山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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2024年06月

中原翔『組織不正はいつも正しい』(光文社新書) 6点

 光文社新書らしいインパクトのあるタイトルですが、企業の行う不正というのは、なにか組織に悪人が紛れ込んだとか、悪魔の囁きに魅せられたとかではなく、組織内の「正しい」判断から行われているのだということを主張している本です。
 一人の個人ならともかくとして、組織が不正を行う場合はその不正を正当化する何かが必要になります。本書はこれを「正しさ」と名付け、そのメカニズムを探ろうとしたもんです。
 
 近年におきた日本企業の不祥事を題材としており、読者からしても興味を持ちやすい内容になっていると思います。
 個人的にはうまく説明できているケースと、あまりうまくいっていないケースがあるように思えましたが、著者の基本的な分析の枠組みはそれなりに説得力のあるものだと思います(もっとも「正しさ」という言葉の使い方についてはやや広すぎる気もしますが)。
 
 目次は以下の通り。

はじめに
第1章 組織不正の危うさと正しさ
第2章 危うさの中の正しさ――燃費不正
第3章 正しさの中の危うさ――不正会計
第4章 正しさがせめぎ合うこと――品質不正
第5章 正しさをつらぬくこと――軍事転用不正
第6章 閉じられた組織の中の開かれた正しさ
あとがき

 不正がなぜ起こるのか?という問題については、「不正のトライアングル」という考え方があります。
 これは不正が起こる要因を「機会」「動機(プレッシャー)」「正当化」の3つで説明しています。
 まず、不正を行うにはその「機会」が必要であり、その機会を持った人に「動機」あるいは、そうせざるを得ないようなプレッシャーがかかっていることが必要です。そして、この不正は何らかの理由で「正当化」されることが必要になります。
 
 もちろん、この3つの要因が揃ったからといってすべての人が不正をするわけではありません。
 ただし、3つの要因が揃うと、不正に無関心で不正をしようとは考えてもいない人が不正に走ることもあります。
 不正をする人間というと、周囲から孤立しているエゴイストのような人物像が想定されがちですが、社会学者のドナルド・パルマーによるとそうではなく、むしろ周囲に溶け込んでおり、自分や組織の成長のために働こうとする人が不正を働くというのです。
 2019年には大和ハウス工業で大規模な施工管理技士不正取得事件がありましたが、個人や組織の成長を目指すための目標が大規模な組織的不正を生み出しています(実務経験をごまかしていた)。

 あとから見れば不合理だと思うような組織の行動でも、その裏には何らかの合理性があります。
 例えば、不正が行われていたとしても、正しい状態へと戻すコストが大きければ不正を続けたほうが合理的だと判断されることもあるのです。

 第2章以降は具体的な事例をもとに分析を行っていますが、まずは2016年に起きた三菱自動車とスズキの燃費不正です。個人的には、このケースが本書の枠組みでもっともうまく分析できていると思いました。
 
 2015年にフォルクスワーゲンがディーゼルエンジンの排ガス規制を不正なソフトウェアを使ってクリアーしていたことが明らかになってから、日本でも各社で燃費や排ガス検査における不正が明らかになりました(53p表2−1参照)。
 こうした中で発覚した三菱自とスズキの不正は、ともに国が定める測定方法を使用していなかった不正でした。

 国交省は1991年に定めた惰行法と呼ばれる測定方法を定めていました。
 惰行法とは自動車を一定の速度で走らせたあとにギアをニュートラルにした状態で惰行させるように走らせて車にかかる抵抗を測定するもので、この走行抵抗をもとに燃費が算出されます。
 ところが、三菱自は高速惰行法という基準よりもかなり速い速度から惰行を始めるという方法で測定したのです。
 調査によって三菱自では、過去10年間に製造・販売していた自動車においても燃費試験の不正が行われていたことがわかりました。

 また、スズキは三菱自とは違い、「装置毎の積上げ」と呼ばれる方法で走行抵抗を測定していました。
 これはタイヤ、ブレーキなどの部品ごとの抵抗値を求めて、それらを合計することで自動車全体の走行抵抗を求める方式です。
 スズキで対象になったのはアルト、アルト ラパン、ワゴンRなどの26車種にも及びました。

 なぜ両社は惰行法を使わずに「不正」を行ったのでしょうか?
 不正を認める記者会館の中で、両社とも惰行法の難しさを語っています。三菱自によると、風や気温が変化しやすい日本では惰行法での測定が難しく、タイで測定を行っていたといいます。
 スズキでも惰行法の難しさを指摘したうえで、燃費をよく見せるためではなくより正確な燃費を測定するために惰行法を使わなかったと述べています。

 三菱自の採用していた高速惰行法は米国で使用されていたコーストダウン法という測定方法をもとに開発されたものであり、スズキが装置毎の積上げで測定していたのは欧州での認証を得るためにこのようなやり方で測定していたからでした。
 つまり、両社とも国際的に見れば根拠のある方式で測定したことになります。

 では、なぜ日本ではこのように測定が難しい方法が採用されていたのでしょうか?
 当時、日本では「JC08モード」という燃費基準が採用されており、そこで惰行法が採用されていました。このJC08モードですが、同一車種の場合、米国の燃費基準よりも燃費値がかなり良くなると言われていました。
 政府(国交省や経産省)は日本車の燃費をよく見せるためにこの方式を採用したと思われますが、この測定方法は実施が困難で、三菱自やスズキは「不正」に走ったわけです。

 こう見ると、行政側には日本車の燃費をよく見せたいという「正しさ」があり、三菱自やスズキには実施困難な測定方法にこだわるよりも、海外でも採用されているやり方で燃費を示せばいいという「正しさ」があったことが見えてきます。
 もちろん、三菱自やスズキの行ったことは「不正」だと言えますが、その背景には規制をかける側と守る側のコミュニケーション不足があったとも言えるのです。

 第3章は東芝の不正会計問題です。経営陣が「チャレンジ」と称した過度な利益達成目標を押し付け、それに耐えかねた社員が利益の不正な水増しを行ったというものです。
 2015年に発覚し、当時の田中久雄社長をはじめ歴代3社長が引責辞任しました。

 不正会計の方法としては、工事の原価を過小に見積もる、映像事業での費用計上の先送り、半導体の在庫の評価損の先送り、パソコン事業で委託先に部品を高値で買わせるといったことが行われていました。
 映像部門に対しては特に厳しいプレッシャーがかけられており、社長がたびたび映像部門に対して業績予測へのダメ出しをしていたことが調査報告書にも書いてあります。

 この東芝の不正会計については澤邊紀生が「東芝では、会社としても個人としても、誰も大きな利益を得ることがないにも関わらず不正が行われた」(98p)と述べています。
 会計操作によって嵩上げされた金額は7年間で1500億円で、それなりに大きな金額ですが、1年あたり約220億円で当時の利益の1割程度です。そのために東芝はそのブランドを大きく毀損させました。

 著者はこの裏には利益主義だけではなく、社長や経営陣と映像事業部の時間感覚の差があったと分析しています。
 映像事業部も現状がよい状況だと思っているわけではなく、立て直しの必要を感じているわけですが、それには「長い時間」が必要だと考えています。一方、経営陣は四半期ごとの「短い時間」での改善を求めプレッシャーを掛け続けたのです。

 ここから著者は、経営陣だけが悪いのではなく、「時間感覚の差」という構造的な問題があったとするわけですが、個人的にはこの分析は疑問でした。
 確かに株主が現場の実情を無視して短期的な利益を求めることにはついては株主なりの「正しさ」があると言えそうですが、経営陣については現場の実情を無視している限り、それは「正しくない」し、経営陣の方から時間感覚の差を埋める努力をすべきだと思うのです。
 こうした不正がどこの会社でも起こり得るということには同意しますが、やはり責任を問われるべきは経営陣でしょう。

 第4章ではジェネリック医薬品の品質不正がとり上げられています。
 2021年2月の小林化工での抗真菌剤に誤って睡眠剤が混入する事件が明らかになると、その後他のメーカーでも次々と承認書とは異なる方法での医薬品の製造が行われていたことがわかりました。例えば、大手の日医工では規格に合格しなかった錠剤を粉砕して再び加工して製造・出荷していたことが明らかになっています。

 この不正にどのような「正しさ」があったというのでしょうか?
 本書が指摘するのっは、国による医療費抑制のためのジェネリック医薬品の普及の推進です。国は2018〜23年度(「第三期」と区分される)に、ジェネリック医薬品の使用割合を80%以上にするという高い目標を掲げていました。実際、2009年に35.8%だったジェネリック医薬品の使用割合は2023年度には80.2%にまで上昇しています(125p図4-3参照)。

 このように急拡大したジェネリック医薬品の製造ですが、医薬品の製造については「薬機法」とその下にある省令において具体的な製造や管理の基準が定められています。この省令の中でもっとも重要なのが「GMP省令」と呼ばれるものです。
 GMP省令ではさまざまなことが定められていますが、小林化工や日医工での不正が明らかになった2021年初旬ごろまでGMP省令において生産量に対する人員補充の具体的な基準は定められていませんでした。
 こうした中、小林化工や日医工での不正の原因としては現場での人員不足があげられています。

 こうした点から著者はこの不正を製薬会社のせいだけにするのは酷ではないかと考えています。厚生労働省が適切な基準を設置していなかったことが(不正問題発覚後に人員の基準も追加されたことから本来ならば人員に関する基準があってしかるべきだったと考えられる)、この不正の背景にあるというのです。

 このような規制が後手に回ったのは、「ジェネリック医薬品の使用割合を80%以上にする」という高い目標が政府レベルの「骨太方針2015」に現場との十分な対話なしに盛り込まれたからです。
 医薬品業界では薬価が下がる傾向があり、各メーカーとしてはなんとかしてこのジェネリック医薬品市場の拡大に合わせる必要がありました。
 この生産の拡大は政府の要請もあり、まさに「正しい」ものでしたが、あまりにも拡大のペースが急だったために現場は不正に走らざるを得なかったと考えられるのです。

 第5章は大川原化工機事件がとり上げられています。これは企業が不正を犯したのではなく、不正の濡れ衣を着せられそうになった事件になります。
 日本の技術が大量破壊兵器の開発を行っている国家やテロリストの手に渡ることは問題です。そのために外為法という法律があり、その下にある政令や省令でさまざまな規制がかけられています。
 しかし、「何が軍事技術なのか?」というのは難しい問題で、2021年に精密機器メーカーの利根川精工の社長が書類送検された事件でも、結局は不起訴に終わっています。
 
 大川原化工機は噴霧乾燥機を製造している企業です。噴霧乾燥機とは液体を乾燥させ粉にさせるための機械で、粉ミルクやインスタントコーヒーの製造などにも使われています。
 生物・化学兵器については「AG(オーストラリア・グループ)」の規制リストがあり、その中に「装置を分解しないで減菌(sterlized)、または化学物質による消毒(disinfectsd)ができる装置」とあります。
 日本ではこのdisinfectsdが「殺菌」と訳され、化学物質によらないで「殺菌」ができれば対象になるかのような解釈がなされてしまい、大川原化工機の噴霧乾燥機も「殺菌」機能を持つと解釈されてしまうことになります。

 この結果、警視庁公安部は大川原化工機の噴霧乾燥機を軍事転用可能なものだと判断し、2020年3月に役員3名を逮捕します。
 大川原化工機は2018年から捜査に協力し、一貫して噴霧乾燥機が軍事転用可能な製品ではないことを主張していましたが、公安部第五係は逮捕にまで踏み切ります。
 この法解釈については経済産業省が難色を示していましたが、公安部からの度重なる働きかけにより経産省は強制捜査(ガサ入れ)については同意します。このとき、公安部第五係の警部補は外部の専門家の報告書を捏造して経済産業省をだましていたといいます。

 さらに公安部は取り調べにおいても恣意的な供述調書の作成を行うなど不当な取り調べを続け、逮捕されてから11ヶ月間も勾留しました。逮捕された3人のうちの1人は胃に悪性腫瘍が見つかり、保釈されて入院したものの、そのまま亡くなってます。
 最終的には検察が起訴を取り消すという異例の形で事件は終結しましたが、逮捕は担当検事の了承のもとで行われており、検察の責任も大きいといいます。

 本書の分析の枠組みで言うと、ここで「正しさ」に固執して不正を働いたのは警視庁公安部ということになります。折からの安全保障や貿易管理を強化しようという流れの中で、こうした事件を摘発することが「正しい」と判断してしまったと言えます。
 また、経産省や検察はそれぞれ「危うさ」を感じつつも、警察の間違った判断を止められずに悲劇を招いてしまったわけです。

 ただし、この事件については本書の枠組みによる分析がいまいち機能していないようにも感じました。それは、本件の不正の大きな要因が公安部第五係の警部補(本書ではZと記載)個人にあるように思えるからです。
 つまり、本書の最初で示された「不正に無関心で不正をしようとは考えてもいない人が不正に走る」というのではなく、功を焦った人間による不正という印象を受けます。
 もちろん、周囲が止められなかったには公安としての「正しさ」があるのでしょうが、やはりうまくハマっているようにのは思えません。

 終章で著者は今までの議論をまとめつつ、実際の判断の目安になる具体的な倫理規範の制定の重要性を指摘するとともに、経営学者のカプタインの倫理的になろうとすればするほど倫理を脅かす力も生まれていくるという議論を紹介しながら、常に「正しさ」を問い直していくような姿勢が必要だと述べています。

 このように本書は組織不正のパラドキシカルなあり方を分析した本ですが、分析したケースについてはうまくいっているケースとあまりうまくいってないケースがあるように思えました。
 本書では、ビッグモーターの不正は「正しさ」が単一的で固定的だったからだと述べられていますが(210p)、ビッグモーターの件などは「正しさ」などを持ち出さずにすむ単純な経営者による不正なのではないでしょうか?
 そういった意味では、第2章の自動車の燃費不正や第4章のジェネリック医薬品の製造過程での不正のような、矛盾する要求に現場が板挟みになって起こった不正に絞って分析をしたほうが、より効果的だったと思います。

若宮總『イランの地下世界』(角川新書) 7点

 イラン革命以来、イスラームの政教一致体制の国家として知られるイラン。イスラーム法による統治が行われ、さぞかし敬虔なムスリムが多いようにも思えます。
 しかし、2022年にスカーフを適切に被っていなかったために「風紀警察」に拘束されたことがきっかけで女性が死亡したことをきっかけに大規模なデモが巻き起こりました。
 このデモは多くの死者と逮捕者を出して鎮圧されましたが、現在のイランではスカーフなしで女性が闊歩しているといいます。この変化はどう考えればいいのでしょうか?
 また、バブル期に多くのイラン人が日本に働きに来ていたものの、それ以降となると、イランの人々と接触する機会も少なくなり、イラン人のイメージも持ちにくくなっているでしょう。
 
 本書の著者の「若宮總」という名前には聞き終え覚えがないでしょうが、これはこの名前が本書のためのペンネームであるからです(ちなみに執筆を薦めたのはノンフィクション作家の高野秀行とのこと。解説も書いています)。
 著者は長年イランで暮らしており、イラン社会を内側から知っている人物です。そして、表側からはわからないイラン社会の実態(地下世界)を見せてくれます。
 基本的には個人の観察という形にはなりますが、イラン社会やイラン人のイメージを塗り替えてくれる興味深い本です。

 目次は以下の通り。
はじめに
第一章 ベールというカラクリ
第二章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」
第三章 終わりなきタブーとの闘い
第四章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本
第五章 イラン人の頭の中
第六章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 本書の第1章は、スカーフ(ベール)の話から始まっています。
 先程述べたように、2022年の大規模でもが終わるとイランではスカーフなしの女性が闊歩するようになったのですが、多くのイラン人もこのような状態がすぐに到来するとは思っていなかったといいます。スカーフこそが「イスラム的支配」の象徴だったからです。
 結局、スカーフという象徴は崩れても体制は残ったわけですが、この変化について30代以上は概ね歓迎する一方で、10代20代は体制転覆までいかなかったことへの不満があるといいます。
 
 ベールの着用の強制はホメイニが権力を握ってから始まり、1984年にベール不着用者への74回の鞭打ち刑が決まると、ベールなしで女性が公共の場に出ることは不可能になりました。
 一方、このベールの着用のプレッシャーをかけるのは政府だけではありません。女性の親族、特に男性親族がベールを押し付けてくることもあるといいます。
 ホームパーティーが好きイラン人は、その場ではたいていベールを脱いでしまうのですが、口うるさい親族などがいると渋々かぶることになるのです。
 こうした他人の目は、例えばオンライン授業などであっても、クラスメイトに「敬虔な」人物がいるとベールを被らなければならないといったこともあるようです。

 また、ベールの着用が「正しい」とされており、学校の成績などにも響くために、ベールは信仰から切り離され、社会をうまくわたっていくためのアイテムのようにもなっているといいます。
 イラン社会には黒いチャドルで身を固め、不信心者を告発することに熱心な女性もいるといいます。そうした人が企業に入ってきて、あれこれと密告するようになると、イラン社会においてイスラームの教えは「正しい」ことなのでそれに対応しなければなりません。
 著者は「イスラム・ヤクザ」なる名前をつけていますが、チャドルに身を包んでさまざまなクレームをつける女性がいるというのです。

 かつては熱心なイスラム教徒と体制を支持することはイコールで結ばれていましたが、近年になると実はイスラムの教えを信じてはいないのに、形式的にイスラムの教えを持ち出すことで、体制側の旨味にあずかろうとする人が増えているといいます。
 戦前・戦中の日本などでも見られた他人に対して優位に立つために「愛国」を持ち出すような感じと言えるかもしれません。

 イランの体制ですが、うまくいっているとは言えません。特に経済は不振が続いており、2018年にアメリカが核合意から離脱してから、経済制裁の復活によってインフレが続いています。
 当然、国民の不満は高まりますが、最高指導者のハメネイは露骨な選挙干渉によって、国民の意見を政治の場に反映させないようにしています。

 こうした中でイランの政教一致の体制は国民からも問題視されるようになっています。
 イラン人の考える政教一致の問題点は2つあるそうで、1つは政治の独裁化です。政治の追いても問題となるのが「宗教的な正しさ」となるわけですが、それを決めるのはイスラム法学者であり、そのトップにいるハメネイです。そして、政治に対する意見は「正しいイスラム」に反旗を翻すことになってしまいます。

 そして、2つ目の弊害が「宗教の弱体化」だといいます。これは政治が宗教をまとっているために政治批判が宗教批判へと転化してしまうというものです。
 政治がイスラムを掲げながらちっとも現実が良くならないために、それがイスラムへの疑いへと変わってしまう恐れがあるのです。

 そのために著者の周辺には、実はもうイスラムを信じていないとか、密かにカトリックに改宗したとか、そういった人たちもいます。
 また、イスラムの中でもときに正統的なイスラムの教えと対立する神秘主義が人気になってるといいます。
 また、イランの書店では禅についての本も置かれているといいますが、興味深いのが著者の友人が日本の神道にハマっているという話です。
 神道には教えらしい教えがないじゃないかと言った著者に対して、彼女は「そこがいいんじゃない。神道は来るもの拒まず、去るもの追わずよ。生まれながらの神道信者もいないし、布教もしない。ただ自然の恵と生きとし生けるものに感謝しなさいと教えるの。〜神道こそ世界でたったひとつの究極の宗教よ」(78p)と言い返します。この認識はちょっと違うと思うのですが、神道がイスラムと対極的だというのは確かでしょう。

 また、イスラムヘの疲れや「イラン」という国家の対外的なイメージの悪さもあって、アケメネス朝やササン朝などの古代ペルシアに対する憧れも強くなっており、アケメネス朝の創始者のキュロス大王の人気も高いといいます。
 
 そのペルシア人気と表裏一体で高まっているのがアラブ人嫌悪だといいます。
 例えば、男子の名前でもかつてはレザー、アリー、ハサン、モハンマドなどのアラビア語のムスリム名が多かったですが、最近はパルサ、フマン、メルダド、セペルなどのペルシア語名に押され気味だそうです。
 また、イランには南西部を中心に200万人以上のアラブ系住民がいるのですが、彼らを「裸足のアラブ人」「家なしのアラブ人」といったように侮蔑的な枕詞をつけて呼ぶことも多いといいます。
 さらに、現在のイラン・イスラム共和国はアラブ人の政権であるとの陰謀論的な考えもあるようで(体制内の人物に今のイラク出身者がいるため)、やや危うさも感じさせる状況になっているとのことです。

 それでも現在の政教一致の体制のもとで、イランの国民は不自由な暮らしを強いられているのだろうと思われがちですが、著者はそうでもないと言います。
 酒も飲めないし、豚肉も食べられないし、男女のデートもできないと想像しますが、豚肉はアルメニア正教徒やゾロアスター教徒が営むファストフード店で買えます(ただしメニューには載ってない)。
 確かに公の場での男女の区分はうるさいのですが、プライベートなプールで男女が一緒に楽しむこともあるそうですし、同性愛も禁止されていますが、テヘランの中心部にはゲイのたまり場として有名な公園もあるそうです。

 また、現在のイランでは薬物汚染が深刻だといいます。若者に広がるマリファナ以外にも、アヘンやその他の薬物が出回っており、テヘランの町には薬物依存を治療するクリニックが数多くあります。この背景にはイランの失業率の高さや、親からの過干渉があるといいます。

 酒に関しては、実はかなりの人が嗜んでおり、売人から手に入れたり、自家製の酒をつくったりして手に入れています。
 やはり人の目もあるので、親戚が集まるパーティーなどでは酒は出ませんが、友人だけの集まりとなると酒が出てきて飲み明かすといいます。

 いわゆる「ナンパ」もさかんで、男性はすぐに女性に声を掛けるといいます。このあたりは男女で学校などが区別されていることの反動ではないかとも推測されていますが、肉体関係になって結婚にまで至らなかった場合は、男性側の費用負担で処女膜再生手術をするとのことです。
 美容整形もさかんですが、日本と違って鼻を低くしたり幅を狭めて目立たなくさせる手術が人気だといいます(男性も日本と違って「ヒゲ植毛」が人気とのこと)。

 イランの人々の体制やマスメディアへの疑いの目は強く、ソレイマニ司令官が殺害された際も、ニュースでは「アメリカに死を!」と叫ぶデモを映していましたが、多くのイラン人は「イランの自作自演」を疑っていたといいます。ソレイマニの人気によって自分の地位が脅かされると考えたハメネイが米国に殺害を依頼したというのです。

 こうしたイランでは王政時代を懐かしむ空気も強いといいます。
 イランでは1925年にレジャー・シャーがパフラヴィー朝を打ち立て、1979年のイラン革命で王朝は倒れています。この時代を懐かしむというのは一種のノスタルジーでもあるのですが、同時に現体制への批判も含んでいます。
 2代目のモハンマド・レザー・シャーに対する評価は未だに割れていて、イラン経済を発展させたという正の面と、言論の自由を制限し、国内の共産主義者を徹底的に弾圧したという負の面があるのですが、近年では再評価の声もあるといいます。
 また、その王妃だったファラ・パフラヴィーは国民から人気があり、85歳になった今もエジプトで存命中です。このファラ元王妃に期待する声があるのです。
 長男のレザー・パフラヴィーも存命中で、何らかの指導的ポジションにつく意欲を隠していませんが、イラン国民からすると有能なのかどうかいまいちわからない存在のようです。

 王政への漠然とした期待とともに「ホメイニはイラン人ではなかった」との珍説も流れています。
 ホメイニの先祖はインド出身で、イランに移り住んだのはホメイニの祖父で英国領事館で使用人として働いていたと言われています。この過去がホメイニはイギリスに育てられた革命家だという突飛な説の背景です。
 OPECに大きな影響力を持っていたモハンマド・レザー・シャーを取りのこくために英国が送り込んだ革命家がホメイニだというのです。

 イランは歴史的にイギリスとロシアという大国、そして20世紀に入ってからはアメリカも含めた3つの大国の利害に左右されてきました。
 現在はアメリカから敵視されていますが、政府と親密なロシアや中国に対しても国民は親近感を持ってないといいます。
 そんな中でなぜか日本は人気があるのですが、過去にイランを利用する関係にならなかったこと、バブル期に訪日したイラン人が比較的いいイメージを持って母国に帰ったことなどが原因ではないかと著者は考えています。

 第5章ではイラン人の国民性があれこれとり上げられています。
 まず、イラン人は人生を楽しむことを知っており、非常におしゃべりで行動的だといいます。とにかくどんな話題でも次々と意見なりエピソードなりを並べ立ててくるそうです。
 また、見ず知らずの他人に対しても優しく、特に旅行者など外から来た人間を歓迎する文化があるといいます。ただ、一方でその優しさに対する恩返しを期待される面もあり、そこはなかなか大変だといいます。

 日本人は自分に自信がない人が多いといいますが、イラン人は全く逆で著者に言わせれば自信の持ちすぎだといいます。
 そのせいもあるのか、技術や経験が足りないのにもかかわらず「モハンデス」と呼ばれる電気工事や水道工事などのエンジニアなどになる人が多いといいます。人の下に立つのを良しとしない風潮もあり、すぐに独立してしまうのです。

 イランでは人の下で働くととことんまでこき使われるという傾向があり、そのために多くの人は独立を目指しています。組織の中で協力することよりも「小さな独裁者」になることを選ぶのです。
 この「小さな独裁者」は家庭でもそのように振る舞う傾向があり、子どもの自主性を尊重しない親が多いといいます。
 こうした「小さな独裁者」はなかなか協調できず、場面場面で権威を持っているものに従うか、権威を持っている者のとコネを利用して問題を解決する傾向があります。
 これが「大きな独裁者」を生んでいるのではないかと著者は考えています。

 このように、本書はあまり知る機会の少ないイラン社会とイランの人々の様子を教えてくれます。
 後半のイラン人の国民性については、イランに行ったこともなく、イラン人の知り合いもいないために的確なのか判断がつきませんが、前半のイラン人の現体制の評価や、現体制への不満からくる「イスラム離れ」の部分などは非常に興味深く読みました。
 また、ここではあまり具体的に紹介できませんでしたが、著者がイランで経験したさまざまな面白いエピソードも載っており、異文化の体験記としても面白く読めると思います。

イランの地下世界 (角川新書)
若宮 總
KADOKAWA
2024-05-10


中井遼『ナショナリズムと政治意識』(光文社新書) 9点

 ナショナリストといえば、政治的には「右」であり、「保守」であり、近年は「嫌韓・嫌中」などの排外主義的な傾向を持つ者ものも多い。日本で暮らしているとおおよそこんなイメージだと思います。
 ところが、世界的に見るとそうでもないのです。例えば、デンマークでは「左派」と見られる社会民主党のもとで移民を厳しく制限する政策が進みました。
 また、何が「ナショナリズム」なのか? という問題もあります。スコットランドの独立を目指すスコットランド民主党は「ナショナリズム」政党と言えるのか? 韓国では、北朝鮮との統一を目指すのが「ナショナリスト」なのか? それとも北朝鮮との対決姿勢をとるのが「ナショナリスト」なのか?というのは一概には決められないでしょう。
 
 本書は、既存の「ナショナリズム」、「右と左」といった概念を大きく揺さぶります。
 基本的には今までの政治学などで積み重ねられてきた知見を紹介した本なのですが、165ページほどの本文の中に非常に手際よく、しかも興味を引く形で紹介しています。
 ナショナリズムに限らず、人々の政治意識を考えるうえで広く読まれるべき本だと言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
はじめに
第1章 混乱する政治の左右とナショナリズム
第2章 政治的左右とナショナリズムの多様性
第3章 ナショナリズムと政治的左右の結びつき
第4章 ナショナリズムとリベラルな政治的主張
第5章 ナショナリズムと民主主義/権威主義の結びつき
第6章 n度目のナショナリズムの時代に

 第1章では次のような本書のゴールが示されています。

 よくある「右翼≒ナショナリズム≒反リベラル≒権威主義」といった連想だけでは説明できない減少が多々あること、そういった連想が時に根拠に基づかない思い込みであることを示すのが本書のゴールである。(21p)

 まずは「右」と「左」についてです。
 もともとフランス革命時の議会において、右側に旧体制の維持・復権を求める勢力が、左側に革命をさらに推し進めようとする勢力が座っていたことから、このような呼び方が生まれました。
 第2次世界大戦後の西側諸国では、「右」と「左」は経済と政府の関わりに結び付けられるようになり、市場を重視し行き過ぎた政府の介入を嫌うのが「右」、政府が経済に介入し平等を実現することを望むのが「左」という形で理解されるようになっていきます。
 
 現在、政治的な対立軸を見るときに広く普及しているやり方は、経済や分配の問題を一次元目に、二次元目に非経済的な争点を置くやり方で、特に文化的・社会的対立を争点としているものが多いです。社会生活上の変化や多様性を肯定するか、保守的かという対立です。
 特によく使われているのが「GAL-TAN」と呼ばれるもので、「環境運動/緑 Green」、「異なる価値観 Alternative」、「リバタリアン Libertarian」と「伝統的 Traditional」、「権威主義的 Authoritarian」、「ナショナリスト Nationalist」の頭文字をとったものです。
 大雑把に言うと社会文化的な「リベラル」と社会文化的な「保守」というくくりになります。

 このような二次元の軸で考えると、例えば先述の移民に厳しいデンマーク民主党は、経済軸では左、社会文化的軸では「保守」という位置づけになります。
 そして、この二次元の軸ですが、実際の政治の争点も経済的なものから社会文化的な軸に移りつつあるといいます(先進諸国の政党のマニフェストをみても非経済的な物が増えている(41p図表1−2参照)。

 では、「TAN」の1つでもあるナショナリズムをどう考えればいいのでしょうか?
 まず、本書ではE・ゲルナーの「政治的な単位と民族的単位が一致しなければならないと主張する一つの政治的原理」「政治的単位と文化的単位との収斂」と、A・スミスの「(現存する、もしくは潜在的な)ネーションを構成すると考えている集団のために、自治と統一とアイデンティティを確立し維持するためのイデオロギー的運動」という定義が紹介されています(33p)。
 「自分のことは自分で決めたい」と考えるように「自分たちのことは自分たちで決めたい」と考えるかもしれませんが、ナショナリズムはこの「自分たち」と関わっています。
 この「自分たち」の範囲を決めるものとして共同体や民族や国家があり、それに対して抱かれるポジティブな感情から、政治についてもこうしたまとまりを重視する考えが生まれてくるのです。

 本書では、「帰属意識」「ナショナルプライド/愛国心」「排外主義」の3つをナショナリズムに由来する、あるいはナショナリズムを構成する意識として扱っています。
 なお、ナショナリズムと愛国心(パトリオティズム)は違うという議論もありますが、両者分離して、前者を「悪」、後者を「善」とするような議論はできないといいます。

 ナショナリズムは右とも左とも結びつきます。日本でも戦後しばらくは民族の統一や団結といったスローガンは右派よりも左派のほうが熱心に掲げていました。
 こうしたこともあって、ナショナリズムにはエスニック(民族的)なものとシビック(市民的)なものがあり、前者は良くないが後者は良いとするハンス・コーンの議論もありました。
 しかし、現在の研究者はこうした見方に否定的です。シビック・ナショナリズムの代表例として用いられるカナダでも、現実には英語とフランス語というエスニックな要素を持つ言語が特権的な地位にあり、エスニックな要素を完全に分離できるわけではないのです。

 本書ではナショナリズムを構成する要素として、「帰属意識」「ナショナルプライド/愛国心」「排外主義」の3つに注目し、実際の関係を世界価値調査のデータを用いて分析しています。
 OECD加盟国を中心とした民主主義国で2017〜22年にかけて行われた第7波調査をもとに分析したところ、「帰属意識」「ナショナルプライド/愛国心」は相関していることがわかりましたが、「帰属意識」と「排外主義」、「ナショナルプライド/愛国心」と「排外主義」の間には相関関係は見られませんでした(54p図表2−1参照)。

 ただし、国ごとに見ていくとそれぞれの関係性があったりなかったりすることがわかります。
 「ナショナルプライド」と「排外主義」の関係性を見ると、アメリカやドイツ、デンマーク、フランスなどでは両者の間に正の相関があります。一方、日本や韓国はその関係性がはっきりしません。カナダや台湾では両者には負の関係があります(56p図表2−2参照)。
 カナダでは愛国者であることを外国人を嫌わない態度と関係しているわけです。

 こうした国ごとの違いがあるにもかかわらず、ナショナリズムが右派、排外主義的なものと結びつけられやすいのはなぜでしょうか?
 これには政党の対立軸の変化があるといいます。キッチェルトによると、従来は経済的左派に位置する政党が社会文化次元でリベラル側に、経済的右派が保守側に寄っており、右派がナショナリズムを含む次元に移動するとともに左派がそうした次元から離れています。

 この動きについて、心理的に「右翼的権威主義」や「社会的支配志向」の強い人がいるといった議論があり、アメリカではそれを裏付ける研究もありますが、世界的に見ると経済争点と社会文化争点は独立したものと考えたほうがよいそうです。
 下の本書の64pに西ヨーロッパと東ヨーロッパの政党間対立を表す図を見ると、東欧では経済的右派が社会文化的なリベラルで経済的な左派が保守という西欧とは逆の形になってます。
 歴史的な経験がこうした違いを生み出しているわけですが、これを見ても経済的右派と社会文化的な保守が必ずしも結びつかないことがわかるでしょう。

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 「極右」と呼ばれることも多いフランスの国民戦線は1980年代までは経済的にも「右」の政策を打ち出していましたが、2000年頃から経済的には「左」によることで共産党などの支持者を奪っています。
 右派は経済面か社会文化面のどちらかで右派であれば「右派」と認識される傾向があり、このような戦略が可能になるのです。

 人々の左右認識のキーとなるものとして、イスラエルのピュルコらは、平等志向のような自己超越的価値観と、新規性等への開放性価値観を重視する者が左翼、富や力などを追求する自己高揚価値観と、伝統などの保守性価値観を重視する者が右翼の自己認識を持ちやすいとしました。
 ただし、これらは特殊西欧的なものに過ぎない可能性も示唆されており、宗教的保守性の高い南欧では、自己超越と自己高揚の次元での価値観は左右認識とあまり関係していませんでした。さらに東欧ではこうした関係がほとんど見られない、あるいは逆転している地域もあったといいます。

 著者等の研究でも非欧州の民主主義国では平等性に対する認識はあまり左右の自己認識とつながっておらず、もっぱら伝統等の保守的価値観か変化への開放的価値観を持つかが左右認識につながっているそうで、日本もこのタイプだといいます。
 また、旧共産圏やラテンアメリカなどでは伝統を重視する保守的な人が左派としての自己認識を持ち、社会文化的なリベラルほど右派としての自己認識を持つという国も多く見られます。
 ちなみに右派が「自由」を重視しているかというと、データからは判然としないそうです。

 ナショナリズムと左右の結びつきについては第3章でさらに検討されています。
 ナショナリズムは一方でメンバー間の平等と結びつく可能性もあります。実際、欧州では左翼政党が反グローバリズム、反EUの立場からナショナリズム的な主張をしているケースもあります。
 欧州では右と左に反EUがおり、中間勢力が親EUという配置になっています。フランスの黄色いベスト運動では反グローバリズム、反エリートの左派的な運動として始まり、右翼ナショナリストも乗っかていくような形になりました。

 ナショナリズムは現状変更を求める運動でも使われます。例えば、カタルーニャやスコットランドの独立運動はナショナリズムの発露と言えますが、スコットランド民主党は欧州議会では左派陣営に属しています。
 
 データで国家帰属意識の強さと右派自認の関係を見たところ、イギリス、アメリカ、日本などの国で相関関係がみられます。ただし、関係のない国も多いですし、イタリア、台湾などは逆に国家帰属意識の強さと右派自認ではないことと結びついています(80p図表3−1参照)。
 ラテンアメリカ諸国では相関がない国が多いですが、これは左派政党が反アメリカの観点からナショナリズム的な主張をすることも多いからだと考えられます。
 台湾ではナショナリストであるということが中国の統一を望むことなのか、台湾の独立を求めることなのか判然としないこと、イタリアではかつてイタリアからの独立を主張していた北部同盟が右派政党として強かったことが逆転現象をもたらしていると考えられます。

 政治的左右とナショナルプライド、政治的左右と排外主義の関係を見ると、相関している国が多いですが、ルーマニア、モンゴル、台湾ではナショナルプライドは右派でないこととと結びついていますし、チェコとブルガリアでは排外主義と右派でないことが結びついています(88−89p図表3−2、3−3参照)。
 
 次に日本について詳しくみていくと、まず、日本では自分の左右位置がわからないとする人が27.9%と高くなっています(アメリカは1.5%しかいない)。
 本書では過去の調査から、「ナショナルプライド」「帰属意識」「血統主義(民族的ナショナリズム)」「排外感情」「反中感情」という5つの意識の関係を分析しています(92p図表3−4参照)。
 これによると、帰属意識はナショナルプライドと相関していますが、排外感情や反中感情とは関連がありません。排外感情は血統主義と強く、反中感情ともそれなりに結びついており、日本のナショナリストには2つのグループがあるといえるかもしれません(「愛国心は弱いが反中反韓」のグループがいるという田辺俊介等の研究と整合的)。
 政治的左右との関係では、ナショナルプライドも排外主義も右派自認と結びついていますが、若い世代ではこの結びつきが弱まっています(95p図表3−5参照)。

 第4章では「リベラル」とナショナリズムの関係が分析されています。
 「リベラル」とナショナリズムは対極にあるようなイメージもありますが、例えば、世界で初めて緑の党として政府首班になったラトビア緑の党は民族の自由と独立を主張したナショナリストとして環境運動を展開していましたし、アイルランドの強硬ナショナリストであるシン=フェイン党はLGBTの権利擁護に積極的です。
 もともと「リベラル」という言葉自体が混乱していることもあるのですが、「リベラル」とナショナリズムが結びつくことも十分にあるのです。

 移民を嫌う説明として「職が奪われる」というものがあります。この考えだと高学歴層の人は高学歴の移民を、低学歴層の人は低学歴の移民を嫌いそうですが、高技能・高学歴の人も低技能・低学歴の移民を嫌っています。
 こうなると、福祉の負担になるという理由で移民を嫌っているのかもしれません。実際、北欧のような福祉が充実している国ほど低技能の移民が嫌われているという研究もあり、冒頭で紹介したデンマーク民主党の例を含めて一定の説得力がありそうです、

 ジェンダーやLGBTについてもナショナリズムと相反しそうですが、フランスの国民戦線の若い支持者には親LGBTも多いです。彼らはフランスの自由や平等といった価値観を守るために反移民のスタンスを取っています。
 1980年代以降生まれでは、女性の権利を擁護することと移民の権利を擁護することの間に負の関係が生じているとされ、ジェンダーイシューでリベラルな層ほど、移民争点ではナショナリストという傾向が見られます。これらの知見はヨーロッパを対象とした研究で得られており、「移民」がムスリム移民を指すものとして理解されていることが大きいと思われます。

 ヨーロッパ外も含めたデータを見ると、ノルウェー、アルゼンチン、ニュージーランドなどでは男女同権や同性愛への賛意とネーション帰属意識が正の相関となっています。一方、イギリス、日本、アメリカは負の相関です(113p図表4−1参照)。
 環境保護思考(119p図表4−2のタイトルは「思考」だけど、ここは「志向」?)とナショナル・アイデンティティの強さを見ると、アメリカ、スペイン、オーストラリアなどでは負の相関で、ラトビア、チリ、リトアニアなどは正の相関です。そして、日本や韓国など多くの国で両者に相関関係はありません。
 環境運動がどういった政治文脈で出てきたのかという違いがありますし、「環境」と言っても気候変動対策のような国際主義的なものと自国の自然を守るといった運動では、立ち位置に大きな違いがあると考えられます。
 日本での調査を見ると、ナショナルプライドが高いグループは権威ある人の敬意を払うべきだと考え、同性婚に反対する傾向がありますが、夫は仕事・妻は家庭とは考えていません。一方、排外主義的なグループは、権威への敬意、同性婚への反対、夫は仕事・妻は家庭のすべてに賛成する傾向があります(124p図表4−3参照)。

 第5章ではナショナリズムと民主主義の関係が分析されています。
 権威主義がナショナリズムを利用するパターンはよく見られますが、同時に日本の自由民権運動は三大事件建白運動などからもわかるように民主主義+ナショナリズムの組み合わせでした。
 ナショナリズムはデモクラシーの前提条件に考えられることが多いですが、そこで多民族国家では民族横断的な帰属意識が育つかどうかが問題にあります。J・リンスらの研究では、ユーゴスラビアは全国選挙よりも先に統一地方選挙を実施したために民族単位の帰属意識を持つ政治家が育ってしまい、スペインでは先に全国選挙を行ったためにスペイン全体を包括するアイデンティティが前面に出て民主主義が安定したとしています。

 帰属意識、ナショナルプライドと民主主義が重要だと考えるかどうかの関係を見ると、多くの国で正の相関を見せていますが、韓国は負の相関となっています(135p図表5−1参照)。これは韓国への帰属意識に過去の軍政への帰属意識が混在しているためかもしれません。
 一方、排外主義と民主主義を重要だと考えるかどうかの関係を見ると、日本を含めて多くの国で関係ないか、カナダやドイツやフィンランドでは負の相関となっています。一方、ラトビアは正の相関になっています(136p図表5−2参照)。これは民主化直後にロシア語系住民の権利を抑圧する政策をとったことと関連があるのかもしれません。

 ヨーロッパにおいて民主主義が後退している国としてハンガリーとポーランドがあげられます。いずれの国でも与党はナショナリズム的な主張をしており、ナショナリズムが民主主義を侵食しているように見えます。
 ただし、分野別に見ると両国では法の下の平等や結社の自由は崩されていないものの、早い時期から表現の自由や司法による抑制、議会等による抑制が低下し、その後に選挙の公平性が低下する形になっています(141p図表5−3参照)。
 つまり、多数派の専制にブレーキをかける自由主義的な要素がまずは崩されたうえで、民主主義が後退しているのです。
 
 また、民主主義がナショナリズムを活性化させるという面もあり、選挙が近づくと自分のアイデンティティとして民族などを重視する傾向があるとする研究もあります。

 最後にナショナリズムと政治意識を考えていくうえでのいくつかのポイントが示されています。
 日本の政治について考えていく中でアメリカが比較対象とされることが多いですが、アメリカは愛国主義=排外主義、ナショナリズム=極右で、「リベラル」とナショナリズムがはっきりと対立するかなり特殊な国です。それにもかかわらず、アメリカ発の言説の影響が強いので厄介です。
 
 短い本にもかかわらず長々と紹介を書いてしまいましたが、それだけ読み応えのある本だと思ってください。
 ナショナリズムの問題についてはもちろん、近年の政治的分極化の議論を追う上でも、アメリカは特殊だといった本書の指摘は非常に重要なのではないでしょうか。


今野真二『日本語と漢字』(岩波新書) 7点

 著者の作品としては、以前岩波新書からでた『百年前の日本語』が非常に面白かったのですが、その後、猛烈な勢いで新書を出しており、全然追えていなかったですが、久々に読んだ本書は面白いですね。
 副題は「正書法がないことばの歴史」で、ひらがな、カタカナ、漢字と1つの言葉をさまざまに表記する日本語のあり方について改めて考える内容になっています。
 そして、そのときにポイントになるのがタイトルにもある漢字です。漢字にはさまざまな読みがあり、また漢字は表意文字として意味を想起させます。
 本書はこの漢字に注目しながら日本語の歴史的な変化を追い、また、その特徴を明らかにしようとしています。全体的に「なるほど」と思わせる本です。

 目次は以下の通り。
序 章 正書法がないことばの歴史
第一章 すべては『万葉集』にあり
第二章 動きつづける「かきことば」――『平家物語』をよむ――
第三章 日本語再発見――ルネサンスとしての江戸時代
第四章 辞書から漢字をとらえなおす
終章 日本語と漢字――歴史をよみなおす

 まず、「正書法がない」ということですが、例えば、日本語では「こころ」とも「ココロ」とも「心」とも書けますし、「精神」とかいて「こころ」とルビを振ることも可能です。他にもいろいろな漢字に「こころ」とルビを振っているケースを思い出せるかもしれません。
 英語では「heart」と書くしかないわけで、「正しい書き方」=「正書法」があるのですが、日本語にはこのような正書法がないわけです。

 そもそも日本語には文字がなく、中国から漢字を輸入することで自分たちの言葉を文字にしました。
 『新選国語辞典』第9版に収録指定ある語を見ると、和語33.2%、漢語49.4%、外来語9.0%、混種語8.4%となっているそうです(13p)。かなり借用語が多いことがわかります(もっとも英語も語彙の60%近くがフランス語、ラテン語からの借用だという指摘もあるという)。
 漢字と漢語というのは日本語を理解するための大きな鍵になるわけです。

 第1章では、この日本語と漢字の問題を検討するために『万葉集』をとり上げています。
 『万葉集』では、私達から見ると「当て字」のような形で漢字が使われていて、日本語表記のために試行錯誤がなされていたという説明がなされることも多いですが、著者は『万葉集』はすでに一定の到達点だったと見ています。

 日本人と漢字との出会いは、中国からもたらされた貨幣や鏡などに書かれていたものだと考えられますが、これらは当時の日本の人々にとってはデザインであり。「文字」としては認識されていなかったと思われます。 
 著者は稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた文字あたりからは、漢字が確実に「文字」として認識されるようになっていたと考えています。

 そして、この漢字によって日本語を表記しようとすることになります。
 『万葉集』の2453番歌は「春楊葛山發雲立座妹念」と表記され、「春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしそ思ふ」とよまれています(28p)。
 「立座」から「立ちても居ても」というよみは導き出せないような気がしますが、これが和歌であり五・七・五・七・七の定型であるするならば、そのようなよみが推測できるというわけです。
 楊・山・雲・念はいずれも撥音の韻尾(ン)を持つ漢字なので、漢詩風に和歌を文字化していることもわかります。

 次に著者は「よめるけどヨメない」という話をします。これは内容を理解する(よむ)ことはできるけど、具体的な日本語に戻すことはできない(ヨメない)というものです。
 漢字を使っている限り、「春楊」が具体的にどのような日本語だったかはわからなくても、「春」と「楊(柳)」という漢字からその意味は推測できるのです。
 こうした漢字で書かれた分を微調整して日本語に引き寄せるために生まれれたのが仮名ではないかと著者は考えています。

 テキストは見つかっていないものの、奈良時代には中国語分を訓読することが行われていたと推測されています。
 『源氏物語』においても『史記』や『白氏文集』などの一節が漢文でない形で引用されていますが、これも漢文の訓読が行われていたからだと考えられます。

 こうした中で漢字は日本では表語文字としてではなく、表意文字として機能していくことになります。 
 例えば、12世紀半ばごろに成立した『色葉字類抄』という辞書では、コ編植物部に見出し「昆布 コンフ」が置かれていますが、一方、エ編植物部には「昆布 エヒスメ又ヒロメ」とあります。つまり「昆布」という漢字列では、漢語の「コンブ」を指すのか和名の「エヒスメ」を指すのかわかりません。同じように「平明」も「ヘイメイ」という漢語なのか「アケボノ」という和語なのかはわからないのです。

 『万葉集』には第9番歌の「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本」のように未だに「ヨメ」ても「よめ」てもいない歌もあります(「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の部分がわかっていない)。
 また、柿本人麻呂による2419番歌は「天地 言名絶 有 汝吾 相事止」と表記され、「アメツチトイフナノタエテアラバコソイマシモアレモアフコトヤマメ」とヨマれています。このとき、5文字目の「ト」や9文字目の「ノ」は漢字の表記にはありません。助詞などが補ってヨマれたと考えられます。
 ただし、1622番歌を見ると、「吾屋戸乃 秋之芽子開 夕影尓 今毛見師香 妹之光儀乎」では、「乃=の」、「之=の」、「毛=も」のように助詞については漢字を表音的に使って表しており、これらをかなに置き換えれば、現在の日本語の表記に近いものになってきます。

 『万葉集』の4264番歌は長歌なのですが、「虚見都」=「ソラミツ」の「都(ツ)」が多くのテキストで小さく書かれているといいます。
 これは表意的に使っている漢字と表音的に使っている漢字を区別するものだと考えられ、区切りがはっきりしない散文ではこのような工夫がより重要だったと思われます。

 平成22年に内閣告示された「常用漢字表」の中の、「威」、「悦」、「怨」などの漢字には訓読みがありません。
 しかし、「威す」「悦ぶ」「怨む」と書けば多くの人が読めるでしょう。「怨む」は「恨む」のほうが一般的かもしれませんが、漢字の意味などから「うらむ」とヨメるわけです。こうした漢字・漢語と和語の結びつきを、本書は「バックヤード」と表現し、日本語のさまざまな表現を生み出してきたと考えています。

 著者は日本語の歴史を「漢語・漢字と日本語のがっぷり四つ」(70p)と表現していますが、第2章では主に『平家物語』をとり上げながら、その歴史を探っています。
 
 9世紀になると仮名が登場し、平安時代になると『竹取物語』や『源氏物語』などが成立します。
 これらにも漢語は使われていますが、漢文訓読とは別の「和文」とも言うべきもので書かれています。
 漢文訓読文が漢字と片仮名で表記されたのに対し、和文は漢字と平仮名で表記され、より「はなしことば」に近いものでした。

 これに対して『平家物語』の頃になると和漢混淆文という新しい文体が生まれてきます。
 『平家物語』にはさまざまなテキストが残されており、その中には訓点は施されているものの基本的には漢字のみで書かれているものもあれば、「漢字平仮名交じり」、「漢字片仮名交じり」のものもあります。
 
 ほぼ漢字のみで書かれたテキストの1つ「延慶本」を見ると、「不久」(ヒサシカラズ)、「不留」(トドマラズ)といった漢文的な表記も見られます。
 こうした表記は、例えば、夏目漱石も「アリガタイ」を「難有」と文字化することがあり、かなりの歴史があったこともわかります。ただし、朝日新聞の編集者は「難有」を「有難」に変えています。振り仮名をふったときの座りが悪いという事もあったかもしれません。
 
 「延慶本」では、「アラハス」は「顕」「現」「彰」「表」「露」といった漢字が使われ、「影」に「アラハシ」と振仮名を施した例や、「旗」に「アラハス」という振仮名を施した例もあるといいます。
 1610年に出版された「倭玉篇」という漢和辞典では、「アラハス」という和訓が配された漢字が34もあります。
 和語はその意味などからさまざまな漢字があてられてきました。漢語と和語のすり合わせの中でさまざま表現が試されていたのです。

 室町時代までは基本的には「手書き」でしたが、江戸時代になると「印刷」が登場します。
 室町時代までは歌道に関わる秘伝は口承、あるいは写本として相伝され、限られた人にしか知られませんでした。ところが、江戸時代になるとこうした秘伝情報の一部も印刷出版され、知の平準化が起こってきます。
 また、こうした古い時代のテキストが流通することは、その時代の日本語を相対化させることにも繋がります。『万葉集』を研究した契沖も、寛永版本という印刷された『万葉集』を使っていたと考えられていますが、ここから賀茂真淵や本居宣長らによる日本語の研究が始まっていくのです。

 江戸時代の初め頃には活字による印刷が行われましたが、次第に1枚の木板に文字を浮彫していく整版印刷に取って代わられていきます。活字のほうが組み版をすることで何回も使いまわしができ、コストがかからないと考えらられるにもかかわらずです。
 これは日本が一定のまとまりをもって表記されていたことと関係しています。当時、仮名は連続して書かれるのが普通で、1文字1文字が区切られているのは不自然でした。
 そこで「おほし」などの連続活字がつくられるのですが、この連続活字では活用に対応できません。「たまふ」という連続活字をつくっても「たまへば」には使えないのです。
 また、活字だと文字の大きさを1つの版面の中では変えにくいですが、これは振仮名をふるときなどに不便です。
 これに対して整版印刷であれば文字を連続させることもできますし、文字の大きさを変えることもできます。

 式亭三馬の『浮世風呂』では「〜ァ」という表記が使われています。文字としては小さめに書かれており、片仮名としてというよりは発音を示すための記号のように使われているといいます。
 江戸時代になると、このように日本語の文字化は精密なものになっていきます。

 また、江戸時代には中国から「はなしことば」をかなり使った『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』、『金瓶梅』、『紅楼夢』などの文学作品が入ってきます。これらは「白話小説」とも言われ、訓点を附して読みやすくした「和刻本」が出版されます。
 本書では、ここで入ってきた中国語を「近代中国語」とし、これが日本語にも影響を与えたとみています。

 第4章では漢字と辞書についてとり上げられています。
 漢字にはさまざまな字体があります。中国では後漢末頃から「楷書」が生まれ、初唐の頃に完成します。顔元孫が編んだ『干禄字書』によって、標準的な字形が示されることになります。さらにこれをもとに康煕帝の命によって『康煕字典』が編纂されます。日本でもこうしたものが取り入れられ、漢字の活字については明朝体がメインになります。

 ただし、手書きで書く場合には「楷書」以外にも「行書」や「草書」が使われていました。
 こうした中で、学校教育などの中では楷書が規範的書体を位置づけられ、行書や草書はそれを崩したものと捉えられていくことになります。

 漢字はたくさんあります。そこでその漢字の字形と読みを示して辞書がつくられていきました。
 鎌倉時代後期頃につくられた『字鏡』には「跡」という字に、「フム」「タツヌ」「アト」という3つの和訓が示されています。これが室町時代に写されたと推測される白河本『字鏡集』では、「跡」の和訓は「ヒツメ」「フム」「シタカウ」「ハルカ」「ツク」「クルマノアト」「ヒラク」「アト」「馬ノアト」「トヲシ」「ウツシ」「ヌキアシ」「ヲトコ」「ハルカ」「「ウツラナリ」「マシラ」「スキタリ」「ヲロソカ也」と大量の和訓が書かれています。しかし、慶安4年の『新刊和玉篇』では「跡」の和訓は「アト」のみです。
 
 これは漢語が翻訳される際に、さまざまな和語が使われていたが、「日本語をかく」というプロセスの中で和語の語義とできるだけ重なり合いのある漢字を絞る中で、漢字と和訓の関係が絞られていったためとも考えられます。

 天正18年版の『節用集』のホ部言語進退門を見ると、「奔走 ホンソウ」「褒美 ホウビ」「褒貶 ホウヘン」などとともに、「被ㇾ誉 ラルホメ」「風聞 ホノカニキク」などの語の単位を超えたものも混じっています。
 ここから、この『節用集』が単語の意味をするというよりも、漢字列を読むためにつくられたものだからだと考えられます。
 著者は『節用集』の成り立ちについて、漢字列を抽出し、それに対応する日本語や漢字列に対応する振仮名を書き留め、整理したものから始まったものだと考えています。

 これが印刷され出版されるようになると、読者の便宜のためにさまざまな工夫が盛り込まれることになります。
 1706年に出版された『増字百倍 早引節用集』では、振仮名の文字数によって整理し、さらに行書体の漢字と楷書体の漢字の双方を示す形になっています。

 明治になると、さまざまな法律や布告、通達が出されるようになりますが、それらの多くは漢語を多く使う漢文訓読系の文章でした。そこで「漢語辞書」が次々に出版されることになります。
 慶応4年に出た荻田嘯編『新令字解』を見ると、「遺詔 イセウ 天子ノゴイゝゴン」といった具合に漢語と振仮名、簡単な意味の説明がなされています。「遺憾 イカン」が「ザンネン」(残念)と説明されているように漢語をより広く知られている漢語で説明しているケースもあります。
 この『新令字解』は収録語数を増やしながらその後も刊行されていきました。

 こうした一連の考察を踏まえて、終章で著者は次のように述べています。

 欧米流に考えると、漢字は文字化に使っている文字の1つということになる。そして文字が言語そのものに何らかの影響を与えているとは考えないだろう。しかし、日本語の場合は、多くの漢語を借用して日本語の語彙体系ができあがっている。漢語を借用するということは、その借用した漢語を語彙体系内に位置づけるということで、位置づけるためには、和語とどのように結びつけるか、和語とどのように語義上の「距離」をとるかということをすりあわせる必要がある。すりあわせるためには、漢語の語義をきちんとおさえる必要があり、それは漢字字義を通して行われた。そう考えると、漢字はいわばただの文字ではないことになる。漢字・漢語を軸にして文献や資料をよみなおしてみると、どういう「風景」がみえるか、ということが本書の「よみなおし」の1つである。(230p)

 上記のまとめが本書の内容を的確に表していると思います。
 後半はちょっと分析の流れが追いにくいところもあり、また、評者がこの分野に詳しくないということでうまくまとめられない面もあったのですが、本書で紹介されている材料は非常に興味深いと思います。
 また、やや小さいものの数多くの図版が載っており、実際に日本語や漢字がどのように書かれていたのかということもわかるようになっています。
 日本語の歴史を考えるうえで大きな刺激を与えてくれる本であることは間違いないでしょう。
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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