世の中には知っておいたほうが良い知識と、知らなくてもおそらく大きな問題はない知識があると思いますが、本書が扱っているのは後者だと思います。
もちろん、日本の安全保障を考える上でSLBMを搭載したロシアの原子力潜水艦の存在は外せないことではありますが、一般の人にとって本書に書かれているほどの知識は必要ないでしょう。
ただ、それにもかかわらず本書は面白いです。
これは著者のオタク的な知識とわかりやすい語り口のなせる技だと思いますが、海の中で繰り広げ荒れていた米ソの軍拡競争、ソ連崩壊後のロシア海軍の凋落、凋落後の核戦略の練り直し、そしてウクライナ戦争が極東の海に与える影響など、非常に面白く読めます。
テーマ的には新書で出すようなものではないかもしれませんが、それが1冊の面白い新書に仕上がっています。
目次は以下の通り。
はじめに 地政学の時代におけるオホーツク海第1章 オホーツク海はいかにして核の聖域となったか第2章 要塞の城壁第3章 崩壊の瀬戸際で第4章 要塞の眺望第5章 聖域と日本の安全保障おわりに─縮小版過去を生きるロシア
ウクライナ侵攻のような暴挙があっても各国が簡単にロシアに対して軍事的な制裁を行うことができない大きな理由が、ロシアが核保有国であり、全世界に核ミサイルを打ち込む力を持っているからです。
そうした戦略核の3分の1程度がSSBN(弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦)に搭載されていると言われています。
そして、このロシアのSSBNが配備されている海域がオホーツク海なのです。
まず、通常の潜水艦と原潜の違いです。通常の潜水艦は浮上時はディーゼル機関で、潜水中はバッテリーで動きます。バッテリーは長くは持たないので、しばらくしてディーゼル機関を回す必要が出てきます。シュノーケルを使って空気を取り入れるやり方も開発されましたが、敵に探知される可能性は高まります。
一方、原潜は何ヶ月でも潜航し続けることができます。また、普通の潜水艦が数ノットで航行するのに対して、原潜は25〜30ノットで航行することが可能で、普通の潜水艦とは別の兵器だと言えます。
この原潜の中で、弾道ミサイル搭載型をSSBNといい、巡航ミサイル搭載型をSSGNといいます。主に魚雷を使う原潜をSSNといいますが、近年ではほぼ何らかのミサイルが搭載されるようになっており、SSNとSSGNの区別は薄れつつあります。
ロシアの核戦略の中心となるのはSSBNで、たとえ相手から先制核攻撃を受けても、このSSBNから発射されるミサイルで報復するが可能になります。
第2次世界大戦後、ソ連は千島列島とサハリン(樺太)を占領します。スターリンは日本の軍事的な復活は時間の問題だと見ており、ウラジオストクに加えて、サハリンの対岸にあるソヴィエツカヤ・ガワニとカムチャッカ半島南部のペトロハヴロフスク・カムチャツキーの軍港機能を強化し、それぞれの港を鉄道で結ぶことを計画していました。
スターリンの死後の1950年代半ばになると、ソ連でも核戦力が整い始め、1957年には初のICBM発射実験にも成功します。フルシチョフはミサイルの整備に重点を置くことで、兵力を削減し、ソ連の経済を発展させることを目論みました。
歴史的にみてロシアはランドパワーの国で、海軍はアメリカに到底対抗できない状況が続いていましたが、核ミサイルを原潜から発射できる技術が開発されると、対アメリカの切り札としてSSBNが期待されるようになります。
ただし、当初のSSBNから発射できるミサイルの射程は短く、アメリカ本土に近づいてから発射する必要がありました。そして、その必要もあってカムチャッカにSSBNが配備されました。
ソ連の原潜がアメリカ本土に近づいて作戦を遂行しようとするときの大きな障害となったのが、米海軍が世界中の海洋に敷設した海底設置型水中聴音機(ソナー)ネットワーク、SOSUSです。
音波が深い海の底に沿って数百キロ、場合によっては1000キロ以上届くことに気づいた米海軍は、このような音波を捉えて敵の位置を割り出すシステムの構築に着手します。
これによって1970年代のアメリカはソ連のSSBNが母港を出て、アメリカの沖合の待機海域に来るまでの動きをほぼ完全に補足していたと言います。
ソ連側はこれに気づいておらず、1967年にウォーカーという米海軍下士官が金に困って潜水艦に関する機密データをソ連に売り渡すようになってからでした。
1970年代前半、ソ連に667B型(NATO名デルタⅠ型)というSSBNが登場します。最大の特徴は搭載ミサイルがR-29SLBM12発に変更されたことで、その射程は7800キロにも及びました。
つまり、ソ連のSSBNはアメリカ本土に近づかなくても、ソ連の近海からミサイルを発射できることになります。ここから本書のテーマであるオホーツク海の「聖域化」という動きが出てきます。
また、667B型は北極海の氷の下から氷を割って浮上し米本土に向けてSLBMを打つことも可能でした。
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し「新冷戦」が始まると、アンドロポフはアメリカからの核先制攻撃に怯えるようになります。
こうした中でソ連太平洋艦隊の潜水艦部隊は着々と強化されていきます。オホーツク海と日本海を「聖域」とすることで、アメリカの核攻撃に対する抑止力を保持しようとしたのです。
陸上であれば陣地を構築するのですが、海上ではそれはできません。そこでソ連がとった方法は巨大な高速対艦ミサイルによって米艦艇の接近を阻止する方法です、これが要塞の「外堀」と言えます。
ヨーロッパではバレンツ海の外側のノルウェー海がこれに当たり、グリーンランド・アイスランド・ブリテン島を結ぶラインが1つの防衛戦と考えられました。
一方、カムチャッカに関しては接近する米海軍が必ず通る場所は想定できないので、おおよそカムチャッカから1000カイリ(約1800キロ)あたりが防衛ラインと設定されていたとのことです。
日本海については、防衛ラインを敷こうと思ってもそこに存在するのは日本や韓国といったアメリカの同盟国であり、「外堀」をつくることはできませんでした。
また、太平洋艦隊の水上艦艇の多くがウラジオストクやその近傍のフォーキノを基地としていましたが、これらの艦艇が北太平洋や東シナ海で活動するには、対馬・津軽・宗谷の三海峡のいずれかを突破する必要がありました。
そのためソ連は強襲揚陸艦を太平洋艦隊に配備し、稚内などの海峡の要地を占領する計画をもっていたとも考えられます。
ベトナム戦争後の1978年にはソ越友好条約によりソ連はカムラン湾の基地施設を25年間感咀嚼できることになり、ソ連海軍は東南アジアへも展開します。これによって三海峡を突破せずに活動することが可能になりました。
オホーツク海という「要塞」を考えるときに「内堀」として重要なのが千島列島です。千島列島は比較的狭い範囲で島嶼が存在しており、通過できる海峡は限られているために、敵を待ち受けるにはもってこいの地形でした。
しかし、無人島やほとんど人のいない島に大規模な部隊を駐留させるためには施設を一から作らねばならず、部隊の配備は進みませんでした。大規模な部隊が駐屯していたのは、日本が残したインフラを使えた択捉島や国後島に限られました(その部隊も1960年にはほとんど引き揚げてしまう)。
ソ連が千島列島の防御に力を入れ始めたのは、カムチャカのルィバチー基地にSSBNが配備された1974年以降になります。
千島列島南部に部隊が展開するようになり、1979年には色丹島でも駐屯地の建設が始まりました。さらに千島列島中部のシムシル島でも基地の建設が進み、地対艦ミサイル部隊も配備されました。
ちなみにアメリカ側はこのSSBNを守るための「要塞」という概念はなかなか理解できなかったといいます。基本的に自軍の海軍は攻勢的な任務を帯びており、そのミラーイメージから、自国の近海で守られながら行動すえうSSBNを想像しがたかったからだといいます。
それでも1980年代になると、ソ連がオホーツク海に「要塞」を築こうとしているという認識は共有されるようになり、日本の防衛戦略もソ連に三海峡のポイントを占領されないためのものへと変化していきます。
しかし、着々と整備されてきたオホーツク海の「要塞」は、1991年のソ連崩壊によって大打撃を受けます。ソ連の太平洋艦隊はロシアに引き継がれましたが、経済危機に見舞われたロシアにそれを維持する力はなく、多くの艦艇を退役させざるを得ない状況に追い込まれます。
ソ連崩壊前から、米ソの軍備管理条約であるSALT‐Ⅰに基づいて旧式のSSBNの退役は進んでいましたが、ソ連崩壊後は総崩れとも言える状態になります。
カムチャッカの潜水艦部隊は2/5に縮小し、沿海州からはSSBNの部隊がいなくなり、ウラジオストクを母港とするSSK(原潜ではない戦術潜水艦)の部隊だけが残りました。
海軍軍人の給与も低迷し、海軍の備品を売り払うなども汚職も増えました。人員の質の低下も深刻で、新兵の1/3は使い物にならなかったといいます。
水上艦艇も次々と退役していき、海峡をこじ開けるために配備された強襲揚陸艦も退役しました。北方領土に配備された陸上部隊も1/3程度になり、色丹島の部隊も撤退しました。
シムシル島の基地も1994年に閉鎖され、配備されていた対艦ミサイルも姿を消しました。オホーツク海の「要塞」を守る内堀も崩壊しつつありました。
原潜の解体も進みますが、ロシアは核兵器と原潜を手放そうとはしませんでした。軍の予算が削減される中で、核兵器だけがロシアにとって有効な抑止力という状態になったからです。
ロシアの極右思想家であるドゥーギン(2022年8月に何者かに爆殺されかかった)も核兵器を重視しており、彼は「縮小版でもよいから『超大国』であり続けること」(207p)と考えていましたが、「超大国」であるために必要なものこそが核兵器なのです。
1998年のロシア通貨危機時の国防相であったセルゲーエフは、通常兵器の開発や調達をほぼ停止する代わりに、新型のICBMとSLBMに予算を集中投下する方針を打ち出します。
戦略ロケット軍をロシア軍の中核に据えようとするセルゲーエフの方針は陸軍・海軍双方から批判を浴び、軍の内部では激しい論争となります。一方、この論争の中で軍の方針が定まらなかったこともあり、カムチャッカの原潜基地は維持されました。
大統領となったプーチンはこの論争について痛み分けに近いかたちで決着を付けます。オホーツク海の基地につては廃止の提案もあったそうですが、プーチンは最終的にこれを拒否しました。著者はその要因の1つとしてプーチンの「大国主義」志向を見ています。
2000年、ロシア下院でSTARTⅡが批准されます。この条約は核弾頭の数を制限するだけでなく、ICBMへの複数個誘導再突入体(MIRV)搭載が禁止されたのが大きなポイントでした。
MIRV化ICBMは比較的少ないミサイル数で多くの標的を破壊することが可能であり、「それならば撃たれる前に撃ちたい」という判断を誘発するものとして問題視されていました。
ただし、SLBMについてはMIRVの搭載が認められました。これによってSLBMを搭載したSSBNは再注目されることになります。
このSTARTⅡについては、アメリカが弾道ミサイル迎撃弾条約から脱退したことに伴ってロシアの下院が破棄を議決しました。これによってICBMのMIRV化が可能になり、オホーツクのSSBN部隊とその基地に関しては再び存廃が議論されるようになります。
2010年前後になると、ロシアの経済状況も好転し、軍人の給与も大幅に引き上げられます。ロシア太平洋艦隊の活動も活性化しました。
テロ対策などで西側諸国と協力する場面も増えましたが、2014年のウクライナへの軍事介入をきっかけに、ロシアと西側諸国は再び緊張関係に陥ります。
ロシア軍の演習も対テロ的なものから、西側との戦争を意識したもになります。2014年の「ヴォストーク2014」では領土問題を抱える極東の仮想国家「ハリコンヤ」との間に軍事紛争が勃発し、そこにNATOで中心的な役割を果たしている「ミズーリヤ」が介入してくるというシナリオだったようで、日本とアメリカを想定したものでした。
2015年にはカムチャッカに最新鋭の995型SSBNが配備され、翌年にはもう1隻配備されました。さらに2022、23年には改良型の995A型のSSBNがそれぞれ太平洋艦隊に配備されており、さらにもう1隻の配備が予定されているといいます。
2022年にはカムチャッカのルィバチーに魚雷も巡航ミサイルも発射できる885M型という多用途原潜も配備されており、オホーツク海の外堀を再整備する動きが見られます。
内堀に関しても、カムチャッカ〜千島列島に新しい地対艦ミサイルの配備が進められています。また、核魚雷、あるいは無人潜水艇などの母艦となる特殊任務原潜のベルゴロドがカムチャッカに配備されとの話もあり、この地域での軍事力の整備が活性化しています。
さらに著者は衛星写真を分析して、ルィバチーの基地の様子やロシアのSSBNの行動パターンの解析なども行っていますが、これについては本書をお読みください。
このようにオホーツク海のSSBNの「聖域」は近年になって再整備されつつあったのですが、そこに大きな影響を与えたのが2022年のウクライナへの侵攻です。
ウクライナとオホーツクは遠く離れていますが、NATO諸国がウクライナ側に立って参戦することを阻止するために威嚇として核を使うというオプションを持っていると考えられます。そのときにどのような核が使われるかはわかりませんが、オホーツク海のSSBNからSLBMを発射し北極海のどこかで爆発させるような方法も想定できるといいます。
一方、オホーツクの「要塞」の守りは低下しています。
もともと、太平洋艦隊におけるSSBN以外の潜水艦や水上艦艇の数はソ連時代と比べて大きく減少しており、さらに2021年に択捉島と国後島に配備されたS-300V4防空システムが2022年の秋頃には撤去されたことが衛星写真から確認されているといいます。おそらくウクライナ方面やロシア本土の防衛に転用されたものと思われます。
太平洋艦隊隷下にある海軍歩兵旅団もウクライナに送られており、また、北方領土に駐屯していた第18機関銃砲兵師団もウクライナに投入されており、この地域の陸上部隊の防御力は著しく低下していると考えられます。
ロシア海軍は近年、カリブル長距離巡航ミサイルをあらゆる艦艇に搭載する「カリブル化」を進めているといいます。
これには、カリブルによって相手の重要拠点を攻撃することで相手の開戦意図をくじく狙いがあると言われています。このカリブルを搭載した艦艇は太平洋艦隊でも配備が進んでいます。
現在のところ、ロシアに日本を攻撃する理由などは見当たりませんが、万が一、NATO諸国との全面戦争になりそうなときに、オホーツクの核要塞を脅かす可能性のある日米の航空戦力に対する能動防御型攻撃という可能性あります(ただし、著者もそうした可能性は仮定を積み重ねた話だとしている)。
著者はプーチン政権が続く限り、日露関係は「冷たい平和共存」のような現状維持を続けていくしかないと見ています。
最後に著者はドゥーギンの「縮小版超大国」という言葉を引いて次のように述べています。
「縮小版超大国」とは、核兵器の持つ究極的な破壊力によって縮小版の過去を再現し、その中で生きる国であると言えるかもしれない。(中略)だが、そうであるがゆえに、ロシアと現在の世界の間には常にすれ違いが生まれる。ロシアがもはや超大国ではないこと、ウクライナを含む旧ソ連諸国が自由意志を持つ独立国家となったこと、剥き出しの力の行使は長い目で見てロシアの衰退をもたらすこと。こうした現実をロシアは認めようとしない。その結果が2022年に始まったウクライナへの侵略であり、これによって西側との関係は取り返しのつかないほど悪化した。(344p)
そして、核兵器の抑止力を支えているのがSSBNであり、だからこそ「オホーツク要塞はこれからも日本の北に存在し続ける」(345p)というのです。
このように本書は「オホーツク核要塞」というマニアックな対象を語りつつ、世界情勢の今後や日本の安全保障のあり方などを考える材料も与えてくれます。
ただし、本書の面白さはこのまとめではとり上げなかった数々のエピソードにもあり、読み物としても楽しく読めると思います。著者の強みが存分に活きた本です。