「高畑勲」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 高畑勲とは

2026-01-23

anond:20260121153611

ワイの大好きな高畑勲

2026-01-18

風の谷のナウシカの冒頭、ナウシカって働きもせずに腐海ブラブラしてたけど、あれってやっぱりお姫様から

腐海ほとりでの暮らしなんて、

働いても働いてもやることがあって、

暇なときなんてないような気がするんだけど、

なんでナウシカ腐海のなかをブラブラするなんて贅沢ができたんだろうね?

やっぱりお姫様特権労働から解放されてたのかね?

それともパトロールとかの仕事最中で、ちょっとサボってたみたいな感じなのか。

まあ、地下に自分しか立ち入りができないラボみたいなもんを普通に持ってたりとか、やっぱなんだかんだお姫様なんだよね、ナウシカは。

でも宮崎アニメの中で、というかアニメ主人公で「長(おさ)」の役割を担う人が主人公、ってかなり珍しい。

だいたいは、若くて、何者でもない誰かが、主人公をやるもんだから

そういう意味で、風の谷のナウシカは変わってると思う。

ナウシカみたいなやつはだいたい主人公じゃなくて登場人物の一人なんだよな。

それこそ、ナウシカに出てくるクシャナとか、もののけ姫のエボシ様とか、そういう感じで魅力的な脇役としては出てくるけど主人公ではない。

なのに、ナウシカではナウシカ主人公なもんだから、ただ脇役であるはずのクシャナとあわせ鏡のような対称性を描いてしまう。

結果として(アニメ版ではとく顕著だけど)ナウシカという物語には二人の主人公がいることになってしまう。

そこらへんは物語構造としては、厳密に言えば失敗していると言える可能性はあるんじゃないかな。

失敗は違うか。

失敗ではなくて、あまりにも意図していないうちに、大きく物語構造のものがその設定の矛盾に引っ張られる形となっているということ、、、

いや、それって失敗してるってことなのかな。

高畑勲は、そのへんのことどう考えてたんだろうなあ。

2026-01-16

もしも高畑勲ボトムズ監督をしたら…

毎週、キリコがフィアナに会えそうなんだけど会えない。それを最終回くらいまで引っ張る

2026-01-10

何度も言うけど300年経って残ってるのは高畑勲アニメの方だよ

男のいう「女はチヤホヤされてる」が女にとって地獄だというのを描いたのが高畑勲かぐや姫

2026-01-02

新海誠細田守が、力を合わせて宮崎駿を倒す話、、、が見たかったんだけどな

二人の前に立ちはだかる、中ボスはもちろん庵野秀明

二人に宮崎駿を倒すための重要アイテムを渡す謎の隠者高畑勲

2025-12-30

宮崎駿だったか高畑勲だったかは忘れたけど、むかしどっちかが何かのおりに安彦良和について尋ねられたとき、そんな人は知りません、って答えたらしいな。

2025-12-27

俺って、宮崎駿高畑勲に対して気持ちを拗らせるてるような感じの恋をしてしまうんだよな

わかってもらえる?

2025-11-23

なんか宮崎駿とか高畑勲ってジェダイ騎士、って感じで細田守とかはジェダイになれなかったばかりか暗黒面に落ちちゃったやつって感じでオッケーなのかな?

つーか、きちんと宮崎とか鈴木(はジェダイじゃないけど)がきちんと細田ジェダイとして導いていればいまのこんな悲劇は起きなかったんじゃないかな?って思うんだけどな。

無理強いしてでもハウルを、きちんとジブリ作品として成立してるハウル細田に作らせておけば、その後の細田の歩む道も違っただろうし、ジブリも潰れずにいまも続いてるんじゃないかな?とか思ったりもする。

2025-10-13

英語で何を読むか

「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、英語で何を読むか。何を読むべきなのか。それが問題である

私は今30代半ばで、ごく一般的英語力を持つ日本人だ。

中学高校の6年間英語を学び(英検2級、センター試験180点)、大学に入ってからはあまり勉強せず、現在生活英語を用いることはほとんどない。

それなりに読書家なので、日本語で書かれた本はたくさん読む。

大学フランス哲学を専攻していたので、フランス語は今でもたまに読む。

しかし、英語ほとんど読まない。

何か読みたいという気持ちはある。だけど、そう思っていながら、読めていない。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

学生の頃に課題ジョージ・オーウェルの『動物農場』を原書で読んだ(あと、哲学の講読でマーサヌスバウム論文を読んだ)。

映画版にハマり、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』を読んだ。

大学卒業後は、高畑勲アニメにハマり、『赤毛のアン』を読んだ。

数年前にグレタ・トゥーンベリ演説集を読んだ。

私が読んだことのある英語の本はこの4冊だけだ。

それも、グレタの演説集以外は、日本語の訳書と英和辞典を横に置きながら読んだのである

また、関心のある国際ニュース日本語報道が少ない場合は、ガーディアンアルジャジーラなどの記事検索して読む。

しかし、これも一ヶ月に一度くらいの頻度にすぎない。

以上が私が英語で読んできたもののすべてである

私のような「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、はたして英語で何を読むのか。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

邦訳洋書を読むのはハードルが高い。

よほど面白いとあらかじめ期待できるなら別だが、そうでないなら辞書に首っ引きで洋書を読むのはつらい。

その一方で、日本語訳のある洋書は、邦訳を読めば大概はそれで満足してしまう。

私の友人は『ハリー・ポッター』を原書で読んでいる。

シャーロック・ホームズ』を読んだ友人もいるし、ラヴクラフトを読んでいる友人もいる。

しかし私は『ハリー・ポッター』にせよ『シャーロック・ホームズ』にせよラヴクラフトにせよ……あるいはシェイクスピアにせよメルヴィルにせよフォークナーにせよ……邦訳で読んだら、それで満足してしまった。

邦訳を読んで、原書「も」読みたくなるような英米文学にはほとんど出会わない。

私のような「それなりに読書家だが、英語力はそこそこの日本人」は、はたして英語で何を読むのか。

何を読むべきなのか。それが知りたい。

2025-10-07

RA.1000のススメ

公開から2ヶ月近く経ってしまったけど、RA.1000の目玉企画ひとつであるDJ HarveyとAndrew Weatherallによる6時間半にわたるB2Bセッションの録音を聴き終え、とても素晴らしかったのでここに感想を記したい。

好きな人けがこっそり楽しむにはあまりに勿体なく、DJカルチャーに明るくない人にも伝わるように書いたら恐ろしく長くなってしまたことを最初に断っておきます

それではサンクラのリンクこちら。

https://on.soundcloud.com/qtDLB6biRpSlOPR3Mp


RAについて

Resident AdvisorはアンダーグラウンドDJ電子音楽クラブカルチャーにおいて世界最大級音楽メディアです。

彼らが2006年スタートした「RA Podcast」は毎週更新ミックスシリーズで、多種多様DJアーティストゲストに迎えてオリジナルコンテンツを積み上げてきました。

2025年8月1000回目を迎えるにあたって包括的特別編として「RA.1000」を公開。歴史的価値の高いライブ音源からコンセプチュアルな新作まで10組のアーティストによる幅広いラインナップが無料公開されました。

中でもDJ HarveyとAndrew Weatherall2012年に行ったB2Bライブ録音はRA.1000企画の目玉といえるスペシャル音源です。

またRA.1000の公開に合わせて過去1000本を超える膨大なアーカイブが公開されており、これがはっきり言って文化遺産レベルの達成です。積ん読ならぬ積ん聴き。秋の夜長にどうぞ。

https://1000.ra.co/archive


DJ HarveyとAndrew Weatherallについて

彼らの経歴等は長くなるため割愛。ウェザオール2020年に死去しており、今回が死後初のミックスリリースとなりました。

強調したいのは両者ともジャンルを横断してダンスミュージックの地平を拡大してきた先駆者であること、特にウェザオールは彼がいなかったらダンスミュージックのみならず現在音楽シーンはまた違った形になっていたと断言できる人物です。

そして両名ともコマーシャル的な成功より眼の前のお客を熱狂させることに情熱を注ぐタイプDJということ。

その2人が過去に行ったB2Bの録音が2025年に発表されたことに界隈はザワつきました。しかもハーヴィーがB2Bを行ったのは後にも先にもこの一回きりとのこと。

もし中田秀夫監督清水崇監督リング呪怨の直後に共同制作した未公開作品がいま発表されたらホラー映画ファン歓喜するでしょう?分かりづらい例えをしてしま申し訳ないがそんなイメージです。

宮崎駿高畑勲に例えようかとも思ったけどちょっとビッグネームすぎた。


B2Bについて

B2B(Back-to-Back)は複数人で曲のかけ合いを行うDJスタイルのことで、一対一で1曲ずつのプレイ基本的な形です。

DJ同士がその場のノリで自然発生的にやる場合もあれば、Harvey × AWのように「夢の共演」としてメインに企画されることもある。

勝敗を決定する趣旨はなく、一緒に一夜を作り上げる共闘関係ではあるが「どちらがより遠くへ行けるか」という意識は(DJに限った話ではないけど)当然存在し、そこには音楽による提起、アンサー、挑発協調意趣返しがあり、対話文脈が生まれます。どこに向かいどう着地するかはDJ技量次第。これは修正できないひと筆書きの物語です。

このセットについて、海外フォーラムでは「Are they playing side by side and alternating?」と議論があるようだけど、自分基本的には1曲ずつかなと思います。(理由は後述)

ただしプレイ2012年であることに加え、ウェザオールが存命でないため、誰がどの曲をプレイしたのか本当のところはHarveyにしか分かりません。

以下に感想を詳しく書きますファンによる不確実な憶測を多分に含みます


■気に入ったポイント時系列レビューするよ

・43:52〜

The J.B.'s – Doing It To Death

おそらくHarvey。スタートからの探り合いののちにウェザオールが仕掛けた「スピリチュアルお経」に対するアンサー。

JBDJセットに組み込まれること自体は珍しくないが、このトラックは思わずクスッとなるエディットが仕込まれている。(オフィシャルクリアランスを取ってるとはとても思えない)

それにしても最初の仕掛けにしてはあまりにぶっ飛んでるAWと即座に変化球を返すハーヴィーの瞬発力よ。

飛び道具上等といったところか。

・1:34:51〜

Boys From Patagonia - Rimini '80

おそらくウェザオール。0:40頃のカマし合い以降はウェザオールの低重心で硬質なモードにHarveyが同調し、お手本のようなジリジリとしたビルドアップからのコレ。そこに至る(Harveyの協調による)緻密な助走ありきの到達といえる。アクセル踏み込むタイミングを見定めたら容赦ない加速。

上モノのピロピロ笛がシンセリードに切り替わって音階を昇る瞬間は自分もウォウ!と叫んでしまった。

・1:54:30〜

Lindstrøm - Rà-Àkõ-St (Todd Terje Extended Edit)

おそらくHarvey。ウェザオール主体の軸で一定ピークを迎えたことで新たな軸を模索する動き。

オリジナルよりBPMを落としているのだがそれが重めの音調となってここまでの流れに違和感のない繋がり。

2012年当時はNu Discoと呼ばれる北欧アーティストが中心となったトレンド成熟を迎えつつあった時期で、Harvey自身がその流行を作り出した一人といえる。

ついでに言うとハウステクノエレクトロのセットとしてはBPMが遅く、それもひと昔前の空気を感じるところ。

Harveyはそろそろかっ飛ばしたいはずだがウェザオールがそれを許さない。

・3:11:15〜

Bang The Party - Bang Bang You're Mine (Tom Moulton Edit)

これはどっちだろう?前後の繋がりからHarveyな気がする。

依然としてエレクトロ圧が強いが、この時間帯になるとHarveyも適応して自身の得意なディスコハウスグルーヴを入れ込みつつ構築。ウェザオールもウィングを広げてジャンル横断感が加速。

ウェザオールもローをカットしたりハイハット差し込むようなイコライジングは行うが、Harveyのそれはもうちょっと能動的、ハウス的なツマミぐりぐり系なので分かりやすい。(とはいえB2Bなので相手の曲をイコライジングする局面も当然あり得る)

・4:09:20

Tooli - No Reason (John Farnham - Age of Reason)

ピアノ!四時間超にしてたぶん初めてのピアノソロ。これも多分Harvey。

なんてクールな曲だろうと思って調べたら原曲は80sのちょっとダサめな(申し訳ない)ポップロックhttps://youtu.be/adVR3MT8fGg?si=F2979n8bV_VK2vYN

これも権利チェックで弾かれる系のエディット盤だが、自分はこういうのが聴きたくて長年音楽を掘ってるまである

ウェザオールは眉をひそめたかもしれないが、無しを有りにする角度の付け方は大好き。

・5:11:46〜

Something For Kate - Killing Moon (T-Rek Desert Disco Dub Mix)

ウェザオール印。

どこまでもクールに、ダークにいくよというウェザオールの芯のブレなさ。ダブとロック(チャグ)の一貫性

ただ終盤の90分はウェザオールの色が薄まった気もする。もしかすると途中で抜けてるかも?

以降はどっちがどっちか分からない。

・6:13:10

The Brand New Heavies - I Don't Know Why (I Love You) (A Tom Moulton Mix)

Harveyによる締めのスイーツ

絞ったLoを解き放つたびに加速するストリングスとホーンとボーカルオリジナル音源100だとしたら120にも130にも響かせてやろう。

モータウン味を感じると思ったら原曲スティービー・ワンダーで納得。



あとがき

6時間半をどうやってぶっ通しで聴くかだけど、自分は一人で遠方まで運転する予定を作りました。自宅だと長尺はキツいし、ある程度の音量で聴きながら体でリズムを刻んだり叫んだりしたかたから。

最低2時間くらいはまとめて聴けるようにするとより没入できると思います


作品としてリリースされたミックス自分現場体験してきたDJプレイを含めて、トップクラスに素晴らしい音楽体験でした。

今回Harvey × AWを取り上げたけど、自分Theo ParrishRA.1000についても同じ熱量で語りたいくらいだし、というかRA.1000について日本語で読める言及ネット上に見当たらず、この文化的喪失危機感を覚えたので増田に書き殴ってやろうと思った次第です。

ありがとうRA願わくば日本のエディトリアルが復活してくれたらとてもうれしい。(翻訳最高でした)

RA.1000をきっかけにダンスミュージックに興味を持つ人が増えてくれたらとってもうれしい!

2025-08-30

高畑勲展に行くようなやつでも高畑勲の後年のアニメって見てないやつ多いよな。

火垂るの墓までは見てるんだよな。

それ以前の

じゃりン子チエとか、名作劇場とかも見てる。

で。

平成狸合戦ぽんぽこ

あっこから怪しくなる。

この高畑という人がつくるほうのジブリは見なくてもいいやつなんじゃないか

とみんな気づき始めた。

山田くんなんて見てるやつは居るのかね?

最後の遺作なんてかぐや姫テーマだと知ってても、あれ?タイトルはなんだったっけ?

くらいのノリだろ。

そんな人でも高畑勲展には来るんだろうけど、、、。

でもこれあんまり見られない理由を作り出してる、

ジブリ作品配信しない、というのも問題なんだよな。

そろそろ誰か説得しろよ。

あなた尊敬するパクさんの作品が誰にも見られないまま忘れられますよ、って。

2025-08-17

20250817 BS10[アタック25] 2025年8月17日 新作 筋トレ好き大会 2025-08-17 結果

後ろの方に懸念点あり2:25になったらtverチェック入ります→done これには影響なし

来週も再放送は土曜昼1時ちょうどから

 

赤:谷元祐輔@大阪

緑:尾藤祐基@愛知

白:國光紀子@岡山

青:村上巧市@石川

 

BSジャパネクストリニューアル BS10無料放送側で日曜昼などに放送

見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・スマートテレビ4月からtverを含め見逃し配信あり

 

-----

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

(実力テストはありません)

・01 [隠し絵][ある人物名前]野田クリスタル

・02 [モーニンググローリー]アサガオ

・03 ウルフ アロン

・04 僧帽(筋 そうぼう(きん

・05 肉)かるた

・06 パレオ

・07 [すべて]群馬 埼玉 千葉 茨城

・08 なかやまきんに君

・09 [1位をあてましょう]西表島

10 カズオ・イシグロ

11 フッ素

12 [ポチャッコ][見えてくる慣用句]腕が鳴る

・13 [2択]赤(ナシ

・14 ケトル(ベル

・15 金栗四三 かなくりしぞう

・16 ランドルト(環

17 [名物クイズが復活][アナグラム][食べ物]カイワレダイコン

・18 吉川晃司 きっかわこうじ

・19 尺(骨 しゃっ(こつ

20 第)四(代

・21 アーノルド・シュワルツェネッガー

・22 土佐(酢

23 [AC]オルセー(美術館

24 [AC2]宇野千代 うのちよ

・25 [AC3][アルファベット3文字]JST

・26 潮田玲子 しおたれい

・27 [3択][いくつ]12

28 高畑勲 たかはたいさお

・29 試金(石 しきん(せき

・30 品川(宿

31魔笛

・32 144

-----

・xx [ある人物名前]新島襄 にいじまじょう

=====

(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかテレビショッピングジャパネットたかたのテレビショッピング

16時からは「マナミ&光里のGOLF LOVERS #37」(17日曜日)

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

2025-06-19

高畑勲弟子ってむしろ富野由悠季だったのかな

少なくとも宮崎駿よりも素直に高畑手法をパクってを創作に取り入れてるような気がする。

2025-05-18

anond:20250517233750

宮崎駿高畑勲への思いが

あそこまでのものとはわかってなかった人が

多かったからかな。

もう高畑というのは宮崎にとって

決着がついた存在なんだと

根拠なく感じていた人が多かったんだと思う。

それは我々外野から見たとき

興行成績であるとか

世界的な知名度であるとか

もはやダブルスコア高畑宮崎が圧倒している

事実があるから

それを根拠になんとなく宮崎にとって

高畑とはすでに通過してしまった目標

みたいなものだと

勝手勘違いしていた人たちが多かったんだと思う。

から、だれもあれが高畑だとは思えなかった。

あの高畑への思いが炸裂していたドキュメンタリー

あれを見てようやく宮崎気持ちがわかった、

という人が多かったのだと思う。

ただ私は、あの映画を見ていて、

叔父への別れの気持ち

あの悲しみと惜別、万感たる気持ち

どっと大叔父との別れのシーン

あのシーンで伝わってきて

胸が苦しくなり涙が出そうになった。

私はあれが宮崎からの私達への別れの挨拶だったのだろうか?

と誤解していたのだが

あの思いは宮崎から高畑への思いだったのだと

あとになって理解できた。

ここでようやく本題だが

オタク考察とか無駄というか

本筋から離れる

無意味行為だと

思われる向きもあると思うが

でも、それでもやはり

あの大叔父への悲しみのあの大きな感情の正体がなんだったのか?

それが理解できたような気がする、のはとても重要なことだと思っている。

2025-05-07

メモ 独立情報収集サイトがあるかどうか調べた結果

google検索結果100件調査ときどき検索結果100件ないことがあった。インターネット文化の中に、準備をしっかりしている人が多いかどうかの調査

調査した結果、確実にあると確認できたのは中村哲氏、大江健三郎氏、楳図かずお氏の3人ぐらい。意外とない。

篠山紀信《しのやまきしん》、独立情報収集サイトなし

楳図かずお独立情報収集サイトあり 半魚文庫

渡辺恒雄独立情報収集サイトなし、伝記あり

フランツ・ベッケンバウアー独立情報収集サイトなし、

小澤征爾独立情報収集サイトなし、N協事件

鳥山明独立情報収集サイトなし、

キダタロー独立情報収集サイトなし、伝記あり

徳田虎雄独立情報収集サイトなし、伝記あり

谷川俊太郎独立情報収集サイトなし、伝記あり

水木一郎独立情報収集サイトなし、

橋本治千木良悠子氏による伝記あり

西村京太郎独立情報収集サイトあり、西村京太郎の部屋

宗田理独立情報収集サイトなし、

唐十郎独立情報収集サイトなし、

中川李枝子独立情報収集サイトなし、

鈴木邦男独立情報収集サイトなし、

石原慎太郎独立情報収集サイトなし、

大江健三郎独立情報収集サイトあり、東京大学大江健三郎文庫のみ、

畑正憲独立情報収集サイトなし、

平岩弓枝独立情報収集サイトなし、

森村誠一独立情報収集サイトなし

伊集院静

高見のっぽ独立情報収集サイトなし

三島由紀夫独立情報収集サイトなし、、三島由紀夫文学館

半藤一利

瀬戸内寂聴独立情報収集サイトなし、

C・W・ニコル

小柴昌俊独立情報収集サイトなし、

梅原猛独立情報収集サイトなし

堺屋太一独立情報収集サイトなし、

ドナルド・キーン独立情報収集サイトなし、

田辺聖子独立情報収集サイトなし、

緒方貞子独立情報収集サイトなし、

中曽根康弘

中村哲九州大学メモリアルアーカイブあり

スティーブン・ホーキング独立情報収集サイトなし、

高畑勲

さくらももこ

樹木希林

2025-05-03

anond:20250503074305

俺はなかなかい文章だと思うけど、俺の中の高畑勲はどう言うかなあ?

2025-03-30

絵が描けない奴にアニメは作れない

生成AIにまつわる紛糾を見てるとまるでそれが真実とでも言わんばかりの風潮を感じるのだが実際はどうなのか?

  

今ほど高畑勲に生きててほしかったと思うことはない

絵が描けないのに画が解るがゆえに徹底して絵に拘って思い通りの画が上がってくるまで何年も空費しながら映画を作っていた監督が、

今の生成AI技術

ポンチ絵と詳細な言い添えがあれば数秒で絵が作れる技術があったときに、

それを活用してどんな映画を作ったのか

気になって仕方がない

2024-10-10

ノーベルアニメ賞があったら誰が受賞すると思う?

世界的な知名度的に

ウォルト・ディズニー

宮崎駿

鉄板として、

大友克洋AKIRAの功績)

高畑勲

新海誠

とかかな?

2024-09-23

anond:20240923024257

表現したのは高畑勲から

安易戦争映画にしてしまったらその後悔部分が消えてしまうって言ってるわけ

安易戦争映画にして清太を被害者にするなら簡単で、まず親が死んだところからちゃんと描くべきなんだ、それで親戚をちゃん悪者にする

2024-09-21

Netflix火垂るの墓話題だけど…感動してる外人も、したり顔日本人気持ち悪い上にクズすぎん?????バカなの?

この映画で「戦争悲惨さを知れました」系の外人コメ

アメリカ批判したいとかじゃないんだ、ただ戦争はいけないという事が伝われば」とか系の話してる日本人

誰一人ガザの話もウクライナの話もしてなくて草www

人が死んでんねんで?

やっぱ日本人もみんなアリメリカと同じで、ハマスが何人死んでも自業自得だし、

作り話のアニメ映画では「戦争絶対ダメだね」って涙ながして感動するけど、

ガザで何人死のうがゴミや虫けらみたいなもので、心を何も動かさなった、って事だよね???

今更ネトフリで「戦争悲惨さ」に気付いてるんだからさ。

あーぁ、マジで感動ポルノだわ。

高畑勲監督は「戦争映画じゃない」って言ってたのに。

キモい受け取り手ばっかりクローズアップ

今、今なお現在戦争で人が死んでるのに

義務教育で流すべき」だってさwwww火垂るの墓を?wwwww

ガザの現状かウクライナ現実でも流せよwwwwwww

くっそウケるwwwゴミ日本人とエセ偽善者外国人共。

2024-09-19

大島渚岡本喜八もジョンカサベテスも映画のために自宅を抵当に入れてた。高畑勲なんて宮崎駿の自宅を抵当に入れてた。彼らはそんなのを作品の出来のエクスキューズにはしなかった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん