はてなキーワード: 歌手とは
1953年女優デビュー。テレビタレント第1号。1954年ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で人気に。紅白司会は5回。1976年「徹子の部屋」放送開始。1980年『窓ぎわのトットちゃん』出版。35ヶ国で2500万部発行。1984年ユニセフ親善大使に任命。1977年の「プリマ・パンダ」は音楽学校声楽科出身の歌唱力を堪能できる怪曲。https://youtu.be/aL32qwgwQM8?si=yd9J3Fj6nHPtFL04
1958年テレビ番組「歌の広場」でデビュー。作詞家作曲家として数多くの社歌や県市町村歌を作った。86歳で自作曲の大洋ホエールズ球団歌「行くぞ大洋」を美声で弾き語りして元気な姿を見せた。https://youtu.be/EmkjRHDdPAA?si=UrVdzmm7CwqG2Gan公式サイトは“古のインターネット”で怪しさ満点。http://home.v01.itscom.net/mitaka/
1950年松竹歌劇団に入団。1953年映画デビュー。1958年音楽バラエティ番組「光子の窓」司会。レコードも出しているはずだが把握しきれていない。81歳の時のシャンソン「行かないで」はそれまでのミュージカルでの演技体験が生きている。https://youtu.be/wyDBU3LMak4?si=AzJ14IjrLUqy5fCs「なかにし礼と12人の女優たち」は隠れた名盤。
美輪明宏(90)
1952年シャンソン喫茶銀巴里で歌手デビュー。1957年「メケ・メケ」でレコードデビュー。シスターボーイ・ブームを起こす。1967年「毛皮のマリー」初演。紅白は4回出場。1965年発売の「ヨイトマケの唄」を紅白で見た時の感動は絶対に忘れることができない。https://youtu.be/8NK9jtPyQdk?si=fIZpMXsqS3DL3WgG
山本富士子(94)
「日本一の美女」と呼ばれた国民的スター。1950年第1回ミス日本優勝。1953年に映画デビュー。日本映画全盛期を代表する大女優となる。1963年悪名高い五社協定の犠牲になるが一歩も引かずテレビと舞台で活躍。高峰三枝子以来の歌う映画スターとして何曲もレコードを吹き込んでいるが全貌がつかめないでいる。https://youtu.be/3mmlSAn45Gw?si=HVA1cAwNaciFHOxJ夫は作曲家の山本丈晴。
初代コロムビア・ローズ(93)
1952年当初は覆面歌手としてデビュー。当然コロムビアレコード所属。1956年「どうせ拾った恋だもの」1957年「東京のバスガール」等立て続けにヒットを飛ばし紅白に5回出場。初代の引退後1962年に二代目がデビュー。1964年「智恵子抄」がヒットし紅白出場。2004年に三代目がデビュー。2015年にクラウンに移籍しコロムビア・ローズの名を返上する。2010年には二代目が死去しコロムビア・ローズとして残るのは初代だけとなった。三代揃って「東京のバスガール」を歌う貴重な映像。https://youtu.be/cyCzhcd1sMo?si=yH2WNq-6UsRJ5Emi
寿美花代(93)
1948年宝塚歌劇団に入団。男役トップスターに。紅白にも出場。レコードも出しており「ボンジュール街角」はその頃の華やかさをよく伝えている佳曲。https://youtu.be/WoxnZmzmWZM?si=2DGP6tznpKZTQ4ji高島忠夫と結婚。「ごちそうさま」等テレビで長く活躍した。高嶋政宏や高嶋政伸は息子。
大学卒業後プロのミュージシャンになる。幾つものバンドを渡り歩いた後1964年ドリフターズに加入。次第にコントの仕事が増える。1968年ザ・ドリフターズとしてレコードデビュー。1969年「8時だョ!全員集合」で大ブームに。1997年CDデビュー。1999年の「僕の大好きな場所」は篠原ともえ作詞吉田拓郎作曲のハワイアンナンバー。得意のウクレレを弾きながら歌った。https://youtu.be/fuliICJK6wY?si=7dVlVYjwSFB1CX7h
1958年タンゴバンドで歌手デビュー。1962年レコードデビュー。1967年「知りたくないの」が大ヒット。1970年「今日でお別れ」でレコード大賞。紅白出場は実に22回に及ぶ。今もなお精力的に活動を続ける。驚くほかないが去年はほぼ毎月コンサートを行いテレビに出演し歌を歌っている。CDも絶え間なく出していて、2021年の最新シングル「「歌よ…あなたが居たから」は吉幾三作詞作曲。変らぬ風雅な歌声を聴かせてくれる。https://youtu.be/IazqkIdPsLU?si=KYU7c3jc58EWMBAU (続く)
桜井稔(99)
この人のことは私もよく知らない。タイヘイマーキュリー時代のレコードはここhttps://zarigani3.web.fc2.com/tm-rp/sakurai.htmに網羅されており昭和二十年代デビューだと窺える。代表曲は「哀愁の佐渡航路」だろうか。https://youtu.be/K8LUvE1lQvM?si=-F6QvPiqEDX6SIBV作曲家としても活躍し愛知県弥富市で桜井稔歌謡研究所という歌謡教室を開いているようだ。
中島孝(99)
1946(昭和21)年に晴邦劇団に入団しムーランルージュ新宿座のレビューショーで歌手生活を始める。ちなみにこの劇団の主宰は寅さんのおばちゃんでおなじみ三崎千恵子夫妻。1950年レコードデビュー。1954年「若者よ!恋をしろ」がヒット。https://youtu.be/W2pdZrM2sYY?si=ltIoliyOo7tXF9Gu
菅原都々子(98)
第1回紅白歌合戦トップバッター。紅白の歴史はこの人から始まった。今では1955年のミリオンヒット「月がとっても青いから」の印象が強いがデビューは1937年。父は浅草オペラの歌手だった。二十代の頃の歌う姿が映画に映っている。https://youtu.be/G0q0XHIlnkA?si=lcz2pN6uCJN9tPwb
楠トシエ(98)
800曲以上を吹き込んだCMソングの女王。https://youtu.be/mHZsauDJAgA?si=OEyf3lpKXe8VyreV 1949年ムーランルージュ新宿座で歌手活動を始める。三木鶏郎の人気ラジオ番組「日曜娯楽版」に出演し全国区の人気者になりマルチタレントとして活躍。2011年のドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」では三崎千恵子や中島孝と共に思い出を語った。紅白には7回出場。
吉岡妙子(97)
1947年デビュー。なんといっても1954年の津村謙とのデュエット「あなたと共に」の大ヒットに尽きる。辛いことがあってもあなたと共に乗り越えていきましょうと朗らかに歌い上げるこの歌は結婚式の定番曲になった。https://youtu.be/IxIAgkwCriY?si=YpsFeQwJiZVw3uEe 1956年「私の幸せは何処へ」で紅白出場。
1949年デビュー。1953年「毬藻の唄」がヒット。https://youtu.be/MJsFookqleY?si=SshJLJFYvHFDYP0D阿寒湖に歌碑が残る。結婚し引退していたが1982年に復帰し同時代の二葉あき子や並木路子とコンサートを開いた。
曽根史朗(95)
1954年デビュー。1956年「若いお巡りさん」が爆発的大ヒット。ピンク・レディー「ペッパー警部」はこの歌のパロディにあたる。近年なんと90歳で「若いお巡りさん」を歌い話題になった。声量も音程も若い頃と変らない驚異的な歌唱だ。https://youtu.be/_gGV_HJ7JnA?si=tr4mQmj8W5n0GDGr
二葉百合子(94)
1934年わずか3歳で浪曲師として初舞台を踏む。9歳で一座の座長となり全国を周る。1957年レコードデビュー。1972年「岸壁の母」のカバーが大ヒット。石川さゆり坂本冬美島津亜矢らの師匠でもある。92歳の時に歌った「岸壁の母」はまさに絶唱。https://youtu.be/qbNknECiUJo?si=bd3ZvX76xpqLRSysこぶしも台詞回しも堂々たるもので深い感動を呼ぶ。(続く)
あちこちオードリーおじさん勢揃い回にて「最近のアイドルがわからない」という古来から言われ続けた文言が飛び交っていた
自分は年齢を重ねたからわからないのではなく、昔から全然わからない
「自然と耳に・目に入ってくるだろう」って言うけど、ずっとネットしか眺めない生活なのに自分の嗜好以外のものが入り込むわけないだろう
(ましてや田舎だと繁華街も無いので、垂れ流している音楽で流行りの曲が聴けるとかも無い)
視聴するメディアが選択性になった時点で、世間の流行りから大きく引き離されることになる
というか今ほどネット全盛でなくとも、芸能人ってのは意図して情報を収集しないと知識が欠落する対象だと思う
歌手なんて最たるもので、歌番組や(タレント活動をしている歌手の場合は)バラエティを見ない限り知り得ない。好みのジャンル以外は完全に除外される
サブスクで流行っているもののランキングが表示されているが、それを聴きに行く努力もしない
世の中のディスコミュニケーションって、これも一因なのかもしれんな(そんなこと言われ尽くしてるんだろうけどな)
「誰でも知ってる芸能人・ドラマ・映画・曲・スポーツ」みたいなのが無いもん。共通の話題が
別にそれで良いと思う
人生において、いわゆる「推し」というものが存在したタイミングが一秒たりともない。
今現在嫁はいる、過去には片思いの好きな子だっていた。でも、彼女らは推しとは違う気がする。
たとえばアイドルには興味がない。女優も俳優も、歌手も、タレントも、その人たちが作り出す作品や演技に魅力を感じることはあれど、彼ら・彼女らパーソナルには全く興味がない。テレビで見れば「かっこいいなあ・可愛いなぁ」とは思うものの、それだけ。三十分後には忘れている。
創作物ですら例外じゃない。たとえばドラゴンボールという作品は好きだけど、「どのキャラが好きか?」と聞かれると全然答えられないので結構困る。
イーロン・マスクの元息子が「下着モデル」に挑戦。ミニスカートを履いた姿が話題に。"女性"として躍進\
昨年、ファッションショーに登場した数多くの新人モデルのなかで、ひときわ注目を浴びていたのが、イーロン・マスクの娘(元息子)ヴィヴィアン・ウィルソンだ。
父とは絶縁状態、日本で大学に通っていた(2025年に中退)ことでも知られる彼女が先日、大物歌手が手がける人気ブランドの広告に登場。女性用の下着モデルとして可憐なブラジャーやミニスカートをまとった姿が、大きな注目を集めている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/00ff120cc59476cc67eae6e302d2c884250cdf50
初音ミクやボーカロイド文化が「音楽ジャンル」として固まらなかったのは、音楽的に最初から自由すぎた、という理由が考えられる。
共通の音楽的な特徴を持ち得なかったから、音楽ジャンルにはならなかった。
条件自体は、20世紀型のジャンルが生まれるための要素をほぼ全部そろえていた。
既存の音楽産業とネット発表の衝突、Pや絵師、動画師、リスナーが分業する共同体。
でも決定的だったのは、音楽的特徴が固定される前に拡散し切ってしまったこと。
ブルースやヒップホップは、リズムや語り口、音階といった「これだ」と分かる共通様式を先に獲得した。
一方ボーカロイドは、ロックもエレクトロニカもメタルも実験音楽も、最初から全部飲み込んでしまった。
その結果、「耳だけでこれはボカロだ」と言える型が固まる前に、表現が四方八方へ広がっていった。
ボーカロイドは音楽ジャンルというより、制作そのものが主役のプラットフォーム文化。
楽曲、イラスト、動画、コメント、二次創作が完全に横並びで、どれか一つが中心ではない。
ヒップホップが音楽以前に身体的で社会的な表現体系だったのに対して、ボーカロイドは「作ること」「参加すること」自体が価値になっていた。
ニコニコ動画も、育てる場ではあったけど、固定する装置ではなかった。
20世紀の産業は、名前を付け、境界を引き、代表作を正典化してジャンルを固めた。
そう考えると、ボーカロイド文化は「音楽ジャンルが生まれにくくなった21世紀」を早くに体現してしまった存在だったと言えるかも。
真似女が話題になってた。
私の母も真似女だったと思う。
30以上離れている私の持ち物をやたらと真似したがった。
新しく始めた仕事が軌道にのって、年収が上がって比較的自由に買い物できるようになり、それまで適当だった身なりを整えるようになった。
最初、私が白いスニーカーを買うと、母も白いスニーカーを必死こいてネットで探して買った。なぜか2足も3足も白い靴が増えていった。
「お母さんも欲しくなっちゃった」と言われて、その時は気に入ったならいいんじゃないと思ってた。
ところがそれで終わらなかった。
私が気に入って黒いコーデばかりしていれば、突然黒い服を買い始めた。
家族一緒の集まりに出かけるため私がお気に入りの黒いワンピースを着てリビングに行くと、母も黒ワンピースを着て立っていた。
私が黒のワンピを気に入って頻繁に着ているのを知りながら。
私が白いコートを着れば、それまでカーキやネイビーばかりだったのに、突然白いコートを買ってきた。なお実際着ているところは一度も見なかった。
Tシャツを好んで着ていればそれまで真逆のふんわりブラウス系ばかりだったのがTシャツを着始めた。それに合わせたのだろう、だぼついたジーンズを引きずって歩きにくそうにしている後ろ姿になんとも言えない気持ちになった。
ジュエリーを買えば、母も必死にジュエリーを買い始めた。「どう?10回払い!」と見せてきた。イオンで買った、10万円くらいのネックレスだった。
10回払いにおののいた
私が仕事のことで父に褒められていると、「お母さんもね、」と自分の昔話で張り合ってきた。
私が珍しい病気になったとき、ちょっと似たような症状があるだけで「はっ!お母さんもそうかも!」と言い出した。
私の話は一切聞かない、会話泥棒でもある。
昔はサンリオやキャラものを子供に持たせることすら嫌うほど鼻で笑っていたが、私がサンリオの持ち物をもっているのを知るとサンリオを見るだけで「きゃー!わー!かわいいー!」とオーバーなほど騒ぐようになった。
昔ブラジャーを買ってもらえなかったから、大人になって少し良い補正下着をつけていたのだが、母も真似して同じブランドを着け始め、私と父の前でおっぱいをゆさゆさと自分で手で揺らして見せた。
この人やばいと思った。
いつの間にか、話し方、座り方、瞬き、そういった癖まで真似するようになっていた。
何かとすべて、「いいなぁ、お母さんも…」と言っていた。
私がテレビに録画していたとあるバンドの特集に気付いたのか、ある日から急にそのバンドいい!フェスに行く!と言い出した。
母はスタンディングのライブというものに一度も言ったことがない。行きたいと言ったのは真夏のロックフェスで、開催地は飛行機乗り継ぎの距離だった。
そうなんだ、どの曲が好きなの?と聞いてみたら、「一番有名な一曲しか知らないw」と言っていた。
なんでも挑戦させてやりたいつもりだったが、あまりに無謀だった。
地方に昔の歌手が来てくれる機会が増えていたので、そういうものに行きたいと言ったときはどんどん行けと送り出した。
ファッションは別にどれもベーシックなアイテムだ。人が持ってるものを欲しくなることもある。
年老いて、自由な時間が増えて、自由にお金使いたくもなるだろう。育ててきてもらって、そのうえその時は実家で世話になっていたからそのくらい、と思ったこともあった。
でもその頻度と、食いつき方がどうしても狂った人にしか見えなかった。
不満や寂しさがあるのだろうと思って、母の助けになるものだとか、美容グッズだとか、ときどき温泉旅行もプレゼントしていた。
でもそんなのは無意味で、ますます境界線がなくなるだけだった。
弟の面倒も、家族の食事作りも、家に金を入れるのも欠かさなかった、母の緑内障の手術代も払った。父の浮気発覚の時の母の奇行も愚痴も私が受け止めた。
けれど弟はすべての家事を免除されていて、結局私は母の若返り願望をかなえるためだけの存在だった。
なんでも母の話を聞いてやって、これ以上さみしさを埋めてやる必要がないことに気付いた。
父もおかしいと思っていたのか、娘に嫉妬してるんじゃないのか?と言われたと、怒った母に聞かされた。
買い物に冷静になった方がいい、ちょっとおかしいと窘めたことがある。テレビショッピングで注文したものが毎日のように届き、毎晩ネットの通販サイトにかじりついていたからだ。
「え?え?えー?」とすっとぼけた声を出すだけだった。
3年会ってない。
真似する相手がいなくなって、母は今どうしているんだろう。
なんで女親と娘ってこうなってしまうんだろうな。
1990年代に、バラエティ番組への出演など歌手以外の活動を嫌い地道にライブ公演し始めた宍戸留美らが地下アイドルの元祖とされています、らしいんだが
dorawiiより
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響咲リオナ最高!推しだわ!可愛いすぎる!これからもずっと響咲連合のリオラーです!
12月上旬ころにホロライブの響咲リオナにハマったので、3週間ほど経った今の感想を書いておこうと思う。
2025/11/29に開催されたわための大型マイクラ企画「ラムベガス」。
羊のレースの予想をしているホロメンの予想を盗み聞きして無言で予想を立てるリオナ。
コメントに反応し、壁に移動し、
「ボッチっていうな。2026年の目標だから。人と話すのは。」
「あーすみっこ落ち着く。やばいここ。ここから離れられない…。」
https://www.youtube.com/shorts/NqJdI2dygCs
こんなにコミュ障だったの!?と驚き、可愛すぎてハマってしまいました。
ハマる前は、あまり見たこともなくて偏見でしかなかったのですが、
FLOW GLOWがラップなどの意識高い系音楽アーティストグループのイメージがあり、
そのリーダーということで委員長キャラなどを想像して少し怖いというか淡白な子をイメージしていました。
今思えば完ぺきに偏見です。完全に真逆で、ぽやぽやしたちょっと抜けている可愛らしい子でした。
そして、あざとかわいい。
やったー!とか。女の子って感じ。
歌は圧倒的な声量。そして安定感。声はかっこよかったり、可愛かったり、曲によって様々。
最初は借りてきた猫。
だけど仲良くなるとだんだん本性を出していく様がよい。
同期の前ではかなりはっちゃけてるみたい。
スバルの前ではちょっと頑張って面白いところを見せようとしている様子。
ショートパンツを惜しみなく見せてくれたり、セクシーなダンスを踊ったり、ものすごく揺れていたり、
仲良くなるための会話で、ご趣味は?と聞かれてスプラッター映画と答えたり。
話し広げにくいがなw広がってたからよかったけど。おかゆんには感謝。
でもその不器用なところが好き。
スバルの「デスケード」とか、
ちはの「さぁ」みたいな語尾や口癖があると、リオナの声がどれか分かっていいな、と思いました。
何がいいかは思いつかないけど。
舐められないように強そうな立ち振る舞いを意識しているが、小動物に弱く、甘やかしがち。
少年漫画も好きらしく、クールな見た目に反して意外と熱血タイプ?」
あんまりこのイメージないので、もっとぽやぽや感を出した宣伝文に変えた方がいいのでは?
内情を知らないのであくまでイメージだけど、今のマネージャーシステムはおそらく、スケジュールなどの管理とかがメインだと思う。
管理だけではなく、現状の分析、方針決め、タスク量の調整、などができるプロデューサーを充実してほしい。
主人公らしく、初期では劣勢、でも逆境を糧に変えて最後には勝利・・・、となってほしい。
リオナ:主人公
すう :親友
ちは :頼れる兄貴分
ヴィヴィは関西弁、声の特徴、ぺこらの弟子、とか分かりやすい強みが多く、また意外と弱い所もあって奥行きもある、非常に手ごわいライバルだけど、
「そんなの一部の女です!まともな女を一括りにするな!」とわめく女よりも、
なぜ女ばかりやるのか、女同士で批判や討論が起こる
そうかなあ?
それは男性と同じ程度じゃなかろうか?
男性がどうにかしてよって言いたくなるのもわかる
でも先日 韓国で歌手の男性相手に何か犯罪した日本人女性が出たし、
強過ぎる性欲の影響は無視できない程度には大きいと思うんだよね
性欲が弱いなら犯罪までしなかった犯罪者は少なくないのではないか
だから「性犯罪したい、犯罪してしまおうか」と思ってしまった時に、
性欲を低下させる作用の薬が使えれば、
お医者さんに相談して抑制薬をもらって落ち着ける仕組みがあればいいなと思ってる
そういう実験を重ねて抑制薬や医療的対処ができないかなあと思っていたんだが
以下の増田が出た
https://anond.hatelabo.jp/20251221203812
増田も流石にそれは言いすぎだと思う。
ヤバ男や性欲旺盛に悩む男性に
与えることは有用だと思うので
今後日本にも導入されてほしい
女性にも抑制薬があればヤバ女の一定数は犯罪せず踏み止まれるのではなかろうか
思いつかないわけがない、
まだ研究中で実行は難しい段階なのかなあ
性的な店に行って発散して抑え込めってのが