中公新書ラクレでこのタイトルだと論壇誌の対談に毛が生えたような内容ではないかと危惧する人もいるかもしれませんが(個人的には著者の1人に『韓国現代史』の木村幹がいるということで手にとってみました)、想像以上に深い分析に満ちていて今後の日韓関係を考える上でさまざまなヒントを与えてくれる本です。
もちろん日韓関係を好転させる解答をあたえてくれるようなものではないですが、袋小路に入ってしまった感のある日韓関係が「なぜ袋小路に入ってしまったか?」ということに対する解答としていい本だと思います。
この本の目次は以下の通り。
例えば、「大統領は支持率を上げるために反日的な行動をあえて行った」、「韓国の反日は偏った教育の産物だ」、「韓国人は反日デモに熱狂している」、「若い人は親日的だ」といったものです(4ー5p)。
これらのすべてが完全な嘘というわけではありませんが、あまりに単純なイメージです。
例えば、李明博大統領の竹島上陸事件、日本では任期が終わり近くになって支持率の落ちた大統領が支持率回復のためのパフォーマンスとして行ったという解説が新聞などでもなされていますが、この本の著者たちによるとそれよりも大きいのは、前年の2011年の8月に韓国の憲法裁判所が韓国政府の慰安婦問題についての取り組みに対して出した「違憲判決」だといいます。
この判決は、韓国政府が慰安婦問題の解決に対して具体的な措置を講じてこなかったのは違憲であるとしたもので、これによって李明博大統領は対日交渉において慰安婦問題をとり上げざるを得なくなりました。
しかし、2011年12月の日韓首脳会談で野田首相は「法的に解決済み」として取り合わず、そこでキレてしまった李明博大統領が竹島上陸、そして天皇への謝罪要求という日本の対韓感情を大きく低下させる行為に出たというのが、この本であげられている要因です。
また、韓国の大統領は任期5年で再選不可のため、人気末期になるとブレーンが逃げ出し、大統領府の情報収集能力が低下するといった要因も指摘されています(73p)
そして、この竹島上陸問題の背景にもある近年の日韓関係の変化の一番の大きな要因は、韓国にとっての日本の存在感の低下です。
それにはもちろん日本の経済停滞と韓国の経済成長といった面もあるのですが、それ以上に1990年代まで韓国のパートナーはアメリカと日本くらいしか存在しなかったという事が大きいです。
いまや韓国の最大の貿易相手国は中国ですが、冷戦構造の中では韓国と中国の間には国交は存在せず、国交を結んだのは1992年になってからでした。そしてソ連と国交を結んだのも1990年。90年代までの韓国は日本に頼らざるをえない状況にあったのです。
ところが冷戦の集結とグローバル化は韓国にとっての日本の地位を相対的に低下させました。ここから竹島上陸のような日本に対する軽率な行為も出てくるようになっているのです。
そうはいっても、近年の日韓の文化交流には眼を見張るものがあります。特に日韓の若者の交流の増加は日韓の新しい時代を開くきっかけになると考えられたりしています。
しかし、著者たちは単純にそうはならないと見ています。日韓関係において歴史問題に焦点があたりはじめたのは植民地支配を知らない世代が登場し始めた1980年代であり、慰安婦問題についても木村幹は、むしろ慰安婦を知らなかった若い世代に衝撃を与えたと見ています。実際に植民地時代を知っている世代よりも知らない世代のほうが、日本人・韓国人ともに歴史問題に敏感(というか単純)に反応するのです。
さらに、韓国の植民地から解放記念日である8月15日の集会にはもはや1000人くらいしか集まっておらず、「反日デモ」の動員力は弱いという指摘(153p)という指摘も重要でしょう。
韓国の日本に対する反発というのは中国のような「熱気」をともなったものというよりは、自分たちの「常識」との衝突といったようなものであり、ある意味で冷静ではありますが根強いものでもあります。
そして、この本で一番「なるほど」と思ったのが日韓の「法」に対する考え方の違い。
この本の41pに「韓国人は情が大事。日本はまるで弁護士のように法律ばかり持ち出すのでもどかしい」という李明博大統領が入ったとされる発言が紹介されていますが、儒教道徳の根強い韓国では「法」であっても「正義」にかなってなければ「法」ではなく、たとえ「法的責任」はなくても「正義」にかなっていないことがあればそれは謝罪すべきだし、「法」も変更されるべきだという考えがあります。
日本からすると日韓基本条約で韓国の個人補償の請求権は放棄されており「法的に解決済み」となりますが、韓国では間違った認識のもとでつくられた法(慰安婦問題が浮上する前に締結された日韓基本条約)は遡って改定されるべきだという考えなのです(ちなみにこの本でも触れられていますが、慰安婦問題については90年台のアジア女性基金の取り組みを韓国側が拒否してしまったことが個人的には残念でならない。アジア女性基金の取り組みについては大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を参照)
個人的にはこれに付き合う必要があるとは思いませんが、この韓国社会の特殊性は頭にいれておくべきでしょう。
最後に、この本は3人の共著でお互いに多くの認識を共有していますが、浅羽祐樹と木村幹の間には少しスタンスの違いもあります。浅羽祐樹が両国のエリートがうまく自国をコントロールして両国が共有する国益を追求していって欲しいと考えているのに対して、木村幹はやや悲観的。これから両国をエリートが引っ張っていくのは難しく、地理的近接性をてがかりに互いの重要性を認識していくしかないといった立場をとっています。
徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理 (中公新書ラクレ)
浅羽 祐樹 木村 幹 佐藤 大介

もちろん日韓関係を好転させる解答をあたえてくれるようなものではないですが、袋小路に入ってしまった感のある日韓関係が「なぜ袋小路に入ってしまったか?」ということに対する解答としていい本だと思います。
この本の目次は以下の通り。
はじめにまず、「はじめに」で韓国に対するステレオタイプの俗説がいくつかあげられています。
第1章 座談会の前に―「親日」派大統領が竹島に上陸した本当の理由(佐藤大介)
第2章 座談会1―竹島問題でようやく見えてきた問題点
第3章 座談会2―慰安婦問題の解決に向けた道を探る
第4章 座談会3―韓国と日本、それぞれの「感情」と「論理」
第5章 座談会の後に―「国際社会」に開かれた日韓関係(浅羽祐樹)
第6章 新たなステージのために―領土問題・慰安婦問題の構造は越えられるのか?(木村幹)
例えば、「大統領は支持率を上げるために反日的な行動をあえて行った」、「韓国の反日は偏った教育の産物だ」、「韓国人は反日デモに熱狂している」、「若い人は親日的だ」といったものです(4ー5p)。
これらのすべてが完全な嘘というわけではありませんが、あまりに単純なイメージです。
例えば、李明博大統領の竹島上陸事件、日本では任期が終わり近くになって支持率の落ちた大統領が支持率回復のためのパフォーマンスとして行ったという解説が新聞などでもなされていますが、この本の著者たちによるとそれよりも大きいのは、前年の2011年の8月に韓国の憲法裁判所が韓国政府の慰安婦問題についての取り組みに対して出した「違憲判決」だといいます。
この判決は、韓国政府が慰安婦問題の解決に対して具体的な措置を講じてこなかったのは違憲であるとしたもので、これによって李明博大統領は対日交渉において慰安婦問題をとり上げざるを得なくなりました。
しかし、2011年12月の日韓首脳会談で野田首相は「法的に解決済み」として取り合わず、そこでキレてしまった李明博大統領が竹島上陸、そして天皇への謝罪要求という日本の対韓感情を大きく低下させる行為に出たというのが、この本であげられている要因です。
また、韓国の大統領は任期5年で再選不可のため、人気末期になるとブレーンが逃げ出し、大統領府の情報収集能力が低下するといった要因も指摘されています(73p)
そして、この竹島上陸問題の背景にもある近年の日韓関係の変化の一番の大きな要因は、韓国にとっての日本の存在感の低下です。
それにはもちろん日本の経済停滞と韓国の経済成長といった面もあるのですが、それ以上に1990年代まで韓国のパートナーはアメリカと日本くらいしか存在しなかったという事が大きいです。
いまや韓国の最大の貿易相手国は中国ですが、冷戦構造の中では韓国と中国の間には国交は存在せず、国交を結んだのは1992年になってからでした。そしてソ連と国交を結んだのも1990年。90年代までの韓国は日本に頼らざるをえない状況にあったのです。
ところが冷戦の集結とグローバル化は韓国にとっての日本の地位を相対的に低下させました。ここから竹島上陸のような日本に対する軽率な行為も出てくるようになっているのです。
そうはいっても、近年の日韓の文化交流には眼を見張るものがあります。特に日韓の若者の交流の増加は日韓の新しい時代を開くきっかけになると考えられたりしています。
しかし、著者たちは単純にそうはならないと見ています。日韓関係において歴史問題に焦点があたりはじめたのは植民地支配を知らない世代が登場し始めた1980年代であり、慰安婦問題についても木村幹は、むしろ慰安婦を知らなかった若い世代に衝撃を与えたと見ています。実際に植民地時代を知っている世代よりも知らない世代のほうが、日本人・韓国人ともに歴史問題に敏感(というか単純)に反応するのです。
さらに、韓国の植民地から解放記念日である8月15日の集会にはもはや1000人くらいしか集まっておらず、「反日デモ」の動員力は弱いという指摘(153p)という指摘も重要でしょう。
韓国の日本に対する反発というのは中国のような「熱気」をともなったものというよりは、自分たちの「常識」との衝突といったようなものであり、ある意味で冷静ではありますが根強いものでもあります。
そして、この本で一番「なるほど」と思ったのが日韓の「法」に対する考え方の違い。
この本の41pに「韓国人は情が大事。日本はまるで弁護士のように法律ばかり持ち出すのでもどかしい」という李明博大統領が入ったとされる発言が紹介されていますが、儒教道徳の根強い韓国では「法」であっても「正義」にかなってなければ「法」ではなく、たとえ「法的責任」はなくても「正義」にかなっていないことがあればそれは謝罪すべきだし、「法」も変更されるべきだという考えがあります。
日本からすると日韓基本条約で韓国の個人補償の請求権は放棄されており「法的に解決済み」となりますが、韓国では間違った認識のもとでつくられた法(慰安婦問題が浮上する前に締結された日韓基本条約)は遡って改定されるべきだという考えなのです(ちなみにこの本でも触れられていますが、慰安婦問題については90年台のアジア女性基金の取り組みを韓国側が拒否してしまったことが個人的には残念でならない。アジア女性基金の取り組みについては大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を参照)
個人的にはこれに付き合う必要があるとは思いませんが、この韓国社会の特殊性は頭にいれておくべきでしょう。
最後に、この本は3人の共著でお互いに多くの認識を共有していますが、浅羽祐樹と木村幹の間には少しスタンスの違いもあります。浅羽祐樹が両国のエリートがうまく自国をコントロールして両国が共有する国益を追求していって欲しいと考えているのに対して、木村幹はやや悲観的。これから両国をエリートが引っ張っていくのは難しく、地理的近接性をてがかりに互いの重要性を認識していくしかないといった立場をとっています。
徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理 (中公新書ラクレ)
浅羽 祐樹 木村 幹 佐藤 大介
