山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2015年09月

原武史『「昭和天皇実録」を読む』(岩波新書) 6点

 去年公開され、刊行も始まった「昭和天皇実録」(以下「実録」)。目次凡例も含めて61冊という長大な記録を、『昭和天皇』(岩波新書)を書いた著者が読み解いた本。
 基本的に著者が『昭和天皇』で注目した、昭和天皇と祭祀、実の母である貞明皇后との確執といった部分を中心に「実録」の記載を見ていく感じで、著者の考える「昭和天皇像」を知るには、まずは『昭和天皇』から読んだほうがいいでしょう。
 ただ、昭和天皇の幼少期の家庭環境への注目、カトリックへの接近など、この本で新たに掘り下げられている部分も多く、昭和天皇についてある程度の知識がある人にとっても面白い発見のある本だと思います。

 まず、著者が「実録」において注目するのは祭祀についてです。
 「実録」では、今まで公表されることのなかった「御告文」・「御祭文」のいくつかが公表されています。「御告文」とは天皇が宮中三殿や伊勢神宮などで神に向かって読み上げられる文章であり、「御祭文」は天皇本人に変わり勅使が読み上げる文章です。
 これが公表されたことによって、例えば、1942年12月の伊勢神宮での戦勝祈願について、『昭和天皇独白録』では「平和を祈った」ということになっていますが、「敵の平定」も祈っていたことがわかります(133ー137p)。
 このように著者は祭祀における「御告文」などを見ていくことによって、昭和天皇の心のうちの迫ろうとしています。

 この昭和天皇の祭祀への関わりについて、大きな影響を与えたと考えられるのが実母の貞明皇后です。
 もともと、昭和天皇は祭祀に熱心だったとは言いがたく、摂政になってから初めて新嘗祭(1922年)は参加していません。昭和天皇は地方の視察に出ており、当日は視察先でビリヤードなどを行っていたのです(67ー68p)。
 昭和天皇は1921年の3月から9月にかけて訪欧の旅へと出ており、そこで洋式の生活に感化されたらしく、日常生活も洋式のものに切り替えていきます。また、皇室の古い制度もいろいろと改めようとしています。

 しかし、このような昭和天皇の前に立ちはだかったのが貞明皇后になります。
 貞明皇后は慈善活動などにも積極的だっただけではなく宮中の祭祀に関して非常に熱心で、筧克彦から「神ながらの道」の講義を受け、また「神ながらの皇国運動(やまとばたらき)」という奇妙な体操を行うなど、かなりスピリチュアルなものに傾倒した人物でした。
 昭和天皇がこの貞明皇后から祭祀を熱心に行うようにかなり強いプレッシャーを受けていたのではないかというのが著者の見立てです。

 実際、太平洋戦争の最中や、終戦直後においても昭和天皇の実母に対する態度というのは腫れ物に触るような印象があり、香淳皇后との嫁姑問題もあって、この母子関係というのはやや難しいものであったことがうかがえます。

 もう一つ、この本が注目するのは昭和天皇とカトリックの関係です。
 敗戦後、昭和天皇の周囲にクリスチャンが数多くいたことは知られていますが(例えば、田島道治宮内庁長官、三谷隆信侍従長、皇太子の家庭教師のヴァイニング夫人など)、この本では、皇太子時代の訪欧でローマ教皇ベネディクト15世との会見した時から、国体や政体に介入しないカトリックに好印象を持っていたのではないかと推測しています。
 さらに「実録」から、昭和天皇が日本が独立を回復する直前までカトリックに非常に関心を示していた証拠を抜き出しています。
 この、現天皇家におけるキリスト教の影響というのは気に留めてくべきものでしょう。

 また、幼少期に周囲が女性ばかりの特殊な家庭環境だったという指摘も興味深いですし、昭和天皇と鉄道など、著者ならではの面白い指摘がいくつかあります。
 
 ただ、あくまでも著者の『昭和天皇』の副読本といった形で、昭和天皇という存在をトータルに理解させるような本ではないですね。帯には「細部を精緻に読み込んだ第一人者における徹底講義」とありますが、著者の昭和天皇へのアプローチの仕方というのはスタンダードなものからするとずれていますし(例えば、昭和天皇が終戦を決断した時期、1945年6月のポイントとして貞明皇太后との会見をあげていますが、一般的に言われるポイントは梅津参謀総長から関東軍が使いものにならないということを聞いたことですっよね)、「細部を精緻に読み込んだ」というのも、「著者の関心に基づいて」という但し書きが入ると思います。

 まずは、著者の『昭和天皇』を読み、面白かったらこの本を読むといいと思いますし、もし、自分の求めているものと少し違うなと思ったら、古川隆久『昭和天皇』(中公新書)を読むといいのではないでしょうか。

「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)
原 武史
4004315611


昭和天皇 (岩波新書)
原 武史
400431111X


昭和天皇―「理性の君主」の孤独 (中公新書)
古川 隆久
4121021053

上杉和央『地図から読む江戸時代』(ちくま新書) 7点

 タイトルからすると、江戸時代の古地図をみながら、江戸の街やその他もろもろの秘密や特徴を読み解いていく本に思えるかもしれません。実際、自分もタイトルを見た時はそのようなものだと思っていたのですが、その予想はいい意味で裏切られました。
 この本は、江戸時代につくられた日本地図の変遷を追いながら、人々の「日本像」や「地図観」がいかに変化していったかということを教えてくれる本になります。

 まず、江戸時代以前に普及していたのが「行基式日本図」と呼ばれるものです。これは「山城」「武蔵」「陸奥」といった「くに」を魚の鱗のように並べて日本地図をつくりあげるもので、奈良時代の僧・行基がつくったという伝承を受け継ぎつつ、長年使用されていたものです。
 この地図では、日本が六十数カ国の「くに」から構成されている土地だという事がわかる一方で、日本の形、「くに」の大きさや形といったものの正確さは無視されています。
 「「くに」が集まったものが日本である」、そういった意識(この本では「連邦制」という言葉を使っている)が「行基式日本図」の中にはあるのです。

 ところが、江戸時代になると、この「行基式日本図」とは違った形の日本地図が登場します。
 3代将軍家光はその治世の中で3回も日本地図をつくらせましたが、それには島原の乱において西日本の地図が不明確であったために幕府軍が混乱をきたしたという背景もあったようです(70ー72p)。
 幕府は諸大名に命じて地図の提出を命じ、それをもとに日本地図をつくりあげました。測量をしたわけではないので必ずしも正確な地図ではないのですが、この地図の作製は、家光のとった「鎖国」政策と同様、「日本」というまとまりを意識させる効果があったのではないかとこの本では指摘しています(76ー79p)。

 こうした江戸時代の日本地図において著者が注目する人物の1人が元禄期に活躍した石川流宣(とものぶ)です。
 歴史の教科書には出てこない人物ですが、浮世草子を描いたり、菱川師宣の弟子として浮世絵も描いたり、さまざまなガイドブックを出したりというなかなかの才人です。そして、『日本海山潮陸図』という90年以上にわたって版を続けた日本地図の作者でもあります。
 幕府のつくった地図が最終的には狩野派の絵師たちによって仕上げられたのと同じように、江戸時代の中期までは、地図に「正確さ」以上に「美しさ」が求めらた時代でした。
 石川流宣は地理に関する知識と菱川師宣の弟子という絵心を活かして、当時の人が求める日本地図を描いてみせたのです。

 しかし、享保期を過ぎると、だんだんと地図に「正確さ」が求められるようになってきます。
 この「正確さ」を強く求めたのが8代将軍吉宗でした。吉宗は全国一斉の方位測量を命じ、城から主要な山の方位を調べさせるなどして正しい日本地図の作製に力を注ぎました。
 また、各大名が過去の地図の間違いが露見することを恐れて正しい地図を出さないことがわかると、主要な山の見える方角といったデータのみを提出させ地図の作製は幕府で行なうなど、そのやり方もかなり凝ったものでした。口絵に載っている「享保日本図」を見ると、方位を示す線がたくさん引かれており、吉宗の実学的なこだわりがかいま見えます。

 
 この「正確さ」の追求は市井の人々にも芽生え、森幸安という人物は宝暦期に経緯線を引いた地図を描いています。また、この本を読んで若き日の本居宣長が小津栄貞(よしさだ)という名前で地図を作っていたということをはじめて知りました。

 そして、石川流宣の『日本海山潮陸図』の時代を終わらせたのが、長久保赤水(せきすい)です。
 赤水の作った地図は、縮尺についての注記も入れるなど、「正確さ」にこだわった地図で、口絵の写真を見ても、パッと見では今現在の日本地図と遜色のない形をしています。
 赤水は、後述の伊能忠敬のように日本全国を測量したわけではありませんが,、当時の知識人のネットワークをフルに利用して、地理的な情報の集積につとめ、この地図を描いたそうです。
 赤水の作った地図はそうした知識人のためにつくられたものでしたが、その地図は出版され、さらにそれの模倣品や海賊版が出回ることで、新たな日本地図のスタンダードとなっていきます。

 江戸時代の日本地図といえば、何と言っても伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」が思い起こされますが、伊能忠敬の地図は幕府によって秘匿されており、一般の人が目にする機会はまずありませんでした(この本が指摘するように伊能忠敬の地図が影響力を持ったのはむしろ近代になってから)。
 また、伊能忠敬の地図の関心はもっぱら測量した海岸線を中心とした場所に限られており、必ずしも人々が地図に期待する情報をすべて含んだものではありませんでした。
 ただ、この本は伊能忠敬の地図に「くに」の境が描かれていないことに注意を向け、そこに「日本」という単位の明確化を見ています。
 「くに」が集まって「日本」になるのではなく、まず、「日本」という単位がそこにはあるのです。

 このように、なかなかマニアックな事柄を取り扱った本なのですが、そこには地図の世界だけには留まらない人々の「日本像」や「地図観」の変化があります。この本はそうした人々の意識の変化を地図を使って浮き彫りにしています。
 また、地図にまつわる細かいネタも豊富で、興味のある人にはなかなか楽しめる本に仕上がっていると思います。


地図から読む江戸時代 (ちくま新書)
上杉 和央
4480068503

栗原俊雄『特攻』(中公新書) 7点

 神風特攻隊に代表される「特攻」、それは日本が戦った太平洋戦争を戦争を象徴するものとして、あるときには「日本軍の非合理主義の証」として、あるときは「若者を襲った悲劇」、あるときは「英雄的な行為」として語られてきました。
 そんな「特攻」について、そのはじまりから神風特攻隊以外のさまざまな特攻隊の展開、そして生き残り隊員のその後まで、「特攻」というものを網羅的に語ろうとした本。
 著者は『シベリア抑留』(岩波新書)でシベリア抑留の証言を丁寧に集めていた毎日新聞の記者。今回もさまざまな史料や取材を通して「特攻」の全体像を明らかにしようとしています。

 目次は以下のとおり。
序章 「特攻」とは何か―「組織的行動」前史
第1章 神風特別攻撃隊―フィリピン戦線からの始動
第2章 終わらない航空特攻―沖縄から本土へ
第3章 戦艦、魚雷、機雷、ボート―繰り出される「奇手」
第4章 語り継がれた70年―「特攻」の戦後史
終章 21世紀に生きる「特攻」―離島、黒島

 昔から日本では「死ぬとわかっていながらの戦い」を尊いのものとする風潮がありました。何と言っても後世に大きな影響を与えたのは楠木正成の湊川の戦いですし、近代以降も、日露戦争の広瀬武夫、満州事変の「爆弾三勇士」らが「軍神」として賞賛されてきました。
 確かに、100%死ぬしかない「特攻」は狂気に満ちた作戦ですが、真珠湾では生還が限りなく難しい特殊潜航艇5隻が投入されるなど(戦果は未確認。乗組員10人中9人死亡)、「決死」の作戦は日本軍の中では頻繁に試みられ、その行動はつねに軍やメディアから賞賛を浴びていました。

 そんな中で、ついに100%死ぬしかない「特攻」が作戦として実行されます。
 1944年10月にフィリピン戦線で組織された「神風特別攻撃隊」です。この本では、ここに至るまでに、日本軍の中で「特攻」的な行為がしばしば行われていたこと、また、軍の内部からも「特攻」による戦局の巻き返しを求める声が出ていたことを踏まえた上で、「特攻」という作戦にどのようにしてゴーサインが出されたのかを丁寧に追っています。

 作戦としての「特攻」にゴーサインを出したのは海軍の第一航空艦隊司令長官・大西瀧治郎中将でした。大西は栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させるためには、敵の空母を一時的にでも使用不能にさせる必要があると考え、「特攻」作戦へと踏み切ります。
 このとき、隊長に選ばれた関行男大尉は、「報道班員、日本ももうおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に50番[500キロ爆弾]を命中させる自信がある」(49-50p)と語ったといいます。
 
 しかし、「特攻」という作戦の非合理性や、関大尉の絶望は、「特攻」の戦果によってかき消されることになります。マリアナ沖海戦で日本の機動部隊が500機ほどをつかって1隻も沈められなかったアメリカの空母を撃沈(正規空母ではなく護衛空母ですが)するなど、わずかな機数で大きな戦果を収めたのです。
 この戦果を新聞も大々的に報道、海軍につづき陸軍も「特攻」をはじめます(「特攻」の決定は海軍よりも陸軍のほうが早かった(65p))。栗田艦隊のレイテ湾突入のための非常手段の作戦だったはずの「特攻」でしたが、大西は「特別攻撃隊以外に攻撃法のないことは、もはや事実によって証明された」(64p)と語り、「特攻」を推し進めていきます。
 この本では、大西の発言や行動の揺れ動きを丁寧に追っており、大西の「覚悟」と「異常さ」を浮き彫りにしています。また、東條英機の側近であった冨永恭次のクソっぷりも描かれています。

 このように華々しくスタートした「特攻」でしたが、アメリカ軍が対策を講じるとなかなか敵に突っ込むこと自体が難しくなります。しかも、飛行機とパイロットの質は落ちていき(「特攻」すればともに失われるのだから当然のこと)、ついに練習機まで投入されるようになりました。
 ロケットエンジンを積んだ「人間爆弾」の「桜花」も開発されました。しかし、一式陸攻から投下される「桜花」は、敵に近づく前に一式陸攻もろとも撃墜され、ほとんど戦果をあげることは出来ませんでした。
 また、飛行機の故障などで生きて帰ったパイロットは施設に監禁され、「生きて帰った反省文」を書かされたりしたそうです(145p)。
 結局、「特攻」が撃沈した敵艦は輸送船なども含めて47隻。一方、「特攻」の戦死者は陸海軍合わせて3848人。1隻沈めるために81人の兵士の命が失われました(150p)。

 戦局が悪化するに連れ、さらにさまざまな「特攻」が行われます。日本が誇る戦艦「大和」も「特攻」という形でその最期を迎えますし、人間機雷「伏龍」(潜水服を着た人間が爆弾を持って下から敵艦を襲う)、人間魚雷「回天」(文字通り魚雷に操縦する人間が乗り込む)、水上特攻艇「震洋」(モーターボートに爆弾をつけて突っ込む)といった、非合理な「特攻」兵器が次々と開発されました。
 その戦果といえば、「回天」を積んだ潜水艦がアメリカの巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したことくらいです。

 この本では、さらに戦後の「特攻」の語られ方、特攻に失敗したパイロットが漂着した鹿児島の離島・黒島のエピソードなども紹介しています。

 このように新聞記者らしくさまざまなエピソードを掘り起こしながら、「特攻」がいかに展開していったのかを丁寧に検証しようとしています。
 何か目新しい発見といったものはないかもしれませんが、「特攻」を「悲劇」という形に押し込めずに語ろうとしたいい本だと思います。


特攻――戦争と日本人 (中公新書)
栗原 俊雄
4121023374

井上亮『忘れられた島々』(平凡社新書) 6点

 副題は「「南洋諸島」の現代史」、サイパン、パラオ、トラック、マーシャル諸島といった日本の委任統治領だった島々の歴史を戦争の記憶を中心に再構成してみせた本。
 著者は昭和天皇に関する「富田メモ」を報じたこともある日経新聞の記者。さまざまなエピソードを掘り起こしながら、戦前・戦中は日本に、戦後はアメリカに利用された南洋諸島の歴史を描き出しています。
 南洋諸島の歴史については、宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人』(岩波新書)、平岡昭利『アホウドリを追った日本人』(岩波新書)といった本で、一攫千金を求めて日本人がたどり着いた先として描かれていましたが、この本では戦争を中心とした「暗い」歴史が中心になります。

 現在、ミクロネシアと呼ばれる南洋諸島が世界史に登場するのはマゼランの世界一周の時です。それ以来、主にスペイン、そしてドイツがこの地域の島を支配してきましたが、ドイツが第一次世界大戦で敗北すると、日本がこれらの島々を「委任統治領」として支配することになりました。
 パリ講和会議では、アメリカ大統領・ウィルソンが「民族自決」の理想主義を掲げる一方、旧ドイツの植民地の併合を求める声もあり、その折衷案としてでていたのが「委任統治制度」でした。
 南洋諸島は「文明から遠く離れ、住民のレベルは低く、独立は不可能」という地域に分類され、「隠された併合」とも言える形で日本の支配下に入りました(38ー39p)。

 日本は現地に学校を作ると、そこで日本語や教育勅語、天皇にまつわる各種行事などを現地の島民の子ども達に教えていきます。同時に日本人の移民を進め、南洋諸島に住む日本人は急速に増えていきました。日本人と親交を深めた現地の人々もいましたが、一方で「三等国民」と差別されることも多かったそうです(53ー57p)。
 また、神社もつくりましたが、委任統治の条件として「信教の自由」の保障が入っていたために、朝鮮や台湾のような参拝の強制はできませんでした(59ー60p)。

 この南洋諸島の開発をになったのが、国策企業・南洋興発と沖縄の人々でした。
 台湾で製糖業を営んでいた福島県出身の実業家・松江春次は、1921年南洋諸島に進出します。このとき、松江は現地住民を「惰民」とみて雇わず、サトウキビ栽培がさかんで移民が多かった沖縄から大量の移民を採用する計画を立てます。
 南洋諸島ので製糖業は1925年頃から軌道に乗り、また、カツオ漁などもはじまり、そこにも沖縄の漁師たちが出て行くことになります。
 南洋の暮らしを「楽園」と懐かしむ沖縄の人々も数多くいますが(この南洋が「楽園」だという話は『かつお節と日本人』にも出てくる)、沖縄出身者への差別もあり、パラオでは内地日本人、パラオ人、沖縄人という階層順位があったそうです(71p)。

 「楽園」とも呼ばれた状況を一変させたのが戦争でした。
 南洋に渡れば徴兵を免れることができるということもあって(107p)、太平洋戦争の勃発直前まで平和なムードがただよっていた南洋諸島ですが、日米開戦とともに南洋諸島は戦争の最前線となります。
 日本軍が劣勢となり南洋諸島に戦火が迫ると、女性や子どもを中心に引き揚げも行われましたが、その途中で多くの船が撃沈され、「引き上げるのも地獄、残るのも地獄」(120p)といった状況でした。
 アメリカ軍の攻撃の前に、44年7月にサイパンが陥落。民間人の多くも犠牲になりましたが、その民間人の中で最も多かったのが沖縄人でした。沖縄戦の悲劇を、サイパンでいち早く同胞が経験していたことになります。

 その後、日本軍とアメリカ軍はペリリュー島で死闘を繰り広げます。ペリリュー島の住民はすべてパラオ本島に移され民間人の犠牲は出ませんでしたが、多くのに日本人が避難したパラオ本島では食料不足からおよそ4000人が飢餓が原因で亡くなったと言われています(156ー157p)。
 また、「パラオ挺身隊」、「ポナペ決死隊」などのパラオ人部隊もつくられ、その多くが犠牲となりました(168ー169p)。

 戦争が終わったとも南洋諸島に完全な平和が訪れたわけではありません。
 日本の委任統治を受け継ぐ形となったアメリカは、南洋諸島を核兵器の実験場とし、島民を強制移住させるなど、ある意味で日本以上に現地の人々の生活を破壊しました。
 ご存知のように、ビキニ環礁での水爆実験では日本の第五福竜丸が被曝していますが、これらの実験は住民167人を強制移住させて行われたものでした。住民たちは環境の激変によって漁ができなくなり、文化そのものが破壊されました(196p)。

 このように、この本では日本とアメリカの間で翻弄された南洋諸島の歴史を数々のエピソードを交えて描いています。
 歴史の記述としてはやや追いにくい部分もありますが、新聞記者らしく、南洋諸島の悲劇に関してさまざまな方向をから光を当てています。
 ただ、「「美しき死」より「長く苦しい死」が求められ、「時間をかけて玉砕」することが命じられた。ペリリュー島の戦いは、南洋諸島がサイパン戦時の「防波堤」から「捨て石」に変わったことを明らかにしている」(145p)という文章に見られるようなキーワードでまとめてみせる文体は、歴史をつづるものとしてはあまり好きではありません。

忘れられた島々 「南洋群島」の現代史 (平凡社新書)
井上 亮
4582857833

高口康太『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)

 著者の高口康太氏よりご恵投いただいました(いただきものなので採点はしないことにします)。

 副題は「人気漫画家が亡命した理由」。中国版のTwitterである「微博(ウェイポー)」などで中国の政治や社会を風刺する漫画を描いてきた辣椒(ラージャオ、本名・王立銘)、2010年頃から風刺漫画をさかんに発表し中国のネット論壇を盛り上げた彼は2014年に中国の官製メディアから批判され、現在、事実上の亡命状態で日本にいます。
 そんな辣椒に、中国や新興国のニュースを配信するサイト「KINBRICKS NOW」を運営する著者がインタビューし、そこから中国のネット論壇の「生と死」、さらには習近平体制における中国社会の実情を探ろうとした本。
 人権派弁護士の大量拘束など、気味の悪いことが立て続けに起きている中国ですが、その「気味の悪さ」の正体が見えてくるような内容になっています。

 この「気味の悪さ」の正体は、いきなり「はじめに」の部分で明かされています。
 江沢民以来、中国共産党の総書記は2期10年の任期がなかば制度化されていたが、「民に熱烈に推戴された」習近平は10年を超える長期政権につく可能性が高いと、私と辣椒の意見は一致している。(5p)

 この長期政権のために、腐敗撲滅のための政府高官の粛清が行われ、人権派弁護士が拘束され、ネット論壇に対して圧力をかけると同時に、アニメやネット動画などを使ってネット論壇そのものの簒奪をねらっている(すでに簒奪したといえるかもしれない)のが現在の習近平政権だというのです。

 この本の目次は以下のとおり。
第一章・政治改革の熱気--習近平政権誕生前夜のネット論壇と都市中産層の誕生
第二章・奪われた「ネット」という陣地
第三章・中国のジェットコースター経済と、既得権益者となった中産層
第四章・自律的な市民と、客体としての愚民の狭間で

 第一章は、中国のネット論壇の誕生とその盛り上がりについて書かれています。
 2009年に登場した「微博(ウェイポー)」は、政府と太いパイプを持つ新浪社のサービスで、Twitter型のサービスが政府に潰される中でも、アカウントを増やし続け、中国のマイクロブログの中で圧倒的なシェアを誇るようになりました。
 「微博」上ではさまざまなネット著名人が誕生しましたが、風刺漫画を描いて人気を集めた辣椒もその1人でした(日本のAV女優蒼井そらもその1人)。
 
 そして、「微博」ではさまざまな事件もとり上げられるようになり、地方政府の不正や環境問題を告発する声がネット上にあふれるようになりました。日本でも大きく報道された温州高速鉄道の衝突脱線事故においても事故対応への批判がネットに溢れ、中国鉄道部の報道官は解任されています。
 「野次馬こそ力なり」という言葉が中国で流行したそうですが、その言葉通りに、ネットで注目を集めて政府を動かすという、勝利の方程式が生まれたのです。

 しかし、このネット論壇の高揚感は2012年秋に習近平指導部が発足した後、次第に失われていきます。第二章では、このネット論壇の変化が当事者でもあった辣椒の言葉とともに綴られています。
 中国共産党はネットへの検閲を強化するともに、可愛らしいウサギを主人公にした愛国主義アニメを流したり、人民解放軍や警察までが「踊ってみた」動画を公開したり、人民解放軍にアイドル「五十六朵花」(五十六本の花)を発足させたりと、御用ブロガーを擁護したりと、ネット界のネタを奪うような形でネット世論を掌握していきます。
 そして、同時にネット論壇のオピニオンリーダーたちや、人権派弁護士などを次々と拘束していきました。ネットのオピニオンリーダーだった薛必群は買春容疑で逮捕され、その囚人服を着て容疑を認めるインタビューの様子が中国全土に放送されたそうです(110ー111p)。
 辣椒の亡命もこの流れの中にあります。

 また、このネット論壇が変質してしまったことは、第4章に書かれている先ほどとり上げた2011年の温州高速鉄道の衝突脱線事故と2015年6月に起きた長江客船沈没事故の比較からもわかります。長江客船沈没事故は、442名が死亡するという大きな事故でしたが、徹底的なメディア規制によって温州高速鉄道のような政府批判が巻き起こることはありませんでした。
 このネット論壇の沈黙の大きな要因はもちろん習近平指導部による硬軟取り混ぜたネットへの締め付けなのですが、著者は、第三章と第四章で中国社会そのものになる問題点を指摘しています。 

 第三章では、近年の中国経済の動きがとり上げられているのですが、そこで見えてくるのは政府に依存した経済や投資家たちの存在です。
 改革開放のもと、経済に対する国家の介入を減らしてきた中国でしたが、リーマン・ショック後の政府による巨額の財政出動以降、「国進民退」ともよばれる国営セクターが強くなる現象が起きています。
 そして、その中で投資家たちが政府を「あてにする」現象も起こっています。地方政府などは投資先が破綻し投資家が騒ぎ出すことを恐れており、何らかの救済策が用意されます。今年の夏の上海の株式相場下落に対する政府のなりふり構わぬ介入ぶりも、その一例と言えるかもしれません。投資家たちは投資の「リスク」を政府に負わせながらマネーゲームに興じているのです。

 この「政府頼み」というのは経済だけではありません。辣椒は中国の市民のこうした状況を「愚民」と言う強い言葉を使って批判しています。
 この「愚民」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、著者の一時期のネット論壇の「勝利」というものも、実は「誤読」にすぎなかったのではないかという指摘はその通りかもしれません。
 この「誤読」とは、共産党政権を揺るがすものとして期待されたネット論壇は、結局、共産党の上層部という権威を呼び出したに過ぎなかったのではないかというものです。
 また、ネットユーザーの増大もネット論壇の「熱」を奪ってしまったといいます。

 このように、この本は辣椒という中国ネット論壇の中心人物の1人の話から、中国ネット論壇の「生と死」、習近平体制下の中国社会の変化を描き出しています。
 第三章、第四章に関しては、やや祖国を棄てざるを得なかった辣椒の「絶望」に引っ張られている感もありますが、現在の中国社会を考える上で非常に読み応えのある内容になっていると思います。


なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由(祥伝社新書)
高口康太 辣椒
4396114354
記事検索
月別アーカイブ
★★プロフィール★★
名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
新書以外のことは
「西東京日記 IN はてな」で。
メールはblueautomobile*gmail.com(*を@にしてください)
<% for ( var i = 0; i < 7; i++ ) { %> <% } %>
<%= wdays[i] %>
<% for ( var i = 0; i < cal.length; i++ ) { %> <% for ( var j = 0; j < cal[i].length; j++) { %> <% } %> <% } %>
0) { %> id="calendar-294826-day-<%= cal[i][j]%>"<% } %>><%= cal[i][j] %>
タグクラウド
  • ライブドアブログ

'); label.html('\ ライブドアブログでは広告のパーソナライズや効果測定のためクッキー(cookie)を使用しています。
\ このバナーを閉じるか閲覧を継続することでクッキーの使用を承認いただいたものとさせていただきます。
\ また、お客様は当社パートナー企業における所定の手続きにより、クッキーの使用を管理することもできます。
\ 詳細はライブドア利用規約をご確認ください。\ '); banner.append(label); var closeButton = $('