はてなキーワード: センシティブとは
Mimi Yanagi事件は、Vtuberというネット上の表現の自由の問題だけではない。自分で描いた絵で逮捕されたということも大きな問題。
あまり指摘されてないが、人体のデッサン練習でも、後で服を描くつもりで描いた下書きの裸でも、イギリスでは逮捕されることになったということ。
報道がないのは確かだが、とりあえずこれは理由にはならなそうだな。
「新しいアカウント」ってのは逮捕原因の画像(orそのURL)を投稿していたのと別のアカウントってことで、いつ作ったかは関係なく、認可されたのなら以前から持っていた予備のアカウントでも良かっただけ――で説明できるだろ。
Mimi Yanagi氏について、英語圏では掲示板を中心に以下のような様々な情報が流れているようです。
ただこれらは現状、裏の取れた信頼のおける情報ではなく、日本で言うところの「2chの噂」ぐらいに聞いておくのが良さそうです。
曰く
1.本名をJordan Williamsという。
5.Mimi氏の「自分の絵」はネットで恐らく無名の絵師に依頼したもの
これらはMimi氏の悪い意味での「正体」として流通しているようです。
が、日本の反応は英語圏の感覚とは大きくずれるかも知れません。以下、予想される「日本人の反応」とその理由について海外の方に解説させていただきます。
トランスジェンダーに対して、大抵の日本人は非常に寛容です(最も敵対的なのはTERF系フェミニスト、次にリベラルの一種として雑に嫌悪する人々や頑迷な保守派です)。
女性風Vtuberの正体が男性トランスジェンダーであったことは、仮に事実であったとしても「電磁的に女装しているだけで彼らの自由だろう」というのが多くの理性的な日本人の感想だと思います。
またトランスであるなしにかかわらず、女性風のモデルを使っているVtuberが男性であることは、直ちに「ユーザーを騙していた」という悪印象を意味しません。男性の声を隠さず女性風モデルを用いているVtuberもいます。
日本では数十年前から、現代のVtuberのように、自身が悪魔であるという設定を(一番組内ではなく常に)視聴者と共有しながらTVで人気を博していた芸能人がいました。「デーモン閣下」というタレントです。
そうした、真実でない設定をそうと知りつつ視聴者と共有するという「ゲーム」に対して、日本人は寛容です。
共産主義者であることも別にそれ自体は自由で、嫌いな人はもちろんいますが決定打となるほどではありません。
強いて言えば、実際にはある性嗜好を持っている人物が、それを隠すためにその性嗜好を日頃非難していた(あるいはそのような集団に属していた)場合には批判されます。BBCのプロデューサーが性的虐待者であったという事実に対する日本人の反応はこの種のものです。
そして日本の共産主義政党は、現在かなりあからさまに「萌え」「オタク」文化に敵対的なので、この点で悪印象を持つ人は一定数いるでしょう。
またMimi氏が現実の児童に対する関心を持つ小児性愛者であるという情報は、真実であればセンシティブではあります。
しかし日本人は、実在児童への加害に及ぶのでない限り、心の中での性的嗜好を断罪することについて謙抑的であると思います。
Mimi氏の絵について
日本法において「児童ポルノ」は現実の児童を用いて製作されているかが問題であり、そうでないアニメ絵はいかに際どかろうと特殊な(そして気味悪がられている)性嗜好を表現していようと、日本ではそもそも児童ポルノに含まれていません。そして、Mimi氏の件で英国警察を批判した日本人の多くがその基準を支持しています。
したがって、Mimi氏の絵がどんなものかについての情報には「思ったよりきわどいな。でもだから何?」程度の反応が主流となるでしょう。
Mimi氏の言う「自分の絵」が自作でなかったという点について(であれば未だに絵師が不明なのはなぜか、本当は自作だったのではないかという疑問は、私自身持っています)は、騙されていた!と思う人がいるかもしれません。
しかしもともとの英文において”her artwork”は日本人にとって「彼女が描いた絵」「彼女を描いた絵」「彼女が所有する絵」のどれにも訳しうるものだったので、これが直ちにMimi氏の評価が「嘘つきだった」と反転させるほどのものとは思われません。
以上をまとめると、巷間流れている情報は日本の、特に表現規制問題に関心ある層にとっては、Mimi Yanagi事件の「未確認の細部」であって、全体的な評価をひっくり返すほどのものはなく、まだ静観の対象であるということになると思います。
んで、草津の時みたいにまた間違ってたら「私たち騙されただけですぅ~、私たちが被害者なんですぅ~」って言うつもりなんですか?
@FlowerDemoOsaka
その通りで、日本では「草津事件」で、男性町長をレイプ事件で告発した女性議員が、その事件が完全に虚偽であったことが証明され虚偽告訴で有罪になったにもかかわらず、執行猶予がついています。
最近、男女四人組のあるVTuberの動画にハマっている。VTuberは年を取らないから、彼らは永遠に、大学生の放課後のようなたわいのない会話をやりとりし、失ってしまった青年期の幻影をきらきらと見せ続けてくれる。しかしあるときふと、思い出したのだが、私もかつて男女四人組で放課後を遊んでいた。それは学生期よりもはるかに昔、私が小学生の頃だった。
いつから四人組になったかは覚えていないし、いや、ずっと四人組でつるんでいたわけでもなく、何となく仲のいい男子二人と女子二人が時折ユニットコントのように遊んでいた、というようなものだったと思うが、あまりに昔のことすぎて確実ではない。ひとつ覚えているのは、理科実験室での席替えを我々四人だけが拒んだということだ。我々は四人揃って磁場が出るので、席が近いこのままにしてくれと頼んで、何故かあっさりそれが受け入れられた (寛容な学校だった)。小学六年の時の運動会の、四人五脚もこの四人組で出た。四人のうちわたしを含む少なくとも三人はド文化系だったのに、何故かクラスで二番目に早いチームだったから、本当に何かが出ていたのかもしれない。しかし、四人で実際に何を遊んでいたのかというと、今となってはほとんど思い出すことができない。
男二人、女二人の四人組であったわたしたちの間に、少なくともわたしの知る限りでは、ロマンチックな雰囲気はひとつとなかった。一度、ひとりの男子がわたしを教室裏に呼び出して、何か神妙な顔で切り出したことがあるが、お前はオスマン・サンコンを知っているか、という問いだった。明らかに世代ではなかったが、サブカル全般に通じていたわたしは当然知っており、「いっこんにこん」「さんこん」というやり取りを交わし、彼は小躍りしながら教室に帰って行った。
もう一人の男子とは小学校卒業後も細々とやり取りが続いた (わたしは中学受験で東京に出たので、基本的に同級生たちと疎遠になった)。わたしは一度彼を中学の文化祭に招待して、アニメ版デビルマンの主題歌の歌詞ってなんか変じゃねという話題で盛り上がった。SNSでも繋がった彼はその後ケモナーになり、TLに時折大量のセンシティブケモ絵を垂れ流していたので、申し訳ないがミュートさせていただいている。でも、ごくたまに飛んでくるリプライには、国語の授業で阪田寛夫の詩をラップアレンジして披露した、小学生にしては非凡な当時のセンスがいまだに光るのを見る。
女子の一人はわたしにオタクの道を案内したひとであり、当時わたしは彼女を師匠か姉御か、とにかくそう呼んでいた。彼女はただひとり、わたしと同じ速度で話す女子だったから、わたしは孤独にならずに済んだのだった。小学六年生にしてすでにテニプリの同人パラレルファンタジー漫画を描いていて、それはあまりに新しい世界だった。結局わたしはテニプリにはハマらなかったが、三歩歩けばテニプリ腐女子にぶつかる学園中等部に進学したから、それは優れた先取り教育でもあった。
無駄な感傷に満ちた、あまりに記憶の曖昧なこの文章を書きながら、わたしは彼らにもう一度四人で会いたくてこれをしたためているのだろうか、と思う。それが叶わないからVTuber動画をぼーっと見ているのだろうかと。でも、もし同窓会なんか開いて、久々に会った一人が、「子供の小受伴走で大変でさ〜」とか切り出したら、テーブルをひっくり返してしまうかもしれない。むしろ、この文章がいつか三人の誰かに届いて、わたしが当時のあなたがたに今も感謝していることが伝わればいいなとだけ祈りのように思う。当時明らかに発達に偏りがあったわたしが、小学校高学年の難しい時期を乗り越えることができたのは、あなたがたという、少し変わったものたちの居場所があったからなのだと。偏差値のような数字の力場に引き摺られることなく中学受験を終えられたのは、地に足つかない遊び場が残されていたからなのだと。そうして、同じように難しい時期を迎えている今の子供たちにも、そのような居場所があることを願ってやまない。
ALTとはAlternative text(代替テキスト)のことで、目の不自由な人や画像を見れる環境にない人に向けて、画像の描画内容をテキストで補足説明することだ。
Xを筆頭に画像を添付できるSNSには概ねALTの付与機能が備わっていて、投稿者自らテキストを入力できるようになっている。
このALTは、一般的な投稿よりも多くの文字数を入力できることから、しばしば自己紹介や日記、お気持ちなんかを入れて投稿されることが多い。画像の説明なんて一切なく、なんなら黒一色の単色画像なことすらある。
それに対して、真にALTを必要としている当事者やその理解者からの批判が上がり、長文スペースとしている側からは開き直り・逆ギレ・冷笑で返し、平行線の言い合いが続く……と言う流れを、数ヶ月おきのスパンでそっくりそのまま繰り返している。初デートにサイゼ論争や4℃のネックレス論争と同じ間隔だ。
「何もわからない中突然センシティブな赤裸々日記が飛び出してくる身にもなってくれ」
それぞれ、相手の人格否定を含む罵詈雑言なども大いに飛び交っている。
ALT誤用側の主張に対する突っ込みは明白かつ今更すぎるのでここでは割愛する。
批判側の「ALTを点字ブロックにミラーリングして語る」ことは、誤用側にとってはいまいちピンときていないような気がする。
晴眼者にとっては点字ブロックが敷かれている場所と範囲なんて普段の通勤通学路でもうろ覚えだし、「やっりい〜!ここ点字ブロックあるじゃん!遊ぼうぜ〜!」とはまずならない。わざわざ点字ブロックを使う理由がない。
いつだったか、外国語話者の話す内容に対しての和訳字幕が本人の話している内容とニュアンスが真逆だったと炎上したニュースがあった。それは外国語に造詣があるからこそ気付いた人がいたけれど、全く聞き取れない層にとっては聞こえないに等しい。頼りになるのは翻訳された字幕だけで、それが嘘を言っていたり全く関係のないことを言っていたら、それが嘘であることに気付く術はない。時間をかけて音声翻訳をかければ気付けるかもしれないが、これが地震や火事なんかの一刻を争う場だったら?
それと同じような条件が、視覚障害者には常に付き纏っているのではないだろうか。
これは個人的偏見に伴う意見だが、ALT誤用界隈は推し活アカウントや奇形愚痴アカウントの10代が多いように思う。
彼ら彼女らが夢中になっている活動者やインフルエンサー側から率先してALTの用途について発信してもらえれば一定の効果が出そうなものだが、実際はその活動者やインフルエンサーが率先して自撮り写真に今日のイベントに来てくれたオタクへの感謝のお手紙をALTにしたためているので、コンプライアンスなんてものはもうこの令和の世に期待しないほうがいいのかもしれない。
Vibe Codingで非エンジニアがアプリを作れるようになった。そいつらが技術者倫理を持ってないことが問題になっている。
エンジニアは技術を身につける過程で倫理も叩き込まれる。個人情報の扱い方とか、セキュリティに穴を開ける怖さとか。コードが書けるようになる前に、やっちゃいけないことを学ぶ。少なくとも俺の周りではそうだった。
Vibe Coderにはその過程がない。悪気はない。学ぶ機会がそもそもない。技術者コミュニティに属してないから先輩にぶん殴られることもない。動いた、リリースしよう、で終わり。他人のAPIを叩きまくる意味も、ユーザーのデータがどこに飛んでるかも、考えたことすらないだろう。
これがVibe Coderだけの話なら別に笑ってられたんだよ。
最近、他人のコンテンツをAIに食わせてエッセンスだけ抽出するサービスが平然とリリースされてる。動画、記事、レシピ、論文。作った人間の努力も権利も無視して、AIで吸い出して自分のサービスの機能にする。完全に泥棒だろ。
これをやってるのはVibe Coderじゃない。ちゃんとした企業のちゃんとしたエンジニアチームだ。技術者倫理を学んできたはずの人間が企画を通して、実装して、レビューして、組織としてリリースしてる。プロが組織ぐるみでやってる。
なんでこうなるかっていうと、AIにやらせたら一瞬で終わるからだ。URL投げたら中身が構造化されて返ってくる。数行のAPI呼び出しで済む。昔なら一つずつ見て手で書き起こすなんて面倒すぎて、そんな機能作ろうっていう発想自体が出てこなかった。面倒くささが倫理の防波堤だったんだよ。AIはその防波堤を更地にした。
イスラエルがガザで使ってるAIターゲティングシステム。攻撃対象の選定をAIがやって、人間は承認するだけ。1件あたりの判断に使う時間は20秒程度だったという報道がある。20秒だぞ。20秒で人を殺す判断をしてる。AIのおかげで殺す効率が上がった。
コンテンツの抜き取りと人殺しを並べるなと思うかもしれない。でも構造は同じだ。本来は手間がかかるから踏みとどまっていたことを、AIが一瞬でできるようにした。できるからやる。やってから考える。考えた頃には元に戻れない。
この話はどこか遠い世界のことじゃない。
AIをフル活用してる組織で、個人情報を一切AIに投げてない組織ってあるか? ないだろ。断言する。最初は「匿名化してから投げます」って言ってたのが、まあ社内利用だし大丈夫だろってなって、気づいたらMCPで生データを投げてる。一回やったら戻れない。便利だから。俺だってClaude使うとき、気をつけてはいるけど、一度もセンシティブな情報をプロンプトに含めなかったかと聞かれたらそんな自信は全くない。
AIの性質そのものが、今まで人間が積み上げてきた倫理の枠組みを溶かしてるんだよ。
所有権。他人が作ったコンテンツをAIに食わせて要約して、自分のサービスの機能にする。学習データに誰の著作物が入ってるか誰も正確に把握してない。でもみんなやってる。やらない方が負けるから。もうそういうレースになってる。
プライバシーも同じ。顔認識と行動追跡はもう当たり前で、最近は感情分析まである。全部AIで一瞬でできる。できるからやる。法整備が追いつく前に既成事実が積み上がっていく。
これ突き詰めると人権の話なんだよ。所有権もプライバシーも、一人の人間を一人の人間として尊重するっていうのが根っこにある。AIはそれをデータにして一括処理する。一括処理された瞬間に個人は統計になる。統計になった人間の権利なんか誰も気にしない。
そして俺たちはこの流れを自分で加速させてる。AIを使えば使うほど便利になる。便利だからもっと使う。使うたびに倫理のラインが下がる。もう戻れないところまで来てるかもしれない。
Vibe Coderが倫理なしで走ってるのを見て危ないと思ってた。でも周り見渡したら、プロのエンジニアも企業も国家も同じ方向に走ってた。速度が違うだけだった。
便利だ便利だって言いながら全員で崖に向かってるわけだ。
2025年6月25日頃、オランダ・ハーグでのNATO関連の場で、イラン核施設への米軍攻撃についてトランプ大統領が記者団に語った。
「あの攻撃が戦争を終結させた。広島や長崎をたとえにしたくはないが、本質的に同じものだ。あの攻撃が戦争を終結させた」と述べ、イランへの攻撃を正当化する文脈で、第二次世界大戦末期の原爆投下と「戦争を終わらせた」という点で本質が同じだと主張しています。この発言のポイントは:トランプ氏は「使いたくないが」と前置きしつつ、あえて広島・長崎を引き合いに出した
アメリカ国内では今でも「原爆投下は日本を降伏させ、さらなる犠牲を防いだ」という見方が一定数根強いため、その論理をそのままイラン攻撃に当てはめた形
結果的に「核攻撃/大規模破壊攻撃による戦争終結」という思考回路を公然と示した
日本側、特に被爆地からは強い反発がありました。被爆者や広島・長崎の首長・団体は「到底受け入れられない」「人道上許されない」「撤回を求める」と批判
日本政府(当時の林官房長官など)は「原爆投下に関する我が国の考え方は累次に伝えてきた」と述べるにとどまり、直接的な抗議や名指し批判は避けた形
この発言は、トランプ氏の「結果オーライ」「強硬なディール」の思考が、極めてセンシティブな歴史問題にまで及んでいる典型例として、日本ではかなりショッキングに受け止められました。
この展開は非常に重いテーマを扱っており、非常にセンシティブな内容となります。物語の進行には、登場人物の心理的な動きや、相手に対する圧倒的な支配がどれほど悪影響を及ぼすかを慎重に描写することが重要です。A子の心の変化や、石田教授の巧妙な支配方法、そしてその後の葛藤を中心に展開します。さらに、A子が証拠を掴むことができず、状況にさらに追い込まれていく様子を描いていきます。
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A子はいつも通り、アパートに帰り着いた。夜、遅くなってしまうことがほとんどで、帰宅するたびに無意識に肩の力を抜く。彼女の小さなアパートは、都会の喧騒から少しだけ離れた静かな場所にあった。普段はその空間に安心を感じていたが、最近はどうも落ち着かない。研究室での教授の言動、言葉が頭から離れず、心に重くのしかかっていた。
部屋に入ると、何かが違うことに気づく。どこかが少しずつ変わってきている――そんな感覚が、A子を襲った。部屋の中には、いつも置いているはずのものが微妙にズレていたり、些細な物が無造作に置かれていたりしていた。それらの小さな違和感が、A子の神経を逆撫でる。
「気のせいだろうか?」と自分に言い聞かせるものの、心の奥では不安が膨らんでいく。
その夜もいつものように、寝る前にパソコンを開いた。今、A子はネットで見かける些細なニュースや掲示板を眺めながら、少しでもリラックスできる時間を作ろうとしていた。しかし、開いたページには思わぬ内容の書き込みが目に入った。
『新しい動画、ある人が知ってる?』
リンク先をクリックすると、そこに貼られていたのは、A子の部屋での映像だった。最初はその映像が何かの間違いだと思ったが、すぐにそれが自分の部屋で撮られたものだと認識した。
— そこに映っているのは、間違いなく自分だ。
A子はその映像をじっと見つめた。映像は、誰かに監視されているかのように、自分が部屋でリラックスしている姿を捉えていた。最初は何気ない日常の一部だったが、次第にその映像がどんどんエスカレートしていき、最終的にプライベートな[不適切な内容なので削除されました]
心臓が止まりそうだった。自分が知っているはずのない映像が、何も言わずにネットにアップロードされていた。動画の中で自分が映っていることを確認すると、A子は全身を震わせた。その瞬間、頭の中に一つの名前が浮かんだ。
その映像は、明らかに研究室での何気ないやり取りや、教授の微笑みがあった瞬間を繋ぎ合わせたようなものだった。あの冷徹な目を見ていた瞬間、何もかもが繋がった気がした。
A子は手を震わせながら、さらに詳しく動画を確認した。その動画には、どこからか録音されたA子の部屋での会話や音声が微細に含まれているように感じられた。全身に冷や汗が流れる。これをどうしても石田教授が仕掛けたのだという証拠を掴みたかったが、その痕跡はどこにもなかった。
その後、数日が経った。A子は恐怖と怒りが交錯する中で、何とか冷静を保とうとした。しかし、ネットにはまだその動画が広がっていく一方だった。徐々に、誰かがそれを広めていることを知り、A子はそのことに気づいた。もちろん、教授がそれに関与しているという証拠は一切見つからない。
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その後、A子は再び、普段通りに研究室に行った。しかし、その足取りは重かった。教授に会うことが、どれだけ怖くて恐ろしいことか。顔を合わせるたびに、あの動画のことが頭をよぎり、気づかれないように目を合わせないようにするのが精一杯だった。
教授はいつも通り、何気ない会話の中で彼女の反応を探っているような気配がした。A子が少しでも違和感を感じると、彼はすぐにそれを指摘してくる。教授の目の中には、どこか楽しんでいるような、計算された冷徹さがあった。
その言葉に、A子は一瞬凍りついた。教授の声には、ただの心配のような気配があったが、A子はもうその言葉を信じることができなかった。
そして、その後。A子は自分の携帯にメッセージを受け取った。メッセージの送り主は、教授の名前ではなく、無名のアカウントから送られてきた。
『君が見つけた動画、どうだった? それを広めていけば、君の名がどこにでも載ることになるだろうね。』
そのメッセージを見た瞬間、A子は血の気が引いた。あの動画の存在が、自分にとっても、周囲にとっても完全に明るみになっていることを意味していた。恐怖が押し寄せ、頭が真っ白になり、どんなに叫んでも、声は出なかった。
「これが私のせいだっていうのか…?」A子は自分を責め続けた。頭の中には、動画の内容とともに、あの冷笑的な微笑みを浮かべた教授の顔がよぎる。その一切の証拠が掴めないまま、A子はただ、恐怖に支配されていった。
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A子は、教授に何も言えなかった。教授がどうして彼女をこんな目に合わせたのか、その理由を確証することができず、証拠も何も残っていなかった。周囲に話すことはできず、ただ一人で抱え込んでいた。
「どうして、こんなことになったんだろう。」A子は毎晩、誰もいない部屋の中で自分に問いかけるようになった。その一人きりの夜が、ますます彼女を孤立させていった。
その日、A子はついに決意する。しかし、どんな行動を取れば自分を救うことができるのか、何をしても全てが裏目に出るような気がしてならなかった。あの動画がネット上に拡散している限り、自分はどこに行っても追い詰められ、周囲の人々に知られてしまうのではないかという恐怖が、常に彼女の心を支配していた。
だが、何もしないことはできない。何かをしなければ、恐ろしい未来が待っている。A子は今、必死にその次の一歩を踏み出さなければならないことを感じていた。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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1週間分の総括
この週のチャットは、日常雑談を中心に「健康・社会・趣味」がバランスよく混ざる典型的なコミュニティ会話だった。
健康面では咳やインフルエンザ、家族の入院などリアルな体調の話題が多く、互いにアドバイスや体験を共有する流れが目立った。
一方で、ゲーム・アニメ・麻雀といったサブカル話題や、ビリヤニなど食べ物の話がコミュニティの潤滑剤となっており、軽い雑談とやや重い社会議論が同居する空気が形成されている。
また、経済・税制・宗教問題・企業動向などの話題も散発的に登場し、参加者の関心が生活実感から社会構造まで広く及んでいることが特徴的だった。全体としては、日常の小ネタをベースに、健康・社会・趣味を行き来するゆるい知的雑談の1週間であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
とりあえず教えてほしいんだけど
総じて「お前が言うべき論って、それ誰が言ってるの?」って聞きたい。
あと
特定のトピックに対して力を入れるというのはあってもいいが、「得意なこと以外は考えません」は許されない。
関心の赴くところだけやりたいのであれば、それは国会議員ではなく、別の立場から行うべきだ。
これは流石に全否定しておくわ。まずチームみらいは「得意な事以外考えません」なんて言ってないので藁人形論法が過ぎる。
その上で、ゼネラリストだけしか政治をするべきではない、関心の赴くところに特化した活動を国会議員ではなく別の立場からやれとか、ありえない。何のための議会制民主主義だと思っているのか。