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2026-01-27

anond:20260127174215

寿司の作り方

1.材料海苔スモークサーモンスシ飯、しょうゆ

2.はじめに、海苔スシ飯とサーモンをやさしく巻いて……

3.ちくしょう!だいなしにしやがった!お前はいつもそうだ。

4.このスシはお前の人生のものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。

5.お前はいろんなことに手を付けるが、ひとつだってやり遂げられない。

6.誰もお前を愛さない。

anond:20260127150340

なぜなぜ分析ってひとつ問題分化して分析して無数に分岐してくから

単一原因とかいう話でてきようが無いが

AI出世した無能だけど、バレたら終わりだと毎日思ってる

2023年卒。社会人3年目。業界福祉

最初に言っておく。俺はマジで無能だ。

コミュ障ADHD報連相壊滅、書類は誤字祭り会議では空気読めない発言を連発。入社半年で「増田くんは……うん……」という目で見られるようになった。あの憐れみと諦めが混ざった視線、一生忘れない。

ただ、ひとつだけ周囲より早かったことがある。

2023年の春、ChatGPT課金した。

20ドル。当時の俺の時給より高い。でも「これで無能な俺でもなんとかなるかも」という藁にもすがる気持ちだった。

最初日報文章を直してもらっていた。俺が書くと「本日利用者様と活動しました。楽しかったです」みたいな小学生の作文になる。これをGPTに投げると、ちゃんとした社会人文章になって返ってくる。魔法かと思った。

そのうち調子に乗り始めた。

Excelでこういう集計がしたいんだけど、マクロ書いて」

Googleフォームの回答をスプレッドシート自動処理するスクリプト作って」

「この業務フローもっと効率化できない?」

返ってきたコードは一切読めない。何が書いてあるかわからない。でもコピペして実行すると、動く。なぜ動くのかは知らない。今も知らない。

気づいたら、俺は職場で「パソコンに詳しい人」になっていた。

増田くん、このExcelなんかおかしいんだけど」

増田会議資料フォーマット作ってくれない?」

「これ増田に頼めばすぐでしょ」

いや、俺じゃなくてGPTに頼んでるんだが。

でも誰もそこには気づかない。俺が関数関数とも呼べないレベルだということを、誰も知らない。VLOOKUPとか言われても「なんかVがつくやつ」くらいの認識しかない。それでも「増田パソコン得意だから」で全部片付く。

決定的だったのは、勤怠管理自動化だった。

うちの職場、紙のタイムカードExcel手打ちしていた。毎月、事務のおばちゃんが1日かけて転記していた。

俺はGPTに「タイムカード写真から勤怠データを読み取ってExcel入力するスクリプト書いて」と頼んだ。3時間くらい試行錯誤して、なんか動くものができた。

事務のおばちゃん、泣いてた。

増田くん、天才」って言われた。

いや、俺は「できた?」「エラー出た」「これ貼って」を繰り返していただけなんだが。

結果。今年の4月本部勤務に異動になった。

福祉業界で3年目の若手が本部に行くのは異例らしい。上司には「君のITスキル組織全体に展開してほしい」と言われた。

ITスキル? どこに?

俺がやってることは「AIに聞く」「出力をコピペする」「動かなかったらエラーを貼ってまた聞く」、これだけだ。知識じゃない。技術でもない。ただの課金と根気だ。

正直に言う。

毎日、めちゃくちゃ怖い。

増田さん、これどういう仕組みですか?」と聞かれるたびに心臓が跳ねる。

説明できない。自分で書いてないから。「いや〜、ちょっと複雑で……」と誤魔化すたびに冷や汗が出る。

同僚がChatGPTを使い始めたら終わりだと思っている。

「あれ、増田がやってたことって別に難しくなくない?」

「ていうか、増田いらなくない?」

そう気づかれる日が来るのが怖い。

でも、最近ちょっとだけ思うこともある。

俺は確かに自分では何も理解していない」。

でも、AIに何を聞けばいいかは、俺が考えている。

「こういう業務が面倒」「これを自動化したい」「このフロー無駄」という問題意識は、俺の頭から出てきている。AIはそれを形にしてくれているだけで、「何を作るか」を決めているのは俺だ。

……と自分に言い聞かせている。自己正当化かもしれない。

ひとつ確実なのは、俺と同僚の差は「早く課金たかどうか」だけだったということ。

知識の差でも、努力の差でも、才能の差でもない。

2023年の春に「月20ドルくらいなら払ってみるか」と思ったかどうか。それだけ。

これを「スキル」と呼んでいいのか、俺にはわからない。

でも現実として、俺は出世した。

今月もChatGPT請求が来た。

来月も払う。

だって課金をやめた瞬間、俺はただの無能に戻るから

ひとつ言えるのは、ウクライナとか台湾とかを中露がマジで戦争で取りに行こうとするのって左翼的平和主義世界観では「想定外」だったんだろうと思うんだよな。

帝国主義の野心に燃えるのは日米だけっていう想定で、だから憲法九条さえあれば戦争に巻き込まれないって本気で信じてたんだろう

2026-01-26

anond:20260125093934

新装版という考え方が近い。別のものから買い直すしかないんだよ。

DLC売りは売る側にメリットがないし、ボタンひとつで色を切り替えたりは出来ないんだよ。

お母さんにすごいねって言って欲しかった、私

姪っ子が高校合格した。その子祖母である私の母は孫の合格に喜び、落ち着いたらお祝いパーティーしようと言っていた。もちろん私もおばとしてとても嬉しいし、本人にもおめでとうと伝えた。

でも、その時に「私が高校合格した時はこんなにお祝いムードなかったな」って思った。思ってしまった。

私は三人兄妹で、全員県内トップ進学校出身だ。大学も全員そこそこ有名なところに進学している。そのことを今さら自慢したいとか、誇りに思ってるなんてことはない。全員、今も昔もその他大勢のひとりだ。でも、母が姪っ子を褒めた瞬間に、私もそんな風に言ってほしかったんだなって約二十年ぶりに気付いた。

自分子供がいるのにこんなことを思うなんて恥ずかしい、大人になりきれてない自覚があって誰にも言えない。ここにしか書けない。

これは姪っ子に嫉妬してるわけではない。姪っ子に対しては本当に何ひとつ悪感情はなく、完全に「母」と娘である「私」の問題

でも、これに気付いたことで、親に褒められるのがどれだけ重要なことかわかった。自分の子ども達はたくさん褒めようと思う。すごいすごい、って言いまくろうと思う。

ずっと前、友達からこんな話をされた。「お母さんが姪っ子に大きなクリスマスツリープレゼントした。小さい頃、どんなにお願いしても私たち姉妹には買ってくれなかったのに」って笑いながらもちょっと不満も含めたような調子だった。そのとき私にも既に姪っ子がいたけどあまり共感できず、そんな気持ちになる人もいるのかーって感じだった。「まあ孫には責任ないし、ばーばは片付けのこととか考えなくていいもんね」って二人で笑った。今なら分かる。その子にとってのクリスマスツリーは私にとっての合格祝いだったのだと思う。

はいつも自分で「私は褒めるのが下手。大げさに抱きしめたり褒めたりするタイプじゃない」と言っていた。だから、そんなもんなのだと思っていた。うちは大げさに褒められる文化のない家なのだと。でも母は別に冷たい人ではなく、そういうドライな家なのだと。でも孫にはお祝いムード出せるんじゃん、って思った。同じ母としてわかるような気持ちもある。完璧なお母さんなんていないし。

でも、あの頃の兄や姉や私はお母さんに「すごいね合格おめでとう!落ち着いたらパーティーしよう!」って言ってほしかったし、もし言ってくれたら何か少し変わってたのかもしれないって思う。大人になりきれてないよね。ごめんね。

指先ひとつブロックにもミュートにもできる機能あるのにわざわざなにか一言言うたろ!となるのどうして??? 暇なの???

2026-01-25

だれにも言えないけれど、

物理学には完全には成功しないでほしい、とおもう

そもそも論理になにひとつただしさの保証はない、それはただの便利な道具にすぎないのに

わたしたち自己意識という最も共通した信仰を完全に葬り去ってしまうような……

緩慢な自殺行為であることに、あの方々はどこまで自覚的になっているのですか、貴方方はどうしてただ見ているだけなんです

anond:20260125182650

いじめは無くなりません。人が社会性を持つ限り無くすのは不可能です。このため、個人いじめを無くしたいと思うかどうかには全く意味がありません。

いじめられるのは理由があります。残念ながら、多くの人にとって不快人間というのは存在し、そこにはある程度共通理由存在します。それは衛生面の問題文化の相違、コミュニケーション不全など、様々な要因によるものです。しかしながら、質問者様のおっしゃるとおり、それはいじめが良いかいかとは関係がありません。人の社会において当然に存在するいじめの要因のひとつ説明しているだけです。

いじめが良いかいかという問いにも、あまり意味がありません。なぜなら、いじめという言葉には非常に広範な行為が含まれしまうからです。集団内のコミュニケーションを円滑にするための生贄としてのちょっとたかかいから、明確な犯罪行為まで、すべてをいじめとして処理することに問題があります。このため、犯罪行為を適切に処罰することが重要という指摘が存在していますが、教育の場に警察が介入することに対しては学校警察抵抗感が強く、実現していません。

こうした現実理解した上で、質問者様は何を望むでしょうか?

人類社会崩壊以外には実現不可能いじめの根絶?

いじめ理由を誰もが問わなくなること?

いじめという言葉に含まれ行為について法的に善悪明確化し、議論余地を無くすこと?

ゆうこ連合

あれは「佐賀の乱」のときに出来た、島義勇の「憂国党」をもじっているんだろうな。

そのときあったもうひとつグループが、江藤新平の「征韓党」。

ネーミングで「征韓党」は論外だったろうが、いずれにせよ縁起はあまりよくない名前である

2026-01-24

精神科が役に立たない理由

発達障害領域特にそうなんだが、

障害」と「甘え」の違いは、「出来ない」と「出来るけどやらない」ですかね?

障害は進めないんですよね前へ。これはもう仕方がない。

甘えはやる気を出せば工夫すれば前へすすめるのに、止まっている状態。もしくは意図的にゆっくりしている状態

こう言うと「無理してやればできるから私は甘えなんだ…」という層が出てきますが、ペース配分を怠ってはいけません。今走ってもあとで止まったら結局同じことです。

人間ずっと走ることは出来ませんから自分の持つ力をよく理解し、なるべく前に進んでいけるようペース配分をするのも仕事ひとつ。「今は足が痛いから休んで、変わりにあとで長く走る」は甘えではないですからね。これは作戦

前へ進もうという努力が有れば甘えには入らない。

https://mond.how/ja/topics/zl3wn294hreew05/zugq5m9m5dtjbpz

この精神科先生曰く、前を進む意志さえ見せれば障害理由に開き直っているとは捉えないらしい。

では、ストラテラなど前に進むための薬が身体的な理由で使えないケースでは身体と前に進む方を優先するのかと聞いたら、

明らかに体を優先すべきですから、飲めないならばこの世にそんな薬は無かったと思って忘れて過ごしますね

https://mond.how/ja/topics/1uq0j1f7toqndb3/vta9k3p7p45m9rk

といいだし、前に進めなければ迫害されるのをまるで考慮していないような発言をしている。

ちなみに同じ先生に前に進むために飲まなくても地獄であると返したところ、

ストレス発散の方法は他にも山ほどあるのだから自分の発散方法が偏っているだけなのに、それを「薬が飲めないせい」と逃げてしまうのは如何なものかと、私は思いますけれど。

https://mond.how/ja/topics/t20w3r1qvl3ecos/nen4v3cepksh7ok

と言われてしまった。

このように発達障害が絡むケースでは環境調整が大事教科書はいいつつ精神科先生発達障害さらに追い込むケースが多い。

なお、診断に関してもかのような現実があり、発達障害が背景にある性格の悪さだと診断がそもそもできず、精神科治療には金がかかるのに自立支援などが受けられないという問題もあり…

この領域精神科はマシで闇が深い。

これの関連ですね。

障害性格の違いですについてですが、非常に難しいです。

定義的には病気怪我からくる症状と、元々生まれ持った気質ということで別物ではありますが、これを明確に分けて捉えるのは非常に難しい。

もちろん明らかに障害ものは言うまでもなく障害で良いと思いますが、病気の症状なのかただの性格なのか見分けがつかず、頭を悩ませることも多いです。

結局その程度ならば障害とは言わず、グレーだね診断書は書けないね、ですり抜けて行っちゃうわけです。でも実際は病気の症状ってこともよくあるので、診断書は自信持って書けないけど治療対象ではある、みたいな感じですよね。

https://mond.how/ja/topics/51x2wpo0jo7dz4j/19qxdl7eulou068

「喋りタランティーノ!」のCMが成立してたの凄くない?

関西デジタルホン しゃべりタランティーノ

https://www.youtube.com/watch?v=rc4MEllOLhE

千葉真一さん タランティーノに自らを売り込み「ハリウッド俳優」としての地位を不動のものに | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

https://smart-flash.jp/entertainment/entertainment-news/156002/


1996年関西デジタルホン(今のソフトバンク携帯電話部門前身ひとつ)のCMクエンティン・タランティーノが起用されていた

上のSmart FLASH記事には「当時、タランティーノは『レザボア・ドッグス』(1991年)、『パルプ・フィクション』(1994年)といったヒット作品を次々と発表し、ハリウッドを席巻する異才として世界中から注目を集めていた。」とあるが、そう、この時点でタランティーノはまだ長編映画を2本しか発表していない30代前半の新進気鋭の監督だった

でもレザボア・ドッグスパルプ・フィクションも、当時の日本で超絶大ヒットしたわけではない。当時の日本での興収を見ても洋画トップ10には入っていない(まあ彼の最大のヒットと思われる2003年キル・ビルも年間15位なのだが)

https://www.eiren.org/toukei/1993.html https://www.eiren.org/toukei/1994.html

凄いな、と思わされたのは、そんな洋画監督であってもCMに起用されるくらい当時の日本では洋画プレゼンスが高かったということでもあるし、そんな監督を起用しても良いと現場判断するくらいにテレビCM世界クリエティティの高い業界だったということでもある

かにタランティーノ日本映画からの影響をことあるごとに公言しているし、そのおかげで日本メディアは取り上げがちだが、であるからして1996年当時の日本においては実は既に一般層(めざましテレビの平均的な視聴者なんかを想定)にも結構知れ渡った存在だったのか? これは増田CMが流れた当時まだ小学生だったので詳しくわからない。でも実際小学生の私でもどこで知ったのかタランティーノ存在理解したうえでこのCMを見ていたんだよな(むしろ千葉真一がわからない)

だいたい貧乏な人ほど「とにかく金を貯めろ」って言われて育つじゃん。

こんなん義務教育で教えとくべきだろって、ずっと思ってるんだけどさ。

なんで「金」についての授業、マジで一切ないんだろうな。

だいたい貧乏な人ほど「とにかく金を貯めろ」って言われて育つじゃん。

でも冷静に考えて、働いてコツコツ貯金するって、金を増やす方法としては一番効率悪い部類なんだよな。

しかも「貯金があれば安心」って価値観、ここ数年でだいぶ怪しくなってきただろ。

物価が上がって、あれ?同じ金額なのに買えるもの減ってね?って、やっと気づき始めてる人も多い。

極端な話、国の政策ひとつで金なんて紙切れになる可能性すらある。

https://m.facebook.com/events/830990116650070/

https://m.facebook.com/events/1254495573192439/

https://m.facebook.com/events/852994200896625/

https://m.facebook.com/events/1437313484761619/

https://m.facebook.com/events/25912352418420011/

https://m.facebook.com/events/1902453683974498/

ここから先は、教養知識が次の段階になる

「全体のストーリーを決めずに作り始める」

大きなテーマ自分の中の小ネタをひたすら繋ぎ合わせるだけ、みたいな作品になってしまった。

って、批判のようで批判になってない

かつて、いわゆる三幕構成、五幕構成、あげればきりがない、ストーリー類型などのような王道ストーリーを作って作るやり方があり、それが流行だった時代はあった

いまもそれは存在はしてるが、その構成であまりに多くのストーリーが溢れているし、多くの観客が先を読めるようになってしまった

ストーリーの期待を破るために、主人公が突然死するとか、ストレートすぎる裏切りを入れるのもでてきた

なんで映画館いかなくちゃいけないのか、なんでお金を払って時間を使ってそれをみなきゃいけないのか、を考えるほど

先の読める安心するストーリーでは観客が満足しなくなったし、早送りでみてストーリーがわかればいい人が増えた

それに、映画監督は、観客の奉仕者ではなく、ほかの大衆と同じように、自分能力表現を向上させ続ける欲望も何かに挑戦する欲望もある

からこそ

どこに向かっているのか、主人公は次に何をすべきか、が全く分からない

このように構成する

それに映画は、ストーリーだけではなく映像音楽も単体での娯楽であり、ストーリーオマケや修飾、具現化ではない

ある場合には、総合的に、精神的、身体的な変化を起こさせることが最終目標だろう

何を言っているか1回でわからない映画最近増えていてバカでもわかるように作れないほうがバカなんて批判もあるが

個人的に好きではない以上の議論を展開するなら、それは理解する側が理解努力をしないままの議論拒否だろう

まりに多様な解釈可能なように作られてはいるが、

宮崎駿君たちはどう生きるか理解できた人がどれだけいるのか?ほとんど批判されずに受け入れられたのか?わからない自分が愚かだと暗黙に認めたんではないのか?

レベルが低いとみなす人の作品だと、わかるように作ってないのがわるいみたいな批判になるのか?

作品をつくる人たちはたいてい大衆よりもずっと周辺情報調査していて対象に対して進歩や極端な思考を持っているので、意図がそのままわからないことのほうが多い

から、誰にでもわかるように既定路線で作るのはひとつ方法であるが、それが唯一の正解ではない

もはや、映画ストーリーだけで理解するのは困難で作品がなぜ生まれたのか、その画面がどうしてその構図なのか、社会反応を受けた後の作品がどうかわかるのか

周辺にあるあらゆることを勘案して、戻ってくるものになった

それに、わかったと思うのは表面だけでのことのほうがほとんどで、自分過去経験して知識のあるエンタメに似ているか思考の延長にあるだけで、自分範囲理解できるかどうかだけ

それを逸脱するものをみたときに熟慮せず、批判するのは、教養知識がないみたいな言われ方の反応も呼ぶことになる

というAI文章

ポスドク一万人計画の結果できた失敗作の山が現在大学教員

高等教育への支援日本復興させる、と会田誠がXで書いていた。

日本戦後復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争のものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争破壊であると同時に、国家ひとつの巨大な工場に変える。資源配分計画、規格、物流品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計製造検査運用までを一気通貫で回す能力総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。

戦時研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり工学知識組織的運用が結びついて、初めて技術社会実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しか能力形成観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。

そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しか瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考現場段取り試験改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまたことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。

からこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄継続することだった。ここが本丸だった。戦争供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時社会では、それらが自然に生まれない。目的分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源合意形成手続きに溶けていく。ゆえに、平時繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力強制ではなく、自発性創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語わたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技専門性という名の武器産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。

だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標採用任期ポスト学会査読ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文体裁矯正するが、社会問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。

そしてSNSだ。SNS思想市場であると同時に、承認自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポストフォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚麻痺させる。やがて、いつまでもから餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初行為が、いつまでもまらない。

自分地位が脅かされるとき自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。

だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり価値を生むという行為を、制度他人外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任自分で引き受け、見えない需要言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂い風向きを知る。

お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。

では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。

お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。

わたし大学の門をくぐったとき自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来計算可能で、家族暮らし老い制度に回収されるという約束だ。だが、あのときわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。

なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的暴力装置大学のものを重ねて見ていた。

戦後復興戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。

最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。

お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらいからだ。君たちの批判刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財すり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和繁栄は、配給では続かない。

anond:20260123143001

>極端な話、国の政策ひとつで金なんて紙切れになる可能

これ以下の話はあり得ない話だな

杞憂過ぎる

2026-01-23

追記ありいじめられる方に原因のあるいじめもあるって認めなよ

全部のいじめがそうとは言わないよ

でも明らかにいじめられる方に原因のあるいじめってあるじゃん

なんかいじめの議論ってそこんとこいつも無視されてんのが気色悪いな〜って思うよ

俺が中学の頃にもクラス全員から嫌われていたカスいじめられっ子がいたよ

根本的に空気が読めないゴミカス野郎

別にこっちは仲良くしたくないのに無理やりグループの輪に入ってこようとするんだよな

仲良しグループで話しているところに割って入ってきて無理やり会話に参加しようとしてくる

「え、今その話ししてないんだけど?」

「え、勝手に入ってきてなんで自分の話ばっかりするの?」

そういう不満が溜まって露骨に避けてもしつこくしつこく話しかけてくる

それである真剣に叱りつけてやるわけ

「俺たちはお前と仲良くするつもりはない」

「もう話しかけてくるな」

普通に俺達はお前のことが嫌いだし気色悪いと思っている」

そうしたらいじめ被害者ヅラですよ

先生相談したんだがなんだかで職員室呼び出しコースですよ

事情説明しても先生は謎にいじめられっ子側に立ってそいつ空気の読めなさ、不愉快さは見て見ぬふりですよ

で、こういう事態になったらもうあとはいじめるしかないわけだよな

いじめられっ子が自発的集団から離れるように仕向けるしかないわけ

しかけてきたら「話しかけんな」「カス」「アスペかお前?」「アスペ菌がうつるから近寄るなよ」と罵倒する

馴れ馴れしくノートを借りようとしていたら「なんで貸さないといけないの?」って詰めてケツを蹴り飛ばししばく

そうやって自衛しないとこの手のカスマジでしかけてくるのをやめないわけ

少しでも同情して優しくしたらつけあがって不愉快ヘラヘラ笑いを撒き散らしクソみたいな話題を振りまき続ける

周りはこいつの介護疲弊していく

積極奇異型っていうんだっけ?こういうの

普通にこの手のカスと仲良くするなんて不可能だろ

普通に孤独に過ごしてくれりゃいいのにわざわざダル絡みしてきやがる

それで煙たがられたら被害者ヅラ

そんなんだから悪意を持って集団から攻撃されて排除されるんだよなっていうケース、お前らのクラスにもあったでしょ?

みんなはそういうケースに遭遇したことないの?

優しい大人しいだけの人を積極的ボコボコにしていくケースはそりゃダメだよ

でも周囲を不愉快にさせるだけの存在自衛のために遠ざけること

あるいは遠ざけるために攻撃して排除することは仕方ないだろ

ひとつつけ加えておくと俺のクラスいじめられっ子くんはその後クラスとある女子ストーカー加害をしやがったからね

校門でその女の子が来るまで勝手に待ち続けて無理やり一緒に帰ろうとした

そんなことが繰り返されたか女子側も自衛のためにこのアスペ君を遠ざける努力をせざる得なくなったわけ

こういう自衛のための攻撃排除いじめる側が100悪いわけ?

いじめられっ子は悪くない信者の皆様はどう思ってんの?

この女の子大人しくストーカー被害を受け入れなくちゃいけないわけ?

集団から露骨攻撃されて初めて適切な距離をわきまえるカスをどう扱えばいいのさ

強制的精神病院にぶち込む手段でもありゃいじめなんかしないけどさ

それができない以上この手のカスはいじめて遠ざけるしかないじゃんね

追記

理由があるからといっていじめていい理由にはならない」みたいな綺麗事を言っている人へ

俺のケースで出てきたいじめられっ子君はいじめない限り言うことを聞きません

「君の言動不愉快なので話したくない」と伝える

→「なんで不愉快なの?」「どこが不愉快なの?」「言ってくれれば直すのに」等と言って無理やり話しかけてきます

自分の話ばかりするのが嫌」「空気を読まずに輪に入ってくるのが嫌」と伝える

→伝わりません。「うんわかった直すね」と返事だけはして一向に直ることはありません

「とにかく仲良くしたくないのでこっちに来ないでください」と伝える

→「なんで?」「個人自由でしょ?」「お前にどんな権利あんの?」と逆ギレしてくる

で、教師どもは基本的にこいつの不愉快さにはノータッチなわけ

我々に残された手段としては罵倒暴力しかないわけよ

とにかくこのいじめられっ子君自身不愉快になる体験をさせないとしつこくしつこくつきまとってくるわけ

世の中には「罵倒したり暴力を振るったり根源的な恐怖と不快感を与えないとこちらの気持ち理解しない・できないとてつもないクソバカカ不愉快野郎」がいるわけよ

まぁ世の中意外とこういう人に遭遇したことない人ばかりらしいのは勉強になったよ

皆さんは今後同じ場面に遭遇したらぜひ積極的にクソバアスペ君の介護係になってくださいね

anond:20260123231107

基準ひとつとして相手からサシでの食事を一度も誘われたことがないならやめとけ

こんなん義務教育で教えとくべきだろって、ずっと思ってるんだけどさ。

なんで「金」についての授業、マジで一切ないんだろうな。

だいたい貧乏な人ほど「とにかく金を貯めろ」って言われて育つじゃん。

でも冷静に考えて、働いてコツコツ貯金するって、金を増やす方法としては一番効率悪い部類なんだよな。

しかも「貯金があれば安心」って価値観、ここ数年でだいぶ怪しくなってきただろ。

物価が上がって、あれ?同じ金額なのに買えるもの減ってね?って、やっと気づき始めてる人も多い。

極端な話、国の政策ひとつで金なんて紙切れになる可能性すらある。

ベネズエラ見りゃ分かる。

でも皮肉なことに、国を信用してないって言う人ほど、なぜか一番「現金」にしがみつくんだよな。

そこ、論理的にめちゃくちゃじゃない?

金は持つな、とは言わない。

でも「金そのもの価値を保存しない」「どう扱うかが全て」って感覚を、

誰も教えてくれないまま大人になる。

この歪み、個人の失敗じゃなくて、普通に教育の敗北だと思うわ。

ひょっとこして既婚女性なのでは?

YouTubeでうっかりスカッと系の動画を開くとホームページがそういう系の動画でいっぱいになるが、年増の婚活嘲笑するのが結構な人気コンテンツと見えて、そういう動画がよく出てくる

婚期をとっくに逃してるのに結婚相手に臨む要望が過大な女性というのは醜いと思う

しかしそれは結婚という、これまで謳歌してきた自由を失うその代償であり、人生設計の大きな転換点でもあるのだから要望が過大になるのもむべなるかなとも

で、それ系のひとつ動画サムネイルを見て少し違和感を覚えたのがあった

婚活中のFカップ中年女性自分ランクを高く見積もったら結婚コンサルタントに「しぼんだ乳に価値はない」と最低ランクをつけられたというもの

どこに違和感があるかというと

独身巨乳女なんてのは男の理想(おぞましく言えば好物)であり、理想女性のまま婚期を逃してしまった女性というのは、男としてちょっと嘲笑する気になれないのだ

これ、誰が喜ぶと思ったの?

ひょっとしてこの手の婚活中年女性嘲笑ジャンル男性に向けて作られたものではないのではないか

じゃあ誰に向けて作られたかというのが、表題

既婚女性にとって婚活女子結婚他者との競争があることを意識させ、自らが勝利者であることを実感させる

そしてこの手のセコイ勝利者というのは、勝利の気分を高揚させるためにしばしば敗北者を貶めがちである

そして、敗北者を貶めて喜ぶといえばネット文化

なんか妙に納得してしまった

2026-01-22

寒い日には辛いカレーを食べよう

寒い大寒波ってこういうことか…と体で理解する寒さだ。

こういう日は辛いカレーに限る。好みではあるが、同時に対策でもある。

旨いカレーには玉ねぎ必須だ。最低2個は欲しい

皮をむいて、繊維に逆らう感じで薄めに切る。

ここで雑に切ると後で後悔するから、寒くてもちゃんとやる。

切ったらまずはレンチン3分。基本ずぼらなのでこの程度だが、甘みが強く濃い飴色が好きならもう少し長くチンしよう。

そのとはフライパンに油を大さじ1くらい敷いて火は弱めの中火。さっき玉ねぎを全部入れて、最初は触らない。水分が出てきたら混ぜる。目安は15分。飴色になるまでやろう。

次に肉。鶏もも一枚でいい。

一口大に切って、玉ねぎフライパンに放り込む。表面が白くなったらOK。ここで塩をひとつまみ入れると、後で味が締まる。

水を400ml。沸いたら火を弱めて10分。アクは気になったら取る。気にならなければ取らなくてもいい。

いったん火を止めて、市販カレールウを半箱。

ちゃんと溶かしてから、再び弱火。

ここで乾燥唐辛子のさやを一本、縦に割って種は残したまま鍋に投入。

半身だけを鍋に沈める。ここがポイントで、丸ごと入れない。半身のみ。理由は単純で、1本では辛すぎる。

弱火でコトコト。5分経ったあたりで香りが変わる。ここで生姜チューブで4cm、にんにくを3cm。黒胡椒を多めに。カレー粉は小さじ1弱。

10分経ったら唐辛子を引き上げる。

火を止めて蓋。10分休ませる。この間に辛さが全体に回る。

もう一度温め直して、最後一味唐辛子を少々。これは調整用。

完成だ。ごはんをよそおう。そこにカレーをかける。

一口目で、じんわりと汗が出る。

二口目で、寒さのことを忘れる。

三口目……(゚д゚)ウマー

クロアチアの島に行ってきた思い出と、マイル修行対策について

離島への航空便マイル目当ての客で埋め尽くされ島民が乗れない問題話題になっている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_18/n_19897/

anond:20260121163125

10年ほど前にクロアチア離島を旅したときに「なるほど地元民のことを考えているなぁ」と思った予約システムがあったので語りたい(今はシステムが変わっているかもしれないので、旅行計画している人は増田ではなく最新の旅行情報をチェックしてほしい)。

クロアチアアドリア海に面していて、フヴァル島やコルチュラ島など多数の風光明媚離島がある。増田はそのうちのひとつ家族旅行することになった。とりあえず島の宿を予約しておいて、「まあ、島への便は現地で何とかなるやろ!」と思ってクロアチアに向かった。

ところが、家族増田が島への便を予約していないことを島への出立前日に知って狼狽し、夜だというのに船会社の受付まで行こうと言いだしたり(当然閉まっていた)、ホテルの窓口で予約手段を聞き出そうとして失敗するなどしていた。どれだけ頑張ってもネット上では島への船便が取れない。最終的にバスを予約し、フェリーで島に向かうことになった。

さて、島に着いたので、さっそく2日後の本土へ戻る船便を予約しようと、船会社営業所に向かった。そこで知らされたのは、島に発着する船便は前日から受付で対面販売から今来ても買えないという話であった。つまりウェブ予約などはできないのだ。翌日営業所に向かうと、観光客が帰りの便を取るために列に並んでいた。

なるほど。これなら島民が本土に行きたくなったときも、前日に営業所に行けばいいのだ(増田が知らないだけで、島民はIDを見せればその前から予約できたりしたのかもしれない)。最悪当日朝に営業所に駆け込めば何とかなる可能性はワンチャンある。ツアー客のドタキャンで船が空なのに島民が乗れないとかそんな問題も起きない。とにかく現地に来なければ何もできないのだからマイル目当てで島に着いてすぐ引き返すなんていうのも無理だ。これで島に来た外から旅客は、宿代なり喫茶店代なりのお金を島で支払う必要があるだろう。島民は船に乗れ、島にお金も落ちる。観光客は苦労して行ったリゾート地の思い出を自慢できる。Win-Win三方良しだ。

ただし結果として、島にアジア人全然いなかった。ドゥブロヴニクなんて街の半分がアジア人なんじゃねえのというくらいにアジアから観光客大勢来ていて、レストラン日本語タイ語メニューがあったりしたし、近場のコトルでも日本からツアー客を見かけたりしたのだが、島に来ているのは白人観光客ばかり。たしかに、ヨーロッパ在住で数週間の休暇が取れるとかじゃないとこんなとこ来れんわな。下手するとホテルの予約をキャンセルする必要が出てくるかもしれないわけで、多くの日本人が旅行を尻込みするには十分なハードルだ(増田家族が来たのは「増田が予約しているだろうと信じていたから」であり、仮に予約していないことを知らなかったら旅程を取り消していたかもしれない)。

さて、多良間島マイル修行僧が押し寄せて島民が乗れなくなっている問題について。はてブでは、「島の役場からしか予約できない席があってもよいのでは」という案が出ていて、個人的にはそれに賛成。すべての席をそうすると純粋観光客が来れなくなってしまうので問題があるけれど、一定の席を多良間村役場からでないと予約できないようにしておいて、島の住民じゃないと予約させないようにすれば、最低限の島民の足は保たれるのではないか帰省しにきた島民の親戚とかは柔軟な判断をすればよい。この人口規模なら「ああ、◯◯んとこの息子か!」で通るだろうし)。

anond:20260121142627

いいよね

ひとつ指標になってくれるから、とっても助かる。

ありがとうAI

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