はてなキーワード: まだ子とは
ノヴァクが序盤から嫌いだった。惨い拷問と殺しをしているところがめちゃくちゃ嫌い。こいつが無理すぎてアニメを見るのを辞めようか何度も悩んだほどだった。
最新話、ついにノヴァクが死んだ。こいつは最期まで醜い男だった。自分の人生にヤケになって教会を放火して人間2人を刺し殺した。その内1人はまだ子供。頭おかしすぎるだろ。刺し殺した子供であるドゥラカは、処刑騒動前のヨレンタとほぼ同じ年齢じゃないのか?刺す瞬間娘のことが過らなかったのか?
チ。のアニメ最新話の感想がXのタイムラインで流れてきたのだが、ノヴァクに同情したり憐れむ声がポツポツ見受けられて理解できない。まぁ人それぞれ自由に意見を持つのは当然ですけど、ノヴァクが殺人と拷問を繰り返してきたシーンを忘れたのか?!とつっこみたくなる。娘を思う御涙頂戴シーンで全部吹っ飛んでいったのか?つーか最期まで都合のいい幻覚見てるのも気持ち悪いんだよなこいつ。
ファミコンで平面的だったゲームはSFCで擬似的な立体機能が実現して、まるでゲームの世界に入っているような興奮を覚えた
まだ子どもだったしね
しかしその感覚は続いていて、大人とも言える大学生になってもプレステ2の進化に震えるほどの感動を覚えたんだよ
しかしそのあたりで就職してしまい、そこから先は傍観者になってしまった
YouTubeで最近のゲームを見ていると絵や動きはどんどんリアルで美麗になっている
でもそれだけの感想で終わる
結局昔からあるゲームのマイナーバージョンアップというか・・・
FPSはDOOMを派手にしてボンバーマンよろしく対戦機能を加えたような感じ
(あ、マイクラは既存のゲームのセンスや技術を組み合わせたイノベーション的に新しいゲームだと思いました)
ゲームってどんなに描画がリアルになっても昔から受け継がれている伝統的な固定視点を脱しないと進化したように感じないのかも
格闘なら人が左右に別れて闘う視点とか、FPSなら画面中央のプレイヤー(あるいは自分の手だけが映る)を中心に動く視点とか
ムービーシーンや格闘のエフェクトとかを別として、自分でパッドを動かすメインのプレイ画面は昔からの視点のままだもんね
Youtubeを見ているだけだとそこが昔と変わらなくて「絵が綺麗になっただけ」の感想になってしまうのだろう
じゃあ過去はどういう変化があったんだよという話だと
例えばジッピーレースなどの上から平面的に見た視点がOutRunで擬似立体になりリッジレーサーで3Dになったとか
スト2から生まれた格闘ゲームがVFへの進化で動きやカメラワークが立体化したとか
他にもスペランカーから(途中相当すっ飛ばして)バイオハザードに至り、奥行きの表現が進化したとか(別にアローン・イン・ザ・ダークでもいいですよ)
なんだ最後は全部ポリゴンの話じゃねーかってオチだけど平面的な視点がどんどん立体化した歴史について語っており
PCゲーのスター・ウォーズとか線だけなのにリアルに感じた(家庭用ゲーム機でいうとネタにされがちなバーチャルボーイの世界)
この先はもうレディ・プレイヤー1のようにヘッドセットをつけて自分自身が全身で動き回るようなデバイスが登場しないと広く世間がビックリするようなゲームは誕生しない気がする
ヘッドセットのゲーム機はすでにあるから酔わないようにしてメガネ程度の大きさにするとかブレイクスルーが発生してものすごいスピードで革命が起きればいいのにな
いやいやゲームの進化なんて必要なタイミングで生まれるのであり
とか
お前の感性が死んでるだけ
という指摘は正しいと思ってます
でも「だけ」で終わりのなかしら
結婚する前の夫はこんな振る舞いはしなかった、というよくあるやつ。見抜けなかった私に落ち度がある。幸いまだ子どもが居ないし、私はフルタイムで働いてるから、少しまとまった資金を貯めて何かしらアクションを起こせたらなと思う。すぐに離婚に踏み切れないのは共通の友人が多いとか、結婚生活を始めるにあたってまとまった金額を使ってしまったとか、まぁそんな感じの当たり障りのない理由。
別にいつでも誘ってくれてもいいんだよね。ただ応じることのできないタイミングが確実にあって、断ったときに不機嫌になって欲しくないだけ。週末はどう?って聞いたり、端折ったけど口でしようか、とか本番ができないなりに提案したりしてる。それが不十分だと言われたらどうしようもないけど。
自分語りであれだけど、私は運動部だったからそういう道にはいたよ。だけどそれはキツい練習とかのやりたくない事の先に、上達の実感や、勝った喜びを仲間と分かち合うという嬉しさがあると知ってたから。就職や労働もそうで、苦しみの先に苦しみを打ち消すくらいの対価があると分かっているから、やりたくない事もやらせてくださいと言える。だけど私にとって今の夫とのセックスは、部活と違ってやりたくない事の先に喜びが残らないどころか恐怖があって、身の危険を感じることすらある。前は身体のしんどさをペイできるくらい精神的な充足感があったのに。怖いことを怖くないと自分に言い聞かせて、心を麻痺させている感覚がある。
正当な理由なく、単純に私の気分が乗らない時に誘われたら断らない。断ったほうが面倒なことになるから。だけど終わったあと、やっぱり夫が不機嫌になってもいいから断ればよかった、とも思ってしまう。で、正当な理由があるときに断って不機嫌になられて、あぁ、嫌々でも応じればよかったと後悔する。
自分でも矛盾してるなぁと感じる。やりたいか、やりたくないかの二択を迫られた時に、どうしてもその場しのぎの選択肢を選んでしまうことが多くなった。
物を投げつけたり、ドスドスと足音を鳴らして室内を歩いたり、こちらを見て大きな溜め息を吐いたりするのが不機嫌の表れでないなら何なのか教えてほしい。断り方自体は「ごめん今日は生理だから難しい」「明日は早いから週末にしない?」「体調が悪いから寝かせてほしい」くらいの口調で断っている。
僕は今、講演会のホールのエントランスで入場の順番待ちをしている。
セラミックの刃は金属探知機にも検知されないだろう。ギプスに偽装している得物は誰にも見つからない。
「飯山さん、ご無沙汰です。うちの市でも先生の講演会を開いていただいてありがとうございます。楽しみにしておりました。」
飯山さんからは左腕の骨折についての調子を聞かれ、小気味よく事故の失敗談をでっちあげて笑い話のように話した。
警備員もこのやり取りで怪しむことなく、荷物もギプスも入念に調べることなく入場を許してくれた。
僕が幼いころ、元総理や現役総理の暗殺や襲撃事件が続いたため、この手のイベントは入念な警備がされるようになった。
だから、近しい地方議員のつてを頼って『先生』に近づくために、この市に越して熱心な支持者を数年間演じてきた。
飯山県議の選挙、地元小選挙区の議員の選挙にもボランティアで協力した。
『先生』は隠居をしているが依然党内での発言力は高い。そういったチルドレンたちが国政、県政問わず多くいるのだ。
ついにこの時が来た。積年の恨みを果たすときが来た。
『先生』はよく話を聞いてくれて、実際に困りごとの解決を真摯に考えてくれる。
善人だと思った。
ただ、当時の改革の音頭を取ったのが誰なのかを考えれば行きつく先は『先生』なのだ。
『善き制度こそ、持続可能な医療の礎』 講演会入口に張ってあるポスターを見て、持続のための犠牲になった妻のことを思い出していた。
青天の霹靂だった。妻の体を進行性の病魔が蝕んでいた。
当時、お互い若く将来起こる病気など気にも留めていなかった。もっと早くリスクを考えておくべきだったが、病が発覚してから入れる保険などないのだ。
まだ子供は生まれていなかったが、子育てと住宅の資金をためて、マンションの購入もした。人生設計を考え始めたばかりの、そんな折の悪い知らせだったのだ。
医療制度は国民皆保険を死守するため、高額医療費制度から手を付けた。
高額な医療費がかかった場合に、上限を超えた分の医療費が戻され負担が軽減される制度だ。
増税と同じく、一度手が入ればだんだんと負担を大きくすることに政府は抵抗が無くなる。
今後の治療のプランを聞かされたが、到底負担額は払えるものではなかった。
二馬力で働いていた家計は一馬力になり、一馬力分の負担がさらにかかるのだ。
心配かけまいと笑顔を作っていたが、妻の前では見透かされてしまう。
「今回は赤ちゃん諦めなくちゃだめだったけど、私まだあきらめてないからね。ちゃんと勝って3人、いや4人で、もっとでもいいけど住もうね」
僕は、「そうだね」としか言えなかった。
妻も、負担額が多大になることは知っている。あえてそのことを考えないようにしているようにみえた。
もちろん民間医療保険も入っていた。入院費の幾ばくかは給付金でまかなえている。
医療費の支出が減るということは、病院は収入が減るということだ。
健康保険で賄えない人が諦めることが増えたので収入が減ったからかもしれないが、診療報酬が改定され、医療費が上がった。自己負担率も上がっているので以前よりも負担が大きくなった。
そして、この状況をカバーするために民間保険も様々なプランを出してきた。
だが、以前の健康保険のように民間保険が給付金を出せるわけでもなく、細かい条件で給付を渋ることが常態化されるようになった。
妻が入っていた民間保険ではこの病魔のカバーはしてくれなかった。
普通の商品なら金額が上がれば買わない選択肢はできるが、生活必需品ならそうはいかない。需要が見込まれれば殿様商売ができる。
そして命は誰もが何よりも変えがたい。貧乏人は殺して、金持ちからお金を取る、究極の殿様商売ができるのだ。
僕らはどんなにクソでもクソにしがみ付かなければ生きられないのだ。
「ところでさ、親父から聞いたんだけどさ、今後も安心して治療を受けるためにさ、形だけなんだけど」
ズルや不正を嫌う妻に正面切って言うのは辛い。『形だけ離婚をしてくれないか』
そう言いたいが言えない。
離婚をして収入が無くなったていで生活保護を受ける。医療費を無料にする。庶民が最終的にやる手段だ。
「…いわないで、貴方の妻でいさせて…」
察した妻が先に言ってくれた。
「いや、形だけだよ。生活保護に頼ってさ」
「違うの……私は貴方がいないと一人なんだよ。分かるのもう長くないって……だから貴方の奥さんのまま死にたいの」
『生きるためには…』そう否定の言葉を言いたかったが言えなかった。
婚姻届を出したとき、その帰り道ささやかながらおいしい料理を食べた日のことを思い出した。その日の思い出を解消するかのような届け出は出せない。
ほどなく、自宅療養になり、つかの間の平穏な日々を二人で過ごし、そして僕は独りになった。
妻は持続のために生贄にされたのだ。
「ごめんね。もう少し長生きすれば長生きできたのにね。」妻は独り言のように僕に謝った。
「なんだよそれ。」
僕はナンセンスな文章をジョークのように軽く笑って聞き流した。
だが、心の底では笑えなかった。
そう文字通り、『長生きすれば、より長生きできる権利が得られる』のだ。
後期高齢者まで長生きできれば、負担金も少なくもっと長生きできる権利が得られたのだ。
こんな世の中にしたのは『先生』一人ではない。だが生贄だって復讐をすることを教えてやる。
善いという言葉が頭で木霊する。
妻が旅立つ数日前だ。
「私ね。生まれてよかった。貴方と会えたこともそうだけど、世界が綺麗だってわかったから」
「綺麗なのか?」
多くを諦めさせられてきた妻からそのような言葉が出るとは思わなった。
「そう。キラキラしている。健康な時は気づかなかったけど、引いてみるとみんな善いことをしようとしてるってことがわかったの。善意であふれているのよ。だからね。絶望しないでね。世界は善いところなのよ。貴方には幸せになってほしいの。」
妻が愛した世界を僕は恨んでいる。
『先生』を殺したら、その愛と決別することになるのではという想いが急に胸にいっぱいになった。
だが、落とし前は付けなければならない。
でなければ生きさせて上げられなかった僕の心が救われない。
悲鳴、警備員の緊張感ある声、飯山さんのなだめるような混乱しているような声がする。
次第にそれらの喧騒は遠くなり、首に当たるセラミックの冷たい感触と、
妻の「貴方には幸せになってほしいの」という声だけが聞こえるようになった。
僕は「もう手遅れだよ」と呟くしかなかった。
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。
増田妻の存在を1mmも認めていないから精神ぶっ壊れそうになってるんやで。
情緒が安定していて料理をしっかりこなす妻は増田が作り上げた理想の妻や。増田はその理想妻しか見ていないんや。増田妻という存在は、減点方式で採点された虚像であって、増田妻は存在を否定されながら生きているんや。
人は自分が承認されないと生きていけんのやぞ。増田の子供と一緒や。何かできたら褒めるやろ?存在を認めてあげるやろ?増田子供の『ある部分』を褒めるやろ?もし、増田が子供に対しても『ない部分』しか見ていないのなら、それは精神的DVやで。
増田はな、できる夫やない。ただの自己中心的なやつや。自己中はな、他人の価値観を許容せず、自分の評価軸で生きているやつが自己中なんや。増田は多角的な視野があって自己中ではない、と勘違いしているかもしれんが、視野が広いやつは他人を許容する優しさがあるんや。
どやどやとは「男子高校生がふんどしと足袋だけ身につけたほぼ裸の格好でうろつく祭」だ
男の先生とかも同じ格好してる
コロナの時期に3年中止していたが今は復活
この寒い時期にほぼ裸でうろつくが、裸でもみくちゃになった体は熱を発し、裸のおっさんが若者たちに冷水をぶっかけると湯気が生じるのがウリだ
まだまだ子供っぽいガリガリの子、十分鍛えられて腹筋が割れ腕もムキムキな子、ぽっちゃりな子、色んな子がいる
若者たちがやるのは上空からばらまかれるフダの取り合いなのだが、会場が長らく工事中なので会場の前でやっててちょっと趣がない
ぷりっぷりの高校生の肌やむっちりしたおっさんの肌をいっぱい見て元気が出た
福娘はきれいな独特の着物を着て正月だけエビス神社に使える巫女さんのようなものだ
無料で撮り放題の存在だったが、今年からは撮影禁止になってしまった
男成分はどやどやで大量にチャージできたが女成分が足りない
サザエさんのキャラクターを強さ(存在感や影響力など)でティアランキングにまとめました。
---
Sランク(最強)
---
Aランク
---
Bランク
---
Cランク
---
Dランク
---
備考
このランキングは、キャラクターの性格や家族内での役割、影響力などを総合的に考慮したものです。サザエさんの世界では、キャラクターそれぞれが独自の魅力と強さを持っており、家族やコミュニティの中で重要な役割を果たしています。
原作では最終回を迎え、アニメも終わって、そこで終わるかと思ったら世界中で人気が続き、今年新作アニメするくらい人気が続いてる
アニメで声優変えたりしてリニューアルして約20年、まだまだ子供達に大人気。視聴者層は何世代交代したんだろう
連載終了したのに人気ゆえにまた再開し、アニメも第三期が作られた。なんだかんだで連載開始から30年経ってる
あと一つは?
(追記)
何度も書いてるやつ
ほっぺにチューもそれが性的な意味合いを持つなら世界的に該当なの
『わたしもう16歳なのに保守的な親がキスシーンで目を隠す』とか投稿されて
『車を運転出来る年なら問題ない。両親は隠すのではなくセックスについて話し合うべき』
倫理観が死んでる日本のコンテンツ業界は『BL』と『少女マンガ』は良いエロとして平然と垂れ流してるけどな
しかもエロは垂れ流すが意識高い親のみが性教育するだけで子どもの性教育は社会や成り行きにぶん投げ
あとパブリッシャーパワーでゴリ押ししてAppleのレーティングをガン無視してるけど
海外じゃ17+でもそのままじゃ配信出来ない日本のAppたくさんあるぞ
というか、海外を例に出すまでもなく、まともなご家庭は、子供も発達状態に合わせて性教育をします
お前ら子どもが出来る過程をいつ知った?(https://anond.hatelabo.jp/20210630183036#)
> 小学校の道徳で精子が雌の体内に入って受精すると子どもが出来ると学んだ。じゃあ、どうやって体内に入るのか。疑問になって先生に聞いたが適当にはぐらかされた。なので俺はずっと> 精子というのは汗のように分泌されて、共同生活してると偶発的に雌の体内に入るのだと思った。
> 高学年のクリスマスに親から人体について解説した本をもらった。そこに子どもが出来る過程が描かれていた。勃起した男根を女性器に挿入し前後することで受精すると、イラスト付きで解説されていた。
それを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
下記は、ORCという団体が運営するアスペルガー向けの性学習きっかけのためのサイト。
交際をはじめる前に伝えるべきこと、ときめきや片想いをどうしたら良いか、デートの最中やセックスの最中にすべきこと・してはいけないこと、
セックスをいつするのかなどが説明され、簡易な学習理解テストも付いている。よろしければ参考にどうぞ。
性的に露骨な素材とポルノ
性的に露骨な内容には、芸術的または教育的ではなく、エロティック(興奮)を目的としたセクシュアリティを説明または描写するものが含まれます。
これには、ビデオ、写真、または書かれた物語が含まれる場合があります。
性行為に従事している実在の人物が含まれる場合もあれば、性的要素を含む漫画やアニメの場合もあります。
プライベートな事柄をプライベートに保つ(非公開にする)
多くの人は、ポルノや性的に露骨な内容について非常に不快に感じます。それは物議を醸す私的な活動であるため、多くの人が口にしないテーマです。
多くの人が性的に露骨な素材を見たり使用したりしないことを選択していますが、現実には、自慰行為などを容易にするために利用する人もいます。
あなたが性的に露骨な素材を使用することを選択した場合、そのような資料は非公開にする(プライベートに保つ)ことが重要です。
- 公共の場所(たとえば、学校の携帯電話、映画館、公共図書館のコンピューター)で、性的に露骨な内容の資料を閲覧しないでください。
- 自分のものではないデバイス(学校のコンピューターなど)で性的に露骨な内容を表示しないでください。
- ポルノのウェブサイトを見終わったら、コンピューターで開いたままにしないでください。
- ポルノを見た後、共有コンピューターの検索履歴をクリアすることを検討してください。
注: 性的に露骨な内容は一般的に非公開にする必要がありますが、不快な思いをした場合は、質問したり、サポートを求めたりすることができます。
混乱したり不快になったりした場合は、信頼できる人(家族、セラピストなど)と話すことはいつでも大丈夫です。
例:
自閉症スペクトラムの18歳のアダムは、自宅のバスルームで性的な写真を見るのを楽しむことがあります。これは個人的なことなので(プライベートが保たれているので)大丈夫です。
ただし、アダムはポルノ写真を背景画像として携帯電話に保存することがあります。
アダムの家族や彼の知人がこれらの写真を見たとき、彼らは恥ずかしくて不快に感じたそうです。
ポルノと実生活
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
ロマンチックまたは性的愛情の公開展示
ロマンチックな愛情や性的な愛情を公に示すことは、それが予期されていなかった場合に、多くの人々を不快にさせます。
たとえば、キスはセックスではありませんが、他の人がキスするのを見ると、不快に感じる人もいます。
これは、学校、職場、家族など、性的ではない状況から知っている誰かが、予期していなかったときに
ロマンチックな方法で誰かにキスしたり触れたりするのを見た場合に特に当てはまります。
「メイクアウト」(いちゃつく)したり、連続して何度も相手にキスしたりすると、見物人を不快にさせる可能性があります。
同様に、頬にしかキスをしていなくても、二人がとても近くに座っていたり、どちらかが相手の膝の上に座っていたりすると、
例:
ダニエルと彼のガールフレンドのナオミは、ある夜、友達と夕食に行きました。
夕食時、ダニエルとナオミはとても近くに座って、頬と唇に何度もキスをしました。
ダニエルとナオミの友達はこれを見てとても不快で恥ずかしい思いをしました。
彼らはその夜ダニエルとナオミと過ごす時間を楽しんでおらず、次に夕食に行くときに彼らを招待しませんでした。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
社会に丸投げする前にそれぞれのご家庭でセックスについて話し合おう
(自宅で寛ぐ母親の元にポルノ女優と男優が訪ねて来る。困惑する母親)
女優「あなたの息子さんが色々なデバイスでわたし達のことを観てるの」
女優「わたし達のビデオは大人向けなんだけど、あなたの息子さんはまだ子どもでしょ?」
女優「わたしたち(ポルノの中では)性同意の話とかしないものね。いきなり始めちゃうから」
女優「そう!」
ガシャン!
突然のポルノ俳優の来訪に気づいた少年は驚きのあまり皿を床に落とす
女優「はーい!マット」
母親「(落ち着いて、サンドラ) (どうしたらいいかわかっているでしょ)」
母親「(固まっている少年に向き直って)じゃあマットそろそろ話をしましょうか」
母親「ネットで見るものと現実のお付き合いがどう違うか。良いとか悪いとかではなくて (“No Judgement”) 」
ナレーション:ニュージーランドでは多くの若者がポルノでセックスを学んでいます。
ナレーション:“リアルが大事” 相談は政府のこちらのサイトまで
Keep It Real Online - Pornography
https://www.youtube.com/watch?v=6c3Edm8NdGs
https://www.keepitrealonline.govt.nz/
今年の8月ごろにYoutubeで期間限定で公開されていた『僕らの七日間戦争』を観た。最後に観たのはまだ子どもの時でいつだったのか思いだせないくらい昔だったので内容はおぼろげにしか覚えてなかった。
この物語の背景にある管理教育のような問題は(自分もそうだが)おそらく多くの人にはもう無関係なことになっているだろうし思想的に改めて共鳴するようなところはなかったが
映像から伝わってくる昭和の匂いは懐かしく、そして今の日本の風景とは地続きのものだとは思えない異世界のような感覚だった
そして宮沢りえは物凄く可愛くてオーラを感じた。この映画にこんなかわいい子出てたの?嘘でしょ?という感じだった。子どもの頃の自分は宮沢りえの可愛さにまったく気付けなかった。
今年の出来事だ。上から呼び出され、一部の女性社員への態度が好ましくないとして、口頭で注意を受けた。
俺はそんなつもりはないし、しかし実際そうであることも自負している。
だからこれは愚痴だ。ここぐらいしか書けないから、ここに書いている。
俺は今30で、二つ年上の姉が居る。
自分で言うのもなんだが、俺は容姿に恵まれているといえるだろう。
小学生の時でさえ毎年バレンタインにはいくつもチョコレートを貰い、その際に数人から告白されることが何回もあった。
でも小学生のときには少なくとも自分はまだ子供で、異性と付き合うといったことがどういうことか分からなかった。正直それほど興味も沸かなかった。
友達と遊んでいた方が楽しかったし、女の子と付き合うといったことにまだワクワクすることがなかったんだ。
姉とは仲が良い方だったと思う。でも姉は俺とは全然似てなくて、小太りで眼鏡をかけており容姿としては正直優れているとは言えなかった。
性格も地味で、姉が家に友達を連れてきたような記憶はない。今でいうオタク気質で、引きこもり系だったのだと思う。
性格も見た目も似てないから友達にはよく「あれ、ほんとにお前の姉貴か?」なんて聞かれたりもした。
両親は共働きで家を空けることが多く、夏休みなんかは友達の家でよくご飯をごちそうになった。
でも、今でも忘れもしない。本当は忘れたいのに忘れられない。
昼過ぎ、その日は友達と遊ぶ約束をしてなくて暇にしていて俺はベッドに寝転んでゲームをしてた。
すると部屋のドアがトントンってノックされて、誰?って言ったら「私」って姉の声が聞こえた。
それから一方的にドアを開けると姉が部屋に入ってきて、俺は携帯ゲーム機から顔を上げて姉を見た。
少し様子が変だったんだ。なんだか妙に顔が紅潮しているというか、少し息が上がっているように見えた。
姉は何も言わずに俺に近づき、ベッドに乗ると俺を押し倒してきた。
最初え?え?ってなって、携帯ゲームを落としたことが気になったけど姉はまったく気にしない様子で俺の手を拘束しようと抑えつけて、顔を近づけてきて間近で俺の顔をじっと見つめてきた。
目は血走っているように見えたし、怖かった。姉ちゃん?って声をかけても姉は何も言わない。
それから次に俺のズボンを無理やり下ろし、俺のものを口にくわえた。
いきなりのことに訳が分からず、俺はただ恐かった。
姉は俺のものが勃たないことが不思議なのか不服そうな表情をすると口を離し、俺のものを手で擦り始めた。
俺は嫌だったし、痛かった。でも少しずつ勃ってくると要領を得たように姉は手を緩め、揉むように俺の陰茎を擦って勃たせていった。
勃起すると姉は笑い、おもむろにスカートを上げると下は何も履いていなかった。
俺は終始抗おうとしたが姉は中1で、力では叶わなかった。
姉は笑みを浮かべながら自分の陰部を俺に当て、滑らすようにしながらゆっくりと俺のものを中に入れた。
騎乗位の形で姉はゆっくり腰を動かした。はぁはぁと姉は少しずつ息を荒くした。俺は泣きそうになって半ば泣きながら止めてと何度も懇願した。
実際どれぐらいだったかは分からない。しばらく腰を動かし続けると姉は満足したのか俺のものを自分から抜き、それから何も言わずに部屋を出ていった。
夜、夕食のとき、家族団らんで食卓を囲んで食事をするときの姉に変わった様子はなく、まるで昼間の出来ことなんてなかったようにしていた。
俺は何もかもが恐かった。当然両親にだって言えなかった。恐かったという思いはもちろんあるが、それ以上にこれを口にしたらいけないのだと本能的にそう思った。
もし口にしたら壊れる。家族が、今のこの家庭が崩壊してしまうって、幼心ながら本能的に理解していたのだと思う。
それから夏休みの間、両親が居ないときを狙って姉は度々俺の部屋を訪れ、例の行為を繰り返した。
その度に俺は反抗したが、小学生と中学生とでは、たとえ男であっても本気の女子には力では勝てなかった。
相手は可愛いと学校で噂になるほどの子で、俺は彼女を見た目だけで選んだ。
こういう言い方をすると最低に聞こえるかもしれないが、でも違うんだ。
怖かったんだ。当時の俺は、醜い女子がみんな怖かった。
容姿の良くない女子を見ると、姉の顔が頭に浮かび一種のトラウマになっていた。
だから俺は顔のいい子ばかりを相手にしていた。顔の良くない子とは出来るだけ接触を避け、会話をするのさえ避けていた。
傍から見れば最悪の奴に映っただろう。
そのあとも俺は顔のいい子とばかり付き合った。
童貞は中2で捨てた。当時付き合っていた子と勢いでやってしまい、今ではその子の顔も名前もよく思い出せない。
卒業までには何人もの女の子と付き合った。正直やるのが目的だったこともある。
本当に最低だったと思う。でも今ならはっきりといえる。俺は姉との例の思い出をなくそうと、必死で上書きしようとしていたのだ。
高校に入っても俺は変わらなかった。変われなかった。不細工な子には冷たく、目を見ず、会話もろくにしなかった。
可愛い子にだけ積極的に接し、甘い言葉を適当に吐けば、それで相手は簡単に靡いてくれた。
中学の頃から俺は錦戸亮に似ているとよく言われ、高校では俺のことを見るために他のクラスから女子が覗きに来ることもあった。
この頃は家で姉と顔を合わしても口を利かなかった。姉のことを意識したくもなかったし、あのことはなかったように振舞う姉のことが心底嫌いだった。
次第に家に帰らなくなり、友達の家に泊まることが増えた。
俺は自分の容姿の良さを活かして何人もの女の子と付き合った。部活はしていなかったので時間に余裕はあったし、勉強は高二で諦めていた。
結局、高校の内では姉のトラウマを払拭できず、それは今でも続いている。
大学でのことも書きたいが、昼休みの時間は限られているのでいったんここで切る。
とりあえず自分の憤りと、その理由はここに書けた気はしている。
殴り書きのようでまとまりがないのは許してほしい。
それでも書かずには居られなかったのだ。一方的に自分に非があるように言われたことには未だに腹が立っている。
上からすれば俺のことを気に入らないのもわかる。
きっかけは同窓会での再会。元彼は結婚して7年目に突入したというのにまだ子供がいなかった。
不躾かと思いつつ、理由を聞いたら、奥さんがヤらせてくれないと。もう5年も完レスらしい。
ウチはレスではないけど、夫がDVモラハラ気質&度を超えた早漏&運動神経が悪くて全然セックスが幸せじゃなくて、もう何年も満足してないわって話してたら、
ひさびさにする?って
一回くらいバレないし、バレても大したことないし、って。
で会ったのが今日。
最高だった。
そう、そう、それがいい、ってこの感じが久しぶりすぎて。
ほしいとことに届く。
気持ち良すぎる。
満たされて幸せ。
元彼もずいぶん久しぶりみたいで、すごく喜んでくれた
あーよかったなあ
今夜は夫がケーキを買ってくる。