はてなキーワード: ナイーブとは
x.com/dusqkrqkr/status/1864188276791497166?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
やっぱり民主主義を下克上に翻訳した国らしいね ! 市民に向けて銃を向ける軍人··· そういうのが正しいと思う国だからカミカゼとかも出てくるんだよね? サムライ精神ってことかな? 素敵だね!
x.com/2erosamdasu_0/status/1864179621752918137?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
x.com/t8732020634189/status/1864201119783649434?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
早く割腹しなさい
x.com/nonnono896493/status/1864197362442490157?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
軍事クーデターと軍事独裁を経験したこともなく、それによってどれだけの殺傷者が発生したかも知らない戦犯国の副産物しかない島国の猿どもは民主主義に言葉をかける資格すらない。
x.com/o0onee/status/1864196031493361846?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
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x.com/iam_gudokgirl/status/1864194864130478557?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
こんなツイートにハートが5.6万個も付いてるんだからわかるわ。
こいつらが作るジャンプの少年漫画では、武力と体制に順応せず自由を勝ち取るシーンがたくさん出てくるけど、全てが偽物だった。
x.com/duckzil12/status/1864192932208951750?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
x.com/nomoreghost_ac_/status/1864191297629655319?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
韓国は兵士が市民を撃ち殺したのは数十年も経っていないので、そのようなことが再び起こらないようにするための行動である
そして、あの女性は元ジャーナリスト、今は政治家であり、自分が何をしているのかあなたよりずっとよく知っている 🤬🤬🤬🤬🤬🤬 無闇に言わないでください
x.com/babosnail/status/1864190749706997915?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
日本が戦犯国を足がかりに現在まで経済的好況を享受できた理由は、日本が強者に無条件に服従しようとする敗者マインドで固く結束して形成された国だったからだということを忘れていたね。
x.com/bingbing1025/status/1864188296890601803?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
x.com/soft__crab/status/1864187743989084564?s=46&t=vmjfatU8tSj_awNs-Ks1eQ
先に言っておくが自分は林鼓子さんのファンで、この文章に誹謗中傷の意図は一切無い。出演作や歌唱曲は8割方履修済であるし、イベントにも参加している。もし誹謗中傷に見えてしまったのならそれは自分の表現の仕方の問題であるので予め謝罪しておく。
そもそもALT及びALT芸ってなんぞや?という人のために説明。ここで言うALTとはXにおいて画像に追加テキストを付与する機能のことで、X曰く「目が不自由な利用者も含め、多くの利用者が画像を理解できるように説明(代替テキストとも呼ばれます)を追加できます。 簡潔にすることをおすすめしますが、画像の前後関係をよく理解できるように画像の内容を正確に説明してください。」とのこと。ちなみにこの文章は初めてALT機能を使用する際に必ず表示される。そしてALT芸とは主に声優やアイドルなどの間で蔓延る文化で、イベント終了後にアップする自撮りや共演者の画像にイベントの感想(その多くは140字を超える長文である)を綴ったALTを付与することが一例とされる。これはALTの本来想定されている用途とは異なったものである。
本題。今回の炎上の経緯は以下の通りである。彼女はイベント終了後、いつものように感想ALTを付与した画像をポストした。するとそのポストに「ALTは感想を載せる場所ではなく音声読み上げ機能を活用した画像説明を載せるアクセシビリティです」と指摘する引用が付いた。その引用を受けて林鼓子さんは「ALTも書いたらいけないのか。」とポスト。そのポストには彼女を擁護するファンのリプライが多く寄せられ、指摘をしたアカウントには誹謗中傷が飛び交う。その後林鼓子さんは「ALTも〜」のポストを削除し、謝罪や弁明をすることもなく普段通りのポストを再開した――。
まず前提として、ALTを本来の用途と異なった使い方をすることについては悪ではないと私は考えている。このような用途が蔓延っている現状はX側の機能の実装の仕方と周知の怠りの問題であり、その責任をユーザーに求めるのは酷であろう。ALTとは別に画像にコメントを追加する機能の実装や、ALTを付与した画像をポストする際に毎回確認画面が表示されるなどの対策を取れば現状は大きく変わると思われる。そのうえ、ALT芸を行っているのは林鼓子さんに限らずその他多くの者にも言えることなので、そのことで彼女だけが批判される筋合いはない(もっとも、例のアカウントは普段から他の声優のALT芸にも苦言を呈していたようだが)。
この件の問題は別にある。まず問題なのが、「ALTも書いたらいけないのか。」というポストだ。このポストからは感情が読み取れず、彼女がどのような想いで言ったのかは不明である。しかし、客観的に見た時にこれが"指摘をされて不貞腐れている"と捉えられてしまうことは避けられないだろう。しかもその指摘自体は言いがかりであったり誹謗中傷であったりするわけでもなく、淡々と事実を説明しているものであった(もう少し優しく言えというのも一理あるが)。最近の彼女は多忙などの要因でストレスが溜まっているように見えたとか、指摘の内容をただの言いがかりだと勘違いしたのかもとか、擁護することもできるがあのポストが悪手であったことは間違いない。あのポストは結果的に指摘したアカウントへの誹謗中傷を扇動することになっていた。もちろん誹謗中傷を投げかけるファンのほうが悪いのだが、影響力のある人間として言動に気をつけるべきだったと言わざるを得ない。
次に問題なのが、この件をポストの削除によって無かったことにし、無言を貫いていることだ。扇動によって誹謗中傷を受けている人がいるという事実、そして障害者といったナイーブな話題に関わる問題であることを無視して放置しているのはあまりにも不誠実ではないだろうか。ただ、このことは彼女の意思によるものなのかは不明だ。炎上が始まった時点で事務所やマネージャーに相談しているであろうことは容易に想像できるし、それらの人間の判断でこの選択を取っている可能性も高い。それに、炎上をした際は無言を貫くのも一つの手だというのは理解できる。今のインターネットでは一度炎上するとその後謝罪をしようが何を言おうが批判は寄せられ、むしろ更に燃え広がる場合もある。しかし、そのことを念頭に置いたうえで、今回の件は無視するべきではなかったと思う。もしこれが事務所の判断であるのならば、事務所には今一度考え直してほしい。
長々と書いてきたが、実のところ林鼓子さんの心配をしているとか、全肯定オタクの存在を憂いているとか、目が不自由な人への配慮の広がりを望んでいるとか、そういった感情は建前なような気がしている。自分がそこまで善良な人間ではないことは自分が一番知っている。恐らく「このままだと嫌いになってしまいそうだから謝罪か何かをしてとにかく俺を落ち着かせてくれ」という利己的な感情が心の底にあるのだ。そんなことを強制する権利は自分には無いと分かってはいるが、どうか祈ることだけでも許してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20241116184931
これを書いた者ですけど、斎藤知事の選挙違反疑惑が噴出してきて困惑してます。
SNS戦略で斎藤さんが圧勝したとかの分析を読んで、「まあそうなのかな?僕の感覚がおかしかったのかな?」って思ってたのですが、さすがにこれは…。
かわいそう派とか、陰謀論者とかのレベルじゃなく、選挙違反の疑いがあるネット工作を嬉々として詳細に語るPR業者が出現するとか、どう考えてもおかしい。
地獄のようです。
ナイーブだと言われるのかもしれませんが、僕には日本の民主主義へそれなりの信頼があったのです。
地方自治レベルで、しかも地元でそういう信頼が掘り崩されてしまったのは本当に残念です。
元記事でふれた、ヒースの本には「政治・経済・生活を正気に戻すために 」って副題がありますけど、今の時代、政治領域で正気を保つのは相当に困難なことなのかもしれません。
ここ数年で、AIツールを使わないプログラミングに苦痛さえ感じる体になってしまいました。
IT分野におけるAIの活用は必然の流れだと思うし、その結果仕事が奪われる未来も議論するまでもなく、近い将来に控えていると思っています。
同じ考えのエンジニアは少なくないはずです。
ところが、別の分野、特に絵の世界になると、ご存知の通り、凄まじい対立構造が生まれています。
毎日のように、X上で激しいバトルが繰り広げられているわけです。
というのも、IT分野でのAI活用とは、文化としての背景が大きく異なりまして、非常にナイーブな問題ではあるのでヒートアップも致し方ありません。
ただ、その対立は、私のように外部からその流れを観測している者からすると、
不勉強から自らの価値を過信し、本来の「師」という言葉からは程遠いにも関わらず自らを絵師と呼ぶ厚顔無恥な人間と
誰かが作ったクリエイティブにただ乗りし、ランダムなパターンをひたすらガチャすることをクリエイティブと勘違いしたあまりに厚顔無恥な人間
両者の声が非常に大きく、互いに感情に任せ罵り合う、あまりにも稚拙で生産性のないものに見えてしまうのです。
ですから、冷静な情報が全く得られていません。感情論に寄りすぎず、AI絵に対する意見を知りたいという欲だけでこの日記を書いています。
前置きが大変長くなりましたが、以降、AI絵に対する意見を書きますので、ぜひ両者に反論いただきたいのです。
今更、中立な意見など書けないので、あえてAI絵師に寄せて書いてみます。
人が絵を描く時、意識をしていないにせよ、必ず「考える」という作業が発生します。
この「考える」という作業はこの議論において、非常に厄介です。場合によっては、あたかも本人の頭の中から、無から全てが出てきたように思えるからです。
これが「絵師」が「AI絵師」を叩きたくなる要因の一つです。自身の完全なるオリジナル(と思い込んでいる)創作物を他者にパクられてしまえば、誰しも怒りたくなるものです。
ところが、実際には「考える」は無から有を生み出す行為ではありません。単に、これまでの「経験」から結果を導く推論です。
この「経験」とは、一般に努力とも捉えられるかもしれませんし、学習とも捉えられるかもしれません。
そして、厄介なことにこの「経験」もまた無意識下に行われることがあります。顕著なのが、人の絵を見て模倣してしまうことです。
模倣のレベルは場合によって異なります、意識的に模写することもあるでしょう。模倣するつもりがなくても似てしまうこともあるでしょう。レベルが違えど、無意識下で影響を受けていることを否定できる人がいるでしょうか?
生まれてから外界の情報を遮断し続けた人がいたとして、ペンを渡すだけで、いわゆるアニメ絵を描けるでしょうか?
結局のところ、人の創作の大半は大量の「経験」をもとに「考えて」作られたものなのです。
だからこそ、普遍的に愛される素晴らしいものなのだと思います。
(あくまでベースとしては)こちらも大量の画像を学習させ、疑似的に「経験」を行います。そして処理する、すなわち「考える」ことで画像を生み出します。
とんでもなく大量のデータからの学習ですから、一つ一つの絵の結果に対する影響など微々たるものです。もはや、出力結果に対して、一人の絵師の絵の学習など、「無意識」に近いのです。
あえて乱暴な言い方をすれば、もはや人と同じではないですか。
こういう乱暴な言説を唱えると、当然、「AIは勝手に学習してるんだ」というお怒りの意見が来るでしょう。
ただ、それは人も同じです。
アニメを見て、きれいな絵だなと思った。その瞬間無意識下では「経験」として変換されているわけです。それに対して、誰も勝手に絵の参考にするななんて言わないですよ。
この話の難しいところは、いわゆるキャラデザと画風で話が微妙に異なるところです。
(反AIの絵師の方がパル〇ールドを随分楽しそうにプレイされており、大変驚いたのは本筋とは異なりますが面白いエピソードとして記載しておきます。)
では、画風は?
知り合いのデザイナーは、お客さんから某監督風の絵でと言われて、そのとおり納品したそうです。
客側の問題は置いておいて、こういった依頼があることは想像に難くありません。中には表現技法として、客からの依頼ではなく、自ら使う人もいるでしょう。
絵師の皆さんは、ことAIになると、キャラデザも画風も似ていればアウトと判断します。
これは、どうなのでしょうか?
AI絵師でも、追加学習し、完全に同じものを目指しはじめればそれは叩かれるでしょう。
絵師でも人の絵を無断転載しオリジナル発言をすれば叩かれます。
AI絵師でも、明らかに特定の絵に似せたものをクリエイティブ発言すれば叩かれるでしょう。
こいつらは、きもいのです。
冗談はさておき、AIなどというツールはあくまで道具であり、うまくそれと付き合い発展させていくことが、必要なわけです。
きもいやつらと全体を同一視し、感情にまかせ議論していては、生産性がないと思います。
リベラルをセルフアイデンティファイする人たちが、ノンリベラルなインディビジュアルをバカにすることがあるけど、そのアティチュードにはちょっとカルチャーショックを受ける。
リベラルって、本来はトレランス、エンゲージメント、そしてミューチュアルリスペクトを基盤にしたバリューセットじゃないのか?
でも、オルタナティブなビリーフを持つ人を「イグノラント」とか「ナイーブ」とか言って、まるでセルフアサートがアブソリュートに正しいみたいにジャッジしてくるのは、どうもアンフェアに感じる。
セルフビリーフが正しいとコンビクションするのはフリーダムだけど、他者をディスることでセルフバリデーションを図るのは、リベラルのコアバリューとディスコネクトしている気がするんだよな。
「マジメ」な事をマジメな顔して言うとヘンな奴と思われてしまうかもしれない。社会生活の中でのそういう気付きが、心の柔らかい部分に気恥ずかしさという感情で鍵をかけてしまう。
それを経ているからこそ、抽象化された普遍的でナイーブな混じりっ気なしの言葉がスルリと入り来んで刺されるのかもしれない。友達とのバカ話なら軽く流されそうな、口にするのも躊躇してしまうような言葉が。
歌詞にそういうセオリーがある事に割と最近になって気がついた。ジャブで崩してからストレートを入れるような。
最初から「人生は情熱が全てなんだよ!!!」とだけ言われてもあんまり響かない。お前に何が分かんだよって。
出かけるには遅くて寝るには早い、悶々とするばかりの時間とか。通勤ラッシュでもカッコつけて席をガツガツ取りに行こうとはしないけど、足踏んどいてイヤホン着けたまますまし顔の奴にイラつきながら座っときゃ良かったって思うとか。
そういう言葉で生活の重力や怠惰や嫌気を綴ればガードが緩む。コイツも自分と視座を持っているのかって。そうなって初めて、それでも、それでも、と奮い立たせる言葉が輝く。
あんまりそういうテクニックめいたものに意識を向けると冷めてしまうものもあるし、どうなんかなとも思うけど。
これを悪用するとインターネットの悪口にもなるんだよなって思う。
歩くの早そう。チーズ牛丼食ってそう。誰にも反応されないTwitterで独り言い続けてそう。滝沢ガレソバカにしてればいいと思ってそう。
陰気だからとてチーズ牛丼って言うほど食わないと思うけどな。子供舌とかそういうこじつけ方をしたいのかな。あれは言葉でなくイラストに引っ張られてんだと思う。
そうやってガードを緩めさせた隙に社会性がないだのザコだの好き放題罵倒すらば、「図星」でなくともダメージを与えられてしまうのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20241018010542
コレのつづき。
反応とか見て、気付いたことか含め書いてくよ。
・N=1の話は話半分で聞いとけ、書いたが、育児ハックが存在しない、というわけでない。
育児ハックを行う際、前提条件が個別に違うので、全員に共通ってのを1人の経験から出すのは難しいため、育児ハックには前提条件含め捉えることが大事、という話。
話半分で聞いとけ、のもう半分は育児ハックを行う上での前提条件だよ。
前提条件が無いと、コレやりゃ出来るだろ、できないのはそっちの努力足りないんじゃない?感や、前提条件側に多大なポイントあるのにそこ書いてない時点でお前分かってないやろ、というが出てしまう(本人の意図関わらず)ので、反感を買ってしまうのだと思ってる。
育児ハックは、どんな状況か、どんな子どもか、など前提条件がセットでないと、信用が落ちがち。
(本来ならハック全般に言えることなんだけど、育児ハックを求める人は育児で精神をすり減った状態/経験があって読むものなので、ここらへんの反応がナイーブになってしまう。それを仕方ないな……と思えるかどうかも、大変さを身を持って体験した育児サバイバーなら理解できるはず。その理解の差が分断を生んでる気はしてる。)
N=1じゃ当てにならないならどうすんねん、ってのが前の記事で多くあった反応だったと思ってる。
N=1じゃない信頼できる情報なら良いんですよ、ということで、NHKのすくすくシリーズの情報がかなり良い。
司会のパパママ芸能人2人と、参観のパパママ子どもたち、育児の専門家や産婦人科小児科の先生等専門家2人。
参観のパパ・ママからの質問や悩みに対して、芸能人の意見だけでなく、多くの子どもや親を見てきた専門家2人がそれぞれ違う意見を言ってくれるのが良い。
https://www.nhk.jp/p/sukusuku/ts/DNYRMZW5Q1/
そもそも放送時間に合わせて観るのも、録画してみるのもだるすぎる。
すくすくシリーズの放送内容を書いてあるサイト、すくコムがオススメ。
気になることは、だいたいここで調べれば、比較的最新で、ちょうど良いバランス感の情報が良い感じに出てくる。
育児を男性目線でありつつも、寄り添ったコメントくれるので、かなり参考になるんだよね。
https://www.sukusuku.com/contents/search?keyword=%E5%A4%A7%E8%B1%86%E7%94%9F%E7%94%B0
暇があったら覗いてみると良いかも。
・子どもを育てる上で、一番大事なのは兎にも角にも、死なせないこと。あいつらマジで何やっても死にそうになるので、それを防ぐことが一番大事。
ひと昔前、Anotherというホラーアニメがあったが、日常のなんてない行動で人が死ぬシーンは、ホラーを通り越してコメディだろ!というツッコミが入り、Anotherなら死んでた、というネットミームが生まれた。
アレがリアルで起きそうな現場に遭遇するのが子育てだったりする。
2番目は聞き分けが良く頭が良い子なのだが、その一方でとにかく好奇心を抑えることができずワンパクで運動神経も良かったので、何度も危機に遭遇した。
ポップコーンをノドに詰まらせて息ができなくなり上下逆さまにして無理やり取り出す、トイレに両足を突っ込んで入って遊ぶ、大人が手を伸ばして届く高さがある棚をボルダリングの要領でよじ登り天井近くまで登る、会社から電話がかかってきて数秒目を離した間にプールに飛び込みうつ伏せでプールに浮く……数え切れない死にかけエピソードがある。
死にそうになってる→気づいて対処、のリードタイムが短くて、死ぬリスクが高いやつはできるだけ事前に潰す。その他気付いて対処しやすいやつはある程度諦めないと、こっちが病むのでほどほどにしとく。
・ピーナッツの豆類は気管に入って死ぬことがあるので絶対に注意。気管に詰まる系のやつは結構気づきにくい。その他口に入るサイズのもの全般注意だが、食べ物でない口に入るサイズのものは飲み込まず、飴のように口にいれたまま遊んでるので案外大丈夫だったりするので、あまり気を遣いすぎなくても大丈夫だったりする。でも、歩きはじめはやたら転ぶので、勢いで飲み込むリスクがあるから、やっぱり注意で。(ポップコーンはどこかでもらった小袋のやつを上の子が食べてるのをつまみ食いした時に起きた。完全に油断。)
本当にヤバい時119に連絡すると、救急の人が電話で対処を教えてくれる。
対処後は、ケロッとしたいつも通りに戻るのだが、救急車は念のため家まで来てくれた。
血中酸素濃度など色々診断し、問題無いということで、すぐに帰っていった。
・乳児の段階だと、うつ伏せで寝てたりすると、口などが塞がれてそのまま窒息死する、というのが昔からある。
うつ伏せの方がよく寝るので、仕方なくうつ伏せにしてしまうのだが、それを察知して対処するのはかなり難しい。
うちの子らは、もう諦めて定期的に様子をみてたのだが、保育士をしてる僕の母から、ベビーアラームなるものを教えてもらった。
保育所で使ってるらしいが、買うと一万円近くするので、買えないまま過ぎてしまった。
うちの子らは、気合いで乗り切ったが、プロも使ってるという点で機械で解決するのもありなのかも。
・バリケードで子どもが出入りできなくするのを2番目までちゃんとやってたが、2番目のあまりのワンパクぶりに、3番目以降はもう諦め、バリケードは使わなかった。
結局のところ、危ないものは子どもに届かないようにしておけば、バリケードは無くてもそんなに困らなかった。
むしろバリケードがあると、そこにお宝がある!!と勘違いをし、バリケード突破RTAが始まるので、どっちが良いのか分からなくなってしまった。
バリケードをしたい危ないものの代表格に階段はあるが、なんやかんや子どもはどんなに小さくても危機察知能力が多少はあるので、派手に登っても、危ない降り方はしないので、案外怪我とかはしない。したとしても数段踏み外すくらいで済む。どちらかというと、登った先で降りられずに泣いて騒ぎ、迎えに来い、とアピールすることの繰り返しが面倒か否かが問題だったりする。
・テレビでもYouTubeでも何でも良いが、なんやかんやで動画は子どもの機嫌を良くするのに非常に便利。子どもの資質にもよるが、動画が無い環境だと、機嫌が良いときも子どもに誰かがついていないといけなくなる。
上の子がいると良い、みたいな話がよく出るが、上の子は動画と同じく機嫌が良い時に遊ぶ相手でしかないので、機嫌が悪くなれば上の子に関係なく親が世話しないと落ち着いてくれない。
上の子を動画見せずに根気よく育てた家庭は、2人目以降滅茶苦茶、楽になりそう。
動画見せてる家庭は、言うほど変わらない。
1人目は図鑑を眺めるのが好きだった時期があり、それが続いていればなんとかなってたが、続かなかったので、動画の世話になった。結局のところ、子どもによる。
カバーはラバーやシリコンの衝撃に強いやつじゃないと、落下回数が多すぎてマジで壊れる。
機嫌が悪いとき、意図的に机の物を落とす時があり、それで結構ガンガンやって、1台駄目にした。
スマホスタンドとかでタブレットを立てて見ていたが、子どものタッチの勢いが強かったりすると、変に倒れて揉めるので、近くのホームセンターで買った安めの書見台をタブレットのスタンドに使っている。
YouTubeを長く見てると、幼稚園に入る前後あたりから、マイクラの動画を自然と見るようになる。
前はヒカキンからマイクラを知ったが、最近はちろぴのからマイクラを知ってる気がする。
ヒカキン、どの子もあの声とあの顔に滅茶苦茶反応してたので、ヒカキンはアンパンマンに近い存在なのではないか、と思い始めてる。
3Dゲームなので、視点の移動と、操作キャラの移動、などやることが地味に多く、最初プレイするにはマイクラはかなり難しいゲームなのだが、それ以上に好奇心や興味が勝り、結局年少の終わり頃にはクリエイティブモードでは自由自在に作れるようになる。
そうなると遊びの幅がぐっと広がり出すので驚く。
元々YouTube kidsの動画で、おもちゃを使ったごっこ遊びの動画を見て、ある程度真似をするのだが、マイクラを覚えると、レゴやその他ブロックで、建物や乗り物などを作る能力や想像力が鍛えられ、ジオラマセットをブロックと人形で作って遊ぶようになる。
ブロックやごっこ遊びだけでなく、動画を元に色々な遊びを見つけて、自分でやりだす。
幼稚園で親子でブロック遊びをするイベントとかあると、単純に四角をつくる子どもが多い中、凄い立体物つくる子どもは、だいたいマイクラにハマってる子どもだったのである程度再現性はある気がしてる。
……ここまで書いて疲れてきたので、いったん区切り。
子どもが泣くことに対して、親がある程度許容して上手くやってく話とか、風邪への立ち向かい方とか、色々書こうと思ったのだが、迷子のまま何書くか分からず力尽きてしまった。
やる気が出れば次もまた書こう
大いに盛り上がり安田講堂前に集った人々からはインターナショナルの合唱も起こった。
インターナショナルを歌ったことについて危惧されても、「共産党(共産主義)は関係ない」「労働歌を歌うことは自然」などなど、活動家から激烈な反発があった。
活動も6月に比べてほとんど盛り上がらず。活動家に勧誘できる人は勧誘しきった状態だったから、活動には本腰は入らんのはわかる。
これじゃ6月の活動は単にインターナショナル歌いたかった連中が集っただけじゃねーか。
本気で値上げ阻止したいなら政治に突っ込むべきだし、その知恵も人脈も十分にある連中が何やってんの。
そう言えば6月の時、東大自治会が組織上共産党から切れていることをもって、「東大自治会は日本共産党から完全に独立してて影響下にない」って意見も多く見たな。
ナイーブなことで。
生きる実感とか情熱とかそういうのを求める気持ちって、実際にそれを手にするか追い求めてるか、そうでなきゃ蓋でもしない限り一生まとわりつくんだろうなって思う。10代だろうがそこをとっくに過ぎようが。
でもそれときちんと向き合えるバイタリティある人間って実はそんなにいないのかもしれない。働き始めでもしたタイミングで、余裕のない中で自然と忘れてしまうもんなのかもしれない。そうやって曖昧に忘れていると、少し余裕が出てきた頃にまたぶり返してしまうのかもしれない。それこそが中年の危機というやつなんだろうなって思った。こんな言葉が存在するくらいにはそういう連中も珍しくないんだろう。
その歳になって初めてそんな悩みを抱えるなんて、それまで何考えて生きてたんだ?そういう事抜かす奴は?って今まで思ってたけど。
自己実現とかそういう話題を「そんな思春期じみたナイーブな悩み!」とか強く毛嫌いする奴に限って、案外同族嫌悪なのかもしれないなって思った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20240920/1726843365
これをヨイショするってことは
法華狼の基準とやらが
寄り添うのと随分と違うんだな
すっかり鳴りを潜めましたあん気取り乙
「ナイーブ過ぎると認めるべきだと思うよ」いまいずこにおわす?
結果にミエナイキコエナイ或いは悪し様にみなして踏みにじってヨロシサンダルォ
罷り通る世界線でマラサイ天秤気取っていたりはするまいねちらほらぞら…
それは転落斜面の屑天秤じゃあないのか?
バーリトゥードを出したり引っ込めたりではなあ