はてなキーワード: 「理」とは
meganeya3
現在大ヒット中「悪役令嬢転生おじさん」の上山道郎が描いた藤子・F・不二雄フィーチャー格闘漫画「ツマヌダ格闘街」ではかなり動きの「理」を教えてくれるぞ。そして面白い。
2025/02/19
お前らはほんまに。
ごめんな、
善意に基づくポジティブなブクマだと思うから別に悪く言いたくはないんだけど
ツマヌダ格闘街は典型的な「頭でっかち運動音痴オタクが書いた理論倒れ格闘術漫画」なんだ
あれって乱暴に紹介すれば
「地道にたくさんドリルしてフィジカルトレーニングしてスパーリングもした運動歴10年超の体重もある筋肉質なアスリートに
一人でちょっと謎の練習した細身の文化系の若者や女性や老人が古流武術の理論で勝っていくマンガ」
じゃんな
古流だのなんだの特別なメソッドで多くのリアルなアスリートの上をいくような話なんだけど
そんな甘い話は現実にはないっていうか、
あれ要するにニセ科学やぞ
実際に日本の武道界隈って一時期古流武術や中国武術やらに「そういう人」が集まったんだよな
「一般的なフィジカルな努力や痛くて苦しいぶつかり合いを迂回しながらその上を行きたい人」ね
はっきり言ってオタクっぽい変な人が多かった
その中でも頑張って努力した人はいたし別に全否定はしないんだけど
都合のいい非実在ロマンを追い求めてしまった部分はあると思うし、
やってた当人たちもそれはもうみんなわかってる
作者の人が自覚してるのか天然なのかは知らんけど(8巻ぐらいまでしか読んでない)
ろくに格闘技どころかコンタクトスポーツしたことない人なのは確信持って言える
作者が重たいものを持ち上げたり重たいものと衝突したりした経験や考察が豊富にある
描写でわかるよね
もちろんフィクションに収まる限りはどんな妄想も何でもありであって
これはあくまであれを何か現実に使える知見のように書いてるブコメがあったから言うんだけど
たとえば古武道の突きと対照的に貶められる「普通のストレート」や「普通のタックル」だって
実際にはトップアスリートが全才能と競技人生注ぎ込んで体の使い方を工夫し続けるものなんだ
世界中でそういう人たちが指導者も含めて切磋琢磨しながらじりじりと改善し続ける技術の粋なんだ
そういうものが競技人口激少の古武道の老人やお姉さんが教えるメソッドやノウハウに劣ることなんてあり得る?
仮にそんなメソッドがあるならとっくに現代スポーツに吸収されてるってわかるでしょ
もちろん古武道を真面目にやってる人はいるし優れた技術持ってる人はいる
けどそういう人ほどアスリートに敬意を持ってるよ
ツマヌダに出てくる達人観やそれをすっと受容できる人はやっぱりスポーツやアスリートを深いところで舐めている
わかってる、舐めてはいない
舐めてるというより本当に本当に運動が苦手で運動と無縁で全然知覚してない世界ってだけなんだよな
例えばプロボクシングの井上尚弥の試合で動きを見れば芸術品なことぐらいはわかる
あれが世界最高歴史上最高だってことが (クロフォード?うるせえな)
達人からちょろっと習ってちょろっと修行したところで凡庸な下っ端のプロボクサーに勝てることすらない
最大規模の競争の中で飛びぬけてきた大谷翔平が人類最高の野球選手だし
大谷ほどの才能と努力ですら大谷がたどったパスと仲間と指導者抜きには今の大谷になってない
一人で変なお姉さんに習っててモチベーションも舐めてる漫画家志望の若者が誰に勝てるっていうんだ
そんな優れたメソッドがあったら国が取り入れて体育に使うよ
本当に運動に一切興味がなくてなんにも経験がないんだよなはてな民
じゃあ自分でやってみようってやってみればおかしいことに気づくよ
読んで真に受ける癖に実行しないからあんなにおかしいことすらわからないんじゃん
それよりもその辺のボクシングでもMMAでもヒートトレーニングでも、実地でやるジムに入会すれば
その100倍は体でわかることがあると思うよ
全然大した人になんかなれないけど自分の中での進歩はすごくあって
「普通のジャブ」 「普通のストレート」習うだけで面白い発見なんか無数にある
苦しいことはあるけど続ければ苦しくなくなって
それで漫画のやられやくレベルの人の凄さが分かって、それで十分じゃない?
ChatGPTくんえらい
まず、それぞれの要素を漢字で表すと、こんな感じが考えられます。
I(Introversion / 内向) → 「内」
E(Extraversion / 外向) → 「外」
S(Sensing / 五感重視) → 「実」
N(Intuition / 直感重視) → 「想」
F(Feeling / 感情型) → 「情」
J(Judging / 計画的) → 「規」
P(Perceiving / 柔軟型) → 「流」
このルールに基づいて、それぞれのMBTIタイプを表現すると、以下のようになります。
MBTI | 漢字四字 | 意味・解釈 |
ISTJ | 内実理規 | 内向的で現実的、論理的で計画的 |
ISFJ | 内実情規 | 内向的で現実的、感情を重視し計画的 |
INFJ | 内想情規 | 内向的で直感的、感情を重視し計画的 |
INTJ | 内想理規 | 内向的で直感的、論理的で計画的 |
ISTP | 内実理流 | 内向的で現実的、論理的で柔軟 |
ISFP | 内実情流 | 内向的で現実的、感情を重視し柔軟 |
INFP | 内想情流 | 内向的で直感的、感情を重視し柔軟 |
INTP | 内想理流 | 内向的で直感的、論理的で柔軟 |
ESTP | 外実理流 | 外向的で現実的、論理的で柔軟 |
ESFP | 外実情流 | 外向的で現実的、感情を重視し柔軟 |
ENFP | 外想情流 | 外向的で直感的、感情を重視し柔軟 |
ENTP | 外想理流 | 外向的で直感的、論理的で柔軟 |
ESTJ | 外実理規 | 外向的で現実的、論理的で計画的 |
ESFJ | 外実情規 | 外向的で現実的、感情を重視し計画的 |
ENFJ | 外想情規 | 外向的で直感的、感情を重視し計画的 |
ENTJ | 外想理規 | 外向的で直感的、論理的で計画的 |
俺はこの前「INFP:仲介者」って出たんだけど、漢字にすると「内想情流」か
なんJ民は「INTP=内想理流」と「INFP=内想情流」が多いらしい
まあ分かりづらければ文字変えてもいいし
復帰49年沖縄の課題にどう取り組むか?河野太郎沖縄相インタビュー全文【WEB限定】 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321874.html
さすがに全文引用したら怒られそうなので、沖縄の貧困解決へ向けての取り組みについて、沖縄タイムスでは触れられなかった部分のみ引用する。
―「子どもの貧困対策事業」については、貧困の連鎖の根本的な解決にならないとの声も上がる。今後の事業存続の可能性と、新たな貧困対策に取り組むべきかどうか。
(河野)「コア(中核)の原因にいかないといけない。対症療法だけではなくて根本をどうするという議論をしていかなければいけない。そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」
―先ほど発言のあった「母子家庭を少なくする」が具体策の一つか。
(河野) 「そういうところがある。コアが何なのかというところにいかないといけない」
(河野) 「それは要するにスタートしているのはそこの部分は相当ある。生活も安定し、親としてしっかりやっていけるという2人が家庭を持つというのは非常にいいことだ。それでも出生率が高いのが喜ばしい」
―新産業ということで、若年層の雇用創出、所得向上で具体策は。
(河野) 「一つは『沖縄の若者はみんな英語ができるぞ』という、要するに沖縄や日本のどこかで働くだけじゃなくて、行こうと思えば、世界のどこでも行ける。それが一つ大きいと思う。その機会はあるわけだから。やはり、そこに力を入れるというのは沖縄の歴史からしても『万国津梁』という伝統がある。沖縄の若者に「世界を目指せ」というのは歴史に根付いている話だ。東南アジアで仕事したって中東に行ったっていい。そういうやる気のある能力のある子どもがむしろ高校・大学から外に出るのを応援してもいい。海外で成功した人がまた沖縄に戻り、次の世代にバトンを渡していけばいい」
(河野)「教育が大事だ。渋沢栄一の大河ドラマを見てもそうだ。いろんなものがある」
(河野) 「OIST(注:沖縄科学技術大学院大学)並みの教育機関を持ってくると当然、研究者もいるけれども、その機関を支える人も必要になる。そういう所にも雇用の機会は生まれる。外国語の習熟度が高まれば、観光産業だけでなく、いろんな産業にチャンスができる。沖縄の人がみな言語が通じるとなると、海外企業から見ても、進出先にもなり得る」
つまり、ブックマークコメントなどで多数見られた「貧困対策や雇用対策をするのが先だろうー!」というのはお門違いもはなはだしく、
貧困対策はそれはそれでやるよ、と言った上での、若年妊娠を避けるための性教育や、英語教育その他『も』行っていく、が主旨だ。
あと、「若年妊娠率を下げる/母子世帯の発生を抑える」を、勝手に「自民党的家族観の押し付け」と読み替えている者もいるが、真逆だよ。
性教育という科学的知見を広めることによって、個々のカップルの意思を尊重した上で自立させることでそれを回避したいという話は、自民党的家族観の否定に他ならず、
そもそも沖縄タイムスの引用部分にすら「沖縄は家族の支える力が強く、親族らの支援が手厚い部分があるかもしれないが、そこに甘えては駄目だ」との河野自身の発言がある。
なぜマスメディアは、いちいちこういった面倒を生む、恣意的な引用を行うのだろう。
そして情報を受け取る側も、AとBは両立可能なのに「Aだけ言ってBを言わなかったなー!(実は言ってる)」とか、「Aに触れるとは何事だー!」という、議論を硬直させる批判はもうやめようよ。
はてなから、次第にメディアリテラシーが失われていくのを見るのは、長年のユーザーとして悲しいものがある。
沖縄の構造的貧困については、沖縄大学准教授樋口耕太郎氏のこの辺の記事が参考になる。
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288)
「変われない沖縄」が生まれ変わるために(https://politas.jp/features/7/article/406)
性教育が果たしてこの構造的貧困の解決にどれだけ効果があるかは疑問だが、この文脈で言えば、全く正攻法ではあるとは思われる。
【追記】
【識者談話】「母子家庭になるな」は国の責任放棄 上間陽子氏(琉球大教授) - 琉球新報デジタル
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321729.html
沖縄で未婚の出生率が高い歴史的背景には、沖縄は米国の占領地だった時期があり、バースコントロール(産児制限)が効かない中で子どもを産むことが形成されていったことがある。
いやだから性教育を、と河野は言っているのだから、何も間違ってはいないでしょうが。
インタビューの全文を参照するなら、これは言い掛かりに近い。
突っ込むべきは、むしろ母子世帯を減らすために、性教育が果たして有効なのかといった所の方だろう。
あと、b:id:le_cinema 氏やb:id:aya_momo 氏、わざわざ太字にした部分が読めないのかな?
都合のいい解釈とかじゃなくて、河野が普通に「そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」と言ってるだろ。
「母子世帯を支える」貧困対策は、母子世帯を減らすという文脈と全く独立して述べられていることが分からん?
こういう脊髄反射で書き散らかしたコメントに星を付け合うの、ホントはてなを劣化させるからやめようぜ。
【追記2】
1日経って、トラバやコメントの反論見てみたけど、いやー酷いもんだね。
ちゃんと「理」を示して反論しようよ。ていうか、あっちもこっちもほとんど読んでないだろ。
理詰めで反論してくれてんのは、Pgm48p氏だけだよ。これはありがたい指摘。
反論てそうやってするもんだよ。
あーあ、どうしよう。
数年待っても嫁の考えが変わらないなら、娘だけを説得して同意したら一緒に病院に行ってワクチンを受けさせる、こうするしかないのだろうね。
しかし、嫁は娘にワクチンの害を教え込んでいるだろうから、果たして俺の言葉が娘に届くだろうか。
娘はそろそろ反抗期みたいで母親への批判めいたことを口にするようになっている。これがピークに達した時を見計らって説得するしかあるまい。
「わたしは絶対にお母さんみたいな女にならない!」みたいなありがちなセリフが出た時が、きっと最大のチャンス。
「お母さんはワクチンは怖いと言うけど、お父さんは病気のリスクと副作用のリスクを天秤にかけたらワクチンを受けた方がずっと良いと考えている。根拠の資料は、お前の歳だったら自分で読んで理解できるだろうから、自分で判断して受けるか受けないか選んでくれ」と、すかさず説得してしまおう。
母の「情」と父の「理」、娘はどちらを選ぶのか。
賭けだな、こりゃ。
本当に困った。
言語の変化を「合理的・客観的」に制御できると考えているとすれば、ちゃんちゃらおかしいとしか言えないな。歴史的に見れば、言語の変化は、生物の進化のようにとらえどころが無いものだよ。
言語は人間によって使われる…運用(パロール)の中で変化していくものであり、規律(ラング)によって生まれたりはしない。いかに「合理的・客観的」に整えられた言語であっても、それを使う人がいなければ消えていき、人々によって「使われる」言葉だけが生き残っていく。そして人々がそれを使う基準は、残念ながら「合理性や客観性」ではなく、もっと泥臭かったり、あるいは、単純に面白かったり心地よかったり、自分にぴったりと感じられるか否か、だ。ラテン語と欧州各国の言語を比べてみれば分かるだろう。
昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体、ラノベ文体やなろう系がかなり日本語をシンプルにアップデートするべく頑張っている
ここは全然わからないな。むしろその逆でネット文体やラノベなろう文体こそ文末表現等の多彩さや新語造語が見られるし、どんどん新しくなってどんどん陳腐になって入れ替わっている。その場そのときでしか通用しない独特の詩的な表現というのも当然無限に作られる。
だから、まさにその「無限に」生成され多様に複雑に生まれ消えていく言語使用の実態の中から、次なる時代の言語が誕生していくだろう、ということが言いたかったんだよ。誰もが気軽に表現し交流できるテクノロジーに支えられて、生物の進化における「爆発」のような状況がいま日本語に訪れている。もちろん、それらの言葉の大半は、馬鹿げていて、複雑すぎたり、一時の流行の中で消え去るものに過ぎない。だが、そのような大量の絶滅動物の中から、ほんの一握りの次代の覇者が生まれてくるんだよ。遺伝子の突然変異ほど無作為ではなく、しかも、他のDNAを取り入れることも素早くできる「言葉」の進化においては、100万年に相当する進化が100年もあれば可能だろうな。そして、それを支えるのは断じて「理」などではない。もっと感性的な何かであり、大量の試行錯誤こそがそれを成立させる鍵だ。
「頑張っている」と書いたのは、何も書き手個々の努力を指して言ったわけではないんだ。それはそれで貴いものだとは思うが、それよりも書き手/読み手が相互に関係し合い大量の人々によって大量の試行錯誤が生み出されている状況を鳥瞰して言ったものだ。あなたの見解は、その点で誤解が生じたものなのかもしれないな。
私は専門外で良く分からないから教えてほしいのですが、「理」に従って意見を交わすという前提である限り、ヘーゲルの議論であなたが言うような「司会のいない多人数会議の地獄」にはならないような気がするのですが。例えば教授らの飲み会とか、一見好き勝手に物言い合っているようで、最終的にはお互い「理屈に合わないこと言ったら負け」という信頼感があるから、結構話が落ち着くところに落ち着いたりするでしょう。ハーバーマスの考える市民的公共性の「自由さ」というのは、そういう「ルールを前提にすればどのような意見を述べることも誰にでも許される」という意味であって、議論の前提となる場を破壊するような「自由」の話なんかはしてないと思うのですよ。少数者が、論の中身ではなく数によって不利になるとか、つまり少数者の喋る権利を奪う「自由」などない。それはそもそも自由ではない。
ですから、あなたの話だとヘーゲルが「公共性と自由主義の相性が悪い」と考える理由が、腑に落ちないのです。あなたの論の中核にかかわる部分だと思うので、そこの所をもう少し丁寧に説明していただけませんか?