先日いつものバールに立ち寄ったら、ジャンニの陽に焼けた顔を見つけた。ジャンニはバールの中に設置されたタバコ屋の人で、髪は4分の3が既に白くなっていて若くはないが、長身でスレンダーな身に清潔で爽やかな衣服で万年青年みたいな人だ。とても優しくて穏やかな性格。皆ジャンニが大好きだ。そういえば彼は2週間ほど休暇をとって不在だった。何処へ行ったのだろう。この焼け具合からするとカナリア諸島辺りに違いない。と訊いてみたら、案の定カナリア諸島であった。この時期、カナリア諸島へ太陽を求める人はイタリアには沢山居る。以前フィレンツェで仕事をしていた時にもそういう人がいて、帰ってくるとこんな風に陽に焼けて帰ってきたものだ。休暇から戻ってきたばかりのジャンニは機嫌が良く、いつもより更にきびきびと働いていた。ところがふとした拍子に風向きが変わった。バールの客の誰かが政治の話を始めたからである。私はいつもこの話だけは避けているのだ。何故ならこれが始まると誰も彼もが興奮して、収拾がつかなくなってしまうからである。友人達との和やかな夕食会も、職場でも、それからこんなバールでは特にそうだ。誰かがとうとうと自分の意見を述べると、あっという間に討論会が始まってしまった。特に年配の人達はこの手の議題が大好きで、ジャンニも例にもれずその種の人間であった。彼らは決して怒っているわけではない。しかし傍から見るとかなり怒りが沸騰していて、ただ話しているようには見えない。口調が鋭く、声のボリュームもどんどん上がっていく。私はバールの隅っこに逃げ込んでことの流れを眺めていたが、そのうち誰かが、誰が良いとか悪いとかじゃない、つまりは俺達に選択肢がないのが問題なのだ、ときっぱり言うと誰もがそうだそうだと言って話がお仕舞いになった。私はほーっと溜息をついて話が丸く収まったことを喜んだ。ジャンニはそんな私と見て、大丈夫、僕達は決して良い争いをしていた訳じゃないんだよ、と陽に焼けた顔に笑みをたたえて私に小さなウィンクを送った。そうかしら。今日のはそんな風に見えなかったけど。私がそういうと周囲の年配の人達があははと声を上げて笑った。この土曜日、私は旧市街の、いつも歩かない界隈を散策した。日曜日から天気が下り坂で、ひょっとすると10日間ほど雨降りが続くと聞いていたので、思い存分楽しんでおこうと思ったからだ。旧市街の真ん中は人で一杯だけど、この辺りに来ると人は疎ら。昼時のせいもあるけれど、兎に角この辺りまでは旅行者は足を延ばさないからだ。天井の低いポルティコ。分厚い頑丈な壁。この辺りはボローニャの昔の匂いをそのまま残していると思う。何の彫刻も施されていない四角い頑丈な柱が並ぶこの辺りは、その昔庶民が暮していたのだろうか。大きなお屋敷は見当たらない。それとも私が知らないだけで、やはりこの辺りもまた由緒ある人達の暮らしの場だったのだろうか。少し行くと柱に新聞が貼ってあった。ボローニャ辺りはこんな風に道端やバスの停留所がある辺りに新聞が張ってある。しかも新聞は大抵政治のページで、通り掛った老人達が足を止めて読み耽っている。昔住んでいた界隈にもそんなバスの停留所があって、私はバスを待ちながら新聞に目を通すのが習慣だった。ある日知らない老人が隣に立って読み始めたかと思うと私相手に政治の話を始めた。ああ、どうしよう、この手の話はしたくないなあ。と、そのときバスが丁度来て幸いにも政治の話から免れたのであった。それにしても皆、政治の話が大好きだ。昔からそれは変わらないらしい。柱に貼られた新聞を眺めながら、思わず苦笑が零れた。