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はてなキーワード: アスリートとは

2026-05-13

オタクって過去のことやたら引きずるくせに他人にぶつけるよな

迫害論もそうだけどさ

体育の恨みを現代アスリートにぶつけたりさ

何を根拠自分たちの仕返しに正当性を持たせてるのかわからんけどさ

2026-05-11

日本は見た目が非常に大事美白と憧れ。白人ハーフ美女黒人選手

宮沢りえさんはオランダとのハーフWikipediaに書かれているが知らない人は日本人といえばハーフだとは疑わないかもしれない。外国人とは言われにくい。日本国内では有名な白人女優さん→化粧品広告に出られる

一方で大坂なおみ選手については「日本人ではない」「外国人」という日本語で書かれたコメントが多数見られた。日本国籍なのに。

→肌の色の違いで日本国内に居るだけだと明暗が分かれるんだろうな。白人系は日本で有名女優になれるチャンスがあるが、黒人・一部の南アジア系は中々白人系程伸びにくい?→スポーツアスリート系がやや多め。

[ちょっと待ってほしい、異常な「ハーフ美女人気」]

https://www.us-lighthouse.com/life/point-of-view-america-japan/half-popularity.html

そう考えると、この「ハーフ美女現象というのは、やはり容姿や肌の色「だけ」を取り上げて憧れたり批判したりという一種の「人種差別」に見える。同じ「ハーフ」でも、プロテニス大坂なおみミスユニバース宮本エリアナなどアフリカ系の「ハーフ」になると、全く別の視線で見られることも含めて、社会現象としては未熟なカルチャーに思える。

ーー

あなたが指摘している現象は、日本社会にある「見た目による日本人認定」の問題としてかなり本質的です。

宮沢りえオランダ系のルーツがありますが、多くの日本人は「典型的日本人女優」として受け止めています

一方、大坂なおみ日本国籍を持ち、日本代表としてプレーしていても、「外国人」「日本人ではない」という反応を受けやすい。

この差は、かなりの部分が「外見」、特に肌の色や顔立ちによって生じています

日本では建前上は国籍ベースで「日本人」と言っていても、実際の社会感覚では:

日本語を話せるか

名前

肌の色

顔立ち

髪質

日本人らしい”振る舞い

こうした要素で「内側の人間か」が判断されやすい。

から欧州ルーツを持つ「ハーフ」は:

美しい

国際的

洗練

芸能人

として消費されやすい一方で、黒人ルーツ南アジア系、中東系などになると、「外部の人」として扱われやすい傾向がある。

あなた引用した記事も、その非対称性問題視しています

Lighthouse記事「異常な『ハーフ美女人気』」

実際、宮本エリアナミス・ユニバース日本代表になった際も、「日本代表ではない」という反応が大量に出ました。

しかし同時に、白人ハーフモデルは「日本の美の象徴」として広告に起用される。

この非対称性は、単なる「ハーフへの興味」ではなく、日本社会の中にある階層化された人種イメージを反映している、という批判はあります

また、日本では「差別」を暴力露骨侮辱だけで考える傾向が強いため、

「悪気はない」

日本人に見えないだけ」

事実を言っただけ」

として処理されやすい。

しかし、当事者からすると、

何度も出自を聞かれる

日本語ができても外国人扱いされる

国籍を疑われる

「本当に日本人?」と言われる

こうした経験の蓄積が、「条件付きの日本人認定」に感じられることはあります

もちろん、日本でも世代差や個人差は大きく、若い世代ほど多様なルーツへの抵抗感は弱まっている傾向があります

ただ、「日本人単一民族的外見」というイメージが依然として強いのは事実です。

2026-05-07

長期ひきこもりしてる間に、家でできることをやろう、みたいになって…😟

金がなくても、家で能力を獲得できることは色々ある、

社会排除されたんだから、だったら、社会の枠組みの外でできることをやるしかない、

でも、資格は取れなかったね、社労士か考えたけど…😟

結局、自営業としても能力を切り売りしやすいのはプログラミングシステム開発で、

絵とか、音とか趣味まり運動健康維持のためにやるもので、今更アスリートになれるはずもない、

お金にならない知識能力が蓄積されていく…😟

結局、敗残兵として社会に戻ってきて、あなたは何ができるんですか?と問われると苦しい…😟

実績を証明できるものは、やっぱりプログラミングかになるけど、

雑多な案件、うまくいかなかった感しかない…😟デカ仕事でもしてればカッコイイんだけどねぇ…

もう、家事手伝いとか花嫁修業みたいになってる…😟誰かボクをお嫁にもらってください

2026-05-03

anond:20260503102337

この増田感情的に反発してる奴はともかく、それ以外の人は本当にコナン鬼滅ハイキューチェンソーマンで100億よっしゃーみたいな今の日本アニメ市場をそんな支持してるのかね

昔はアキラとか作って世界アーティストから見て格好良いとされるものをマジになって作ってたはずなんだけどな

言っちゃなんだけど黒人アスリートとかがドラゴンボールの真似とかナルトの真似とかしてんのも頭悪くて幼稚なのが感性に合うってだけなんだろうし

2026-05-02

アレッサンドロ・ザナルディさんが亡くなった。

ザナルディさんを知っているだろうか?

彼は成功したカーレーサーとして知られ、

そののち事故で両足を失い、

それでも不屈の闘志で再びレースに復帰してチャンピオンになった人だ。

その後、ハンドサイクルに挑戦しパラリンピックでも数々の金メダルを獲得した。

しかし、2020年ハンドサイクルイベントに参加中にトラックと正面衝突し重篤怪我を負う。

その後、表舞台に再び現れることはなかった。

彼は真のアスリートでありヒーローだ。

御冥福をお祈りします。

女性清潔感に拘る理由考察

女性は、男性に比べて、色に関する感覚が鋭いと言われている。

男性が5色程度にしか分類できない色のグラデーションを、女性は倍以上の色に区分できるなどという実験結果もある。

このような女性特有の「見かけ」を判断する能力は、我々人類種が生き残りをかけた淘汰圧といわれるものにより進化してきたものである

人間集団で「狩り」というものを道具を使って組織的に行うようになったのはいつ頃なのか?

それは判然とはしないが、ひとつ推察できるのは、その「狩り」は男性が中心となって行われたに違いないということだ。

これは単純に運動能力に起因する。

現代に生きる我々のスポーツ競技などや、もっと一般的学校における体力測定などの結果でも、身体能力の平均は男性の方が女性より優れている。

体格も、筋力も、持久力も、何もかも男性の方が女性よりも「平均的」に優れている。

もちろん個人差はある。

オリンピックに出る女性アスリートと、週末に多少のウォーキングをする程度の人とではその能力は当然女性アスリートのほうが上である

ただ、問題となるのは平均的な能力である

戦闘における歩兵集団大事なのは、その平均的な能力である定義したのはナポレオンであったか

ひとりの勇者よりも、集団として平均的な能力が高いほうがより優秀な戦力となるのは、我々には自明であるが、当時はそうではなかったようである

かに騎士文化華やかなりし頃には1人の武勇尊重されていたとしてもおかしくない。

そのような偏見がある人にとっては、たったひとりの特異点重要視する傾向にあるが、科学的に考えれば平均の能力集団としての能力になるは当たり前である

そう考えると「狩り」という集団的な行いをするにあたって男性けが選抜されてそれを行うのも当たり前である

体力の劣る、女がそこに加わることは集団としての能力を下げることになるからだ。

では、女性はそのような狩猟集団の中で、ただ養われるだけの存在であったのか?

もちろん、そんなことはない。

女性は、狩りが出来ない代わりに料理や多少の保存が出来るように食材を加工したりすることに精を出すことになる。

まり、男が狩りをして獲物を持ち帰り、女はそれを料理したり加工したりするのが仕事になったのである

これが、人類としての自然の姿であるのは言うまでもない。

そのような当たり前の姿の発展として、女性が獲得していったのが「見た目」を判断する能力である

食材調理や加工を担当する女性にとって色の判断や、あるいは臭い判断重要である

とくに、ある一定の保存をした食材が食べれるものであるかどうかを判断する能力死活問題である

もちろん有史以前人類食材長期保存技術などというのは現代と比べものにならない。

精々が1週間程度の保存ができたかどうか?というところだ。

しかし、そのわずかな食料の備蓄が出来かどうかが生死を分けた時代もあったはずである

基本的狩猟民族は豊かであったと言われている。

彼らは転々居住地域を移動することにより適度な環境破壊をしつつ自然共生していたかである

が、そういう幸福時代だけではなかった。

とき自然過酷な状況を見せつけ、人類がその生存を賭けて様々な挑戦をし続けなければならなかったはずである

そんななかで食料という人間に欠かすべからものを、何が食べれて何が食べれないかを判定するための能力女性にあるかどうかはその集団の生死を分けた。

腐っているか、腐っていないか

腐りかけているが、まだ食べれる。

腐り始めだが、もう食べれない。

そのような判定が現代であれば、少しお腹を壊す程度のものであったとしても、有史以前脆弱人間集団において、極めてシビアで欠かすことの出来ない能力であった。

その判定ができない女性を多く含む集団進化淘汰圧の中で滅んでいったのだ。

こうして、我々人類は、女性は「見た目」に対する鋭い判別能力と、ジャッジメントする習性を見に付けたのである

このような知識を得ると、「清潔感」が「清潔感」と呼ばれるのもある種の納得がいくというものである

そして、女性が太古の昔から引き継いできた家事をするために獲得してきた大いなる能力現代においてはあまり意味のないものに活かされているのも、何やらいっそ人間的でおかしみがある。

彼女らは、大昔の祖先たちが生存のために必死状態で獲得した能力を極めて無意味なことに傾けているのであるのだから皮肉である

2026-05-01

トランスカルト教祖バトラーさん、ボコボコにされてしま

https://www.counterfire.org/article/what-the-butler-didnt-see-book-review/

バトラーが見なかったもの――書評

リンジージャーマンは、ジュディス・バトラーの新著『Who’s Afraid of Gender?』における議論概念的混乱を検討している。

 

1. 導入:性とジェンダーをめぐる古くて新しい論争

著者はまず、1970年代女性解放運動期に、米国マルクス主義人類学イヴリンリードが書いた「生物学女性運命か」という問いを引く。リードは、女性母親であることを理由に、社会的役割限定されるべきではないと論じた。同時に、資本主義社会における生物学人類学は、性役割女性劣等視に関する社会的前提を多く含んでいるとも批判していた。

今日、性とジェンダーをめぐる論争、とりわけトランスジェンダーをめぐる論争は、自然文化生物学社会的態度、性とジェンダー関係を再び問い直している。バトラーは、いわゆるジェンダーアイデンティティ運動における中心的な学術人物であり、ノンバイナリーを自認し they/them 代名詞を用いている、と著者は紹介する。

ただし、著者はバトラーの新著について、以前の著作よりは読みやすいとしながらも、「読みやすい」といっても相対的ものにすぎないと述べる。中心概念はしばしば曖昧で、「phantasm」という語が100回以上出てくる一方、バトラーが反対する立場への批判は十分ではない、という評価である

著者の基本的批判は、バトラーが「ジェンダー」も「性」も明確に定義していないという点にある。バトラーは、自分が性の存在否定しているわけではないと言うが、実際には性とジェンダーの「共構築」を語り、両者をほとんど完全に絡み合ったものとして扱っている、と批判される。

2. 極右文化戦争、反ジェンダー運動

書評は次に、バトラーの本の多くが「容易な標的」に向けられていると述べる。ジェンダー文化戦争の一部となっており、バトラー右派極右による「ジェンダー理論攻撃を大きく扱っている。取り上げられるのは、ドナルド・トランプイタリア首相ジョルジャ・メローニ、ハンガリーヴィクトル・オルバーンローマ教皇などである

バトラーは、反ジェンダー運動が各国の選挙で強い影響を持っていると指摘する。ブラジルコスタリカコロンビアフランススイス英国スコットランドエクアドルドイツハンガリースペインなどが例に挙げられている。スペイン極右政党 Vox は「ジェンダージハード」や「フェミナチ」といった表現を用いている、と紹介される。

著者は、こうした反動的勢力個人的性的平等を求める人々にとって脅威であることは疑いない、と認める。彼らは、法律を制定し、国家差別執行できる権力を持っているかである。彼らが守ろうとするのは、キリスト教的・異性愛家族を中心に据えた、国家と結びついた保守的な性・生殖家族モデルである

しかし著者は、バトラー分析が「なぜ今このような反動が起きているのか」を十分に説明していないと批判する。バトラーは「反 woke」の感情を、家父長制・異性愛規範白人至上主義的秩序の喪失に対する心理社会的幻想として説明する。しかし著者は、これでは新自由主義資本主義危機、脱工業化生活水準の低下、反移民感情人種差別政治的動員、米国社会軍事化暴力化などの物質的条件が抜け落ちると述べる。

まり、著者の立場では、反ジェンダー運動は単なる「幻想」や「心理不安」ではなく、資本主義危機社会的荒廃のなかで生じている政治現象として分析されるべきだ、ということである

3. バトラーは「ジェンダー」をどう理解しているのか

著者によれば、バトラー実質的に「性/ジェンダー」の区別崩壊させている。性とジェンダーを同じものとして扱い、「性が文化規範の枠内で捉えられるなら、それはすでにジェンダーである」と論じる。

著者はこれを、現実身体カテゴリーイデオロギーへと作り替えてしま議論だと批判する。性や生殖という現実からイデオロギーが生じるのではなく、逆にイデオロギーが性を作るかのように語っている、という批判である

さらに著者は、これは「馬車を馬の前に置く」ようなものだと言う。社会的要因が生物学的要因を完全に上書きできるかのように見えるが、それは経験的に誤りである人間は200年生きることはできないし、食物と水を必要とし、種の再生産は生物学事実である人類の存続は、圧倒的には男女の性的関係依存してきた、というのが著者の主張である

著者は、性とジェンダーについて語る際には、自然事実とそれに付与される社会的構築との関係を論じることができると認める。しかし、自然事実のもの存在しないかのように扱うのは観念論である、と批判する。

また、バトラースポーツをめぐる議論で、男性思春期だけでは偉大なアスリートにはなれず、テニスコートへのアクセス個人トレーナー存在関係すると論じている点について、著者は「それは論理の飛躍だ」と批判する。階級的不平等があることは事実だが、それは身体性差問題を消すものではない、という趣旨である

著者は、社会的構築が幼少期から始まることは認める。子どもが「男の子」「女の子」と告げられた瞬間から服装、興味、教育機会、性格などについて多くの社会的期待が付与される。しかし、それは性という自然事実を消すものではなく、物質的要因とイデオロギー的要因が密接に絡み合っていることを示すだけだ、と述べる。

4. マルクス主義自然文化をどう見るか

著者は、バトラーが『ドイツイデオロギー』のマルクスエンゲルス引用しているにもかかわらず、その要点を誤解していると批判する。マルクスにとって、思想人間物質生活過程から生じる。観念イデオロギー現実を補強することはあるが、現実から切り離されて現実のものを作るわけではない、というのが著者の理解である

著者は、バトラーが「phantasm」とマルクスエンゲルスの「phantoms」を似たものとして扱っているようだが、それは違うと述べる。バトラー議論は、人が自分でそう考えれば何者にでもなれるかのような前提に近づいており、これはマルクス主義唯物論からは遠い、と批判する。

マルクスエンゲルスは、人間自然に働きかけ、食物や住居などの生存手段を獲得する過程を通じて歴史が発展し、観念も変化すると見た。人間自然の一部であり、単なるイデオロギー的構築物ではない。したがって、ポストモダン理論に合わないからといって、この見方時代遅れとして退けるのは、社会発展の理解放棄することだ、と著者は述べる。

著者は続いて、マルクス主義的な家族論を説明する。初期の「原始共産制社会には、性別間に一定の素朴な平等があり、女性母性役割理由とする差別は必ずしも存在しなかった。しかし、余剰富の蓄積、階級の成立、支配階級財産を守る国家装置形成財産継承保証する家族構造の成立によって、女性抑圧が階級社会の特徴となった。エンゲルスはこれを「女性世界史的敗北」と呼んだ、とされる。

資本主義のもとでは、家庭と職場の分離が明確になり、家庭内無償労働有償労働から切り離され、劣ったものと見なされるようになった。資本主義搾取規律は、家庭と職場の分離、個人化、ヒエラルキー同調性に適した家族必要とした。そこには性的同調性も含まれ女性子ども男性従属し、性は結婚内の生殖のためのものとされた。

この観点から著者は、LGBT抑圧の根源は、核家族規範への挑戦と見なされる点にあると説明する。したがって、それは家族制度と女性抑圧に結びついている。著者は、この歴史唯物論的な家族分析は、バトラーに見られるポストモダニズムや多くのジェンダー理論よりも優れており、同時に一部ラディカル・フェミニスト生物学決定論実証主義よりも優れている、と主張する。

5. 家族社会的再生

著者は、女性再生産における役割は中心的だと述べる。女性人類再生産に不可欠であるだけでなく、資本主義体制における労働力再生産、つまり養育・ケア社会化・教育にも深く関わっている。家族次世代労働者比較的低コストで育成するため、経済的社会的役割を果たす。

女性母親であること自体不利益でなければならない自然理由はない。しかし、それが資本家階級利益をもたらす社会的経済的理由は多く存在する、というのが著者の主張である

この過程において、性は現実であり、大多数の人々は生物学的に明確に男性または女性である、と著者は述べる。例外的曖昧なケースはあるが、それは性発達の差異であり、「インターセックス」という連続スペクトラムがあると示唆するのは誤りだ、という立場である

一方で、性が社会的にどう組織されるかは変化しうる。たとえば、2024年英国家族形態は、20世紀初頭の男性稼ぎ主モデルとは異なる。しか共通しているのは、家庭内労働の多くを依然として女性が担い、家庭外のケア料理、清掃などの社会的再生労働も、低賃金女性が多く担っているという点である

著者は、自然文化関係は複雑だが、女性生物学役割に色づけられていると述べる。女性けが出産できるという事実に、女性はより養育的で、自己主張が弱く、特定仕事に向いているといったイデオロギー的前提が付随する。こうした前提は、生物学とは無関係で、社会関係に由来するにもかかわらず、労働市場における女性不利益を補強する。

妊娠授乳更年期月経など、女性抑圧において生物学的要因はなお大きな役割を持つ。社会主義社会であれば、それに伴う圧力不利益の多くを取り除けるかもしれない。しか資本主義のもとでは、女性はそれらの要因に個人的対処することを求められ、その結果として不利益を被る、と著者は論じる。

著者は、バトラーが「子どもを産まない女性もいる」「閉経後の女性もいる」「さまざまな理由子どもを持てない女性もいる」といった例外を挙げることで、女性抑圧に生物学的要素があるという議論無効化しようとしている、と批判する。しかし、それは成り立たない。個々人の状況にかかわらず、家族における女性の中心的役割出産・養育者としての役割が、女性抑圧を規定しているというのが著者の主張である

6. 階級ジェンダー女性の恐怖の軽視

著者は、バトラー議論女性抑圧という特定問題を、より広い「ジェンダー抑圧」の一部として矮小化していると批判する。性差別を禁じる平等法も、バトラーにおいては、本人の性ではなく、ジェンダー社会的前提に関わるものとして扱われる。著者はこれを、現実カテゴリーである性をイデオロギーへと作り替える主観的観念論だと見る。

また著者は、バトラーが、女性専用空間や、レイプ家庭内暴力から逃れるためのシェルターなど、フェミニストが闘ってきた現実問題を軽視していると述べる。バトラーは「TERF」批判の章で、キャスリーン・ストックや J.K.ローリングを中心に攻撃するが、同様の懸念を持つ多様な個人組織を十分に扱っていない、と著者は批判する。

著者は「TERF」という語を侮辱的かつ誤解を招くものだと述べる。それは、ジェンダーアイデンティティ理論批判的な人を信用失墜させ、議論沈黙させる効果を持つという。著者は、反トランスの人々は存在し、それは間違っているとしつつも、左派社会主義の立場にありながらバトラー流のジェンダー理論に納得していない女性たちがいることを強調する。

そのような人々まで、極右ファシストの側に客観的に立っていると見なすの馬鹿げている、と著者は述べる。人種差別分析にもさまざまな立場があるように、性とジェンダー分析にも複数立場がありうる。トランス権利を支持し、あらゆる差別に反対することと、バトラー理論全体を受け入れることは同じではない、という主張である

著者は、ラディカル・フェミニズムについても、男性暴力男性からの分離を強調しすぎ、女性抑圧への階級対応を弱めていると批判する。しかし同時に、家庭内暴力レイプ女性の客体化と従属化の文化が深刻であることは認める。こうした問題は、女性解放運動によって政治問題化されたが、十分な資源や関心は向けられてこなかった、と述べる。

特に著者が不快に感じた箇所として、バトラー女性刑務所女性専用空間におけるレイプ性的暴行への恐怖を過小評価している点が挙げられる。バトラーは、男性看守による女性囚人へのレイプがすでに存在することや、レイプが必ずしもペニスによるものに限られないことを指摘する。しかし著者は、圧倒的多数暴力男性から女性に向けられており、レイプの大多数は男性ペニスを用いて行うものだと述べる。そのため、多くの女性男性男性身体に恐怖を抱くことには根拠があり、それを見下したり退けたりしてはならない、と主張する。

7. グローバルな女性労働階級

著者は、バトラー理論抽象的で、階級と抑圧の関係を十分に扱っていないと批判する。バトラーは「女性とは何か」を理解するには、グローバルかつ多言語的に考える必要があると述べるが、著者は、文化差異だけでなく、物質生活現実も見なければならないと言う。

たとえば、フィリピンスリランカの女性たちは、自分の子どもを残して海外へ行き、清掃やケア労働従事することがある。こうした女性たちは、受け入れ国の労働者女性男性黒人白人性的指向やジェンダー

2026-04-29

競技エリートといえるガチアスリート女子

イケメンに対してすら「蛙化したw」とか仲間内で大笑いしてピエロにする育ち悪い陽キャ男性的な強さを持ってて金に対する凄まじい執念持ってたりするけど(理想の男は「社長」とか即答したり)、そういう子がセックスときちゃんと喘いでイクことにとんでもなく興奮するのは普通よな?

から俺、そこらへんの少年みたいな顔した数々のアスリート女子(※選手引退含む)とばっかりセックスしてきた人生だった

ワカメちゃんかよってくらい後ろ髪を刈り上げてる子とかヘアケアスルー競技に打ち込んでたか中学生男子みたいにツンツンのタワシ頭の子とか普通いるからバックのとき風景はほぼホモセックス状態

2026-04-28

ハイテクジュースはい世界記録(笑)出ましたとか言ってるインチキ競技マジで恥ずかしくないの?

あんなのレギュレーションが変われば今の世界記録が全部参考記録になるような欠陥競技じゃん

アスリートなら全裸・裸足で走れよ!!!

2026-04-25

オードリー若林アンパラレルドのBMI回見た。凄まじい技術だな

https://tver.jp/episodes/epdcxrrlhz

Brain Machine Interface(脳波リンクする外付けデバイス。「念」を見える化する技術)

「念じれば動く」って、もう超能力魔法だよな

これ系の研究はだいぶ昔からある印象だけど

リハビリ」させるというのが意外だ。以前からあるものは「脳波キャッチして体を動かすサポート」というイメージだった

このBMI使用して、脳卒中麻痺した前腕をリハビリ6週間で「ほぼ健常」状態までもってくという驚異的な成果が示されていた

脳の損傷した部位を迂回して体を動かす。「違うルート開拓」そして「開拓したルート」を脳に学習させる

なんかこういうの見ると「念じる」っていう能力を鍛えておく必要があるなと思う

念じるというか想像するかな

でも、考えてみれば元々「体を動かす(特にスポーツ』)」っていうのは「イメージ」が大事だもんな

畳の上の水錬じゃないけれども、常日頃からちゃんイメージして体を動かすようにした方がいいのかもしれない

番組後半で言ってたけど、このBMIを使ってアスリート能力向上も見込めるとのことで

そんな高度なことも大事かもしれないけど、自分の様な「逆上がり出来ない」層にも希望の光を与えて欲しいもの

小学校の体育でも導入すべき!!

それはともかく、自分普段PT一生懸命リハビリさせてるのを見ているけれども、こういう技術が当たり前になってくれたら助かる患者も増えるだろうと思う

番組では他のリハビリアイテムなども紹介していたが

先進技術隆盛の現代ではこういったものが出てくるのは当然の流れよな

これからは「脳を損傷させない・損傷を治す」ということを目指すとともに「損傷してしまっても以前と同じ様に回復させる・動かせる」ことを目指すのも必須

それにしてもアンパラレルドは毎回おもしろ

若様社会派番組もっと増えたら良い。春日と偶にやってるAudrey!も良い

でも働きすぎるとまた体壊すので程々にしてほしい

2026-04-22

フーコー的生権力としての「性自認

トランスジェンダーイデオロギーは、生物学的性(sex)を「社会的構築物」と位置づけ、個人性自認gender identity)を内面的な真理として絶対視する考え方であるクィア理論脱構築的枠組みを基盤にしつつ、より実践的・政策指向が強い点が特徴だ。一方、ダイバーシティエクイティインクルージョン(DEI)活動は、これを「多様性」の象徴として企業学校行政に浸透させ、異論を「トランスフォビア」として抑圧する仕組みを提供している。

ミシェル・フーコー理論特に権力(biopower)と医療化medicalization)の観点から見ると、このイデオロギー皮肉にも「解放」の名の下に新たな権力装置として機能している。フーコーは『性の歴史』で、近代権力が性や逸脱を「種(species)」として分類・内在化し、医学心理学を通じて主体生産管理すると分析した。トランスジェンダーイデオロギーは、まさにこのメカニズムを逆手に取り、性自認を新しい「内面的真理」として生産し、生(身体・発達・安全)を再管理している。

性自認の真理生産と生権力の再配置

トランスジェンダーイデオロギーは、性自認を「本人が知る絶対的な内面」として位置づけ、生物学現実性的二形性、ホルモン影響、筋骨格差)を「抑圧的な構築物」と退ける。これにより、新たな規範の再配置が生まれる。女性専用スペース(刑務所トイレ更衣室、スポーツ)の境界曖昧化され、性自認優先の政策が推進された。

英国刑務所では、2025年3月時点でトランスジェンダー囚人が339人(前年比15%増)と急増し、トランス女性(出生時男性)の性的犯罪歴率が極めて高いデータ過去に示されている。女性囚人全体の性犯罪率が約3.3%であるのに対し、トランス女性では男性型のパターンが維持される傾向が観察された。これは、フーコーが言う生権力典型——生物学的性の古い規範解体たかに見せかけつつ、性自認という新しい分類基準身体安全を再管理する装置だ。結果、生物学女性安全権が再配分され、脆弱層への被害転嫁を招いている。

スポーツ分野でも同様の再配置が見られた。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重が優先された結果、身体的優位性による不公平女性アスリート安全問題が深刻化した。イデオロギーが「包括性」を掲げながら、実際には生物学現実無視した生の最適化を試みた末の修正である

医療化の逆説——「非医療化」の名の下の新たな管理

トランスジェンダーイデオロギー医療であるgender-affirming care(性自認肯定ケア)は、思春期ブロッカークロスセックスホルモン積極的に推奨してきた。しかし、英国のCass Review2024年最終報告)は、関連エビデンスの質が「極めて弱い」と結論づけ、長期的な精神衛生改善効果安全性に強い疑義を呈した。思春期抑制剤の使用原則として臨床試験限定され、包括的心理社会的支援へのシフトが推奨された。

フーコー医療化理論から見れば、これは非医療化仮面かぶった新たな医療化であるDSM-5やICD-11性同一性障害病理表現が緩和された「反医療化」は、一見解放的に見えるが、実際には性自認を新しい「真理の内面」として医療教育管轄下に置いた。フーコーが指摘したように、権力病理化だけでなく脱病理化によっても主体生産する。軽度の苦痛は「多様性」として肯定され、重い併存疾患(自閉症スペクトラム不安うつなど)や社会的影響(Rapid-Onset Gender Dysphoriaで指摘されるピアインフルエンスやソーシャルメディア役割)は十分に検討されにくい構造が生まれた。

結果、若年層の急増現象社会感染的な側面を持つ可能性が指摘される一方、イデオロギーはこれを「自然発見」として扱い、慎重な鑑別診断を遅らせる。フーコー的に言えば、これは生権力生産性——個人の「生」を性自認という枠組みで最適化管理しようとする試みだ。

DEI活動役割——言説統制と規範強制

ダイバーシティ活動は、トランスジェンダーイデオロギーを「インクルージョン」の象徴として組織に浸透させた。しかし、これは真の多様性ではなく、新たな単一規範強制として機能している。異論(Cass Reviewのような科学的慎重論や生物学現実の指摘)は「ヘイト」として排除され、言論空間が萎縮する。フーコーの「言説の秩序」論で言えば、特定の真理(性自認絶対性)が制度的に優位化され、他の知識進化生物学発達心理学犯罪パターン性差研究)が周辺化されるプロセスだ。

DEIは「多様性」を掲げながら、生物学女性の権利、親の関与権、科学エビデンスに基づく慎重さを犠牲にする矛盾を抱えている。これは、クィア理論脱構築とは異なり、実務レベルでの生の直接管理(人事方針教育カリキュラム医療ガイドラインへの介入)として現れる側面である

フーコー批判——権力螺旋と遅延効果の欠如

フーコーは、抵抗のものが新たな権力装置を生む「権力螺旋」を繰り返し指摘した。トランスジェンダーイデオロギーとDEIは、まさにこの螺旋に巻き込まれている。生物学規範の抑圧を批判するはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体・発達・安全を再分類・管理する生権力として機能してしまった。

真に人間らしい多様性とは、生物学現実直視しつつ、苦痛を抱える個人への共感的な支援科学的に行うことである

イデオロギーが「肯定排除か」の二元論矮小化する限り、社会コストは増大する。2024-2026年国際的修正(Cass Review後の欧州シフトIOC生物学女性限定方針)は、現実がこの生権力限界を突きつけ始めた証左と言える。

成熟した社会は、フーコー物差しで自らの権力装置不断批判し、イデオロギーではなく害の度合いとエビデンスに基づくバランスを求めるべきだ。様々な性自認を抱える個人尊厳尊重しつつ、女性子供保護科学的慎重さを犠牲にしない——それが、本来ダイバーシティ意味だろう。

クィア理論皮肉フーコー視点から批判

クィア理論は、ジュディス・バトラーイヴ・コソフスキーセジウィックらによって展開された、異性愛中心主義ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧から解放を目指したはずであるしかし、21世紀に入りこの理論制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。

新たなジェンダー規範の再配置:性自認優先の制度

代表的な事例が、女性専用スペースの「解放政策である英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランドウェールズ刑務所には339人のトランスジェンダー囚人確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性犯罪パターンを維持していることが明らかになった。

同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重した参加が認められてきた結果、生物学男性身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリート安全競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界曖昧化された。

これらは、クィア理論が唱える「規範撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。

人間本性の再定義流動性 vs 生物学現実

クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カスレビュー2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療エビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用原則禁止され、ホリスティック包括的)な心理社会的支援シフトする動きが加速した。

この再定義は、フーコー医療理論を逆手に取ったものだ。19世紀同性愛が「逆性的感覚」という医学カテゴリとして生産されたように、クィア理論性自認を新しい「内面的真理」として医療教育法制度の対象に据えた。結果、生物学現実進化的に形成された性的二形性や犯罪パターン性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性強制する新しい規範を生み出した。

ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義社会契約民主的プロセスほとんど経ずに急速に制度化された点であるホッブズルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由限界相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである民主的プロセス議会審議、科学レビュー国民合意形成公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策アカデミアや一部の運動から行政法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学現実潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。

社会契約民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想トレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間科学エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。

医療基準改定による「非医療化」の逆説——フーコー医療理論適用

ここで注目すべきは、医療基準自体改定による「非医療化」が、フーコー医療理論でこそ最も鮮やかに説明できる点であるDSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティのもの病理化する表現廃止した。ICD-112019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患から性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。

しかし、フーコー医療理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体生産管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護特権化され、適合しない重い衝動(非同意暴力要素の強いパラフリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力生産性」の典型である

犯罪者の脱人間プロセス二重基準階層

さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護特権化される。一方、非同意暴力要素の強い性的衝動(パラフリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うもの障害とする区別を設けたのも、この二重基準制度化した例である

フーコー的に見れば、これは生権力典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由自発的衝動抑制治療や専用環境選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさら孤立させる。

フーコー批判——権力螺旋に巻き込まれ抵抗

フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗のものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学女性子供)の安全権を再配分する事態を招いた。

社会契約民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会であるフーコー物差しで測れば、クィア理論実践規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。

2026-04-17

何で自分仕事に対してこんなに真面目なのか?

自分でもわからない

社会に出て15年ちょい、めちゃくちゃ頑張って頑張って

転職もして独立もして法人化もして、頑張って頑張って

 

すごく辛いんだけど

何でかわからない

勉強は嫌だったのに仕事は前のめりで取り組んでる

 

何でだろう

夢はFIREなんだけど、働きたくなんてないんだけど

不安なのかな?

ギリギリまでがんばってないと怖いのかも?

もしくはそういう遺伝子なのか?

 

いま40超えたけど、全然まだまだ成長しなきゃと思ってて

マインド社会人なったその時とあんま変わってないんだけど

なにこれ?

アスリート

 

今もAIでどうしたら会社伸ばせるかとか、お客さんの事業を前に進められるかとか

社会にとってより良いかとか、1年後2年後3年後どうなるかとか、ずっと考えてるんだけど

 

たまに褒められるんだけど、おいおいやめてくれよ俺は教室の隅っこで斜に構えてるタイプでそういうガリ勉とか熱血とか嫌いなんだよって

常にずる賢く、他の人より成功するためにやろうとしたら、真ん中の道が空いてただけなんだよって

昭和ならきっと犯罪者か何かになってたはずだって思うんだけど

 

はやく年収10億円くらいになって遊びたい

つらい

クソが

2026-04-08

夜泳

台風の余波がまだ残る夜、僕はまた家を抜け出した。水泳部時代、後輩たちから「憧れの先輩」と呼ばれていた頃の記憶が、時々胸をよぎる。

あの頃の僕は、完璧アスリートだった。全身を真っ黒に焼け、ツルツルに剃り上げたスキンヘッド陽光に輝かせ、パイパンに剃り上げた滑らかな肉体でプールを泳いでいた。

でも今、理性が静かに囁く。

「もうやめろ。中学生なんだから普通に戻れ」

だが、身体は全く別の声を上げていた。服を一枚も残さず脱ぎ捨て、スイムキャップを被り、ゴーグルをかけ、ランニングシューズだけを履いた瞬間、真っ黒な肌が夜の空気に触れ、若い肉体が雨粒を弾き、パイパン股間が露わになる。チンポが勝手に熱くなり、脈打つ。

世界一セクシー変態アスリート……」

そう思うだけで、胸の奥が甘く疼いた。後輩たちが知らないこの俺——自分を愛して愛して愛し抜く、貪欲純粋な俺——こそが、本当の俺だと、心の底から信じられた。完璧な表の俺と、獣のような裏の俺。そのギャップが、たまらなく愛おしくて、自己愛がどんどん膨らんでいく。窓をそっと開けると、冷たい雨が真っ黒な裸の肌を打った。

僕は走り出した。

走れ、メロス

夜の街を、雨に打たれながら、ただひたすらに走る。足の裏が濡れたアスファルトを叩き、冷たい風がスキンヘッドを撫で、真っ黒な全身を包み、チンポが重く揺れるたびに、身体の奥から熱がこみ上げてくる。雨粒が胸の突起を、腹を、太ももを、そしてパイパンの腫れ上がったチンポの先端を直接叩く感触が、ぞわぞわと快楽を呼び起こす。

「最高だ……真っ黒な体、このスイムキャップ、このパイパン……全部が俺で、全部が美しい」

理性が「やめろ」と囁くのに、自己愛がそれを押し潰すように膨張していく。運動公園トイレに着くと、僕は大きな鏡の前に立った。雨で濡れた自分の姿が、ぼんやりした蛍光灯の下で浮かび上がる。

真っ黒に焼けた筋肉ラインが雨に光り、スイムキャップが濡れて艶やかで、パイパンの腫れ上がったチンポがピンク色に脈打っている。獣のように腰を落として鏡に顔を押しつけ、舌を這わせながらしごいた。唾液が鏡を伝い、チンポの先から透明な液が床にぽたぽたと落ちる。

理性が「鏡なんか見るな、早く家に帰れ」って言うのに、身体は「愛してる、俺……お前のこの勃起、最高にエロい……理性よ、黙って見てろよ」と、静かに、でも激しく動く。

水の中を泳ぐような滑らかな手つきで、自分を愛でる。切ないほどに。鏡に映る自分が、まるで水面に浮かぶ自分の影のように、遠く感じて、でも愛おしかった。ゴーグル越しに自分の目を見つめながら、僕はゆっくりと腰を前後に振り、チンポを鏡に軽く打ちつけるようにした。

「俺は俺が好きすぎる……この姿が、世界で一番美しい」

自己愛が、鏡の中でさらに膨らみ、理性の声を飲み込んでいく。

走れメロス

公園を出て商店街アーケードに入ると、シャッターの冷たい金属感触が真っ黒な背中に広がった。

僕はチンポを壁に押しつけ、腰を振った。雨の残る地面の泥を両手で掬って、体に塗りたくった。胸、腹、太もも、そしてパイパンのチンポと乳首と尻の奥まで、冷たい泥がべっとりと張りつく。

「壁よ、俺の熱いチンポを感じろ……変態アスリートの壁コキタイムだぜ!」

自分で言って、少し吹き出しそうになった。

でも身体もっと自由を求めていた。水のように、どこにも留まらず、ただ流れる自由を。

走れ、メロス

シャッターの隙間を抜けるように、僕は再び夜の道へ駆け出した。泥まみれの真っ黒な体が雨に洗われ、走るたびに新たな水の感触が肌を刺激する。

「俺は最高だ……、愛おしくて仕方ない」

大通りへ出ると、台風の風が強く吹き始めた。

横殴りの雨が、真っ黒な体を鞭のように打つ。僕は低く構えて走りながら、チンポを握ってしごいた

走れ、メロス

水たまりを見つけた瞬間、理性が「やめろ」って叫んだのに、身体は飛び込んでいた。

クロールの真似をしながら、チンポを水面に叩きつけるように腰をくねらせる。冷たい水が皮をめくり、風が陰嚢を冷やし、雨が全身を洗う。

「走れ、メロス! 俺は変態アスリート! 嵐よ、もっと俺を犯せ!」

泥水を飲み込みながら、僕は笑った。自己愛が、嵐の中でさらに熱を帯びる。かつて通った小学校の校庭に着くと、僕はグラウンドの真ん中に倒れ込んだ。

仰向けに両足を大きく広げ、腰を浮かせて土にチンポを擦りつけた。

雨が容赦なく叩き、風が体を冷やし、泥が尻の奥まで染み込む。

両手で激しくしごきながら、腰を振り続けた。

理性が「もうやめろ、狂ってる」って泣くのに、身体は大地と嵐に溶け込んでいた。

「風よ、吹け!嵐よ!俺はここにいるぞ!」

「大地よ!お前にこの美しい変態アスリート身体を捧げる!」

「俺の子を孕め!俺の熱い精液を全部飲め!もっと深く俺を犯せ!」

走れ、メロス

射精の瞬間、熱いものが飛び散り、雨に打たれて泥に溶けた。

体が震えて、少し切ない満足感が胸の奥に残った。それでも身体はまだ疼いていた。家に向かって走りながら、街灯の下で時々止まってチンポを晒し、腰を振った。

走れ、メロス

パトカーの灯が見えたとき心臓が跳ね上がった。商店街の隅に隠れ、ライトが照らす中でチンポを扱いた。

「俺を見てくれ……警察のおじさんも、俺のこの変態アスリートの姿を見てくれ……」

「俺はここにいる……全裸勃起したまま、嵐に犯された中学生がここにいる……」

二度目の射精が来て、膝が崩れた。なんとか家に帰り着き、熱いシャワーを浴びた。

チンポがまた硬くなって壁に擦りつけ、もう一度した。

鏡の前で全身を押しつけ、激しくキスしながら。

「かっけぇええ……俺は世界一変態アスリートだ……

露出狂ナルシスト、嵐に犯されるマゾ、理性なんか無視して暴走する中学生……」

「俺は俺が愛しすぎる。明日も、明後日も、ずっと走り続けるぞ!」

翌日、友人のたけしとスマブラをした。

ピカチュウセックスしたいなって思った。

2026-04-07

非公開と全世界大公開の2択しかないの、やばいよね

JK彼女のハメどり動画とか女子アスリートの密着動画ぐらいでグダグダ騒いでんなよ、って思うけど

まあ全世界のみなさまに大公開されるべきものなのかと考えると

しかにそれは良くないと思うよね

2026-04-05

実写デビルマン水田のシーンを書かずにいられない

まりツッコミどころが多すぎて書かずにいられなかった

場面、デーモンの容疑をかけられた男がデーモンなんとか隊から逃げるシーン

めちゃくちゃ姿勢れいにめちゃくちゃ走る男、なぜか転ぶ

アスリート!?ていうかなんで水田の真ん中走ってんの?!

しかし、転んでからは急によたよたしだす

さっきの走りは!?舐めプ!?

車の中から颯爽と飛び降り白い服の男たち

ゆっくりライブ演者が観客席に降りる時のあれに似てる。

なんか一生懸命捕まえようとしてるがなぜか後ろに下がったりしてなかなか捕まえない

全員首にしろ

そこで司令官っぽい人が射殺すると遠くからなんか言い出す

「殺すぞー!」

まるで運動会のように急に叫び出す。射殺しろ!とかじゃなくて殺すぞ!

「捕まえたぞ!」白い服の人。

逃げた猫を捕まえた時のノリ。

デーモン容疑者を二人で腕を肩にのせ、ぱちゃばちゃ戻る白い服の男

間違って川に落ちた中学生友達が連れていくような…ていうかあんなに怖がっていたのにがっつり密着して連れていくんだ

「彼は同じ職場の同僚だった…」

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽ

唐突に笑い出す謎の男、おしまい

2026-04-02

カリフォルニアアイアンマントライアスロン大会)でトランス男性ばかりのチームが3位に着いたらしい。

「生まれ持った体の特徴は変わらない」とか「男子カテゴリー競争したがるトランス男性アスリートはいない」とかよく言われるけど、普通にやれるもんなんだな。

まあそもそもこのチームの一人は学生水泳で実績をあげている人だし、世の中にはデュアスロン国際大会アメリカ代表男子カテゴリーで出たトランス男性もいるし、単に知られていないだけでこれまでも活躍してるんだけど。

2026-04-01

anond:20260331044808

女性出産育児で不利になるのってアスリートなどごく一部の職種に限られるけどね

なんなら、男性側には女性出産育児してる間も稼がないといけないという足枷があるわけで

2026-03-27

メイドカフェメイドさんに元気をもらった話

自分は常に落ち込んでいる。

それがもはや「基本」になっていて、

そのまま数十年生きている。


ものすごく低調になることはさほどないが

過去には何回かあるが)

ちょっと落ち込んでる」がベースで、

気持ちの中心線(線より上がポジ、下がネガ)より上がることはほぼない。

「今は楽しい」「今はうれしい」ということはたまにある。


さて、もう10年くらい前のことだが、メイドカフェに行った。

行ったことがなかったので、どんなものかと思ったのだった。

ベタな「メイドカフェ」を体験たかったので、秋葉原の有名店にした。


確か同じビルに同じ店舗がいくつも入っていて、

どこに行けばいいんだ? と思ったような気がする。

とにかくまぁ、どっかの店に入った。


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


と、言われたかどうかは定かでない。

とにかくほとんど何も覚えてない。

多分、一番安いコーヒーを頼んで、1時間かそこらいて、

会員証のようなものを作って、普通に退店したと思う。


その時に、やたら話しかけてくれるメイドさんがいた。

メイドカフェにおいて客とメイドさんの関わり方とはどんな感じなのか、

見当もつかないまま行ったのだが、

なんだかやたら話しかけてくれるな? とは思った。

しばらく話すと離れ、また少しすると来て会話をしてくれる。

入店前に「さすがにずっと付きっきりみたいなことはないだろう」と思っていたが、

それにしても話しかけてくれるな? とは思った。


そういうものなんだろうか、と思いながら店を出た。多分。


帰途を経て、自宅に戻った。そして気づいた。

なんか…なんだか…元気になってる!

なんだこれ、なんかちょっと元気だぞ。

気持ちの中心線より、ちょっと上のあたりを、

フラフラ飛んでいるような感じがある。

なんで? いや、あれか? あれしかないよな…。


どうもあのメイドさんお話をしてくれたことによって、

自分は元気をもらってしまったらしいのだった。

そんなことあるんだ。

誰かと喋って高揚する、という体験過去になくもなかったが、

ここまでじんわりと、しかしはっきりと、

「元気をもらう」としか言いようのない体験は初めてだった。


何度も「元気をもらった」と書いているのは、

例えば「惚れた」とか「恋に落ちた」とかそういう感覚ではなかったから。

瞬間湯沸かし器みたいな激しい感覚ではなく、

じんわりと、なんだかちょっといい気分である…という半身浴的な感覚だった。

(あるいは寝湯でもいい。寝湯いいよ。みんなやりな)


メイドさんや、あるいはアイドルミュージシャン芸人アスリート

なんでもいいが「元気をあげる」なんてのは世迷言も世迷言戯言中の戯言である

そういう風に思っている、いや確信している自分がいる。

いるが、お前が実際に元気もらっちゃってんじゃねーか、という実績もある。

常に落ち込んでいるような人間が、

一人のメイドさんに、本当に元気をもらったことがある。

から「元気をあげる」なんてのも、全部が全部、嘘ではない。

そんな、小さい、けれど、確かなきらめきが、この世にはあるのである

2026-03-23

今日も結局おにぎりだった

今日昼ごはんコンビニおにぎり2個で済ませた。

梅と、ツナマヨ。この組み合わせで何年生きてきたんだろう。考えたくない。

なんか金メダル取ったフィギュアスケート選手食事管理を徹底してるって読んだ。朝昼晩のたんぱく質量を全部把握して、競技前の糖質タイミングまで計算してるらしい。すごいな、と思いながら缶コーヒー飲んでた。

自分今日を思い返す。おにぎり2個、缶コーヒー、昼に無性に甘いものが欲しくなって自販機チョコ。夜はカップ麺ビール

トップアスリート食事勝負を決めてるとしたら、自分食事で何を決めてるんだろう。何も決めてないな。ただ空腹を処理してる。

そういえばわさビーフ工場止まってたとき、けっこうつらかった。コンビニ行くたびにあの棚を確認して、ないとちょっとがっかりして帰ってた。あの感情はなんだったんだろう。食への執着ってわさビーフで発動するんだな、自分は。

再開したと聞いてすぐ買いに行った。おいしかった。変わってなかった。

よかったのか、なんかちょっとさみしかった。なんで。

母親が毎朝お弁当作ってくれてたんだけど、卵焼きが甘いのが嫌いだった。なんかそれが今でも時々恋しくなる。

夜中にコロッケが食べたくなることがある。スーパーに行く気力はない、そういうやつ。

2026-03-13

チャンスなんてないじゃん

チャンスは皆にあるんだみたいなことを言われるけどないじゃん

知能が高くないか高学歴にはなれないし、スポーツ芸術の才能がないかアスリートアーティストにはなれない

笑いのセンスがないかお笑い芸人にもなれないし、容姿が良くないかモデルになれない

まれでハズレを引いたら、最初から何のチャンスも与えられずに使いつぶされるだけの労働者として一生自分人生を奪われ続けるだけじゃん

この世の何が面白いんだよ

出来レースすぎて全然面白くない

2026-03-11

パラリンピックって難しいよな

パラリンピックはまず障害者じゃないと参加資格がない。

その時点で限られた人間大会は、さらアスリートになってる障害者じゃないと参加できない。で、おそらく年々レベルは上がっていると思う。

思うんだけど、上位のレベルを上げるには競技者の全体数が多い方が有利だと思う。

まりまとめると、障害者が多い国が有利。

でも障害者は狙って作れないでしょ。障害者になりたい人もいないでしょ。

2026-03-04

バレエ鑑賞の楽しみ方を身につけたいもの

白鳥の湖』とか『くるみ割り人形』は曲として大好きなんだが、バレエ視覚情報の楽しみ方、面白がり方を知らない

母や姉が熱心なバレエ趣味で実際にやったりしてたし直接聞いてもいいかもしれない でも演者の鑑賞観点って門外漢のそれと絶対着目する場所うから参考にならない予感

ミュージカルと同じ構造の予感があるな

すなわち演者ごとの差異見出して違いを楽しむみたいな クラシック音楽指揮者違い同曲演奏を聴き比べる的な

ももっとシンプルな、単純な、素朴な楽しみ方もある気がするんだよなあ

単純に「自分趣味じゃない」「感受性がない」「アンテナが育ってない」かもしれんが

ああそうか、自分ダンスに感動し面白がる感性を持っていないのかも?

あるいはスポーツ鑑賞、アスリートパフォーマンスを見て楽しむ感覚か?どちらにせよ持っていないか この役を演じるには32回転できる能力必要、とかすごくアスリート

それだけじゃないよなあ?演劇性質を持つんから オデットとオディールの演じ分けみたいな話もでてくるよなあ

じゃあ予習したくなっちゃうね、無言劇だからなあ そこらへんが敷居の高さか

まあ今のままでも全然いいけどね

アマプラ白鳥の湖ミュージックビデオがあるから皿洗い中にBGVとして流すくらいの今の距離感で十分楽しめているし

明日健康診断なんだけどうんちが出ないかサンプルを採取できない

ふたつ必要なのに……

日記

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バレエ音楽が好きなんじゃなくてチャイコフスキーが好きなだけなんじゃないの?

そうかもね

うんちでそう、気配を感じる

安心 ひとつ

[]ブルマーに対する肯定的意見 ~少数派の声を拾う~

「全員が嫌だった」……本当?

基本的ブルマーは無くなってよかったと思っているんだけれど、女子全員が不快だと感じていたという意見を聞くと「本当だろうか?」と疑ってしまう。歴史に興味がある人にとって、あるいは聞きかじりであっても学問に関心がある人にとって、「全か無か」の発想を聞くと、本能的に疑いの念が兆す。

以下、ブルマー肯定的意見ピックアップしておく。ただし、少数派なのは間違いないだろうし、このリストをもってブルマー肯定しようとするのは、チェリーピッキングに他ならないだろう。

黒柳徹子場合

「窓際のトットちゃん」で黒柳徹子が、先生ブルマー姿で演技をすると太腿が震えて大人っぽくて、それに憧れたという記述があった。ただし、時代を考えるとどう考えても提灯ブルマーであり、ショーツブルマーではありえない。

また、これは本人が着用した記録ではない。

とある四十代女性場合

https://mainichigahakken.net/essay/article/post-4986.php

40歳になっても夏はブルマ、冬はルーズソックス! 四半世紀以上前ファッションがやめられない理由

こちらはコロナ禍下でジムも閉鎖され、家で運動をしていた女性が、膝関節や股関節自由を求めてブルマーを身に着けた経緯が書かれている。

そして冬はルーズソックスを追加している。ハイレグレオタードにレッグウオーマーってなんで普通にジャージでやらないんだと思っていたが、それなりに合理性はあったんだろうな。

多分漫画化したのがこちらになる。

https://mainichigahakken.net/essay/article/post-75711153.php

pixivで発表された個人経験

https://sketch.pixiv.net/tags/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%96%E3%83%AB

こちらは同級生のぴったりしたブルマーに憧れていたという体験談

ブルマーというよりは、すっきりした体型への憧れかもしれない。

かつみさゆり場合

あとは「かつみさゆり」のさゆりが五十代でブルマー姿で鉄棒をしている動画もあったりする。

https://www.instagram.com/reels/CgB1bHZhrpD/

https://www.instagram.com/reels/CuwchdYuXkD/

https://www.instagram.com/reels/DMIG7OoyrV0/

注意喚起

ただ、注意しなければならないのは、ここである程度ブルマー肯定的に身に着けているのは、ほとんどが、①成人しており、誰から強制されていない、②屋内であるケースが多く、不特定多数の目に触れない、③インフルエンサーなどが水着ほど露出の多くないコスプレとして採用している(最近ブルマー姿でヨガをしている姫すずがお気に入り)、④場合によっては懐かしさやウケ狙いの要素がある、といった状況である

geminiのハルシネーション

geminiにブルマーについての肯定的意見のある書籍リストアップするように命じると、

ブルマーの謎」に「(以前の提灯型に比べて)今の密着型のほうが足が長く見えるし、動きやすくてかっこいい」という声があった、と出力してきた。また酒井順子エッセイで、提灯ブルマーからナイロンブルマーへ変わった際、それが「アスリートっぽくて、シュッとしていて、かっこよくなった」という声を紹介している、とも出てくる。しかも、「セブンティーン」などの女性誌に「新しいハイレグカットブルマーは足が細く見えるから好き」「スポーツブランドアシックスミズノなど)のロゴが入っているのがおしゃれで憧れる」という声がある、とまで出てきた。

まったくもって疑わしい。だが、何度AIに反問しても、著者名を変えたり、出典を揺らがせながら、同じような答えを返してくる。そもそも著作権のある文章学習させたはずがなく、かなり怪しい。

これは典型的ハルシネーションだと思うが(実際、AI英米文学以外の出典探しをAIは苦手としている)、念のため関連書籍にそのうち当たるつもりだ。

これがハルシネーションではないかと疑っているもう一つの理由は、他のAIで試したところ、一切これらの書籍言及されなかったことだ。

【参考】

https://www.youtube.com/watch?v=LEZY_1smtw8

姫すず「ブルマ体操着ヨガ

海外の方にはわかりづらいだろうと、ハッシュタグが #bikinifitnessなのが興味深い。ブルマービキニではない。

テレビに写すと画質の良さにびっくりする。

余談1 これもブルマーなのか?

なお、これは全くの余談であるが、若いインフルエンサーコスプレイヤーがたまに身に着けている、短パンの両脇がえぐれて、ベルトとハイレグブルマーが一緒になった謎の衣装ブルマーと呼ばれていたりするが、伝統ってこうやって変質していくんだなって複雑な気持ちだ。

https://www.qoo10.jp/gmkt.inc/Mobile/Goods/Goods.aspx?goodscode=1101792239

正直、中途半端な短パンドルフィンパンツをブルマー混同しているのを見ると納得いかない。世界解像度が荒い。そっちの方がセクシーだと思う人の感覚尊重したいので、どうか検索したときに混ざって出てこないよう、誰か適切な名前を考えてくれないかおねショタショタおね、寝取りと寝取られ混同されているのが嫌なのと同じだよ。

【参考】

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84

ドルフィンパン

余談2 グーグルによる規制

あと、さら脱線するけれど、グーグルでいつの間にか「おねショタ」が画像検索できなくなるようサイレント仕様変更がされているの怖くない? 「地味子 水着」が出なかったし(「地味子 ヌード」はOKだった)、「幼馴染 イチャラブ」もダメ。「幼馴染 ラブラブ」はOK。こういう基準がはっきりしない、理由説明しない恣意的ルールって、正しい方向だとは思っても、すっきりしないんだよな。

もっとすっきりしないのは広告サムネイルで「死」「殺」の文字を一律で伏字にする態度だ。

なんというか、shitとは言っちゃだめだけどshootならいいみたいな偽善性や、とりあえず修正に従っておきましたっていう上っ面の態度を感じる。特にモヤモヤしたのが医療漫画広告で「性病」の「性」を伏字したことだ。たしかコウノドリ」だったと思う。話の肝心な主題を伏せてどうするんだ。その癖、過激漫画広告はどんどん増えている。首尾一貫しないし、「自主規制たから罰しないでくださ~い」みたいな意図が透けて見える。性病について堂々と語られる空気がなければ、性病蔓延と戦うのは難しい。

なぜアダルトビデオ業界のように、性病防止キャンペーンみたいな堂々としたことができないんだろ。

以上。

2026-03-03

おはようクズども。

甘ったれるな。目が覚めたか? 覚めてないなら今すぐ冷水を浴びろ。言い訳より先に蛇口をひねれ。体が震える? その震えが生きてる証拠だ。

走れ。天気? 関係ない。気分? 関係ない。やる気が出たらやる、じゃない。やるからやる気が出るんだ。脳みそは後付けで理由を作る臓器だ。先に足を動かせ。

飯をちゃんと食え。ジャンクで誤魔化すな。お前の身体資本だ。資本毀損して利益が出ると思うな。タンパク質を入れろ。炭水化物を恐れるな。量を管理しろ。食うのも仕事だ。

そして集中しろ。通知を切れ。SNSを閉じろ。誰かの人生を眺めてる暇があったら、自分タスクを一行でも進めろ。完璧を待つな。粗くてもいいから前に出せ。修正は後でできる。ゼロ修正できない。

今日調子が悪い」だと?知るか。調子が良い日だけ成果が出るなら、アスリート経営者もいない。凡人は気分で動く。結果を出す側は仕組みで動く。

冷水ランニング栄養。集中。これが最低ラインだ。特別な才能はいらない。継続けが差を作る。

さあ動け。甘えを切り捨てろ。今日を取りに行け。

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