。私は目のやり場に困った。絵柄が可愛すぎて。
そもそも私の求める萌っていうのはBLにはないよね……と思い、原点回帰するかのように馳星周小説に手を伸ばす。昔読んだっきりで内容をほぼ忘れていたけれど、すごくブロマンスだった気がしたので再読したくなった。
記憶に残っていた以上に、主人公の彰洋が上司 美千隆の犬だった。ワンコだった。すげえしっぽ振ってた。かわいそかわいい。
これこれ、このパシリ以上バディ未満ブロマンスにはかなり遠い……な感じが好きなのだ。って、ブロマンスじゃないんかい。
美千隆が彰洋にお揃いの指輪をプレゼントする場面は完全に忘却していたのでびびった。こんなに美味しい場面をきれいさっぱり記憶から消去していた自分の脳ミソに驚愕した。覚えてろって。しかも指輪、薬指にはめるやつなんだ……すごーい! と思ったらけっこういい感じのスピード感で指輪は二人ぶんまとめてトイレに流すことになるので笑った。はやいはやい!
以前読んだ時は美千隆の魅力が心に残ったのだが、再読してみれば美千隆のかっこよさはふんわりとして嘘っぽくて、それより波潟のパッパとかヤクザの松岡とか関西の地上げ屋ヨシくんとか株屋の市丸さんとかの方がずっといい男な感じがした。
あとで続編の『復活祭』読もう。
『復活祭』を読む合間の息抜きに読んでいた。『左近の桜』シリーズの第3弾。5回くらい読んでいるのに、読み終わってしばらくすると昨夜見た悪夢を昼間に思い出そうとする困難さのように、内容を思い出せなくなる1冊。いい加減あらすじをちゃんと記憶したい……。
シリーズ第1弾と第2弾が12話くらいで一年分の物語が詰まっていたのに対して、本作は4話のみでしかも2年ぶんだけ。1話と2話の間に一年が経過している。
相変わらずの地獄廻りっぷりだが、桜蔵が幽霊に性的な意味で喰われるシーンは少ないし控え目。
これは桜蔵と父の柾の物語なんだなぁ、と思った。いや前からそうなんだけど、柾が関係する人物絡みの話ばかりだなと。
あの雑誌のTarzan。単にprime0円ベストセラーだからなのか、最近私がBL雑誌の試し読みばかりDLしていたのが関係しているのか、やたらKindleトップページに居座り続けたので興味本位で読んでみた。テーマは「性学」だし。マッチョメンのための雑誌のセックス特集やいかに……。
案外普通というか、男性器と女性器の解剖学だったりオルガズムの仕組みなど、真面目な記事だった。男女ともに満足のゆくセックスライフを送るための知識、妊活はいつから? 子どもの性教育は? とか本当に内容が真摯で紳士でタフ。ただ、セクハラとは何か?というコラムで、女から男へのセクハラ発言はどれか三つの選択肢から選べ(正解は1つ)という設問の、選択肢が三つとも「あなたいい体してるね、」で始まるのはどうかとおもう。そんなこと、ビジネスシーンで言ったらやばくない? Tarzan読者には褒め言葉なのかもしれないけど。
それはともかく、読み応えがすごいので、まだ4分の1くらいしか読み終わってない。女が読んで腹が立たない男性向けセックス特集っていいな。
筆名に名字というくくりはふさわしくないかもしれないがあくまでも遊びということで。
批評も愛憎も好き嫌いも含めて呼び捨てにされる作家たちがいる。名字だけで、名前だけで、その作家が思い起こされる作家がいる。そこに何かつながりめいたものはないか、自分の印象をちょっと羅列してみる。
大江、石牟礼、川端、塩野、志賀、司馬、城山、太宰、三島、谷崎、つか、筒井、星、津本、中上、ねじめ、野坂、灰谷、埴谷、百田、舞条、町田、丸谷、向田、安岡、横溝、横光、池波、伊坂、井伏
乱歩、独歩、安吾、花袋、蘆花、荷風、らも、昌也、芙美子、一葉、四迷、万太郎、清張、朱門、実篤、春樹、鴎外、漱石、登見彦、ナオコーラ、詠美、風太郎、一力、周五郎、獏、淳之介、ばなな、鏡花
フルネームで呼びたい
安部公房、遠藤周作、大藪春彦、佐野洋、田中芳樹、陳舜臣、小松左京、中村文則、恩田陸、南條範夫、西村健太、馳星周、長谷川伸、北杜夫、東野圭吾、平野啓一郎、福井晴敏、堀田善衛、海野十三、宇能鴻一郎、柳美里、夢野久作
トルシエは監督業が生業だから、日本の若い世代を見て、この仕事が自分のステップアップの大きなチャンスと踏んで仕事をしたわけ
つまり、代表を勝たせる事が自分のステップアップに繋がるから、そのために必要な手段をとっていっただけのこと
しかし、途中で大きな金を産むようになった代表というコンテンツを、ブチを始めとした黒い拝金主義同盟の利害と離れていくわけだ
動こうとした時にはすでにトルシエが全国的に人気を博し、なんとか引きずり落とそうと、負けたら解任ノルマを貸してきたがことごとく突破されてきたわけ
そんなトルシエの決定的一打が直前での茸外し
責任を迫られたブチは、ネクで協会の意のままに動いてくれるド素人のジーコを起用、ジーコジャパンならぬ茸ジャパンがスタートするわけだ
この辺から、まずは金が第一という日本代表になる
つまり、もう何年も世界に勝つ為の代表じゃないわけよ
オシム就任は傾いた代表人気を建て直すべく、ブチが打った一手
世論にある程度同調しようとしながらも、息子の面倒みるから、協会の押す選手だけは使ってくれという裏取引があったかは定かでないが
事実、無能のアマルになにもせず年5千万だか7千万だか払っているのはばれてる
入れて守備の連携を確認しなければ いけないのに、
それをせずにシュート練習ばかりしていました。
まず、日本のマスコミははっきり言って一部を除いてアホだから柳沢を始めとして
「決定力不足」を敗因にあげているけれど、そうじゃない!
誰が監督したって、誰を選んだって、今の日本ではそんなに決定力は変わらない。
いかに組み立ての基礎を定着させ、そこから個々の個性を活かし組み合わせて、
どれだけ決定機を作れるか、が日本代表監督の、そしてチームとしての攻撃面
での評価であるはず。
で、あるにも関わらず、代表監督ともあろう者がこの期に及んでシュート練習で
何かを解決しようというのは、もう何とも言い難いですよね。
まあ、ジーコにそれを求めるのは無理な注文なわけですが。
散々ジーコとJFAを批判してきましたが、それを野放しにしたマスコミも同罪だと思っています。
それなりにサッカーを知ってる人であれば、「このまま行ったらやばいんじゃないか」って
ほとんどの人が思っていたと思う。
一部のジャーナリストとサポーターがジーコ解任を唱えていたけれども、大きなうねりにはならなかった。
サッカーダイジェストの山内編集長や、あんまり好きじゃないけれどサッカーの本質を突く
作家馳星周が言うように、かつてない才能が集結した日本サッカーの一大収穫期であった
にも関わらず、ジーコの強運を信じて楽観し、もしくは惨敗の不安を抱えながら
「まさかそんなに酷いことにならないだろう」と日本代表を放置した日本人。
そんな日本の集大成があの惨敗なのかな...って、日本という国の実力なのかな...って思います。
まあ、何が個人的にできたのかって言われると困るんですが、スタジアムでブーイングし、
でも、しておけば良かったって思う自分がいます。
今、JFAにもバッシングがきていますが、やはり評価・反省・批判のないところに向上は望めません。