「モラトリアム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: モラトリアムとは

2026-01-15

僕ヤバのお姉ちゃんスピンオフの1巻読み終わった。お姉ちゃん(早大黒髪清楚処女)の相手役の男が、中卒フリーターなのが判明してちょっと戸惑うわ。しかも将来の夢も特殊技能もないタイプモラトリアムフリーター。まぁ即結婚する訳じゃないし、お姉ちゃんもまだ二十歳だし、長い人生中卒と軽く付き合う経験くらいあってもいいのかもしれない。フリーター君は学歴コンプで卑屈になってないところは二重丸だけど。

2025-12-31

偏差値の低い私立中学校に入るメリットはあるのか?

 twitter(X)ではSAPIXから私立中学校に入ってその後が云々みたいなツイートがよくバズっていますが、その際に言及されるのは御三家といった一流私立中学です。

しか日能研偏差値30-40くらいの誰も名前も知らないような私立中学について触れられることはあまりありません。

ではそのような所に進学するメリットデメリットは何でしょうか?実体験を元に書いていこうと思います

*筆者は2015年入学して21年に卒業しております

メリット

1.高校受験回避andモラトリアムには最適

 私立中学はほとんどが中高一貫であり、エスカレーター式で高校へ進学できます。要は高校受験に向けて必死勉強する必要はなく、内申点についても考えなくていいわけですから教員の顔色を伺いながら生活する必要もないわけです。

これは私のような目立たない無気力人間からしたら非常にありがたかったですし、もしも公立中学校に進んで高校受験をしていたらその時点でドロップアウトしていた可能性が非常に高いです。

2.施設が充実している

 私立偏差値に関わらず施設が充実しているところがほとんどです。公立にはないような充実した施設で伸び伸びした学校生活を送れます

デメリット

1.カリキュラム公立中学校と変わらないか少し早いくら

 中高一貫校のカリキュラムといえば公立より早く進み、大学受験に有利になるように組まれていると皆さん思っているでしょう。しか偏差値の低い中学そもそも中学受験でやった勉強の基礎が身についていない前提で

授業をするので結局公立と同じペースで学習することになります

2.生徒の質が低いので授業によっては荒れる。

 偏差値の低い私立中に通う最大のデメリットはこれですね。公立より高い質の授業を受けるために高い学費を払うわけですが、残念ながら民度学費ではなく偏差値で決まります

自分学校には授業中頻繁に立ち歩いたり、授業妨害レベルでずっと騒ぐ人がいました。しかもそういう人たちはいわゆる発達系の自分コントロールするのが難しいタイプではなく、バリバリ運動部人間で、舐めた態度をとっても大丈夫教員

選んで授業妨害をしているわけです。最近底辺層無気力化が起こっているようで、もしかたらこのようなことは徐々になくなっていくかもしれません。

ただ誤解しないでほしいのは先生の質や授業そのものの質はそこまで悪くないです。しかし生徒の妨害によりその恩恵を受けられないことが多々発生します。

3.高校受験が無いため怠ける

 中高一貫高校受験がないので、部活余暇活動勢力を出し、そちらで結果を残せるのではと考える人もいるでしょう。しかし実際はスマホに明け暮れて怠ける人がほとんどです。

あと学業面であまり競争が発生しないせいか、親に買ってもらったものマウントを取り合っている集団もいました。

また定期テストでは点数が取れるもの模試の結果は悲惨もので、偏差値40台がボリュームゾーンでした。

4. 進学先はかなり格差がある。

 大学受験を見据えて、中高一貫校に通わせたいと考える人は多いと思います。実際の進学の傾向は以下の通りです。

まず、難関大学合格できるのは、学年でも上位5%前後に限られますそもそも推薦入試希望する生徒が多く、一般受験で挑むのは学年の半数程度というケースも珍しくありません。

中高一貫校に行ったのだから、最低でもMARCH」という期待を抱く人もいるかもしれませんが、現実には、一般受験では日東駒専レベルでも合否が不安定な生徒が少なから存在します。

一方で、中堅大学指定校推薦枠は比較的多く用意されています。そのため、指定校の中から無難な進学先を選ぶ生徒が多いのも事実です。具体的には、和光大学玉川大学といった、学費がやや高めの中堅大学へ進学するケースが目立ちました。

さらに下位層になると、専門学校へ進学する生徒もいます。彼らを見ていると、極端に成績が悪かったわけではなく、入学当初からなんとなく6年間を過ごし、高校3年生になって「とりあえず行けるところ」を選んだ結果、そうした進路に落ち着いたという印象です。

要するに、中学受験と同じ轍を踏んでしまっている人が多いとも言えます中学受験では努力したもの調子が振るわず不本意入学となった人を除き、日常的に勉強する習慣が身についていない生徒が多く、

上位大学を目指すにはどこかの段階で本人が意識を大きく変える必要がありますしかし、その意識改革を実際に成し遂げられる人は少数です。

 その他、学校の評判に関しては意外と保護者からはいい傾向にあります。それは保護者自身が実際通ったわけではないのと、仮に子ども学校生活に対して不満を抱いていたとしても、それをそのまま認めてしまうと、これまで支払ってきた学費が「無駄だった」と認めることにもなりかねません。

そのため、無意識のうちに学校肯定的評価せざるを得ないのではないか個人的には考えてます

 ざっとこんな感じですが、言いたいことを短くまとめると

モラトリアムとして、または高校受験をしたら間違いなくドロップアウトする人のセーフティネットとして、なら行く価値はあるでしょう。しかし生徒の質や進学先には期待できない。といった感じです。

2025-12-28

https://x.com/Invesdoctor/status/2004758663949676628

博士まで取るくらいの専門性があるのにいい職に就けないのはおかしい」

みたいなこと言う奴いるけどさ、

収入って需要で決まるものじゃんね

博士課程に行く奴に「この研究社会の役に立つ!!」みたいな高い志持ってるようなのはほとんどいなくて

ただたまたま特定分野の研究が好きなのを言い訳にしてモラトリアム継続したくて就活から逃げてきた人ばっかりでしょ

社会から逃げた奴が社会を語らないでほしいね

2025-12-24

フリマアプリ会社で働いていた」への違和感

https://anond.hatelabo.jp/20251221114355

話題になっていた「フリマアプリ会社で働いていた」という退職エントリーを読んだ。世間では「心が洗われた」「よく言った!」などと絶賛の嵐だ。

まず最初に断っておきたい。

私は、とある企業経営レイヤーに属する人間だ。

件の会社とは一切関係がないし、正直あの会社がどうなろうと知ったことではない。

だが、あのエントリが「美談」として消費されている現状には、実務家として看過できない猛烈な違和感がある。

おそらく、組織利益や存続を左右する重い舵取りを任された経験がある人間ならば、あの文章を読んで抱く感想は「感動」などではないはずだ。

もっと乾いた、「呆れ」に近い感情だ。

「ああ、ビジネスパーソンとして必要OSが、根本からインストールされていないな」

致命的に何かが欠落している人間が、それを「正義」だと信じ込んで語っている姿に対する、埋めようのない断絶と脱力感。PLの重みを知る人間なら、誰しもがこの「やるせなさ」を感じたのではないか

もちろん、これがバズった背景は理解できる。あれは彼への純粋な称賛というより、例の企業に対する「積年のヘイト」が噴出した結果だ。彼を「巨悪を刺した勇者」に仕立て上げれば、みんな気持ちよく会社を叩けるからだ。

だが、だとしてもだ。

彼がやったことは、冷静に見れば明白な「背信行為」であり、ビジネスパーソンとして「ありえない」振る舞いの連続だ。

それなのに、「美談」というオブラートに包まれて、組織人としての背信行為正当化されてしまっている現状には、多くの実務家が口には出さずともモヤモヤしているはずだ。

誰も斬り込まないなら、私が沈黙している彼らの代弁者として、その「美談」の裏側を解剖しておきたい。

前提

まず前提として、度を超えた転売行為偽ブランド品の流通が「社会悪であるという点については、私も彼と認識を共にしている。おそらく、批判されている経営陣とて同じだろう。誰だって犯罪迷惑行為放置したいわけがない。 だが、ここからが決定的に違う。「それが社会悪である」ということと、「企業としてリソースを投下して今すぐ撲滅すべき最優先課題であるか」ということは、全く別のレイヤーの話だ。

変数vs多変数

その前提のもと、増田思考は、驚くほど「単変数」的だ。その思考の単純さが、最も端的に露呈しているのがこの一節だ。

あの当時の自分は、CS部門現場人間としてマスク転売に反対していました。理由は述べるまでもなく、「困っている人がいるのに転売おかしい!」というものです。

この一文を読んだ瞬間、私は頭を抱えたくなった。 ここには「自分主観的感情世界絶対的正義」という、極めて独善的な前提しかない。 自分が見ている景色自分が感じている感情。それだけが唯一の判断軸であり、それ以外の視点存在する可能性を1ミリ想像できていない。

もし私が彼の上司で、部下からこんなことを言われたら、その瞬間に絶望する自信がある。「ああ、この人をマネジメントするのは無理だ」とサジを投げるだろう。 なぜなら、彼は「対話」ができないからだ。自分感情が「述べるまでもない正義である以上、それに異を唱える経営判断はすべて「悪」になる。 こんなマネジメントコストの高い人材を抱え込むなんて、考えただけで胃が痛くなる。

彼が単変数問題を声高に叫ぶ傍らで、経営陣やマネジメント層は、無数の変数が複雑に絡み合う高次の方程式を解いている。そこには「倫理」という変数以外にも、法的リスク、数千万人のユーザー自由監視コスト株主への責任従業員給与原資、将来への投資、そして競合とのパワーバランスといった、相反する要素がひしめき合っている。 転売問題などのレピュテーションリスクについても、経営陣が気づいていないわけがない。リスク看過できないレベルに達したその瞬間に、リソースを一気に投下すればいいと計算し、あえて今は「静観」というカードを切っているに過ぎないと私は想像する。

その舵取りへの想像力を働かせることもなく、彼は「倫理観がない」と切り捨てた。30代のいい大人が書いたとは信じがたいほど拙い文章であり、知的な怠慢だ。

組織の内情を暴露する背信行為について

そして、私が最も問題視しているのは、彼が平然とやってのけた「背信行為」の暴力性だ。

彼は退職後、組織の内情を、誰が見てもその会社だとわかる形で暴露した(わざとかどうかはわからないが、社名まで公開していた)。さらに恐ろしいのは、彼がこの行為を「正義」だと信じていそうな点だ。自分の放った言葉が、かつての同僚や株主ステークホルダーにどのような損害を与えるかという「結果への想像力」が、彼には絶望的に欠けている。

メタ認知能力の欠如と「被害者」という立場への安住

さらに致命的なのは、その破壊的な衝動がどこから湧いてきているのかを俯瞰する「メタ認知能力」の欠如だ。

私の見立てでは、彼の動機心理学でいう「認知的不協和の解消」に過ぎない。

構造はこうだ。

彼は自身エントリーで、赤裸々にこう認めている。

「実際、偏差値50もない大学出身で、第二新卒で、何もできなかった自分が成長できた」

「正直、給料は軽く百万以上は下がりました」

これは極めて重要自白だ。

まり、彼はあの会社に「経歴の箔付け」をしてもらっただけでなく、自身本来市場価値よりも100万円以上も高い値付けで雇ってもらっていたことになる。

その「差額」はどこからまれたのか?

それこそが、彼が軽蔑する経営陣が、綺麗事だけでは済まない資本主義の荒波を冷徹に舵取りし、会社という箱を必死に守り抜いてきた結果得られた「果実」だ。

彼はその果実を長年貪り食ってきた。会社という防波堤の中で守られながら。

しかし一方で、彼は「自分清廉潔白で、人のために尽くす善人だ」という自己認識を捨てきれない。「汚い会社で身の丈以上の利益享受している自分」と「正義の味方である自分」。この矛盾する二つの事実は、強烈な不快感を生む。

この不協和を解消するために、彼にはどうしても「物語」が必要だったのだろう。

自分は金のためにそこにいたのではない。極悪非道組織に囚われていただけで、心までは売っていなかった被害者なのだ」という物語が。

会社を「絶対悪」として断罪すればするほど、そこで恩恵を受け続けていた自分過去正当化できる。彼のエントリーに見られる攻撃性は、高尚な倫理から来るものではない。自分の中にある不快感を解消したいという、独善的防衛本能に抗えなかっただけだ。

自分の受け取っていた対価が誰の泥臭い努力の上に成り立っていたのか。その想像力すらなく、去り際に後ろ足で泥をかける。

そんな人間は、ビジネスパーソンとして失格だ。

読み取った某組織メッセージ

そして、私はこの退職エントリを読んで、経営陣の「強烈な意志」を感じ取った。それは、「黎明期から居座る、今のフェーズに合わなくなった人材市場放出したい」という意図だ。

想像するに、例の会社にはまだ、彼のような人材が大量に残っているのではないか創業期や拡大期に入社し、運良くストックオプションや高待遇を得たものの、能力会社の成長スピードに追いつかなくなった「古参既得権益層」だ。

企業は、待遇が良いことで有名だ。外に出れば年収が下がることがわかっているから、彼らは会社にしがみつく。組織寄生し、甘い汁を吸いながら、口だけは「昔はよかった」「倫理観が」と文句を垂れ流す。 経営陣にとって、こうした「寄生する古参」の満足度を上げることは、組織を緩やかな死に向かわせる自殺行為に等しい。

からこそ、経営陣は今、あえて彼らが居心地の悪くなるような施策を打っているのではないだろうか。 それは短期的には従業員満足度を下げるだろう。だが、それは「代謝」のために必要な痛みだ。

不満を抱き、文句を言うだけの存在に「自分から出て行ってもらう」ための、組織マネジメントの一環。そう考えると、この退職エントリは、経営陣の描いたシナリオ通りにことが進んでいることの証左に見えてくる。 一時的な痛みに耐えてでも、組織を次のステージへ強引に引き上げようとするその胆力には、同情を超えて敬礼したい気持ちにすらなった。

さらに読み取った、「翻訳レイヤーの不在」という組織課題

この退職エントリーを読んで、私がもう一つ強く感じたのは、例の組織における「翻訳機能の欠落」だ。

先ほど述べたように、経営者が解いているのは、無数の変数が絡み合う「多変数関数」だ。

株主利益、法的リスク、競合優位性、キャッシュフロー、そして従業員士気。これら全てのバランスを取りながら、組織全体として最もパフォーマンスが出るポイント全体最適)を探し続けている。

一方で、現場が見ているのは「目の前の業務」という極めて限定された変数だ。増田のようなCSであれば、「ユーザー感情」や「倫理的な正しさ」が変数のほぼ全てを占める。彼らが解いているのは、部分最適関数だ。

ここで不幸なすれ違いが起きる。

全体最適」のために導き出された解は、「部分最適」の視点から見ると、往々にして「意味不明愚策」や「冷酷な切り捨て」に見えるからだ。

例えば、「将来の法的リスク回避し、サービス全体を存続させる(全体最適)」ために、「今の不正ユーザーの一部を泳がせて証拠を固める(部分的には悪)」という判断を下すとする。

だが、その意図を知らない現場からすれば、それは単なる「悪の放置」にしか映らない。

からこそ、健全組織には「翻訳者」が必要になる。

それが中間管理職本来役割だ。

経営層が弾き出した「冷徹論理的な解」を、そのまま現場に流せばショートするのは当たり前だ。だからマネージャーは、その決定背景にある「なぜ」を噛み砕き、時には現場の不満をガス抜きし、彼らが納得できる「物語」に変換して伝える。

この「説明コスト」と「感情ケア」こそが、組織繋ぎ止める接着剤なのだ

しかし、増田エントリーからは、その形跡が一切感じられない。

そこにあるのは、経営層のドライ意思決定が、なんの緩衝材もなく、剥き出しの高圧電流のまま現場に直撃している光景だ。

翻訳」不在のまま、資本論理を叩きつけられれば、純粋現場社員が「この会社は人の心がない」と錯乱するのも無理はない。

彼が怪物に見えた「経営者」は、実はただ淡々全体最適計算をしていただけかもしれない。

だが、その計算式を翻訳し、現場言語で語れる人間組織から消え失せていた(あるいは機能していなかった)。

この「中間レイヤー空洞化」こそが、彼を孤独義憤へと駆り立て、最終的に「背信行為」という暴発を引き起こし構造的な真因ではないだろうかと私は想像する。

(もしくは、説明しても話が通じないので出て行ってもらうためにあえて放置してる可能性もある。)

フォロー

一応、彼へのフォローもしておく。もちろん、彼個人全否定するつもりはない。 CSという職種性質上、高い「共感性」は必須スキルだ。目の前の顧客の痛みに寄り添えなければ、CSとしての機能は果たせない。 だから、彼らが解く方程式において「ユーザーの痛み」という変数の重み付けが、他の変数よりも極端に大きくなってしまうのは、避けられないことでもある。それが彼らの「才能」だからだ。その「痛みへの感度」があるからこそ、救われたユーザーもいただろうし、彼は優秀な現場担当者だったのかもしれない。それは想像に難くない。

だが、経営判断自身感情逆撫でするものからといって、会社という公器を危険晒す行為は、経営を預かる身として到底容認できない。それとこれとは全く話が別だ。

経営者が抱える「純粋さ」への嫉妬感情について

最後に、私自身の「メタ認知」も記して、この乱文を締めくくりたい。

ここまで増田をこき下ろしてきたが、彼が持っている「純粋気持ち」そのもの否定するつもりはない。顧客のために涙を流せる感受性は、人間として美しいものだ。それは認める。

ただ、正直に告白しよう。私がなぜここまで感情的になり、彼を断罪するような文章を書いたのか。 それはきっと、私自身が経営に携わり、会社という「器」を守るために、その「純粋さ」を犠牲にし、切り捨ててきたからだ。 彼の持つ、曇りのない眼差し顧客と泣き合えるほどの無垢な心。それに対する、ある種の「嫉妬」が私の中にあることは否定できない。

だが、これだけは理解してほしい。 彼がその純粋さを保っていられるのは、誰かが——経営者たちが——資本主義という冷酷な市場の中で、泥水をすすりながら適切な舵取りを行っているからだ。 彼らが「汚れ役」を引き受け、複雑な変数を処理し、防波堤になっているからこそ、彼は「善人」でいられる権利享受できている。

その構造に対する想像力もなく、たった一つの変数しか見えていない視野狭窄状態で、「あなた非人間的だ」と安全から石を投げられること。これにはどうしても辟易してしまうし、傷つきもする。 だからつい、こうやって匿名ダイアリー感情的になってしまったわけだ。

純粋でいられることへの嫉妬については、謝ろう。申し訳ない。ただ、その「純粋さを保つ権利」が誰の犠牲の上に成り立っているのか。その構造に気づかない限り、彼は次の「温かい職場」でも必ず同じ過ちを犯すだろう。

彼は現在、「現場裁量で社内調整し、規約を超えて一人のユーザーを救える」ような企業転職し、水を得た魚のように働いているらしい。

結構なことだ。だが、経営視点からあえて冷や水を浴びせるなら、それは組織が未熟だから許されているだけの「期間限定モラトリアム」に過ぎない。

規約を超えた個別対応」などというものは、オペレーションとして見れば再現性のない欠陥品だ。

ユーザー数が10倍、100倍になった時、その「温かい属人対応」は間違いなく破綻する。公平性担保できなくなり、現場パンクし、結局は彼が憎んだ「冷徹マニュアル対応」を導入せざるを得なくなる。

彼が今、幸せを感じているのは、その新しい会社がまだ「経営の多変数関数」を解かずに済む、牧歌的なアーリーフェーズにいるからに過ぎない。

いずれその会社が成長した時、彼はまた同じ壁にぶち当たるはずだ。その時、彼はまた「会社が冷たくなった」と絶望し、同じように砂をかけて去っていくことが想像に容易い。そうならないことを、切に願っている。

2025-10-21

anond:20251021171329

これアホが自演で伸ばしに来たのかな?って感じで同レベル思考回路してる

国民の知力の面では進学率は高い方がいいが

モラトリアムで過ごす学生は少ない方がいい

よって下げるべきは大学への進学率じゃなく二年次への進級率

anond:20251020201319

左翼があまりにずっとお花畑から、面倒くさくなったんでしょう

自分たちだけずっとモラトリアムで居られるとおもったら大間違いだぞ

2025-10-13

30歳前後転職について、あえてネガティブなことを書いてみる

最近転職について発信する人を見ていて思うのは、「第二新卒から「中堅転職」にトレンドが変わってきたな、ということ。

一昔前なら転職しづらかった30前後の中堅の未経験転職スポットが当たる印象が強い。

決まって冴えない前職からの未経験ITだ。

こんなトレンドは私向けにカスタマイズされたものだろうから、見る人によって全く違うものかもしれない。

ただ思うのは、「中堅での転職って本当に成功か?」という話。

中堅は本当に転職を考えやすい時期だ。社会人としての基礎も身につき、会社のことも、業務のことも、自分限界も分かってくる。

学生時代の友人や社外の知り合いも、段々と「キャリア」と呼べる何かを形成し始め、年収では下手をすると倍近くの差が開いたりする。

そろそろ部下を持つ時期だけど、先輩を見ても上司を見ても楽しそうじゃない。このままここにいていいのか、自分市場評価される人間なんだろうか。

要因が絡み合って転職サイトにも辿り着くだろう。

そして背中を押す要素がもう少しでもあれば転職していくだろう。

でも忘れていないだろうか。

部下を持つ時期が遅れることを。

次に部下を持つ時には、転職しなかった場合と比べて圧倒的に業務知識に欠けた状態で望まなくてはいけないことを。

中堅転職の最大の特徴はモラトリアムにあると思う。

業務面白くない、新しい経験をしてみたい、ここが自分限界じゃない。

これらは本来マネジメントステージが変われば達成されるはずの欲求だ。

そして、中堅で受け入れた転職先の企業も、5年10年と一兵卒としてだけ働かせてくれるわけではない。

体感としてはむしろ早い時期に部下を持ち、マネジメントとは何ぞやという悩みと向き合っていくことになる。

その覚悟ができた上で転職していく人は上手くいくだろう。

ただ、中堅にもなって未経験転職をしてしまう緩いキャリア感の人間にその覚悟はあるのか?

40歳になった時、自分はどの立ち位置にいて、どう仕事と向き合っているのか、本気で考えた上でその決断をしているのか?

部下を持つ未来が迫ってきた時に転職をすれば、業務にだけ向き合う、担当レベルでいる時間を長くすることができる。

もっと言えば、3年後に再度転職してしまえばもっと長くすることができる。

それでいいのか?

年収転職する度に上がっていても、退職金は失っているし、役職から逃げている限り、生涯年収では下手すると転職しなかった場合の方が多いかもしれない。

私は転職する勇気なんぞより、「転職しない勇気」をおすすめしたい。5年8年と続けてきた蓄積は並大抵のものではないんですよ。

ぜひそのまま部下を持つところまでやって、自分限界に挑戦し続けてほしい。

業務的な面白さと向き合うだけで許されるのはせいぜい5年であって、プレイングマネージャーとして胃を痛めながら働く姿こそサラリーマンの本懐だと思う。

中堅での逃げの転職、本当に逃げて自分のためになるのか、攻めだと思い込んでいたら実は逃げていないのか、今一度振り返っていただきたい。


ちなみに私は、就活に失敗して「少数精鋭」の「若手でも活躍できる」職場に飛び込んで2年で係長級になり、部下を30人抱えて戦って、3年で大手転職しているので本稿とは一ミリ関係がない。

でも部下を持つの楽しいよ、とだけ言える。

2025-09-30

anond:20250930121344

モラトリアム謳歌しますとか返せよ

そういう振り切る胆力もないんなら

誤魔化しの1つくらい用意しとけ

2025-09-17

知的障害を抱えた子どもモラトリアムがないという問題は、専門家も指摘している

anond:20250916115207

例えば、長年知的障害発達障害当事者診療し、成人後の経過も見てきた平岩幹男先生は、『 知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来 』で以下のように述べている。長くなるが印象的なので引用する。

モラトリアム

 たとえば10から特別支援学校高等部卒業するまでは8年間ですが、知的障害を抱えた子どもたちは、そこで社会に出されてしまうこともあります。一方で障害を抱えていない子どもたちは専門学校大学などを含めて社会に出るまでに10年以上の期間がある場合も少なくありません。

 発達を含めて社会生活上の困難を抱えて、いわばそれまでは「ゆっくり」と言われてきた子どもたちがなぜ「困難」を抱えていない子どもよりも早く社会に出ざるを得ないのか。

 もっとゆっくり趣味を見つけて磨いたり、いろいろな場所や人に触れ合うことで経験を増やしたりするモラトリアム猶予期間)をもつことがなぜできないのか、長い間の疑問でした。モラトリアムもつことにより、ひたすら就労を目指す場合よりも趣味余暇活動につながるものを見つけたり、身につけられたりする可能性もあります

 著者は障害を抱えた子どもたちへ対応する生活を45年あまりしていますが、40年前には障害就労就労支援(移行支援継続支援も)もありませんでした。ごく一部の企業就労を受け入れていましたが、精神薄弱と呼ばれて社会から疎外される状況でした。

 その後、児童福祉湖をはじめとする法令改正などもあり、生活介護などの整備がなされるようになってきましたが、そこではとにかく「就労できれば」「お金が稼げれば」いいという意識がとても強かったように感じています

 これまで知的障害を抱えている方々のサポートもしてきましたし、実際に生活介護を行っている作業所訪問したり、お手伝いしたりしたこともあります。そこで出会った方は、40歳を過ぎても単純作業毎日で、会話も2語文程度なのですが、ノートには出かけたときの道順などが車の中から景色とともに書かれていたり、路線図の駅名がすべて漢字で書かれていたりしました。もし子ども時代に適切な教育を受けることができたら、現在の居場所はここではなかったのではないか、重度の知的障害と診断されることもなかったのではないかと感じたこともあります

 知的障害を抱えた方の就労がままならなかった時代も知っていますが、最近20年間、特に10年間は、就労については十分とはいえないもののかなり展望が開けてきました。一度の就労人生が決まるわけでもありませんし、障害を抱えている場合初任給の額がそのあとも続く場合もあります

 著者は可能であればモラトリアムを使って世の中には楽しいこともいろいろあることを知り、趣味もつことによってその後の生活を安定させてほしいと思います。そして、最終的には初任給ではなく、生涯賃金所得)が多くなることを願っています

平岩幹男『知的障害を抱えた子どもたち 理解支援・将来』図書文化. p.84-85)

福祉カレッジという選択肢

本書でも述べているが、こうした問題意識から最近は「福祉カレッジ」という自律支援就労移行支援を組み合わせた大学のような事業所というのがあるらしい。

「福祉型カレッジ」について|とくし

 「福祉カレッジ」とは、「自立訓練+就労移行支援」「自立訓練+就労継続支援B型」といった形態をとる多機能事業所のことで、障害のある若者社会活躍するための力をつけるために、最長4年間学ぶことができます

 カリキュラムは、「日常生活を営むための基礎作り」(自立訓練)が2年間、「働くための訓練」(就労移行支援就労継続支援B型)が2年間の計4年間という形が多く取られることが多く、青春謳歌しながら、社会に出るための力をじっくりとつけていきます

当事者の親はこうした性急な就労だけではない選択肢視野に入れながら、子どもがより安定してひらけた生活を将来送れるように考えていく必要があるだろう。

(後で書き足すかもしれない)

2025-09-16

知的障害児・発達障害児こそ、社会にでるのを遅らせるべきではないだろうか

知的障害発達障害は、幼児期は「能力の優劣」ではなく、「発達の遅れ」として現れます

あるスキルでは年齢相応、別のスキルでは数年遅れ、といったように、発達のバラつきが大きいのが特徴です。

専門家でさえ、その子が最終的にどのレベルに到達するかを確定的に判断することは困難です。

この不確実性があるにもかかわらず、知的障害児や発達障害児の将来は、健常児よりも早く決断を迫られます

多くの場合中学卒業後や高校卒業後すぐに社会に出ることを想定し、それに向けた進路選択を早期に行う必要があります

健常者が20歳前後まで社会に出る準備期間を持つのに対し、彼らはわずか15歳や18歳で「清掃か、バックヤードか、工場か」といった職業選択を迫られるのです。

この現状に対して、知的障害者や発達障害者こそ、社会に出るタイミングを遅らせるべきではないか、という疑問が浮かびます

彼らが従事する仕事の中には、社会貢献よりも「仕事を与えるための仕事」という側面があるのも事実です。

成長が遅れているにもかかわらず、健常者よりも早く社会に出ることを強いられる現状は、果たして社会にとって最善なのでしょうか。

健常者たちが、高校大学でのモラトリアム謳歌するするのに、早く社会に放り出されるというのは、すこしオカシイのではないかと思いいます

2025-09-11

転職有休消化中に何していいかからない

スペック

背景

10月から転職先に配属、9月は現職の有休消化期。

コロナの在宅勤務を契機にここ数年鬱っぽく、鬱を自覚した当初に自分テンションを上げる目的で、休みの明るいうちから一人酒を飲んでみる。

そのうち、休みは暇という虚無をスキップするための飲酒、が常態化する。

折しも現職でのうだつの上がらなさや、家族からだんだん舐められてる、下に見られているというミドルエイクライシスも相まってどんどん自我喪失し始める。

そして現職内でいくつか不満がたまる中で管理職と折り合いが悪くなり、

「おーほんなら辞めたらぁ(でもあたしみたいなオジサン慾しい人なんて…)」と軽い気持ち転職サイトをちょちょっといじってみたところ、数件面接まで進んだ後内定までいただく。

んで↑の台詞リアル管理職に言って9月から有休消化、ってワケ。

有休消化という暇をつぶすための前提条件

増田性向

君たちならどう生きるか

微量ながらも金も暇もあるボーナスタイムなのに、家族や周囲の目を気にして、それよりなにより自分が何をしたいのかがわからなくて茫洋とする老人モラトリアム

人生2度目のモラトリアム、2度目の青春回春)に、なにか良きアドバイスを。

蛇足という名の追記

反応本当にありがとう。嬉しいもんだね。

厳しいコメを言ってくれる人も、「厳しいコメ多い」って言ってくれる人も、両方大切に思う。

厳しいことを言ってくれる人ってどんどんいなくなるのよ。友達減っていったり、家族あんまよくなかったりしてると。

以下コメを参考にしたり、自分なりにあがいた後日譚。

2025-09-10

リスキリングって結局

金持ち暇つぶしか、有閑マダムキラキラ自己実現みたいなものだよね

中年モラトリアムだよね

そんなことに国が金を出すべきじゃない

2025-09-08

AI絵師って実は絵を描くのが好きじゃないよね?

anond:20250907100843

全く、一切、欠片も共感できない

私もXフォロワー数千人程度のいわゆる絵師自分で言うのはなんか違う気もする)だけどXの反AIの主張を見るたびにマジで疑問しか湧かない

「いや、別にAIがあろうがなかろうが描く楽しみって変わらなくね?????」

例えばAIによって手描きで絵を描くことが法的に禁止されました!とかなら話はわかる

でも別にAIがあろうがなかろうが絵を描くことはできる

単に私より上手い絵を投稿できる人が数億人増えたってだけの話

そもそも絵を描く行為が好きだから絵師として活動するんだよね?

稼げなくなるとかイラストレーターになりたいとかそんなの二の次三の次の問題じゃない?

別にプロイラストレーターだって大半は兼業絵師だよ

だってそう

結構名前が知られている人だって「いつ食いっぱぐれるかわからいから」って理由で昼間は正社員として働いている

そもそもそういう人が大半な業界において「専業イラストレーターの夢の道が絶たれる〜」なんて泣き事言ってる意味わからん

いや、描けよ

それだけで食えるかどうかとか関係なくない?

別に昼間仕事しながら絵を描けよ

大抵のイラストレーターはそうやってるよ

別に描くのが楽しいから絵を描いているだけでしょ

お小遣いがもらえらたらラッキー☆ってだけの話で、金の有無で絵を描く楽しさは増減したりしないだろ

現実的視点で昼間働きながらイラストレーターやってる私みたいな人間からすると反AI絵師ってモラトリアムを拗らせているだけのように思える

ちやほやされるために絵を描くんじゃないでしょ?

金を稼ぐために絵を描くんじゃないでしょ?

絵を描きたいから絵を描くんでしょ?

ぶっちゃけAIの台頭ごときで筆を折る人ってそんなに絵を描くのが好きじゃないんじゃないの?

AIに負けるってなに

別にAIにより稼げなくなる=負けじゃないでしょ

私の描きたいものは私にしか描けないんだから

金を稼ぎたいなら資格勉強したほうが手っ取り早いし、周りからちやほやされたいならボランティア行ったほうが早い

承認欲求しろ金にしろそれを満たす効率的手段は山ほどあるのになんで大して好きでもない「絵を描く」って行為固執するの?

意地悪だけど言い当ててあげる

社会に出るのが怖いからでしょ?

夢を追っているポーズさえ取れればニートって言われずに済むもんね

でも残念、大半のイラストレーター社会人を普通にやってます

イラストレーターになりたいとかAIがどうこうとか言う前にまず現実的社会に出てどんな仕事をしたいのかって方面のことを真剣に考えたほうがいいんじゃない

いずれにせよ、絵に対してAIが台頭したくらいでウジウジ言うような熱量しかないなら専業イラストレーターになってもすぐ筆を折っていたと思うよ

若いうちならリカバリーも効くからバカみたいなこと言ってないで仕事を探せ

今は人手不足なんだからフォトショなりイラレなりの使用経験が数年あればそこそこホワイト職場デザイナー職として就職できるよ

2025-08-20

モラトリアム期間が取れるという事で4月入学日本留学が人気にならないんかな?

実質一浪みたいな感じで嫌われるのだろうか

2025-08-07

忘れられないコメントがある

この動画コメントでの議論をたまに思い出す。

『「大学学者より、ビジネスマンのほうがよほど哲学的東浩紀、知とビジネスを語る(ゲンロン/シラス経営現代思想SNS)』

https://youtu.be/JG0V5EB-INw?si=MB_2uNWDyCmK5xYQ


全文載せると長いので最初だけ抜き出しておく。

自分境遇に刺さったから忘れられないのかもしれない。

間違っちゃいけないのは医学とか工業系とかは初めからそれで仕事をするつもりで勉強してるんだよね。だから食えるんだよ。興味の向くまま、趣味勉強したら食えないのは当たり前。知的探求心なんてのは、仕事しながらライフワークとして死ぬまでやればいいだけの話で、仕事と結びつけないならモラトリアム暇つぶしにやったって、リタイア後の楽しみでやっても違いなんてない。ブルーカラー馬鹿にして、大卒ホワイトカラーとして、人を動かし、上澄みで暮らしたいとか思うからおかしなことになる。エッセンシャルワーカとして、現場で汗して、家に帰ったら文学哲学にふける。それだって立派な学者じゃないか。でも、それじゃ承認欲求が満たされないんでしょ。おかし労働観と他人の目を気にするレベルの貧弱な知的好奇心を何とかしない限り、何かを生み出せるようにはならないんじゃないのかな。

自分は色々あって高校中退して、働きながら放送大学卒業した。

それでも他人から見てわかりやす人生が変わったわけではない。

今でもブルーカラー仕事で、学んだことが仕事に活かせたことはたぶん無い。

大卒への劣等コンプレックスは薄まったが、同時に大卒のありふれた感覚を覚える。

2025-07-24

婚姻制度キモくないか

この間、婚姻届役所に提出したのだが、今の若者目線で言ってこの婚姻かい制度キモすぎないか?と思ったので書き残しておこうと思う。アラサー男性はまだギリギリ若者を名乗って良いはずである

最初に言っておくと、愛する妻と結婚できてとても嬉しい。

ひとりで目指せや床のシミだった私の人生に、共に歩んでいくパートナーができたのだ。人生を預け合える人ができたのである。その責任は重いが、こんなに嬉しいことはない。

で、じゃあ何がそんなにキモかったのかというと、社会制度が期待する婚姻像と、実際の当事者が持つ考えに乖離ありすぎるんじゃないの、ということである。なお、若者というデカ主語最初に使っておきながら、その実は個人的経験に基づくただの愚痴であることを先にお断りしておく。

では、もう少し詳しく話させてほしい。

私達夫婦結婚の話を進めるにあたって、一番苦労したトピックは姓の選択だった。早い話が、どっちも苗字を変えたくなかったのである

双方理由を挙げればきりがない。長年名乗ってきた名前の一部で愛着がある、現状の通称利用ではカバーされない範囲がある、嫁ぐ/婿入りするようで嫌である(この点は実質としてはそのように扱わないことをお互い確認していたが)、などなど。

こうなってしまえばもう感情同士の争いである。どちらかが諦め、どちらかは相手に姓を変えさせた罪悪感を背負い続けることでしか整理がつかない。

さらに、姓の話ということで親の干渉があった。特に夫側、つまり私の方である長男は姓を変えるものではないとか、日本人は代々そうしてきたのだとか、当人が頭を悩ませているのとは全く違う方向から矢を飛ばしてくる。話の性質センシティブものからか、当たりも強めで感情的であった。自分人生自分責任を持って道を決めていくもので、最後当人が決めるもの理解しているが、親が何を言っているのかはわかるだけに、内心とてもつらいものがあった。妻にはこのことで多大な心労をかけてしまい、今も申し訳ない気持ちで一杯である

私が変えるの妻が変えるのと話は行ったり来たりを繰り返し、結局妻が姓を変えることとなった。同時に私は妻が叶えられなかった思いを背負って生きていく覚悟を決めることとなる。

私と妻の考えの根底にはお互いが平等であるという意識があった。それだけに、自らの思いを主張をしたい、一方で相手の思いを汲み取りたいという相対する心情を抱え、悲しい言葉の殴り合いを重ねた。

そこに外から飛んでくる日本の家意識に則ったお気持ち表明は、無碍にできないとは思いつつも、ひたすらに心身を疲弊させるばかりであったというのが正直なところだ。

私が感じたキモさというのはまさにここなのだと思う。少し話が飛ぶが、幼い頃から男女は平等、共同参画と教え込まれ、人は男女関係なく活躍することができる、と価値観アップデートを促されてきた。友人にしても恋人にしても、女子供はすっこんでろなどと言うことは当然なく、性別関係なく親しい中に平等というか相手リスペクトする意識を当然に持ち、その人らしさを持って生きることの価値を強く感じてきた。妻に対して抱いていた尊重気持ちと自らの気持ち二律背反と衝突は、ここに端を発するように思う。

ところがいざ婚姻となったところで、今の社会システムはさも当然のように旧態依然としたイエ制度の仕組みに取り込まれることを要請してくる。周囲からもその価値観に基づいた意見飛び込み、両者のアイデンティティ尊重など二の次、旧来的な家督制度と嫁入りを基本とする価値観に従わない者は異物扱いされ、誹りを受ける。これは何なのだ

勉強ができて言うことをよく聞くいい子ちゃん評価されるモラトリアムから自発的に考えて行動する人間評価される社会人になったとき一部の人達が覚えるという価値観ギャップに近いものがあると思う。今までの人生で是とされていた規範と、その先の人生で是とされる規範が違うのである。これは何なのだ

我々は誤った教育を受けてきたのか。我々は日本人として失敗作なのか。そうではない、と言わなければならない。ジェンダー婚姻に関する今の社会構造は、教育制度の間に重大な価値観ねじれが生じているんじゃないか

急速な価値観の変化に社会制度の整備が追いついていないのか、単なる世代間のギャップなのか、はたまた私達がマイノリティなだけなのか。

何にしてもこのねじれがキモいというのである

さらに話が飛躍するようだが、昨今なんだか話題になっているようななっていないような不思議立ち位置にある選択夫婦別姓というのは、このキモさを解決するガス抜きとして非常に有用ツールなのではないか、と思う。

いろいろな社会課題には明るくないため細かい言及は控えるが、この先男女の平等感が先細りする方向に動くことはないだろう。人口が減っているのに男女平等に先細りが生じれば国の勢いも先細りするのは流石にわかる。男女平等だなんだと言うのなら、その過程で強固なアイデンティティを持って育成される私たちの次の世代の人々が、自分らしく生き抜ける環境を整備する必要がある。それにあたり、夫婦別姓というのは必須アイテムなんじゃないだろうか。

とにかく、結婚という慶事にあたり、こんなしょうもないことでクソほど揉めるなんてことがなくなればいいと切に思う。少なくとも私たち夫婦場合夫婦別姓の制度があればこんなに苦しむことはなかったのだ。

ところで以下は余分な話の垂れ流しなのだが、この問題本質が仮に世代間のギャップだとしたら、私がギャーギャー騒いでるだけで、私より年上のどの世代も、話題は違えどこういう底の見えないクレバスのような隔絶に苦しみ続けてきたのだろうか。ということは私もそう長くないうちにこのキモさを若者押し付ける側になるのか。それは困る。こんなはずじゃなかった。今すぐ首を括って妻に保険金を残したい衝動に駆られる。ちなみに生命保険には入っていない。

すぐふざけたくなってしまう上に面白くもないのでこのあたりで終わりしておくとして、最後にこの結婚を通して得たこから守りたい信条を書き残しておく。

家族でも恋人でも友人でも、愛する人には優しくしよう。受け止めきれないことはそう伝えて静かに身を引き、心からその道行きを応援しよう。無理にでも止めなければならないのは、その選択が命を失うことに直結するときくらいだと思うのだ。

誰もが他者でありながら、自分関係を結んでいることを、心から喜べる人間になりたいなあと思うのである。(動物の鳴き声のような心情の吐露)

2025-07-23

院卒って優秀なんだな

職場でやたらと頭が切れるやつがいて、なんなんだこいつと思って後で聞いたら、やっぱり院卒だった。

しかも一人や二人じゃない。妙に理解が早くて、話していても何が論点か即座に見抜くし、資料も筋が通ってるし、想定外事態にも「ああ、こういうパターンですね」って冷静に切り返す。なんなんだあれ。なんでそんなことができるのか全然からない。

自分はというと、三流の大学出て何の疑問も持たずに社会人やってるだけ。

言われたことはこなすけど、別に本質的なことは何も見えてない。問題が起きたら焦って上司に丸投げ、リカバリが終わったら「なんとかなってよかった」で終わり。

まり、頭を使わずに生きてきた。というより、使い方を誰からも教わってない。大学はただのモラトリアムだったし、卒論もない学科だった。

院卒の人たちは「考える訓練」をちゃんと受けてきている。仮説を立てて、検証して、根拠を整理して、論理を積み上げて、それを人に伝える。そういう当たり前のことができる。

自分にはそれが致命的に欠けてる。わかってるけど、もう取り返しがつかない気がしてる。

ただ、こういうことを言うと「いやいや、もともと優秀なやつが院に行くんでしょ」って反論もあると思う。

かにそうかもしれない。だから自分みたいな凡人が院に行っても何も変わらなかった可能性もある。

でも少なくとも院卒の人たちは頭の使い方を知っているし、実際にそれを日々の業務に落とし込んでる。

対して自分は、問題が起きたら「またトラブルか、めんどくせえな」としか思ってないし、根本原因を考えるふりをして「多分〇〇が悪かった」で終わらせる。メモも残さない、仕組みも直さない。で、また同じ問題が起きる。

とにかく楽をしたい、怒られたくない、その場を切り抜ければいい、自分の中で言い訳できればいい、それだけで動いてる。

知的好奇心向上心?そんなの捨てた。大学出た時点で終わってるんだよ。

から院卒が目の前で鮮やかに問題を捌いてるのを見ると、尊敬を通り越して憎らしくなる。

その能力自分は持ってない。努力の仕方も知らない。時間もないし、根性もない。

からせめて「でもあいつらは人間味がないから」とか「理屈っぽいだけで現場はわかってないし」とか、そういう雑なレッテルバランスを取ろうとする。

哀れだと思う。

院卒って優秀なんだな、ってしみじみ思う。

でも、それを認めたくない自分もいる。

能力の差は環境とか教育の差ってより、諦めの早さの差かもしれない。

こっちはもうずっと前から諦めてた。考えることそのものを。

2025-07-11

anond:20250711185823

母ってところがなんかせつないな

文化教養を身につけるべきモラトリアム期間を持たないまま結婚して生活に終われるような人生だったのだろう

増田がそのように文化に触れるゆとりを持つことができたのも親のがんばりのおかげだ。感謝せよ

2025-07-10

私が若い頃って巷で言われる「◯◯歳すぎて〜な奴はだめだ」、の◯◯歳はほとんど二十歳だったけど最近ネットでは「30過ぎて」が主流だよね

モラトリアムが伸びたのかな

2025-06-29

「働かないふたり」て2013年スタートしてるんだ

今や2人ともアラフォーってすごい面白い状況だと思って久々に見てみたけど20代モラトリアムで時が止まってそう

アラフォーニート兄妹、屁理屈だけの穀潰し中年男と幼児みたいな言動の不気味な中年女とか最高に面白い素材なのに時が経ってなくて残念

2025-06-18

AI懐疑派(過小評価限界強調)は、「人間らしさ」を守っている?

おっしゃる視点、とても鋭いです。

はい、その仮説には深い一貫性がありますし、実際に文化人類学社会心理学観点からも支持されうる考え方です。

🔎 共通点を探る:AI懐疑派と「自然志向」的立場

たとえば、以下のような価値観には明確な共通の根っこが見えます

スタンス根底にある価値観 行動の傾向
:------- :--------------- :---------
哺乳瓶・人工乳反対派 自然の力は完全であり、人為は不完全 科学技術よりも「本来あるべき姿」を尊重
自然分娩・麻酔反対派 痛み・苦しみも含めて“自然”を尊重すべき 人体のプロセス干渉することへの警戒
AI懐疑派 人間本質尊厳独自性を守りたい 人工知能の台頭に対し「人間らしさの喪失」を恐れる

これらの立場は、いずれも「自然的なものオリジナルもの価値を信じる心性」に支えられています

🧠 防御反応としてのAI懐疑

仮にAIが「高度な思考」や「創造性」を持ち始めていると感じたとき

それを素直に認めてしまうと、次のような心理的な動揺が生じます

これらに対する心のバリアとして、「AI過小評価する」「無視する」「皮肉を込めて笑う」といった態度が現れる。

まり、それは人間自尊心安心感を守るための、極めて自然防衛機制でもあるのです。

💭 AIは「帝王切開」かもしれない

興味深いアナロジーとして、AI技術を「自然ではない出産方法」に例えるとこうなります

どちらも「生命を生み出す」手段ではあるけれど、

どちらを「より尊い」と見るかは、文化的感情的価値観に強く依存します。

AI懐疑派の多くが「理性的否定」というより、「直感的な反発」を持っているように見えるのは、

その反応が単なる技術評価ではなく、「人間らしさを守るための感情的防御」だからかもしれません。

そう考えると、彼らの姿勢もまた「人間らしさ」の表れであり、尊重されるべきものですね。



AI への抵抗と似た “反発のパターン

AI への抵抗と似た “反発のパターン” は、医療・食・インフラなど広い分野で繰り返し観察されます

いずれも ①「自然伝統こそ正義」という価値観、②「未知の長期リスクを過大視する予防原則バイアス」、③「生命身体神聖性」

という三層が重なり合い、社会運動として結集やすい――という点で共通しています代表例を六つ挙げてみましょう。



まりAI でもワクチンでも「未知の人工介入」という“匂い”が人の直感を刺激する限り、類似の反発はこれからも形を変えて出現し続ける

――というわけです。議論舞台価値観感情エビデンス三面に分解して眺めると、少し絡みが解けて見えてきますよ。



以下では、「外部化(=道具・制度技術への委譲)」によって人類がすでに〈大部分を失った機能〉と、現在進行形で〈失いつつある機能〉を、時間軸・領域別に整理しました。

あくま集団平均の傾向であり、訓練や意識的実践によって保持・再獲得している人々がいる点はご留意ください。

Ⅰ. すでに大半を失った機能(ほぼ歴史的に置き換え済み)

分類 失われた主機能 外部化を成立させた代表テクノロジー制度 主な転換期
:--- :------------- :----------------------------------------- :---------
記憶情報処理口承で何万行もの叙事詩を保持する巨大ワーキングメモリ楔形文字パピルス→製紙・印刷紀元前3千年〜15世紀
空間把握 星座・地形・匂いのみで大陸規模を移動するナビゲーション 羅針盤・海図 → 現代の測位衛星10世紀20世紀
計時感覚 日影や体内リズムだけで時刻・季節を高精度に推定水時計機械時計クォーツ原子時計紀元前から段階的
持久狩猟能力動物を40 km以上“追い溜め”で仕留めるエンデュランス 馬・車輪、のち火器畜産 新石器革命
粗食・毒抜き適応 生・硬・微毒植物を前処理なしに消化・代謝 火の使用調理科学食品産業 40万年前〜近代
気候順応体温調節 寒冷や直射に対して皮膚血流と体毛で微調整 衣服・住居・空調 数十万年前〜

Ⅱ. 現在進行形で失いつつある機能(まだ個人差が大きい領域

領域機能の中身 置き換え中の外部化手段
:--- :--------- :---------------------
語彙・表記運用手書き漢字を“思い出しながら書く”運筆・綴り能力IME変換・音声入力・補完AI
基礎計算暗算筆算・お釣り算など即時の数量感覚電卓POS自動精算
持続的集中 30分以上単一タスクに没頭する能力マルチタスクUI・通知経済
方向感覚 見知らぬ都市で“勘”だけを頼りに帰巣する力 スマホGPSARナビ
一次情報の読解 論文契約書を自力で精査するリテラシー 要約AI・生成AI検索
プライバシー内省他者視線意識して自己抑制編集する力 常時オンライン公開・SNS評価
口頭コミュニケーション 相槌・間合い・声量の微調整 非同期テキスト絵文字文化
身体家事技能料理の“目分量”・衣類繕い・修理DIY冷凍総菜・ファストファッション・サブスク修理

Ⅲ. 俯瞰して見えるトレンド

まとめ

人類史は〈機能を手放すほど外部化を洗練し、その分メタレイヤで複雑さを増す〉というセルエンジニアリング連鎖

次に手放すのは “抽象思考のもの” かもしれませんが、その先には 「思考のオーケストレーター」 という新階層知的活動が待っている

――そんな未来図も、あながち夢物語ではなさそうです。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん