はてなキーワード: ホームとは
非女性向け作品(少年漫画や一般向け作品など)を原作とする二次創作BLの勢いについて、過去と現在の比較や変化の傾向をまとめます。
非女性向け作品とは、「ジャンプなど男性読者が多い媒体」や「登場キャラクターがイケメンばかりではないもの」「カップリング消費がメインではない作品(例:『鬼滅の刃』)」と定義します。
衰退が囁かれる一方で、特定の非女性向け作品は依然として強力な勢いを維持しています。
結論として、非女性向け作品の二次創作BLは、かつてのような一極集中の爆発的な勢いは見えにくいものの、「ホームジャンル」として定着した安定ジャンルと、多様化・分散した中規模ジャンルが並立しており、必ずしも衰退しているわけではなく、その「形」が変化していると言えます。
こういうところに気付けてるなら多分増田嫁も参加してたよな
仕事の打ち合わせとスケジュール確認で「これ間に合わないよ」と言われて「申し訳ございません」と謝る夢と、
結婚して子供がいる中学の同級生の平松くんがホームビデオを撮っているところに遭遇して、劣等感をおぼえて、会うと気まずいからそそくさと別の場所に移動するみじめな夢を見た。
31歳になった。今年、嫁にした彼女の話をどうしてもさせてくれ。
彼女とは元同僚。別の部署だったが初めて視界に入れた瞬間、胸の奥が静かに落ちた。155cmの小柄な体躯、幼さを残した瞳の奥にキリッとした大人の色気が潜んでいる。あの絶妙なバランスは、まさに自分の好みのど真ん中だった。運動音痴で陰キャの俺が、こんな可愛いロリ巨乳の彼女とゴールインするなんて。
会社は飲み会が日常茶飯事の陽キャ天国。大学生ノリが横行する中で自分はただただ浮いていた。大人数の輪など苦痛でしかない。だから酒を浴びるしかなかった。酔えば人に合わせられる「酔うキャラ」——それが当時の自分の唯一の立ち位置だった。今思えば痛々しい。だが彼女の前では、不思議と肩の力が抜けた。
きっかけは、ジャニーズと映画だった。特に嵐。ピカンチをDVDで揃え、Dの嵐を違法視聴横行時代YouTubeで漁っていた自分のマニアックな知識が、彼女の琴線に触れたらしい。一対一やカラオケでは、相手の趣味に全力で溶け込めた。Filmarksで「好き」を静かに共有する関係から始まり、初めての二人きりの飲みは夜の7時から、気づけば午前2時を回っていた。ホテルには連れ込まず、できる男を装った。あの時の冷静さは、イケメン友達の教えと、世の女性たちへの感謝(特にポインティ動画)によるものだ。男はポインティを見ろ。
その後、電話が2人のメインコンテンツとなった。一日中繋がったままラインの履歴が半日を超えた時はさながら高校生の恋愛みたいで自分でも呆れた。会話のテンポが心地よすぎて離れられなかった。もどかしさ、まさに思春期の甘い時間だった。
しかし進展は止まっていた。
本当の転機は、彼女の退社日。送別会の二次会はまさに混沌の宴だった。個室で腕を組んで眠る者、階段で力尽きる者、トイレで吐き潰れる者——カオスそのもの。酔いの波に身を任せ、自分は何度も彼女を外へ連れ出した。都会の深夜2時、酔っ払いたちの喧騒の中で、まるで二人だけの静かな世界にいるような錯覚に陥った。
始発が近づく頃、みんなが散り散りになる中、彼女から電話が来た。「見捨てるのか」と、怒ったような、縋るような声。自分も限界だったが、絶対にこの子を逃したくなくて地下鉄の街を必死に走り回った。見つけた瞬間、彼女は酔ったまま手を組んできた。
自分の帰路とは全く関係のないホームに乗り、荷物を預かり彼女の地元まで送った。
朝9時、彼女の部屋で裸で目覚めたとき、自分はようやく現実を噛み締めた。
何が言いたいか。
読後感想
前々から誘ってたのに嫁自身が大好きな祖母の予定を優先して断ってきて不服なのは分かる。
でも肝心なのは考えの違いとかじゃない。嫁との報連相が雑になっちゃってるから今から直していった方がいい。
子供は複数来るけど奥さんは誰も来ないならそりゃあ浮くよ。誰か一人でもその事に気付いて嫁に確認が取れたら良かったな。
浮かないように振る舞えというならアットホームな職場の休日BBQに参加させられるのと同じで増田の嫁は疲れるだけだ。
とくにチェーンじゃない、そのホームにしかない屋号の店はつゆの匂いが強くて良い。品川とか京成高砂のやつ。朝二日酔いで嗅ぐとたまらんかった。
ミートソースかもしれないしなんらかのトマト煮かもしれないけど、なんせ肉をトマトの汁で煮た匂いが住宅地の夕方に漂ってきたらたまらない。うちもロールキャベツかなんか誰か作っておいてくれよ。なんていい匂い。
子供の頃、夕飯も終わって葉も磨いてさぁ寝るか、ってときに父親がリビングで酒の締めに作り始めたりすると本当にひどいと思った。
母親といっしょに一口もらいに行っていたが、あれ逆に一口がもどかしくてちゃんとチキンラーメン一個食べたかった。お昼ご飯に食べることはすぐ叶うけど、羨望の眼差しのなか食べてみたかった。もう歳により胃が受け付けないので夜中のチキンラーメンは幻になってしまったが。
FireTV 4kが重たい感じなのが多かったからFireTV 4k MAXに買い替えたけど全然変わらないの何なの?
起動後のホーム画面が普通に重い。プライムビデオの自動再生とかは切ってるけど、それでも重たいのは変わらない
結局どうすればよいかわかる人おる??
なんでこの駅は突出してマナーが悪いんだろうか?ホームがほかの駅に比べて狭いから?
電車から降りる前にせっかくホームに降車優先と書いてあるのに無視してそこに横に移動して待ち構えて、とにかく先に乗ろうとする。
千歳烏山駅上りって中途半端に座席がぽこぽこ空いているからそれがいけないのだろうか。
でも千歳から明日山駅から座っても京王線の新宿行きの特急なんてあと少しで終点なのですけどね。
あと最近京王線も中央線などのように優先席に座る若い人など増えました。お年寄りいても座ってますねえ気が付かないふりして。
なんだかです
満員電車の窓ガラスに映る自分の顔を、彼はときどき中古レコードのジャケットでも眺めるみたいな目つきで見ることがあった。
朝の光は本来もっと柔らかくて、パン屋の棚に並ぶ焼きたてのクロワッサンみたいに、人の輪郭をやさしく縁取るはずなのに、そのときの顔だけは夜通し冷蔵庫に忘れられていた野菜みたいに妙に疲れていて、アウトラインが水に落としたインクのように静かに溶けていた。
どこの誰とも知れない経営者たちが、会議室の白いテーブルの上で決めた数字や方針のために、名前も知られないまま働き続ける人間の顔。いわば、ラベルの剥がれた缶詰のような顔だった。
世の中には、あまりにも「社畜」でありすぎるがゆえに、静かな音を立てながら壊れていく人たちがいるらしい。
ニュースサイトの画面の片隅に、広告ブロックに挟まれた小さなバナーみたいに載る体調不良や過労や、あるいはもっと直接的な終わり方。
そこには映画館の予告編みたいにドラマティックな物語はほとんどなくて、ただ、安い蛍光灯がチカチカするオフィスのような単調な繰り返しだけが延々と続いている。
朝起きて、会社に行き、配られた台本どおりの役割をこなし、帰ってベッドに沈み込む。その循環の中で、消しゴムの角が気づかないうちに丸まっていくみたいに、何かが少しずつ削り取られていく。
それはまるで、見えない歯車の一部にいつのまにか身体ごと組み込まれてしまったみたいだ、と彼は思う。
歯車は、自分がどの装置のどのあたりにはめ込まれているのか知らないし、全体のかたちなんてもちろんわからない。
ただ、回ることだけを求められている。
そして回転をやめた瞬間、壊れたボールペンが引き出しの奥に無言で放り込まれるみたいに、静かに別の歯車と交換される。
起業して成功する人間は、おそらくどこかで別の種類の地図をポケットに忍ばせている。
あるいは、地図そのものを持たずに、砂漠の真ん中を歩くことをそれほど恐れない資質を持っている。
でも、多くの人はそうじゃない。
なるべく穴の少ない舗装道路を選び、あらかじめ敷かれたレールの上を、自分のサイズに合わない通勤靴のまま歩き続けることに慣れてしまう。
慣れるというのは便利な機能だ。スマートフォンの自動スリープみたいに、余計なエネルギーを使わずに済む。
けれど、その機能がいつのまにか見えない檻に変わってしまうこともある。
彼は考える。これは本当に、多少デザインを変えただけの現代版の奴隷制なのではないか、と。
鎖や鞭は、目に見える鉄や革の形を捨てて、契約だとか責任だとか評価だとかいう、ビジネス書の索引に並びそうな言葉に姿を変えただけではないか、と。
本質は、古い映画館のフィルムみたいに、ほとんど変わらないまま回り続けているのではないか。
階級という言葉は、今どきの若い人の耳には少し黄ばんだ紙の匂いと一緒に届くかもしれないけれど、その実体は、冷蔵庫の奥に居座る氷みたいに、しぶとく残り続けている。
上にいる人間は透明なバルコニーから下を見下ろし、下にいる人間は上を想像することしかできない。
エレベーターの行き先ボタンを眺めながら、決して点灯しない階のことを考えているみたいに。
それでも、彼らは朝になるとまた電車に乗る。
ホームに立ち、同じ方向に視線を向ける人々の列に、音もなく混ざり込む。
その風景はどこか奇妙に静かで、巨大な水槽の中を一定の速度で回遊する魚の群れや、よく調律されたメトロノームの列のようでもある。
誰もが何かをあきらめ、同時に何かを支えながら、同じようなリズムで息を吸い込み、吐き出している。
靴音が、まだ目を覚ましきらない街のアスファルトを淡々と叩いていく。
彼は思う。その群れの中にいるかぎり、自分が哀れなのかどうかすら、うまく判断できなくなるのかもしれない、と。
ただ、日々が小さなパケットデータのように送信されていき、季節がアプリのバージョンアップみたいに巡り、気がつけば自分でも戻り方のわからない場所まで来ている。
満員電車の窓に映る自分の顔を、彼はときどき他人のもののように眺めることがあった。朝の光はまだやわらかいはずなのに、その顔だけが妙に疲れていて、輪郭が曖昧に滲んでいる。どこの誰とも知れない経営者たちの決めた数字や方針のために、名前も知られずに働き続ける人間の顔だった。
世の中には、あまりに「社畜」であるがゆえに、静かに壊れていく人がいるらしい。ニュースの片隅に小さく載るだけの、体調不良とか過労とか、あるいはもっと直接的な終わり方とか。そこには劇的な物語はなくて、ただひたすらに単調な繰り返しがあるだけだ。朝起きて、会社に行き、決められた役割をこなし、帰って寝る。その循環の中で、少しずつ何かが削れていく。
それはまるで、見えない歯車の一部になってしまったみたいだ、と彼は思う。歯車は自分がどこに組み込まれているのか知らないし、全体の形もわからない。ただ回ることだけを求められている。そして回ることをやめた瞬間に、静かに交換される。
もちろん、誰もが自由にそこから抜け出せるわけじゃない。起業して成功する人間は、どこかで別の種類の地図を持っている。あるいは、地図がなくても迷うことを恐れない資質を持っている。でも多くの人はそうじゃない。安全な道を選び、与えられたレールの上を歩くことに慣れてしまう。慣れるというのは便利なことだけれど、ときどきそれは檻にもなる。
彼は考える。これは本当に現代の奴隷制度ではないのか、と。鎖や鞭は見えない形に変わり、契約や責任や評価といった言葉に置き換えられているだけで、本質はそれほど違わないのではないか、と。階級という言葉は古びて聞こえるけれど、実際にはずっとしぶとく残り続けている。上にいる人間は下を見下ろし、下にいる人間は上を想像することしかできない。
それでも、彼らは朝になるとまた電車に乗る。ホームに立ち、同じ方向を見つめる人々の中に紛れ込む。その風景はどこか奇妙に静かで、巨大な水槽の中を群れで泳ぐ魚のようでもある。誰もが何かを諦め、同時に何かを支えながら、同じリズムで呼吸している。
彼は思う。その中にいる限り、自分が哀れなのかどうかすら、うまく判断できなくなるのかもしれない、と。ただ日々が過ぎていき、季節が巡り、気がつけば取り返しのつかないところまで来ている。そういう種類の物語が、この世界には驚くほどたくさんあるのだ。
世襲企業の経営をやって、休日はホームジムでトレーニングしたりゲームしたりするのが好きだったけど
なんか急に虚無になった
既に今の状況からだと、やれることがほぼない、親が死ぬまでこのまま待つのが得策らしい(税理士&銀行の共通の見解)
んで、そこまで時間あるなら思っちゃったけど、これ以上会社を成長させると逆に損なんだよね
そうすると、専門家は誰も言わないけど今俺の最適の行動って、会社を縮小することなんだと気づいてしまった
どうせおれの跡継ぎなんていないし、ビジネスモデルに寿命も来ている会社
それに気づいてしまったとき、一気に仕事に対するやる気がなくなった
現状維持で資産を切り売りして、自分の給与として懐に入れるだけの日々
アホくさ
そしたらすべてにおいてやる気がなくなった
社員もいるし、雑務はあるから毎日8時間は働かなければいけない
帰ってもなんもやる気しない
Youtube垂れ流して、キンドルアンリミで毒にも薬にもならない漫画読みながら寝落ちするだけ
人生つまんねーわ
誰か助けて
シーンをそれなりに真剣に追っている者として、ウメハラがメナに勝つ確率は低いと思っている。
そのあたりをデータで語りたい。
ウメハラの昨年度の戦績はこうだ。
国内外を問わず、ある程度までは行くがトップ層にはしっかり負ける。
それはそれで凄いという話もあろうが、「格ゲーの王」としては物足りない。
これらのトーナメントに参加するプレイヤーの大きな目標は、巨額の賞金が懸かった二つの大会、
「Esports World Cup (EWC)」と「カプコンカップ(CC)」への出場権獲得だ。
ウメハラはどちらの出場権も獲得できなかった。
すでに世界のトップ層が別のトーナメントで出場権を獲得している状況で上位10人というのは、
さすがに最近奮わないウメハラでもいけるかと思われたのだが、そこでも33位だった。
実に安定している、悪い意味で。
World Warriorは、カプコンカップ(CC)の予選大会だ。
上で挙げた国内外のトーナメントとは別に、CCへの出場権を獲得するチャンスとなる。
全5回の開催で、
がCCに出場できる。
ウメハラの戦績はこうだ。
上振れただけ、という結論だろう。
それは他の大会の戦績を見れば分かると思う。どちらがデフォルトなのか。
もし、「それでも1回だって2位になるなんて凄い!」と言うなら、
その大会でウメハラを完封して優勝したひびきのことを、あなたたちはどれくらい評価しているのだろう?
結果を正当に評価しているとは到底思えない。
ウメハラは、弱くないが、プロとして「強い」と言うのは難しい。
ちなみに、メナは数千人が参加するEVO JAPANを2年連続で優勝している。
近年の戦績で言えば圧倒的にメナが上というのは、誰もが認めるところだ。
ここは強調しておきたい。
「つまらない調整」だったのだ。モチベーションを保つのが難しい。
「豪鬼はものすごい弱体化を受けた」と思っている人がいるのだとしたら、それは話を聞かず印象で語っている人だ。
なぜそんな印象になってしまうのだろうか?
それは、豪鬼が「胴着」と呼ばれるスタンダードキャラの一種だからだ。
豪鬼のように波動拳・昇龍拳で戦うキャラクターは「胴着」系と呼ばれ、
だから胴着使いはキャラの乗り換えが比較的容易で、より良い選択肢に移住しやすい。
結果として豪鬼はごっそり減った。
だがそれは胴着キャラという特性ありきで、「極端に弱くなったから」ではない。
(と言うか、スト6において戦えないキャラなどいない。奇跡的にバランスがいい)
だが、勝ちに拘る上位層ほど、胴着キャラでは容易にキャラ替えする。
つまり「勝率の高いプレイヤーほどいなくなりやすいのが胴着キャラ」ということだ。
https://www.streetfighter.com/6/buckler/ja-jp/stats/dia_master/202602
キャラ同士の組み合わせで勝率の割合を示しており、「5」ぴったりなら完全に五分となる。
そこから増えれば有利な相性で、減れば不利な相性だ。
最上位帯となるULTIMATE MASTER(アルマス)帯の相性を見ていこう。
確かに数値は悪くなっている。
しかしここで重要なのは、「勝ちにこだわる上位層ほどキャラを乗り換える」という事実だ。
胴着キャラは人口が多いので、移住による勝率変化がもっとも顕著に出る。
つまり、実際に強くなった・弱くなった度合いよりも、勝率変化が大袈裟に出やすいということだ。
ナーフ後は、4.968。
数値だけ見ると豪鬼の方が下げ幅が大きいが、
上位層でもそのまま粘って使い続ける人が多いだろう。
このあたりの事情を加味すると、豪鬼とブランカの弱体化度合いは、せいぜい「どっこい」だ。
少なくとも「ウメハラは超絶ナーフを食らった豪鬼で頑張っている」というのは大きな勘違いと言えるだろう。
ちなみに、
で、これは五分と見ていいだろう。
これはアルマス帯の統計で、対戦相手はアルマス帯以外も含まれるので、綺麗に足して10にはならない。
データとして、近年の戦績の部分ではメナが圧倒的に優勢、キャラの部分では五分、ということが分かってもらえたと思う。
だから俺はメナが勝つと思う。
ドミニカのコミュニティのために、それこそかつてのウメハラのように、あるべき姿を示している。
尊敬すべき男だ。
唯一ウメハラに分があるとしたら、圧倒的ホームの環境というところだ。
メンタルの部分でもメナは臆せず戦えるだろう。
俺が言いたいのは、過去の栄光とか、実態に基づかない願望とか、
そういったことでウメハラを「格ゲーの王」などと言って持ち上げるのはもうやめて欲しいということだ。
「格ゲーの王」を自認して、それを誰も突っ込めない。
「馬鹿野郎!全然勝ってねえくせに、"王"なんて調子こくな!」と誰かが突っ込んでやらないと、痛々しいだけだ。
つい先日、SFL ワールドチャンピオンシップという団体戦の世界大会の説明を受けているときに、
他のプレイヤーがちゃんと話を聞いているなか、ウメハラだけスマホを横にして、だらしない姿勢で何か別のゲームをしていたのをご存知だろうか。
あまりにも酷い態度で、「チームメイトのレシャーが機嫌悪そうなのはウメハラがあんな態度だからではないか」とときど・ふ~どが心配したほどの醜態だったが(実際は頭痛が辛かったかららしい)、
そのことでウメハラを「シャドバやってたんすか?」と軽く問い詰めたら、「いや、スレスパだから。しかも1」などと言ったらしい。
笑えるが酷い話だ。シャドバだろうがスレスパだろうが選手として姿勢がなってないという話だろう。
でもウメハラはふんぞり返る。ふんぞり返り続ける。
なぜなら王だから……。
こんな時代はもう終わりにしないといけない。
ウメハラはその場でいい感じのことを言う才能だけは格ゲーよりもあるのでみんなコロっと騙されるが、
しっかりウメハラの動向を追っていると幻滅することだらけなのだ。
メナよ、頼んだぞ。
予想通り、メナが勝った。順当な結果だった……とは思わない。
正直、2-10でウメハラが負けてもおかしくないと思っていた。
結果は6-10。
ただ、これから先、
人類滅亡後の本来の役目を終えたマシンみたいに、まだ動いていた。
誰もいないのに、
照明は落ちない。
希望も、期待も、全部ここを通過していった。
でも今は──ゼロだ。
ホームに立つと、
風の抜ける音だけがやけに速く感じる。
スピードってのは、
誰かと共有してる時は気づかない。
一人になった瞬間、
初めて、その速さがむき出しになる。
電車が滑り込んでくる。
無駄に正確で、
無駄に静かで、
無駄に完成されている。
夢洲。
夢を詰め込むために作られた場所。
でも夢ってやつは、
止まった瞬間、
それはただの「跡」になる。
僕は改札を抜ける。
センサーが反応して、
機械的な音が鳴る。
誰もいないのに、
ちゃんと、反応する。
それが妙にリアルで、
少しだけ笑った。
止まらない。
止まるのは、
いつも人間のほうなんだ。
全国一律で同じこと言い始めるから鬱陶しいんだよ
これは
・一分一秒を急ぐことが少ない
・人が少ない
・エスカレーターの数が少ない
からだと思う
片側を空けてどんどん歩かないと駅のホームが溢れかえると皆分かってる(階段は無い)
そして一分一秒を急ぐシーンが多い、一本電車を逃すと乗り換えの関係でかなりの遅れになってしまう
そもそも都市の通勤時間は最も長いため、皆圧縮したくてギリギリの時間で移動しているんだ
だからマジで97%位の人は片側空けをしている、通勤者に限って言えばもっと高いだろう
たった10%でもこれに反する人がいればこの状態にはならないわけだから、かなり合意された状態なんだと思う
「片側空けは同調圧力だ」「本当は両方に乗りたい」「空けてないと怒られる」と言ってる人はどこに住んでるんだろうか
少なくとも強面のおっさんばっかりの場所の方がむしろ全員片側を空けているから、なんか信用できない
単に別のところに住んでるだけじゃないのか
あと、合意が難しい場所では都内の混雑地域でも両側になっている
例えば渋谷のマークシティの長いエスカレーターとか、あれはあれで良い気がする
しかも歩いてる人も居ないから輸送効率を言えば悪いんだけど、単純に長時間他人の隣に立ちたくないだけだろう
これはこれで合理的に見える
輸送効率と言えば、片側を空けない田舎ではどうなのかで言えば、普通に両側に他人同士で立つことはないので、「一段とばしで両側に立つ」が基本になるため輸送効率は全く良くない
そもそも急いでいないんだ
「なぜルールを守らないのか?」と言う人が居るが
いまは数十年あったルールをいきなり変えられた格好である、しかも合理性に欠ける
合理性に欠けるルールは、罰則アリの交通ルールですら守らない、それは分かってるはずだ
https://hatena.zendesk.com/hc/ja/requests/new
かれこれ数ヶ月前、もしかすると1年以上前からのことじゃないかとあいまいに記憶していますが、
はてなブックマークアプリのブコメ一覧を開いている状態で、他のアプリに切り替えたりホーム画面を経由してからはてブアプリに戻ってくると、はてなスターの位置が左にズレて、スター追加ボタンに重なってしまいます。スクショをご参照ください。
04-27 返信:
今しばらくお待ちいただけますでしょうか。
さんきゅー、気長に待っとるで!
04-30 返信:
お問い合わせいただいておりました
直っていました!
ありがとうございました!
つり革に触れそうで触れない指先
あと少しの距離が、なぜか越えられない
言葉を探すたび、胸の奥で何かがほどけていく
その震えに紛れて、僕も一歩だけ近づいた
確かな未来なんてなくていい
それでも、君と同じ方へ歩いてみたい
Geminiさんに書いてもらった文章。
朝のホームで流れる「安全確認を行っています」というアナウンス。
「自分の乗っている路線は関係ないのに!」「またか」と、つい溜息をつきたくなる瞬間かもしれません。
実は、日本の鉄道には**「列車防護無線(れっしゃぼうごむせん)」**という仕組みがあります。この名前は聞き馴染みがないかもしれませんが、これこそが、私たちが毎日当たり前のように帰宅できている理由そのものなのです。
JR、特に首都圏の路線が遅れやすい最大の理由は、その路線の密度の濃さにあります。
トラブルが発生した際、運転士は即座に**「緊急停止を知らせる信号」**を発信します。
この信号の最大の特徴は、特定の路線だけに届くのではなく、発信源から「半径約1km以内」にいるすべての列車に届くという点です。
• 路線をまたいで止まる:
例えば京浜東北線でトラブルが起きたとき、その真横を走る山手線や東海道線の運転士の手元にも、この**「緊急停止を知らせる信号」**が届きます。
「隣の線路に脱線した車両があるかもしれない」「人が立ち入っているかもしれない」。その「万が一」を物理的にゼロにするために、周囲一帯を瞬時にフリーズさせるのです。
想像してみてください。
この**「緊急停止を知らせる信号」**を発信するということは、何万人、何十万人の足を止めるということです。現場の人間にとって、それは非常に重い決断です。
それでも、迷わずブレーキをかけるのは、鉄道の世界には**「疑わしきは止める」**という鉄の掟があるからです。
効率やスピードが重視される現代で、これほどまでに愚直に安全を最優先し、システムとして徹底させている。この「徹底ぶり」こそが、日本の鉄道が世界に誇れる本当の価値なのかもしれません。
もちろん、急いでいる時の遅延は困ります。
でも、あの停車している数分間は、**「どこかで起きたかもしれない事故を、誰かが未然に防いでくれた時間」**でもあります。
次に「安全確認のため停車します」という放送を聞いたときは、「ああ、今この瞬間も、誰かの手によって最悪の事態が防がれたんだな」と、少しだけプロの仕事に思いを馳せていただけたら。