はてなキーワード: 精神疾患とは
世の中のメンクリサイトや本を読むと、精神疾患の説明ってだいたいこんな感じで書かれている。
• うつ病:
「何をしても楽しくない」「体が重い」「朝起きられない」「自分を責めてしまう」
• パニック障害:
「急に死ぬかと思うほどの不安」「心臓がバクバクする」「息苦しい」
• 「奇妙な言動」
• 「不自然な表情」
これ、本当に良くないと思っている。
少なくとも、私はこの説明文だけ読んでいたら病識には絶対たどり着かなかった。
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Twitter で「統合失調症の“まとまりのない行動”の典型例」として流れてきた動画がある。
エレベーターの前で、誰もいないのに外を何度も覗き、身を隠したり出たりしている人の映像だった。
それについて「思考のまとまりがない」と説明されていたのだけど、
私にはどう見てもエレベーターの外に“いるはずの誰か”を本気で警戒して、
• 本人の内側では
「そこに敵がいる」「監視されている」っていう一本筋の通ったストーリーがある
だから本当は、統合失調症って「まとまりがない病気」じゃなくて、
この世の雑多でバラバラな出来事を、無理やり“一本の意味のある物語”に
普通の脳は、世界の9割9分を「どうでもいいノイズ」として捨てている。たまたま聞こえた音、
全部忘れていく。
• 捨てるはずの雑音にまで意味をつけ始める
世界が「ただの雑多な世界」ではなく、全部が自分に関係のあるサインで埋め尽くされている世界に変わる。
外から見ると「話が飛んでいる」「行動が支離滅裂」に見えるけれど、本人の中ではむしろ過剰に筋の通った世界になっている。
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統合失調症の症状としてよく挙げられるのは「幻聴(誰かの声)」だ。
• 壁のシミや模様がぐるぐる動き出したり
そういう形で世界が変わっていった。
「覚醒剤様症状」と勝手に呼んでいるが、本当にそんな感じだった。
• 多幸感で満ち溢れる
そういうモードが、家の中を歩いているだけで突然オンになる。
さらにひどくなると、作為体験(させられ体験)が重なってくる。
• 首が勝手に振れる
• そのポーズで「丸・バツ・祈り」みたいに妄想上の相手と会話が進んでいく
• 外壁に腕を擦り付ける、自傷行為になる
• 防御もせずに後ろ向きに倒れて、実際に脳出血まで起こした
このへんの詳細は別で書いたけれど、とにかく体がマリオネット化した。
そのときの私は、「世界中が諜報している」「自分の思考が漏れている」みたいなストーリーを、本気で本気で信じていた。
今振り返れば完全に病気の症状なのだけど、そのときの内側では、
世界はバラバラどころか、あまりにも鮮明で、意味だらけで、一本の物語として完璧に“まとまりすぎていた”。
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こういう体験をしたあとで、一般向けの統合失調症の説明文を読むと、だいたいこう書いてある。
• まとまりのない会話
• 奇妙な行動
• 誰かに操られていると思う
いや違うんだよ、と思う。
• 「操られている“と思う”」じゃなくて、実際に体が勝手に動くレベルまでいったりする
• 「まとまりがない」のではなく、本人の中では過剰に筋の通った世界になっている
• その結果だけ切り取るから、「よく分からない変な人」の説明になってしまう
私は母親が統合失調症なので、一般の人よりは多少知識があるつもりだった。それでも、
なんて、どこにもちゃんと書いていなかった。
だから、世に数多あるメンクリサイトの説明文だけ読んでいたら、私は病識にたどり着けなかったと思う。
「私はここまでぐちゃぐちゃじゃないし、まとまりもあるし、声も聞こえないし」
で、終わっていたはずだ。
実際には、
かなり危険なところまで行ってから、ようやく「これはさすがに現実じゃない」「病気だ」と気づいた。
もっと早く、「中身の感覚」から書かれた説明に出会っていれば、と思う。
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理想の統合失調症の説明は、こんなふうに始まってほしいと思う。
・些細な音や出来事が、自分に向けられた“サイン”に感じられる
・ニュースや看板、広告、SNSの文字が、「自分への暗号」に見え始める
・頭の中のストーリーが勝手に組み上がり、なんでも自分と関係づけてしまう
・自分の体が、自分の意思ではない何かに動かされているように感じることがある
そのうえで、こうした「中身の変化」が続くと、外から見たときには
・話が飛んでいてまとまりがない
・奇妙な行動に見える
といった姿として現れます。
と説明するならまだ分かる。
でも現状は、「外から見た変な行動」だけが症状として切り出されていることが多い。
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自分のケースだけ見ても、
だからこそ、「変な人の特徴一覧」ではなく、
むしろ、雑多でバラバラな世界を、ぜんぶ自分に関係のある“一本の物語”にまとめすぎてしまう病気と表現した方が、当事者の体感には近い。
私自身、
を書き始めたのは、
「教科書どおりじゃない統合失調症」でも、「これは病気のせいだ」と気づいていいんだよ
というのも、私自身が「自分は統合失調症だ」と気がつけたのは、
教科書にあるようなぼんやりしたものではなくはっきり見える幻覚について書かれた体験談を、
なので、こういう話が、誰かの「違和感」や「もしかして」に届いて、もう少し早い段階で治療につながるきっかけになればいいなと思っている。
下の子(2歳の娘)にどうしても手がかかるので
6歳の娘は「ママは妹ばっかり見てズルい」と妬む
母と娘2人の3人で外出して遊んでも、やはり親は妹中心の対応になってしまうから、
冬休みは園に冬期預かりをお願いして
長女は「なんで自分だけ園に預けられるんだ」と思っている
今は体力残ってない。
長女も次女も殴り倒したくてたまらなくなる瞬間があるけどちゃんと理性を保って我慢してる
もし、私が3人目の子供を産んでいたら、林敦子や遠矢姫華のように自分の子供全員殺してると思う
林敦子も遠矢姫華も子供3人の面倒を見ることに疲れて自分の人生に絶望して殺したんだと思う
林敦子にいたっては、不登校の息子1人だけを、殺すならまだ、(決して許されることではないが)社会に適応できない息子に相当いらついてたんだなと想像できるが
よっぽど3人の子供に尽くすことに愛想がつきたんだろう
我が子にばっかり時間がとられて、自分のことが二の次三の次になるのも嫌だし
母親ヅラして、それなりに聖母のフリをして、子供がどんなに荒れてても私はあなたの味方ですよって態度取らなきゃいけないのつらい
子供1人育てているだけで限界が来て、精神疾患になってしまう、育児のキャパが子供一人分しかない母親だって世の中にはいる。子供1人でキャパオーバーの母親はあまり育児を楽しめないタイプなんだと思う
私のキャパは子供2人分だけ。なんなら、1.5人分くらいしかないのかもしれない。1人なら余裕があるけど2人でもうキャパギリギリか
林敦子や遠矢姫華の事件記録を読めば、私が子供3人産んだら、毎日毎日イライラして、ある日プッツンと線が切れて、彼女たちのように自分が産んだ子供達全員殺すんだと思う
WPATHファイルとは、2023〜2024年にリーク・開示された内部文書、メール、会議記録等の総称で、WPATH(世界トランスジェンダー健康専門家協会)が作成したStandards of Care Version 8(SOC8)の意思決定過程やリスク認識を示すものです。
■ 科学的エビデンス不足を自覚しながら未成年への医療介入を推進していたこと
内部文書では、「未成年に対する医学的介入(ブロッカー、クロスホルモン、手術)を支持する強固なエビデンスはない」ことが繰り返し言及されていたが、SOC8では強調されなかった。
内部議論では、鑑別診断・精神疾患の併存に関する懸念が挙げられていた
→ しかし最終的には「自己申告を尊重するアファーマティブモデル」が採用された。
■ 小児性別違和治療におけるリスク・不可逆性について内部的に大きな懸念があった
ブロッカーの脳発達への影響
性機能発達の不可逆的損失(オルガズム機能喪失、子供を持つ能力の喪失)
長期追跡データがない
にもかかわらず、外部には「安全性が確立している」と表現されていた。
SOC8で思春期ブロッカーやホルモン治療の開始年齢が事実上引き下げられたが、その根拠は内部的にも薄弱であった。
Cass Review(2020–2024)は、英国政府が委任した大規模な独立医学レビューで、
未成年のジェンダー医療を包括的に調査し、科学的根拠の評価を行った世界最大規模の調査である。
対象:
Tavistock GIDSの診療
Puberty Blocker / Cross-Sex Hormone のエビデンス
Cass Reviewは、未成年への医学的介入に関するエビデンスを体系的に分析し、次を結論づけた:
ブロッカー使用後はほとんど全例がクロスホルモンへ移行する → 実質的に不可逆的治療の導入
心血管リスク、がんリスク、性機能障害などが十分に解明されていない
■ 医学的介入が精神的健康を改善するという決定的な証拠はない
サンプルが小規模
コントロール群なし
追跡期間が短い
Cass Reviewは、多くの子どもが深刻な精神疾患やトラウマを抱えていたのに、十分な評価が行われずに医療介入へ進んでいたことを強調した。
具体例:
医療チームはこれらを深く評価せずに、「性別違和=性別変更治療の適応」とみなす傾向があった。
Cass Reviewは、現在普及している **Gender-Affirming Care(本人の自己認識を前提に医学的介入を進めるモデル)**について次のように批判する。
■ 子どもは性別違和の原因を自分で正確に認識できない場合が多い
発達段階ではアイデンティティは流動的
■ 医療者が本人の申告のみを基盤とするのは科学的でなく、危険
他疾患が見逃される
一度治療を始めると後戻りは難しい
Cass Reviewは、
と明確に言及した。
Cass Reviewは、若年期に治療を開始することで以下が不可逆的に損なわれる点を強調。
性機能の未発達
体格・骨格への影響
脳発達への未知の影響
Cass Review以降、
オーストラリア一部州
https://anond.hatelabo.jp/20251204174231
育児や家事の大部分はアウトソースできるし、そうした支援を駆使すれば負担がだいぶ軽減されるのは事実。でもそれが使えなくなる事情が往々にしてあるので、その理解もしてほしいなという感想。
子供は2歳だが、私のパートナーは社交不安症なので、家に家族以外の人間を入れることはできない。また不安が強いのでベビーシッターに子供を預けるのも難しい。今の保育園も最初は私が送り迎えややり取りを担当しつつ、相当時間をかけて先生方との信頼関係を構築してようやくいま、短時間の預かりができるようになっている。
それ以前は児童館もダメ、子育て広場もダメ、子供もの多い公園もダメで完全に孤立状態の子育てで本当に参ってしまいそうだった。
でも周りに相談すると、いろいろサービスを使えるのになぜ困っているのかが分からないという反応をされる。本人の不安の原因にもなるので、みだりに精神疾患のことを説明することも難しい。だから行き詰まってしまう。
アマプラが新作でオススメやでって執拗に表示してくるも2019年の映画?で評価がゼロ。この映画、何かヘン?と思って敬遠してたんだけど、まぁもしかしたらインディーの思わぬ拾い物の可能性もあるよなと思って視聴。
評価なし。
冒頭、日本での自殺者の5割以上が20~30代!精神疾患者の人数は500万人以上!引きこもりの数は140万人以上!みたいな煽りVが入って、アッ……となりつつも、まぁ、まだ可能性はあるからと思って視聴を継続。
陰キャボーイがYANKEEにボコボコにカツアゲされている。その後、その陰キャボーイが明らかに精神に何らかの疾患がありそうなおじさんにコーヒーをぶっかけて、この悪意の連鎖表現20回は見たな、あとカメラ安定しないなとなんだか身が入らない。
その後、幼稚園で「いもしない」モンスターペアレントの声が聞こえてきてしまうノイローゼ保育士が倒れるパートが入って、その保育士が鍼灸師の治療院で目を覚ますというジャンプスケア(誤用)。目を覚ますと鍼灸師はなんか自分を写真撮ってるし、もっと治療増やしましょうかとか言ってくるし、ブラウスのボタンの一番上は外れてるし、名刺を「本当のあなたに渡してください」とか言ってくるし超キモくて嫌な感じだなぁと思ったところで。
ギバーーーーーーーーップ!!!!ギブアーーーーップ!!!!!!!!!
もうず~~~~~~~~~~~っとカメラがグラグラしてるんよ。
酔うんよ。
登場人物と一緒にカメラが移動する時とか多少揺れてるとかはいいんだけど、完全に止め絵のときもず~~~~~っとユラユラユラユラしてるからマジで酔う。揺らしてるってよりは「揺れてる」んよ。不安定なんよ。三脚とかない時代に撮られた映画なん?Youtuberですら止め絵で画面揺れすぎないように頑張って撮影してるよ。
まぁ2019年、まだ手ぶれ補正のない時代だったのかな?2014年のiPhone 6には搭載されてたけどさ。
ちょっとした工夫で恐怖を感じなくなった、みたいな話を読んで、あまりにちょっとした工夫なので、
それは思い付かなかった、なるほど、と思ってしまった…😟
まあ、それでも大学や会社では対処できない可能性があるのだけど、
諦めていた症状を治す方向性も少しずつやっていこうと思ったのでした…😟
パニック障害っぽいものとか、広場恐怖的なのもそういう方向性が良いのかもしれない
そういえば、VRで歯科の台が出てくるだけのアプリを前に使ってみたのだけど、
自分も歯科に対する恐怖はある、治療するたびに冷や汗が出るのだけど、
先に言っておきますが、
「「子供を殺してください」という親たち」のような書籍を書いてる人達のことを調べましたが、
露悪的なことをメディアに書いて儲けたい、という意思が感じられます
そういう人たちに、親族がひきこもり状態の知的障害者です、精神障害者です、と病名を添えて相談すると、
「引き出し屋」のような人たちと同じ人種だと思った方がいい
藤子不二雄A氏のような、笑うセールスマンのような、露悪的なものを感じますが、
「子供を殺してください」のような書籍を出すジャーナリスト、それこそ、引き出し屋と結託、連携する、というのは悪質だと思っています…😟
既に医療の世界では、長期間ひきこもり状態にある人は、ほぼ何らかの精神疾患、もしくは何らかの事情がある、ということが明確に分かっています
それでも、寧ろ医療に繋げたがらないのは、まず、親が恥ずかしいとか、恥の精神、親族やご近所に知られたくない、そういう考えがある
それから、自分は子供を五体満足に産んだはずだ、精神障害、知的障害、発達障害があるはずがない!という親が正直なところ多いように私は思います
結果として、私は医師ではないので断定はできませんが、統合失調症のような状態で完全に無気力なまま家に放置したり、
病気として断定して良いのかは分かりませんが、件のように暴れる子供を部屋に長期間監禁したり、
そういった末に子供が亡くなった事件があったように思います…😟
今のような時代になっても、医療関係者も非協力的な人が多かったり、子供が暴れて困っていると訴えても、何もしてくれない、そういう医師、看護師、病院、福祉関係者、医療関係者、まだまだ多いと思いますが、
諦めないで、どこかの医療とか、協力してくれる福祉とか、そういった人たちに繋がってください
絶対やってはいけないのは、よくあるケースで考えると、まずカルト宗教のようなものにすがるとか、
引き出し屋に頼むとか、露悪的な文章を書いて儲けているような人たちに相談しないことです
医師や医療関係者は、もちろん悪質な病院等もあるにはありますが、医療事故があったりすれば、私たち患者は責任を問う権利があります
でも、相談してはいけない人たちは基本的に無責任な人たちです…😟
彼らは内心では「30年以上引きこもり、家庭内暴力を続けてきた兄」のような話を、儲け話とか、面白いコンテンツぐらいにしか考えていません
こういった問題で困っている家庭は、実は非常に多いのではないか、
実際は多いけど、上述のように、そもそも問題の子供の親が、現実を認めること自体にさえ否定的で、病院に行かない、福祉窓口に行かない、行っても塩対応で断られた、そういうことなんじゃないかと思いますが、
諦めないで、医療とか、福祉とか、公的なサービスや、できるだけ正規の医療の門を叩いてください
もちろん、変な医師、反ワクチンどころか現代医療を全否定するようでありながら医師免許はある?みたいな医師もいますが、
いずれにせよ、まずは常識的に普通の病院、普通の市役所の窓口に行ってください
塩対応されたら、市役所は別の市、というわけにはいかないかもしれませんが、
公的な別の保健所のような場所に相談窓口があるかもしれないですし、
病院は、それこそ日本全国、世界中にさえあるわけですし、まあ、それはそれで大変というか、やはり世の中、非協力的な人が多いという現実はあるのですが、
どうにか、詐欺とか、カルト宗教とか、変な売文屋みたいな人たちに相談するんではなくて、
普通の病院、普通の市役所にだって、大量の人が所属しているわけですから、
ひとりぐらい協力的な人がいるかもしれない
そもそも、「30年以上引きこもり、家庭内暴力を続けて」という時点で、十分異常です…😟
なんでこんな子供を産んでしまったんだ、という考え方で、結果として子供を殺すというのであれば、失礼ながら、異常なのは子供というより、寧ろ親ではないかとさえ思います
気持ちは分かりますが、とにかくちゃんとした医療を頼ってください
変な代替医療とか、宗教まがいとか、あなたの子供がおかしいのは前世に問題があるから、とか、そんなの嘘っぱちです
面白がるマスコミとか、ジャーナリストに相談しても、彼らは面白がるだけで、あなたたちの人生に責任を持った対応をしてくれません…😟
もっとも、精神疾患がある、精神障害者である、知的障害がある、と認められても、近年の厚労省の方針から、入院するな、自立しろ、訪問看護でなんとかしろ、
みたいになってきて、様々な問題が起こっているのも事実ではあります
ありますが、自分のような患者レベルだけではなく、多くの関係者、医療関係者からも疑問の声が上がっているわけで、少なくとも議論はされる話なわけです
開示されない限り匿名だから無責任に強い言葉を使うとかもあるが、その人のプロフィールが判明して無職とか精神疾患持ちとか犯罪歴ありとか中学生とかだとだいぶ見方変わるよね。
暗黙的に匿名の人を平均的な人ぐらいに起きがちだと思うが(少なくともそう見られてるから炎上が発生する)、ネットの炎上騒動に乗ってる人とはどういう人間かを想像することが一般的になれば炎上騒ぎ、というのは単に複数のよくわからない人たちがよくわからないことを言ってるくらいの認識になり、炎上することがさも問題であるかのように扱われることを防げるのでないか。
タイトルの通り。
知的障害は伴わなかったが、コミュニケーション能力は極めて低く、自分では周囲と同じことをしているつもりでもなぜだかいつも浮いてしまい、集団に溶け込めたことがなかった。
小学校や中学校の入学当初などは一時的にどこかのグループに入れてもらえたりするのだけれど、気付かない間に何かをやらかし、徐々に距離を置かれるようになり、友人だったはずの子たちは皆そっけなくなっていった。
体育も、遠足も、修学旅行も、運動会も、いつも孤立していることが恥ずかしく、それを誤魔化すのに必死だった。
他人と違う事、一人だけプロトコルが間違っている事が孤立する原因なのだと経験から学習したことにより、大人になるにつれて今度は過剰適応と言われる状態になっていった。
過剰適応とは読んで字のごとく、環境に適応しようとして過剰に言動を抑圧したりする事なのだけれど、常に人からどう見られているかに不安を抱き、緊張し続けていることによって、ただ学校へ行くだけ、会社へ行くだけで、ぐったり疲弊してしまうようになった。
何も難しいことなどないやり取りのはずなのに、「姿勢や表情は不自然ではなかったか」「もっと明るくするべきだったんじゃないか」「声のトーンや大きさもあれで良かったのだろうか」「おはようと言われたのは、本当におはようという意味なのか」「何か他のサインを見落としていたんじゃないだろうか」と、不安は無限に湧いてくる。
しかし、何か間違っていたとして、その答え合わせができることはない。
知らないうちに非常識だと評価され、知らないうちに信用を失い、知らないうちに疎まれるようになっている。
そうなってからやっと、自分がどこかで何かを間違えたことを知るのだが、それが何だったのかは永遠にわからないのだ。
そういう社会生活を送っているうちに、適応障害で体調を崩すようになって転職し、数年後、重度の鬱病となり、そこで初めて発達障害の可能性を指摘され、診断を受けた。
親は「納得がいかない」と言っていた。
多少育てにくいところはあったけど普通だった、障害があると感じたことはないと、そう言うのだった。
私はその言葉を聞いて、なんだかひどく落胆した。
中学の時も高校の時も会社員になってからも私はずっと「学校に行きたくない」「高校辞めたい」「もう全部嫌だ」「死んだ方が楽な気がする」と思っていて、それを親に思い切って打ち明けたこともあったはずだったのだけれど、親にはありふれた愚痴にしか聞こえていなかったのだと、その時やっと知ったのだった。
診断を受けてから、色々なことを思い出した。
家族の中でも浮いていて、特に父親からはうっすら嫌われていることを幼い時から察していたこと。
親族が顔を出す行事に兄弟が呼ばれる時、私には連絡がないこと。
従姉妹の結婚式に「あなたは出席しなくて良いからね」と言われたこと。
あ〜そうか、そうだったのか。
ましてや障害者なんて事になったら、ますます頭を抱える思いだろう。
だけれど、こう言うと子どもじみているけれど、私だって生まれたくて生まれたわけでなし、自分の存在を最初からなかったことにできるならどれほどいいかわからない。
住んでいる賃貸で死ねば大家や近隣に迷惑がかかり、公園で死ねばそこで憩う住民に迷惑がかかり、道路や線路で死ねば運転手に多大な傷を負わせてしまう。
川やビルで死のうと思ったがどうしても足が竦んだ。
本能的な恐怖と絶望感に涙をぼろぼろとこぼしながら死ぬのを諦めた時、赤の他人が何も考えずにセックスした責任を取るために、なぜ私がこんなに苦しまなければならないんだろうなとぼんやり思ったりもした。
そんな恨み言を言ったところで、高齢となった親を無用に傷つけるだけだとも思うので、それから約10年、家族・親族とはただ連絡を断っている。
私は現在の診断基準では知的障害を伴ってはいないが、対面の会話の際は言葉がろくにまとまらず、内面の表出はままならない。
デイケアで知り合った人は(日常生活に支障はないため、おそらく軽度の)知的障害がある人だったが、彼女と話していると、内面の思考(その思考の形が定型発達の人と同じであるとも限らないが)はあるのに、それを伝えられないもどかしさを強く感じ、その苦しさに共感する。
私たちは、生きているだけでいつも苦しい。
そして私はずっと死にたい。この社会が私のような者の存在を受容する余裕がないのはよくわかった。発達障害であるとわからなくても苦しかったが、わかった後はわかった後で、それでもどうにもならないのが苦しく、更には社会にある差別意識がはっきりと感じられるようになったのが苦しい。
発達障害もだけれど、発達障害に関連するさまざまな不調、不具合で毎日何かしら体調が悪いのも苦しい。歯科治療ができなかったために歯はボロボロだし転職を繰り返して経歴もボロボロだ。理解のある彼くんがいない代わりに精神疾患に偏見を持つ上司くんがいるので、うかつに通院のことも言えない。
ふとした瞬間というか、毎秒死にたいのを、抗鬱剤と精神安定剤ではぐらかしながら生活している。
いつまで続くんだろうね、本当に。
キチガイなりにただ過ぎゆく時間、功を成さない治療、減りゆく貯金に焦ってる
アホのキチガイなりに図書館で本で勉強し、福祉を学び、ネットで調べ(体験談や独自の治療術は玉石混淆)試行錯誤して生きてる
今日主治医に「精神疾患者向けに職業支援してくれる制度があるから使いたい」と言ったら
👨⚕️「体調が悪くならないように調節すること」
👨⚕️「あと増田さんは良いとされる情報に飛びつきやすいから気をつけた方がいい」
はい?
本で読んだ最新治療を使いたい(TMS)とか言ったことにもかかってるんだろうが…
納得いかない
なんとしてでも治したいし、状況もよくしたいからあれしたいこれしたいって言ってるんだろうが
うつ病のキチガイは一生家に引きこもって何もするな、仕事もするなってか?
でもそうはいかないだろ
増田が30代40代になって空白期間付きの精神疾患者として生きて行って、お前は責任取れるのか?
人生を取り戻したい人の努力、試行錯誤を精神科医がバカにするのか?
お前はいいよね、精神疾患辛いんです、メソメソ、薬ください、はい出しますね、でそれで稼いで飯まで食ってるんだから
増田が過労なのに色々やりたいと言ってて止めるなら分かるけど、過労でダウンしたこともないしもう何年も仕事に就いてない
今は若いと言われてるが、いつまで経っても若いわけじゃないのはよく知ってる
これまでは十分休んだ
だから、自分の足りなさを自覚して積極的に動かなきゃ行けないんだよ
それがなんだ、お前には「都合のいい情報に飛びついてる」ように見えるのか
家から近くて便利だったけど、良い加減堪忍袋の緒が切れた
子どもに言うことを聞かせるための(これも思い返せば躾の一環というより母の我儘を通すためのものだった)、例えば説得する能力だとか論理的に説明する能力が足りなかった。
そして口で子どもを言いくるめられないとわかった母は、殴る蹴る・飯抜き・怒鳴る・大切なものを壊すという手段を選び、幼少期の俺にはそれらの効果がテキメンなことを理解しそれを繰り返すようになった。
また母は生来コンプレックスが強く、いつも誰かの学歴や若さや自由であることをひがんでいた。そして同時に(守られる立場の)"子どもであること"にさえ嫉妬していた。
俺を自分のコンプレックスを代わりに晴らしてくれる操り人形にしようとしたし、俺が"子どもであること"にムカついたときは憂さを晴らせるサンドバッグにしようとした。
疲れた顔を見せると「自分がやるって言ったじゃん」とお決まりの文句を言う。
たしかに「やるよね?」とは聞かれて、「やる」と答えた。
そう言わないと、殴られたり蹴られたり「あんたのことを思っているのに! 恩知らず!」とヒステリックに怒鳴られる。
(どうしても嫌でずっと「やる」とは言わなかった時があった。母は自分の思い通りになるまで夕飯終わりから深夜にかけて、そして夜が明けてもずっと怒鳴っていた。眠そうな素振りを見せると殴られ起こされた)
こんなこともあった。
(俺が使っている)毛布を買い替えた方が良いと思って。
もう汚いでしょあれ。
新しいの選んで。
そう言った。
俺は嫌で、黙っていた。
母が汚いと言った毛布はあの頃の俺にとっては"あんしん毛布"で、家庭にも心休まる場所のない俺の精神にとってすごく大事なものだった。
それを替えたくなくて選ばずにいると、母はもういい!と怒って早歩きで駐車場へと向かっていった。
慌てて追いかけると、車が無い。
ここまで連れてこられた車が無い。
そのうちに店員さんに保護され1時間ほど経って母が帰ってきた。
にこやかに店員さんに「〇〇くん〜! 良かったー! はぐれちゃって心配したんだよ! 本当にありがとうございます!」と挨拶をし(外面だけはほんとに良かった。少し成長した後、周りの人間に毒母について相談しても信じてもらえず「甘え」認定されて終わった)、もう一度毛布売場に俺を連れて行った。
「毛布選んで。選ばないと今日から寒い寒いだよ。汚い毛布はもう捨てたから」
やるせなさにいっぱいいっぱいになった俺を『してやったり』という微笑で見る母の顔を今でも覚えている。
心はずっとぐちゃぐちゃだった。
(今は、少年期でも鬱病はあるという認知が広がっているらしいが、この頃[20年前]は少年期の鬱病はおろか精神疾患に対する偏見が今よりもっと酷かった)
母は一貫性が無い。
思いつきで俺を様々な方向へ行かせようとして、そしてそれに従わないと大人と子どもの差を利用して心をめためたに潰してくる。
そして、たまに甘やかすのだ。
「母は愛してくれていて、期待に応えられない自分が悪い」って感情と、
「この苦しみの元凶はこの女である」という本能という相対するものが頭の中を絶えずぐるぐると回っていてこの時期が人生の中で一番辛かった。
なんとか死なず(死ねずに。自死は何度か考えたが、怖かった。怖すぎた)に中学、高校と俺が成長していくにつれて、大人と子どもの差を利用できなくなっていった。
殴る蹴るは成長した男の身体には効かず、飯抜きもどうにかできるようになり、大切なものもあらかじめ隠しておくようになった。
またこの頃からインターネットやそもそも俺の移動範囲が増えて図書館等から毒親(まだこの名称は一般的では無かったと思う)や虐待に関する知識を得られて、前述の「この苦しみの元凶はこの女である」という本能に確信を持ち始めていて、母に抗うようになっていった。
(言い返せるようになったからといって平気になったわけではなく、言い返すたびにエネルギーの消耗は激しかったし、なにより虚しくひたすら悲しかった)
母はおそらく焦った。
そしてやはりそれを受け入れる資質が無かった。
高校3年生の冬、相変わらず母は毎日俺を"矯正"しようと怒鳴ったが(子の受験期よりコントロールを取り戻すのが大事なようだった)、俺はいっぱいいっぱいになりながら勉強を重ね、センター試験ではまあまあの結果を残し、県外の国公立大なら進学できるかもしれなかった。
だが(授業料等は自分でなんとかするにしても)、どうしても県外まで受験しにいくお金が無かった。
俺はここまで母への憎しみばかり記してきたが、この頃はまだどこかで『親は子を愛しているものだ』という偏見を抱いていた。
また高卒の母の息子が国公立大学に行くというのは、母のコンプレックスを代償として晴らすという点で目的が合致しているように思われた。
だから、金の無心をしに勇気を持って話し、そこで出願書類をビリビリに破かれた。
真っ赤な顔をしてボロボロと涙をこぼしながらわめいていた。
全然言うことを聞かないで。生意気言って。親の言う通りにしないで。
都合の良い時だけ頼るな。
もう良い。
働け。働いて今までお前にかけた金を返せ。
そう言った。
子どもがおままごとかなにかをしていて、最初は楽しぬ遊んでいたんだけれど思い通りにいかなくなったとたん、どうでもよくなってすべてめちゃくちゃにするようなことがあるけど、それを実の子の人生でやったのだ。
そうして少し落ち着いたあと、おそらく急に『人(子)の人生を壊した』ことに怖くなったのか「お前の人生だからな」と俺を突き放した。
上の記事のコメントで『体験を書いてみたら』というものがあった。
自分の境遇を省みる過程の中でネットにあまり虐待体験期は転がっていない(女性のものは時たま見かけるが、男のものはほんとに見ない。まるで存在していないかのように)のが気になった。
だからここに記してみる。
"同じような境遇の人がいるんだな"程度でも役立ってくれたらいいな。
僕の人生は、ずっと「弱さ」と付き合う日々だった。
学校でも社会に出てからも、人とうまく距離が取れず、どこにいても居場所がない気がした。
高校のとき、隣の席の女の子がプリントを落とした。拾って渡すだけの話なのに、手が震えて上手く渡せず、「あ、大丈夫です」と笑われた。
その笑顔が優しいのに、刺さる。
「あ、俺ってこういう立ち位置なんだな」と妙に実感してしまった。
その結果、家に帰ってやることといえば、誰にも見られない部屋で、無意味な自慰を繰り返すだけ。
満たされるわけでもなく、虚しさが積もるだけの習慣。
その後高校も中退し、精神疾患に翻弄されながらずっと非正規雇用で働いている。
そんな僕にも、人生で一度だけ“選ばれる”瞬間があった。
胸を張れるものなんて何ひとつない僕にとって、それは本当に最後のチャンスみたいに思えた。
周りからは “行き遅れ” なんて言われていたらしいけど、僕には眩しいくらいだった。僕なんかにどうして目を向けてくれたのか、今でもよく分からない。
僕みたいな存在は見捨てて、もっと明るい未来を選べたはずなのに、それでも僕のそばにいると言ってくれた。
それは救いというより、奇跡に近かった。
だけど幸せの中で、悩みがある。
子どもには僕の弱さを受け継いでほしくない。孤独と行き場のなさに飲み込まれる未来だけは、絶対に避けたい。
じゃあどうするか。
ずっと考えて、行き着いた答えがある。
圧倒的な「強さ」を持つ遺伝子に託す。
それだけだ。
もし、彼の遺伝子が妻の中に受け継がれたら——
きっと、僕には作れない未来を開いてくれる。
妻は、自分の中に流れ込む“強さ”を感じて、
僕はそのためなら、なんだってする。
大谷翔平が妻に激しくピストンする横で、僕は彼のためにシャンパンを開けて、グラスに注ぐ。
大谷翔平は礼儀正しいから、ピストンを一度止め、目を見てお礼を言ってくれるだろう。
彼は並々と注がれたシャンパンを一息で飲み干す。
僕はその圧倒的なオーラ、オスとしての自信に気圧されて、目も合わせられない。
でもその時、きっと確信する。
これが僕の役割だったんだ。
📌 結論
患者へのメッセージ配信(SMS / WhatsApp / 専用アプリ)
つまり、
Tさんが言っていた 「病院からLINEで動画と正しい情報を送れ」
↓
多くの病院に Misinformation Task Force(誤情報対策部門) がある。
やっていること:
つまり、
名称は Patient Education Center / Health Education Library。
やっていること:
アメリカでは
という考え方が徹底されている。
動画編集チーム
という構造ではない。
誤情報よりも
🔥 総まとめ(超短縮版)
アメリカ:
日本:
指定されたX投稿(https://x.com/pawapongASD/status/1991112661992702201)は、ASD(自閉症スペクトラム障害)当事者である@PawapongASDさんが投稿したもので、内容は以下の通りです:
> 「君は間違ってる」
> 「正しくはこうだ」
> 「悪いのは○○だ」
> ASDのコミュニケーションって、こんなのばかりになりがちだから気をつけようね。
この投稿は、ASDの特性が原因で、会話が批判的・防御的になりやすいパターンを自己反省的に指摘したものです。リプライでは、他のユーザーが「今まさにこれを喰らってました😅」と共感を示したり、「ASDにこのアドバイスをしても『気を付けるってどうやって…?』となる気がします」と実践的な難しさを指摘したりするなど、ASDコミュニティ内での共感と課題共有の文脈が見られます。このようなコミュニケーションスタイル(例: 相手の意見を即座に「間違い」と指摘し、論理的・事実ベースで訂正する傾向)が、誤解や対立を招きやすい点が、質問の核心です。
以下では、このようなコミュニケーションがASDのどの特性によって影響を受けやすいかを、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)に基づく診断基準を中心に、詳しく分析します。分析は、ASDの主な特性(社会的コミュニケーションの障害、反復的・制限された行動パターン)を基にし、脳機能の違いや実例を交えて説明します。なお、ASDは「スペクトラム(連続体)」であるため、個人差が大きく、全員に当てはまるわけではありませんが、傾向としてよく見られるパターンを焦点にします。
ASDのコミュニケーション障害は、主に**社会的・感情的な相互作用の難しさ**と**認知処理の偏り**から生じます。これにより、会話が「論理優先・感情後回し」になりやすく、投稿のような「訂正・防御型」のパターン(例: 「君は間違ってる」「正しくはこうだ」)が頻発します。以下に、具体的な特性を分解して分析します。
#### 1. **社会的コミュニケーションの障害(Theory of Mindの欠如と非言語 cuesの読み取り難)**
- **特性の説明**: ASDの人は、他者の視点や感情を推測する「心の理論(Theory of Mind)」が発達しにくい傾向があります。これは、脳の社会的脳領域(例: 前頭前野や扁桃体)の機能差異によるもので、相手の表情、視線、声のトーンなどの非言語的手がかりを即座に読み取れず、会話の「文脈」や「ニュアンス」を捉えにくいのです。
結果として、会話が「事実のやり取り」中心になり、相手の感情(例: 傷つきやすさ)を考慮した柔軟な表現が後回しになります。
- 「君は間違ってる」→ 相手の意見を論理的に「誤り」と即判定し、訂正する。これは、ASDの人が「正しさ」を最優先する認知スタイル(詳細論理的思考)から来ますが、相手の「自己防衛感情」を無視し、攻撃的に聞こえやすい。
- 「悪いのは○○だ」→ 責任を外部要因に帰す防御反応。ASDでは、曖昧な人間関係の文脈で「自分の非」を感じ取りにくく、論理的に「原因分析」へシフトします。これが、相手に「責任転嫁」と誤解され、対立を深めます。
- **分析例**: 職場で上司の曖昧な指示に対し、ASDの人は「正しくはこうだ」と詳細に修正提案しますが、非ASDの人はこれを「上司の顔を立てない生意気さ」と感じる。結果、孤立や人間関係の摩擦が生じ、二次的なうつ症状を招くケースも。
- **脳科学的背景**: fMRI研究では、ASDの脳は社会的推論タスクで活性化が低いことが示されており、感情共有が「知的処理」として扱われやすい。
#### 2. **制限された興味・行動パターン(こだわりと柔軟性の欠如)**
- **特性の説明**: ASDの人は、特定のルールや「正解」への強いこだわり(反復的行動)を持ち、変化や曖昧さに耐えにくい。これは、脳の実行機能(柔軟な計画・切り替え)の偏りからで、会話でも「自分の知識体系」を守るために防御的になります
「正しさ」を共有することで安心感を得る一方、相手の多様な視点を「脅威」と感じ、訂正モードに入りやすい。
- 「自分は悪くない」→ 自己防衛の強いこだわりから、会話で「非を認めない」パターン。ASDでは、感情の曖昧さ(例: 罪悪感)が処理しにくく、論理的に「自分は正しい」と結論づけます。これが、相手に「頑なで共感がない」と映り、信頼を損ないます。
- 「正しくはこうだ」→ 専門知識やルールへのこだわりが、会話の「指導モード」を生む。善意の訂正ですが、非ASDの人は「上から目線」と感じ、雑談が論争化。
- **分析例**: 友人との雑談で、映画の解釈違いで「それは違う、原作ではこう」と即訂正。ASDの人は「正確性を共有したい」だけですが、相手は「自分の意見を否定された」と傷つき、関係が希薄に。投稿のリプライでも「気を付けるってどうやって?」と指摘されるように、この特性は「意識しても実行しにくい」のが難点。
- **脳科学的背景**: セロトニン系やドーパミン系の神経伝達物質の違いが、ルーチン依存を強め、柔軟性を低下させる。
#### 3. **感覚処理の偏り(過敏/鈍麻)とストレス反応**
- **特性の説明**: ASDの約70-80%で感覚過敏(例: 騒音や視覚刺激への敏感さ)が見られ、会話中のストレスが蓄積しやすい。脳の感覚統合が偏るため、感情コントロールが難しく、防御的な発言が増えます。
- 全体として、会話の「不確実さ」がストレス源となり、「悪いのは○○だ」のような外部帰属発言で解消を図る。善意がないわけではなく、過負荷時の「サバイバル反応」です。
- **分析例**: 議論がエスカレートすると、ASDの人は感覚過負荷で「論理的逃避」(訂正連発)へ移行。結果、相手の感情を無視した印象を与え、誤解の連鎖に。
- **脳科学的背景**: 感覚野の過剰活性が、会話の社会的負荷を増幅。
これらの特性が絡み合うと、コミュニケーションは「論理的・直接的」になり、非ASDの「感情・文脈重視」のスタイルとミスマッチを起こします。投稿のようなパターンは、ASDの人が「正直で効率的」と思っている一方、相手に「冷たく批判的」と映る典型例。結果、孤立や二次障害(うつ、適応障害)を招きやすく、@PawapongASDさんのバイオ(50歳過ぎて診断、うつ経験)のように、大人期に顕在化します。
| 特性 | 典型的な発言パターン | 誤解の原因 | 例(投稿関連) |
| ------ | ---------------------- | ------------ | --------------- |
| 社会的コミュニケーション障害 | 「君は間違ってる」 | 相手の感情無視 | 訂正が攻撃的に聞こえる |
| こだわり・柔軟性欠如 | 「正しくはこうだ」 | 頑なさの印象 | 雑談が講義化 |
| 自己防衛・責任帰属 | 「自分は悪くない」「悪いのは○○だ」 | 責任転嫁と見なす | 対立のエスカレート |
この分析は一般論ですが、ASDは個別性が高いので、専門家への相談をおすすめします。投稿のような共有が、ASD理解を深める一助になるでしょう。
流石にそれはねーわ…😟
大学→大学院→なぜか芸能会関連→ソ〇ーの重役面接通過したのにバカな俺は断ってしまって→某ゲーム機ゲーム開発→某企業研究所→精神疾患でここから完全に人生が迷走
だったし、この10年で一貫して公私ともに取り組んでいたのはリアルタイム3DCG関連、OpenGL、Direct3D、ゲームやCAD、流体シミュレーションなど周辺技術なので、
結婚するにしても、まず収入ないと駄目だろ、そのためには何か専門分野を持たないと、と流石にバカな俺でも思うわけで…😟
あと、
いやいやいやいや…😟
いや、俺、伸び悩んでるなあ、みたいなことは何度もあったけど、受験勉強はスポーツと同じ、努力で突破口が開きやすい
でも、恋愛や結婚は努力が実ることはほぼない、ないと思った方がいい、理不尽極まりないのが人間のコミュニケーション
俺は正しい通信プロトコルを心掛けてるのに、相手が正常に応答してくれない、なぜなんだぜ???
見合いがどうとかは置いておくとして、基本、運の要素が強いもの、例えばギャンブルやパチンコもそうだけど、
理系人間は、努力が成立しなそう、予測が完全に不可能、観測し続けたデータから予測できな過ぎて全てが無駄に思えてしまう、
みたいな、all or nothing思考に陥りやすい、というか、理系というより俺が陥りやすい、だから努力を継続できない
ウシジマくんのニートくんがパチンコをやりながら、俺は小出しに、人生を賭けている、とか言ってた気がするんだけど、
まあ、パチンコとか一般的なギャンブルの勝率にそもそも問題があるものの、確率的なことで勝利するには賭け続けないといけない、当たり前だよね
だけど、受験も運の要素があるけど、例えば、出題傾向がある、そこから来年の問題を予想できる、努力するほど回答速度が速くなる、
受験はスポーツと同じだと思ってるんで、じゃあ、スポーツと恋愛が同じか?ってことだよね、俺は同じだとは思わないよ…😟
短い期間、自分にも彼女がいたことが何度かあったけど、ほとんどは女性の方から勝手に告白されて、受け身で付き合い始めて、
女性の方から、なんか勘違いだったわ…、みたいなことを遠回しに言われて、なんかこっちもちょっとムカッとして、じゃあもういいです、みたいな感じで終わる…😟
絵も音楽もやればやるほど上達を実感できる、
身体がまともだった頃は、水泳、スキー、自転車、ボクシング、色々やってたけど、どれも努力が実るんだよ…😟
でも、恋愛は無理、
恋愛成就を目指して、朝から素振りの告白100回!とかありえないから…😟
追記:
理系人間というか、俺が、高校で言うところの確率統計が苦手、嫌い、なのと関係がある気がしてきた
線形代数、微積、話がズレるけど物理、特に古典力学、有機化学は好きだった
英語が駄目なんだけど、これはできないと社会に出てから仕事にならんだろ、と中高から思ってたし、
実際、社会に出てプログラムを書くようになれば、ドキュメントは英語、3DCGは線形代数、微積、古典力学が完全に活きる、
というか、高校レベルでは足りないので、学部、院での追加の知識、
個人的にゲームセンターで稼働しているゲームを後ろから観察してアルゴリズムを考える、
それを家に戻って実装してみて、また考えるとか、そういう経験が活きてくる
あー、だから俺はデータサイエンスよりのことが苦手なんだろう…😟
もっとも、データサイエンティストという職業が持ち上げられるようになり、自分も重い腰を上げて勉強するようになり、
それなりの成果を収めたりもした、けど、まあ、苦手意識は変わらないなあ…😟
PythonのJupyter Notebookみたいなの、今は色々な種類があるじゃないですか
例えば、Pythonでループ書いて、例えば、粒子が重力と風の影響を受けます、みたいなコードを書きがちというか、
そもそも、メガデモみたいなのとか、ああいうのが好きなんだよね…😟
恋愛は理系的には確率、統計なんじゃないの?という意見なら、正解だと思う
だから、恋愛、結婚は理系的じゃない、という言い方は間違ってるな、と自分でも思った
あー、単に俺の苦手教科だったから、じゃねーの、なんなのこれ…😟
久しぶりに長く風呂に入ったというか、勿体ないけどシャワーとボケっとするを繰り返して長風呂してみた…😟
自分も風呂キャンセル界隈住人の自覚があるのだが、なるほど、やはりスッキリするものである
ウツとか精神疾患はクスリだけで治るわけもなく、尚更生活リズムを取り戻し、健康な生活をすべきであって、
そうしなければ治るもんも治らんわけで、
食事、運動、風呂、みたいにYouTubeで自分がそこそこ信頼できると思ってる医師が語ってたが、
人生ここまで来て思うのだけど、自分は若い頃からの不摂生というか、自分で自分を大切にしないところがあって、
基本的に人生を太く短く生きようとしてしまう人だったので、当然、今の身体状況はボロボロなんだけど、
なんだかんだ、ちゃんとした生活をしている人が、今も昔も同じペースで走り続けていて、
意外と天才肌の人でも、天才って短命のイメージがある、good die young、ジミーヘンドリックス、そういうイメージがあるけど、
逆に超健康にこだわっていて、特に歯の健康に異常に執着している人とかいるけど、
そういう人の方が、天才でありながら、今も長期ランニングのような人生を実現できているわけで、
自分は若い頃、高速道路の星というか、暴走して、どこかに派手に衝突して、華々しく散るのが人生だ、みたいに思ってた節があるのだけど、
アラフィフになって、ボロボロの身体精神になって思うのは後悔でしかなくて、
最近思うんだけど、受験勉強って陸上競技とかに似てると思ってて…😟
100m走をやりたい、と思ったら、とりあえず部活とか入るじゃん
俺は自分で完全に自己管理できるし、自主練習だけでできるから、部活入りません、って人はなかなかいない…😟
仮に部活に入らないでも、まったく無所属の人間が自分で届け出て大会に出れるとしても、
自己管理で、ひとりで朝練して、ひとりで夕方遅くまで練習する、
効率的、効果的プランも自分で建てる、ってのは難しいわけよ…😟仲間もいないし…
同じように、塾に行くってのは部活動に参加するようなものだし、
スポーツに明け暮れた他に楽しいことがなかった青春でも良いという人もいるし、
それが嫌という人もいるし…
多分、あなたは部活動に参加しなくても、一人で孤独に練習して、自分で大会登録して、出場して、良い成績を収められちゃうタイプなんだと思う…😟
でも、自分は自己管理できないし、仲間というかライバルというか、誰かが横で頑張ってるのを見ないと、
なんだかんだ、塾に行ったのは良かったと思ってる。
高校受験は中3の1年だけだけどね…😟
大学受験は、高1から代ゼミみたいなところにちょくちょく講義を受けに行ってしまったけど、
正直、アレは本当に無駄だったと思っていて、勉強よりもっと面白いことにお金を使えば良かったと思ってる。
自分は地方国立大の理系、現役合格ではあるけど、そんなに頭は良くない。
別の某大学院に院試で合格したので、関東から関西に引っ越して、そこから国立の研究所にインターンしたりしてたけど、
芸能界みたいな所で働いたり、
更にドロップアウトして、中小零細ブラック企業でWeb開発したりして、
フリーランスになってもうまくいかず、現在に至る、なんか自分でも酷い履歴だな、おい…😟
俺も地頭が良ければ、自己管理がしっかりしていれば、塾に行かなくても、自分でペースメーカー、ペースメイキングか?できるんだろうけどねえ…😟
でも、塾に行ってたのは、トータルで考えると、集中して行ったのは中3の1年のみで、
高1~3は、ちょくちょくというか、ダラダラ通うようになってしまって、完全にお金の無駄だったと思う…😟
予備校の課題に完全に追いつけなくなって、課題をやらないまま講義に出席、当然予習してないから、その場で理解できない、
仕方がないので録音する機械を買って、カセットテープに講義をこっそり録音して、家でやるようにしたんだけど、
だから、高3は寧ろ予備校はそこそこに、参考書を絞って、同じ参考書をボロボロになるまで繰り返すことにして、
でも、当然参考書の内容と、実際に出る試験の内容の乖離はあるわけで、
色々試行錯誤した結果が、地方国立大レベルでした、残念!という…😟
そういえば、慶応SFCも受けましたよ、スーパーファミコンですよ、
なんか、考えるというより、計算問題みたいなのがいっぱい出た記憶がある、自分の年は…😟
凡ミス繰り返してて、あれも散々だったわ…