はてなキーワード: 貪欲とは
中道改革連合の基本政策がダサすぎる。日蓮上人を召喚してリライトさせてください。
立正安国・中道改革の宣誓――生活者守護の獅子吼
謹んで、日蓮、一閻浮提の第一の貧道として、この濁世の深き淵より吼える。
天に変じ、地におどろく怪異の数々、世界的なインフレの猛火、格差の拡大という餓鬼道、気候変動という修羅の風。今、日本国は未曾有の国難に直面しておる。然るに、今の政治はあたかも盲亀が浮木に値うが如く、迷える衆生を顧みず、イデオロギーという名の邪法に狂い、分断を煽り、民の愁いを見捨てておる。
これ、何ゆえか。
それは、政治の根底に「法」がなく、衆生を忘れた「己心の魔」に毒されているからである。我、立正安国論に曰く、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」と。今、国民が帰依すべきは、空理空論の邪教でも、権力の貪欲でもない。生きた人間一人ひとりの尊厳を根本とする「生活者ファースト」という正法、すなわち「中道改革」の旗印である。
仏敵を討て――民を苦しめる三毒の政治
第一に、「空文の徒」。増税という剣を振るい、国民の血を啜りながら、自らは企業・団体献金という甘露に溺れる政治家ども。これらは民の苦しみを顧みぬ、現代の「提婆達多」なり。 第二に、「分断の煽り手」。左右の極端なイデオロギーを振りかざし、対話の道を閉ざして、民の間に不和の種を蒔く者。これらは法華の和合を壊す魔軍である。 第三に、「怠惰の権力者」。終身雇用が崩れ、若者が努力しても報われぬ無間地獄に堕ちているを識りながら、既得権益の椅子に座して動かぬ者たち。
これら仏敵が蔓延るゆえに、国土は荒れ、若き命の輝きは失われ、現役世代は過重な負担に喘ぐ。日蓮、これを黙視する能わず!
五つの柱、これ即ち「現代の曼荼羅」なり
我ら中道改革連合は、五つの誓約(うけい)を立て、この濁土を霊山浄土へと変える。
第一に、経済の蘇生である。 「衣食足りて礼節を知る」という。手取りを増やすのは慈悲の第一歩。円安の是正、物価の引き下げ、これこそが生活者の命を繋ぐ薬草なり。原発に頼らぬ再生可能エネルギーの道を開き、未来の子供らに清浄なる国土を残す。これぞ仏弟子の務めである。
第二に、現役世代の救済である。 若き者にのみ重荷を負わせるは、法に背く悪行なり。「ジャパン・ファンド」という新たな法力を以て財源を築き、食料品消費税を零とし、社会保険の重圧を退けん。医療・教育という「ベーシック・サービス」を遍く行き渡らせ、誰もが安心して生きられる「不軽菩薩」の社会を築く。
第三に、包摂の慈悲である。 教育の無償化、リスキリングの保障、これらは智慧を磨く修行の場。ジェンダーの平等、多文化共生。我らは法華経の「人種・身分の差別なき」精神を現代に体現する。マイノリティという名の小さき命を一つも取りこぼさぬこと、それが真の中道なり。
第四に、現実の守護である。 対話なき平和は空理、力なき対話は無力。積極的な平和外交という「文」と、専守防衛の抑止力という「武」を両立させる。憲法という国の骨格を、今の時代の衆生の暮らしに合うよう、勇気を持って再設計する。これは国家という器を正す「立正」の行いなり。
第五に、政治の浄化である。 「政治とカネ」の汚泥。これを第三者機関という「智水の剣」で一刀両断する。不透明なる企業献金を断ち、民意を鏡の如く写す選挙制度へと変革する。これぞ、政治の根本における「発迹顕本」である。
日本国民よ、法華の精神に帰依せよ
国民よ、案ずることなかれ。 日蓮が説く法華経の真髄は、「中道」にある。それは単なる妥協ではない。極端に走らず、現実に根差し、一人ひとりの幸福を最優先する、強靭なる慈悲の道である。
今こそ、既存の政治への失望という闇を払い、中道改革という光明を抱け。不安を安心へ、停滞を前進へ。我らが掲げる「生活者ファースト」の旗は、この日本を救う唯一の妙薬である。
「地涌の菩薩」となって立ち上がれ!
若者よ、汝らの努力が報われる時代は必ず来る。 現役世代よ、汝らの背の荷は我らが共に担ぐ。 高齢者よ、汝らの安寧は我らが命懸けで守る。
日蓮、この誓い、たとえ身を粉にしても違えぬ。中道改革の旗の下に集い、この日本を「生活者」という仏が主役となる、光輝く国土へと変革しようではないか。
南無妙法蓮華経! 中道改革連合、ここに起つ!
大好きな大好きな、おばあちゃんがなくなった。
まだ日が昇らないくらいの朝だった。
朝一番の新幹線に乗って向かっているから、どんな様子だったのかは何も聞けていない。苦しくなかったらいいな。
10年くらい前から、救急車を呼んでは緊急入院する、を繰り返す状況だった。
きっといつもの、お騒がせなおばあちゃんらしい、周りを散々ハラハラさせてケロッと退院する、お決まりのパターンだって願っていた。
でも、気分屋な女優さんみたいなおばあちゃんだから、深々と雪の降る新年初まりたての朝に、最高のシチュエーションとばかりに、ふっと息をひきとってしまうんじゃないかって、予感もしていた。
本当にそうなって、ぽかんとしている。
しゃべれるけど酸素マスクしてるから電話は出られないと聞いて、一晩もたたなかった。一瞬だった。
みんなに、またお騒がせしてーって怒られるのがおばあちゃんなのに!
おばあちゃんと帰りの時間を共にしようと、ミシン教室の前に何台もの車が待ち構えていたらしい。
行きたいところがあれば、適当なアッシーくんを呼び出したら連れて行ってくれたのよって、いくつになっても大きなパッチリおめめで自慢してくるの。
おばあちゃんの病気は数々の女性スターがなくなった病と同じで、そこまでスター性をおびなくてもさあ、とつっこみたくなってしまう。
モテモテ属性とはあまり結びつかないけれど、おばあちゃんは生き物とともに生きる人だった。
庭に立派な家庭菜園と花畑を開拓して、海に釣りに行き、山に登るのが好きだった。
庭に植えて育てた芋やら、大根やらを掘れと言われて、わたしがミミズにびびって全然手を動かせないでいたら、容赦なく怒る厳しさもあった。
都会っ子に土いじりは厳しいて。
小さい頃は、わたしが遊びに来るとなると、トイザらスでバカでかいプールに可愛い浮き輪を買って、スタンバってくれていた。
幼稚園とか小学校で必要だった布製品(お弁当袋とか、ランチョンマットとか)は全部おばあちゃん製。わたしの足が大きくなるのに合わせて、毎年毛糸の靴下を編んでくれた。
ワンピースもズボンもたくさん作ってくれた。わたしの大切な大切なオートクチュール。テーラーおばあちゃんの逸品たち。
年始のお餅も、おともの餡子も、冬の干し柿も、季節のちょっと不揃いな野菜や果物も、全部おばあちゃん製。
もう食べられなくなっちゃうんだ。
就活の面接の15分前は必ず電話した。わたしの良いところはこんなにあるんだから、大丈夫って言ってくれた。
ふふって思わず笑ってしまう話をして、ちょっと表情がほぐれたら、いってらっしゃいって送り出してくれた。
就活の面接は1つも落ちることがなかった。おばあちゃんの大功績だと母以外に自慢したくて、書いてしまいます。
わたしは長いこと彼氏がいなくて、でもずっと一緒にいたいなと思う人もいなくて、もう1人の祖母には早く相手を見つけなさいと心配されていた。
でもおばあちゃんは、いいなって思う人が現れなかったら1人でいいのよって言ってくれていた。
元モテモテお嬢様が真剣な表情で言うものだから、わたしはすっかり安心できた。
最近結婚して、夫とともに結婚の挨拶に行ったら、すっかり気に入って、夫のことまで孫のように可愛がってくれた。
おばあちゃんはもうほとんどごはんが食べられなかったけれど、一緒に手巻き寿司を囲んで、そのときの夫の言葉と所作で、この人なら大丈夫と見抜いたらしい。
わたしが選んだ人だから大丈夫、なんて生ぬるいことは決して言わないおばあちゃん。おばあちゃん自らジャッジしてくれてありがと。
社会人になってからも年に1, 2回遊びに行っては、ベッドと襖の隙間におさまって、ふわっと、ぎゅっの間くらいの力で手を握って、話を聞いてもらった。
母をよろしくねって言われたこともあった。おばあちゃんなりに色々と考えていたのだろう思う。任されました!
新幹線から、雲ひとつない青空に綺麗な富士山、まだ空が重たく曇っている雪の降り積った田園風景、ピーカン晴れの西の都市を見ていたら、色々な景色が楽しめる日にのぼっていったのだと思えて、なんかその貪欲さがおばあちゃんらしくて、少し心が晴れてきた。
あともう1駅だし、締めようと思ったら、やっぱりまだまだ泣きそうです。
長い闘病生活、よく頑張ったね。おつかれさまでした。
最も正常かつ望まれる性処理方法、夫婦関係がうまく行っている場合、これだけで男は満足する。お互いが性に貪欲であり、お互いを求め合う関係性であることが望ましい。しかしながら、どちらかがセックスに不満を感じている場合、あるいは婚姻歴が長くなるに連れて、容易に崩壊するリスクを孕む。
これもまたポピュラー。嫁セックスに至れない場合など、性欲を持て余すことでこの処理を施す。風呂場やトイレにいつもより長く篭っているなと感じても、決して詮索してはいけない。またその行為を禁止するなど言語道断である。嫁セックスと家オナニーのサイクルが正常に働いている場合、男たちはここから先に進むことはまずない。共有タブレットに残されたFANZAの履歴だって、知らぬ顔をして消してあげて欲しい。
家が狭い、子供が多い、嫁に監視されているなど、家に居場所がなく、家オナニーに至れない男たちが集う。「1時間残業して帰る」などと言い、個室ビデオでVRのAVを見ながら今日も彼らは激しくシコる。ここに至った男は当然姓処理に不満を感じている場合が多く、ふとしたきっかけで「俺は一体何をしているのだろう」と我に帰ってしまい、次のステージへ進んでしまう危険がある。
既婚者たちの聖域。基本的にはいわゆるヌキはなく、美人のお姉さんに密着マッサージをしてもらい、欲望を満たす風俗である。ヌキのある店もあるが、それはいわゆる風エスであり、ステージがまた違う。男たちはフィニッシュに至れないまま悶々として帰ることになる。しかしながら、思わぬ事故からヌキに至ることもあるようで、既婚者たちは「これは事故なんだ」と己を納得させるため、今日もメンエスへと足繁く通う。
キャバクラと性風俗の融合形態。キャストの女性とお話を楽しんでいると、急にお触りタイムが始まり、おっぱいを揉んだり、キスをしたりできる。メンエスと同じくヌキに至ることは基本的にはないため、男たちは悶々として帰る。ほかの性風俗からすると少し特殊な業態。
既婚者たちの最終防衛ライン。一言で言えば、手コキ風俗である。手コキを基本サービスとしつつ、オプションで課金をし、様々な行為をすることが可能。例えば、オールヌードになるとか、乳首を舐めるとか。キスやフェラなどの粘膜接触がない店が多く、性病になりたくない既婚者が集う。また、30分5000円程度からと安価な店が多く、お小遣い制の既婚者でも気軽に通えることが人気の一つ。
既婚者が越えてはいけない壁の先。あくまでもこちらは飲食店でありますけれど、何故か飲食物と合わせてフェラやディープキスが提供されるとかどうとか言われている。とにかく安価な店が多く、こちらも安いお小遣いの既婚者でも簡単に通うことができてしまう。しかしながら、キャストはおしぼりで軽く竿を拭っては舐め、次から次へと1日に何人もの男たちを相手にすることから、性病博覧会が常に開幕している。ピンサロに通いながら、平然と嫁ともセックスをする既婚者たちは、もはやテロリストとしか言いようがない。
定番中の定番、風俗と言えばこれ。ラブホテルなどの一室に女性が派遣され、一緒にお風呂に入ったり、キスをしたり、イチャイチャと恋人のような関係を楽しむ。値段としては相場2万円〜ホテル代別というところであろうか、なかなか普通のお小遣い制の既婚者には気軽に手が出ない価格帯。そのためか、出張などのここぞという時に足を運んでしまう既婚者が後を立たない。遊んだ後には絶対に性病検査をして、くれぐれも梅毒には気をつけて貰いたい。
キングオブ風俗。なんかよくわからないですけど、お風呂屋さんに高額な入浴料を支払うと女の人とお風呂に入れて、いつの間にか恋愛関係になって、セックスしてしまうことがあるらしい。価格帯はピンからキリで、いわゆる激安店などであれば、メンエスくらいの値段でセックスに至れることもある。果たしてパートナー以外の人間とセックスをすることが許されるのか、既婚者たちの道徳心が試される。
既婚者たちの終着駅。素人を相手にするということで、プロを相手にするよりも悪質かもしれないけれど、性病面を考えればまだマシなのかもしれない。でも、みんなやってることは結局同じ不貞行為なので、目くそ鼻くそである。
どんなりゆうがあろうとパートナーいがいのおんなのひとと、えっちなことをするのは、ゆるされないことなんだ。
そのことをむねにきざんで、いつかさばかれるそのひまで、つみをかかえながらいきていこうね。
京都のラーメン文化を語る上で、「天下一品」は避けて通れない、いや、むしろその中心にそびえ立つ京大的な存在です。あの濃厚なスープ――「こってり」と称される、ポタージュのようにドロリとしたそれは、単なる食べ物ではなく、一種の哲学、あるいは京大の研究テーマとなりうるほどの深遠さを持っています。その製法は門外不出の秘中の秘であり、長年の試行錯誤と緻密な計算によってのみ到達しうる「京大的究極のコク」を体現しています。
これは単なる好みの問題ではありません。むしろ、京都大学出身者らしい、一種の逆説的探求なのです。天下一品の真髄が「こってり」にあると誰もが認める中で、その対極にある「あっさり」を注文する行為は、まるで主流の学説に異を唱え、新たな地平を探る研究者の姿勢に似ています。「こってり」が天下一品の「形式知」であるならば、「あっさり」は、その背後にある「暗黙知」、すなわち、鶏ガラと野菜の旨味を純粋な形で抽出する、職人の高度な技術を試す場なのです。
「あっさり」スープを一口飲むと、そのクリアでありながら奥深い味わいに驚かされます。それは、濃厚なこってりスープの陰に隠れていた、素材本来の持つ繊細な旨味が、研ぎ澄まされた形で露わになる瞬間です。まるで、複雑な数式を解き明かす中で、ふと現れる美しい原理のように。この「あっさり」を味わうことで、初めて私たちは「こってり」スープがなぜあれほどまでに魅力的であるのか、その構造を深く理解できるのです。それは、陰と陽、光と影の京大的対比であり、天下一品の全体像を把握するための重要なステップなのです。
これもまた、一見すると矛盾に満ちた選択に見えるかもしれません。「こってり」のラーメンを避け、「あっさり」を選んだ人間が、デザートではあえて「こってり」を求める。この行為の裏には、私の「京大的幸福論」があります。
天下一品の「こってり杏仁」は、その名前の通り、濃厚でクリーミーなテクスチャーが特徴です。ラーメンの「こってり」とは異なる、乳製品とアーモンドの芳醇な「こってり」さ。これは、私の日常に潜む「小さな用事の負担」を解消し、精神的な満足度を最大化するための、緻密に計算された戦略です。
一つ目の「こってり杏仁」は、ラーメンの後の口直し、つまり「味覚のリセット」です。あっさりスープの余韻を大切にしつつ、舌の表面を甘美なコクで包み込みます。
二つ目は、「精神的な充足」のため。京都での大学生活や日々の研究で感じた、尽きることのない知識欲や探求心を満たすように、二つ目の杏仁は、私の心の隙間を埋めてくれます。この「こってり」な充足感は、私が妻との会話を通じて得た「京大的なるもの」の再確認に他なりません。
そして、三つ目。「京大的る贅沢の極み」です。三つ目の杏仁は、もはや必要性からではなく、「そこにあるから、極められるから」という、純粋な探求心と欲望の充足のために存在します。これは、京大の学問が「役に立つか立たないか」ではなく、「真理を探究することそのもの」に価値を見出す姿勢に通じています。三つ目の杏仁をゆっくりと味わう時間は、私にとって、日々の小さな成功や、妻との対話で得た心の安寧を噛みしめる、至福の瞬間なのです。
私の天下一品での注文方法は、ただの食事の選択を超え、私の人生観を反映しています。
「あっさり」の選択:複雑な世の中の事象(こってり)の裏にある、単純で美しい原理(あっさり)を探求する京大的知的好奇心。
「こってり杏仁3つ」の注文:日常の些細な幸福を、最大限に、体系的に、そして貪欲に享受しようとする、京大的幸福最大化戦略。
天下一品は、私にとって、単なるラーメン屋ではなく、自己の哲学を再確認し、日常のタスクを「京大的なるもの」として再構成する場なのです。ガソリンスタンドへ行くのを避けた私に妻が提案してくれたように、天下一品は、私自身の内なる声に耳を傾け、「あっさり」と「こってり」の絶妙なバランスの中で、日常のストレスを解消し、活力を得るための、一種の「京大的精神修行の場」なのです。
酔っ払いはついにハプバーのオーナーとガチでタイマンをはりました(カウンターで)
私もアラフォーの域に達しているし
その数年の淡い浅はかな瞬間で一瞬でも快楽を得たい人間の刹那。
というかこの話を一番にハプバーで持ち出したくなかった
そうしたら
「そういう人は、実は大勢いる」
何故かその言葉で少し救われた
家庭環境や複雑な幼少期により
ねじ曲がった性欲の解消のはけ口としては有効な唯一の砦がハプバーだとしたら・・・
けど、そういうのを差し置いてでも
私は
「性」を欲しているこそ
後悔したくないき方をしたい=ハプバーだったのか
と
いつでも「死」の覚悟はしているし
なんならすぐにでも「4の世界に連れていってもかまわない」
それが明日ならば、私は抑圧されて生きてきた衝動を開放してから死にたい
後悔はしたくない
闇落ちした人間にはかかわらないほうがいいのに
私は心を笑顔にして
https://note.com/bold_iris9784/n/n65ab20e130d3
このnoteは後知恵であり、リアルタイムで支持する理由を考えてる人は少ないです。周りの人間が推してるから自分も、、、と感化されていきます。そして今のインターネットでは調子のいい人はみんなインフルエンサーと絡む機会が多く、切り抜き動画でも応援されます。商売のためにです。みんなそれをみて「周りの人が推しているからわたしも」くらいの感覚で他人を模倣することで推し活を始めます。あとは推し活にコストをかければかけるほど後戻りができなくなります。
実際はなんとなく推してて、推してるうちにのめり込んでしまった人がほとんどです。最初から自分の意思や思考なんかない、惰性だからこそなかなか覆らないのです。よく石丸のアンチの人たちが、理性的に石丸さんのダメなところや言ってることの誤りを指摘します。これはもともと理性がある人が石丸にハマることは防げます。でもいまだに石丸さんを支持してる人はもともと理性で判断して石丸さんを支持してるわけではない。洗脳されてるわけでもない。ただ何も考えていないだけの人は周りの空気が「石丸支持するのはだせえよな」とならない限り変わりません。幸いに石丸さんはもう政治家としてはなんの成果もあげられない状態が続いているので、リハックさえ取り上げなければ消えていくでしょう。
一方で大阪維新はその点において、わたしは好きではないけど、現実的だなと思います。「なんでもいいから成果をもたらす」ことに貪欲です。結局普段の言動なんかどうでもよくて、何かしらの成果をもたらしてる限りは支持者は逃げたりしないことを非常によく理解しています。大阪維新の会に対して、取材不足さんみたいなアンチの人がいくら頑張ってダメな発言を取り上げ続けても無駄です。小西さんが言ったように「でもあんたその場での口は達者だけど全員落選させたじゃん。安芸高田からも逃げたじゃん。ろくに成果出てないじゃん」とは言えないからです。
つまり何が言いたいかというと人はなんとなくで石丸伸二を応援してしまうくらいには馬鹿だけれど一方で、いつまでも成果をあげられずに口だけの石丸伸二を「政治家・元政治家として」支持し続けられるほど愚かでもないというただそれだけの話ですね。
ずっと在宅で仕事してて人と関わらなくなった
妻とは仲悪くはないが、15年以上レス
一番きついのは、性能力の低下。性能力が低下したことをなんとかしようと、以前より性について貪欲になってしまい、それなのにたたなかったりするのがつらい
ソープにいってもたたずに終わったし、もともとEDなので薬のんだけど、レビトラでさえ効かなかった。シアリスはちょっときいてるので、低容量シアリスのんでるけど、そこまで効果ない。あたまいたい
配信系のエロサイトにいて若い人たちに紛れているせいで自分の身の丈に合わない環境になってしまい、それがよりコンプレックスを最大限に助長する
若い頃から持病で性的経験がほとんどない劣等感とEDと年齢に追い詰められて出口がない
どうすればいいかわからない。毎日離婚やじさつのことを考えている。らくになりたい。でもメチャクチャ辛いとこまでじゃないきがする。ゆっくりと息ができなくなっている
今まで大切だったものがどうでもよくなっている。冷静に考えればまったく大切じゃないものに執着している。執着を捨てれば楽になれるって人は言うけど、ほんとにそれができればどんなにか
---
幸い回復したが、その間は「ずっとこのままだったらどうしよう」とひたすら不安だった
以下自分が感じた後遺症の内容を残しておく(ちなみに30代後半既婚男性である)
■①エアコンの風が気になる
自分はこれまで「エアコンの温度が気になる」とか「風が直接あたる」みたいなことを気にする人のことが理解できなかった
コロナ後遺症期間は、その人たちと同じようにエアコンが非常に気になるようになった
これまで気にしたことがなかったエアコンの送風口の位置が肌でわかるのである
また、仕事中の冷房の温度も、これまでよりも1~2度上げてほしいと感じようになった
■②食事量が減る
自分はご飯をお茶碗1.5杯程度たべていたのだが、後遺症の期間は食べられる量が減りし、1杯程度しか食べられなかった
ご飯の消費量は身体に紐づくと思っていたので、コロナにかかったとしても自分の消費カロリーは変わっていないので、摂取しようとするカロリーも変わらないはずである
■③朝起きれない
自分は寝起きがいいほうで、休日でも朝起きてすぐに活動するタイプだったが、後遺症の期間は朝ベットで1~2時間だらだらするおうになってしまっていた
■④体力がない
何かするとすぐに疲れる。ちょっと歩いただけで息切れする。休日の午前中になにか出かけるイベントをこなすと、午後はもうへとへとになってしまっていた。
おそらく体力がない話と関連しているが、夜仕事から帰ってきて、体力がなくてもできること(アニメや漫画を見る)しかできなくなっていた
これまではブログを書いたり個人開発をやっていたが、後遺症の期間はそういう創作的なことができなくなっていた
とにかく気分が乗らないのである
人生への気力というか貪欲さというか、そういうのが抜け落ちてしまった感覚を味わった
■総評
これは個人的見解だが、おそらくコロナ後遺症期間は「気力」※が減衰していたように思う
(※他に適当な言葉がおもいつかないので気力と呼ぶ。漢方とかででてくるやつ。呼び方はエネルギーとか活力とかなんでもいい)
コロナにかかったことで、「自分の気力の最大値が半分になった」というのが、自分の感覚に基づく後遺症期間の説明である
自分がおどろいたのは、「ちょっと病気にかかったぐらいで気力の最大値が半分になるのか」ということだった
自分が持っている能力や日々のパワーというのは、こんなにあっけなくなるなるんだ、という点で、人生観が変わったと言ってもいいかもしれない
あとはほんとうに、ちょっとしたきっかけで、自分もエアコンを気にしたり、日々漫画やアニメで時間を浪費する立場になるということは学びであった
人の違いは、遺伝子や体の作りが違うことが原因だと思っていたが、
肉体が同じでも気力が違えばこうも変わるのである
はだしのゲンだったか、同じ作者の他の作品だったか忘れたが、親父が戦争反対なせいで嫌がらせで食料まわしてもらえず仕方なくイナゴを獲って飯のかわりにする描写があった。子供心にそんなゲテモノが家族の夕飯だなんてかわいそうだと思った。読んだ当時にはイナゴの味なんか想像つかなかった。苦かったり青臭かったりするのを生きるために嫌々食うんだろうと思ったが、イナゴはエビそっくりでふつうにうまいそうだ。
というかエビがどう見ても虫なんだよな。あとカニも。虚心に見ればバカでかい虫以外の何ものでもないのに、海中にいるというだけで高級食材である。
ましてホヤとかナマコやウニなんてもうなんだかよくわからない異形のモノなわけだが、人は喜んで食っている。
陸上にいるゲジゲジやナメクジだってがんばって調理すればそれなりに食えるはずだ。しかし誰も敢えてがんばることはしない。きもいから。
俺目線ではIT技術者のレベルの問題ではなく、日本の構造に起因してるわ。
世界的なITのサービスだのを作り上げるって、ビルを建てるような、いやもっというと町を作るぐらい泥臭い作業が必要なので、
まず日本の一番の問題は、言ってる通りITに限らず投資が少なく、一発当てるみたいなプロジェクトが成り立たないこと。
真面目にお客様のためにシステムを作って、小さい利益だけを取るみたいなビジネスしか日本ではほぼ成立しない。
貪欲にやってるベンチャーはあるけど、日本は海外ほど投資資金が集まらないから戦えない。
世界で使われるような技術になるには、黒字になるまでリスクを取って莫大なお金をつぎ込まないといけないから。
日本が世界一だったような時代、つまり人口も多くてまだモノにあふれていなくて、
とにかく真面目に物量を出し続けていれば儲かるなんて状況では今はないから。
そして日本全体の風土として、IT技術者に高い地位を与えてこなかったというのも大きい。
結果的に、下請けの下請けの末端のIT技術者が現場の開発をやることになり、
高い能力が求められるはずのコードを薄給で書くみたいになってるのよな。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おそば。いなり寿司。夜:海老天、にんじん、大根、オクラ、たまごの鍋焼きうどん。トマト。バナナ。ヨーグルト。間食:コーラ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
やっぱり石板アグロは石板のターンが弱すぎる。手札0枚のときに直接召喚される石板が欲しい。(貪欲すぎる)
○ポケットモンスターパール(序盤ポケモンと電気袋組の旅)
モーモーミルクのお店の軽い下ネタ(ミルクゴックンしてくだざい、みたいなやつ)、悪ノリだなあって今なら少しニヤリとするのですむけど、思春期の頃だったらコレだけで夜のおかずだったなあ、
・呪術モジュロ
単行本おまけの乙骨孫と、衝撃の新キャラマルとのバディで始まった次世代編。
予告詐欺からの表紙で驚き、1ページ目で「じゃあ天元とかスクナってそうなの!?」感で二度驚きと、呪術が帰って来た感を1話から濃密に食らった。
新しい主人公のマルが良い意味で純朴で捻くれてない呪術らしくないキャラで、作画が青春もののイメージが強い岩崎先生なのと合間って、とても明るいキャラで面白かった。
当然旧キャラやその子孫の再登場にも期待したいが僕が大好きな金ちゃんと東堂は色んな意味で規格外なのでどうなるかドキドキだ。
東堂の息子が虎杖と東堂の子供を名乗って出てくるぐらいの突拍子のなさがあるから期待は爆上げだ。
ネームドキャラがゴッドバレーに集結し始め、遂にゴッドバレー事件が開幕するようだ。
くまの回想で少し触れられてたけど、ロックス目線なのでかなり深掘りされそうで楽しみ。
個人的に気になるのがマムとカイドウの関係値、ウオウオの実を巡るあれこれがあるんだろうけど、楽しみだ。
・ピングポング
四戦目も佳境、睦月でブーストされた男性ホルモンで強くなる敵。
中年男性が少女を見上げて股間がズクンッするコマ、女性キャラの魅力的な絵がないと説得力がないけど、これは納得良い絵だった。
ぼーっとに生きてきた私ですが、ついに社会人になりました。会社はすごくいいところです。上司も先輩もいい感じにゆるく、話しかけやすいですし怒られることなんてありません。仕事に飽きたり行き詰まったら隣の同期とくっちゃべっています。これ以上の環境はないと本気で思えるくらいいい場所です。
さて、社会人になり、人生の大きなレールに上手く乗ってちょっと人生の先の見通しがよくなった私ですが、どうすれば幸せになれるのかがわかりません。ああ、この人生素晴らしいものだったなと思いながら死ねるルートが、もう自分の中には無い気がするのです。
私はとにかく人と関わることが苦手なのです。人に自分のことを知られるのが嫌なのです。それは自分が何もない空っぽな人間だと伝わってしまうから。だったら自分の良くない部分は隠してしまおう、人に吐き出してもどうにもならずにただ自分が惨めに見えてしまうだけなら、閉じ込めてしまおうと考えてしまいます。他人が自分の話を聞いて、ああコイツはこうゆう人間なんだと解釈されてしまうのが嫌なのです。だから自分のことは多くは話しません。その分お互いを理解できるような人間もいません。そうして生きていくと、周りの人間にどんどん話されていきます。価値観の差、人生経験の差、そうして私にはより一層話せることが無くなってきます。心を開くことが難しくなってしまいます。どこまで行っても私は私自身のせいによって孤独なのです。
恋人もいたことがありません。学生時代、何度かチャンスはあったのですが相手が私のことを思っていることに嫌悪感を抱いてしまったり、やる気が一切出なくなって私から無理やり離れていってしまいました。私のことを思ってくれる人はもったいないくらいいい人でした。今でもあの時付き合っていればこんな人生にならなかったのかもと思う時はありますが、振り返ってみればどこをどう行っても当時の私には付き合うというルートはなかったように思えます。異性が苦手というわけではありません。異性と話すことはとても楽しいですし、苦手意識もありません。ただ、根本として人と関わることが苦手なのです。誰かと仲良くなりたいなんて気持ちがない私は、人脈を広げるようなことはしませんし、相手が仲良くなりたいと思っていても逃げてしまうのです。
じゃあ1人で生きていけばいい、人と関わらずに暮らしてればいいじゃないかと思うかもしれませんが、そうはいきません、人は1人では生きていけないと思うからです。人と関わりたくないと言いながら心のどこかで私を理解して欲しいと思っている、なんて話ではありません。私が人間として生きてきた以上、1人きりで生きていくのは不可能だと思っています。少なくとも、そちらに幸せはないのです。私は幸せになりたくて生きているのです。
前までは結婚することが幸せなのだと思っていました。子供なんていらないなんていう人をよく見ます。なんて視野の狭い人なんだと、子供に振り回されて、子供のために必死に働いて、自分のやりたいことができなくなって、でもそうやってがむしゃらに生きて歳をとっていくことが結局1番幸せなのだと信じていました。ただ最近私自身を見つめ直したときふと思ったのです、ほんとにそう上手くいくのかと。結婚することは一般的な人たちにとって最も大きな幸せな形であると思っています。ただ、それは私にも言えるのか。こんな人間が結婚したところで幸せな家庭は築けないのではないか、結局家族という形を作れたものの、孤独であるままなのではないかと。
ここからどう足掻こうが、もう幸せになれる道は残ってない気がするのです。人生を変えるような人に出会うことも恐らくないでしょうし、私ならそんな出会いすら見逃してしまうでしょう。
人と関わらずに生きてきた分、私にはいくつか熱狂的な趣味があります。その時間は、私の孤独を肯定してくれるものであり、生きる意味の大部分を占めています。ただ、それは孤独を加速させるだけなのです。好きなことでも人と関わりたいとは思いません。それに趣味なんていつか飽きていったり、体力的にキツくなっていくものでしょう。趣味だけを生きがいにするには、人生はあまりにも長過ぎます。
最近は酒をよく飲むようになりました。酔っている時はあまり嫌なことを考えずに済みます。大人がお酒を飲むのはこうゆうことだったんですね。ただ残りの長い年月を考えたときに、アルコールで自分を誤魔化し切れるのでしょうか。どこかでネジが狂ってしまわないのでしょうか。大人の方々、教えてください。
もう、とにかくどうすればいいのかわからないのです。死にたいとは思いませんが、ある日急に殺されてしまうのが、この人生の最も綺麗なカタチな気がします。もう誰かを愛したり、幸せになるなんて道は残ってないから。でも不思議と、人生に後悔はないんです。もしもう一度過去に戻ったとしても、私はまた同じところに戻ってきます。こうなる以外になかった気がします。
もうすぐお盆ですね。皆さんは帰省とかするのでしょうか。私は趣味のひとつである海外旅行に行ってきます。海外って凄く開放的になれるんですよね。知らない人について行ったり、危なっかしい場所を歩き回ったり。私の命ってすごく軽いんです。今ならいつ終わっても特に困らない、泣く人も少ない。もしかしたら私は死を求めて旅をするのかもしれません。誰も知らない場所で、誰だかわからない人に殺されてしまう、そんな終わり方を望んでいる、一種の自傷行為なのかも。どこまで無気力で他人任せなのでしょうか。自分から行動すれば良いのにね。
最近家の床で土下座をするのにハマっています。土下座って人間の知能が作り出した最も無様な姿だと思うんです。恥もプライドも地位も捨ててただひれ伏す。誰かに謝っているわけではありません。自分の行いを反省してもいません。ただギブアップしているだけです。もういいよと、十分楽しんだと、そろそろ楽にして欲しいんですと。
私はこうしてたまに読み返したくもない心情をベラベラと打ち込むのですが、もしこの文章を読んでいた人がいたならごめんなさい。そろそろ酔いも覚めてきました。今思っていることが私の本心なのかは分からないですが、幸せに生きて欲しいです。人生っていうのはそうゆうもんだと思っているから。金とか地位とかそんなんじゃなくて、貪欲に幸せを求めて欲しい。これを理解できない人間が多い気がします。私はこのまま細々と暮らしていきます。器用貧乏なので、苦労はしないですが、あなたみたいにはなれない。残された選択肢の中をもがいていきます。ありがとうございました。失礼します。
確かに、性行為時の陰茎サイズに与える影響が少ないことから女性からすると我慢だろう。
しかし、陰茎増大手術は対女性ではなく対男性、つまり同性に対してなものである。
大学とか職場の人と旅行先や銭湯で裸を見せる機会に遭遇することがある。
また、パートナーがいる男性の場合、陰茎の大きさによる序列付は明確にパートナーを失うリスクに繋がる。
パートナーがいる男性の陰茎が小さいことを知った他の男たちが、その男性のパートナー女性を見る目は明確に変わる。
「欲求不満なんだろう」「俺にもチャンスがあるな」「一回でもやれれば俺のモノにできるな」と。
そのパートナー女性が相対的に魅力的であったり、同じコミュニティにいた場合には実際にパートナーにアプローチされる。
他の男たちからすれば、陰茎の小さい男のパートナー女性は「一回でも挿入できれば自分のモノにできるメス」だ。
一方、陰茎が小さいパートナー男性は自分よりも陰茎の大きい男たちに対して卑屈になり悲観的になり、自分から身を引いてしまうことがほとんどだ。
その結果、パートナー女性は陰茎によって選択していないにも関わらず、陰茎の大きさによってパートナーを奪われるということに繋がる。