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はてなキーワード: 火葬とは

2026-05-07

宗教に変じゃねもウンコもないけど、土葬じゃないとダメって変じゃね?

体が残ってないと審判の日に復活できないっていうけどさ

その復活した時の体、腐ってるよね?

さながらゾンビだよね?

バタリアンだよね?

バイオハザードだよね?

では、みんなが普通に抱いてる審判の日の復活のイメージでは、復活した時の体はどうなっているだろう?

そう、みんな、お肌スベスベ、髪はフサフサの、五体満足、健康なのだ

どれほど損壊していようとも、肉体は再生するのである

みんなが信じる神の奇跡ってこういうものでしょう?

つーか、死体が無いと天国行けないっていうなら、核兵器を落とされたりとかして死体も残らん殺され方をした人は天国に行けないのかって話でさ

どー考えてもこれ、実はまだ生きてるとかよっぽどのことがなければ火葬されても大丈夫なんじゃないかなー?

つーてもまあ、宗教だしね

どうせ死んでるんだしっつって自分死体エッチなことされるのが嫌なのと同じで、どうせ死んでるんだしっつって自分死体を燃やされるのは嫌だって感覚なのかも知らんので、ちょっと説得できないわな

[]ブッダ入滅仏教葬儀比較

ブッダの死は、なぜこれほど簡素だったのか ―― 原始仏教入滅と、現代仏教式」葬儀煩雑を問う

紀元前5世紀、クシナーラー沙羅双樹の下。80歳を迎えた釈迦ブッダ)は、右脇を下にした「ライオンの臥姿」で静かに横たわっていた。弟子アーナンダが悲しみに暮れる中、ブッダ最後の言葉を残した。

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
(パーリ仏典『大パリニッバーナ経』、中村元訳)

これがブッダ入滅パリニルヴァーナ)のシーンである。火が完全に消えるように、欲望と無明の炎が尽き、輪廻連鎖が断たれた瞬間だった。死後、遺体は7日間、在家のマッラ族の人々によって花と香で供養されたが、それはあくま簡素もの特殊な防腐処理も、死化粧も、豪華な棺も、念仏の繰り返しもなかった。在家の人々が香木火葬荼毘)を行い、遺骨(舎利)は8つに分けられ、ストゥーパ(記念塔)に納められた。僧侶比丘)たちは遺体の供養に煩わされず、ただ修行に励むよう指示された。これが、原始仏教における「死」の扱い方である

現代日本仏教葬儀との対比

一方、今日日本で「仏教式」と呼ばれる葬儀は、まったく異なる様相を呈する。

死後すぐ、遺体には防腐処理(ドライアイスエンバーミング)が施され、死化粧生前より整えられる。棺に納められ、通夜葬儀の間、数日間安置される。僧侶による念仏読経が繰り返され、家族親族が交代で付き添う。儀式が終わると、重い棺を男手で担ぎ、霊柩車という特別に装飾された車に詰め込む。火葬後、骨が残る。骨壺に入りきらない大きな骨は、骨折りと呼ばれる作業で割り、小さくして納める。

ここまで死体を維持・美化・儀式化する必要があるのか。

原始仏教視点から見れば、これは明らかな矛盾であるブッダは「諸行無常一切皆苦諸法無我」を喝破した。

死体無常象徴であり、執着を生むだけの「穢れ」だった。

長期間保存し、化粧を施し、特別な車で運び、骨を丁寧に折って壺に納める行為は、むしろ「死への執着」を増幅させる。ブッダ自身入滅後、弟子たちに「私の遺体にこだわるな。法(教え)を守れ」と諭した。火葬も、在家信者が行う世俗の習慣に過ぎず、僧侶が主導する儀式ではなかった。

なぜここまで煩雑になったのか

大乗仏教の「方便」が日本独自の家制度祖先崇拝と結びつき、江戸時代檀家制度で「葬式仏教」が完成した結果である

諸行は滅びゆく。
ならば、死体をここまで美しく維持し、儀式を延長し、特別な車で運ぶ必要は、本当にあったのか。


ブッダ最後の言葉は、今も私たちに問うている。

怠ることなく、無常直視せよと。

[]ブッダ葬式を望まなかった ―葬式仏教までの2000年

仏教は、元来「アンチ宗教」だった。

釈迦ブッダ)はバラモン教階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。

そして「生そのものが苦である」(一切皆苦)という現実直視する実践道を説いた。

金銭功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教思想大乗仏教の展開、そして日本独自歴史的必然を、独立した視点で整理する。

1. 原始仏教の核心 ―― 「反宗教」の喝破

紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教祭祀呪術金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦諸行無常一切皆苦諸法無我四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である

悟り涅槃)とは、欲望・無明・渇愛を断ち、輪廻の火を完全に消すことだった。

出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施自発的喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。

釈迦の教えは、死後の供養ではなく、現世の苦から解放に徹していた。

「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道から逸脱した邪見とされた。

この姿勢は、まさに「アンチ宗教」だった。

神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的個人解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。

2. 大乗仏教の登場 ― 方便による俗習化の扉を開く

釈迦没後約500年後、インド北部大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教個人解脱に対し、大乗菩薩道理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。

最大の武器方便(upāya)だった。

衆生能力文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律無神論性格が緩和された。

中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教儀礼と融合。死後供養・功徳回向積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩利他行を優先するようになった。

この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。

3. 日本での「葬式仏教」完成 ―檀家制度という政治的強制

仏教6世紀日本へ伝来したが、当初は国家鎮護貴族氏寺として機能した。飛鳥奈良時代僧侶葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。

転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれ庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。

浄土信仰の広がりと相まって、「死後も浄土往生」という安心提供した。

これが仏教民衆に近づけた「革命」期である

本格的な「葬式屋」化は江戸時代に確定した。

1630年代幕府キリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院檀家強制登録させ、寺が戸籍宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀法事戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士居士院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。

この制度は、幕府民衆統制という政治的必要からまれた。

寺院国家の末端機関となり、経済基盤を葬儀収入依存する体質が固定化した。

荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家から継続的布施必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。

4. なぜアンチ宗教葬式屋になったのか ―― 三つの必然

第一政治的強制

江戸幕府仏教キリシタン摘発の道具に利用した。信仰自由などなく、寺檀関係義務だった。

第二に文化的融合。

大乗方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。

第三に経済的必然

少子化以前から寺院布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。

結果、日本仏教は「生の苦から脱出」ではなく「死後の安心供給業」として機能するようになった。

浄土真宗のように法名簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派戒名料を伴う葬儀中心だ。

5. 現代への問い ― 原点回帰可能

今日、寺離れ・直葬火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲増長させるだけで、涅槃の道ではない。

大乗方便は、仏教世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。

ブッダは、死後の儀式ではなく、今この瞬間の苦を観察せよと説いた。

アンチ宗教精神を忘れたとき仏教は単なる葬儀屋となる。2000年歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。

2026-05-06

親の葬式で思ったこ

母が亡くなったのが2015年

父が亡くなったのが2024年

同じ葬儀社でお世話になったが、葬式の時は打ち合わせでどんな棺にするとか骨壺選びとかご遺体の処理をどうするかを選べたりする

カタログだったり表のようなものを見ながら葬儀社の人が説明をしてくれるが、時代の流れなのかと思ったことがひとつあった

2015年はご遺体に対しての処理でドライアイスを何時間分入れるか、というのが選択肢として選べたが、

2024年の時にはエンバーミング死体防腐処理と翻訳されるらしい、直接的!)しか選べないようになっていた

コロナウイルスが大流行した2020年前後でそうなったのかなと勝手に思っている

2022年の時に祖母葬儀でお世話になった際には

「中には別れがつらくてお別れする方に頬ずりをされる方もいる。衛生的な視点でみるとかなり危険行為なので、リスクを減らすためにも今はエンバーミング必須

という説明を受けた たぶん他社と比べると安いほうだったと思うが(記憶違いでなければ九万円だった)いやいやいや、九万でかくね?

でも納得できる部分もあったりはする

頬ずりこそしなかったが、確かに最後棺の蓋を閉めるとき自分も少しだけ体に触れたので、衛生的な観点エンバーミング必要なのだろうなと感じた

エンバーミングってしっかりと遺体に処理をするのでもう本当に亡くなってしまったんだなと悲しくなってしまうが、ドライアイスよりはしっかりと遺体に対してのケアを行ってくれるので、

本当に眠っているみたいな感じにしてくれるし、目も口もしっかりと閉じてくれるから見送る側にとって穏やかな気持ちでご遺体を見れるってのもあったりする

日本だと海外のように土葬はしないので、(しかも三日ほどで火葬されることも多いと思う)エンバーミングしか選べない!というプランにしなくてもよいような気もするが、

ドライアイスのみだと遺体状態が悪くなるのがわりとしっかりわかって怖かった記憶もあるので、エンバーミングメリットちゃんとあるよなとも思う

せめて自分死ぬとき保険なりで葬儀代くらいは残したいなあという結論で終わる

2026-05-05

セーラーマーズのわざ2

バーニングマンラー

周りに8個くらい炎がボボボと魂みたいに浮かんだあと気円斬みたいに飛ぶ

マンダラーは曼荼羅というわけかんねーけど仏様のパワーらしい

神社仏閣を併せ持つ恐るべき攻撃で敵を成仏(火葬)するのかな

2026-05-04

火葬で燃やされた人骨はセラミック化されるため土に還るまでに数百年かかる

普通の人骨なら土葬で100年もあれば土に還るのに…

やっぱり土葬にした方がよくないか

2026-05-01

anond:20260501164302

手続き主に誰がするか
死亡確認・死亡診断書医師病院
異状死・孤独死確認警察監察医
死亡届親族、同居者、家主、管理人後見人
引取者なしの火葬・埋葬市区町村
身元不明・引取者なしの公告市区町村
遺産借金清算家庭裁判所が選ぶ相続財産清算
残余財産の処理特別縁故者への分与、または国庫帰属

死亡届は、最終的には市区町村の長が代理で出すことにもなる。

2026-04-26

日本人ゾンビになる方法とは?

日本人火葬からゾンビになりにくいよね

からチャンスは、死んでから火葬されるまでの安置期間!

この間にゾンビにならなきゃ燃やされちゃう

死んで安置されたら、早速呪術師を呼んで呪いをかけてもらおう!

するとゾンビになれるよ

それか、生きてる間にゾンビに噛まれ方法もある

でもこれだと外国からゾンビを呼ばないといけないので難しい

ゾンビ税関を潜り抜けられるとは思わないからね

だったら呪術師を呼ぶ方が早い

あとは呪術師を探すだけ!

幸い、海外には呪術師がたくさんいる

ゾンビブームビジネスが盛んなんだよ

渡航費+30万円でゾンビになれるよ(追加1体につき10万円)

実は、私も呪術師やってま〜す!

ゾンビになりたい人は、コメントください!

今回の報酬の一部は、はてな11億円詐欺寄付に充てられます

2026-04-22

若い娘の自殺

火葬場に行くまでに

知らんおっさんどもにスッポンポンの体みられて

めちゃくちゃ触られると教えておくと

減るのでは

2026-04-21

ペットの死は親の死より悲しいらしい

この前、実家の犬(18歳、大往生)が亡くなり、ペット火葬業者火葬依頼をしたときに、

父・母・火葬業者のおじさんの3人で、

自分の親が死ぬより辛い……。」

と落ち込んでいた。

それを見ていた妹がその後でこっそり私に、

「じゃあ私も父さんと母さんが死ぬ時は、○○ちゃん(犬)より悲しくないって……コト?」

と言いに来た。

そうかもしれないけど、

人間死ぬ火葬以外に諸々の手続きで慌ただしくて、悲しみを感じるだけじゃないからかもなぁと、

犬が遺した首輪おもちゃを見て思った。

2026-04-19

バニーガーデン2のナツアチチで思い出したこと

これを書くことが何のためになるのか、何の意味があるのか全く分からないけど、書いていた方がいいと思ったんだ。


いや、自分だけかもしれないけどさ、送り火迎え火全然やってないんだよ。

今更気づいたんだけど、ここ10年やってないんだよ。

実家に菩提も無いのが理由だけどさ、あまりにもやってなくないか…?って。

自分もこれをナツアチチから思い出したこととは到底思えないけどそのまま話すぞ。

でも、そもそも送り火迎え火って何だ?」って思った人もいるよな。

俺も母方の家が田舎にあって親戚多めじゃなければ絶対知らなかった。

盆に京都大文字ってあるだろ。あれが送り火だ。盆に地獄の蓋が開いて、そこから先祖様が現世にバケーションにやってくるのだけど、ご先祖様の宿泊先は家なんだよな。

それで場所が分からないとおそらくご先祖様が困るから、家の前で火を焚いて「ここだよ~」って教えてあげる必要があるんだよな。

でも「オートロック付きマンションに菩提や仏壇があって、ご先祖様を迎える必要があってもマンション下で迎え火やったら何号室かわからないんじゃないですか?」とか

そもそもどれも同じ煙で差別化できなくない?そもそも地獄なのに空から見る前提になってない?」とか不安になるよな。

わかる。でも大丈夫らしい。それで盆の初めは迎え入れる迎え火、盆の終わりはさよならを告げる送り火を焚くんだってさ。

でも自分の家に仏壇や菩提がなければ、ご先祖様の宿泊先にはならないから盆に火を焚く必要はないんだよな。

それに、家の宗教仏教でなければ身近な文化行事じゃないかもしれない。

から行事的に経験がない人がいて当たり前というか、まあそうだよという部類ではあるんだよ。

あと、世の中的に葬式をあげられることも普通じゃなくなっていることも。CMでも小さなお葬式って流れてくる。

あれもちゃんパッケージングされてて聞こえがいい。ただ、世の中的には人の死にお金をかけられる余裕がわりと本当に無くなってきているんだろうな。

それなのに街ではキラキラトラックや壊れたカセットテープかと思うくらい同じメロディーを流すミニトラックが走ったりしててさ。

エピクロス主義をかじった人間めっちゃ現世利益に講じているんだわ。

焼きが間に合わなくて火葬場の予約が取れない中さ、あのトラックが横を走っていったんだよ。正直笑えたよ。

何なんだろうな、この感じ。

葬式対象となった人物好きな人間ではなかったんだ。

幼い頃に沢山世話にはなった。けれどもどうしても相容れない部分があった。

そうした人間葬式を執り行う側になった時にすごく難しい気持ちが湧いてきてさ。

これで終わる、という気持ちとついに逝ったか、という気持ち。どっちも同じじゃねーかバカヤロウって思ったけど、絶妙に違うんだよ。

…書けねぇこと書くんじゃねぇよバカヤロウってビートたけしに言われそうだ。

何だか今、どこか死んでいく人間葬式やそうした文化の間に馴染みを感じられないんだ。

とにかく今、葬式何だか疎ましいもののように感じているんだ。これはほんとうに必要ものなのかと。

顔を合わせるのが十年ぶりの親戚もいるわけだ。

さらに突っ込んで言えば、親戚筋と最後出会ったときに、自分は半ば引きこもりだったから、その当時の記憶を持ち合わせている人間対峙する必要があって、それに骨が折れたというのもある。

社会復帰しました、という体というかこの身で培ってきた能力すべてを差し出す必要があって、それに苦慮するのだ。ほんとうに気苦労した。

から葬式は嫌いだ。

だけど絶妙当事者であるが、ほんとうの当事者ではない立場から葬式であって、全部飲み込むのが筋だろう。

ほんとうに、ほんとうに身近で世話になった人との別れにはこんな言葉は出てこない。

こんなやわな舐め切った言葉は出てこないのは分かってる。それだけは有り難いと思っている。これはきっと準備をさせていただいているんだろうなと思っているんだよ。

今回は親が喪主を務めて費用負担もした。それだけの経済的負担能力があるから喪主が務まるんだよなと改めて実感した。

今回の葬られた者は遺産を何一つ残さなかった。死ぬと金がかかって仕方がないものなんだと痛感した。けれども今できることは喪主となってまた数段年を食ってしまったんじゃないかと思う親の肩もみくらいだった。

正直、ここに書くのも情けない話なんだ。俺も経済的負担をできる人間であればもっと胸を張っていられたと思う。何というか、すごく恥ずかしかった。それは親戚筋にも、親にも、自分自身にもだった。

最後にあの人について、一つ言わなくてはならないことがある。

それはこの人生という途方もない時間を、自ら降りることなく過ごしたことは何であれ賞賛に値する、ということだ。

望むと望まざるに関わらず人間として有機体を持って生まれ落ちてきたんだ。その時点で滅茶苦茶に暴力的じゃないか

途方もない時間を過ごしてさ、通説ではいい時と悪い時があるらしいけど、それでもむしろ悪いことの方が圧倒的じゃないかと思わされる現実だよ。

それを身一つで往生したこと、そのことだけはまだ命が残っている者としてちゃんと香を上げるべきだと思うんだ。

自分がもうそちら側に片足を突っ込みはじめているというのに、今更先祖を敬うとかそういうことを再考する必要が出てきてしまった。

嫌なことだね。何もかも昔のまんまだったら、こんなに苦しむこともないのにさ。でも昔のまんまだったらもっと悲惨だったろうな。

そんな気持ちになったんだよ。春だって言うのにさ。

2026-04-16

不妊治療が終わった話

結論から書くと不妊治療は終わった。結果として2人の子供を授かることができた。妻は妊活から子供を3人欲しがっていたが、今日、3人目を目指して最後に残っていた受精卵が着床せず、3人目の可能性はなくなり、うちの不妊治療はすべて終わった。

妻は40代半ば、自分は30代後半の5歳差夫婦だ。これは自分の記録の掃き溜めでもありつつ、どこかの誰かの参考になるかもしれないと思って深夜に書いているだけのものだ。読み物としてのログだが、結果的に多少の資料的な価値はあるかもしれない。

やり切ったという達成感は特にない。ただ終わったという感覚に近い。妻は3人欲しいという意思をはっきり持っていたし、その気持ち理解している。ただ現実として負担が大きいので、途中で何度も本当にやるのかという意思確認はしていた。金銭的な負担だけでなく、身体的な負担や、今いる子供たちを含めた生活キャパ問題もある。それでも最終的には受精卵を全部試すという方針で進めた。

妊活初期は、まず自然妊娠を前提にした一般的方法で試していた。タイミングを見て性交するという形で、特別医療介入はまだ入っていない。この状態が約1年続いたが結果は出なかった。この期間を通しても妊娠には至らず、徐々にまだ時間必要という感覚というよりも、そもそも自然妊娠の成立確率自体が低いのではないかという認識現実側に寄っていった。

その後、妻が不妊外来受診する判断をした。この判断について自分特に止める立場ではなく、進めるなら進めるというスタンスで、治療へ移行すること自体はそのまま受け入れている。受診後に各種検査や問診が行われ、その経過と結果を踏めて、医師からは体質的自然妊娠確率は高くない、もしくはかなり厳しいという評価提示された。

この評価を受けて、妊活自然経過を待つ段階から医療的なステップを前提とした進行へ切り替わった。排卵誘発などの軽い介入からまり、段階的に治療が進む流れになった。その過程で、医師から受精卵を事前に複数確保しておくという方針についても説明があった。年齢的な要素を踏まえると、若いうちに採卵して受精卵を可能な限り確保し、それを時間をかけて順番に移植していく方法合理的だと判断し、この方針採用した。

妻が30代後半のうちにこれが最後のチャンスだろうということで受精卵をまとめて作った。若いうちに数を確保した方が確率が上がるという考えは自分から提案したが、医師見解や妻の意思も踏めて相談の上で進めた。最終的に実行するかどうかを決めたのは妻で、実際に身体的な負担を引き受けたのも妻側になる。

目標として10個程度の受精卵を確保するという計画を立て、採卵を進めた。実際には採卵の効率一定ではなく、想定よりも難易度の高いプロセスになった。結果として、この採卵フェーズ身体的にも精神的にも最も負荷が大きい期間となり、時間や労力ともに最も密度の高い工程だった。

確保した受精卵の移植を始めて、最初の方で1人目が生まれた。全部で10個弱あった受精卵を、時間をかけて一つずつ戻していった。当然ながら治療は妻だけのものではなく、毎回同意書を書いて精子提供もしているので自分当事者ではある。ただ身体的な負担の大半は妻側にある。

子供が生まれると周囲の反応はかなり変わる。もともとかなり悲観的なことを言っていた親も、子供の顔を見せた途端に態度が柔らかくなって普通に笑うようになった。頼んでもいないのに金銭的な援助や贈り物も増えた。妻も不妊治療中はかなり情緒不安定だったが、出産後は単に不満を言う程度の状態に落ち着いた。波はあるが、いわゆるメンタル的な不安定さはかなり軽減された印象がある。

周囲の扱いも変わる。子供がいるという事実だけで前提として理解されるようになる。妻は不妊治療の段階で職場説明して配慮を受けていたが、自分特に説明していなかったので、子供が生まれから一般的な子持ちとして扱われるようになった。育休も積極的に取るように勧められた。職場環境による差はあると思うが、少なくとも自分の周囲では取得はかなり前向きに受け入れられている。妻は育休を制度上の上限まで取得した。

途中で後期流産もあった。半年以上妊娠が続いた状態での流産で、手術で取り出して、小箱に入れて、そのまま葬儀火葬までやった。死亡届も必要になる。妻はその後しばらく精神的にかなり不安定状態が続いて、落ち着くまで時間がかかっていた。自分は正直そこまで感情が動いたわけではなく、状況として受け止めていた。その温度差はあったと思う。

初期の流産経験している。こちらは家で大量の出血とともに排出される形で、血の塊のようなものが出てくる。見た目としてはかなりショッキングだったし、その後の回復に数ヶ月かかった。流産といっても一種類ではない。

前提として、年齢によって妊娠難易度リスクは変わる。一般的に言われているのは、加齢によって卵子の質が低下することで、妊娠しにくくなるだけでなく、染色体異常の確率も上がるという点だ。ダウン症などはその代表例として挙げられることが多い。このあたりのリスクをどこまで許容するかも含めて、不妊治療や出生前検査判断に影響してくる。

NIPTも受けた。母体血液を採って、その中に含まれ胎児由来のDNAから染色体異常の可能性を調べる検査だ。比較安全に受けられるが、あくまスクリーニングで確定診断ではない。この検査の段階で、夫婦間でかなり強い意思の非対称があった。妻はどんな結果であっても産むという前提で、検査のもの必要性も低いという考え方だった。一方で自分は、結果によっては堕胎せざるを得ないという考えだったため、検査意思決定の前提として必須だった。

自分がそう考えた理由は、ダウン症などによる早期死亡の可能性や、育児難易度が跳ね上がることによる家庭崩壊リスク無視できなかったからだ。子供生存確率や、残された家族生活破綻するリスク計算に入れた時、自分にとって検査なしで進むことは選択肢になかった。

そのため検査自然合意ではなく、自分が強く必要性を主張し、お願いして折れてもらって実施したものになる。陽性判定が出た際のその先の選択について合意がないまま情報けが増えていく状態だったことが一番のリスクだった。

この構造は単なる医療判断ではなく、結果次第でどちらかの価値観を強く否定する可能性を含んだまま進んでいた状態だった。振り返ると、検査のものよりも検査後に合意存在しない状態が続いていたことが構造的に危うかったと思う。

結果としては、検査を通しても夫婦関係破綻することはなく、また子供はいずれも染色体異常なく出生した。ただこのプロセスは、運良く無事に収束しただけで、意思決定構造としてはかなりギリギリラインを通っていた感覚がある。

不妊治療はこうした個別判断だけでなく、全体を通してコストが重くのしかかる。NIPTだけでも20万円前後、採卵や体外受精移植それぞれでも数十万円単位費用が発生する。非認可で安いものもあるが、方式や精度がバラバラで、医療からはかなり批判対象になっている印象だった。

それ以外にも細かい費用が多くて、全部は把握しきれていない。補助金を受けるための書類を書いてもらうだけで3000円くらいかかることもあって、そういうものが積み重なっていく。正確に記録しているわけではないが、補助金保険適用を含めた上で、純粋な手出しの総額としては300万円前後、もしくはそれより多少上振れている可能性もある。

不妊治療については、治療内容や年齢などの条件によって国や自治体の補助を受けられる場合がある。適用されると体感3分の1から半分程度まで費用が下がるケースもあった。ただ制度変更の過渡期だったこともあり、条件や対象が頻繁に変わっていて都度調べるのがかなり面倒だった。一番費用がかかっていた時期は確定申告医療費控除も使っていた。受精卵の凍結保存にも費用がかかる。採卵のロットごとに保管費用が発生し、年間で5万円前後だった。

不妊治療想像していたよりずっと時間がかかる。生理周期に合わせてしか進められないので、採卵も移植も1ヶ月単位しか試せない。採卵だけでも半年から1年近くかかったと思う。1回で取れる数はまちまちで、取れる時もあれば全く取れない時もある。それを繰り返して受精卵を集めた。全体としては数年単位の話になる。

受精卵の数がそのまま試行回数にはなるが、試行の頻度や速度には強い制約がある。妊娠出産流産いずれの場合回復期間が必要になるので連続して試せるわけではない。結果として全てを試し切るまでに想定以上の年月がかかる。通院も多く、週1ペースで電車で専門クリニックに通っていた時期が長かった。金額以上に時間コストも大きく、生活長期間固定される。

妊娠出産自体普通にリスクがある。うちは2人とも帝王切開だった。妻の体質的理由もあって自然分娩よりそちらの方が母体子供リスクが低いと判断されたためで、結果としてその選択になった。帝王切開医療としてはかなり確立されていて安全性も高いと説明されている。ただし当然ながら身体への負担は大きい。術後の傷も見ているし、テープでのケアを続けながら半年近く痛みが残る状態だった。

こういう回復期間も含めて、不妊治療は思った以上に時間がかかる。実際に想定より時間はかかっていて、気がつくと当初考えていたよりも年齢が上がった状態での出産になっていた。始めるなら早い方が選択肢が多いというのはこういう意味でもある。

個々の処置については安全性の説明があるが、回数が増えれば当然母体への負担は累積する。そのため後半になるほど、同意書にサインするたびにリスク確認と本当に続けるのかという意思確認は何度も行った。身体負担を負わない側としてブレーキをかける役割自分しかいないが、最終的には後悔しない選択として妻の意思を優先する形になる。自分には身体的な負担はない。当たり前だが主役は女性側で、自分は直接的にしんどいことは何もない。

ただ見ていて大変そうではあったので、その範囲でできることはやっていた。葉酸を買って飲んでもらったり、食事で気をつけるべきことを調べたりする程度ではある。できることはその程度で、あとは妻が話したがっている時に話を聞くことくらいだ。他には何もできない。負担の大きさ自体はどうしても非対称になる。

自分スタンス最初から変わっていなくて、できたら運が良いし、できなくても仕方ないというものだった。やるかどうかは基本的に妻の意思で決めることだと思っている。このスタンスプレッシャーをかけない意図だったが、温度差として受け取られることもあって衝突はあった。こういう場面で論理はあまり役に立たない。

不妊女性だけの問題ではなく、男性側の要因もある。自分運動率や数の指摘は受けた。検査をしないとわからないことが多いので、子供を考えるなら早めに検査を受けた方がいいと思う。卵子の年齢はかなり影響が大きい。

不妊治療を終えて思うのは、お金補助金などの制度もあって致命的に困るほどではないということだ。それよりも、時間と体力は明確に有限であり、そちらの損耗の方が遥かに大変だった。生理周期に縛られ、通院に拘束され、身体的なダメージから回復を待つ。失われた時間は二度と戻らないし、削られた体力もすぐには回復しない。この有限なリソースをどう配分するかという視点こそが、治療を続ける上では最も重要だったと感じる。

こういう話を一通り経験して思ったのは、そもそも知識として知られていないことが多すぎるということだった。体外受精や顕微授精といった選択肢受精卵の凍結保存、着床前や妊娠中の検査、補助の条件。知らないと普通に取りこぼす。職場環境によって難易度もかなり変わる。男女や夫婦間での考え方の違いも大きい。どこまでやるか、どこでやめるか、どこまでリスクを取るかは事前に想像していないと普通にぶつかる。

こういう情報当事者になる前に一度体系的に知っておいた方がいいと思う。選択が変わるわけではないかもしれないが、早く動けて結果が変わったかもしれない。結果が同じでも妻の身体的、精神的な負担は軽減できたかもしれない。これは義務教育で教えるべき話だと思う。

受精卵をすべて使い切って終わった。やれることはやったというより、やれる範囲のことをやって結果が出ただけという感じに近い。運の要素も大きいし、コントロールできる部分はそこまで多くない。

ここまで書いたのは、自分の整理でもあるし、これから考える人が何か判断する時の材料になるかもしれないと思ったからだ。別に正解を押し付ける気はない。

生々しい話だと思うが、これが現実だった。読みたい人だけ読めばいいし、勝手に参考にすればいい。

2026-04-08

1ヶ月

母が亡くなってちょうど1ヶ月

早かったような。長かったような。

まだ、居なくなったのが信じられない。

どっか出かけてるだけで帰ってくるんじゃないかって

亡くなった後、一番最初にお線香をあげたのは俺

葬式手配したの俺。納棺も立ち会った。

火葬炉に入れるのも、出てきたのも見た

お骨もまだ家にある。でも、なんか信じられない。

亡くなったのは分かってるけど。

なんか居るんじゃないかなって。

霊でもいいから居てほしいって思うけど。

一瞬は思うけど。

迷っては欲しくないので。安らかであってほしい。

2026-04-04

anond:20260404062634

😟馬鹿ですかアンタはそんな一人に一回しかない火葬よりも全世帯事業所ほとんど毎日あるゴミ焼却のほうが大問題でしょ!!なんなら遺体だって焼却場で火葬しちゃったらいいんだしぜんぜん問題にならない

原油・ナフサ不足で個人的心配していること

末期がんで入院中の老親がいる。

腎臓もほぼ機能してなくて、人工透析を受けてる。

チューブなどの医療機器供給が滞って、透析を受けられなくなるのは仕方ない、覚悟してる。

心配してるのは、いよいよ原油が足りなくなって、オイルショックの中でお迎えが来たとき、無事に火葬できるのかってこと。

タイあたりでは既に火葬が難しくなってるらしいんだよね。

冷凍するにも保管施設には限りがあるだろうし。どうなるんだろうな。土葬

2026-03-31

anond:20260331050903

火葬の棺は、燃焼時に有害物質が出ず、遺骨を傷つけない「燃えやすい素材」が基本です。主に木材(桐・檜・杉)、布で覆った布張棺、環境に優しいエコ棺(紙・ダンボール・い草)の3種類があり、故人の好みや予算環境への配慮で選ばれています

ダンボール棺とかなら安そう。葬式とか墓とかもうみんななかよく共同墓地に遺灰撒くとかでええやろ、と思ってる俺ですら若干どうかと思ってしまったが。

2026-03-20

anond:20260320112341

手に職あったら関係あるか?

火葬だってシステム入ってるだろうし

俺たち作ってんのは止まると一番困る部分だろ

anond:20260320112036

手に職あるSEではあるがエネルギー不足で他所の国じゃ火葬場まで火の車というニュース見て悲観してしまったのよ。

2026-03-18

葬式だった

11日に母さんが急に亡くなって

どうにかこうにか本日お葬式が終わった。

話には聞いてて、実際体験して思ったけど

葬式ってのは残された方が区切りをつけるためなんだなと。

少し気が楽になってちょっと食欲とかも出てきた。

棺に入れたいものについて

葬式は昨日とにかく棺に入れてあげたい物を引っ掻き集めて

なんとか好きな物をたくさん入れてあげれたと思う。

好きな、っていうとちょっと違うんだけど

とある事情で買った香水があったので

よくよく考えたら体にかけてあげても良かったんだけど

私はハンカチに吹き掛けて棺に入れてあげた。

そうしたら、親戚の子で母が何かと可愛がってた子が

すごく良い香りからなんていう商品か教えて欲しい、と。

これ、ライブグッズなのよね・・・

母さんととある人のライブにしげしげ行ってて

香水売ってる。どうする?ってなって

どんな感じなのか買ってみたいよね!ってやつでした。

事情説明して買えないんだよねって話をして。

でもまぁ、これは私が香水を棺に入れたの気付いたからだし、

気付いてくれたのはとても嬉しい。そう言ってくれるのならと

まるごと全部あげた。私が持っててもしょうがないので。

遠慮してたけど、せっかくだからと渡した。

母さんもたぶん喜んでると思う。



音楽について

母さんは、スティーブ・マックイーンという俳優さんが大好きだ

誕生日ポスター買ってあげて部屋に貼ったりしてた。

冗談で「死んだ時は葬式大脱走テーマかけてあげるよ」

とか言ってそれに「大脱走はやだ。荒野の七人がいい」

とか冗談言ってた。

本当にやるつもりはあったけどこんなに早いとは。

葬儀屋さんに好きな曲をいくつか伝えて

そのあたりは適当にお願いします。

ただ、出棺の時だけは必ず「荒野の七人」の

メインテーマをかけてください!と念押ししておいた。

式場に着いたら「母さん!」って感じの曲が流れてた。

葬儀屋さん、さすがプロ・・・。ってなった。

ライブで一緒に聴いた曲とか流れて涙が出てきた。

で、出棺の時。ほんとうに絶妙タイミング流れる

荒野の七人のメインテーマ

めちゃくちゃ泣いてしまった。タイミング良っ!

映画、一緒に見ておけばよかったと思ったけど

大脱走最近一緒に見たんだよなぁ。

ちなみに、流れてた曲がポップな感じの曲で

お坊さんが「ん?」ってなったらしいけど

戒名つけてもらう時に色々話してたから納得したって

言ってたのが印象的だった。

お骨について

正直なところ、一番重圧を感じていたのがここだった。

火葬後に骨壷に入れるのは何度かやったことある

でも、その前の、火葬した直後の状態を見るのははじめて。

形がそのまま残るって聞いてて自分が耐えられるのかなと思った。

でも、実際露骨に形がそのまま、って感じではなかった

そういうものなのか。まあ、そりゃそうか。

で、骨壷に入れる時。最後頭蓋骨付近を入れる時。

あっ。母さんのおでこだ。

頭撫でたり、白髪がどうだとか言った時、

頭痛い時に揉んであげたりした時にみた

母さんのおでこだ。

悲しい。悲しくはあるが。母さんだ、ってなった。



これから

葬式終わって少し気が楽になったけど親戚から言われた。

その人は割と若くしてお母さんを亡くしてる人で。

49日終わるとガクッとくるから気をつけろ、と。

今はまだお骨が家にあるからやってあげられることはあるというか

まだ途中みたいなかんじなんだろう。

でも、納骨するともうやってあげられることはない。

そう思ってしまって寂しくなるらしい。

なるほどと。今から気を張るまでは行かずとも

そのあたりで来る可能性があるのを知っておけてよかった

これから考えなきゃいけない現実的なことはたくさんある

葬儀代の支払い。保険請求。口座とかの手続き

最後遺産相続相続税がかかるほどは何も持ってない筈だけど

仕事も休んでしまっている。

派遣社員として働いているのだが、派遣先の人が

家族を最優先に考えてくれて構わないといってくれてて

本当にありがたい。甘えすぎるのはダメだけど。

早めに復帰したいけど、役所に行ったり手続きしたり、

あとは父さんのこれからの色々を考えないといけないか

申し訳ありませんが、少しだけお言葉に甘えさせてもらいます






あーーーーーー、宝くじ1等ウン億円でも当たらないかなーーーーー!!

2026-03-14

祖母名前論文に残って国会にも出た話

https://togetter.com/li/2674507

これを見て思い出したので書いておく。


ワイのばあちゃんは、膝に人工関節を入れていた。それもかなり初期のもの

それを60直前で入れて、100超えまで生きたので40年以上使っていた事になる。


手術した当時、人工関節を入れることのできる病院地元にはなかったので、ある地方都市先進的な病院にて手術がされた。

そのため、日常的なかかりつけは地元病院だったが、年に1回、数百キロ離れた病院まで見せに行っていた。

最後の頃は体力的にきつくなっていたが、旅行も兼ねて、途中で温泉に一泊して、3泊4日の日程で通院していた。

そこまで通院していたのは理由があって、人工関節置換が日本でおこなわれるようになった初期の事例で、なおかつ当時から詳細に途切れずに記録が残っている例というのがかなり珍しく、若い頃に入れたために使われている年数が非常に長い、ということもあって、病院からも強く要望されていたのだった。


そんな祖母が死んだ。診断は「老衰」。昔なら多臓器不全という言い方なのだろうが、当時は「老衰」と書いてくれるようになったころだ。気がつけば15年以上まえになるのか。

祖母遺体は、本人の遺言生前の手配の通り、人工関節を入れた病院から迎えが来て、検体として送られることになった。

そういして、40年以上使われた人工関節は取り出され、また周りの様子もキッチリと記録され、さらに通院記録病歴なども完全に提供され、一週間ほどして帰ってきて荼毘に付された。

そのため、祖母火葬された後は、片足の骨が半分以上なかった。


そのかわり、祖母情報は、医学論文にされて公開され、世界的にも珍しい貴重な長期観察例として掲載されることになった。

なんなら、国会で取り上げられたことすらある。

現在でも、多くの論文リファレンスとして採用され、これを根拠に様々な人に人工関節置換術が施され、多くの人のQOLを向上させている。

もちろん本名は出ていないので、名前が残ったというのはちょっと盛っているわけだが。


一つ言えることは、若い頃に人工関節置換術を決断していなかったら、間違い無くこんなに長生きはできなかっただろうということだ。

一方で、医師は当時、おおよその寿命15年といっていたらしい。その頃にもう一回手術が必要になるかもしれないと。しかし実際には行われず、40年十分に、大事につかって保ったのだった。

病院にかかることに躊躇がなく、ちゃんと記録していて病院の使い方を良く知っていたか長生きが出来たのだと思っている。

ワイもそんな風に生きれたらと思う。たぶん無理だが

2026-03-09

寧ろ土葬デフォルトであるべきだろ

最近イスラムフォビア理由土葬が反対されてるのを見るけれど

寧ろ土葬の方がデフォルトであるきじゃない?

だって火葬ってあまりに野蛮で残酷もの。生きてる人間を焼くのが駄目なのに、なんで遺体を焼くのは当たり前のように受け入れられてるんだよ。

死ねばもう人間じゃないとか言い出すなら、人肉を食うのも認められなきゃおかしいだろ。

意味分かんないし認められてる理由が分からない。

挙句の果てに食べ物みたいに骨を箸でつまむだなんて、未開の蛮族の風習しか思えないよ?

本当に気持ち悪いし頭おかしいと思う。

火葬土葬スタイルの違いに過ぎないけどな

洋ドラゾンビものとかだと、火葬は「死んだ人へ鞭打つような野蛮な埋葬方法」みたいな扱いだし

文化の違いよ

2026-03-08

火事で死んだ人もやっぱ火葬すんの?

ダウン攻撃って事?

2026-03-05

anond:20260305010656

その雰囲気の正体を教えるね

葬儀屋・・・何の資格必要ないせいで反社フロントぼったくり会社が多い

火葬・・・心霊写真がたくさんとれるせいで写真撮影禁止になってる。それくらい霊魂が多い


結論

死の雰囲気とは全く関係がない

死に関する仕事の独特の雰囲気が忘れられない。

何回かの葬式経験してから、暇さえあればずっと葬儀場や火葬場の求人ばかり調べている。

死というものに向き合う独特の雰囲気っていうのにもう少し触れたくて、でもそう思って仕事に就くのは不謹慎で不誠実にも程があるのでやめにしている。

なんかそんな日々を過ごしている。

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