観光地や展覧会などに行くと、よく絵はがき(ポストカード)が売っています。絵はがきはそこに行った記念になり、投函することで他人にそこに行ったということを伝えることができます。
しかしそれだけではなく、明治~昭和の戦前期にかけて、絵はがきはさまざまな出来事を伝えるメディアでもありました。テレビやネットのない時代、絵はがきが事件や戦争を伝え、企業の広告を担ったのです。
この本は、日本に関連する絵はがきの収集を続けるラップナウ夫妻のコレクションを中心に、さまざまな絵はがきとともに明治維新とともに生まれた大日本帝国の歴史をたどっていきます。
著者は同じ平凡社新書の『移民たちの「満州」』が非常に面白かった二松啓紀。本職は京都新聞の記者ですが、立命館大学の客員研究員も務めており、日本の近現代史のさまざまな側面に目を配った内容となっています。
ただし、カラーで495ページというかなりのボリュームで、お値段も税抜き1400円と新書にしての規格をはみ出すようなものとなっています。
絵はがきをよく見せるといった点からすると判型はもう少し大きいほうがいいと思うのですが、新書でなければ自分も買っていたかどうかわからないわけで、なかなか難しいですね。
目次は以下の通り。
目次を見てもわかるように、この本の内容をはじめから順に追っていくと、日本近代史の流れをそのまま追うことになってしまうので、このではこの本の中からいくつかの興味深い部分を拾っていきたいと思います。
まず、北清事変から日露戦争のころのものとして紹介されているのは、欧米人の描いた風刺画的なものが多いです。中国をはじめ日本やロシア、あるいは他の欧米列強を人物や動物などに見立てた風刺画は数多く描かれましたが、こうした風刺画は絵はがきにもなっています。
さらに日露戦争が始まると、日本人の手による日本の戦勝をアピールするような絵はがきも登場します。また、戦勝だけではなく松山にあったロシア人の捕虜収容所を描いた絵はがきも数多くあります(64-65p)。日露戦争において日本が国際社会を意識して捕虜を丁重に取り扱ったという話は比較的有名ですが、捕虜たちのリラックスした様子がヴィジュアル的にも示されています。また、ロシア兵の捕虜には中立国のフランスを通じて給金が支払われており、この購買力によって松山の町も潤いました。捕虜に対する厚遇にはこういった背景もあるのかもしれません(68-69p)。
日本は日清戦争で台湾を日露戦争で南樺太を獲得し、さらに日露戦争語に韓国を併合しました。日本は植民地をもつ「帝国」となったのです。
台湾に関しては原住民に関する絵はがきが目につきます。台湾総督府は絵はがきの中で原住民たちが「教化」されている様子をアピールしていますが、こうした「教化」の一貫として、原住民の指導者たちに内地を観光させる「台湾蕃人観光団」というものもあり、それを写した一枚の絵はがきが93pに紹介されています。彼らの不安げな姿が印象的です。
樺太に関しては、ポーツマス条約の結果、北緯50°を境にして南は日本領、北はロシア領となったのですが その国境線は森林を10メートル幅で伐採することによって示されました。この「材木線」と呼ばれる国境を写した107pの絵はがきは興味深いです。
樺太にはアイヌ、ギリヤーク(ニヴフ)、オロッコ(ウィルタ)と呼ばれる人びとが暮らしていました。樺太庁は彼らを集住させ保護しましたが、それは「観光村」ともいうべきもので、彼らは観光客が訪れると洋服から民族衣装に着替えて記念撮影に応じたそうです(117p)。
また、朝鮮支配に関しても、133pに載っている「朝鮮の現住人口」、「朝鮮の貿易」という絵はがきも、明治期から昭和初期にかけて朝鮮の人口が増え、貿易も伸びていることを誇るような絵柄になってて興味深いです。
さらに朝鮮で百貨店を展開した三中井の京城店の絵はがきが138pで紹介されていますが、次の139pには満洲の新京の三中井百貨店の絵はがきも紹介されています。新京の街並みもわかってこれは興味深いですね。
第3章では第一次世界大戦のころの絵はがきがとり上げられていますが、まず目につくのが、ドイツで発行された絵はがきです。ここでは日本はドイツを背後から描く卑怯者として描かれており、また、「ドイツの難局」という絵はがき(155p)では、ドイツがハリネズミ、イギリスがライオン、ロシアがクマ、フランスがニワトリなのに対して日本は蜘蛛として描かれています。
この第一次世界大戦のさなかにシベリア出兵が行われましたが、ご存知のように日本は長期間出兵をつづけ得るものもなく撤退しました。もっと早く撤退できたとも考えられますが、この本を読むと尼港事件に関するセンセーショナルな絵はがきが数多く発行されていたことがわかります(虐殺された死体を写した「尼港黒龍江より引き揚げたる日本軍民の死体」(188p)、挑発的な犯人の姿を写した「パルチザンの首領トリヤピーチン女参謀長ニーナその他の幹部」(191p)。こうした絵はがきなどによって沸き立った世論が撤兵を難しくしたのでしょう。
他にも日本にやってきたポーランド孤児や、ロシアからの難民の姿を写した絵はがきもあり、第一次世界大戦のインパクトの大きさを感じさせられます。
明治以降、日本の産業は大きく発展しました。そんな様子を紹介しているのが第4章です。
まず、インパクトがあるのは212pの「(筑前八幡)豊山公園より製鉄所中央機缶を望む。実に壮観」という絵はがき。林立する煙突からもうもうと立ち込める黒煙は今なら公害としか思えませんが、当時は文明の証だったのでしょう。
一方、文明化の闇となっていた部分も存在します。フランスのキリスト教使節団が出した「日本の癩村」(216p)、「日本、御殿場のハンセン病患者楽団」(218p)には差別を受けていたハンセン病患者たちの姿が写っています。
この他にも、この章では三越の様子を描いた絵はがき(226-227p)、カルピスを売り出すために行われた国際懸賞ポスターの作品(239p)なども興味深いです。ちなみに有名なカルピスの黒人の図案はこのときの3位のものでした。
第5章は関東大震災前後の時代をとり上げていますが、まず目を引くのが「多民族だった「大日本帝国」」とキャプションがつく1920年の兵庫県臨時国勢調査部の絵はがき(258p)。旭日旗を背景に日本人、白系ロシア人、アイヌ人、朝鮮人、台湾の漢族系住民、南洋諸島の島民が描かれています。
また、1921年に行われら皇太子裕仁親王のヨーロッパ歴訪も、絵はがきだと着色されているぶん、くっきりとしたイメージを伝えています(266-267p)。
そんな大正時代の日本を襲ったのが関東大震災でした。絵はがきには倒壊した建物や火災の様子(278pの「猛火の中を右往左往に逃げんとする避難民の実景」のように後から炎と煙が描き足されたようなものもある)、死体や白骨の山などが描かれています。286pの皇居前に林立するテントを写した「宮城前の天幕張バラック」の絵はがきもインパクトがあります。
この震災からの復興を内外にアピールするために行われたのがオリンピックの招致でした。304pには五輪招致を盛り上げるために1935年頃に発行された絵はがきが紹介されています。
第6章では主に満洲に関する絵はがきがとり上げられています。
満洲は大豆の一大産地で、大豆粕が肥料として日本に大量に輸入されました。また、人口が希薄な満洲には山東省から出稼ぎ移民を押し寄せていました。314pには大連の埠頭に積み上がった大豆や大連駅で乗車を待つ出稼ぎ移民の姿を写した絵はがきが紹介されています。そして、これの物資と人が満州鉄道の経営を支えたのです。
もちろん、満鉄には軍事面での重要性もあるわけで、322pの「奉天駅における皇軍装甲列車の偉容」は、『天空の城ラピュタ』に出てきた装甲列車を思い出させます。
この満洲において日本は満洲事変を起こし満洲国を建国するわけですが、332-333pに載っている満州鉄道の路線図の絵はがきを見ると、満洲事変以降に満鉄が拡大していく様子がわかります。
また340-341pにはハルビンの様子を写した絵はがきも紹介されていますが、昭和初期のハルビンはロシア人が多く、「東洋のパリ」と呼ばれ、日本人にも人気の観光地でした。
特にロシア人の女性ダンサーは男性に人気だったようで「ハルビン新市街と露国美人のダンサー」、「享楽の国際都市ハルビンを味ふ」と題された絵はがきもあります。
しかし、ハルビンのロシア人は日本とソ連の関係の中で次第に居場所を失い、強制収容所送りになった人も多いといいます。
一応、独立国家の体裁をとったといっても満洲国は日本に依存した国家でした。それは、例えば350pの「満州帝国対外貿易趨勢図」の絵はがきに描かれたグラフからもわかります。貿易相手は圧倒的に日本でした。
また、日本から満洲への移民の送り出しも始まりますが、そのために満洲の素晴らしさを強調する絵はがきもつくられました。354pには笑顔の母親と赤ん坊を写した写真の絵はがきが紹介されていますが、その絵はがきは「子どもは太る(湖南営日本村にて)」と題されており、当時の日本の厳しい状況もうかがえます。
第7章では戦争へと突入していく昭和期の様子がとり上げられています。
日露戦争は日本の軍にとって輝かしい勝利でしたが、1915年の10周年も、1925年の20周年も一般の盛り上がりはいまいちでした。ところが、1930年の25周年、1935年の30周年となると大きな盛り上がりを見せるようになります。368-369pには日露戦争30周年を記念して発行された絵はがきが紹介されており、時代の移り変わりがうかがえます。
また、旅順は「聖地」となり、その戦跡をめぐるツアーが流行し、またそれらを紹介した絵はがきも発行されました。
戦時ムードが強まるに連れ、絵はがきにもその影響が出てきます。378-380pには第一次上海事変で活躍した「爆弾三勇士」の絵はがきが紹介されていますし、385pには関東防空演習を題材に関東防空演習防衛司令官の林仙之中将、荒木貞夫陸軍大臣、大角岑生海軍大臣、牛塚虎太郎東京市長の肖像写真が並べてある絵はがきも載っています。
一方、まだ海外から観光客を呼び込もう、国際的なイベントを成功させようという考えもありました。先述の東京オリンピックだけでなく、1940年には日本万国博覧会も行われる予定であり、398-399pにはその絵はがきが紹介されています。その中の「日本万国博覧会会場」と題された絵葉書には東京湾の埋立地につくられた会場の様子が描かれており、今の東京オリンピックの湾岸エリアの開発とタブって興味深いです。
他にも「反共」を訴える絵はがきもあって(409p)、「消化せぬ悪食」という言葉とともに「共産主義」「マルクス」「クロポキン酒」と書いてある食事が並んだものなどがあります。
第8章は日中戦争と太平洋戦争期。日中戦争の初期においては429pの中国人の子どもに飴玉を渡す日本軍兵士を写した「子供と遊ぶ我が兵士」のような「明るい」戦地をアピールするような絵はがきもあります。
一方で漫画家松本かつぢの描く少女漫画的な少女が「銃後は私の手で」と訴える絵はがき(437p)や、農作業をする婦人たちの写真に「兵隊さんは命がけ 私たちは襷がけ」とのスローガンを配した絵はがき(440p)など、女性に向けて戦争協力を訴えるような絵はがきもあります。
太平洋戦争が始まると緒戦で日本は大勝しますが、徐々に形勢は不利になっていきます。そうなると、今度はスパイを警戒せよとの絵はがきが登場します。横山隆一のフクちゃんを使った絵はがき(458p)や、「知っても言ふな」という大きな文字と、「まさかと思って漏らした一言 スパイは何処にも居る!」とのセリフが書かれた絵はがき(459p)など、絵はがきにも閉塞感が溢れてきます。
そして、敗戦を迎え、大日本帝国は解体されるのです。
このように絵はがきを使って大日本帝国の歴史をたどったのがこの本ですが、何といってもその魅力は紹介されているさまざまな絵はがきになるので、この文章を読んで少しでも興味が出た人は本屋でパラパラとめくってみてください。
それなりに日本の近現代史に詳しい人でも「こんなのがあったんだ」、「こういう感じだったのか」と思うような絵はがきがあると思います。
また、日本の近現代史についてそれほど詳しくない人にとっては、絵はがきを導きとした通史としても読めると思います。
最初にも述べたように新書という形がベストなのかどうかはわかりませんが、日本近現代史についてさまざまなイメージを喚起し、多くことを教えてくれる本となっています。

しかしそれだけではなく、明治~昭和の戦前期にかけて、絵はがきはさまざまな出来事を伝えるメディアでもありました。テレビやネットのない時代、絵はがきが事件や戦争を伝え、企業の広告を担ったのです。
この本は、日本に関連する絵はがきの収集を続けるラップナウ夫妻のコレクションを中心に、さまざまな絵はがきとともに明治維新とともに生まれた大日本帝国の歴史をたどっていきます。
著者は同じ平凡社新書の『移民たちの「満州」』が非常に面白かった二松啓紀。本職は京都新聞の記者ですが、立命館大学の客員研究員も務めており、日本の近現代史のさまざまな側面に目を配った内容となっています。
ただし、カラーで495ページというかなりのボリュームで、お値段も税抜き1400円と新書にしての規格をはみ出すようなものとなっています。
絵はがきをよく見せるといった点からすると判型はもう少し大きいほうがいいと思うのですが、新書でなければ自分も買っていたかどうかわからないわけで、なかなか難しいですね。
目次は以下の通り。
序章 絵はがきと「大日本帝国」のイメージ
第1章 勃興する島国―北清事変から日露戦争へ
第2章 広がる帝国の版図―台湾・樺太・朝鮮
第3章 極東の覇者―第一次世界大戦とシベリア出兵
第4章 近代日本の可能性―産業発展と豊かさ
第5章 破綻する繁栄―関東大震災の「前」と「後」
第6章 二つの帝国―満蒙特殊権益と満洲の軌跡
第7章 戦争か平和か―「昭和」という名の振り子
第8章 欺瞞と虚栄―日中戦争と太平洋戦争
補章 ラップナウ・コレクションから見た「大日本帝国」
目次を見てもわかるように、この本の内容をはじめから順に追っていくと、日本近代史の流れをそのまま追うことになってしまうので、このではこの本の中からいくつかの興味深い部分を拾っていきたいと思います。
まず、北清事変から日露戦争のころのものとして紹介されているのは、欧米人の描いた風刺画的なものが多いです。中国をはじめ日本やロシア、あるいは他の欧米列強を人物や動物などに見立てた風刺画は数多く描かれましたが、こうした風刺画は絵はがきにもなっています。
さらに日露戦争が始まると、日本人の手による日本の戦勝をアピールするような絵はがきも登場します。また、戦勝だけではなく松山にあったロシア人の捕虜収容所を描いた絵はがきも数多くあります(64-65p)。日露戦争において日本が国際社会を意識して捕虜を丁重に取り扱ったという話は比較的有名ですが、捕虜たちのリラックスした様子がヴィジュアル的にも示されています。また、ロシア兵の捕虜には中立国のフランスを通じて給金が支払われており、この購買力によって松山の町も潤いました。捕虜に対する厚遇にはこういった背景もあるのかもしれません(68-69p)。
日本は日清戦争で台湾を日露戦争で南樺太を獲得し、さらに日露戦争語に韓国を併合しました。日本は植民地をもつ「帝国」となったのです。
台湾に関しては原住民に関する絵はがきが目につきます。台湾総督府は絵はがきの中で原住民たちが「教化」されている様子をアピールしていますが、こうした「教化」の一貫として、原住民の指導者たちに内地を観光させる「台湾蕃人観光団」というものもあり、それを写した一枚の絵はがきが93pに紹介されています。彼らの不安げな姿が印象的です。
樺太に関しては、ポーツマス条約の結果、北緯50°を境にして南は日本領、北はロシア領となったのですが その国境線は森林を10メートル幅で伐採することによって示されました。この「材木線」と呼ばれる国境を写した107pの絵はがきは興味深いです。
樺太にはアイヌ、ギリヤーク(ニヴフ)、オロッコ(ウィルタ)と呼ばれる人びとが暮らしていました。樺太庁は彼らを集住させ保護しましたが、それは「観光村」ともいうべきもので、彼らは観光客が訪れると洋服から民族衣装に着替えて記念撮影に応じたそうです(117p)。
また、朝鮮支配に関しても、133pに載っている「朝鮮の現住人口」、「朝鮮の貿易」という絵はがきも、明治期から昭和初期にかけて朝鮮の人口が増え、貿易も伸びていることを誇るような絵柄になってて興味深いです。
さらに朝鮮で百貨店を展開した三中井の京城店の絵はがきが138pで紹介されていますが、次の139pには満洲の新京の三中井百貨店の絵はがきも紹介されています。新京の街並みもわかってこれは興味深いですね。
第3章では第一次世界大戦のころの絵はがきがとり上げられていますが、まず目につくのが、ドイツで発行された絵はがきです。ここでは日本はドイツを背後から描く卑怯者として描かれており、また、「ドイツの難局」という絵はがき(155p)では、ドイツがハリネズミ、イギリスがライオン、ロシアがクマ、フランスがニワトリなのに対して日本は蜘蛛として描かれています。
この第一次世界大戦のさなかにシベリア出兵が行われましたが、ご存知のように日本は長期間出兵をつづけ得るものもなく撤退しました。もっと早く撤退できたとも考えられますが、この本を読むと尼港事件に関するセンセーショナルな絵はがきが数多く発行されていたことがわかります(虐殺された死体を写した「尼港黒龍江より引き揚げたる日本軍民の死体」(188p)、挑発的な犯人の姿を写した「パルチザンの首領トリヤピーチン女参謀長ニーナその他の幹部」(191p)。こうした絵はがきなどによって沸き立った世論が撤兵を難しくしたのでしょう。
他にも日本にやってきたポーランド孤児や、ロシアからの難民の姿を写した絵はがきもあり、第一次世界大戦のインパクトの大きさを感じさせられます。
明治以降、日本の産業は大きく発展しました。そんな様子を紹介しているのが第4章です。
まず、インパクトがあるのは212pの「(筑前八幡)豊山公園より製鉄所中央機缶を望む。実に壮観」という絵はがき。林立する煙突からもうもうと立ち込める黒煙は今なら公害としか思えませんが、当時は文明の証だったのでしょう。
一方、文明化の闇となっていた部分も存在します。フランスのキリスト教使節団が出した「日本の癩村」(216p)、「日本、御殿場のハンセン病患者楽団」(218p)には差別を受けていたハンセン病患者たちの姿が写っています。
この他にも、この章では三越の様子を描いた絵はがき(226-227p)、カルピスを売り出すために行われた国際懸賞ポスターの作品(239p)なども興味深いです。ちなみに有名なカルピスの黒人の図案はこのときの3位のものでした。
第5章は関東大震災前後の時代をとり上げていますが、まず目を引くのが「多民族だった「大日本帝国」」とキャプションがつく1920年の兵庫県臨時国勢調査部の絵はがき(258p)。旭日旗を背景に日本人、白系ロシア人、アイヌ人、朝鮮人、台湾の漢族系住民、南洋諸島の島民が描かれています。
また、1921年に行われら皇太子裕仁親王のヨーロッパ歴訪も、絵はがきだと着色されているぶん、くっきりとしたイメージを伝えています(266-267p)。
そんな大正時代の日本を襲ったのが関東大震災でした。絵はがきには倒壊した建物や火災の様子(278pの「猛火の中を右往左往に逃げんとする避難民の実景」のように後から炎と煙が描き足されたようなものもある)、死体や白骨の山などが描かれています。286pの皇居前に林立するテントを写した「宮城前の天幕張バラック」の絵はがきもインパクトがあります。
この震災からの復興を内外にアピールするために行われたのがオリンピックの招致でした。304pには五輪招致を盛り上げるために1935年頃に発行された絵はがきが紹介されています。
第6章では主に満洲に関する絵はがきがとり上げられています。
満洲は大豆の一大産地で、大豆粕が肥料として日本に大量に輸入されました。また、人口が希薄な満洲には山東省から出稼ぎ移民を押し寄せていました。314pには大連の埠頭に積み上がった大豆や大連駅で乗車を待つ出稼ぎ移民の姿を写した絵はがきが紹介されています。そして、これの物資と人が満州鉄道の経営を支えたのです。
もちろん、満鉄には軍事面での重要性もあるわけで、322pの「奉天駅における皇軍装甲列車の偉容」は、『天空の城ラピュタ』に出てきた装甲列車を思い出させます。
この満洲において日本は満洲事変を起こし満洲国を建国するわけですが、332-333pに載っている満州鉄道の路線図の絵はがきを見ると、満洲事変以降に満鉄が拡大していく様子がわかります。
また340-341pにはハルビンの様子を写した絵はがきも紹介されていますが、昭和初期のハルビンはロシア人が多く、「東洋のパリ」と呼ばれ、日本人にも人気の観光地でした。
特にロシア人の女性ダンサーは男性に人気だったようで「ハルビン新市街と露国美人のダンサー」、「享楽の国際都市ハルビンを味ふ」と題された絵はがきもあります。
しかし、ハルビンのロシア人は日本とソ連の関係の中で次第に居場所を失い、強制収容所送りになった人も多いといいます。
一応、独立国家の体裁をとったといっても満洲国は日本に依存した国家でした。それは、例えば350pの「満州帝国対外貿易趨勢図」の絵はがきに描かれたグラフからもわかります。貿易相手は圧倒的に日本でした。
また、日本から満洲への移民の送り出しも始まりますが、そのために満洲の素晴らしさを強調する絵はがきもつくられました。354pには笑顔の母親と赤ん坊を写した写真の絵はがきが紹介されていますが、その絵はがきは「子どもは太る(湖南営日本村にて)」と題されており、当時の日本の厳しい状況もうかがえます。
第7章では戦争へと突入していく昭和期の様子がとり上げられています。
日露戦争は日本の軍にとって輝かしい勝利でしたが、1915年の10周年も、1925年の20周年も一般の盛り上がりはいまいちでした。ところが、1930年の25周年、1935年の30周年となると大きな盛り上がりを見せるようになります。368-369pには日露戦争30周年を記念して発行された絵はがきが紹介されており、時代の移り変わりがうかがえます。
また、旅順は「聖地」となり、その戦跡をめぐるツアーが流行し、またそれらを紹介した絵はがきも発行されました。
戦時ムードが強まるに連れ、絵はがきにもその影響が出てきます。378-380pには第一次上海事変で活躍した「爆弾三勇士」の絵はがきが紹介されていますし、385pには関東防空演習を題材に関東防空演習防衛司令官の林仙之中将、荒木貞夫陸軍大臣、大角岑生海軍大臣、牛塚虎太郎東京市長の肖像写真が並べてある絵はがきも載っています。
一方、まだ海外から観光客を呼び込もう、国際的なイベントを成功させようという考えもありました。先述の東京オリンピックだけでなく、1940年には日本万国博覧会も行われる予定であり、398-399pにはその絵はがきが紹介されています。その中の「日本万国博覧会会場」と題された絵葉書には東京湾の埋立地につくられた会場の様子が描かれており、今の東京オリンピックの湾岸エリアの開発とタブって興味深いです。
他にも「反共」を訴える絵はがきもあって(409p)、「消化せぬ悪食」という言葉とともに「共産主義」「マルクス」「クロポキン酒」と書いてある食事が並んだものなどがあります。
第8章は日中戦争と太平洋戦争期。日中戦争の初期においては429pの中国人の子どもに飴玉を渡す日本軍兵士を写した「子供と遊ぶ我が兵士」のような「明るい」戦地をアピールするような絵はがきもあります。
一方で漫画家松本かつぢの描く少女漫画的な少女が「銃後は私の手で」と訴える絵はがき(437p)や、農作業をする婦人たちの写真に「兵隊さんは命がけ 私たちは襷がけ」とのスローガンを配した絵はがき(440p)など、女性に向けて戦争協力を訴えるような絵はがきもあります。
太平洋戦争が始まると緒戦で日本は大勝しますが、徐々に形勢は不利になっていきます。そうなると、今度はスパイを警戒せよとの絵はがきが登場します。横山隆一のフクちゃんを使った絵はがき(458p)や、「知っても言ふな」という大きな文字と、「まさかと思って漏らした一言 スパイは何処にも居る!」とのセリフが書かれた絵はがき(459p)など、絵はがきにも閉塞感が溢れてきます。
そして、敗戦を迎え、大日本帝国は解体されるのです。
このように絵はがきを使って大日本帝国の歴史をたどったのがこの本ですが、何といってもその魅力は紹介されているさまざまな絵はがきになるので、この文章を読んで少しでも興味が出た人は本屋でパラパラとめくってみてください。
それなりに日本の近現代史に詳しい人でも「こんなのがあったんだ」、「こういう感じだったのか」と思うような絵はがきがあると思います。
また、日本の近現代史についてそれほど詳しくない人にとっては、絵はがきを導きとした通史としても読めると思います。
最初にも述べたように新書という形がベストなのかどうかはわかりませんが、日本近現代史についてさまざまなイメージを喚起し、多くことを教えてくれる本となっています。