「朴正煕」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 朴正煕とは

2024-12-05

韓国大統領の「悲運」強調されすぎ問題

名前享年死因備考
李承晩90歳病死独裁ののち失脚、アメリカ亡命した。
尹潽善92老衰
朴正煕61歳暗殺クーデターを起こして独裁を行う。腹心によって暗殺された。
崔圭夏87歳老衰
全斗煥90歳病死クーデターを起こして独裁を行う。退任後、収賄虐殺などで死刑判決、のちに特赦
盧泰愚88歳病死退任後、収賄軍人時代虐殺などで懲役判決、のちに特赦
金泳三87歳病死
金大中83歳病死
盧武鉉62歳自殺退任後、収賄疑惑をかけられて自殺
李明博(82歳)存命退任後、収賄により懲役判決、のちに特赦
朴槿恵(72歳)存命在任中、友人による国政介入問題で弾劾・罷免され、収賄職権乱用の罪で懲役判決、のちに特赦
文在寅(71歳)存命
尹錫悦(63歳)存命

見てのとおり早死にしているわけではなくむしろ長生きが多い。

80歳以下で亡くなったのは暗殺された朴正煕自殺した盧武鉉のみである

民主化前は、そもそも国家体制不安定で、悲運とかそういう以前の話だろう。

民主化後も、たしか収賄問題が多いことは気になるが、

文民政権金泳三以降)で実際に有罪判決を受けたのは李明博朴槿恵だけではあるし、

すぐに特赦を受けているのでずっと獄中のわけでもない。

悲惨な末路!」「非業の死!」みたいなこと言い過ぎではないか

anond:20241205004250

左は北朝鮮中国寄り。最近共産主義からリベラル鞍替えして来た。

右は李承晩みたいな伝統的な朝鮮両班出身バリバリ反日と、満州出身朴正煕みたいな相対的には日本寄りのやつまでが反共で固まってる。

基本的に右も左も反日から、一部の朴正煕みたいなやつが日本シンパみたいな感じになる。保守全体=反共から保守全体が親日ではまったくない。

2024-02-02

ラジオ東アジア反日武装戦線とその時代を振り返り、見えてくるもの

2024/1/31(水) 20:10

TBSラジオ荻上チキ・ Session」#ss954

メインセッション

東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの

https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782

初見(初聴)の固有名詞略語も多かったので振り返ってみる。

(約3600文字

青木理氏:

最近判決が出た大坂正明被告渋谷暴動事件)は中核派だった。

中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。

島聡「さん」

田原牧氏:

(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。

私は急に森田童子を思い出した。

荻上チキ氏:

「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師主題歌)の。

田:

もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。

荻:

時代を振り返っていく。まず60年代

田:

戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス

60年代学生運動日本戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。

(「戦線設立1972年1975年まで事件を繰り返す)

田:

60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。

運動竹竿ゲバ棒火炎瓶爆弾となり、'71には三里塚東峰十字路事件警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。

荻:

まず全共闘から

田:

60年安保の頃は大学生の数も少なくエリートだった。

大学に行くことと政治活動をやることが矛盾しない世代だった。

その後、大学入学率があがり、全共闘運動が起きてきた。

男子大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)

田:

東大全共闘リーダー山本義隆氏が、闘っているに自分たち特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。

田:

60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国責任は問われなかった。

田:

入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本新左翼党派は頭を下げた。

田:

60年代は「黙っているのは加害」(ベトナム

70年代は「日本の安定自体アジアへの加害」

この自己否定の流れと「戦線自体アナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。

荻:

今振り返った時代の前半、大学自治学費問題から階級闘争安保闘争反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。

その後「戦線」に行くまでの時代の流れは?

青:

戦後の一時期共産党武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争放棄した。同時期にソ連スターリン批判が起きた。

共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派革マル派赤軍派などの母体となる。

全共闘は当初セクト党派)ではなかったが最終的に合体していく。

青:

学生たちはベトナム日米安保三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。

このあとよど号大菩薩峠連合赤軍などの事件がおき、さら爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線活動もこのころ。

田:

戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。

青:

狼煙を見よ」や「腹腹時計から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。

荻:

60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配反省中で農村コミュニティ市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織反省攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。

青:

戦線」の事件肯定はしないが、アイヌ在日コリアン沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。

また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。

荻:

戦線」はなぜ闘争攻撃を選んだのか。

田:

原罪性を持つ日本人への落とし前だと思う。

また時代の流れが、新左翼国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たち武装する、という意識が強かった。

昭和天皇暗殺未遂朴正煕暗殺未遂文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識暴力時代を切り開く意識があったのではないか

青:

松下竜一狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂しょんぼりしていたときに同世代文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。

お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道将司は痛切に反省をした。

荻:

今の若いからすると左翼マルクス主義だというイメージが強い。

新左翼マルクス主義距離、「旧左翼」とマルクス主義距離、「戦線」の立ち位置はどうか?

田:

新左翼の各党派マルクス主義に基づく綱領路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクス時代的に当然読むが、全共闘学生たちと同様に倫理から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに水俣山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。

荻:

分かりやすイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが

田:

戦線」は革命ではなく落とし前国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方問題ある意味ものすごくピュアな人たち。

CMと前半の振り返り)

荻:

この半世紀どうか。

青:

ドイツ戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカ基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。

荻:

現代の「反日」は、歴史に向き合う人への罵倒語になった。

青:

皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。

青:

新左翼セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊リーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺評価している。こういう流れが新右翼ムーブメントを生んだ。

リスナー

戦線」は何をしたかったの?

田:

将来構想はなかった。個々人の落とし前三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理日本国家転覆まで。

太田竜という、世界革命世界赤軍を唱えたイデオローグ理論指導者)は、第三世界革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。

荻:

今後の公安国家の語りは?

青:

反共左翼対策としての公安役割は終えた。

ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代必然

今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。

荻:

テロ正当化はしないが歴史と向き合うことの課題

そして、マルクス主義はなくなっても、性教育性的マイノリティ権利保護選択夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。

青:

妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本左派というかリベラルへの大きなダメージマイナス面になっていると思う。共産党左翼へのアレルギーヨーロッパでは緑の党や旧共産党政治ムーブメントを作っているのに。

荻:

理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズム空気のようなものは残ったかもしれない。

田:

今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代河野談話村山談話につながっていると思う。

荻:

振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。

2023-10-27

anond:20231027100905

非業の死と言えるのは自殺した盧武鉉暗殺された朴正煕くらいやろ。他は80・90歳くらいまで長生きしとるやで。

2023-02-23

人を殺しても許してもらえる境界線はどこか?

たとえば、今、ウクライナ兵でもロシア兵でも、戦場で敵兵を殺しても“殺人罪”には問われないだろう。

それが戦争から

でも、戦場からはなれてむやみに敵国の一般市民を殺したら、21世紀常識では戦争犯罪だろう。

現代日本殺人を犯しても執行猶予がつく場合というのはあって、まあこれを“許された”というのは少し違うのかもしれないが、ある程度の期間を反省して生きれば前科がつかないのと同等の扱いになるわけだから人殺しにしてはかなり許されてると思う。

その昔、日本刑法では尊属(親とか祖父母とか)を殺すと執行猶予がつけられなかったわけだが、これが最高裁違憲とされた話は、憲法を習うとかならずでてくる。

あれはまあ、殺された父親がなにしろ鬼畜だったので、殺した娘を許してやってもいいのかな?という気はする。

その動機ともたらした効果はどうあれ、山上容疑者テロリスト殺人犯で、その罪の部分は許すべきではないというのが、とりあえず良識的な日本人の意見なんだろうけど、仮にもしプーチン暗殺成功するやつがいたら、どうなるだろう?

世界的にはやはり“英雄”だろうか?

まあ今プーチン暗殺するのは安倍元総理よりかなり難しそうだが、韓国朴正煕のように、宴会中に側近に殺された独裁者ってのもいるし、地下壕で宴会してるプーチンが側近に殺されるとか、絶対にないとも言い切れない。

まあロシア国内では暗殺者は“犯罪者”だろうが、世界的にはどう報じられるんだろうか?

各国政府は“追悼のコメント”とか出すんだろうか?

2022-07-13

anond:20220713022548

韓国なんて1990年まで軍事独裁やってた国なんだから血生臭い話が多いのは当然なんだが、その上で韓国大統領って暗殺された朴正煕自殺した盧武鉉以外は軒並み90歳前後まで生きてたからな。確かに逮捕者は続いてるけどネトウヨが話盛りすぎなんだよな。

2022-07-08

anond:20220708182034

暗殺された朴正煕自殺した盧武鉉以外は軒並み没年80歳超えで天寿を全うしとるで

anond:20220708180910

言うて韓国でも暗殺されたのって朴正煕だけやろ

やはり日本のほうが進んでるってことやと思うよ

2021-08-17

anond:20210815115132

安倍晋三のブレーンである櫻井よしこKCIA現在国家情報院)の工作員というのが分かった以上その擁護は無理があるなあ

櫻井よしことはずーっと仲良いままですよね?

嫌韓反日が対北朝鮮支持率確保のための連動したキャンペーンでしたって話でしかないんだけど理解してます

韓国右派にとっては北朝鮮統一されるのも問題があるし、日本韓国和解ムードになるのも問題があることなんですよ

日本自称保守」のみなさんもそれは同じことなんですね

いきなり台湾の話を出して反証としてるのも意味不明すぎる。親台って勝共連合の主要な思想の一つですけどね。

そもそも勝共連合岸信介安倍祖父)・朴正煕(パククネの父)・蒋介石台湾政府の祖)が中心人物だったわけなんだから

2021-03-07

anond:20210307094135

李承晩は本当にクソだからなあ

当時のアメリカは、とりあえずアメリカに対していい顔してくれる奴なら、どんなクソでも支持して

それで色んな国がグッダグダなことになってしまった

大抵は反乱や革命が起きて、共産化したり、内戦(という名のアメリカ代理戦争)で国は更にボロボロになったんだけど

韓国朴正煕がちょうどいいタイミングで上手いことやったおかげで、普通に発展しちゃって

それでも李承晩韓国に植え付けた種は、呪いのように花を開き実をつけてしまたか

経済的にそこそこ強いのに、なんかおかしい国が出来上がってしまった

まあ、日本右翼連中(と彼らの機嫌を取りたい政府)がそれに拍車をかけた部分も大きいのだけどね

2020-01-14

anond:20171214135656

韓国だと光復後もしばらくは日帝残滓漢字語がたくさんあったけど、朴正煕大統領のころから国語醇化といって漢字語固有語にいいかえる運動がすすんだ(感謝합니다→고맙습니다、みたいな)ので、日本人がおもってるより同音異義語はすくないです。

おなじようなはなしだと、トルコ共和国建国後のトルコ語醇化運動オスマン帝国がずっとイスラム世界盟主だったのでオスマン語にはアラビア語由来のことばがたくさんあったのけど、これをトルコ民族のことばにおきかえた)がとられたね。

ことばは民族をその民族たらしめる大切なものから、どこの国でも国民国家をつくるときには国語政策というのはとてもおおきな意味もつよ。(↑と逆むきだと、最近ではスペインにおけるカタルーニャ語公的立場とか)

日本ではなぜか言語政策という観点がないどころか、琉球諸語が絶滅しそうなのを放置してたり、なかなかしょっぱいね

2019-07-24

anond:20190724115314

韓国右翼日本と国交正常化して経済成長をした朴正煕評価している。同じ民族でも戦争相手だった北朝鮮には厳しく、日本には甘い。

韓国左翼民主化運動弾圧して死者をたくさん出した朴正煕批判している。同じ民族である北朝鮮には甘いが、日本には厳しい。

韓国面白いのは、他の国と違って右翼より左翼の方が民族主義的な人が多いこと。

2019-05-06

[]【4】2019 春、韓国釜山・光州

<< この旅行記の先頭へ


anond:20190506092812




4일



4日目

強者韓国」と「弱者韓国


チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。

芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。

遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。

散歩と軽い朝食ついでにロッテマートお土産インスタント麺を買う。

緑豊かな光州の午前の空気気持ちよかった。


広いとは言えない韓国地域対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。

曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」

近世新羅百済高麗対立からともいわれているし、朴正煕時代選挙戦の影響とも言われている。

観光ちょっと撫でただけ、その上言葉不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。

韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。


ホテルをチェックアウトし、地下鉄バスセンターに向かう。

しばらくすると中高生の一団が賑やかに乗り込んで来た。

男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。

青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃん日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。

歳上を大事にする韓国社会の一面を見た気がした。


バスセンターに到着して、釜山への切符を買い求める。

しばらく待つと釜山行きのバスがやって来た。

光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。

バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。

5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者韓国」と「弱者韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。

日本韓国双方の財閥日韓間の慰安婦合意否定的なのも、「弱者韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。

大統領権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。

上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領悲劇的な破滅歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。

うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。

果たして彼を待っているのは、改革英雄未来か、理想主義者蹉跌か。


実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。

日本人にとってメジャー観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。



釜山


3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。

乗客がどんどん降りていく。

釣られて降りたのだが、2日前に乗った場所全然違う。

しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」

さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。

「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.

Do you mind teach me How to go to Busan?」

お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。

「Busan.」

西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外総合バスターミナルらしい。

比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。

駅前ではオバちゃん路上で芹を売っていた。

ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部アクセスできる。

駅前東横インに再びチェックインしよう。



デブは歌が上手い・世界真実


釜山駅に着き、東横インチェックイン

東横イン日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。

これで不安はかなり減った。

夕食を食べに行こう。

目指すは若者の街、西面にある「ソンジョン3代クッパ」だ。


地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。

地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。

そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。

ネルギッシュな街を歩いていると、ゲーセンがあった。

韓国E-Sports強国である。入ってみよう。

対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。

日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。


西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。

中に入って人差し指を立てると、にこやかに迎えられる。

韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。

豚肉入りのスープご飯小皿薬味を混ぜて、自由に取れるキムチつまみながら食う。

名店の名物だけに間違いなく美味かった。

美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。

そしてキムチは光州のものほど辛くない。

やっぱアレは特別辛かった。


一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。

釜山韓国大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。


22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。

というか、この時間からが本番という感じだった。

黒いマスクをした10代の若者からワンレンパットのお姉さん(マジでいる。しか結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服青年兵まで、ありとあらゆる若者エネルギーで通りは充満している。

日本10代の特に少女韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。

センスというより、このエネルギーの量だ。

韓国社会では、まだ若者存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギー絶対量が多い。

その様は、日本で例えるなら、バブル末期に似ている。

そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。

メインストリート入り口では、2人組デュオストリートライブをしていた。

白いイケメン風と黒い恰幅のいい兄ちゃん

2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。

デブは歌が上手い」のも万国共通なのかも知れない。


【5】2019 春、韓国、釜山・光州  5日目|釜山港へ帰るんだってばよ へ >>

2019-05-05

GW韓国旅行に行ってきたよ

こんにちは

長い旅行記を書く旅行増田です。

長過ぎて読まれない。

でも、まあ自分記憶整理の側面もあるんで、いっかな、って感じ。

今回はGWを利用して、韓国釜山と光州に行ってきました。

長い旅行記は後でアップするんですが、長過ぎて読まれないので、一応、ヘッドライン的に気づいたポイントを先にアップします。

いから一回行ってみたほうが良いと思うよ。

ちなみに韓国の整理は自分の中でついたし、出逢う人はおおむね親切(おせっかい)だったし、良い旅行だったけど、なにか強烈に特別韓国ファンになった訳でもまたない。

次はどこいこっかな。

2019-01-07

日本総理大臣/韓国大統領任期と生没年

名前任期没年享年・死因
朴槿恵2013年 - 2016年存命(66歳)
李明博2008年 - 2013年存命(77歳)
盧武鉉2003年2008年2009年62歳・自殺
金大中1998年2003年2009年83歳・肺炎
金泳三1993年1998年2015年87歳・敗血症
盧泰愚1988年1993年存命86歳)
全斗煥1980年1988年存命(87歳)
崔圭夏1979年1980年2006年87歳・老衰
朴正煕1963年1979年1979年61歳・暗殺
尹潽善1960年1962年1990年92歳・老衰
李承晩1948年1960年1965年90歳・老衰
名前任期没年享年・死因
安倍晋三2006年 - 2007年
2012年 - 現職
存命(64歳)
野田佳彦2011年 - 2012年存命(61歳)
菅直人2010年 - 2011年存命(72歳)
鳩山由紀夫2009年 - 2010年存命(71歳)
麻生太郎2008年 - 2009年存命(78歳)
福田康夫2007年 - 2008年存命(82歳)
小泉純一郎2001年 - 2006年存命(76歳)
森喜朗2000年 - 2001年存命(81歳)
小渕恵三1998年 - 2000年2000年62歳・脳梗塞
橋本龍太郎1996年 - 1998年2006年68歳・腸管虚血
村山富市1994年 - 1996年存命(94歳)
羽田孜1994年 - 1994年2017年82歳・老衰
細川護熙1993年 - 1994年存命(80歳)
宮澤喜一1991年 - 1993年2007年87歳・老衰
海部俊樹1989年 - 1991年存命(88歳)
宇野宗佑1989年 - 1989年1998年75歳・肺癌
竹下登1987年 - 1989年2000年76歳・脊椎変形症
中曽根康弘1982年 - 1987年存命(100歳)
鈴木善幸1980年 - 1982年2004年93歳・肺炎
大平正芳1978年 - 1980年1980年70歳・心筋梗塞
福田赳夫1976年 - 1978年1995年90歳・肺気腫
三木武夫1974年 - 1976年1988年81歳・膵臓癌
田中角栄1972年 - 1974年1993年75歳・肺炎
佐藤栄作1964年 - 1972年1975年74歳・脳溢血
池田勇人1960年 - 1964年1965年65歳・喉頭癌
岸信介1957年 - 1960年1987年90歳・老衰
石橋湛山1956年 - 1957年1973年88歳・脳梗塞
鳩山一郎1954年 - 1956年1959年76歳・肺炎
吉田茂1948年 - 1954年1967年89歳・老衰

見た感じ、日本首相のほうが首は飛びやすいし、韓国のほうが長生きしてるよな。

anond:20190107105913

2018-11-13

5日前、「フェイスブック」に以下のような文が上がった。

日帝時代朝鮮人強制徴用した主体日本政府だったのに、補償韓国政府しろと?日本河野外相がこのような妄言をいった根拠は、

1965年に締結した韓日協定である。当時も野党大学街が屈辱外交だといって反対したが、朴正煕はこれを推進した。

彼の政治的野心のせいで、歴史清算台無しになり、多くの被害者がため息をついた。首脳の間同士でも、

顔を赤くして怒るべきことは怒らなければならない。強制徴用補償の件については、韓日首脳は刺々しくなるしかないだろう。

からといって、私たちが屈服してはならない。日本中国には謝罪補償をしているのに、韓国のことは差別している。

対日屈辱外交朴正煕時代で終わらせなければならない。あえていうならば、国際情勢で孤立するのは日本のほうである

今度は私たち自尊心を失ってはならない。

以上は韓国首相の秘書室長(「チョンウンヒョン」)が自分フェイスブックに載せた文である

http://oboega-01.blog.jp/archives/1073129159.html

2018-04-08

私のマンガ好きの源流

40代前半、今でもたまにマンガを買ったり、電子書籍で買ったりするのだが、

今思うと私が初めてマンガ意識して読んだのは2つあって、

1.学研ひみつシリーズ

2.朝鮮総連系朴正煕アメリカ悪者4コマ漫画

2については今残ってたら資料としてすごい貴重だったのかなと思いもったいない

2017-03-13

それって本当に近代なんスカ

朴氏弾劾、韓国民主主義は育たない?!

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/031000011/

ブクマ長くなったんで格納っぽく。

父親である朴正煕は、最貧国から脱出することに力を注ぎ、貧乏国民を見ると「申し訳ない」と涙を流した。同様の思いは、朴槿恵からは全く感じられない。

藩基文(パン・ギムン)前国連事務総長だ。「韓国大統領には、国家国民のために、自分人生犠牲にする覚悟がいる」と、著名な政治家から決意と信念を求められた。彼は、大統領選への出馬を表明しながら、突然撤退を表明し、国民国家を捨てて逃げ出した。ハーバード大学教授になるという。国民のための苦労を嫌い、自己利益名誉を選んだ。

韓国には、国家国民のために自らの人生犠牲にする、覚悟ある政治家はいないのだろうか。韓国の友人の未来を思うと心が痛む。

そうやって朴正煕を持ち上げますが、朴槿恵父親である朴正煕暗殺されて終わったよね? 歴代大韓民国大統領の人気ランキングNo1の自国大統領暗殺ちゃう国が韓国なわけだ。そんな国やそんな国民が「自らの人生犠牲にする覚悟ある政治家」なんて求めるのがおかしい話だとなぜ思わないかな? そもそも人生の生贄を要求しないと回らない政治体制前近代的おかしいでしょう。

あらゆる仕事に対して報酬は適正に有るべきだ。この報酬金銭のみならず敬意や理解さらには周囲の協力も含まれる。韓国は、指導者に適正な報酬を今まで支払ってきたのかな?

朴槿恵政治的擁護する気はまったくないし、おそらくそういう動機ではないと思うけれど、「父親暗殺された娘が生涯をかけて、故国をめちゃくちゃに破壊する復讐物語」だとすれば、ヒューマンドラマとして俺個人一定の理解できるよ(重ねて言うけど、そんな確固たる意思選択ではないと思うけれど)。

2014-07-02

米軍慰安婦に関する海外報道と反応

韓国米軍基地村アメリカ兵相手にサービス強制されたとして元「米軍慰安婦」の韓国人122人が韓国政府を訴えたというニュースから一週間が経つ。

これは慰安婦問題におけるターニングポイントとなりうる衝撃かつ重要ニュースでもあり、

韓国メディアはその後の続報はないものの、訴訟会見の模様を伝えたメディアも予想以上に多く、また日本も主要新聞を始めとしてこのニュースを伝えた。

では、ここ最近、「歴史否定しようとしている」と日本慰安婦問題対応に対する批判を繰り返している欧米メディアはどう伝えただろうか。

今年、朴槿恵との会談でオバマ大統領慰安婦について「筆舌に尽くしがたい人権侵害」と触れていたが

この米軍慰安婦訴訟慰安婦問題アメリカ傍観者ではなく当事者立場であることを示す極めて重要なケースであると思われる。(朝鮮戦争時の国連軍韓国軍慰安婦については言うまでもない)

当然のように大きく報道されるものと思われた。

しかし、一週間経った現在米軍慰安婦訴訟を報じた欧米メディアゼロである英語メディアとしても報道しているところはない。

正確に言えば、朝日新聞英語版がこの事件を簡略に訳し報じており、朝日新聞英語版ソースにしてRT反米ロシアメディア)が報じている。それのみだ。検索漏れもありうるのであるのなら教えてほしい。

確実に言えるのは、この問題を大きく扱おうという意志欧米メディアにはないということだ。

欧米メディアは「人権侵害を認めよ」と強い態度で日本批判しつづけてきたが、自分たちに振りかかる問題、あるいは「日本の残虐行為」というフレームワークから外れた事件に関しては全く報じないということだ。

これは戦略的に報じてないとか、圧力がかかっているということも当然陰謀論抜きで考えられるし、単にこの「米軍慰安婦」が何を意味するのか掴みきれていないということも考えられる(その確率が高いと僕は考えている)。

しろ欧米メディア慰安婦の捉え方というのははっきり言ってバイアスがかかっていて、韓国研究者でさえ否定する「20万人の主に韓国人日本軍によって強制的性奴隷にされた」という情報を伝えているところが多数であるからだ。

背景は色々考えられるが、いずれにしろ欧米メディア米軍慰安婦訴訟を伝えなかったことには変わりはない。

僕は、欧米メディア米軍慰安婦訴訟を伝えなかったという事実だけで軽蔑に値すると思う。いずれの段階で報じざるをえないかもしれないが、このまま黙殺されて終わりということもありうる。

8月にはローマ法王元慰安婦と会うことが決まっているので、その際にはまたBBCCNNをはじめとして日本批判が大量になされるのだろうと思う。

さて、という訳で海外報道ほとんどないので、「海外の反応」なるものは伝えられない。

ただReddit朝日新聞英語版ソースにしたスレが立っていたので、紹介したい。

http://www.reddit.com/r/worldnews/comments/29dia6/former_korean_comfort_women_serving_us_military/

こいつは単にアメリカは悪くないって言いたいだけの奴だろうけど、なんとなく感覚はつかめるだろう

"Just voluntary prostitution with a bad pimp. Different from kidnapping people"という感想がぱっと出てくる。RTコメント欄にもあったが、自分たちのことになると、急に橋下徹みたいなことを言いだすようだ。

また、これを見て分かるのは、「狭義の強制」「広義の強制」というのは、日本特有議論ではないということだ。Kidnappingしてるかしてないかは重要論点でもあるということだ。

おそらく、米軍慰安婦がこの先もしアメリカ議論が深まるとしたら、このコメンテイターのように当然「日本軍がやったのとは違う」「米軍は悪くない」という言説が出てくるだろう。

"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道人権侵害であることは間違いないのだが、「日本みたいに軍が人さらいしてない」という言い訳が出てくると考えられる。

この米軍慰安婦訴訟によって、黙殺されてきた米軍韓国軍慰安婦人権侵害に目を向けられるという予想はあったが、逆にそれを避けるために「我々は悪くない。日本のケースとは全く違う」と日本の残虐度をアピールする方向にも話が飛びうるのだなと思った。

別に日本責任否定するのではなく、韓国において日本軍によるKidnapping、abductionは例外的なケースであったということははっきりとしておく必要があると思われる。(海外掲示板コメント欄では日本軍が直接Kidnappingしたケースがほとんどだと思われている)

広義の強制性だの、狭義だのよりも、英語でどう表現されるかということを意識した方がいいなと思う。もはや慰安婦問題海外場所が移ってしまったのだから

と、いろいろ考えていたのだが、当初「ターニングポイント」になりうると考えていた米軍慰安婦訴訟もこのまま大きく扱われず立ち消えになる可能性もあるように思えてきた。

結局のところ、ある種のフレームワークが作られてしまうとそれをひっくり返すのは困難だ。

人権侵害」というフレームワークを持っている米軍慰安婦訴訟が起きれば、これまでの「日本のみが慰安婦制度なるものを使った唯一の悪」というフレームワークが壊れるかと思っていたがそうでもないようだ。

既存フレームワークを壊すような事件が起こったとき、それをどのように報じるか。それがメディア役割だと思う。

欧米メディアはどういう風に報じるのかと思っていたのだが、単に報じないのだ。そういうやり方があるのだ。それはそれで賢いのかもしれない。




_____________________________

<追記>

ブクマコメント

id:yoko-hirom

「『慰安婦問題におけるターニングポイント従軍慰安婦制度は悪くないと認められると思っているなら身勝手妄想しかない。増田は塩村都議過去を穿り返せばセクハラ発言が悪くなくなると思っている連中のお仲間。」

こういう中立ぶったリベラル偽善性を指摘しているのだが。スターをつけている人が何人もいるのもどうかしている。こういう主張が、アメリカ韓国側責任回避言い訳に使われるということも分からないのだろうか。

どこをどう読めばこの文章が、「米軍慰安婦を追求することで従軍慰安婦制度は悪くないと認められる」という主張に読めるのか。

「"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道人権侵害であることは間違いない」とはっきり僕は書いている。

日本こそ唯一の悪」「既存左翼言説を疑う奴は右翼」という自分フレームワークを変えずに文章を読むから、このような失笑するしかない解釈が出てくるのだし、この文章はそうした態度に向けられたものだ。

それは、この文章を読んで「日本軍責任があるというのか?こいつは反日左翼だな」と解釈つつ、米軍慰安婦の話をブーメランだと喜ぶネトウヨの反応と全く変わりはない。

単にダブルスタンダードは止めようという話。

まったくの蛇足であるが、因縁付けられたので大人げなく返してみると、塩村議員にしても「過去を穿り返すな」うんぬん言う人は、舛添が20年前の雑誌発言で叩かれていたときに同じことを言っていたのかということだ。


<追々記>

以前ではタブーだった言説が韓国メディアから多く出るようになってきた。20万人強制連行という数への疑い、あるいは基地村存在米軍基地村韓国軍慰安婦日本軍慰安婦構造の類似、「韓国戦場ではなかった」という指摘など。

これは明らかに米軍基地村慰安婦訴訟朴裕河の「帝国慰安婦訴訟の影響だと思われる。

このダイアリーに対するコメント記事のように「日本の方が悪質だ」という論点を強調したいはてな左派の反応と、基地村韓国軍慰安婦悪質性に目を向け始めた韓国左派との間に乖離が生まれつつあるのではないだろうか。

もちろん、基地村管理していたのが朴正煕だという事実から韓国内の右派左派の争いが慰安婦問題に絡んでくることになったという点も考慮しないといけないが。

参考になるリンクを見たら追加しておこうと思う。

7月4日

http://www.sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=20694

7月5日

ハンギョレは以前から基地村問題を指摘していたが、当事者インタビューをはじめ、かなり詳細に報じはじめている。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17749.html

http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/381/645560.html

"「米軍慰安婦施設は、日本軍慰安所設立·運営方式は異なりますが、その底辺に敷かれた構造は類似している」というのがイ·ナヨン教授中央大学社会学科)など基地村問題研究する学問見解だ。"

11月3日

ワシントン・ポストが、米軍慰安婦訴訟に絡んでやっと特集記事で報じた。

ニュースバリューがないから報じないのだ、と主張していたはてサの人たちはどう思うのか。

http://www.washingtonpost.com/news/checkpoint/wp/2014/10/31/the-u-s-militarys-long-uncomfortable-history-with-prostitution-gets-new-attention/

11月28日

とうとうBBCも報じた。このタイミングは、明らかにワシントン・ポストの後追いだと思われる。

http://www.bbc.com/news/magazine-30212673

2014-04-28

戦後韓国慰安婦制度の使用」に関する海外研究

韓国訪問したオバマが「慰安婦はとんでもない人権侵害だ」と発言した。

それに対して安倍総理は「筆舌に尽くしがたい思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思い」だとし、

「20世紀は女性を始め、多くの人権侵害された世紀であった。人権侵害が起こらない21世紀にするため、日本も大きな貢献をしたい」と述べた。

これはちょっと意外な発言で、日韓メディア右派左派ともにちょっと戸惑った感じがしたように思える。

安部首相の真意がどういうものなのか、これからの行動を見ないと分からないが、

これは、慰安婦に対する人権侵害を認めつつ、「慰安婦制度をやっていたのは日本だけでなかった」という文脈を作ろうとしているのかなと思えた。

それはオバマの発言に対して、「米軍慰安婦はどうなんだ」「朴正煕韓国軍慰安婦管理はどうなんだ」という反応が多く見られたものを反映していると思う。

20世紀」という一般化といい、正直なかなかうまい手というか、慰安婦問題に対して右左をなだめる、これまでにないスタンスになるかもと思った。

そうなってくると、戦後韓国慰安婦制度本当にあったのかという話になってくる。あったなら、慰安婦像海外に建てるキャンペーンが別の意味を持ってくる。

別にあいつらもやってから、俺らは悪くない」という意図ではなく、

実際問題として、日本謝罪もし、アジア女性基金設立した一方で、韓国自身が実は同じ問題を抱えていたのに黙殺するという事態は、事実を明らかにする上でも好ましくないと思う。

まとめサイトではソースあいまいものも含めてよく目にするが、いくら内輪で盛り上がっても意味は皆無で

海外でどのようにどのように研究されているか、というのが重要になると思う。

残念ながら、メディアという点では海外では概して「20万人の韓国人日本性奴隷にされた」「日本はその歴史を否定しようとしている」という文脈で報じられているのがほとんどだ。

しかし、アカデミズムの分野では、ここ最近韓国自身の慰安婦制度に目を向けられているものも増えているように見受けられる。

おおよそ中立的立場であると見受けられるC.Sarah Sohという研究者2009年出版された"The Comfort Women"という本は海外でも評判が高いようなので、色々調べようと思った。

http://www.goodreads.com/book/show/6068978-the-comfort-women

検索すると、Google Readersで一部内容が見ることができ、その部分にちょうど韓国慰安婦制度について記述しているところがあったので、メモ代わりに引用しておく。

もちろん、この本は、日本慰安婦制度、および人権侵害にも厳しい目を向けているが、

この部分の結論としては、韓国慰安婦生存者を日本の抵抗のシンボルとして英雄扱いする一方で、韓国自身の慰安婦制度含む性の人権侵害には目を向けてこなかったということを言っている。

韓国戦後慰安婦制度を使用してきた」という事実は、単なるネット右翼デマではなく、海外研究者にも裏付けられている事実であり、もっと注目されるべきではないかなと思う。

"The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan" by C.Sarah Soh

(p:211~)

After its liberation from Japanese rule in August 1945,the Korean Peninsula was divided into two: Soviet troops occupied the northern half and the US military the southern half. The ongoing US military presence in South Korea led to the formation and maintenance of “Camp towns” (kijich’on, in Korean) around the military bases, a development that has had a striking social impact on Korean communities. Kijich’on (literally, base or camp [kiji] village [ch’on]) refers to the civilian world of commercial establishments and residential buildings that have sprung up around the US military bases and cater to the needs of the American GI’s. It is “ a place where Koreans and Americans- mostly male military personnel- meet in an economic and emotional marriage of convenience”. As of the end of 1996, 37,000 American troops supported the economies of ninety-six kijich’on. The estimated number of kijich’on prostitutes over the first four decades of the American presence ranges between 250,000 and 300,000.

(中略)

The kijich'on sex trade consolidated and expanded during the second phase, which began with the Korean War. In her testimony, Pak Sun-i who had laboured at three different comfort startions in Japan 1944 to the end of the war, recalled:

"At twenty-seven years of age, I was having a hard time making ends meet in Tongduch'on (the largest kijich'on just outside Seoul). I ended up cohabiting with a staff sergeant of the USArmy for about two years... One of my friends from the days at a comfort station in Japan also worked as yang-gonju, but she passed away."

An American veteran who served in Korea in the 1950s after the end of the Korean War recounted that on Friday nights half-ton trucks would bring into the base a few hundred women to stay the night or the weekend with the soldiers. In 1958, five years after the armistice, the majority of about 300,000 prostitutes in Korea reportedly served American soldiers. Some of them, like their earlier Japanese counterparts(RAA), married and emigrated to the United States as wives of servicemen.

The fact that the Korean military also availed themselves of the "special comfort unit" during the Korean War has received little public attention even after the Korean women's movement in support of the "comfort women" began in the 1990s. Only piecemeal anecdotal materials on it had come to light from memoirs written by retired generals and generals and the testimony of soldiers who fought in the war.

(中略)

Characterizing the Korean military comfort system as an "unfortunate offspring" of the Japanese colonial legacy, Kim Kwi-ok called for victimized women, civic organizations, and scholars to come together and confront the unresolved issues of this historical injustice. The media reports of Kim's work, however, have generated little response. There has been no public outcry regarding the Korean military's use of "comfort women" during the Korean War or its violation of women's human rights. Korean silence over these issues is reminiscent of earlier societal indifference toward survivors of imperial Japan's comfort system, It mirrors the reticence of many Japanese to come to terms with the history of their country's wartime comfort system. As in the case of Japan, many in Korea, including retired military leaders, apparently regard the women's sexual labour simply as the performance of gendered customary sex labour in order to meet the needs of fighting men. It is noteworthy that military authorities have acknowledged that the system of special comfort units contradicts the national policy of banning licensed prostitution. Nonetheless, they have insisted that the special units were created to fulfill an important strategic end.

(中略)

(日本人韓国への売春ツアー、及び韓国人東南アジアへの売春ツアーは看過されてきたが、という話の後)

However, when it comes to the issue of Japan's wartime "comfort women" system, which has been redefined by the international community as a prominent case of violence against women in armed conflict, no social critic or public intellectual in Korea would dare to take the customary masculinist position that such a system benefits the economy or promotes national security. This is because the comfort women issue has been redefiend as military sexual slavery and a war crime by the international community owing largely to women's collaborative movement for redress in Japan and Korea.

Still, little critical public discourse has occurred on the legacies of that historical institution or the social structural dimension of Korea'S comfort women tragedy. Few are willing to consider the unsavoury fact that, accustomed to indigenous public institutions that have granted customary sex rights to men, and licensed by the colonial government, many Koreans did not hesitate to collaborate in recruiting and runing comfort stations by trafficking in girls and young women. Rather than deal with the messy and unpleasant complications of the historical record, Korean public discourse has simplistically elevated the survivors to heroic symbols of national suffering under Japanese colonialism and its imperialist war of aggression.

By contrast, Japan, which is unavoidably seen as the perpetrator nation, has been in turmoil over contested representations of the comfort women phenomenon and its responsibility in the matter. Meanwhile, the international - as well as domestic - trade in public sex prospers in capitalist economies of Japan and Korea despite endless incidents of criminal abuse of women so employed by both foreigners and compatriots. The social historical legacies of masculinist sexual culture and political economic realities in the two countries continue to help construct women'S sexual labour as stigmatized yet customary care labour for masculine "need".

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん