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はてなキーワード: 女学校とは

2024-12-07

最近って義務教育ダンスの授業があるらしいけど

洋裁(家庭科)とか舞踊とか戦前女学校かよ

そのうち「和の精神を」とか言い始めてお花の授業までやりだすんじゃないだろうか

まあ良妻賢母を育成してくれるならありがたい話だけど

2024-11-19

anond:20241119144419

戦前女学校レズってくるアニマル揶揄して言ったのが始まりだっけ

かに腕時計を手首の内側に本体が来るように着けるのも、とか

2024-10-07

anond:20241007234035

一つ実例を言っておくね。

母は脳卒中、父は骨折と癌で一気に弱ったけど、祖母はそうじゃないんだ。

から色々な病気を持っている人で、農家の女だったから変形性関節症をやって人工骨をいれ、若い頃の病気で片目は見えなかった。

だけど、介護らしい介護必要になったのは、晩年の数年だけで、後はデイサービスに通い、仲間とおしゃべりをし、時には女学校の友だちと交流

しか自分健康ではないという自覚がある人だから、無理をしなかったし、使える制度は使いながら、自分で面倒を見れるところは面倒を見ていた

介護保険制度ができたら長い事要支援2、最後は要介護2まで使ったけど、100歳を超えてまで生きて大往生だよ。


フレイルの時にどれけ適切にケアできるかにかかっていると言えるし、増田が介入しなきゃいけない、ワークよりもライフに重点を置かなきゃいけない期間を短くできし、介護の手間を減らすことができるかも知れない。

色々な事例があるよ。

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20241002005552

一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-09-17

anond:20240917185134

希望者だけにすると親が金ケチって行かせてもらえず、大人になるまで県外に出たことないという人間一定数出てしまう。増田にとっていい思い出ではなかったのは残念だったけど、それも含めて経験と思うしか祖母痴呆になり、老人ホーム見舞いに行くたび昔話を何度も繰り返した。いつも最後は「女学校とき修学旅行自分だけ行けなかった。お金がなくて、それだけが悔しい」と。増田もそうなっていたかもよ

2024-07-26

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

2024-04-25

漫画】環と周

・安定のおもしろさが得られる安心感作者様

名前の呼びが「たまき」となんやっけ…?ってなった

・なんか同性愛異性愛 家族のあり方ひと匙 的なテーマで各時代転生して出会い

つど様々な形の関係を築く2人 みたいな

イメージで読み始めたけど

戦後編で「ちょっと違う感じか…?」ってなった

その後の江戸編で「いややっぱりそういう感じか…?」って

振り幅大きかった

・愛ってLOVE以外に200色あんねん(恋愛とか家族愛以外にも親愛というか

人生ですれ違った的な人に分け与えるられる愛もあんねん)的な…?

でも戦後編は「元戦場上司の掴みきれないカラッとした あの人なんだったんだろうなあ

憎みきれない人」的な話だったからそんなに「愛」か…?

女学校でのありし日々編が一番感情動かされた

・すまん、「性別年齢時代性格外見を変えて何度も出会い続けるエモさ」は確実に伝えてくるが「伝えたい結論

このテーマについて読者にこう感じさせたい」的な決着点は感じられんかったんや

そもそもテーマもフワッとしとっ…た…

・あと名前共通なの意味ある(環のほうがケン属性で周の方がクール系とか 魂が覚えてるとか

初めて聞いた名前なのにそんな気がしないとか)のかな

とか思ったけど昭和?編で周の方が奔放キッズだったり

いや名前まで違ったら別人やんというかもう名前だけ同じ他人というか

それなら別の時代を生きた人々のオムニバスでも…いや…

記号的な意味以外 名前への意味づけはない…?」と思ってしまった

中学生ちゃんの「友達ちゃんに家にもう来ないで欲しい」って

言われた理由最終章とかで友達ちゃん視点で描かれて

「本当はそんなこと言いたく無かったけど何らかの都合により言わざるを得なかった」的な追加あるのかと思っていたが無かった

メビウスの輪から抜け出せなくて

・新連載たのし

2024-04-21

anond:20240421194611

tribird 学校指定学生服かばはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。

2024/02/20 リンク

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ultimatebreak

ultimatebreak そんなこといったら義務教育のもの人権侵害になってしまわないか・・・

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n_vermillion

n_vermillion 田舎中学校だったけど、部活強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。

2024/02/20 リンク yellow

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hiro7373

hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント

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f_oggy

f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ

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chinu48cm

chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし

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sekreto 体育祭ならわかる

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yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト

2024/02/19 リンク yellow

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tuuz

tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。

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ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?

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lifefucker この辺の感覚学校教師時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメバラける

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nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない

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nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…

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ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない

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rain-tree 個人宿泊旅行一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったか公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生増田にもいるかもしれない

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cl-gaku

cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか

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sumanhoho 部活修学旅行お金ないと出来ないよ(実体験)

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quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親虐待すら肯定しうる考え方。

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songe

songe どんな齢の重ね方やねん

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PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。

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pekee-nuee-nuee

pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ

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eiki_okuma うちの中学海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……

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mirakukira

mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ

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wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。

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LethalDose

LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法理解していたけど。

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keren71

keren71 高校任意だった。修学旅行海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。

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Karosu

Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。

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ayumun

ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める

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atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活

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mtoy

mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。

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corydalis 黎明期日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれ土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員やらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい

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daysleeeper なにをいまさら自分部活嫌で帰宅部修学旅行運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつう卒業して、いまもふつう社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ増田教育

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inuinumandx ワイ中学高校修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。

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minaminoani 片田舎公立校だが中高と部活強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行クラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。

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um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的対応だけはしようねって教えるようになればいいのに

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natumeuashi

natumeuashi 嫌な経験理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)

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listeningsuicidal 部活はそう思う。中学特に選択肢だいぶ限られてたし。

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MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことガチギレする教師達ってすべからくおかしいと思う

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hate_flag 修学旅行あんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!

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kagerouttepaso

kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。

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plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ

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dazz_2001

dazz_2001 修学旅行社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールスキー学習とか。学校スキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…

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beed

beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。

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kettkett

kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまたかったなあ

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kalmalogy トップブコメ一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供バイトさせて賄うよ?

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katte

katte まあ強兵のために作られたから。

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exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気死ぬ

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Baybridge コロナ修学旅行行けなかった世代大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生

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ykktie 高校修学旅行とき精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも

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porquetevas

porquetevas 小中学校まらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点

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oeshi

oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…

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lavandin

lavandin 小中と修学旅行ホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短

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sukekyo

sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。

2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks

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rakugoman

rakugoman 若いから最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい

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tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。

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north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ

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murlock 勉強強制参加なのは人権侵害だと思う?

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tokitori

tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた

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deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。

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edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想結構ある思想だと思う。

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valvelde 修学旅行希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず

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ledsun

ledsun それを言い出すと「義務教育人権侵害」も言えちゃう

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hobbiel55

hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond

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keidge

keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。

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zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。

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mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか

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rna 初等教育全般人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定知識スキルを身につけないと本人が自分権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討必要だけど。

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songsfordrella 高校修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサ花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。

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HDPE

HDPE それを言うなら義務教育強制なのが一番辛かったよ

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chihiru 中学修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時

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mur2

mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分SoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。

2024/02/19 リンク

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unakowa

unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51

2024-02-24

・俺の高祖父

学校を出たかどうかは不明だが豪農の大地主だった。投機に失敗して行方不明になったらしい。

・俺の曽祖父

幼少期に高祖父行方不明になったため地元師範学校東京高等師範学校卒業して中学女学校教師をしていた。

教師として生活費を稼いで中学校を卒業させた弟は海軍兵学校卒業して戦死した。

俺が生まれたばかりの頃は生きていて抱っこされたこともあるらしいが記憶にはない。

・俺の祖父

区立小学校、区立中学校、都立高等学校東京大学法学部卒業して自治省に入った。

局長を務めてから退官し日本宝くじ協会の偉い人をやっていた。

雨の日に庭仕事して風邪肺炎にして死んだ。

・俺の父親

区立小学校私立中高一貫校、東京大学法学部卒業して司法修習を経て判か検のどちらかに任官。

現在は退官して都内事務所弁護士をしている。

・俺

区立小学校私立中高一貫校、一浪を経てMARCH文系入学し、仮面浪人を経て慶應義塾大学経済学部に進学。

卒業現在総合商社に勤務。

これが勝ち組だ。

2023-07-26

anond:20230725080034

https://kotobank.jp/word/%E7%BF%BC%E8%B3%9B-653696

よく‐さん【翼賛

〘名〙

① 力をそえてたすけること。補佐すること。扶翼・賛助すること。

続日本紀養老三年(719)一〇月辛丑「必由二翼賛之功一、始有レ安レ運」

東京日日新聞明治一七年(1884)二月二〇日「縉紳貴族四十六家翼賛を得て成立する女学校にして」 〔蜀志‐董允伝〕

特に天皇を補佐して政治を行なうこと。

てんやわんや(1948‐49)〈獅子文六〉花兵「鬼塚先生が、翼賛代議士としても」

2023-01-18

anond:20230118130709

明治女学校デザインなら恥じらいという点では問題にならなかったよね(機能性は別として)

anond:20230118125930

ブルマー増田じゃないけど、なんとなくブルマー見たくて検索したら、

https://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/nihon/sports.html

明治女学校/大正女学校/布帛ブルマー

までは、女性向けとしてさほど恥ずかしくない形状だったのに、

昭和中期にニット生地発明されて、ニットブルマーで一気にエロくなってたんだな。と知った。

2022-10-10

https://anond.hatelabo.jp/20221003143535

二話視聴

もう一人の主人公ミオリネが父親存在権力者の息子達のトロフィー扱いって状況を考えてもうざったいヒス女にしか見えないのもなぁ

不憫だとか救われてほしいとかより、そりゃあこんな女学校でも嫌われるだろ…としか思えない

そういう奴がスレッタとの出会いや触れ合いで変わっていくって話をやりたいにしても、肝心のスレッタはひたすらにあわあわしながら状況に流され利用されてるだけだし…

「なんで私があんたの婿になんかされなきゃいけないわけ? 父親への反抗に巻き込むな!」くらい言える奴だったらまだバランスとれたと思うが

水星魔女 ガンダム アニメ

2022-08-29

[]園部秀雄

史上最高の薙刀剣士とされる女性

1870年仙台藩馬廻役・日下陽三郎の六女として生まれる。

幼名は「たりた」で、これは両親が子沢山だったため「子供はもう足りた」という意味で名付けられたという。

ちなみに彼女の下にはさらに妹がおり、「誤って産んだ」ので「あや」という名前だったとか。

16歳で見学した撃剣興行の、佐竹茂雄夫人薙刀に魅せられ、家を飛び出して直心影流薙刀術に入門する。

師匠である佐竹鑑柳斎・茂雄夫婦の撃剣会に帯同し、各地の興行に参加して、20代にして「美人剣士」の勇名を轟かせる。

入門三年目にして直心影流薙刀術印可と「秀雄」の名を授与され、「日下秀雄」と名乗るようになる。

1896年直心影流薙刀術の第十五代宗家継承する。

同年に直猶心流剣術の十一代目・園部正利と結婚して「園部秀雄」となる。

1899年の第4回武徳祭大演武会において、唯一の女性剣士として出場、

幕末の人斬り・渡辺昇と戦い、渡辺竹刀を投げ出して降参したという。

当時の渡辺は61歳ではあったが、秀雄の戦歴のなかではこの試合特に有名である

その後、渡辺の高弟である堀田捨次郎に一敗を喫したとも、生涯不敗だったとも言われる。

後年には女子学習院を始めとして多くの女学校薙刀師範を務め、

また道場修徳館」を設立して薙刀教員を育成するなど、女子教育としての薙刀術普及に大きく貢献した。

1963年、93歳で亡くなった。

2022-07-15

マッカーサーゴシップひどすぎワロタ

マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校女学校ミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)

その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)

英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金名誉尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)

マッカーサーは初婚が四十路と典型的モテない男でしたが、ウェストポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)

ちなみにマッカーサー入学するまでのウェストポイントの記録(笑)は7人の女性関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。

マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキー監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサー武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81

それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサー士官学校卒業すると女狂いとなりました(笑)

と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)

1907年マッカーサーミルウォーキーのファニーベルヴァンダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまます(笑)

しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーラブレターを出しまくります

スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷ニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)

そのラブレターの中の一つを紹介すると

ニューヨーク少女

私が愛するのはあなた

何にもまして

なぜにあなたは私を愛してはくれないのか

という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的ストーカー思想手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかたことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)

これでも十分やばいんですが、マッカーサートドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサースチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本スチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます爆笑

その内容は

軍人であるマッカーサースチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。

そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワート献身的看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサー戦死し、スチュワート自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。

という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます困惑

こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ち想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109

若いモテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人バツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェルブルックスとようやく結婚しますが、彼女離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性交際するなど、非常に性経験豊富女性でした。

そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサー旦那になったものですから彼女の不満は相当なもの

ダグラス将軍だけどベッドの上ではただの兵隊よ」

とか

ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものしか考えてないのよ」

とか

パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサー性的能力の乏しさを表現した

とかの言動を知人やマスコミにしています

※参考:マイケル・シャラ―『マッカーサー時代』P.28

結局、マッカーサー生来のセコさとマザコン男性機能の乏しさを理由離婚されます

その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラオリンピックスタジアムボクシング試合を観戦中に16歳のイザベルロザリオクーパーという混血のモデル一目惚れ(笑)副官のトマスジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベル愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチ性犯罪でしょ(呆れ)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285

この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサー帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントン郊外コールガールを呼ぶための専用のアパートを借りていますマッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベル見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)

また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガール3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)

※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War

話はかなりそれましたが、日本では、毎日GHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。

しかし、日本に進駐当初に、日本女性セクハラを試みたことは明らかになっています

1945年8月30日厚木飛行場に到着したマッカーサー横浜直行ホテル・ニューグランド日本最初宿泊の場としました。

当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。

マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査しましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。

護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わずホテルウーマンらしく前で手を組みました。

霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉おっかなびっくり身体検査をしています

霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。

また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。

米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)

まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサー毒牙にかかることはありませんでした。

よかったですね。

※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur

https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ

https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek

山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史新潮文庫

鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー

現在で例えれば、自衛隊司令官女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的セクハラですね(笑)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592

2022-06-20

anond:20220620121220

日本における女性専用車両は、

1912年明治45年1月31日に当時の東京府中央線

朝夕の通勤・通学ラッシュ時間帯に登場した「婦人専用電車」が最初とされている。

乃木将軍もかつて学習院学部の生徒が電車に乗ると男子女生徒の体に触れたがって困ると電気局員に語られたと記憶するが、

近来不良学生山手線沿線より市内各女学校に通う女学生の乗車するを機とし

混雑に紛れて、或いは巧妙なる手段を以て誘惑し、逸らすとも女生徒の体に触れて、其の美しき姿を見るを楽しみとする風がある

彼らは此の女学生の満載せる電車を称して「花電車」と呼んで居るが、今回中野昌平橋間に各駅から

婦人専用電車を朝の八時半前後と午後の三時半前後の数回運転せしむることに決定し、

此の電車女学生が利用する様にお茶の水附属女学校女子学院千代田女子学校、雙葉女学校三輪女学校精華女学校等に対し通知し、

来る三十一日より実施することになった。

— 1912年明治45年1月28日東京朝日新聞朝刊、「婦人専用電車 不良少年の誘惑予防」

2022-05-28

明治時代、庄屋の娘が夫のDVから逃げて上京議員財政を立て直した話

矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日天保4年4月24日〉 - 1925年大正14年6月16日)は、日本女子教育者社会事業家

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児誕生は歓迎されず、名付け親10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟を生んでいる。蘇峰は明治大正昭和にかけての大論客、蘆花は明治大正文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。

かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。

妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事副知事兼務左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。

このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄から手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本学校生徒35名による花岡キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰徳冨蘆花も参加している。やがて熊本学校廃校になり、彼らの一部は、新島襄同志社入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンド札幌バンド横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。

明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国宣教師教育者マリア・ツルー夫人運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。

自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年築地新栄教会ディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である富久子、横井つせ子、竹崎順子洗礼を受けている。当時17歳キリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。

明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在校長理事長を兼ねた職)代理就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。

明治23年(1890年)、櫻井女学校新栄女学校合併して女子学院となり、初代院長に推される。

明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。

一方、恵まれなかった結婚生活小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。

楫子の情熱日本に止まら日本国外にも向かい明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年1925年6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

anond:20220526160552

2022-05-25

八墓村の話を思い出した

江戸時代幕府領・天領だった「西国筋郡」に、田野村庄屋というのがあった

明治維新のあと、庄屋の15の娘には、薩摩系の森藩だった村から若い村民が婿に来た

結婚の翌年、庄屋一家は、娘と婿を残してみな死亡

初代村民は、それで九重鉱山を購入し、約20年間経営し、それを船会社広海二三郎(損保ジャパン始祖)に売った

 

その娘には、また森藩だった村から婿が来た、2代目の村民発電所経営することにした

その発電所設立の翌年、初代は夫婦ともども相次いで死亡

2代目の村民1941年発電所九州水力電気九州電力の始祖)に売った

 

その娘には、また森藩だった村から婿が来た

3代目村民は、陸軍理系教授だったが、戦後、2代目が死亡したのち、2年後に死亡

その息子は1人生き残っていたが、女学校報国団のあった熊本県甲佐町からプロテスタントの町民が嫁に入った

  

まり薩長政権は、天領役人財産などを使って鉱業保険業や電力事業をしたか

天領役人の家はだいたいこうなってたんだろうか、ほとんど戦争だろう

司法モドキにとっては正義か?

2022-04-27

そもそも女子学生というもの存在したの自体明治以降だし昔は女子の進学率も低かったので

女子高生が性的特別価値のあるアイコンとしての意味を持つの男性生来的なものではなくて後天的刷り込みなのではないか」という疑問は至極真っ当だと思うんだが。

そんなに制服姿の女子学生が至高ならば低学歴の男もみんな女学校通いのお嬢様突撃してた筈だけどそうはなってない訳で

2021-11-28

タブレット端末からSurfaceに移行し、授業の質の更なる向上へ。 LTE対応


提供

日本マイクロソフト株式会社

2021年11月15日 09:00

 埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校淑徳与野中学高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育積極的に推進してきました。そして2020年新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始していますICT教育進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています

学びの"質"を変えるためICT活用した学習先進的に着手

 1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教精神背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育女子校が、埼玉県さいたま市淑徳与野中学高等学校です。海外姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連剣道部や、バレーボール部バトン部、吹奏楽部など、文武両道学校としても知られています

 そんな同校は、「コンピュータ情報通信ネットワークなどの情報手段活用するために必要環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラス試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年入学中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています

 学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから主体的学習へ生徒をどういざなうかが課題となっていますICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます淑徳与野中学学年主任 英語教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的学習を促す効果も期待できます」とICT教育可能性を生徒・保護者説明しています

オンラインでも対面授業と変わらぬ学習効果を維持するために

 もっとも、淑徳与野中学高等学校Microsoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼます

 淑徳与野中学高等学校進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書作成され、それは授業用の各種資料保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにもMicrosoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)

 そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供アイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。

 「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者不安を解消するためにも重要活動位置付けられました」(小嶋氏)

 その後、登校は再開されましたが、新型コロナ収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信文書管理の仕組みを作るとともに、2021年入学から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います

 「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解可能にする授業が行えますさらに、Teamsによる課題配信活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)

"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデル選択

 淑徳与野中学高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います

 同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANカバーエリア全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害危惧されました。

 また、2年前から一部クラス試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSアプリケーション操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います

 こうした2つの課題解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまますしかLTEモデルであればモバイル回線バックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。

 また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループ八島圭氏は、「相性問題は、OSアプリケーションハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OSMicrosoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。

 今回、モバイル回線無線LAN障害が発生したときバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたとき通信不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。

 機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります

 そして、軽量化コスト的な制約からキーボード犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。

 「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的クイズ形式タイピング練習を行っていますが、これにはタブレットスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボード品質重要だと考えました」(山﨑氏)

 最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE AdvancedモデルCore m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペックモデルにしたのは、デバイスパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います

TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的活用

 2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすポイント解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています

 「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解やすくなります」(粕谷氏)

 総合活動時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います映像活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理PDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。

どこでもつながるLTEモデルが授業と課外活動の幅を広げる

 PC汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限実施していますが、それも最低限にとどめていると言います

 「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能サイトを追加していますルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在方針です」(小嶋

氏)

 淑徳与野中学高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケート実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。

 そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICT活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます

 「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待していますさらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)

 このほか、部活動試合Surface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います

 無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデル採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。

 導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。

2021-09-17

anond:20210917213406

清楚は名門女学校の中のみで純粋に育てられた完全培養百合の蕾なのだ

その秘密の花が開くのは家庭に入ってたった1人の夫の前でのみ

ところがその蕾が学校結婚までの数年のお勤めの間に

まれて初めて心を奪われた異性との日常のやり取りが始まった

伝えるどころか目が合うだけで胸が爆発しそうな思いに煩悶する彼女

そしてそんなこととは何も知らぬ年収3000万増田

清楚は親の決めた相応の見合い相手と穏やかな家庭を築くのか?

それとも家も優しい両親も捨てて一生に一度の愛に生きるのか?

そこに我々は胸をときめかせるのである

2021-08-17

anond:20210817133424

中村 そうなんですよ。僕が映像見てビックリしたのは、今回、北部同盟軍がカブールに進駐して市民の喜ぶ顔が映し出されて。そして凧揚げが始まりましたとか、市場ものが温れ出しましたとか、女性ブルカをとるようになりましたとか、あたかタリバンの圧制から解放されたというふうなイメージを全世界が持ったわけですよね。僕はビックリしましてね、今年の3月に行ったときには、既に凧揚げもあったし、市場も活況を呈してたし、お年寄りであればブルカを脱いでましたよ。大体1日でバザールテレビが出てきたりするわけないんですよ (笑)ドレスハイヒールを売る店だってあって、タリバン兵隊さんが女性を連れて出入りしてたしね。かなり規制は緩んでいたんです。女学校についても隠れ学校というのがカブールだけで何十もありましてね、隠れ学校っていったって、そんなの当局がそれを察知しないわけなくて、実際は黙認ですよね。助産婦さんとか、ある程度の女子教育はしないと彼ら自身が困りますから

まさにアメリカプロパガンダやな。

2021-07-27

anond:20210727011453

欲情しないようにと女性的とは対極にあるガチムチの水兵ニキの制服アレンジして女学校制服にしたらエロ象徴になったのでもう諦めてる。

2021-06-07

anond:20210606233325

非常に興味深い。自分女学校から学校に進む過程で強烈な「ノーマル異性愛嫌悪」に傾く体験したことがある。一時期は適応障害を起こして不登校になった。

増田体験を読ませてもらい、自分体験に照らし合わせて一般化できることが何かあるか考えてみた。

 

女子校というホモソーシャルのおかげで性別役割から解放されている状態楽園のようなものだ。狩るか狩られるか、という恐怖におびえなくても済む。

女子校同級生の友人たちも同じ楽園の住人だと信頼していた。

ところがそうではなかった。当たり前だがたいていのヒトには性機能が備わっていて、性愛感情を持っている。ふとしたはずみで、信頼していた友人に異性愛感情が備わっていることを知ってしまう。

増田場合リトルマーメイド観劇の思い出がそれに当たるだろう)

 

自分勝手に「楽園」だと思い込んでいただけなのだと気づいてしまった…というのは子供にとっては結構カルチャーショックなわけで。

たまたま昔は女子校で、性的役割のことを意識しないで済む環境にいた。でも今いる場所はやっぱり弱肉強食世界だし、自分も誰かを狩るかもしれないし、誰かに狩られるかもしれない。

自分含め万人に性機能が備わっているという事実を受け入れるのにかなり苦労した記憶があるよ。

その後いろいろあって異性と結婚したはしたけど、ホモサピエンスの男女性愛に対する苦手意識は今でも少しだけある。

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