本書の帯には「自民党はなぜ勝ち続けるのか?」とあります。
 確かに2012年の衆議院選挙で自民党が民主党から政権を奪還して以来、選挙をすれば自民党が手堅く勝つ状態が続いている一方、野党はバラバラで、近いうちに政権交代が起きる可能性は低いと言わざるをえません。
 本書は、朝日新聞の政治部の記者によるものですが、この自民党の強さを、地方政治とそこで活動する地方議員のあり方を中心に探っています。自民党の強さの秘密は、デオロギーや組織力などではなく、「一番強いやつが自民党」という日本の地方政治のあり方にあるというのです。
 前半を中心にややとっちらかっている部分もあるのですが、自民党や日本の地方政治を考える上で多くの面白い視点が盛り込まれた本です。

 目次は以下の通り。
序章 「一番強いやつが自民党」
第1章 自民党の地方議員たち
第2章 大都市部の地方議員たち
第3章 地域の実情―勝ち上がれば自民入り
第4章 国会議員と「どぶ板戦」
第5章 連立を組む公明党の戦略
第6章 中枢を歩みながら自民党と対峙した小沢一郎
第7章 野党は何をしているか

 まず、序章に出てくる「一番強いやつが自民党」という言葉ですが、これは福岡県議会の自民党の重鎮である藏内勇夫の言葉です。
 藏内は、初当選時の県知事が社会党系だったこともあって当初は自民党と対立していましたが、「いつか自民党を牛耳る」との思いをいだき、その後自民党入りして福岡自民の県連会長に上り詰めます。思想的な立場云々ではなく、まさに一番強かったから自民党のトップに立ったというような人物です。

 2021年末時点で、自民党に所属する当道府県議は1261人、市区町村議は2177人ですが、地方議員、特に市区町村議の中には自民党員でありながら無所属を標榜する保守系無所属がたくさんいます。
 無所属の市区町村議は2万人ほどいると言われますが、そのうち半分が自民党員ではないかと言われています。

 第2次安倍政権のもとで自民党はイデオロギー色を強めたと言われますが、地方に目を転じると、そこにはイデオロギーでは区分けできない濃厚な人間関係があります。
 例えば、本書でとり上げられている宮城県大崎市の市議である門間忠は、長年、三塚博を応援していましたが自民党員ではありませんでした。「系列であれば、自民党員である必要はないんだよ」(37p)とのことでしたが、2014年に後輩に頼まれて自民党に入党しています。
 こうした地方議員の多くが中選挙区時代を懐かしんでおり、中央からやってくる落下傘候補を嫌がっています。門間氏も2014年の衆院選では「安住君は自民党みたいなもんだ」(40p)と立民の安住淳に投票しており、イデオロギーよりも人間関係という面が色濃いです。
 お隣の宮城4区でも、自民公認の伊藤信太郎が2009年の衆院選をのぞいて勝ち続けているわけですが、「地元を重視していない」と地方議員からの評判はよろしくなく、中選挙区制であれば別の人物を無所属で担いだのに、といった声も聞かれます。

 一方、都市部では自民党からの公認をもらって選挙戦に臨む市議が多いです。2019年の横浜市議会議員選挙でも当選者86名のうち自民党が33名です。
 都市部になればなるほど地区の有権者をすべて把握するといったことは不可能になり、党という看板がないと「この人は誰?」となってしまうからです。また、都市部のほうが市議の報酬も高いため(横浜市議は月95万3千円)、専業議員の割合も高いです。

 本書で紹介されている横浜市議の横山正人は、大学生時代から自民党学生部に所属し、2009年に横浜市に「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した教科書を採択させることに尽力したというイデオロギー色の強い人物ですが、彼は「全体をまとめること」に重きを置く保守系無所属のやり方に違和感を持っています。
 一方で、共産党からも賛成を受けて市議会の議長になったことを誇る面もあり、やはり地方政治がイデオロギーのみで動いていないことをうかがわせます。

 現在、自民党は保守系無所属の議員に「自民党」の看板をつけて立候補させようとしていますが、本部も自民党公認の地方議員が正確に何人いるのか把握していないなど、いい加減さは残っています。
 都道府県議選や、一般市区町村の市長選、市町村議選の公認権は都道府県連の会長が握っており、「地方のことは地方が決める」という風潮が強いのも自民党の特徴です。
 
 公明党や共産党と違って自民党はボトムアップの組織であり、地元の「強いやつ」を飲み込みながら成長してきた政党です。
 例えば、本書の第3章で紹介されている宮城県南三陸町の髙橋長偉(ちょうい)県議は、もとは地域の県議の後援会長を務めていましたが、その県議への不満から「反現職」の候補として担がれて1991年に当選しています。相手は自民党現職だったわけですが、髙橋は当選すると自民党入りしています。人望の厚かった髙橋のもとには髙橋チルドレンとも呼ばれる町議がいましたが、彼らも自民党に入っています。
 このように地元の名士が勝ち上がって自民党入りするというのは各地で見られるパターンで、人的ネットワークを取り込みながら自民党が地方に根を張っていることがわかります。

 また、九州のベテラン県議が「自治労OBは引退後、地元で町内活動を始めると、自民党支持になることが多い」(118p)と述べるように、かつての「敵」も地域の活動などを通じて取り込んでいます。
 町内会の活動は農家や自営業者が中心になることは多いですが、そうした人々は組織の動かし方に不慣れなために自治労のOBなどが重宝されることが多いそうです。そして、そこで自然と自民党とのつながりができていくことになります。
 ちなみにこの第3章の最後には、公共施設の破損等を役所にLINEなどで通報するシステムに対して、自民党のベテラン地方議員が「地方議員の中抜きだ」(124p)と警戒するシーンが出てきますが、このあたりも興味深いですね。

 自民党の国会議員には、初当選から一貫して自民の「一貫型」、自民党で初当選して、一旦離党したが、復党した「出戻り型」、他の政党公認もしくは無所属で初当選したが、その後自民党入りした「流入型」の3つのタイプがあるといいます。
 22年4月の時点で、自民の衆参国会議員374人のうち、一貫型が323人(86%)、出戻り型が15人(4%)、流入型が36人(10%)となっていて、一貫型が圧倒的に多いのですが、自民党の役員などをみるとちょっと様相が違ってきます。

 例えば、22年4月当時の幹事長の茂木敏充は最初は日本新党から当選した流入型、政調会長の高市早苗は無所属→自由党(柿澤弘治らと結成)→新進党→自民党という流入型、選挙対策委員長の遠藤利明は自民党の県議→日本新党推薦の無所属で衆院選に当選→自民党という流入型です。
 二階俊博と石破茂は出戻り型で、野田聖子や森山裕なども郵政民営化問題で一度離党した出戻り型になります。また、近年では細野豪志や長島昭久など旧民主党系の議員が自民入りするケースも見られます。
 これらの議員は選挙に強いのが特徴で、強者を引き込む自民党という特徴がよく現れていると言えるかもしれません。

 また、こうした風潮に拍車をかけたのが「二階方式」とも言われる、保守が分裂した際に、勝った方に追加公認を出すやり方で、「勝てば官軍」ならぬ「勝てば自民党」という形をつくり上げました。

 22年の参院選で宮城県選挙区で当選した桜井充は、もとは民主党の公認を受けた議員で、定数是正を受けて改選数が1となった16年の参院選では共産党を含めた野党統一候補として自民現職との激戦を制しています。
 ところが、その桜井は、野党では仕事ができないと、19年に国民民主党を離党し、20年に自民党入りしました。当然、地元の支持者、そして宮城の自民の関係者から反発が出ますが、茂木幹事長は「選挙で勝てる」という理由で桜井の公認を押し切っています。

 このように自民と民主の二大政党制という形は失われようとしているのですが、例外的に二大政党制的な状況になっているのが大阪です。
 橋下徹府知事の掲げた「都構想」をめぐって大阪の自民が分裂して以来、分裂先の維新が優勢な状況が続いています。維新の議員ももとは自民といった者が多く、どぶ板もこなしますし、府知事と大阪市長を押さえていることで行政とのパイプもアピールできます。
 ここも最後の「菅さんは総裁選で安倍さんが負ければ、自民を離党し、維新入りしていたはずだ」(170p)という横浜市議の言葉が興味深いですね。

 第5章では連立のパートナーである公明党をとり上げています。
 田中角栄は公明党について「実体はどうか。自民党ですよ」(181p)として自民もできない選挙運動をする公明党を警戒していました。公明党の漆原良夫も「政策からみれば、公明党は民主党と近い。だけれども、体質は自民党と似ている」(183p)と述べています。
 
 以前は、他宗教に対して排他的であった創価学会ですが、自公連立などを受けて、町内会などにも溶け込むようになっており、保守票の開拓にも力を入れています。
 創価学会の信者は地域での活動にも熱心で、空洞化が進む町内会などでも貴重な戦力になっています。引き受け手の少なくなった民生委員などに創価学会員が推薦されることも多く、今まで自民が根を張っていた地域に公明党も進出している状況だといいます。 

 第6章は小沢一郎へのインタビュー。実は著者は2010年1月から1年8ヶ月にわたって小沢一郎の番記者だったのですが、そのときはほとんど口を聞いてくれなかったそうです。
 ご存知のように小沢一郎は2度にわたって自民党を下野へと追い込んだ立役者ですが、彼が2006年に民主党の代表になると、まず力を入れたのが連合との関係づくりだったそうです。
 小沢は連合の幹部と地方を回り、地方の労組の人々にお酌をし、一緒に写真を撮ったといいます。こうして組織を固めていったことが後の政権交代にもつながっていきます。

 ただし、政権交代後に小沢が進めた陳情の幹事長室への一元化は大きな不満を呼び起こしました。小沢の狙いとしては、陳情を一元化することによって、野党に転落した自民党の力をさらに削ぎ、自治体や業界団体と民主党議員のパイプを太くすることがあったと思われますが、場合によっては市長が民主党の市議に陳情することもあり、これは地方の首長のプライドを大きく傷つけました。
 自民党と違って小沢はシステマティックな組織をつくろうとしたのかもしれませんが、それは地方の政治風土と合ったものではありませんでした。

 2021年の衆院選において、小沢はついに小選挙区で落選します。支持者の高齢化などさまざまな要因がありますが、著者はここに93年の自民党分裂のエネルギーが消失しつつある状況を見出します。
 93・94年の2年間に自民党から88人の議員が離党し、彼らが政権交代の中心になりましたが(小沢以外にも鳩山由紀夫や岡田克也もそう)、22年現在、野党で残っているのは88人のうち小沢と岡田の2人だけです(二階俊博や石破茂は自民党に戻っていった)。
 野党の中に自民出身者が多かったことが、保守的な人々の間にも政権を任せることの安心感を生んでいましたが、もはや今の野党にそういった安心感はないのです。

 最後の第7章では、各地で自民党と戦っている野党議員の姿を紹介しています。
 まず、立憲民主党の政調会長になった小川淳也ですが、彼はイギリスで勤務していた時に知った言葉である「保守政権は天然物で、非保守政権は人工物だ」(230p)を使って、「天然物」である自民党に対抗する難しさを述べています。
 大選挙区制がとられる日本の地方政治はまさに「天然物」の世界であり、ここの上に「人工物」である野党政権をつくるのは難しいのです。
 自民党のスタッフも「民主党が自民党との二大政党制を本気で確立するつもりがあったならば、政権を持っている時に、最低でも都道府県議選は小選挙区制に変えておけば良かったのだ」(235p)と指摘してます。

 野党系の議員でも選挙に勝ち上がっているのは、節操なく選挙運動のできる候補で、例えば、安住淳は選挙区の区割りが変更になると新たに地元になった自民党の地方議員にも電話をかけて直接挨拶をしようとするなど、アグレッシブな選挙活動を続けています。

 鹿児島3区から当選した立憲民主党の野間健は、常に「野間たけし」と書いた巨大な名札をつけ、「日本一の御用聞き」と名乗って地元を回っています。野党にいるために大規模な公共事業を動かしたりはできませんが、道路や河川の修繕など小さな案件をひたすら拾うことで地元の人々からの信頼を得ています。
 そして、市議選でも町議選でもすべての候補にため書きを送るといいます。ただし、巨大な名札にも名刺にもため書きにも、「立憲民主党」の文字はありません。

 09年に民主党から初当選し、21年の衆院選では無所属から当選を決めた茨城1区の福島伸享も徹底的などぶ板を信条にしています。とにかく集落に行ったら全部の家を回るそうです。自民党の国会議員でもしないことをすることで、地方政治では自民が圧倒的に強い地域の中でも、存在感を示すことができるのです。
 その福島はこんな事も言っています。「例えば、医師会と経団連が同じ党を支持するなんて、本来はあり得ない。医師会は配分を重視し、等しく医療を供給しましょうと。経団連はなるべく経済効率を上げましょうと。その2つが同じ党を支持することはないはずだ。もし、自民党一党による利権配分のシステムが崩れていけば、医師会はリベラルな政党を支持するようになり、経団連は保守的な政党を支持しようとなったはず」(275p)
 あまりにも長く続いた政権の中で、すべての利権や団体が自民党につながってしまっている。その中で野党議員として活動することの難しさを感じさせる言葉です。

 このように本書を読むと、地方政治における「自民一強」の状態が自民党の強さにつながっていることがわかると思います。
 地方の、人間関係がものをいう政治や、人間関係によって票を集める中選挙区制において、ときに無節操に人間関係を取り込んでいく自民党のスタイルが強さを発揮しており、野党に付け入る隙を与えていないのです。
 著者は最後に2012年初当選の安倍チルドレンが当選5〜6回を迎える2020年代後半に自民は分裂の火種を抱えることになるのでは? と書いていますが、確かに地方の足腰という点からすると「一強ゆえの自壊」を期待するしかないと思わせますね。