はてなキーワード: 貶めるとは
こういう時、自分の分野じゃないものに対して「分からない」だけならいいけど、分からない自分を正当化するために貶める物言いをし始める人間がいるのがネック
ファッションに対して理解できないことは別に恥ずかしいことじゃない
同じように、技術系に関して理解できない人がいることも理解した上で互いが存在することを認め合えばいい
個人的な好みだけど、男は1着でいいから自分の体型に合った仕立てのいいスーツを持っとくと、ファッションへのハードルが下がると思う
鉄オタを賑わせているこのニュース。
【井川線】
どちらにしても、「乗るのは大変そう or 大変だった」という感想が返ってくるはず。日本国内の中小私鉄でも屈指の乗りづらい路線で、鉄道が好きでも正直しんどいと思う。
そんな、たどり着くのが大変すぎる路線、観光路線にすること、値上げをすることは悪くないと思う。中電が赤字を補填しているが、裏を返せば何か新しいことを始める動機付けも産まれないのである。どのような交渉をしたかは知らないが、アンタッチャブルな領域に手を付けたこと(実情は知らないけど)、条件次第では、例えば黒部峡谷鉄道のような付加価値をつける活動に着手が可能になったのは良かったと思う。
料金やタイミングは熟考しなきゃだけど、「定期利用者が全くいない」「沿線利用も全くない」という超特殊路線であれば、脱法的なスキームとは言い切れないのではないんじゃないかな。同じことを東海道新幹線でやったらそりゃブチ切れだし絶対に認可降りないけど、状況があまりにも特殊なので、井川線は。
【川根本町】
井川線が走る川根本町。ここの議会や住民のマインドは長いこと気になっている。(もちろん、かの社長みたいに、その住民をまるごと腐したりは絶対しない。走らせてもらっているのだから、敬意を持たなければならない。)
昔からあった鉄道は、なおかつSLやトーマスが観光客を大量に運んできた鉄道で、たまたま保有できている強い観光資源だった。一方で、沿道はトンネルや道の付け替えで日に日に道が良くなっていき、とうぜん鉄道利用は減少した。鉄道が生活から離れていくにつれて、そこに住む方々の認識も変わってくる。「大鉄はSLでたくさん儲けている」と思ったり、ともすれば「たくさん稼いでけしからん」くらいにはおもっていたのではないだろうか。
この地域では地方ローカル線でありがちな「マイレール運動」は全く起きなかった。乗らなくても稼いでいる路線なので、自分が乗る必要がなかったのである。乗ってもらう運動を、会社からも、沿線からも起こすべきであったのである。さらに本当はやるべきだったのは、会社から町議になる人の輩出だったかもしれない。もう後の祭りだが。
鉄道に対してとにかく他人事な印象を持っている。もし会社に何があると、そうなった原因を激しく追究するが、支援はしないという光景を何度も見た。お金のない自治体でやむを得ない部分も多々あり、きちんと連携するのはまだまだ時間がかかるかもしれない。
今回の件も、「直前になって言われても準備ができない」旨を投稿する町議がいたが、スピード感的に、どんなタイミングで言っても観光列車化は実現できなかったorものすごい時間がかかったと思う。
ただ、SNSで発信する人たちは町内のなかでも非常によく考えてくださっている方々だ。表に出てこない20人以上?いる町議のうち、かなり多くが「大鉄けしからん」が今も昔も先行していると思われる。今回も根回し不足が指摘されているが、そもそも自治体に膝をつけて会社の話を聞いてくれる人が今まできちんといたのか?ここも怪しいのではないか。話を聞いてくれない、聞いても出来ない理由を延々と並ばれて話が進まない……みたいな状況がずっと続くと、時間も限られるわけで、不意打ちをするしかなくなるのかもしれない。
何のために鉄道を残すのか。そこを町議会、住民が立ち返って考えなければならないと思う。
【その他】
仕事で目にした言葉で、「経緯には敬意を」というのが最近気に入っている。カスみたいな業務システムも、最初入れたときは善意で始まっているのだ。
複数の鉄道会社を渡り歩いた人が、なぜ地域に敬意を払えないのか、なぜ会社がピンチであることの経緯をきちんとヒアリングしないのか。自治体も良くないところがある。けれど、一方的に貶めるような発言は論外である。経営者がやることではないし。いい年した大人がやることでもない。
「発言は個人のもの」は幻想である。どうしても個人でブログを書きたいなら、サイト名から社名を消してほしい。
オーナー会社とどのような契約になっているか知らないが、沿線自治体から抗議文を渡されるなど前代未聞である。ブログを取り上げるか、社長から降ろすか、
沿線住民の悪口なんて、平社員が実名ブログやSNSでやったら処罰の対象でしょ?会社を不利な立場にした人にはきちんとした対応がいると思う。
そのルールで言えば、対外的に社長から社員に対する謙称もないと思うが
(いうまでもなく、社長がパワハラ気質で社内で侮蔑しまくるのは別の話)
>「妻が夫を貶めることもあるだろ!宿六とか!」
最初から「夫を指す(夫を貶めているわけではない)言葉」って言ってるのに、なんでこんな反論が来ると思ったのか理解に苦しむが
会社に対する謙称「弊社」はあっても社長に対する謙称はない(せいぜい呼び捨てにするくらい)というのと
家に対する謙称「拙宅」「荒屋」などはあっても家長に対する謙称はない(せいぜい呼び捨てにするくらい)というのは
まったく同じ話だよ
それは違うでしょ
「弊社」ってへりくだるのは自分が会社を所有しているからではなく、構成員の一人だからであって
「宿六」はダイレクトに「ろくでなしの夫」という夫を直接貶める語だからミラーにならんよ、俗称だからとかではなく
「アホ妻」って言ってるのと同じだからね
今のフェミはだいぶアレになったな。
表現の本質は、"落としてめる"云々じゃないんだよん。そこに反応してる時点で、かなりペラペラ。
謙譲語っていうのは、内と外のコミュニティを使って上下関係を表現する仕組みなんだよね。
だから本来は、「自分側(ウチ)を下げて、相手(ソト)を立てる」という構造であって、特定の誰かを本気で貶める意図とは別物。
"愚"という言葉の表面的な意味のそれなんてそれこそ100年前からやってるアホ話なわけだ。
問題は、「妻を勝手に“内”として扱っていること」。もっと言うと、「自分のコミュニティとして束ねていること」。
この表現が成立する前提は
妻を“自分の側の一部”として、いわば所有物として扱っている構造の問題。
ヒエッってなった
宗教保守とツイフェミの元々の類似性とか、参政党に理解を示した北原みのりとか、高市支持のろくでなし子みたいに、女よりトランスとか外国人を優先する左派を嫌って右傾化するフェミは最近かなり多くなったし、チン騎士と化した右翼と右傾化したフェミの融合は近そう
https://w.atwiki.jp/thehunter_cotw/?cmd=backup&action=show&pageid=1&id=10566
日本女性を叩いて女性差別と分断を拡大させるアンチフェミ
女性は国の宝で守られて当然なのに「マン媚び国家は滅びろ」と正体を隠さないアンチフェミ界隈
ジャニーズ問題のメディア報道に疑いも持たずに叩いてた表自界隈とウヨク保守
下品エロが制限されると怒り日本国旗を燃やす異常行為を擁護し、保守の表現規制を攻撃し、反日表現を「どんな自由も守られるべき」と擁護する表現の自由界隈の方々
反日カルト統一教会を悪くないと擁護し続ける表自界隈とウヨク保守
「アズールレーン」「ブルーアーカイブ」など女性蔑視下品エロゲーム・アニメは中国韓国製が多く、金を流し続け品位と秩序を貶める表自界隈の方々
「表現の自由」を拡大したのは統一教会の指示
フム( ˘ω˘ )
正体が見えてきた。
子供に関して学校で暴言などを吐くだけで(暴力は伴わないが暴言に限り際限がないレベルであると過程)少年院や特別支援学級に入ることはありますか?
gemini回答
結論から申し上げますと、暴力がなくても「際限のない暴言」の内容や背景によっては、少年院に入る(送致される)可能性も、特別支援学級への入級を検討される可能性も、どちらもあり得ます。
ただし、この2つは「目的」が全く異なります。少年院は**「法的な制裁・更生」、特別支援学級は「適切な教育支援」**のための場所です。
それぞれのケースで、どのような判断基準があるのか詳しく解説します。
暴力がなくても、暴言が「犯罪」とみなされ、家庭裁判所が「更生には施設への収容が必要」と判断した場合です。
該当しうる罪名: * 脅迫罪: 「殺すぞ」「家を焼くぞ」など、生命・身体・財産への危害を告知した場合。
侮辱罪・名誉毀損罪: 他人の前で著しく貶める発言を繰り返した場合。
威力業務妨害罪: 暴言によって授業を完全にストップさせる、先生を動けなくさせるなど、学校の運営を妨害した場合。
単なる「口の悪さ」ではなく、相手に深い精神的苦痛を与えていたり、自殺を考えさせるほど追い詰めたりしている場合、非常に重く見られます。
流れ:
警察や児童相談所から家庭裁判所へ送られ、鑑別所での調査を経て、審判(裁判)で「少年院送致」が決定します。
2. 特別支援学級に入る(入級)ケース
こちらは「罰」ではありません。暴言の理由が「本人の性格」ではなく、**「脳の特性(発達障害など)によるコントロールの難しさ」**にあると判断された場合です。
対象となる学級: 主に「自閉症・情緒障害特別支援学級」です。
情緒障害: 感情の起伏が激しく、パニックになると言葉のコントロールが効かなくなる。
ADHD(注意欠如・多動症): 衝動性が高く、思ったことをすぐに口に出してしまう。
入級の仕組み:
学校や教育委員会が「現在の環境では本人が学びを継続できず、周囲への影響も大きい」と判断し、専門家による診断や判定を経て、**「保護者の同意」**を得た上で決定するのが一般的です。
もし暴力がなくても、学校生活において「際限のない暴言」が続いた場合、以下のような段階的な対応が取られることが多いです。
出席停止(学校教育法第35条):
他の児童生徒の学習権を守るため、市町村の教育委員会が「出席停止」を命じることがあります(公立小中学校でも可能です)。
学校だけでは対処不能な場合、警察や児童相談所と連携し、家庭環境や本人の精神状態の調査が入ります。
民事訴訟:
暴言によって相手が不登校になったり精神疾患を患ったりした場合、被害者側から加害者の保護者に対して、**多額の損害賠償(慰謝料)**を請求されるケースが近年増えています。
学級崩壊とかあるがあれって法的には威力業務妨害に該当するんか。
あと教委による出席停止処分とかあるのね。
どちらに行くかの分岐点はその評価対象が本人由来の性格か、病気によるものかの分類なのか。
普通に予想外れたわ
まず前提として、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではない。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも与えられている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本赤十字が」「②公共の場、誰の目にも入りうる場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④公共性の高い事業のプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本赤十字が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日赤はポスターを撤去してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、公共の場で、日本赤十字によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、雅子さまが名誉総裁を務めておられる日本赤十字ではなく、一般企業や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「宇崎ちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、献血ポスターにふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
飽きてきた。だから書く。後から見返す用。 俺はいわゆる反AI側のアカウントとして認識されてる。AIイラストの話が中心。Xのフォロワーは7000ちょい。中規模。あと反ワクチンとかはやらない、あれは人命に関わるし。 この記事は俺が意識してた、というかおもろいと思ってたところ。
理由は単純で、「事実」と「観測」と「推測」を薄く混ぜると、受け手が勝手に補完して勝手に怒るから。多分彼らにとっては断定に見えてる。 例えば、「〜だ」じゃなくて、「〜なんじゃないかな?」で十分。
「これは違法」じゃなくて、「規約的にグレーっぽい」で十分。俺がやってるのはせいぜい「見える範囲の事実の並べ替え」と「感想の添え物」だけ。それ以上を言わない。言う必要がない。向こうが勝手に“決めつけ”をやってくれる。まあ偏ってるだけでニュースとか一緒。 法的には問題にならない。事実しか言ってないし。 この記事も倫理的には無茶苦茶露悪だけど誰の誹謗中傷もしてないし、誤情報の拡散してすらいないから開示請求のとっかかりすらない。
自分が適当に投げた例えが、数日後には他人の口から「定番の説明」として出てくる。これが一番楽しい。 「AIでイラストを作るのは、XXXでXXXを使ってるようなもの」みたいなやつ。 そういうのが好きなんだと思う。短くて、怒りに変換しやすいから。「あ〜この人たちは比喩さえ自分では作れないんだな〜」って
こちらは追加で何もしてないのに、勝手に工程が増える。この交換比率がいちばん気持ち悪くて、いちばん楽しい。滑稽
今回みたいに露骨なことを書くと、確実に言われるのが 「こいつはAI推進派の偽物だ」「反AIを貶めるための工作だ」 みたいなやつ。 反AIの側の人間が、自分の認知的不協和を守るために勝手に動いてくれる。むしろこういうのを定期的に流したほうが敵が増えていいみたい。
俺は反AIの怒りを、燃料として扱ってる。熱量を回して数字にする。 本気の人が多いほど燃える。だから、たぶん悪いことをしてる。ここは否定しない。
反応のパターンが固定化した。 同じ導線、同じ言い回し、同じ内輪揉め。 新鮮さがない。 それでも回るから続けてるけど、手触りが薄い。 だから、ここに書いた。別にお金目的じゃないし。
俺はChatGPTみたいな生成AIは普通に使ってる。 仕事でも私用でも。 AIイラストは嫌い。そこは趣味の話。見たくないものがあるというだけ。マジで嫌いなので話も合わせやすい。 思想としての反AIは正直どうでもいい。遊びの素材として便利だっただけ。 それとこの記事の大部分もAIに書かせてる。 俺が箇条書きで要点だけ出してAIに清書させてる。文体で余計な情報が漏れにくいし癖も出にくい。楽。 要するに反AIを弄ぶのが楽しかっただけ。 飽きたらやめる。道具と同じ。
認識上の自信を失う経験の例が、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「娘時代——ある女の回想」に見つかる。ボーヴォワールはサルトルとの哲学的な小競り合いを回想しているが、そこにはサルトルがボーヴォワールに対して認識的不正義を犯しているようだ。
“毎日、一日中、私は自分とサルトルを比較した。私たちの議論では、サルトルが格上であった。リュクサンブール公園のメディチ噴水のほとりで、ある朝私は、それぞれの人に各々の理があるという道徳的多元主義を主張した。この理論によれば、自分の好きな、しかしそうなりたくはないような人たちを弁明できるのだった。サルトルはそれを木っ端微塵にやっつけた。私は頑張った。なぜなら多元主義の立場に立つことによって、私は自分の心を善悪の裁判官のようなものにすることができたからだ。私は三時間もの間もがいたが、自分の敗北を認めざるを得なかった。そのうえ、私はこの会話をしている間に、私の意見の大部分が偏見か、さもなければ不誠実さ、あるいは軽率さからきていることに気づいた。私の論理は不安定なものであり、私の考えは混乱していたのだった。「私はもう自分の考えていることに、そして考えることにすら自信がない」。私は完全に負けたことに気づいた。”
すぐれて優秀な哲学の学生であるボーヴォワールが、証言的不正義を経験することで落胆する様子が見て取れる。彼女は、自分がまともに考えているかどうかにさえ自信を失っている。この経験は彼女の知的分岐点となり、彼女は自分が哲学に向いておらず、作家になる運命にあると考えるに至った。
証言的不正義と認識的自信に対する攻撃は、一度きりにせよ、知的に侮辱を受け続ける経験の中で最後の一手であっても、人の知的な発達過程を決定的に変える力がある。証言的不正義をそのとき被ったという経験が、人格やキャリアに重大な帰結をもたらすように不当に貶める形での認識的侮辱に当たることは明らかである。
→認識的不正義の加害者は、その被害者が「十全な人間以下の存在である」という社会的意味を状況として与えることで、被害者をその人が本質的特徴として持つあるカテゴリーとして差別的に拒絶することを狙う。
2. キャリア上の妨害と、自分の信念への自信を失う(反論を受けたり、反論の可能性があるというだけで自説を撤回しがちになる)ことで知識の獲得を失うという認識上の、二次的害
→認識的不正義の加害者は、慣習的に正しいとされるものとは別の考えを検討しようとする強い意志や、反論を受けても粘り強く思考する決意を、阻害しようと目論む。
ものすごく個人的な感想だしみんながみんなそうではないと思うが、どうして、いわゆる「仕事ができない人」とか「社会人としておかしい人」とかは、何かと言うと「大切な仲間」「絆を感じる」とか海賊漫画に出てきそうな単語を使うんだろうか。
あくまでも増田個人がこれまでに見てきた人間の中で という話なので、例えば営業成績エリアナンバーワン とかの人でもそういう絆とか仲間とかの言葉を多用する人はいるだろうし、逆に全くそういう言葉は使わなくて、仕事に向いてない人もいると思う。そういう人たちを増田自身見たことはある。が、なぜか印象に残ってるのは「全く仕事できないくせにでけー顔をしている(肩書だけ)管理職」とか「出世して管理職なってるけど暴力ありのパワハラぶちかます30代前半」とかそういう人種だ。そしてそれらの人種は、本当に不思議なことに、結構な頻度と確率で「○○は俺らの大切な仲間だから」とか「このオフィスのメンバーには絆があるから」とか言う。
好きな人には申し訳ないのだが、EXILEも一時期、清木場俊介が抜けてメンバー加入させるくらいのタイミングでよく「仲間」「絆」とか言ってたなーと思い出した。そして増田が前述した「仲間」とか「絆」を使いがちの人たちは多分EXILEオーディションとか受けたことありそうな、割に迫力ある感じの見た目だった。もちろんEXILEの人たちなんかは真面目なんだろうし、最近は若くて爽やかな見た目の人も多いし、増田が言ってるのは20年近く前のEXILEだから、今のEXILEはじめ関連グループのファンの方は怒らないでほしい、決して貶める意図はない。EXILEって結構体育会系というか、言葉は悪いがマイルドヤンキー感というか、そういうのを感じるからもしかしたら増田が言う「仕事できない人たち」もマイルドヤンキーなんだろうかとも思ったが、反社っぽい奴から元公務員まで色々いたから「マイルドヤンキーだから」は違うような気もする。
増田がそういう人たちの印象が強いからそう思ってるだけなんだろうか。それとも結構どこでもある話なんだろうか。どうでもいいけど気になる。
書かれている内容からすると「炎上しなかった=運がよかった」という感覚と同時に、「だからこそこれからは発言に気をつけたい」という姿勢が見える。
SNSでは、同じ内容でもたまたま見つかるかどうか、アルゴリズムのタイミング、誰が引用するかなどで、突然バズったり炎上したりする。
だからこそ、
言葉の扱いは重要な倫理テーマである。たとえばタルムードでは「ラション・ハラ(悪い言葉、他人を貶める言葉)」が強く戒められている。
有名な教えではこう言われる。
「死と生は舌の力にある」(箴言 18:21)
つまり、言葉は人を生かすことも傷つけることもできるという考えである。
SNSは言葉が瞬時に広がる場所なので、「言う必要のないことは言わない」「人を貶す言葉は避ける」という姿勢は、古い倫理と現代のネット文化の両方に合っている。
むしろ面白いのは、お前が「昔は結構きわどいことを言っていたが今は慎むべきだと思っている」という変化が起きている点である。これは成熟の一つとも言える。
いつまでも男にまともに人間扱いして貰えない若かりし頃のこじらせを他人に発散するのはやめてください、見苦しいです
同性を攻撃するのはやめてください、女として扱ってもらいたかったならなんで過去に努力しなかったんですか?
若い男も若い女も普通のおじさんもおばさんもフェミおばさんには興味ありません、職場や子供のための集まりにフェミニズム押し付けてこないでください、気持ち悪いです
なんで努力する他人を貶めるんですか?努力せずに生きてきた自分が惨めだからですか?同世代の輝いてる人が弛まぬ努力をしていることがそんなに許せないんですか?
フェミおばさん、あなたはこの先何があろうと主役にはなれません
自分の人生の主人公であることには変わりませんが、主役ではありません
是非自分を見つめ治してください、まあどうせ眼球も曇ってるでしょうけど