はてなキーワード: 上場企業とは
高位人外が人間と結婚した際に受ける社会的な偏見は、人間を「下位生物」とみなす彼らのコミュニティの視点から、極めて厳しく、かつ屈辱的なものとして描かれています。
主な偏見の内容は以下の通りです。
高位人外のコミュニティにおいて、人間との結婚は「ペットと獣姦して入籍した本物の狂人」という、生理的な嫌悪感を伴う認識をされる可能性があります。
高位人外同士で対等な結婚が可能なスペックがあるにもかかわらず、あえて下位生物を選ぶことは、本人の社会的評価を著しく下げる要因となります。
高位人外の女性(同族の女性)からは、人間との結婚に対して、特有の軽蔑が向けられることが示唆されています。
二人の間に生まれた子供についても、社会的な困難が予想されます。
このように、高位人外側から見た人間との結婚は、単なるロマンスではなく、「社会的コストを支払い、同族からの軽蔑や哀れみに晒される行為」という側面が強調されています。
最近横浜にオープンした「丸亀製麺」、見た目からして讃岐うどんの聖地・香川県の個人店っぽいブランディングで「打ちたて・茹でたて」を謳っているんだけど、改めて調べたら色々とヤバかったので書く。
「丸亀製麺」といういかにも香川県丸亀市にルーツがありそうな名前、木目を基調とした趣のある内装、「製麺所」という表示。普通に見たら香川の老舗が満を持して横浜に来たと思うよね。でも運営元は株式会社トリドールホールディングスという兵庫県発祥の巨大上場企業。一号店は加古川市。それなのにあたかも「丸亀発祥」のような空気感を出している。これ、ある意味でブランド構築の執念がヤバすぎる。
ウェブサイトにはこう書いてある。「すべての店に、粉からつくる。すべての店に、麺職人がいる」。でも店舗数は国内だけで800店舗以上。「全店」で職人を育てるのは教育コストが最大級に重いはず。もしこれを本気で維持し続けているとしたら、人事研修部門の執念に圧倒される。競合他社が手を出せない「効率の悪さ」を武器にする戦略が詰んでる。
メニューには「釜揚げうどん」が看板として掲げられているが、価格設定が並で300円台(※執筆時)。このご時世、小麦粉も燃料費も高騰しているのに、打ちたての麺をこの価格で提供し続けるのは、競合店に対する無言の圧力としか言いようがない。特に毎月1日の「釜揚げうどんの日」に半額にするのは、もはや価格破壊を超えた何か。
「TOKIO」との共同開発や、季節ごとの「トマたまカレーうどん」の投入タイミングが完璧すぎる。SNSでバズる要素を確実にとらえ、テレビCMとの連動もスムーズ。そのタイミングで横浜の店舗に行くと、いかにも「今食べなきゃ損」な行列ができているのは偶然とは思えない。マーケティング戦略が正面衝突不可避の強さ。
映え目的以上に、客の目の前で麺を茹で、天ぷらを揚げ、出汁を注ぐ演出をやっている。湯気が立ち上る中で「揚げたてです!」と差し出される野菜かき揚げのサイズ感。これをトレイに乗せると、うどんの器を侵食するレベルでデカい。食べ盛りの子供や誘惑に弱い大人には、摂取カロリー的な意味で普通にリスクがある。
「外食アワード」などの賞を何度も受賞しているが、これは業界内での圧倒的なシェアと成長率が評価された結果として知られている。単なる「うどん屋」の枠を超えて、日本食インフラとして君臨しようとする姿勢はちょっと次元が違う。
18~19歳のうちに20~24歳女性を狙う、20~24歳のうちに25~29歳女性を狙うなどすれば、
少子化が進んでおり「上の年齢階級ほど人口が多い」という傾向を持つ現在、多くの女性から選ぶことができるのに、
その逆をやり(10代~30代をゲームとネットだけやって時間をドブに捨て、40代50代弱者男性になって焦って20代前半有職女性を急に狙いだす)、
10代~30代を怠けて時間をドブに捨てた40代50代余り物中年が、
なぜ20代前半女性(しかも可愛い・経済的自立している)に対して「イケる」と思えてしまうのか。
20~24歳女性は大人気なのに311万人(45~49歳男性の6割の人数)しかいない。
なぜこんなに減ったかというと、20~24歳は45~49歳の子供世代だからだ。
45~49歳のうち結婚して子供を作った人の割合が低かったから20~24歳はこれだけ減った。
余り物の45~49歳男性が、まともな20~24歳女性に選ばれるわけがない。父親の年齢だ。
しかも、35歳を過ぎた睾丸で生産された精子はメチル化が起きやすく、子供の発達障害(ASD)率を上げる。
理解婚(生活費)を求めているメンヘラ貧困層などではない、まともな個体なら、±3歳以内の同年代婚をする。
夫大幅年上の結婚の割合が激減し、同年代婚の割合が激増しているのは、統計に出ている。
※1943年の結婚は平均4.5歳男性年上→2010年の結婚は平均1.7歳男性年上と、年齢差が縮小。
※婚姻数全体に占める「同い年結婚」の割合は1970年10%→2015年21%と倍増。
※婚姻数全体に占める「±3歳婚」の割合は1970年50%→2015年80%。男性年上婚は半減した。
若い女性が同世代と結婚したがっている以上、余り物中年男性は、もう手遅れなのだ。
どうして余り物の低スぺ中年男性が、レオナルド・ディカプリオのように中年になっても20代前半女性ばかり狙って、
彼女を取り換え続けることが、「自分にもできる」と考えるのだろう。ディカプリオのあれこそ「強者の戦略」なのに。
よくもまあ、世界のイケメンとして一世を風靡した一流のハリウッド俳優の「行い」を、低スぺ中年のまま真似できると考えられるものだ。
スペックに自信のない人間こそ、若いうちに「比較的競争率が低い場所」を血眼になって探して、
速やかに動いて、結婚のような固定的な関係に繋げる戦略をとらなければならないのに。
責任のない不安定な関係で得をするのは強者だけ。弱者は責任のない不安定な関係に切り捨てられる側だというのに。
低スぺが一夫多妻に夢を見ることにも呆れるほかない。一夫多妻こそディカプリオが妻を5万人作る制度だ。
MTGだと男は
「ーーという背景がありーーの課題があります。そのためーーのアプローチが有効かと思うのですがーーの面でお手伝いいただくことは可能ですか?」
で話がすむ。
女の返事は
「そうなんですねー、私も最近はーーなことがーーだと思ってましてお気持ち察します。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ」
何故か一問一答ができない。
同じ人間なのにこれほどまでに会話が成り立たないのは怖さすらある
最近女友達が警察へ行って被害届を出すことがあり同行したんだが、女友達が刑事に質問され回答するという形で供述が進んだ
その際の女友達の一問一答が下手すぎた、どうして結論から言えないのか
ただすべての女がこうではない。
会話ができない人はまずいない。
いわゆるイケイケスタートアップ企業笑(や元スタートアップの上場企業)ではそのようなやつは見なかった。感情への配慮ができないアスペ系はいたが。
その後普通の大手上場企業につとめたらかなり人材の雰囲気が異なって驚いた。
そしてその後スタートアップに行ったら悲しいことに会話がうまくできない女が二人もいた。
男は割とできるんだよな。
不思議だわ
当方女
仮に
これまでライブやイベントに会社の金がバンバンつぎ込まれていたので
今後、そういうのに会社の金は使いません。
っていう話やったら、まぁ上場企業やししゃーないなと思うんやけど、
その上でボイスも出しません、グッズも出しません、オリ曲も出ません、
とまでなってくると、むしろ逆にどういう理屈で中抜きするんやってなってくる。
グッズに関してはそもそも利益が出る価格帯設定にすればええだけやし
ボイス、オリ曲に関してはメンバーが自費で録音、動画化してるという証言がある。
つまり、ヤり得案件なんだけどこれも一切今後やりませんは正直よくわからん。
今後こいつらには一切の労力を割きません。利益が出てもやりません。
というメッセージに見える。
IP管理管理業務すら拒否しているからそういう形になるようにみえる。
だったらもう解散すりゃよかったのにと思わんでもないが
形だけでも残しといてやらんでもない、って感じなんかな。
そこまで成長してほしいと期待して採用を行っている。
もちろんこれは総合職に限った話であり、専門職・技術職であればスキルでの貢献を求められる
どのみちゼネラリスト、スペシャリストに関わらず、アウトプットを期待して採用している。
もちろん採用枠はそれだけではなく、技術職や一般職だって企業を動かすには必要な存在である。
もしアウトプットを求められたくないのであれば、こちらを目指すことをオススメする。
この規模の企業になると1年では総合職のイロハは学べない。おそらく誰かの下で見習いに就くからだ
しかし2年目でいきなり人の上に立つことも多い。マネージャーであることを求められる。
もしマネージャーであること、アウトプットを求められることを過度に負担に思うなら、そこが辞め時である。
総合職から降りることをオススメする。世の中にはたくさんの職種とポジションがある。
なので2年くらいは続けることをオススメする。
日本一古く、おそらく世界でも2番目くらいに古い、「伝説の長寿番組」がある。
上場企業の終値をひたすら読み上げていくもので、15年以上前にアナウンサーの読み上げから合成音声になっている。
日本でラジオ放送が始まった1925年の3月から、戦中・戦後の数年の中断を除き、ずっと放送されてきた。
ネットで簡単に株化が調べられるようになってからは、この番組をまじめに聞いていたリスナーは皆無だったと思うけれど、それでもずっと放送は続いてきた。
しかし、ラジオ第2放送の終了と共に、いよいよ役目を終えることになった。
という訳で、これから聴こうと思う。
なお、1928年に始まった、日本で2番目に古い長寿番組、「気象通報」は、ラジオ第2からラジオ第1に変わって、これからも放送は続く。
and so on....
地方の、そこそこの偏差値(50中盤〜後半)を維持している私立大学で教員をやっている。
最近、職場の知的な質というか、共有されている「文化資本」の薄さに絶望することが増えた。
この15年ほど、うちの大学の採用プロセスが「効率化」という名の思考停止に陥ったことが原因だと思っている。
人事課の事務が作成する候補者一覧リスト。そこには氏名や年齢、そして最終学歴として「博士課程の大学名」だけがデカデカと載るようになった。
それ以前は、履歴書をめくって「どこの高校を出て、どこの学部で揉まれてきたか」という軌跡をちゃんと見ていた。それが今や、リストのトップにある「〇〇大学大学院(旧帝大など)」という看板だけで足切りや選考が行われる。
「最終学歴だけは立派だが、中身は驚くほどスカスカ」な教員が量産されるようになった。
具体的に言うと、学部や高校が、うちの大学の偏差値よりも2段階も3段階も下の、いわゆるFラン出身の人間が平然と教壇に立つようになったのだ。
努力して院から這い上がったこと自体は否定しない。だが、教育現場において「地頭の乖離」は致命的な欠陥を生む。
まず、圧倒的に「基礎教養」が足りない。
専門分野の特定の論文は読めても、その周辺にある歴史、哲学、文学といったリベラルアーツの蓄積が皆無に近い。だから、学生に学問の面白さを多角的に伝えることができない。
何より滑稽なのは、自分たちが教えている学生よりも、教員本人の「18歳時点の学力」の方が圧倒的に低かったりすることだ。
進学校を経てうちの大学に入ってきた学生たちは、それなりの論理的思考力を持っている。
そこに、かつて「論理的な積み上げ」をスキップして(あるいはできずに)Fラン大へ行き、院ロンダで看板だけを塗り替えた教員が講義をする。
教え方が、とにかく浅い。言葉に重みがない。
学生から鋭い質問が飛ぶと、本質的な回答ができずに、権威(最終学歴の看板)や専門用語の壁に逃げる。
上場企業の採用では「地頭のマーカー」として高校名が重視されると聞く。それは、18歳までの学習習慣や抽象的思考の訓練度を測るためだ。
大学教員も同じはずだ。高度な研究成果を出すことと、それを体系化して他者に伝える「知の体力」は別物だ。その体力のベースは、やはり10代から20代前半までの広範なインプットの質に依存する。
共通の古典を引用したジョークも通じない、文脈を理解する力の乏しい「高学歴(最終のみ)」の作業員が事務作業に追われているだけだ。
「大学院名さえ良ければいい」という安易なスクリーニングが、結果として大学の知的ブランドを内部から腐らせている。
学生たちは気づいているはずだ。「この先生、言っていることは立派だけど、なんだか底が浅いな」と。
かつてあった、あの芳醇で、時に泥臭いまでの知のぶつかり合いはどこへ行ったのか。
15年前の「リスト化」という小さなボタンの掛け違いが、取り返しのつかない文化の断絶を生んでしまった。
ウチは零細SESで、元請のオフィスに常駐してシステム開発支援をして、その対価として【発注金額】をもらっている。
で、常駐に必要な座席や機材は元請から「レンタル」扱いになっていて、ウチが元請に【席料】を支払う建て付けになっている。
ここまでは普通の話だと思う。
ウチから派遣しているのは5人なので、普通に考えれば【席料】も5人分になるはず。
ただ、実態としてレンタルされている座席・機材は5人分しかない。
つまり「存在しない3人分の【席料】」が計上されることになる。
ウチも元請も、数字上は出入りを相殺するだけで得も損もない……はずなんだけど、これっていわゆる循環取引ってやつじゃないの???
プライム上場企業であらせられる元請のご担当者様の仰ることが間違ってるハズがないのできっとワイの理解が浅いだけなんだろうとは思うけど……
私はまあまあ頑張っているな、と思う。
研究を真面目にやって、修士から始めた研究を2年で国際誌へ投稿。
何年かの社会人経験の末、それなりに名の知られたヘルスケア企業で製品開発をしている。
学生時代の研究も、就活も、社会人生活も辛く苦しいことがそれなりに起きた。
自分の能力不足と理不尽な評価者の両方に憤りと失望を感じ続け、精神が目に見える速度で萎縮していくのに慣れるよう努めた。
今でこそこれでよかったと感じているが、それは自分の心が枯れてしまったからのような気がする。
かつての自分が今の俺を見たらきっと、そんな人生のために頑張ったんじゃないと言われてしまうのが想像できる。
それでも、私は頑張っている。
かつての友人が、病に悩まされていたから、私はこの仕事をしている。
彼や、彼のような人々が自由に生きられる世の中になってほしい。
いつになったら消えてくれるのか、あるもし消えてしまったらどうなってしまうんだというようなしぶとく、それでいてか細い火が、燃えている。
どうしてこれだけになってしまったんだろうと思う。
それでもまだ私は頑張ろうと思う。