はてなキーワード: 有償とは
Native Instrumentsが予備的破産手続きに入った、ってニュースを最初に見たのは、プリセット探しに疲れてベッドでゴロゴロしながらスマホ眺めてた時だった。
一瞬、寝ぼけて「NIS Americaか何か別のNIだろ」と思ってスルーしかけたけど、本文読んだら普通にBerlinのNative Instruments GmbHで、例のCharlottenburg地裁での予備的破産手続き(vorläufiges Insolvenzverfahren)開始って書いてあって、ちゃんと管財人の名前まで出てる。
あー、これマジのやつだ、ってなった。
30年DTMやってるけど、そんな見出しを見る日が来るとは思ってなかった
90年代末にCubase VSTいじり始めて、ソフトサンプラー黎明期からKontakt 1に飛びつき、Reaktorの意味不明な配線に挫折し、Traktorでクラブもどきのことをし、Maschine Mk1のパッドを叩き過ぎて一部反応悪くして、
Kompleteは気付いたら「アップグレード代が固定費」みたいになってた。
DTM 30年もやってると、「業界標準」って言葉を疑う癖がつくんだけど、それでもKontaktだけは本当に“事実上の標準”だった。
オーケストラ系の国内ベンダーも、同人の薄い本に付いてくるおまけ音源も、だいたいKontaktインストゥルメント前提。
で、その土台にしてた会社が、ある日突然「予備的破産」です、って。
「予備的破産だからセーフ」は、ユーザーの心には何のセーフにもならない
今の段階では「即死じゃなくて、延命しながら解体するか再構築するか見極めるフェーズ」だってことも、
管財人が付いた時点で経営陣の決定権はかなり縛られて、資産の売却とか事業単位での整理が現実的にテーブルに乗ってるってことも。
つまり、「もう崖から落ちてるんだけど、落ち方を調整する段階」に入ったってことだ。
でも、そんな法的な説明をどれだけ読んでも、日本のDTMユーザーのタイムラインは一瞬で「Kontaktどうなんの?」で埋まる。
「Traktor終わり?」とか「Maschine買おうか迷ってたけど様子見だな」とか。
あと、iZotopeとPlugin AllianceとBrainworxも同じグループだったことを今さら思い出して「RXまで巻き込まれるの…?」ってざわつく。
CDMだのGearnewsだのの海外記事は、「短期的にはサービス止まらない」「コアビジネスは健全で、拡大路線と買収で抱えた負債が原因ぽい」とか冷静に書いてる。
でも、30年かけて積み上げてきたプロジェクトファイルの左側で、Kontaktのアイコンがズラッと並んでる光景を見慣れてる身としては、
「はいはい短期的にはね、で、5年後の開けないプロジェクトは誰が責任取るの?」って話になる。
日本のDTM業界が食らう一番デカいダメージは、「安心感」が死ぬこと
日本のDTMって、良くも悪くも「とりあえずNI入れとけば大丈夫」文化があった。
それが一夜にして、「その“とりあえず”が一番とりあえずじゃなくなった」わけで。
国内の小さいデベロッパーにしても、多くはKontaktのフォーマット前提でビジネス組んでる。
自社でエンジン作る体力もないし、マルチプラットフォームのシンセを書ける人材もいない。
だから「Kontakt Player対応」ってラベルは、サポートとか互換性とか、ユーザーに対して「うちは大丈夫ですよ」っていう保証の看板でもあった。
その看板を貸してた本体がグラグラになったら、日本のサードパーティは一斉に「うちの音源、この先10年どう説明する?」ってところからやり直しになる。
特に日本は、教則本と専門学校と通信講座で「DTMの正解」を体系化するのが大好きな国だから、「カリキュラムの柱」がこんな形で揺れるのは、想像以上の衝撃になる。
「業界標準」の裏にあった投機的拡大のツケを、ユーザーが払うという理不尽。
今回の件で地味にムカつくのは、CDMや各メディアが「どうもプロダクトの売上がダメになったというより、拡大と高額買収で抱えた負債が原因ぽい」と書いてるところ。
ユーザー目線では、「何かよくわからんけど、あちこちのロゴが全部NIになっていく」くらいの話だった。
でも裏ではそのたびにでかい金が動き、その借金の最終的な“清算”に巻き込まれるのは、30年分のプロジェクトファイルを持ってる現場側。
日本のDTMユーザーは、円安だろうが税金上がろうがKompleteのアップグレード代をせっせと払い、
「もう使ってない音源もあるけど、将来の互換性のために一応アップグレードしておくか」と、実質サブスク状態で支えてきた。
その「互換性への保険料」が、まさか投機的なM&Aの反動で吹き飛ぶとは誰も思ってなかった。
30年DTMやってると、もう何社も見てきてる。
そのたびに、古いWindowsマシンを押し入れから引っ張り出して、
「この曲だけは何としてもステムを書き出しておかなきゃ」と夜中に凍ったUIと戦う。
今回も、多分そういう「最後のエクスポート祭り」が、日本中のスタジオと六畳間で静かに始まる。
国内ベンダーにとっては「巨大なチャンス」と「地獄の二択」が同時に来る
冷静に考えれば、これだけ巨大なプラットフォームが揺れた瞬間って、本来なら国内の開発者にとってはビッグチャンスでもある。
でも、日本のDTMマーケットって、そもそもそんなに大きくない。
NIレベルのプラットフォームを「じゃあ自分たちで作りなおそう」と思っても、開発費もマーケもサポートも全然追いつかない。
結果として、多くの国内ベンダーが直面するのは、だいたいこんな二択になる。
1. しばらく様子を見つつ「Kontakt前提ビジネス」を惰性で続ける
→ でもユーザーには「長期的な保証はできません」としか言えない
2. ここで腹をくくって自前エンジンか別フォーマットに大転換
どっちを選んでも、コストは跳ね上がる。
で、そのコストは結局、値上げか有償アップグレードか、何らかの形で日本のユーザーに跳ね返ってくる。
専門学校と「教える側」の人たちには地味に致命傷
もうひとつ、日本固有の問題として、専門学校と通信講座がある。
予備的破産のニュースが流れた翌日、どこかの専門学校で、講師にこう聞く学生は必ず出る。
「先生、Native Instrumentsって潰れるんですか?」
そこで本当のことを言えば、
「いや、今すぐ潰れるわけじゃないけど、将来のことはもう誰にも断言できない。数年のうちに、ブランドが分割されたり、別の会社に吸収されたり、最悪、一部の製品は開発終了になる可能性もある」
って話になる。
でも、授業としてはそんな不安定な話を延々するわけにもいかないから、「とりあえず今は気にせず学びなさい」と言うしかない。
こうして、「教える側は不安を隠しつつ、学生には良い顔をしなきゃいけない」という、いつもの構図がまたひとつ増える。
企業の戦略ミスと負債の処理を、教育現場が尻拭いするの、正直そろそろやめてほしい。
短期的な話をすると、日本のDTMショップと代理店はかなりキツい。
こういうところで一気に「様子見」が発動する。
ソフトはまだしも、ハードは「これから買うのは怖い」が一斉に駆け巡る。サポートがどうなるかわからないし、ファームウェアやドライバのアップデートが止まった瞬間、OSアップデートのタイミングで一気に文鎮になるリスクがあるから。
で、ユーザー側も、「このタイミングでKomplete Ultimateに上げるか」とか「Maschine Mk3に買い替えるか」とか、今までなら普通にポチってた決断に、急ブレーキをかける。
その「様子見」が、実際には「もう戻ってこない」ことも、30年見てくるとよくわかる。
こうして、ゆっくりと、でも確実に、NI周辺にあった「標準装備としての売上」が薄まっていく。
その余波はもちろん、国内ショップの売上にも降りかかるし、「DTMってまだ日本でビジネスとして行けるの?」って空気にもつながる。
それでもプロジェクトファイルは開けなきゃいけないし、音は鳴らさなきゃいけない
じゃあ30年選手として、何をするか。
正直、やることは地味で、ロマンのかけらもない。
(国内外問わず、Kontakt依存度を下げられる構成をゆっくり検討する)
これを、世界中の古参DTMおじさんとおばさんが、各自の狭い部屋で黙々とやる。
そういう、ものすごく個人的で、でもシステム全体としては巨大な「サイレント・マイグレーション」が、これから数年かけて進むことになる。
日本のDTM業界にとって、今回のNIの件が「激震」なのは、別に明日サービスが止まるかもしれないからじゃない。
30年かけて「ここに積み上げれば安全」と教えられてきた土台が、実は誰かの投機的拡大とレバレッジの上に乗っていただけだった、って事実を突きつけられたからだ。
その現実を見せられたあとで、次に「安心して積める場所」はどこなのか。
それをまた探し始めなきゃいけない、っていう意味で、今日という日は確かに、日本のDTMにとってひとつの「終わりの日」なんだと思う。
……とか真面目なことを書きつつ、さっきも普通にKontakt立ち上げてベース音色選んでた。
でも、このニュースを見た瞬間に、いつものKontaktのGUIが、急に“期限付きの借り物”みたいに見えたのもまた、事実だった。
「身元が保証された立場」で関わることで怪しまれたり怖がらせたりするリスクはぐっと減る。野良のボランティアではなく、組織の一員として動くことが大事。
自治体が運営する有償ボランティア。送迎や預かりなど、明確なルールのもとで支援できりゅ。
ちょっとした遊びとかしつつ、小学校などの公的な場所で関わることができる。
街中で直接手を貸す場合は、「相手に選択権を与える」スタイルが基本。
ベビーカーで段差に苦労している人がいたら、「お手伝いしましょうか?」と1.5メートルほど離れた位置から穏やかに声をかける。断られたら「承知しました。お気をつけて!」と笑顔ですぐに離れるのが鉄則。
電車やバスで席を譲る、エレベーターで先に通してあげる。会話を必要とせず、確実に感謝される立派な育児支援。
中高年男性が醸し出す「威圧感」を消し、ソフトな印象を与えるためのテクニックがある。
「助けてあげたい」という強い意欲よりも、「困っている人がいれば、いつでも動ける準備をしておく」という余裕のあるスタンスが、結果として周囲を助けることに繋がる。
そのレイアウトエンジンとかだよね、制約モデル?だっけ…😟なんか数学の話があったはず…
そういえば、名前を失念したけど、2Dゲームを想定したWebブラウザエンジンみたいなの?があって、
有償だったと思うんだけど、オープンソースのもあるにはあるけど、これも立派に金取れるネタだよ、
ChromeやFirefoxが無償なのは、作ってるのがそういうデカい組織、ビジネスモデルがあるからであって、
ゲームとかアプリで、Webブラウザみたいなレンダリングするエンジンが欲しいけど、
Webブラウザを使うElectronみたいなのは嫌、というのは多々あるわけで、
でも、真面目に実装するとつらい、オープンソースで役割分担して、下から積み上げていかないと無理、という気がしてる…😟
近年の中国のロボットとかじゃないけど、理想は巨大組織の垂直統合なんだけどね…😟
まあ、中国は垂直統合と水平統合の両方が雑であれ組み合わさってるように思う、そこが強みだと思う…
トヨタならトヨタの、日産なら日産の、系列の町工場まであって、そこでネジまで作られてて、
逆にDJIはドローンだけじゃなくて、あらゆるものに手を出してたり、YAMAHAかよ、みたいな…😟
まあ、虚なのかもしれないけど、近年の中国は勢いがあってうらやましい…😟
何の話だったっけ…😟
例の工場オペレーター増田と、それに物申した障害者増田、あれ見てて胃が痛くなったのは俺だけじゃないだろ
一見すると「差別的なパワハラブルーワーカー vs 権利を主張する障害当事者」の構図に見える。でも、これ実態は「勘違いした障害者が庇護者を殴った」っていう状況なんだよな
ここまでの流れを整理しつつ、なんでこんな地獄が生成されたのか、そして「左派の怠慢」がどう絡んでるのかを書き殴っておく
口は悪い。「社会のゴミ」とか言っちゃう。現代のコンプラ基準なら即アウト案件だ
でも、やってることは何か?
仕事ができない同僚の尻拭いをし、ラインを止めず、自分の時間を犠牲にして(=子供との時間を削って)、システムを維持してる
これ、「差別主義者」の皮を被ってるけど、実態は「誰よりも実践的な弱者庇護者」なんだよ
注目すべきは彼が使った「人生資本」って単語。これ、ただの典型的な保守パワハラブルーワーカーのおっさんからは出てこない語彙だろ。他にも投資、投機、浪費、リソースetc...これはお前らのステレオタイプに無いはずだぞ?
彼は多分、リベラルな理想論も、多様性の重要性も、それが現場でどう上手くいかないかも全部理解してる。何故かと言えば投稿した場所がはてな匿名ダイアリーだからだ。オペレーター増田ははてなーであり左派的言説をよく理解している
その上で、「理想論じゃ飯は食えないから、俺が泥を被って回すしかない」っていう、工場現場でリベラリズムの実践を何周もした上で辿り着いた「現場系ポスト・リベラリズム」の実践してるんだと思う
工場現場という環境でリベラリズムを実践するのに、はてサ言論へ古い保守的な「俺が弱い存在を守る」という父権的温情をハイブリッドさせ、カスタマイズしたリベラリズムの運用をしてる高度な社畜だよ、こいつは
彼(彼女?)の不幸は、相手を「無知な差別主義者」だと誤認して、SNSでよく見る「ポリコレ棒」でどうにかなると思い込んでしまった点。つまりオペレーター増田がそもそもはてなーであるというコンテクストの考慮を忘れてしまっていた点だ
だから対保守パワハラブルーワーカーおっさんに効くだろう「女性や老人や外国人を引き合いに出して、主語をデカくして反論を封じる」っていう、いつもの左派言論での勝ちのテンプレを使おうとした
でも、相手は「安全圏から石を投げてる経済的にも精神的にも余裕のある健常者」じゃなくて、「自分の身を犠牲にして泥まみれで障害者介助を実践する言葉は悪く偽悪的だが心優しいブルーワーカーはてなー」だった
障害者増田は「お前の態度や言葉は多様性の擁護者として正しくない!」ってトーン・ポリシングをした結果、「いや、俺が障害者を背負ってるんだけど?」っていうリアルタイムで実践するリベラリズムな生き様の重みによって余裕で押し返された
最後の「愛を知らない」云々の指摘でフェードアウトしちゃったのは、論理じゃなくて「実践する生き様」で負けたからだろうな
オペレーター増田は親父の男気で仕事の遅い障害者を職場から追い出さず定時で帰ってしまうことを許容しているのに、障害者増田は弱者を守ろうとしてるわけでなく自分を守るため、他の障害者を持ち出して道具にしてる自覚を突きつけられちゃったわけだし
ここで問われるべきは、「なぜオペレーター増田の『追加業務(介助)』に対価が支払われていないのか?」って点だ
ここが一番の闇なんだけど、日本の左派やリベラル言論って、多様性を推進するくせに、その「維持コスト」の話を極端に嫌うよな
「障害者と共に働くのは崇高な理念だから、金銭で換算すべきではない」みたいな、謎の清貧思想がある
その結果どうなってるか?
「理念」は会社が掲げて助成金をもらい、「コスト(現場の負担)」はオペレーター増田みたいな個人の「男気」や「善意」に全部つけ回されてる
これ、経済学的に言えば「内部化されるべきコストの外部化」だし、もっと単純に言えば「労働力の不当廉売(ダンピング)」だぞ
障害者介助手当という字面が悪いみたいに騒ぐならメンター手当でも何でも良いわ。とにかく介助してくれてる現場の人へ対価を出せ。海外のボランティア見てみろよ。有償ボランティアなんて当たり前だぞ
「ケア労働」に値段をつけず、現場の「やりがい」や「温情」にタダ乗りしてきたのは、会社側だけじゃなくて、コスト論から逃げ回ってきた左派言論も同罪だ
資本主義社会なんだから、追加労働には追加賃金を払う。未払いは重大なインシデント。それだけの話だぞ
もし工場増田の給与明細に「メンター手当 3万円」って項目があったらどうだ?
彼は「ゴミ」なんて言わなかったはずだ。「手のかかる同僚だが、こいつのおかげでSwitch 2のソフトを余裕で子供に買えるわ」と報酬として処理できただろう
これからの社会、少子化で「ネットで毒吐きするが現場では黙って泥を被ってくれる心優しいブルーワーカー親父」はいなくなる
オペレーター増田が予言した通り、弱者救済システムは法律や社会規範からではなく現実の職場から崩壊するぞ
その前にやるべきは、増田やはてブで「言葉遣いが~」「配慮が~」って殴り合うことじゃない
「多様性のコストを現場の個人の善意に押し付けるな、請求書は会社に回せ」と団結して声を上げ、職場での障害者介助へ対価を支払うことを左派言論の主流とすることが大事だ
NHKがあんなことになってしまったのもあり、最近ホッテントリに上がるのも日経や読売が増えた気がするし、ネット上でいわゆるニュースソースに皆がどう課金しているのか興味がある。
主にTV・新聞などのマスメディア、ニュースサイト縛りで。無課金勢は話がややこしくなるので無課金だけでいい。どう情報集めしてるかじゃなくて、どう課金してるかね。
オレの場合、
朝日、WSJ(時事の年間割引)に課金して、NHKもBSまで受信料を払ってる。
あと、会社で日経と日経xTechに課金。
それ以外にも有償コンテンツは課金してるけど、いわゆるマスメディアはそのぐらい。
なんで朝日なのかっていうと、思想云々ではなく親が購読してて子供のころから読んでいて立ち位置が分かり易いから、と、時々社会派で読ませるエントリーがある所かな。
2時間以内の返品を本気で考えた初めてのタイトルになっていたはずだからだ。
自分の溜飲を下げるためだけにこのしょうもない長文を書いている。
内容としては、ツクールMZ製のごく一般的・平均的な一本道ノベル+ミニゲーム。
まあ話の筋は普通に面白いけど、面白いのはARG的にお出しされる業界裏話が露悪的だからで、特にゲーム性が面白いとか、ミニゲームが歯ごたえあるとか、そういうことはない。
ミニゲームパートからノベルパートに遷移する方法を探る辺りに少しゲーム性があるくらいだ。
だったらそこにフォーカスして20面くらい出してくれたほうがまだよかった。
エピローグを見るためには、ノベルパートとは直接関係ないポイントをクリックして得られる情報の中にあるパス群を探し、所定の場所で入力する必要がある。
それ以外に分岐も何もなく、ただただパスを探してノベルを周回する作業が発生する。
勘の良いプレイヤー、あるいは全てを隅々まで調べないと気がすまないプレイヤーなら一周で済ませられるだろうが、ちゃんと見つけにくい仕掛けも意図的に仕掛けられている。
表示速度がややゆっくりで、かつ速度変更できるコンフィグ画面もないので、イライラして連打しているとクリックポイントに気付いても触る前に次の画面に進んでしまう事故が発生する。
なぜイライラするのか、というともう一点、クリックポイントを探すべきノベルパートに行くためには、必ずミニゲームパートをやらなければいけないからだ。
このミニゲームパートが、クリアしてもクリア済みステージをスキップできないし、一応加速も出来るようだが大して早くならない。
前のステージにも任意で戻ることが出来ず、通過済みステージをリプレイ(し、そのシーンから遷移するノベルパートを再読)するためには、全5ステージのミニゲームを一度最後まで完走して、その後に表示されるステージセレクト画面に移動しなければいけない。
つまり、一つでも見落としたが最後、スキップできない5ステージを、ノベルパートに移行するフラグを踏まないよう注意しながら最後までクリアし、そこからまた任意のステージを選んで戻るということを繰り返しプレイしなければならない。
このミニゲームは作中で「嫌々作らされたクソゲー」ということになっているが、いくらクソゲーという体だからって本当にクソ仕様でお出しするバカがあるか。
そしてこのミニゲーム、「当時のPCゲーの再現」という側面も持っていて、その点においてグラフィック・ボイス共に非常に秀逸なのだが(一度何某かの情報サイトで見ることをおすすめする、買うのはおすすめしない)、その秀逸さ故に何度も見せられるとだんだんしんどくなってくる。
今の時代にまだこんなしんどい声色できる人いるんだ…と最初は笑ったが、後々幾度となく頭を抱える羽目になった。
令和やぞ。令和にコンフィグ画面無しで有償リリースってしていいんだ。
考えれば怪しい部分はいくつかあって、その中の一つに「SEにツクールMZデフォルト決定音が使われている」というのがあった。
これの何がいけないのかというと、ツクールMZのデフォルト決定音というのは由緒正しいSE素材で、古くはツクール2000でもRTPに採用されている、親の声より聞いたあまり音質の良くないSE素材にあたる(XP頃に一度不採用になったが、その後VXかVXAceあたりで復活したと記憶している)
個人的な持論として、こだわりのあるゲーム制作者であれば、まず効果音を独自のものにするのは最初の変更箇所の一つに数えられるものだと考えているのだが、もうとにかく好きでこのSE以外決定音に使うつもりは一切ない!だとか、何らかの意図なくツクールデフォルト決定音を採用している辺りで、このゲームに対してどのくらいこだわりをもって作られているのか、ある程度察するべきだった。
チープさの演出にしたってもうちょっとなんか、なんかあるだろ……!
当時の美少女PCゲーってもっとこう、ぷにぷにしたかわいいSEとかじゃないのか……!
ツクール感をほぼ感じさせない作り込みで、常に背景のどこかしらに動きがあり、緊迫したシーンを盛り上げ飽きさせない仕掛けになっている。
それだけに、僅かなシーンで採用されているツクールMZデフォルトのマップ画面がチープさを際立たせている。
ぶつかるだけでイベントが発生するキャラクターが狭いマップに詰め込まれているせいで操作性も最悪。
そういうシーンといえばそうなんだけど、作中人物に対しての理不尽をプレイヤーへの理不尽と同一化するな。
エンディングには申し訳程度に取ってつけたようなトリックがあったりするが、いきなりの上に薄すぎてそっかぁ…としかならなかった。
それをやりたいなら最初から匂わせておいて、最後に「やっぱりね!」ってプレイヤーに思わせてくれよ。頼むよ。
こんな見えてる地雷になぜ引っかかったのかというと、PRに限りなく力が入っていたからだ。
イベント出店時のブースは見栄えするように作られており、SNSも活発で非常に力を込めて制作していることのアピールを繰り返し行っていた。
あるイベントでは持ち歩き用のタイトル入りショッパーを配布するなど、もうお誕生日壁席大手サークルみたいな動きを堂々としていたからだ。
だから、「これはインディーの中でも触っておいたほうがいいタイトルなのかな……」という気分にさせられた。
これがPRの力であり、人間は簡単に広告で騙されるという愚かさの証明になっている。
みんな同じような感想を抱えているのか、それともARGとしての今後の展開を期待して口を噤んでいるのかは分からない。
総じて、ARGで、人間関係のドロドロがテーマで、こんな凡作に収めることが出来るのか。という驚きが強い。
ゲーム中から見つけられるXの関連アカウントも、思わせぶりなPOSTと写真がいくつか上がっているだけで、特に動きは見られない。
いったい何がしたかったのか、それとも今後大きな動きがあるのか。それを期待する熱はとうに失われている。
おそらく、自分自身はこの制作陣のゲームは二度と買わないと思うし、なんならパブリッシャーの今後の動きも全てスルーしてしまいたい考えになっている。
そして問題だと思うのは、「インディーゲー売りたかったらイベント出展!ウィッシュリスト数稼ぎ!」と声高に叫ばれている中、自分は「イベントに力入れてるタイトルは広告詐欺なんちゃうか??」という疑念を抱いてしまったことだ。
インディーゲーム自体がそろそろ、面白い奴が面白いことをやっている時期が過ぎて、面白くない奴が面白い奴の真似事をし始めたのか……?という疑問を抱く。某ニコニコ動画で何度も見た懐かしい流れだ。もうこの後は全く面白くもない有象無象が荒らして情報商材屋が暴れてスパムとAIにまみれ、面白い奴は別のところでまた別のことを始めるんだろうか。
免責事項: めんどくさいからほぼ調べずに書くし、抜けてる話や間違ってる話もあると思う。
Mozilla系の日本語翻訳はmarsfさんとdskmoriさんの2人がメインでやってる (追記: 今確認したらひとりアクティブな人が新規参入してたので3人が正しかった)。
概ねSUMOはdskmoriその他全てがmarsfという棲み分けだが、お互いどっちの貢献もやることがある。
SUMOコミュニティ解散ってのはSUMOに関わる実質的な権限持ちはdskmori1人になりますって話かな?
正直、SUMOでメインで貢献してるdskmoriさんじゃなくてmarsfさんが文句言うんや?と疑問なんだけど、
Mozillaにとっては、SUMOとかいう誰もアクセスしてない限界集落サイトの話より、marsfさんがFirefoxのその他すべての翻訳を一手で担ってることが重要だよね。
「marsfさんがSUMOの貢献辞める」って言ったってそれ自体ではどうでも良いのだが、裏の意味は「俺の気持ち次第でFirefoxの翻訳終わらすことだってできるんだぞ」って警告と読むべきかもしれない。
SUMOはFirefoxのサポートサイトね。Firefoxの使い方に疑問が生じたときにみるところ。まあそういう用途で作られているというだけで、アクセスする人がいるのかいたって疑問だが。
想定読者は技術に疎いFirefoxユーザなので、「機械翻訳ならユーザーが自分でやるから不要」みたいな意見は全くナンセンス。
Firefoxの内蔵翻訳機能はプライバシー重視という建前の翻訳API破産防止のため、ローカルのCPUで動く設計になってる。必然的にMicrosoftやGoogleの翻訳より精度がかなり落ちる。ゆえにFirefox使って普通に英語版SUMO読むより、公式で精度よい機械翻訳提供したほうが、ずっと良い体験を提供できるよね。
また対抗をGoogle翻訳のような無料クラウド翻訳と考えるとしても、サポートサイトに特化するようファインチューニングした機械翻訳エンジンを使えばHelpを助けてと訳すような暴走も抑制できるから、これも公式による機械翻訳提供に優位性はある。
なお、統計上アドオン一切入れてないFirefoxユーザーが大多数なことからわかるように技術に疎いFirefoxユーザってかなり多いからね。
Firefoxはラピッドリリースで機能がコロコロ変わるので、ある時点でベストな翻訳になっててもすぐ時代遅れになる。
dskmoriさんなどができる範囲で貢献してたとはいえ、品質維持できる量ではなかったので、SUMOには、例えばすでに存在しない機能についての記述を含む記事が普通にあった。
これは比較的アクセスありそうな重要ページでも同じで、私もさすがに見かねて貢献したこともある。
Microsoftのプロ技術者向けサイトはもともと有償の翻訳者が訳してたのを機械翻訳に切り替えたのでこれは単純に劣化なのだが、SUMOについてはごく少数の素人が自分にできる範囲で訳していたという点を踏まえる必要がある。もともとクオリティが高かったとは言えないし、機械翻訳の精度もここ2,3年で異常に上がってるから過去の機械翻訳騒動をもとに騒ぐのが正しいとも思えない。
今回の事件で思い出すのがLibreOffice日本語チームのDramaね。LibreOfficeの翻訳のメイン貢献者の某氏がある日、日本語チームのメーリスで「何でお前らはまともな仕事ができんのんや」と長文でブチ切れて、チーム脱退を宣言した事件。理念は立派でもすでに敗北の流れは決定的で新たな貢献者の望みは薄い、希望の見えないまま最後に残った1人として惰性で維持するしかない、辛い。
今回は、LibreOfficeの事件よりはヤバさだいぶ低めだけど、「翻訳ガイドラインに従っていない」「新たな人間の貢献者を育てることができない」とか、SUMOボランティア翻訳の実情を思えば「何言ってんだ、現実をみろよ」という感想にしかならないし、CCライセンスで貢献してるのに、AI翻訳の学習に使うなも意味不明。
marsfさんは、某xkcdで言うところの「感謝なしに2003年からデジタルインフラを維持してきたネブラスカ州の無名個人」に位置する人で、もっともっと感謝されてしかるべきではあるのだが、SUMOの長年の構造的な問題に対し抜本的な解決に打って出たMozillaに対して、さもコミュニティが現在も十分に機能しているかのように反論してるのがとても印象悪い。どう見ても分かってない人ばかりがMozillaを炎上させている。
20年感謝なしに維持し続けるのは幻想が必要なのはわかるが、Mozillaとしてはそういう個人に依存するのは不健全でしかないので、現在marsfさんがやっているFirefoxほぼすべての翻訳も翻訳会社による有償翻訳に移行すべき。
まあ遊べはする。遊べはするけど作業量がデカすぎる。モンスターハンターとかポケモン好きな層ならやれそう
キャラクター作成するのに回すのに周回コンテンツをやる必要があるが、この周回で何ができるかは1時間切り替えのランダム
んで作成に必要な欠片の数もランダムで、理論値では11回だけど実際は15~20回回さないとキャラ作れない。
酷いというか平成前期のラノベみたいなノリ。ちょっと古いカモ~
原神とか教養ある人らが作ってんだろうなって思うけど、こっちはアニメ見てアニメ作ってんのかなって感じ
フレーバーテキスト周りはスターレイル真似してるけど結構滑ってる
全然気にしてなかったんだけど、女性声優全員主役級でビックリした
そりゃ音周りではストレスないなと思いました
無料ゲームはインフィニティニキ以前と以降で分けられる、というのは過言だけど、服飾の豊かさを誇るならそれくらいやらないとね
ガチャ無料で行くなら、もっと装飾アイテムにドバドバ課金したくなる開発しないと厳しくないか?
やらないと……という圧が無くなる代わりにいくらでもやれてしまうが発生するが、これは俺は好感触
ハックアンドスラッシュとかそうだしね。ただそれにしては成長の幅が狭いしなー
だって現に、どのタイトルも月平均3000円台くらいの課金で全キャラ確保できているし、エンドコンテンツも余裕でいけるから。
ソシャゲから入ってきた人は、強キャラを「見抜いて」それだけ凸ったりしてリソース集中させようとする。
でも中華ゲーはキャラ集めがゲーム進行というかプレイ体験の中核なんだよ。そこを勘違いするから、凸とかしないとろくに勝てないと感じて過剰に課金してしまう面があるんだろう。
廃課金者が無課金を蹴散らして気持ちよくなる戦闘主体のポチゲーだったソシャゲとはゲームデザインの根底からして違う。
中華の上澄み系ゲームは本格的なゲームを作ろうとするから、物語主体で、作り込んで全員好きになってもらい、全員とってもらうのがまず基本なの。絶対に全員とらなきゃいかん訳ではないが新キャラの8割くらいは取っておきたい作り。
従来の運頼みすぎるガチャゲーだと全確保なんて非現実的と思うかもしれないが、確保しやすいように天井引き継ぎの仕様と安価な天井設定になっている上、一部のゲームでは運の下振れを救済するようにもなってるから、実際はランダム性がかなり薄く、熱心にプレイしてさえいれば大した出費もなくキャラを揃えるだけなら安定して可能なの。
ただ、日本に勘違い重課金者が一部いるかもしれないとはいえ、大多数は物語に心動かされてふつうに布施ってるものだと思うし。
数%の重課金者が売上を支えるソシャゲ構造とは違い、まっとうに遊ぶなら育成に追われる構造としてバトルパス課金の微課金層の厚さによって収益が支えられている部分も大きいと思う。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
従業員500名超の弊社
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・PCのリース一部カット→同じPCを部署内4人で1台使用(なおメアド共有)
・ある日突然謎のノルマとその進捗状況報告会が発生
・部署ごとの福利厚生費をフクリーに→フクリー使えない人が多数発生
・盆暮れや正月、一部の祝日に有給を勝手に使用→連続休暇にみせかけて実質有給削減
・定年前に無理な難癖つけて(60間際の人に「老けすぎてて外見を磨く努力が足りない、とか))降格させて退職金を節約
などの改革()を次々と実行し
ここ何年かで急速に離職増加→営業が足らない→仕事取れても人員確保出来ない
→取れる筈の仕事もキャパオーバーで取れなくなる→で、業績悪化の一途を辿っている
その人達は地方の僻地に飛ばされたり、二階級特進ならぬ二階級降格とかさせられていたので、今ではもう誰も止められない
誰にも止められないので、超絶ヤバいなって実感してる
前社長は既に引退済でホクホクだし、現社長は前社長の長女の娘婿なので
アホは世話になった義父のご自慢()のエリート()な義妹であり、今社長ですら気を使っているのが分かり、多分現社長ですら逆らえない