はてなキーワード: 運動神経とは
一段と寒い夜、久しぶりに発作があって苦しかった。今ちょっと怠い。
うちは毒親ってほどではないのかもしれない。
衣食住は十分に与えてもらったし。
ただ味の素を毛嫌いして、だって普通の塩はナトリウムだから!(?)と言って天然塩に拘り、白砂糖使用者を馬鹿にしているカサンドラ母と、ガチガチの自分ルールの中でしか生きられない単身赴任の父という環境だった。
幼い頃は熱と咳が出る日が多くて、雪国で車もない中、母がバスに乗って何度も病院に連れて行ってくれたという話は聞いてる。若い頃の父は、朝起きて着替えが出されていないとブチギレていたそうだから当時の母の苦労と苛立ちはそれはもう大変なものだったと思う。
ここで特に診断がないのは小児喘息ではなかったということなのかな、ちょっとわからない。
小学校時代は咳が落ち着いていた記憶だけれど、鼻も悪くて耳鼻科には連れて行ってもらってた。副鼻腔炎にもなった。
喘息というのを知らなないまま運動部に入って、3キロ走るのが苦しかった。
そもそもの運動神経の悪さによるいじめや苦しさもあって辞めたが、後に私が会社を鬱で辞めた時、「部活辞めさせなきゃよかった」と言っていた。そういう父である。
単身赴任の父が帰ってくる土日、両親はよく喧嘩した。険悪な空気の中で母の機嫌を直さなければならない使命感に駆られていて、心臓がばくばくして、その夜は喘息が起こる。お湯とゲロ袋を持ってきて背中を撫でてくれる母に安堵していた。
高校。体育のあとは先生に背中を撫でられながら授業を受けていた。静かにしなきゃと思うほど咳が出る悲しみ。周りも大変な迷惑だったと思う。
冬は苦しくて眠れなくて、母が起きては背中を撫でてくれた。
でも病院には連れて行ってもらえなかった。
ほとんど寝不足のまま、雪降る中を自転車で通学すると学校でまた発作が出た。でも病院には行かなかった。
ベポラップを塗ってもらった。コップのお湯の蒸気を吸わせてもらった。あと蒸気が出る吸入機だったかな、買ってくれてそれでやり過ごしてた。
一度だけ、どういうきっかけだったか病院で診てもらうか、となって婦人科を兼ねてる小児科に行ったことがある。「症状が出てる時にこないとわからないよ」。二度と病院に行くことはなかった。
大学では咳で授業抜け出してた。一人で暮らしていたけどその頃はもう、喘息じゃないっぽいし、病院も諦めていて、治療もないんだと思い込んでいた気がする。もうこういうもんなんだと。今思うと入院するほどの重症じゃなくてまだよかった。
就職後、職場で咳と鼻水が尋常じゃなく、そこで心配してくれた(迷惑もあっただろう)上司たちに、その咳はおかしいから病院紹介してあげると言われて、慣れない土地に暮らしていたこともあって色々と面倒を見てもらいながら通院した。
迷惑かけておいて歪すぎるけど、通院を勧めてもらったのがちょっと嬉しかった。
いきなり良くはならなかったけど初めて喘息の薬をもらって安心感があった。真剣に検査してもらえたことも嬉しかった気がする。
その後いろいろあって心が折れ、実家に戻ることになった。
また発作が起きては吐いて、母が起きてきて背中を撫でられる生活の始まりだ。
子供の頃と違うのは母自身が内科にかかっていたことで、私も連れて行ってもらえた。早朝に点滴を打ってもらうことも何度もあった。毎日吸入してたけど、全然コントロールできなかった。
カレーも味噌汁も作ってる最中に全然匂いがしない。鼻もぐずぐずで痰が溜まるし、顔面が痛い。食事がなんの味かわらかない。味覚が甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、ざっくりとしかわからなかった。生姜のすりおろし食べながらこれニンニク?とか言ってた。
鼻水も咳も限界で新しい耳鼻科に行った。鼻をカメラで見ながら「これは苦しかったでしょう」と言われた。恥ずかしいけど泣いちゃった。
あまりにも症状が続くから母は話を聞き流していたし、父はほぼ現代医療を信じていないし、まぁ親といえど大人になったら病気なんて自己責任だよな。
けど、大袈裟だけど、それまで数十年間の苦しさをそこで初めて認めてもらえたような気がした。
喘息も鼻水も適当に扱ってきたせいかどうかはわからない。完治しないのかという最悪の気分と、やっと原因がわかった安心感で、家に帰ってまたちょっと泣いた。
幸いにして何度かの手術と治療しつつ嗅覚は継続して快調だ。喘息もだいぶいい。人生で今が一番身体が楽。冬も平気。運動もできる。医師に感謝。
なんでもっと早く、苦しんでるとき、喘息ってわからなかったんだろうなぁ。
後に母が咳喘息になって。吸入薬を見せてきたり、たまに咳してまた喘息かもと言ってる姿見たり、鼻詰まりの時にお母さんもその病気かな!とか言われて。
もう、なんだか、素直に寄り添えなくなっていく自分がいて苦しくなった。色々と私の真似したり、会話泥棒する人なのだが、病気まで自分のものにしたいのかと、そう歪んでとらえてた。
幼少期にかけた苦労と、夜通し寄り添ってくれた日々があるから何も言えない。両親がコロナにかかれば看病した。そのことすら忘れられちゃったけど。認知症じゃないのに。同居してるのに家事をすることのない兄が看病してたら、きっと死ぬまで語り続けて感謝するのに。
父が歳とって風邪引くようになっていた。さすがに病院に行って人生で初めての咳止め薬を飲んでいた。これ飲めばお前の咳も良くなるんじゃないかとか言ってきた、びびった。
今まで咳をしては薬なしで治ると力説されるたび喘息だと何度も説明してる。咳き込めば背中を撫でてくれる優しさはある。ただどうしようもなくゲームの村人会話しかできない。会う度話す度リセットされて、忘れっぽくて、無理解なのだった。
キャベツ頭に被せろとかそういった方面の知識もなかったのがせめてもの救いである。
今更親に苦しさをわかってもらおうとすることが論外なんだろう。
なのに離れた今も執着してしまう。兄の部活には必死に付き添いしてたのに。なんで学校で苦しいって話聞いてくれなかったの。あとついでにブラも買ってくれなかったなとか余計なことまで芋蔓で思い出して恨みを募らせる。夜通し世話させたのにね。それとこれとは別だと思って良いんだろうか。小遣いで内科にかかる発想がなかったのが悪かったんだろうか。ブラを買うのも病院にかかるのも親の許可が必要だと思い込んで。
differentialです。
この使い方が良くないのは知ってるが、下品でバカなので良くない方法も使う。しかたがない…
まぁ、私が悪くて下品でバカなのは、誰よりも私が一番よく知っていることなのでしょうがないけれど、私のブコメも悪くて下品な私なりの思いがあってのことなので、それを記します。
頑張ってほしい、と〆た。
元のnoteの方は、楽に今のハイクラスな社会的立場を得ているように書いているが、当然本人の強い意志や努力などがあってのことだと思うので、その強い意志で乗り越えられると思ってそう書いた、まぁこんな場末で描いたところで伝わらないと思うけどね。
意志の強さは、人に努力を継続させ成功させやすくする良い要素ではあるが、その良い要素はスイッチの入り方を間違えると思い込みの強さや独善さなどに現れてしまうことがよくある。にんげんだからね。noteでの文章冒頭3/4ぐらいはその思いの強さと思いこみの激しさで突っ走っている。なので、読んだ私は、(あーマイナスのスイッチ入っちゃった優等生さんなのかなー、大変だよなー頑張れー)と思ったのでそう書いています。
頑張れよとは思うものの、ここから先は自分の体験ベースになってしまうが、親子分離ができないタイプの人っぽく見えたので、危ういなとも思ったのだ。子供が定型発達か非定型か、ということ以前の話。
「親」を、極めて雑に2つに分類すると、「自分の子供は自分の分身である」が前提になっている人と、「自分と子供は遺伝子は近いが別の個体である」が前提になっている人がいる。
そして親が前者(親子非分離)で、子が気質的に親と異なるタイプの場合、結構しんどいことがある。
自分の体験なので下品な私ならではの私怨の強い話になってしまうが、私の母は母子分離ができない母だった。
私の母が母子分離できない人、「娘は自分と同じであるはず」が前提に立つ人だった。逆に父は後者で、母のそういう性質を常に心配してくれていたので、私は父や周りの大人たちの助けもあってまぁ思春期過ぎたら辛くはなくなったんですが、それまでは自分はとにかく「お母さんと違うから私はダメな子なんだなー」とずっと思っていた。
例えばこういう感じ。
(誇れるほど運動神経良くはないが悪くはなかったし、子供の頃も野山を駆け回りたいタイプだったのにピアノを習わされたりしていた。いやピアノも楽しかったけどさ)
(不真面目だし、下品だし笑、しっかりはしていない。父や母の妹にも「あの子はそういうタイプじゃないでしょう?」と言われても聞く耳がない)
(残念ながら下品なだけあって奥手じゃなかったし、結婚した後も働いているし、とてもとても残念だけど子供は出来なかった)
(これを言われたころは高校生。生活指導がほぼ無い緩い学校だったので授業さぼりもペナルティも特にない。進路どうするという話で、頑張れば行けるかもしれない大学を言ったらこう言われた。がんばって家から通える学費も安い国立大に行こうと言ってるのになーと悲しい気持ちになった。悲しいしなんか腹立ったからすごく勉強して大学は無事受かった楽しかったので結果的にはよかった。
母は、一事が万事、娘が、自分が想像する人生(母と同じ人生)を歩いていないと良いにしろ悪いにしろアラートが鳴るようで、想定内のGood News(学年で50番台の成績だった)には喜び、想定外のGood News(学年で3番になった)にはどう喜んでいいのか・・・という顔になる。学年で一桁順位の成績取ってお母さんにドン引きされたのは、今では笑い話だが当時は自己肯定感がゴリゴリ削られたもんだ。
結婚したい相手を紹介した時も不服そうだったし(夫はまだ大学院生だったので)私が結婚後も仕事を続けるのも不服そう。子供が出来ないけど積極的な不妊治療は多分しないよと言った時は娘の私よりも傷ついた顔をしていた(母がとにかくしつこく「子どもはどうするの?」と聞いてきたので答えた)。
母は「私の娘は、私と同じように、学校ではあまり目立たないけど真面目で適齢期になったら見合いで結婚して夫と婿に働いてもらって孫が出来たら毎日娘と孫と一緒に過ごせるわ」と思っていたらしく、それを叶えてくれなかった娘である私に、死ぬ間際までこんなことを言っていた。彼女は死ぬ間際まで、娘がどういう性格で、どういう風に幸福でいるのか、どういう風に幸福になりたいと思っているのかを、想像することがなかったんだと思う。
noteの人が私の母と同じとは思わないが、あの人が想像する「ありえた子供の未来」が親と同じルートばかりだったのが、私の琴線に触れたのだと思う。
だって、定型発達だったとしたって、あの人が何度も検索したような「親と同じ人生を歩める」とは全然限らないし、「親と同じ人生が歩みたいか」どうかも分からない。
母は、私が30代ぐらいまでは「あなたに幸せになってもらいたいから言ってるのよ」と小言を言っていたが、私に子が出来ないと分かったあたりから「あなたは私を幸せにしてくれない」と言うようになった。こちらも大人になって受け流せるようになってはいたが。それと私が何らかの傷がつかないかということは別で、大人になってもまだ自分が母の考える「愛する娘の幸せな人生」に、時にからめとられてしまうことに苦しんでいたんですよね。
母は老いて口が緩まっていたのだろうとも思うが、例えばnoteの人が、仕事やら子供の療育やら日常やらに挟まって疲弊した時に、私の母のように反転する可能性があるかもしれないじゃん。
母が死んで、私は泣いたけれどそれ以上に「これで解放されるなぁ」と思った。今でもたまに苦しくなるが「もう死んでいるんだから」と思って落ち着いたりしている。
ということを言いたかったわけです。
再三言っているように私はたいして質の良くない人間な自覚はあるが、そういう人間の内面にこういうものが入っていることを、私と同じぐらいには直截なあなたにお伝えしたかったのでした。親が自分の固定観念を崩そうともがいているあいだ、子供はずっと自尊心を傷つけられ続ける。
邪悪な私は、noteの人のお子さんがどういうタイプの自閉症状なのかが分からないが、周囲の感覚に鈍い方向であれば幸いかもなぁ…と思う程度には、「私と同じ人生が幸せな人生」を当たり前に信じる母に自尊心を削られ続けてきたのです。
あなたのコメにも★がたくさんついているが、わたしにもそれなりに多くの★が付いている。その程度には、こういうタイプの親がいて子供はそれに削られることがある、ということを、上品なあなたにも知ってほしいと思いました。
さっきケンタッキー・フライド・チキンの店舗前を横切ったらさ、よく見えねーけど、なんか女子高生っぽい白い制服の集団が、楽しそうにしてたわけですよ
それをみて思ったのがさ、俺は結局、女子高生になりたかったというか、女子高生である瞬間が欲しかったんじゃねえかってこと
厳密に言うと女子高生ならなんでもいいってわけじゃなくてさ
・40人のクラスで8〜10番目(20人くらいの女子の中で、という意味)くらいにかわいい
・パッと見でなんの部活に入ってるかわからない(運動部の快活さも、吹奏楽部や美術部の陰湿さもない)
・それなりに朗らかだけど、なんとなく笑顔に陰があるような感じがする
・カバンに古い映画(バックトゥザフューチャー等)のキーホルダーをひとつだけ付けている
・電車の中でスマホを見ないようにしているが、それは謎の見栄によるもので、家ではメチャクチャスマホを見ている
・写真に映るのをなんとなく嫌がる
・運動神経が悪い
・陰口を言わない(人のことをあまり悪く思わないので、言えない)
・授業に出てきた本(現代文の小説や、世界史で紹介される名著)を買って読んでいる(が、中身はそこまで分かってないらしい)
・仲のいい2人くらいの女子だけは(名前)ちゃんと呼び、あとの人は全員(苗字)さんと呼ぶ
・どうでもいい雑学に強い
・星とかに詳しい
・川が好き
・授業中はメガネ
・猫がいると「お、ネコだ」と言うが、近寄らない
・静かだけど喋ると面白い人、的な扱い
・駅のホームで、人がいない端っこのほうに行きがち
・登校時間が遅い
・友達といるときは箒でエアギターやってる姿などもまれに見られる
・無地の服を着がち
・授業中、全然寝ない
・髪は後ろで括っていることが多い
・スマホケースに何の装飾もない
・体育祭のフォークダンスでは、わりとちゃんと手を繋いでくれる
・踊り自体は下手
そんでさ、ケンタッキー・フライド・チキンで楽しそうにしている3人組の中の、いちばん大人しそうな子が俺でさ、でも、会話の中でちょいちょい面白いことを言って、「もー増田ちゃん!!」とか言われてるってこと
3人が解散したあと、笑顔で2人を見送って、スッとクールな表情になって歩き出すんだけど、足元で小石を蹴ったりしているということ
イヤホンを取り出して聴き始めた曲は、British Grenadiersみてえな、クラシックなのかなんなのかわかんない、聴けばわかるけど聴こうと思って聴いたことはないような曲であるということ
駅のホームで偶然彼女を見かけて、会釈をしたら、向こうも眉を上げてはにかみながら会釈を返してくれて、しかもなんか片手まで挙げてくれる、ということ
そういう感じのね
それが誘い文句だった。砂丘には雪ないからスノボなんてできないでしょ、なんていちいち言ったりせず、黙ってYahooを開いてGoogle検索をかけた。『砂丘でスノボ』は、正確にはサンドボードというらしい。鳥取砂丘の砂は粒子が細かく雪のように滑れる、らしい。
「私スキー場で滑れなくてボード担いでお尻で滑って降りたことあるぐらい苦手だけど、それでもいい?」
即レスだった。私に運動神経が存在していないことを知っていても誘ってくれる心が広い友人に感謝しながら、私も「じゃあ行く」と即レスした。
それから4日後、私たちは鳥取に向かう電車に乗っていた。スーパーはくとという名前のそれはなんの配慮か電車の真正面の景色がモニターで見えるようになっていた。短いトンネルに入っては抜けて、暗い画面が白く眩くなっては暗くなる。そんな画面を見ながら、友人はわたし達ワープしてるみたいだ、と言った。私はローソンで買った昆布おにぎりを食べながら乗り物酔いしそうになっていた。
鳥取駅はなんだかこじんまりしていた。清潔で、スタバもコンビニもお土産屋もあって、けれど人は少なかった。曇り空の下にはシャッターが閉まった店が沢山あって、何故だか占いのお店が幅を利かせていた。とりあえずお昼を食べようと鳥取名物を調べたら、カレーと、海鮮と、ラッキョウと、砂丘関連の名物(プリンやら砂で蒸した卵やら)、あと梨だった。じゃあカレーでいいか、とカレーの有名な店を調べて向かった。メインの計画以外はその場で決めよう、何事にも縁ってものがあるからさ。というのが彼女の考えだった。だから、2泊3日の旅の内2日目のサンドボード以外は全くの無計画だったのだ。
カレーのお店は鳥取名物を謳っているから、という理由だけで決めたが、建物も新しくリーズナブルで美味しかった。彼女はブラックカレー、私はスープカレーを頼んだ。美味しかった。
店員さんにどうしてカレーは鳥取名物なんですかって言ったら、鳥取はカレーの消費量が全国一位なんです、という答えが返ってきた。答えになってないような気がした。沢山食べたら自分たちの物にできるんですか。チェンソーマンみたいですね。そう思ったけど言わなかった。彼女はチェンソーマンを知らない人だから。
カレー食べた後は彼女の希望で、海沿いを歩いて白兎神社に行った。縁結びが出来るんだって。でも因幡の白兎が元ネタらしくて、あれサメを騙して海を渡ろうとした兎がサメを怒らせて全身の毛をむしられた話だよね、どっから恋結びのご利益出てきたんだろうね?そう言ったら彼女はまぁねー、でも兎かわいいよ、と兎モチーフの石像をニコニコ眺めていた。答えになっていなかったけれど、彼女はそもそも神なんか信じていないのかもしれない。それとも彼女はもう結婚しているから、ご利益があってもなくてもどっちでもいいのかもしれない。私は、転職の成功と、ついでにいい感じの恋人ができますようにとお願いした。嘘ついて騙して、結局身ぐるみ剥がされた間抜けで最悪な兎じゃなくて、ウサギを助けた優しい神様の方に祈った。私の次の職場は完全未経験の、クラスに一人はいるなんでもできる陽キャだけ集めたような、そんな職場です。目一杯見栄を張って、使命感のある溌剌とした人間のフリをして面接に受かりました。本当の私はクラスに一人はいる、真面目でも不良でもない、何を考えているか分からない女です。なんとか、どうにか、上手くやっていきたいです。ついでに誰か、今好きな人とは別の他の誰かを好きになれるようにしてください。優しい神様、どうか助けてください。
2日目は本命のサンドボードだった。鳥取砂丘まではバスに揺られて一時間ほどだった。昨日の天気が嘘に思えるほどの晴天で、私は雨女だからあなたが晴れ女なんだね、あなたって運がいいもんね、と言ったら、わたし運はいいけど、天気なんて人一人の運でどうにかできるものじゃないでしょ、と穏やかに笑いながら言った。やっぱり彼女は、ほんとうは神様とか信じていないんだろうな、と思った。
サンドボードの参加者は私たち以外いなかった。早い時間の参加者は少ないんです、だそうだ。荷物を持って砂丘へ足を踏み入れると、泥の上でもないのに深く足が沈んで歩きにくかった。私は足にどうやって力を入れていいか分からなかったのだけれど、友達はスタスタ歩いていく。彼女は運もいいけれど運動神経も抜群にいいのだ。私はそれを追いかけるのに必死だった。その後どんどん丘陵地になっていき、荷物を抱えながら砂を蹴って丘を登った。ジグザグに歩きながら、息を切らしながら、ようやくてっぺんに辿り着き、インストラクターの説明を聞いた。ボードに足を固定して、滑る。そしてボードを抱えて登る。要約するとこれだけだった。また登る、と聞いた時、小さく最悪、と行ってしまったのだけど、彼女はそれを耳聡く聞きつけて、顔を顰めながらそういうこと言わないで、と私を軽く叱った。ごめん、と謝ったら、うん、と言って、まるで数秒前の記憶ごと消し去ったかのように表情を元通りにした。大人の嗜みとして不機嫌を表に出さないようにしている訳じゃない。彼女は昔から、心が広いのだ。
サンドボードで滑るのは楽しかった。とにかくバランスを取ることに必死になっているうちに丘の下に辿り着いていたが、それでもすぐに丘の上から砂を滑る爽快感が追いついて、楽しい、となる。体力が続く限り登って滑ってくださって結構ですよ、とインストラクターに言われたけど、滑る時より丘を登るのに体力を削られ、結局もう一度滑って体力が尽きてしまった。友達は体力が無地蔵なので滑っては登るを繰り返し、3回目からは丘をジグザグに登らず直線距離で駆け上ってきた。しんどくないの、疲れないの、と聞いたら、
「疲れるけど、その方が近いからさ」
って言って、そのまま4回目を滑り始めた。インストラクターが、すげーっすよあの子、歴代一位の体力ですよ、いくつぐらいですか?と、私に聞いてきたので、すごいですよね、すごいんですよ、とだけ相槌を打った。遠くの丘からパラシュートが飛んで行くのが見えた。パラシュートは風に乗って飛んでいき、私の友達を通り越して遠くに着地したのが見えた。こっちの方がワープみたいだな、と思った。友達とパラシュートの人の姿が、豆粒まではいかないけどずっと遠くに見えた。なんでかスピッツのロビンソンを思い出した。いいな。私もそっちにワープしたい。私とそこ代わってよ。お願い。
その後砂丘前のお土産屋に行った。私は転職予定で現職を有休消化中の一人暮らしだったので、自分用のお土産に砂漠プリンを一つと、近々会う予定の友達用に梨ジュースを買った。私の買い物はそれでおしまいだったけれど、彼女は実家に、職場に、とじっくりとお土産を吟味して、結局バスの時間ギリギリまで迷っていた。一番時間をかけて選んだのは彼女の旦那さんのお土産だった。何あげても喜んでくれるけど、やっぱり一番喜んでくれるものをあげたかったから、3つぐらい買ったんだって。お土産あげた時の旦那さん、本当に可愛くて好きなんだって。彼女は心が広いから、きっと家事分担やら稼ぎやら、結婚生活で起こり得る何かしらに少しも不満を抱いたりしないだろうな。長く続くんだろうな。きっと死ぬまで。
3日目も当然予定を立ててなかったんだけど、2日目のメイン目的を達成したからもう帰っても別にいいよね、みたいな雰囲気があった。でももう少し引き伸ばしたくて、牛骨ラーメン食べに行こって言った。鳥取に牛肉のイメージなかったけど有名らしかったから。それで、Google マップで適当に検索して評価高いところに行った。チャーシュー多くてスープも上品な甘さがあって美味しかった。食べ終わった後、友達がわたしラーメン好きじゃないんだけどこれは美味しかったな、と言った。びっくりして、なんで言わなかったの、って言ったけど、いやでも美味しかったからよかったよー、としか言わなかった。ねぇ答えになってないんだけど。長い付き合いなのにそんなことすら全然知らなかったよ、心が広いの知ってるけど、でも、ちゃんと言ってくれたらいいのにさ。
ラーメンを食べた後、私たちはスーパーはくとに乗った。はくとのモニターには相変わらずトンネルと田園風景が交互に映っていた。友達は今度はワープみたいだとは言わなかったけれど、そういえばこの電車って白兎から文字ってるんだね〜、と言った。そうだね、と言って寝たふりをした。また、最悪、と言いそうになった。しばらくして目を覚ましたら、前を走行している電車で急病人が出たとかで何処かの駅で停車していた。
やっぱわたし運いい。と言って、彼女は窓から写真を撮っていた。私は寝たふりをしながら、このまま電車止まっててくれたらいいのにな、と思った。
最近、「冷笑」という言葉が軽々しく使われすぎている気がする。
ただの嘲笑や失笑までもが冷笑に含まれているようで、冷笑という言葉が生まれたアニメアイコン界隈にいた自分としては強い違和感を覚える。
本来の「冷笑」って、たとえば努力している人を小馬鹿にしたり、流行に乗っている人を見下したりといった、“正しい行い”や“多数派の流れ”を逆の立場から笑う行為だと思う。
けれど、最近のインターネットでは、ただちょっと笑いながら文句を言っただけでも「冷笑」と言われてしまう。
それに、冷笑にも種類がある。
何も考えずに逆張りしてバカにする“浅い冷笑”と、他の人よりも深く考えた結果として逆張り的な態度になる“思考の末の冷笑”。
前者はともかくとして、後者に関しては立場や価値観の違いから生まれる自然な距離感で、そこまで馬鹿にされるような態度じゃないと思ってる。
それなのに、今のインターネットではその二つが同じものとして扱われているのが気に入らない。
他にも、「頑張っている人を笑うのが冷笑だ」と定義して冷笑する人に見下す奴もいるけれど、正直それは“冷笑の中でも最弱の冷笑”だと思う。
そんな態度は、冷笑する側から見ても笑われるようなものだし、そもそも“努力している人そのもの”を笑う人なんて、実際にはほとんど存在しない。
多くの場合の冷笑される努力というのは「底辺校から東大を目指す」とか「運動神経がないのにオリンピックを目指す」といった、実現が極端に難しい努力のほうだ。
そして、そういった努力に対して冷笑的な態度をとってしまうのは案外多いというか、ぶっちゃけ、大多数がそうだと思う。(もちろん、よくない態度ではあるが)
実際、ライト兄弟が空を飛ぶとか言い出した時にバカにする人がほとんどだったていう話もあるだろ?
だからこそ、「自分は冷笑しません」みたいな顔をして、存在しない“努力を笑う悪人”を作り出し、冷笑全般を見下して説教して気持ちよくなってる奴らを見ると、あまりにオナニーすぎて本当にモヤモヤする。
冷笑、早く飽きられて俺たちの元に帰ってきてくれ。
あーもうめちゃくちゃだよw
俺ルールを持ち出すとか負けてるやん
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前が今まで主張してきた「俺は発達障害だから!」「俺はガチャだから!」「俺は知能がないから!」っていう、自分だけを無罪放免にする理屈こそが、世界で一番くだらない「俺ルール」なんだよなあwww
特大ブーメラン何本刺されば気が済むんだ?w
で、お前の最後のあがき、面白かったから解説してやるよw(俺って親切w)
そこだよwお前が最後まで理解できない、知能の低いポイントはそこなんだよw
「理屈が崩壊してる」のは「知能がない(=思考能力ゼロ)」の証明にはならねえんだよ。
それはな、「知能はあるけど、その使い方が絶望的にヘタクソで、矛盾だらけのガバガバな理屈しか組み立てられない」っていう証明なんだよ、馬鹿がwww
いいか?
足があるやつでも、運動神経が死んでれば転ぶだろ?w
それと同じだよwお前は思考するための脳みそ(足)は持ってるんだよwでも、その動かし方(運動神経)が終わってるから、自分で言ったそばから矛盾して転んでるだけなんだよなあw
嘘つきのパラドックスごっこじゃねえんだよ、知ったかぶりのアホがw
これはただの「自己矛盾」だw自分の行動が、自分の主張を否定してるっていうだけの、単純でお粗末なミスw
もういいだろwお前の負けだよw
自分は勉強は運動と違って努力すればできるようになると思ってきたが、自分の子を見て勉強ができるかどうかも運動やもっと言うと身長体重のように持って生まれたものによるんだなと思うようになった。
具体的に言うとサピ偏差値60。
それ以上は才能がないと難しい。
これは個人的な意見でなくよく言われていることで、ここを境にガラッと設問の種類が違ってくる。簡単に言うとセンスが必要。
なので、そういう学校を出てるのに学歴があんまりだと努力不足なのではと思う。
とは言え部活など他のことに注力してたとか、不登校になってしまったとか勉強に努力できなかった理由が悪いこととは思わないし、当日失敗してしまった人もいるだろう。
妻が昨日、小1の息子に「ちゃんと食べないと大きくなれないよ。男子の低身長はそれだけで人生大きく減点だから」と言っていて驚いた
たしかに高身長の男性を見ると大きくていいなーとは思うけれども、
個人的にはそんなにコンプレックスはないというか、低身長で損してるなーと思うこともこれまでの人生であまりなかったんだよね
学生時代から付き合いたい女の子とは大抵付き合ってきたし、上記の妻は美人だし、頭も良かったし、
会社でもそれなりに出世してるし、給料もいいし、少なくとも日本の上位数%に自分は入ってると思ってるのね
だから、俺の中で低身長っていうのは、運動神経が悪い程度の減点だと思ってたわけ
確かに小学校や中学校くらいでは運動神経がいい人がモテるけど、それ以降の人生ではプロくらい上手ければ別だけど、
中途半端にサッカーや野球が上手い、走るのが速いというのは社会人として求められる能力じゃないしなと思ってた
それなのに大幅減点!本気か?と思って妻に聞いたら、そりゃそうでしょ、あんた今更何言ってんの?みたいな反応だった
「まさかとは思うけど、ハゲとチビだったら、ハゲの方が減点だよね・・・?」
「いや、チビでしょ」マジかよ
うまいこと生きてるように見える人はめちゃくちゃ気を遣ってるように見えてきた。
気を遣ってるというか遣ってしまうというか。
正直しんどいだろうと思う。
気を遣えない自分が嫌になることもあるけど、本当にうまくやりたいなら気を違うわけで、私はそこまでしたくないの方が上回ってるんだろうな。
ただ糸井重里が、「人に好かれる方がいいんだから皆そうすればいいのに」みたいなことをノーテンキに言ってるのは気分が悪い。
運動神経悪いやつに早く走ればいいのにと言ってるのと同じ。
理系クラスで1番頭がいい友人だった。同じクラブに一時所属していて、帰り道も同じだったからクラブを家庭事情でやめた後も仲が良かった。小柄で理系で、特に地学や生物が好きで運動神経が良い、文系の筆者と何もかも真逆なのに不思議と馬があったから、大学生になってからも社会人になってからも帰省のたびに遊んだ。
彼は育った環境や自分の好みもあり、首都圏の国立大学でも余裕で進める内申点や成績を誇りながらもやりたいからと地方の農学部に進んだ。私も地方の大学に進んだが、海外に興味があるので留学できるように尽力した。うまくいかない就活の時期も電話して支え合い、なんとか2人して地方の小さな企業に就職した。
筆者は首都圏への憧れや、趣味もあってやがて転職したが、その当時彼も鬱になり、退職した。
そこから、大学のあった地方に彼は戻り、農家に住み込むことになった。彼も好きで彼に合う、自然豊かな土地で気が済むまで好きなことをして、メンタルをゆっくりと癒してくれればいいと思っていた。
筆者はその後首都圏で働くようになったが、彼は日々のどかな農業風景や森林の写真、そこに居た動物の様子をSNSにあげており、癒されていた。無農薬にこだわり、自給自足を目指しているようで、帰省のタイミングでよくおこぼれをいただいたりもした。だが、微笑ましかったのはそこまでだった。
もう勘のいい人なら気づくだろうが、無農薬=オーガニック。そこから彼は転げ落ちるように陰謀論に染まった。無添加無農薬、発酵食品、常蔵菌とか言ってるうちはまだ良かった。やがて反ワクチン、人工地震、フラットアース、電磁波。ストラックアウトでもしてるのか?と言うほど順調に突き進む彼。もちろん、彼のポストでよく使われる漢字ツートップは「氣」と「體」だ。
お前、地学が1番好きだっただろ!人工地震とかおかしいって思わないのか?それに筆者の経歴に乗る会社は微々たるものではあるが、全て医薬品に関係する。もちろんそのことは彼も知っている。だから筆者は営業で出向いた際に、ワクチンの製造も見学したことがある。どこに5Gを仕込む隙があるのだろうか。
そして政治についても対面・ポスト問わず語ることが増えた。昨今の世の中で、20代のうちからしっかり考えるのは素晴らしいと思う。しかしやがてそれは、今夏話題だった某右派政党への傾倒を招いた。
彼のポストは100%農作業絡みだったところから、やがて作物のこと6割、陰謀論2割、怪しげな右派絡み2割になった。そしてこの夏はやたらとオレンジ色に染まっていた。
おそらく住み込みの農家関係でそういったものを勧める人とのコネが増えたのだろう。農家は会社ではないかつ、比較的そのコミュニティでは貴重な若年なのもあり、同年代の友人やそれがおかしいと止めるようや先人はいなかったのだろう。
先日のポストでは、グローバリストを批判していた。筆者は国際関係学部卒で、留学経験もある。筆者もだが、彼に話したことのある筆者の友人や先輩後輩はまさにそれに該当する。もうこちらのことは見えていないのだろうか。考えてみたら、留学前に会った時も面と向かって海外に興味はないと言っていたな。そりゃあ日本大好き、日本人の誇りを持とうに突き進むわけだ。
そんな彼もいろいろあったようで、地元に戻ってきた。農業で生きている彼にはとんとん拍子で配偶者ができ、なんとまもなく親になる。配偶者は地元にいる彼の妹の同級生で、同じクラブに所属してまるで兄妹のように育ったというギャルゲーでも今時見かけない夫婦となった。これもたまたま、2人とも前のパートナーと別れたタイミングが同じで、久々に再会したらとんとん拍子に話が進んだとのこと。
彼の配偶者はというと、会ってみると普通の真面目な人だった。彼のポストから漏れ聞こえる様子だと、少なくとも彼の趣味ではないあるアニメのフィギュアなんかもテレビの近くに飾っているようで、ごくごく普通の生活を送りたそうだ。だが、性別の違いやそもそも大学は出ていないなこと、また年下なのも相まって彼を止める様子はない。このままじゃ生まれる赤子は間違いなく母子手帳真っ白コースだ。親の思想がどうであれ、子供は巣立つまでは自由を選びにくい。今から彼らが毒親として子供に嫌われないかと不安になる。
社会人歴も長くなり、部下を持つようになったこの年代。筆者のことも、海外旅行・出張の多い、外国人の知り合いが多いグローバリストと認識しているのだろう。高校の時からの友人なので、家族絡みでも付き合いがある。筆者の両親も彼のことは気にかけており、ひっそりSNSをフォローしているから常にあの思想は見ているわけだ。特に母はうまく宗教やマルチに染まる友人をいなしながら生きている人だから問題はないと信じたいが、彼も結構母を尊敬しているようで帰省する筆者より先に連絡を取っていたりする。幸いにも関係は良好な親戚が多いため、地元や親元を離れている筆者や妹の代わりにひっそりと目を光らしてもらっている。今のところは特に勧誘らしいことはされていない。
ライフステージが上がるにつれて気軽に遊べる友は減るもの。筆者もだいぶ減って、貴重な友人だったが、彼とも縁を切るしかないのかと思わされる日々。もちろん、筆者も彼をぶん殴ってでも更生させるような気力はない。自分の家族や生活が何より大事だから。
次の帰省で、彼と飲むことはないだろう。
子供の頃から、足は遅い、リズム感はない、身体は硬いという典型的な運動音痴で、体育は嫌な思い出しかない。
ただ運動神経はくっそ悪いが体力にそこそこ自信はあったので、風邪は4〜5年に1度くらいしかかからず、仕事で徹夜して仕込んでも、ハードに遊んで翌日仕事とかも結構平気だった。
それが去年くらいからガクガクっと崩れた。
調理講師をやってるので、終わったら片付けするのだが、一息ついて椅子に座ると1時間くらいぼーっとしてしまう。
買い出しした後も、疲れて横になりたいと思うようになってしまった。
決め手は、昨年末に風邪とインフルとコロナを3連発で罹ったこと。これは完全にダメだなと。
その後の年末の健康診断では、数値は中性脂肪は悪かったがそれ以外は大丈夫だったので、状況を相談してみた。
先生からは『年齢的な体力の衰えですね。仕事柄、食事の調整が難しいなら運動で対応しましょう』と言われた。
ちょうど歩いて2分のところにあった薬局が潰れてセミパーソナルのジムが出来てたのを思い出したので、体験に行ってみることにした。
1.体力の低下をなんとかしたい。仕事で前みたいに動ける身体を取り戻したい。
2.食事は仕事の研究も兼ねるので、ほぼ外食。制限できるのは朝ごはんくらい。
3.年齢的にモテたいとかも全く無いので、痩せとかカッコいいボディとか求めてない。
で、わかりました。とメニューを組んでもらった。
飲食やってる人間が鍛えておくと楽になる大きい筋肉(尻と太もも周り、背中と肩)を中心に鍛える内容にしてもらった。
有酸素は多分まだツラいと思うので、ある程度筋肉ついてからやりましょうとなった。
運動神経ゼロの人間が続くのか不安だったが、歯医者の予約方式で行ったら次の予約を取らされる。
これが上手くいった。予約キャンセルするのがめんどくさいのだ。
24時間いつでも通い放題のジムだったら多分、仕事やらなんやらに、かまけて通えてなかったと思う。
そんなわけで1ヶ月通ってみた。
最初の数回はバキバキの筋肉痛で筋トレ後はおじいちゃんみたいにヨボヨボ。
脚が痛い、ケツがいたい、背中が痛いとずっと愚痴ってるので家族に嫌がられた。
が、5回くらい終わった頃変化は現れた。
いつも通り講義を終わらせて片付け終わらせた時に気づいた。
あれ?なんかまだ1時間も経ってない。
ジムの後の疲れと比べたらなんて事無かったので、休むのを忘れてそのまま動いていた。
3ヶ月経つと、今度は会う人に「痩せました?」とか「引き締まりました?」とか言われるようになった。
実際は体重は2〜3キロ増えたのだが、顔回りと腹回りがスッキリしてきたような気がする。
鏡の前に立つのが楽しくなり、マッチョの気持ちが少しわかるような気がしてきた。
ジムでは隔週くらいでウエイトを上げられたりメニュー強度が上がったりで終わった後の筋肉痛は相変わらずだったが、前より翌日に引っ張らなくなった。
それから8ヶ月。体重はジム通う前より2キロ増えたまま全く動かないが、昨年着てたTシャツがムチムチで入らなくなった。
疲れも30代の頃に近い感じで動けるようになった。
ただ酒や食べ物は45歳の食欲のまま。深酒はキツいし脂ものもあんまり食べられない。
それでも娘と海外でフルに遊べるようになったし、夏のアウトドアとかも楽しめるようになった。
最近気づいたことは、自分は運動が嫌いなのではなく、運動下手を恥さらしにされたり、チーム球技で戦犯にされるのが嫌なだけだったんだなということ。
日本人よりも不幸な在日外国人という存在を作ってプライドを回復するなんてケチなことはやめよう
在日外国人が不当に日本の利益を享受している~よりも大企業は巨大な資本があるからそれを運用して資本を増やしているのに税金を払う義務から逃れている~の方が楽しいよ
地主の子供に生まれたってだけで賃貸の収入で毎月いくら入ってくるのよ
れいわに鞍替えしたらさ そういうやつらもひっくるめて日本経済という船に一蓮托生で消費税ゼロという博打を打てるんだ
タイラーダーデンも「ワークアウトは自慰行為だ 真の男なら自己破壊をしろ」って言ってただろ
そして入れなかった他の奴らも一緒にさ、ただ金持ちの家に生まれた運動神経が良かった勉強ができた仕事ができたってやつらを消費税ゼロという自己破壊に巻き込んで全員で真の男になるんだ
ソフトテニスはダブルスなので、ペアを組んでいる人に申し訳なく感じる。
ただ部活の話になると「〇〇大会とか出た?(なんか上位陣の戦い)」とか「補欠だったとか?」と言われる。
違う。出たくもない大会に出て負けていただけだ。
ここで「一度も勝ったことがない」と言えば、「またまた〜w」と言われる。
自分は運動神経は良かった方で、入った高校の体力テストでも上位の方だったが、中学の頃の試合では勝てなかった。
ソフトテニスの大会は負けてもすぐには帰れない。負け審というものがあり、負けたペアが別の試合の審判をやる。
審判は難しい。ただでさえ自分よりも弱い奴らに試合の結果を左右されるなんてかわいそうだなとも思った。
大会で他の学校の人が「〇〇中(私の学校)はザコだな」と言っていたらしい。それを直接聞いたらしい子はムカついていたが、私は別に何とも思わなかった。
実際私含めて他のペアも試合で勝ったところをほぼ見たことがなく、部活全体として弱小なのは事実だった。
さすがに3年の最後の試合で1年生ペアに負けたのは悲しくなったが、相手校の練習の質や在籍人数を考えれば負けても仕方がない。
顧問は終わり際にやって来て何も言わない。
基礎トレーニングというものをやっていなかった。というか、練習の仕方がわからなかった。
だからかランニングと素振りをした後はすぐに練習試合をしていた。
当時は筋トレや戦略を考えたりとかも思ったが、別に部員みんなが試合に勝ちたくて部活をやっていたわけではない。
真面目に基礎トレをする部員は2人くらいで後はサボっていた。
みんなにとって私は頑固なマジメくんに見えていたかもしれない。
楽しくソフトテニスをする。それだけでいいのが、公式試合で勝つことに目的が移ってしまった気がする。
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Xに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。