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はてなキーワード: 遺品整理とは

2026-05-08

ノーリスクビットコインを100万円買うなら

祖父母借金して買ってもらいましょう

年齢は90オーバー

もう死ぬんで

失敗してもチャラにできます

百万円はね

さなくていいんじゃない

ビットコインなら税務署追えないし

ええー祖父母がそんなの買ってたの?わかんなーーい。これでいけます。しばらく取っておきましょう。紙一枚確保して数十年。

これでお金持ちになれますね。

失敗したらそのまんま利確しなければいいし。

成功したら遺品整理したら見つけましたー言っておけばまあまあなんとかなるかなと。

ノーリスクです。

2026-05-06

GW

GWは家の片付けをしよう!

亡くなった母の部屋とか。

あとまだやること色々。なんとかしないとな。


と、思っていましたが。

納骨がGW前に終わって、一旦落ち着いたからか

気力がガタ落ちしてしまってほぼ何も出来なかった。

やろうとしてた事の、二割くらいかなぁ。

明日は最終日ではあるが。

母の部屋で早めになんとかしないといけないもの

まぁ、亡くなった時に汚れたものがあって。

それを取り敢えず部屋からだして外の邪魔

ならないところに置いておく。それくらいはしよう。

どうしてもな手続きとかはやったから。

遺品整理はコツコツやっていこう。

気力ガタ落ちと、言ったけども。

なんか、遊び歩いてた。のよね。

イベント見に行ったり展示会行ったり。

家のことを最小限にしかやらなかった。

母がいなくなった事の反動なのか。

そう言うことを考えたくなくて色々埋めたのか。

よくわからん

家事とかが兄に任せきりになってはい

謝りはいれたけども。俺は俺で兄がやれない事を

やったりしてるから役割分担で。気にすんなと言ってた。

まあ、また日常が始まれば嫌でもやらないといけないからなぁ。

最近冷麺にハマっている

偏食になってきてた母でも冷麺は食べれただろうから連れてきたかったな

coachのお店がを見かけた

そういや、母はcoachの財布使ってたな

CHANELのお店があった

還暦の時に買ってあげるって言ってたけど

その頃、家が色々大変で結局買ってあげられなかったな

崎陽軒のお店を見かけて

そういえば母が買ってきてくれってよく言ってたな

などなど。

どこかで何かすると母のことを思い出してしまう。

晩年は俺が連れ出さないと出れなかったら

ずっと一緒にいたもんなぁって。

辛いはいったん通り越したけど。

虚しいなーって

2026-04-01

dorawii@新刊発売(予定)

池袋ポケモンストーカー事件実家家宅捜索が入ったと言うが、

まさか加害者ではあるけれど既に死んでるのに家宅捜索が入るなんて親は思うのかね?

それまでに遺品整理とかで何かしら処分してるものあってもおかしくないと思うけど、それでもそういうのがあったら証拠隠滅として親も捜査されちゃうのかね?手帳とかなんか書いてた紙の切れ端とか処分しちゃいそうなもんだけど。

こういう場合(といってもこれ含めすべての「こういう場合」を含められるような言語化なんて不可能だと思うが)は死んでようが息子が住んでた家にも捜査が入るってことは常識として知ってるのが常識とされてるのかね?

dorawiiより


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2026-03-19

anond:20260319131812

檀家が減って食うに困るようになったから、遺品整理業にまで手を出してるのが現実やないの。

坊さんが遺品整理手伝って遺族はとにかく早く処分したいからその場で30万円で坊さんが買い取る

後日専門業者に見せたら1000万円になった

って話を聞くと、言い方がアレだけどやっぱり人の死に目って金になるんだなあ、って

それで税金免除なんだから羽振りもよくなるよなあ

2026-02-23

「お父さん!」

※このお話には、死にまつわる生々しい記載をいたします。

家族の死について記載しております。苦手な方はお読みにならないようお願いします。

父が亡くなった。

今年は喜寿になる歳で、何を贈ろうか考えていた矢先。

気づいたのは、ある休日。私はいつもより少し早めに起きた。

長期不在にしていた母から庭の花に水をやるよう父に伝えてほしいと家族ラインで言われていて、

そのまま何の気なしに父にリマインドした。私は家も別で長く生計独立していたが、

その日は家族実家に帰る日だったので、いつもはすぐに返事が来る父から返事が来なくても、

気にせず家事やオタ活をしながら一日を過ごしていた。

でもさすがに夜になっても何も返事がないことには気になって仕方なくなり、一気に不安になった。

冷静に家の鍵を持って、電車に乗り、いつもみたいに音楽を聴きながら、でも電車を待つ間、いつもは買わない水を買った。

家の鍵を探す途中、ずっと昔に買ったお守りを見つけたけど、持っていかなかったのが悪かったのかな。

何度も父の携帯LINE家電電話しながらの移動だった。

家に着いたのは私が最初。家は真っ暗。

廊下の扉は閉まっていて、いつも父は暖房空気を逃さないようそうしていたな、なんて考えていた束の間、

においがした。前に別の親族が亡くなったときも私が発見者で、その時のにおいだった。

そのにおいは強烈で、獣のにおいとも似ている。私は以前害獣駆除に携わっていたので、そのにおい自体には耐性があったつもりだった。

でも耐えられなかった。何度もえずきながら、救急車を呼んだ。

電話の向こうでは、救急隊員が必死に私に話しかけてくださっているのがわかった。胸骨圧迫をするようにと。

扉を開けたら、父は床に横たわっていた。すっかり固くなって、冷たくなっていた。

とても重かったけど、意外にもすんなり引っくり返せたという印象だった。

何度も「お父さん!」と言いながら、泣きながら、叫びながら、胸骨圧迫をした。

でも首も曲がっていて、圧迫しても動くのは下腹部のあたりだけ。顔には血が流れていて凄惨で、でも目は閉じていた。

程なくして救急隊員が到着、家族も到着して、何か処置はしてくれたが、手遅れだということを告げられた。

隊員の方は、冷静にお聞きください、と手遅れだということを改めて私に伝え、あ、これドラマとかで見たことあるやつだ、とか私は思い出してた。

その時はすごく吐きそうになりながら、ひたすらに泣き叫んで、自分は今思えばみっともなかった。

来てた家族が冷静に救急隊員、その後来てくれた警察とのやり取りを行ってくれて助った。私はずっとだめだった。

2,3時間警察はいてくれましたが、私はずっとだめだった。いろいろと話を受けて、応答はしようとしたものの、

何もうまく答えられていなかったような気がする。泣いて目は何も見えず、後で頭も痛くなった。

気づけば警察も、父の遺体もなくなり、家にはあのにおいと、家族と私だけ。

頭や目の横のあたりが痛くて、ずっとこれからことなど考えたりしたが、何も決められなくて、4時くらいに眠れた気がする。

起きても何も考えられなくて、その日は急遽母が帰れることになったので、迎えに行ったりして、家族が集まったら少し安心した。

夜になってようやく職場に忌引の連絡と、しばらく不在の旨お伝えした。あれから仕事のことは何も考えられなかった。すみません

それからはいろいろと目まぐるしい日々だった。でも正直少しそういった目まぐるしさや家族と一緒にいれたことは、ありがたかった。

親族に連絡したり警察から聴取を受けたり、家の清掃、喪主となり葬儀を行い、役所金融機関、お墓など諸々たーーーーくさんの手続き遺品整理も。

その中で、父のことをたくさん思い出したり、時に後悔したりもしましたが、今では少し前向きな気持ちでいられていると思う。

家族には助けられた。こういうとき家族一丸となって、なんて言うが、本当は父が生きているうちからこうあってほしかったな、なんて。

母もこの先一人って寂しいし、でも一緒だからねって言って私は昨日家を出てきた。

まだまだやることはたくさん残っていて、家に残る家族には申し訳ないですが、明日から仕事にも行く。

最近仕事で悩むことが多かったが、こういうとき休みが取れる職場で、今思えば贅沢な悩みなのかなと。

これから役所のこととかで休みを取らないといけない。母は難聴だし、役所のことはよくわかっていないみたいだから、私が頑張らないと。

少しずつ好きなことを考えられるようになったり、笑えるようになったり、でも思ってた以上にいろいろありそうで、これからのことを考えると不安も多い。

家は父が大好きな、夢のマイホームから、母の言っていた、お父さんは家で亡くなって幸せだったと思うよ、が頭から離れない。

ももう少し長生きもしてほしかった。健康に気を遣っていたのに、テーブルの上にはこのあと飲む予定だっった薬もあって、

それ飲んでたら違ってたのかな。神様、もう少しだけ待てなかったのかなって。

あんまりおしゃべりできなくてごめん。本当はもっとお話ししたかった。昔のこと、よく思い出してたから、あれもこれも。でももう聞けない。

お金のことだってもっと話したかった。大切な話だから、共有してほしかった。今頑張って全部調べてるよ。

仕事の話も、パパはあんまり話したがらなかったから聞かなかったけど、遺されたものを見てたらいろんな写真表彰を大切にしてるじゃない。

私もあと2ヶ月だったんだよ。パパが私に最後に言ってくれたこと覚えてるからもっとちゃんと返せばよかったね。

何日も家に一人にしてしまってごめんなさい。寒かったよね。警察の話を聞いてると、自分で何とかしようとしたんだよね。苦しかったよね。

パパの棚を整理していたらいろんな知らなかったことが出てきて、もっとちゃんと話せばよかったってそればっかり!

でもパパは本当に立派に子育てしてくれました。一人で家族田舎から連れてきて、結婚もして、たくさん働いて、受験もさせてくれて、

いっぱいおいしいもの食べさせてくれて、いろんなところに連れて行ってくれて、いろんな綺麗な景色を見せてくれて、ありがとうございました。

パパは家族のことが大好きでしたね。家族のために生きました。迷惑かけたってよかったんだよ。

でもそれがパパの生き方でした。尊敬しています

まりに突然亡くなってしまったけど、今はただ、どうか安らかにお眠りください。

2026-02-21

人は死ぬのにどうして物を集めるのか

去年、祖父が亡くなった。

祖父蒐集家で、とにかく物を持ちたがる人だった。

遺品整理はとにかく大変で、本当に物が大量にあったか処分には困った。

価値のありそうなものヤフオク等を活用して捌いたものの、そこで得られたお金は手間を考えれば微々たるもの

そういった作業をしているうち「人は死ぬのにどうして物を集めるのだろうか」と本気で考えてしまった。

残された人間の苦労を考えていないのか、それともただ意味なく集めているのだろうか。

人は死ぬ

物なんて最低限だけで、本当は何も買わなくていいのかも。

2026-02-02

本気で早死にするために

注意事項

 この投稿では『死』をテーマとし、自身の考えを吐露することを趣旨である

 決して自殺及び死をほう助する意図は含まず、他者に対する強制力同調を擁するものではない。

 この話は安楽死肯定的であり、筆者に都合のいい話しか書いていない。

 以上を踏まえて読んでください。

年末年始帰省すると実家祖母がいた。

母も帰省前に何度か会ったが、やはり記憶の中より年老いている。

5年ぶりくらいに会った弟は、筆者の記憶にある少年面影を持った謎の青年になっていた。

みなそれぞれ年を取っていた。もちろん見慣れた筆者自身もだ。

私は直接見ていないが、この祖母認知症発症しているらしい。

別の親戚一家が近くに住んでいたため少し前まではその一家と同居していたが、一家に対し暴言を発するようになってしまったらしい。

10代より一生独身宣言をしており、親も結婚しなくていいと言ってくれ、恋人いたこともないまま25歳を迎えた筆者は恐怖した。

老後に己の面倒を見てくれる人が誰だろうが迷惑をかけることが恐ろしくて仕方ない。筆者は性格も最悪なため、いわゆる『老害まっしぐらである

長らく身を賭したオタク趣味年末年始実家で寝かせていた荷物を整理しきったことにより、

かなり冷めており人生に焦点がシフトしつつある。

現実的かは調査余地ありだが、老害成就回避する方法を思いついた。

お金を貯めて、海外安楽死しよう!

ビバ☆デスツーリズム

しかも老後資金より安い!

筆者の所得は低く、ボーナスももちろんない。

貯金だけは頑張ろうと今年から気合を入れ直していたが、老後資金について調べれば調べるほどに残りの労働人生で貯められる気がしなかった。

ここで早死に希望ポイント+100pt。

しか安楽死ならば老後資金を作るよりはるか現実的金額で、周囲への被害が少ないうちに死ねるかもしれない。

実行にあたり、この先浮上してくる問題点法改正や諸々の価格高騰だろう。

現時点でもざっと調べただけでは比較的健常な人が安楽死選択できるケースを見ていない気がする。

まぁダメなら自死でええか、海行くか。

葬儀遺品整理含めても今でいう『タイパ・コスパ』はすごいいい気がしてならん(億はせんやろ)

筆者は10から今日まで一貫して短命を希望しており、長生きに否定的である老い自分を見たくないのも大きい。醜悪ンなる前に死なせてくれ!

早死に希望ポイント+10ptである

やれファッションメンヘラ瀉血リスカするじゃ、やれ希死念慮持ちだが通院してるという生に執着している類の人間が嫌い。

自身の信念や生活する上で受診したい美容眼科歯科以外は絶対に行かない。

謎の激痛が腹部で1週間以上続いたが面倒だし行っていない。気がついたらおさまっていた。いつか盛大に私を殺してくれ。

死にたいなどと抜かすならば、筋を通す。

外野がどう反応しようが知らない。自分のことだしねぇ〜

メンタルが病んでる病んでない関係なく、昔から常時本気で運よく死にてぇ。

他人の窮地でなければ救急車は一生呼ばない、災害時は人助けをしまくりあわよくば……という異常思想もある。

入院も手術もしたことがないため、死に対する魅力に抗えない。

弟も無理に結婚し、苦労してほしくはない。

親族のお墓や財産等についても生きている間にしっかり擦り合わせておき、姉の私は先に逝きたい。

これまでさまざまなことを楽しんだ。

オタク趣味のため都へ来て、身に余るほど楽しい日々を過ごした。

最近聖地巡礼旅行もした。大変楽しかった。

このようにオタクとしても思い残すことがどんどんなくなっている。

これもまた早死に希望ポイント+50pt。

親の介護をする必要があるならば実家に帰ると腹も括った。

一度もアジア圏を出られなかったが、財が足りぬということは身分不相応なのだろう。

高校偏差値が低く、大学受験すらしなかった。

どこかで真面目に受験すべきではあったな。

来世は人間なんかになりたくないし、生物にしないでほしい。燃える石炭くらいになれたらいいな。

かに死はその生物との別れであり、推しCPでは無限に見たいシチュだ。

だがそれを望む自分には死を悲観する理由が未だ分からない。避けられないのだから、受け入れるのは当然だ。

しかし故き人や愛犬に想いを馳せることはある。

親を看取らぬまま先に死にゆきたい気持ちはある。

ただそれで弟ら(複数いる)に迷惑がかかる可能性が潰せないならば時期は慎重に検討する。

気持ち的には40代希望

地獄でも天国でも行ったら楽しむつもりだ。テーマパーク感覚死ぬ気満々。

誰かこの明るすぎる希死念慮にいつか名前をつけてくれ。

この謎の感情とどうにか死にゆくどっかのオタクより

2026-01-29

遺品整理生前にやろうね。

いくらお葬式でカッコよく〆ても遺品整理エロ本とかHDDとか日記とか出てきたら幻滅だもんな。

2025-11-29

赤の他人遺品整理をした

備忘録

わりと楽しかった

都内 マンション一室 75平米の遺品整理

・2名で週3回1.5時間ずつ作業すること1ヶ月弱+大物家具家電撤去業者頼み

・総費用はだいたい40万円

◼️経緯

親族相続したマンション一室内の遺品整理ができないまま数年経過し、たまたま近所に住む私へ「家の遺品整理を手伝ってくれないか」と打診があった。費用は実費精算すること、マンションの自室内で亡くなったわけではない(=事故物件ではない)ことを確認して承諾。遺品整理業者に依頼すると100万円超かかるのがネックだったらしい

◼️やったたこ

残置物は全て撤去処分してほしいとのこと。というわけで以下を実施

・備え付けのキッチンシステムバストイレなどを除き外せるものは全て撤去処分

・残すべきものはなく、写真アルバム身分証が出てきても全部処分

◼️排出したごみの量

前提として亡くなった方は独り身高齢者。部屋は75平米程度。それはもう、物が溢れかえってたで…

2名で週3回1.5時間ずつ作業すること1ヶ月弱、最後業者に大物家具家電撤去してもらって完了

可燃、不燃、食器類は45リットルサイズごみ袋で排出。総費用はだいたい40万円(うち業者利用料33万円)!

可燃ごみ:ごみ100個 ※うち80袋は自治体有料回収

不燃ごみ:ごみ10

・缶類:ごみ袋3個

食器陶器類:ごみ袋15個 ※うち10袋分はリユース

書籍類:500冊 ※うち400冊はブックオフ買取依頼

・粗大ごみ:テーブル3、椅子12、棚・ワゴン10衣装ケース15、寝具類15、スーツケース類6、家電5、その他10

上記除く大物家具家電、液体ごみスプレー類:不用品回収業者処分依頼 軽トラ5台分

◼️感想

・適切な物量を見極めて生活しようと決めました。過剰ストック書籍の大量保持、記念品引出物は使わないならさっさと手放すべき。ただし、認知機能の低下に伴う買い込み癖は誰しもあるのが難しいところ

自分の2親等以内の親族遺品整理だとしたら、都度思い出に浸ったり捨てられなくて進まないかも。今回はドライ対応できた

遺品整理すべき物件が自宅から遠かったらとてもじゃないがやってられない。「老親を呼び寄せて同居」というのは事前整理もできるし理に適っていると感じた。

自分が今31歳だから荷物持ち運びもできるが、これが自分の親が亡くなるような60-70歳代になったらまじ億劫すぎてやってやられないだろうなぁ

・遺された書籍衣服等で、どんな生活していた人かは結構分かる。見られたら困るものは早めに処分してもいい。ちなみに今回の人は良い人そうだなと思いました、知らんけど

・いちいち買取査定とか面倒すぎてやってられない。捨てたほうが楽。死後、コレクションを全廃棄されたく無いなら生きてるうちに方法考えたほうがいい

2025-10-21

親が死んで


保育園に行く道を肩車をして歩いてくれたなとか

その時にヨーグレットを一粒だけくれたなとか

実家がある町にかつてあったドラッグストアは店先に象のキャラクター人形を置いていて

その頬にキスをした幼い私の思い出を

ドラッグストアの跡地の前を通るたびに話していたこ

病気をして県外で大きな手術をしたとき私はもうとっくに大人だったけど、車で迎えに来てくれたこ

携帯の待受がいつまでも成人式着物を着た私の写真だったこ

遺品整理で出てきたかつての私が贈った絵や手紙

かつて家族みんなで冷蔵庫に貼ったシールを、冷蔵庫を買い替えるタイミングで1枚1枚剥がして保存したクリアファイル

そういう思い出全部、こんなことがあったねと共有できる他者がいなくなってしまった

私の記憶時間をかけて消えていく

実家のある駅に立ち寄って、ドラッグストアの跡地の前を通っても、何も感じなくなるだろう


はいくつで死ぬんだろう

そのときどうなってるんだろう

どんな私でも、また車で迎えにきて欲しい

そのとき私は今の私に戻ってくる

家族みんなが乗った車は、実家がある町を走るだろう

懐かしい道を通って、あんなことがあったねと話すだろう

そのとき、思い出がもたらす悲しみとか寂しさはなくなって、ただ穏やかに全てを振り返ることができるだろう

2025-09-29

15歳の時、母から私たちは血がつながっていない」と打ち明けられた

まあ、そうだろうなと思った。

しろ父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。

僕の顔立ちと体格は完全に西欧人のそれだからだ。

さなから、遠い先祖外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。

本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。

その年、父が死んだ。

四十九日も終わったころ、母が

あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」

と言ってきた。

でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。

正直、けっこうこたえた。

もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。

でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。

もともと、東京学校に進学したいという気持ちはあった。

中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。

でも、うちにはそんな金がない。

学費もそうだが、一人暮らしなんて夢のまた夢だった。

ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。

そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞

なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。

それから音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。

気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽世界一角で何不自由なく食えている。

それも、あのとき決断のおかげなんだろうなと思っている。

先日、母が亡くなった。

考えてみれば、母の愛情を疑ったのはあのときだけだった。

東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。

それは、多分、「実の母」のそれだった。

後になって気づいた。

あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。

僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。

から、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃん自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。

弟とふたり遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。

手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。

弟と二人で黙って手紙を読み終えた。

もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたとき居間空気が蘇った気がした。

手紙を畳んで封筒に戻し、母の字を指でなぞってみる。

さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型感情仕舞うには少し足りない。

ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分人生なんだ」と思った。

それからしばらく、遺品の片付けや事務的手続きで走り回った。

弟は何ひとつ文句も言わず淡々必要作業を進めていった。

台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用封筒

物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。

東京に出てからの母とのやり取りをふと思い出す。

電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。

親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚けがじっと残る。

母がいなくなって、名義変更相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。

結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけがかに積み上がっていく。

今も自分音楽仕事をしている。

東京暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族物語以外、特別ドラマは何もなく、それで充分だと思う。

2025-08-28

ばあちゃんが亡くなって遺品整理してたら、タンから聖徳太子の1万円が800万ほど見つかったw

2025-08-26

まだギリギリ生きてるけど、遺品整理とかをしないとなーと思って色々片付けている。

お金周りもやらんとなぁと思い、嫁の通帳が入ってる棚を探っていたら、棚の中から色々手紙が出てきた。

古くからの友人だったり、新卒の頃の先輩から手紙だったり。友達を大切にする妻の人となりをとても感じた。

その中には僕が何年も前に妻へ送った手紙も混じっており、不意を突かれ僕は少しメソメソ泣いてしまった。

僕は字も汚く、あまり手紙を書くのも上手くはないので好きではない。

女の子同士だと手紙を送り合う文化がある気がするけど、男性同士だとあまり文化ないよね?)「私はあなたに何度か手紙を送っているが、何故あなたは私に手紙を書かないのか?」といった感じで半分妻に強要されつつ書いた記憶がある。

拙く少し上から目線のたった数行の手紙。書いたことすら忘れていた。そんな大したことない手紙を、妻が大切なものが入っている棚に保管してくれていた事は正直意外だった。

子供・血の繋がりのある親兄弟・友人、妻には沢山の大切な繋がりがあり、僕はそれより優先順位が低いと勝手に感じていた部分があったのだが、そこまで低くはなかったのかもしれない。

手紙を保管してくれていた事に対する嬉しい気持ちを妻に伝えたいのだが、残念ながらもう話を出来る状態ではないのだ。

2025-06-26

anond:20250626124408

了解です。以下、はてな匿名ダイアリーっぽく補足します。

現実的に考えたら、30年引きこもってた兄が死んで、遺品整理して、日記見つけて──ってそれで話は終わる。きれいに。

でも、終わったはずなのに残る空白、ってある。

毎日置いてた食事洗濯物、テレビの音、夜中の水音。

それがなくなったあとに「静かになった」とは言い切れない。

逆に、そこから変な「気配」が始まることもある。

たとえば深夜、廊下で物音がして、「あ、兄かな」って一瞬だけ思う。でもすぐに、「あ、もういないんだった」って思い直す。

確認しに行けば何もないのはわかってる。でも行かない。

行かなければ、まだ部屋の中に兄がいてくれる気がするから

そういうふうにすれば、「死んだあと」の話がもう少しだけ続けられる。

現実的生活描写のまま、不気味さも幻想っぽさも出せるし、兄の存在がいなくなったはずなのに、逆に濃くなっていく。

実体が消えたあとでこそ「記憶」が濃くなる、みたいな話にもできる。

引きこもっていた30年より、死んだあとの数週間のほうがよっぽど近く感じる、みたいな。

そういう変化を描くのもありかもしれない。

2025-05-28

歳をとると「家族を大切にしたい」と言い出すわけだ

偶然にも親族に不幸が相次いだ。

独り身の2人とも突然死んでしまったものから、家にいくと「まだ生きようとしていた」痕跡がいっぱいあった。

冷凍されていた高級なお取り寄せグルメカレンダーに書いてあった旅行予定、昨年大規模に直した家のフェンス・・・

こういうのを見ると、私はもっともっと人生大事にしてやりたいことをやりたいと思った。

そして、仲が良い人ともっともっとどうでもいいお話をしてかけがえのない時間を過ごしたいと思った。

だけど1週間たったらそんなことも忘れて毎日お仕事忙殺されたり、なにもかも面倒になって家で寝ちゃうんだろうな。

2人のそれぞれお遺品整理をする中で、自分の行く末を見ているようで悲しくなった。

ああ。

家族を大切にしたい」と言う人の気持ちがわかったよ。こういうことなんだ。

2025-05-15

遺品供養遺品整理遺品回収遺品処分

不用品回収の日雇いバイトでも

遠方の遺族関係者が立ち会いだと死んだ人間に興味ないから楽

2025-03-12

まだ死ねてない

育ててくれた家族遺品整理やらあらゆる処理をさせられない、そういうことを考える理性が残ってる時点で無理なんだろうけど‎‎

はやく正気閾値を超えたい

2025-03-10

親の扶養義務国外にいれば全て免除

国外にいる場合、親の扶養責任はどうなる?

結論として、国外にいるなら、親の介護扶養義務を果たせないのは当然と判断されるため、法的責任を問われる可能性はほぼゼロです。

1. 親が生活困窮・介護必要になった場合

親が生活できなくなった場合日本行政市役所福祉課)は通常、**「扶養照会」**を行い、子ども支援できるか確認します。しかし、国外にいる場合扶養照会を拒否やすくなる。

国外在住で扶養拒否できる理由

海外在住で介護支援物理的に不可能

海外での生活費が高く、自分生活で精一杯

仕事ビザ関係で、日本帰国できない

✅ 長年連絡を取っておらず、親の状況を知らない

役所への対応

現在海外に住んでおり、親の扶養はできません」と伝えれば、扶養義務強制されることはほぼない。

特に海外在住者は生活基盤が日本にないため、行政扶養強制することは現実的に難しい。

2. 親が死亡した場合

国外にいる間に親が亡くなったとしても、日本国内の相続扶養義務と同じルール適用される。

罪に問われる可能性はある?

✅ 「親が亡くなったことを知らなかった」場合責任なし

✅ 「親の死亡を知りながら放置した」場合遺体遺棄罪に問われる可能

行政から連絡が来たら適切に対応すれば問題なし

基本的には、日本にいない以上、親の死亡を知る手段がないため、罪に問われることはほぼない。

3. 役所警察から連絡が来た場合

日本行政警察国外にいる子どもに連絡を取ることは難しいですが、もし親が死亡した場合親族として連絡が来る可能性はあります

ケース①:生活保護・介護施設の問い合わせ

対応方法

• 「海外在住のため、対応できません」と伝える

• 「日本帰国できない」と伝え、扶養拒否意思を明確にする

行政生活保護や介護施設の対応を進めるため、強制的に扶養させられることはない

ケース②:親の死亡に関する連絡

対応方法

• 「現在海外におり、葬儀などの対応はできません」と伝える

必要なら「相続放棄」の手続きを進める(親に借金がある場合

国外にいるなら葬儀遺品整理責任も実質なし

日本財産があるなら、放棄するかどうか判断する必要がある

4. 相続問題

もし親に財産がある場合相続放棄をしないと借金相続されることに注意。

相続放棄方法海外在住の場合

• 親の死亡を知ったら3ヶ月以内に家庭裁判所へ「相続放棄」の申請をする

海外在住でも、日本弁護士に依頼して手続き可能

• もし放置すると、借金自動的相続するリスクがある

✅ 「親の借金を引き継ぎたくないなら、相続放棄をするのがベスト

5. まとめ

国外にいるなら、親の扶養義務を果たせないのは当然 → 強制されることはない

生活困窮した親に対しても、日本行政対応するため、子が負担する必要なし

✔ 親が死亡しても、知らなければ責任なし → 役所から連絡が来ても適切に対応すればOK

借金があるなら、相続放棄検討(3ヶ月以内に手続き

結論国外在住なら、親の介護生活・死亡に対する責任はほぼない。行政に任せるのが最適な選択肢

anond:20250310200441

結論として、親の状況を知らなければ、基本的法的責任を問われることはないです。

1. 親の死亡や生活困窮を知らなかった場合、罪に問われるか?

保護責任者遺棄罪(刑法218条)

適用される可能性はほぼゼロ

• 「保護責任者遺棄罪」は、親が明らかに困窮していると知りながら放置した場合に成立。

• 親の状況を知らなかった場合、この罪は適用されない。

ポイント

• **「最後に連絡を取った時点で親が健在だった」**なら、その後のことを知らないのは当然。

• 親が生活に困っていたとしても、子がそれを知らなければ責任を問われない。

遺体遺棄罪(刑法190条)

親が死亡していたとしても、「知らなかった」なら罪には問われない。

遺体遺棄罪は、「遺体存在認識しながら放置した場合」に適用される。

• 絶縁していた場合、親が亡くなったことを知らなければ罪に問われることはない。

▶ 注意点

• もし行政警察から「親が亡くなった」と連絡が来た場合、適切に対応すれば問題なし。

• 「連絡が来たけど無視した」「遺体があると知りながら放置した」場合は罪になる可能性あり。

2. 扶養義務はどうなる?

日本民法877条では、親子には扶養義務があるとされているが、以下のような場合扶養拒否できる。

扶養義務拒否できるケース

虐待を受けていた場合特に身体的・精神的・性的虐待

長期間絶縁しており、関係が完全に断たれていた場合

経済的に困窮しており、扶養できない場合

行政市役所福祉課)が親の扶養照会をしてきた場合

• 「〇年前から連絡を取っておらず、現在の状況は一切知らない」

• 「虐待を受けていたため、扶養意思はない」

• 「自分自身生活が苦しく、扶養する余裕はない」

と伝えれば、扶養義務免除してもらえる可能性が高い。

3. 行政から連絡が来た場合対応

親と絶縁していた場合でも、親が生活保護を申請したり、死亡したりすると行政から連絡が来ることがある。

ケース①:役所から「親が生活に困っている」と連絡が来た

対応方法

• 「連絡を絶っており、状況は知らない」と伝える

• 「扶養する意思はない」と明確に伝える

経済的事情理由拒否する(「自分生活で精一杯」など)

基本的に、扶養強制されることはない。

ケース②:警察役所から「親が亡くなった」と連絡が来た

対応方法

• 「何年も連絡を取っておらず、状況を知らなかった」と伝える

葬儀遺品整理をする義務はないが、放置すると役所対応せざるを得なくなる

• 親の財産があるなら相続放棄検討する

相続放棄すべき?

• 親に借金がある場合自動的に子に相続されるので注意!

• 「相続放棄」をすれば、親の財産借金も引き継がなくて済む

相続放棄は「親の死亡を知ってから3ヶ月以内」に家庭裁判所手続きする必要がある

4. まとめ

✔ 親と絶縁していて、その後の状況を知らなければ法的責任を問われることはない

✔ 親が死亡しても、知らなかったなら遺体遺棄罪には問われない

扶養義務はあるが、虐待経済的事情があれば拒否できる

行政から連絡が来たら、「関係がない」「扶養できない」と伝えればOK

✔ 親の借金相続しないよう、必要なら相続放棄をする

結論:連絡を絶っていたなら、法的な責任を問われる可能性はほぼない。行政対応を利用し、無理に関わらない方法を選ぶのがベスト

2025-02-26

anond:20250226231615

その弱男とかいう言い方はあまり良いとは思わないが、死後の遺品整理や諸々の契約の解除は

専門にやってくれる業者がある。中年独身者生前契約しておくことが推奨される。

死のうと思った話

抱え込んでいた希死念慮が爆発した。

理由は友人とのいざこざ。

それだけが理由ってわけじゃなかった。それまでのいろいろが積み重なった結果、ここで爆発してしまっただけ。だからその友人に別に恨みはなかった。

ただ人生にもう希望が持てなくてとにかく「早く死ななきゃ」ってそれしか考えられなくなった。

未来でしていたいろんな約束があったし、好きなバンドライブもあったし、旅行に行こうねって計画も立てていた。

でもそんなの関係なかった。今まで死のうとしたときに私を押し留めていた「悲しむであろう両親」の存在すら、今回は私を止めるに至らなかった。

とにかく、死にたかった。消えたかった。いなかったことにしてほしかった。自分という存在を。

34歳になっても子供みたいに、何の取り柄も身につけられず、人と同じように上手く生きられないのがずっと辛かった。

 

 

まず遺書を書いた。

親宛、リアルの友人宛、ネットで一番の友人宛。

オタクだったので、各SNSサービスログインするためのパスワード記載して消してもらえるように頼んだり、パソコン問答無用破壊してくれと頼んだ。

親はネットに疎いだろうから印刷した。(私は文字が汚い)

友人へは、SNS自動投稿機能で読んでもらおうと思って、1週間後に自動投稿予約をした。

 

身辺整理をした。

見られて恥ずかしいもの普段から整理して捨てるようにしていたので、一日とかからなかった。

昔の落書きなんかはコツコツシュレッダーにかけていたのでほとんど残っていない。恥ずかしいものといえばパソコンの中身くらいか

あとまあ、昔友人と使ったアダルトグッズとか…これはいい機会だし絶対に見つかりたくなかったので即座に捨てた。

友人への遺書に、遺品整理を頼むと書いた。親ではなくてオタク友達遺品整理をしてほしかった。

整理していて次々に出てきた大事な物を見てもなんの感情も沸かなかった。感情が死んでいた。

 

死に方を考えた。

安易に、海が好きだから海に行きたいと思った。近くの海に行って、大量に薬を飲んで凍死しようと考えた。

薬局メジコンをたくさん買った。何も言われなかった。死ねなかったとき保険刃物を持った。とにかく、海がよかった。家で死ぬのは嫌だった。

これから一人でこの家で暮らさなければいけない母によけいなトラウマを植え付けたくなかった。

 

私が死んだあとのことを想像した。

何も変わらないだろうなと思った。時計は進むし、人は生きるし、死ぬし、地球は回るし。

私が死んでも一瞬驚けど何かが劇的に変わる人なんてこの世にいないと思った。

私が一番に好いている相手にとって私は一番ではないし、私に向けられた言葉なんて全部ウソだと思っていた。今でも思っている。

 

夕方、一度下見に来た。

海の近くの駐車場。案内看板を見れば、平日は夜間でも終日開放しているらしい。ラッキー

海を見に来ている人がちらほらいた。カップルヤンキー爆音音楽を鳴らし、缶コーヒーを片手に語り合うサングラスの兄ちゃんたち。

波が高く、風が強かった。思った以上に寒くて、これなら簡単死ねそうだと思った。

すぐ近くに雪捨て場があって、昼間の地熱で一部が溶けたのか洞窟のようにぽっかり空いた穴があって、少し怖かった。

 

家に戻って母が作った夕飯を食べた。最後になるのかもしれないと思った。タコライスみたいな何かだった。

配膳の準備をしながら私は泣きそうになっていた。必死に隠した。

なにか喋ろうと思った。死にたい、助けて欲しい、こわいって言いたかった。でも普段から積極的に話しかけることのない私に、そんな勇気はなかった。

笑い飛ばされたらどうしようって思った。夕飯中は録画していたイロモネアを見ながら母が笑っていた。

一緒にいると大泣きしそうだったので、できるだけ一緒に過ごそうと思ったけど、結局早めに食器を片付けて離脱した。

 

部屋に戻り、次の日に締切の仕事が一つだけ残っていたので、心残りにならないように片付けた。

母が寝たら出発しようと思って、遺書を机の上に置いて、薬とカッターを鞄に詰めた。

ペットに餌をあげた。部屋をできるだけ綺麗にした。何もかも最後になるのかもしれないと思いながら。

いのちの電話を使ってみようと思ったけど、ネットの評判を見てやめた。相談できる相手が私には一人もいないんだと思った。

 

24時になり、準備が終わった。鞄を持って、そっと家を出た。

コンビニで酒を買った。ODは酒で流し込むものだと学んでいたので。でも飲んだら運転できないし本当に帰ってこれないなとぼんやり考えていた。

最後おやつとしてピザポテトも買った。あんまり食欲はなかった。

妙に緊張しながら運転して海へ向かった。

 

夕方は人がいた広い駐車場も、こんな時間では当然のように私一人だけだった。

警備員さん的な人が居て怒られたらどうしようと思っていたが、本当に人っ子一人いない。電灯もない。真っ暗闇。

波がしぶきをあげて岩にぶつかっているのがかろうじて見える。夜の海は怖い。そして寒い

 

車を降りて、岩場を歩いて、テトラポット渡り歩く。子供の頃から好きな遊びだった。隙間から下を除いて、小魚カニを見るのが好きだった。

でも今は暗闇に包まれて何も見えない。足場の距離感も掴みにくい。通報されたら嫌だからライトはつけなかった。

座れそうなポイントをみつけて、そこに座り込んで、冷たい風をしばらく浴びていた。

正直恐怖心がすごかった。夜の海は好きだけど、この状況では恐怖でしかなかった。死ぬ恐怖に加え、海への恐怖も乗り越えなければならないことに、やっと気づいた。

手がかじかんだ。携帯を落としてしまいそうで、鞄の中にしまいこんだ。

 

無性に単身赴任で今は家にいない父の声が聞きたかった。数日前は帰ってきていたのに、そのときに話していたらよかったと思った。

電話をかける直前で悩んだ。遠くにいるのに困らせたくない。でも助けて欲しい。怖い。

 

結局どうしたかというと、体が冷え切るまで悩んだ末に、家に帰ることにした。酒は一滴も飲んでいない。

好きなバンドの曲を聞きながら、ガラガラ道路運転して、長いトンネルを抜けて帰った。

 

家に着いても死にたい気持ちがなくなったわけじゃなかった。むしろ死ねなかったことによる焦りを感じていた。どうしよう。

とりあえず酒を開けて、メジコン10錠を流し込んだ。少しでも気分が和らいでくれればいいと思った。

ポテチも食べてみようと思ったけど、一枚だけであとは脳が受け付けなかった。目がバキバキに冴えていて、ガンガン頭の中でなにかが鳴っている感覚が止まなかった。

 

動悸も激しくなった。バクバクとうるさい心臓を感じながら、布団の中で、youtubeショート動画を久々に見た。

ここ数日は本当に気分が暗くて寝る以外のことができなかったので、久々にSNS動画サイトゆっくり見てみた。

バカバカしいと思われるかもしれないけど、ショート動画で流れてくるお笑い動画が、私の心を楽にしてくれた。かなり昔にやっていたマッチョ4人組のコントが好きだったのを思い出した。

そして、私が落ち込んでいるのを気にかけてくれていた友人から遊びの誘いが来た。未来で遊ぶ約束をまた一つ、無責任に増やした。

 

ODによるものなのかもしれないけど、一時的に眠れる気分になったのでその日はそのまま寝た。

起きてから余った酒とポテチを食べた。仕事は昨日終わらせていたので、特にやることがなかった。

しばらくボーッと過ごした後、用意してあった昼ご飯を食べたが全部吐いた。過食嘔吐は癖になってしまっているので簡単にやめられないと思う。

その後母に頼まれイワシの手開きを終わらせて、予約投稿などを削除して今に至る。

 

なんのこっちゃと思われるかもしれないが、死にたい気持ちはまだある。なんの問題解決していないのだから

ずっと刃物を手首に当て続けている。首に縄をかけたまま。錠剤を流し込みながら。死ぬ準備は整ってしまった。遺書はまだ机の中にある。来週には死んでいるかもしれない。

でも今日は生きている。昨日、死ねなかった。何が私を生かすのか殺すのかわからないな、と思った。

 

この体験意味があると信じて、ひとまずはまた明日まで生きてみようと思う。

それだけ。

2024-12-03

断捨離で思い出した

学生時代に買い漁ったBL漫画が2、300冊くらいあるんだが飽きたので処分したい

でもまんだらけに持ってくの面倒くさいし、そもそも一人じゃ無理だし誰にも言ってないから頼める友人もいない

中古で買ったやつなんかも古くて買い取れませんって言われたらどうしよう

こうやって渋っている間に死んで親に遺品整理されるのも嫌だしな

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