職人気質の男

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土曜日なのに早起きしたのには理由がある。午前中にしか店に出てこない店主に会うためだった。店は旧市街のポルティコの下にある。街の中心からはそう離れてはいないけれど、一日しかこの街の散策に時間を割けない旅行者が足を運ぶような辺りではない。だからポルティコの下ですれ違う人達は、大体が地元の人、若しくはこの街に長く居る人と言って良い。数年前からその店の存在に気が付いていた。衣類を直してくれる店で、仕立て屋さんではない。素適な内装も無ければ気の利いた看板もない。しかし客が多いこと、客が持ち込んでくる衣類の質が良さそうなことから、丁寧な仕事をする店らしいことが想像できた。これらは私がガラスの外から中を観察して得た印象で、誰に訊いたわけでもないけれど。店に入ると何時もいる南米出身の女性の姿はなく、店の入り口に背を向けてミシンを操る男性の姿があった。話によれば店主は彼女の夫とにことだった。こんにちは、と言って店に足を踏み込む私に彼は一瞬振り向いて、こんにちはと挨拶を返すと、再び背を向けてミシンを操りだした。その印象はボローニャの職人と言ったふうで、頑固そうな表情に私は一瞬戸惑った。小柄なようだが、がっしりした肩。四角いセルロイドフレームの眼鏡を掛けていた。話しかけていいのだろうかと思っていると、彼が背を向けたまま言った。何か? それで私はコートの肩幅が体に合わないので直してほしいのだけど、と来店の理由をやっと伝えることが出来た。彼は立ち上がり、少しアンバランスに歩きだした。足が悪いらしかった。彼は私が持ち込んだ黒いコートを手に取ると、瞬時に素材を見抜き、これは大切にしなくてはいけないよ、修理に高い費用は掛かってもね、といった。どうやらこの道に携わっているらしい。もしかしたら昔は服の仕立て業をしていたのかもしれない。私がコートを着て見せると、此処を少し、此処も少しとあっという間にピンでつまんだ。これでいい。これでやっと君らしくコートを着こなすことが出来るよ。彼は私に言い聞かせるのか、自分ひとりで話しているのか分からない口調で言った。彼をよく観察すると、年のころは60歳前後。髪は半分以上が白く、深いしわが顔に刻み込まれていた。四角いセルロイドフレームの眼鏡が更に彼を頑固者のように見せていた。初めてのタイプではない。むしろ、この手の頑固者は幾人も知っている。其の幾人の誰もが自分の腕に自信があって、その分野の事では相手に決して譲らない、職人気質だった。ところで、どうしてコートの肩の幅が合わないかと言えば、こういう訳だった。数年前、冬の割引の時期に、ある店に入った。良い物を置くけれど高くてねえ、と評判の店だ。ところが割引の時期になると案外思い切って値段を下げる。特に今シーズンのものでないものは。そもそも私は流行を追うタイプではない。特に冬はクラシックのスタンダードの良いものを長く着るのが好きなので、今シーズンでも昨シーズンでも全然問題ない。店に入っていろいろ見せて貰ううちに女店主が、そうだ、あなたのサイズならば・・・と二階に上がって、一着のコートを持って降りてきた。それは黒いカシミヤのコートだった。ひと目で気に入った。ごく普通の型で、さらりと薄手な分だけ秋の終わり、冬の始まり、若しくは冬の終わりに活躍しそうだった。着てみると、軽い。まるで着ていないように軽かった。それに気軽にジーンズとも合わせられるような印象が良かった。聞いてみれは昨シーズンのもので、他のサイズはすぐに売れてしまったと言うのに、此れだけは残ってしまったらしい。少々肩の位置が合わないのが気になったが、こんなコートを定価で手に入れることはこれから先に無いだろうと思い、肩は後々直せばよいと思って購入した。店で直すのを頼まなかったのは、腕の良い人に頼みたいと思ったからだった。そうして何冬か過ぎてしまった。肩の位置が合わないと思いながら、何冬も着て、その度に直したいと思いながら。さて、コートの肩の位置を直すには少なくとも2週間は待たねばならぬらしい。私の前に持ち込まれた衣服が沢山あるらしい。これはいい。つまり順番を待ってもこの店に持ってきたいと思う人が多いと言うことだから、彼の腕が良い証拠である。12月3日でいいだろうか、とすまなそうに言う店主に、急いでないので問題はない、もしそれに間に合わなくても急ぐ必要はなく、私は丁寧な仕事をしてほしいのだ、と答えると、うん、と嬉しそうに深く頷いた。もう少し店主と話をしたかった。例えば昔は仕立て屋さんだったのかとか、何とか。こういう人の話は大概奥深く、本を読んでいるような話が次から次へと出てくるものだ。しかし、後の客が店の中で待っているので、さっさと店を後にした。今度引き取りに来る時に話してみようと思いながら。雨が強かに降っていた。でも、何だか面白そうなことになりそうな予感がして気分が良かった。

昨日の雨は酷かった。その雨に強さに猫と私は何度顔を見合わせたことだろう。私の雨嫌いが移ったのか、猫も雨が嫌い。折角の土曜日なのに、昼前から雨になった。外を歩いて気に入りの靴のつま先が濡れて、気が滅入りそうになった。いくらボローニャの街にはポルティコが巡っているとは言っても、ポルティコが存在しない道だってあるのだから。そうして朝になると、嘘のような快晴。わあ、晴天だ、と窓を開けたら真冬のような寒さだった。空が青い分空気が冷たい。そろそろ冬を迎える準備をするとしようか。


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強い心

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樹木の葉は枯れて落ちてしまったけれど、全てが枯れてしまったわけではない。地面には驚くような緑があって、生命力の強さに見る人は驚く。朝露に濡れて輝く草。輝く緑。その輝きが私達の心のエネルギーとなればいい。


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外の空気を吸いに出掛けよう

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猫は窓辺に座って外を眺めるのが好きらしい。毎朝、大急ぎで身支度をするのをよそに、猫だけはゆっくりと窓の外を眺めている。時々、猫が声を発するので同じ高さに顔を近づけて何が見えるのかと覘いてみると、鳥だったり隣の敷地を歩く犬だったり。でも一番好きなのは木の枝から葉が一枚、また一枚落ちていく様子。その度に、にゃ、と鳴くのに耳を傾けながら、あ、葉っぱがまた地面に落ちていく、と私に知らせているのではないかと想像する。外に出ない分だけ外の様子が気になる。人間も動物も同じなのだ。

土曜日の昼過ぎ、旧市街へ行った。ちょっとした用事があったからで、それにかこつけて街を歩くことにしたのだ。パリの事件以来、私はどうも沈みがちで、外の空気を吸わねばならないと思ったのだ。街の中心で催されているチョコショウへ行くには気が乗らなかったので、相も変わらず人の居ないところへと足を向けた。そうして幅の狭い、天井の妙に高いポルティコの下を歩いていたら、向こうの方から大きな声で名前を呼ばれた。えっ。と足を止めてみたが知っている顔は無く、向こうの方から歩いて来る男女には見覚えもなかった。黒いフードを被った男。女の方もパンク調で、私の知り合いにはいないタイプの人達だった。ぽかんとして立ち止まる私に、男の方が黒いフードをとって笑った。出てきたのは青い青い瞳を持つ、知人の顔だった。友達と言う訳でもないけれど、顔を合わせば必ず気持ちの良い挨拶をしてくれる若者である。近くで見れば女の方も若くて可愛らしい。あなたの恋人なのかと訊くと、そうだと言う。初めましてと丁寧に挨拶をするところなど、実に彼が選んだ人らしいと思った。ボローニャ郊外に暮らしている彼らは、30キロも車を走らせてチョコショウに来たのだと言う。そういう私はチョコショウの人混みから逃れるために、こうして人の居ない場所を選んで歩いているのだと言うと、あはは、と笑って実に君らしいねと言った。そうなのか。若い彼から見ても私と言う人間はそんなタイプに見えるのかと思って、面白くなった。それにしたって私の方は彼の名前を幾ら考えても思い出せないと言うのに、彼はちゃんと覚えていて声を掛けてくれるのだから嬉しいものだ。と同時に、申し訳ないような気分でもあった。歩き疲れて小腹が空いたのでガンベリーニへ行った。秋冬は此処で菓子をつまみながらカップチーノを頂くのがいい。土曜日とあって店は大変混んでいたが、店の人が直ぐに私に声を掛けてくれた。ビスコッティは如何でしたかと訊かれて、えっと顔を上げだ。水曜日の夕方遅くに店に立ち寄って、ビスコッティをいろいろ混ぜて包んで貰ったのだが、彼女はそんな私を覚えていたらしい。それで、大変美味しく頂いたこと、あれは自分の誕生日の喜びを皆と分かち合うために職場に持って行ったのだ、と答えると、それは大変良いことですね、と彼女は微笑んだ。この店には幾人もの女性が働いているけれど、此れほど感じの良い人はあまり見たことが無い。さて、それで小さな菓子とマロングラッセをひとつづつ小さな白い皿にのせて貰い、カップチーノを注文した。勿論立ち飲みである。私にはそれが似合う。テーブル席に付くのは友人とお喋りをする時にとっておくのが良い。それにしたってなんて美味しいのだろう。小さなシューの中にたっぷり入ったクリーム。見かけはごく平凡だけど、イタリアではそういう物ほど美味しいことを私は知っている。案外、人間もそうなのかもしれない、などと思う。見掛けで人を判断したらいけないのだ。例えば先ほどの彼の様に。

明日からもう少し暖かいコートを着て出かけよう。温暖とは言っても、もう11月も中旬。何時寒くなってもおかしくないのだから。


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濃霧がボローニャにやって来た。そもそも、こんな濃霧は10月早々やって来るものなのに、この秋に限っては随分遅れてやって来た。一年振りの到来に、不意を突かれたような気がした。霧が出ると辺りが静かになる。何もかもが霧に覆われてしまった、そんな感じになるのが、私は案外好きだ。

霧と私の付き合いは長い。サンフランシスコに暮らしていた時も一年中霧と付き合っていたからだ。朝、目を覚まして窓の外を覗くと、道の向こうの家が見えなかった。街の西側にある大西洋から流れてくる霧の大群のせいだ。走る霧。私達はそう呼んでいた。だって本当に見えるのだから。霧の粒子が目の前を走っていく様子が。そんなことを考えていたら、ずっと忘れていた人のことを思い出した。パトリシアのこと。
その街に暮らし始めての半年ほど、私は英語を学んでいた。この街に暮らしたくて暮らしたくて家を飛び出してきたのに、英語を聴くのが大好きだったのに、英語を話すのはてんで駄目だった。沢山学校はあった筈だが、其の中でもちょっと名が知れていて形式ばった学校を選んだのは、ほんの偶然だったと思う。街を斜めに横切るように存在する大通りに面した、背の高いビルの地上階だった。建物は、昔観た、70年代後半から80年代の映画によく出てくるタイプのもので、学校のほかは何かの会社が幾つも入っているらしく、パリッとしたスーツ姿の男性やキャリアのありそうな女性と建物の中ですれ違ったりしたものだ。初めの3か月は最悪で、学ぶどころか英語に心を閉ざしてしまうことになったが、それを乗り越えると驚くほど人と話すのが好きになった。パトリシアと知り合ったのは、ちょうどその頃だった。彼女は美しい黒い巻き毛のコロンビア人で小さな男の子の母親だった。同じくコロンビア人で弁護士をしている夫と再婚したらしく、サンセット界隈の一軒家に優雅に暮らしていた。家族内での会話はスペイン語らしく、しかしこの街で暮らすには英語が出来なくては、と言うことで学校に通い始めたとのことだった。彼女は幾つくらいだっただろうか。30代後半、そんな風に思っていたけれど。なかなかうまく言葉が出てこないらしく、自分でもじれったいようだった。其れに周囲の人も忍耐が無くて、彼女の話に耳を傾けるのが面倒くさいかのようだった。私は、少し前までの自分のように思えて彼女を放っておけなかった。だから、話しかけたり、カフェに誘ったりしたけれど、彼女はいつも首を横に振って、押し黙ってばかりいた。ある晩、彼女の家を借りて学校の仲間の夕食会を開くことになった。彼女の夫が喜んで場所を提供してくれたからだ。これでパトリシアが喜ぶなら、これでパトリシアが皆と馴染めるのならばと、そんな気持ちがあったようだ。そうして晩に彼女の家に行ってみると、あまりに立派な家で空いた口が塞がらなかった。霧が酷く濃い晩で、霧に包まれた大きな家はとても神秘的だった。パトリシアったらお金持ちの奥様だったのねえ、なんて皆が驚きの声を発したのを覚えている。20人ほど居ただろうか。食べ物は持ち寄りで、全く楽しい晩だった。その晩、彼女はとても楽しそうで、私の隣に座って沢山の話をしてくれた。彼女が小さな男の子を連れて再婚したことや、夫がやり手の弁護士であること、この家は夫のもので彼女と男の子と、それから彼女の母親が此処に暮らすようになったのは一年ほど前からの事であることを教えてくれたのもその晩のことだった。彼女はこうも言った。あなたのように英語で楽しく話せればいいと思うのだけど。だから私は今までのことをすっかり話したのだ。意気揚々とアメリカに来たが話せないどころか英語恐怖症になって何週間も塞いでいたこと。色んな知人が助けてくれようとすればするほど自分の殻に閉じこもってしまったこと。でも、もういい、間違えたって下手だっていい、と思った日から見る見るうちに耳が言葉を聴きとって、それが自分の言葉につながったこと。すると彼女は驚いて、もしかしたら自分にもそんな奇跡が起きるのではないだろうか、起きてくれればいいのに、と願った。その日から彼女は明るくなった。誘えば一緒にカフェに来て、大きなカップになみなみと注がれた薄くて驚くほど熱いコーヒーを飲みながら、色んなことを話すようになった。驚いたのは周囲の人達で、彼女に一体何が起こったのかと、喜びながらも目を丸くしていた。ある日の午後、彼女に誘われて家に行った。行ってみて分かったのは、彼女の夫が私と話をしたかったからだった。話によれば、私がすっかり話したあの日から、パトリシアが喜んで学校へ行くようになり、家でも英語を話す努力をするようになったそうだ。そして美味しい紅茶と彼女が焼いたケーキでもてなしてくれて、良かったら時々家に遊びに来て欲しいとのことだった。彼女には学校へ行き始めたばかりの小さな男の子が居るので、なかなか外に出掛けられないから、と言うのが理由だった。それから時々、彼女の家に行くようになった。大抵は大きなソファに座って宿題をして、それが終われば彼女が焼いた菓子を食べながらお喋りをして。男の子が外に遊びに行きたいとごねる頃に腰を上げて、一緒に外に出て別れる、と言った具合だった。でも、ある日、彼女は学校に来なくなった。理由は全然わからなかった。ある日、家に帰ると、パトリシアからのメッセージが電話に残っていた。あなたに会いたい、と、ひと言だけ。それから彼女は本当に姿を消してしまった。何処へ行ってしまったのか。小さな男の子と母親を連れて、何処か別の街へ行ってしまったのか。結婚生活が幸せでなかったのか。幸せそうに見えたけれど。あれから霧が濃い晩は、彼女のことを思い出した。サンセット界隈の大きな家に暮らしていた、パトリシアのこと。

時々、平和ということを忘れてしまう。当たり前になってしまうと、それがどんなに有難いことなのかを忘れてしまうのかもしれない。誰もが予想していなかったことが地球のあちらこちらで起こるけれど、昨晩のパリの事件には、声にする、若しくは文字にする言葉もない。平和とは何かを、私達はもっと考えなくてはいけないと思う。


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感覚

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すり抜ける風。落ち葉が風で踊りながらかさかさと乾いた音楽を奏でる夕方。この時期にしては暖かいが、確実に昨日より気温が低いのを感じる。薄手のトレンチコートの前のボタンをしっかり閉めて、絹の襟巻で首を覆う。折角の素敵な季節。風邪など引いたら大変、と思って。

久しぶりに旧市街をぶらぶら歩いた。パリから帰ってきてからずっと、時間の割り振りがうまくいかなくて忙しい毎日だった。いや、時間的な余裕がなかっただけじゃない。多分、気持にも余裕がなかったのだろうと思う。それだから、こんな風にして歩いたのは久しぶりのことだった。マッジョーレ広場では水曜日から始まるらしいチョコショウの準備に追われていた。大きな白いテントが幾つも立ち並び、年々規模が大きくなるこの祭りの成長ぶりに驚く。初めはサント・ステファノ教会の前の広場から始まったように覚えている。出店数もごくわずかで、チョコショウと言う名すら知られていなかったから、通りかかる市民が、一体何の騒ぎだい、と興味半分で覘いていく、そんな感じだった。いつの間にか大きくなり、場所も街の中心に移った。毎年ほぼ同じ。なのに、ちょっとくらいは覘きたい、それがチョコレートの魅力というものなのである。そんな白いテントを横目で眺めながら、ポルティコへと逃げ込む。風の吹く日はポルティコの下がいい。風の日ばかりでなく、雨の日も雪の日も、それからカンカン照りの夏の日も。と、店のショーウィンドウの中に見つけた。昔、私がまだ若かった頃、自分で自分の衣類を縫っていた頃、生地を選んで丁寧に縫い上げたシンプルな形のパンツとよく似たものを。冬用のそれは、深緑をベースとしたシンプルなチェックで、黒の、かっちりとしたマニッシュな感じの靴を合わせるととても格好良かった。あれと同じようなものにもう一度で会うなんて。もう、あんなパンツの流行はとっくの昔に終わって、二度と見ることもないだろうと思っていたのに。
店の前を去って路地へ。私はこれを見たかった。先週見つけたこれ。ある店のウィンドウの中に置かれた何気ないものと色の組み合わせが、私の心をぎゅっと握って放さなかったからだ。何が動機に行ったのか分からないけれど。シンプルで美しいとは、こういう物のことを言うのだろう。

美しいものを美しいと感じる感覚を忘れないでいたい。何気ない生活の中にも沢山あるはずなのだ。ただ、私達が気が付かないだけで。


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