去年公開され、刊行も始まった「昭和天皇実録」(以下「実録」)。目次凡例も含めて61冊という長大な記録を、『昭和天皇』(岩波新書)を書いた著者が読み解いた本。
基本的に著者が『昭和天皇』で注目した、昭和天皇と祭祀、実の母である貞明皇后との確執といった部分を中心に「実録」の記載を見ていく感じで、著者の考える「昭和天皇像」を知るには、まずは『昭和天皇』から読んだほうがいいでしょう。
ただ、昭和天皇の幼少期の家庭環境への注目、カトリックへの接近など、この本で新たに掘り下げられている部分も多く、昭和天皇についてある程度の知識がある人にとっても面白い発見のある本だと思います。
まず、著者が「実録」において注目するのは祭祀についてです。
「実録」では、今まで公表されることのなかった「御告文」・「御祭文」のいくつかが公表されています。「御告文」とは天皇が宮中三殿や伊勢神宮などで神に向かって読み上げられる文章であり、「御祭文」は天皇本人に変わり勅使が読み上げる文章です。
これが公表されたことによって、例えば、1942年12月の伊勢神宮での戦勝祈願について、『昭和天皇独白録』では「平和を祈った」ということになっていますが、「敵の平定」も祈っていたことがわかります(133ー137p)。
このように著者は祭祀における「御告文」などを見ていくことによって、昭和天皇の心のうちの迫ろうとしています。
この昭和天皇の祭祀への関わりについて、大きな影響を与えたと考えられるのが実母の貞明皇后です。
もともと、昭和天皇は祭祀に熱心だったとは言いがたく、摂政になってから初めて新嘗祭(1922年)は参加していません。昭和天皇は地方の視察に出ており、当日は視察先でビリヤードなどを行っていたのです(67ー68p)。
昭和天皇は1921年の3月から9月にかけて訪欧の旅へと出ており、そこで洋式の生活に感化されたらしく、日常生活も洋式のものに切り替えていきます。また、皇室の古い制度もいろいろと改めようとしています。
しかし、このような昭和天皇の前に立ちはだかったのが貞明皇后になります。
貞明皇后は慈善活動などにも積極的だっただけではなく宮中の祭祀に関して非常に熱心で、筧克彦から「神ながらの道」の講義を受け、また「神ながらの皇国運動(やまとばたらき)」という奇妙な体操を行うなど、かなりスピリチュアルなものに傾倒した人物でした。
昭和天皇がこの貞明皇后から祭祀を熱心に行うようにかなり強いプレッシャーを受けていたのではないかというのが著者の見立てです。
実際、太平洋戦争の最中や、終戦直後においても昭和天皇の実母に対する態度というのは腫れ物に触るような印象があり、香淳皇后との嫁姑問題もあって、この母子関係というのはやや難しいものであったことがうかがえます。
もう一つ、この本が注目するのは昭和天皇とカトリックの関係です。
敗戦後、昭和天皇の周囲にクリスチャンが数多くいたことは知られていますが(例えば、田島道治宮内庁長官、三谷隆信侍従長、皇太子の家庭教師のヴァイニング夫人など)、この本では、皇太子時代の訪欧でローマ教皇ベネディクト15世との会見した時から、国体や政体に介入しないカトリックに好印象を持っていたのではないかと推測しています。
さらに「実録」から、昭和天皇が日本が独立を回復する直前までカトリックに非常に関心を示していた証拠を抜き出しています。
この、現天皇家におけるキリスト教の影響というのは気に留めてくべきものでしょう。
また、幼少期に周囲が女性ばかりの特殊な家庭環境だったという指摘も興味深いですし、昭和天皇と鉄道など、著者ならではの面白い指摘がいくつかあります。
ただ、あくまでも著者の『昭和天皇』の副読本といった形で、昭和天皇という存在をトータルに理解させるような本ではないですね。帯には「細部を精緻に読み込んだ第一人者における徹底講義」とありますが、著者の昭和天皇へのアプローチの仕方というのはスタンダードなものからするとずれていますし(例えば、昭和天皇が終戦を決断した時期、1945年6月のポイントとして貞明皇太后との会見をあげていますが、一般的に言われるポイントは梅津参謀総長から関東軍が使いものにならないということを聞いたことですっよね)、「細部を精緻に読み込んだ」というのも、「著者の関心に基づいて」という但し書きが入ると思います。
まずは、著者の『昭和天皇』を読み、面白かったらこの本を読むといいと思いますし、もし、自分の求めているものと少し違うなと思ったら、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読むといいのではないでしょうか。
「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)
原 武史

昭和天皇 (岩波新書)
原 武史

昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)
古川 隆久

基本的に著者が『昭和天皇』で注目した、昭和天皇と祭祀、実の母である貞明皇后との確執といった部分を中心に「実録」の記載を見ていく感じで、著者の考える「昭和天皇像」を知るには、まずは『昭和天皇』から読んだほうがいいでしょう。
ただ、昭和天皇の幼少期の家庭環境への注目、カトリックへの接近など、この本で新たに掘り下げられている部分も多く、昭和天皇についてある程度の知識がある人にとっても面白い発見のある本だと思います。
まず、著者が「実録」において注目するのは祭祀についてです。
「実録」では、今まで公表されることのなかった「御告文」・「御祭文」のいくつかが公表されています。「御告文」とは天皇が宮中三殿や伊勢神宮などで神に向かって読み上げられる文章であり、「御祭文」は天皇本人に変わり勅使が読み上げる文章です。
これが公表されたことによって、例えば、1942年12月の伊勢神宮での戦勝祈願について、『昭和天皇独白録』では「平和を祈った」ということになっていますが、「敵の平定」も祈っていたことがわかります(133ー137p)。
このように著者は祭祀における「御告文」などを見ていくことによって、昭和天皇の心のうちの迫ろうとしています。
この昭和天皇の祭祀への関わりについて、大きな影響を与えたと考えられるのが実母の貞明皇后です。
もともと、昭和天皇は祭祀に熱心だったとは言いがたく、摂政になってから初めて新嘗祭(1922年)は参加していません。昭和天皇は地方の視察に出ており、当日は視察先でビリヤードなどを行っていたのです(67ー68p)。
昭和天皇は1921年の3月から9月にかけて訪欧の旅へと出ており、そこで洋式の生活に感化されたらしく、日常生活も洋式のものに切り替えていきます。また、皇室の古い制度もいろいろと改めようとしています。
しかし、このような昭和天皇の前に立ちはだかったのが貞明皇后になります。
貞明皇后は慈善活動などにも積極的だっただけではなく宮中の祭祀に関して非常に熱心で、筧克彦から「神ながらの道」の講義を受け、また「神ながらの皇国運動(やまとばたらき)」という奇妙な体操を行うなど、かなりスピリチュアルなものに傾倒した人物でした。
昭和天皇がこの貞明皇后から祭祀を熱心に行うようにかなり強いプレッシャーを受けていたのではないかというのが著者の見立てです。
実際、太平洋戦争の最中や、終戦直後においても昭和天皇の実母に対する態度というのは腫れ物に触るような印象があり、香淳皇后との嫁姑問題もあって、この母子関係というのはやや難しいものであったことがうかがえます。
もう一つ、この本が注目するのは昭和天皇とカトリックの関係です。
敗戦後、昭和天皇の周囲にクリスチャンが数多くいたことは知られていますが(例えば、田島道治宮内庁長官、三谷隆信侍従長、皇太子の家庭教師のヴァイニング夫人など)、この本では、皇太子時代の訪欧でローマ教皇ベネディクト15世との会見した時から、国体や政体に介入しないカトリックに好印象を持っていたのではないかと推測しています。
さらに「実録」から、昭和天皇が日本が独立を回復する直前までカトリックに非常に関心を示していた証拠を抜き出しています。
この、現天皇家におけるキリスト教の影響というのは気に留めてくべきものでしょう。
また、幼少期に周囲が女性ばかりの特殊な家庭環境だったという指摘も興味深いですし、昭和天皇と鉄道など、著者ならではの面白い指摘がいくつかあります。
ただ、あくまでも著者の『昭和天皇』の副読本といった形で、昭和天皇という存在をトータルに理解させるような本ではないですね。帯には「細部を精緻に読み込んだ第一人者における徹底講義」とありますが、著者の昭和天皇へのアプローチの仕方というのはスタンダードなものからするとずれていますし(例えば、昭和天皇が終戦を決断した時期、1945年6月のポイントとして貞明皇太后との会見をあげていますが、一般的に言われるポイントは梅津参謀総長から関東軍が使いものにならないということを聞いたことですっよね)、「細部を精緻に読み込んだ」というのも、「著者の関心に基づいて」という但し書きが入ると思います。
まずは、著者の『昭和天皇』を読み、面白かったらこの本を読むといいと思いますし、もし、自分の求めているものと少し違うなと思ったら、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読むといいのではないでしょうか。
「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)
原 武史

昭和天皇 (岩波新書)
原 武史

昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)
古川 隆久
