山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2012年12月

浅羽祐樹・木村幹・佐藤大介『徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理』(中公新書ラクレ) 8点

中公新書ラクレでこのタイトルだと論壇誌の対談に毛が生えたような内容ではないかと危惧する人もいるかもしれませんが(個人的には著者の1人に『韓国現代史』の木村幹がいるということで手にとってみました)、想像以上に深い分析に満ちていて今後の日韓関係を考える上でさまざまなヒントを与えてくれる本です。
 もちろん日韓関係を好転させる解答をあたえてくれるようなものではないですが、袋小路に入ってしまった感のある日韓関係が「なぜ袋小路に入ってしまったか?」ということに対する解答としていい本だと思います。

 この本の目次は以下の通り。
はじめに
第1章 座談会の前に―「親日」派大統領が竹島に上陸した本当の理由(佐藤大介)
第2章 座談会1―竹島問題でようやく見えてきた問題点
第3章 座談会2―慰安婦問題の解決に向けた道を探る
第4章 座談会3―韓国と日本、それぞれの「感情」と「論理」
第5章 座談会の後に―「国際社会」に開かれた日韓関係(浅羽祐樹)
第6章 新たなステージのために―領土問題・慰安婦問題の構造は越えられるのか?(木村幹)
 まず、「はじめに」で韓国に対するステレオタイプの俗説がいくつかあげられています。
 例えば、「大統領は支持率を上げるために反日的な行動をあえて行った」、「韓国の反日は偏った教育の産物だ」、「韓国人は反日デモに熱狂している」、「若い人は親日的だ」といったものです(4ー5p)。
 これらのすべてが完全な嘘というわけではありませんが、あまりに単純なイメージです。

 例えば、李明博大統領の竹島上陸事件、日本では任期が終わり近くになって支持率の落ちた大統領が支持率回復のためのパフォーマンスとして行ったという解説が新聞などでもなされていますが、この本の著者たちによるとそれよりも大きいのは、前年の2011年の8月に韓国の憲法裁判所が韓国政府の慰安婦問題についての取り組みに対して出した「違憲判決」だといいます。
 この判決は、韓国政府が慰安婦問題の解決に対して具体的な措置を講じてこなかったのは違憲であるとしたもので、これによって李明博大統領は対日交渉において慰安婦問題をとり上げざるを得なくなりました。
 しかし、2011年12月の日韓首脳会談で野田首相は「法的に解決済み」として取り合わず、そこでキレてしまった李明博大統領が竹島上陸、そして天皇への謝罪要求という日本の対韓感情を大きく低下させる行為に出たというのが、この本であげられている要因です。

 また、韓国の大統領は任期5年で再選不可のため、人気末期になるとブレーンが逃げ出し、大統領府の情報収集能力が低下するといった要因も指摘されています(73p)

 そして、この竹島上陸問題の背景にもある近年の日韓関係の変化の一番の大きな要因は、韓国にとっての日本の存在感の低下です。
 それにはもちろん日本の経済停滞と韓国の経済成長といった面もあるのですが、それ以上に1990年代まで韓国のパートナーはアメリカと日本くらいしか存在しなかったという事が大きいです。
 いまや韓国の最大の貿易相手国は中国ですが、冷戦構造の中では韓国と中国の間には国交は存在せず、国交を結んだのは1992年になってからでした。そしてソ連と国交を結んだのも1990年。90年代までの韓国は日本に頼らざるをえない状況にあったのです。
 ところが冷戦の集結とグローバル化は韓国にとっての日本の地位を相対的に低下させました。ここから竹島上陸のような日本に対する軽率な行為も出てくるようになっているのです。

 そうはいっても、近年の日韓の文化交流には眼を見張るものがあります。特に日韓の若者の交流の増加は日韓の新しい時代を開くきっかけになると考えられたりしています。
 しかし、著者たちは単純にそうはならないと見ています。日韓関係において歴史問題に焦点があたりはじめたのは植民地支配を知らない世代が登場し始めた1980年代であり、慰安婦問題についても木村幹は、むしろ慰安婦を知らなかった若い世代に衝撃を与えたと見ています。実際に植民地時代を知っている世代よりも知らない世代のほうが、日本人・韓国人ともに歴史問題に敏感(というか単純)に反応するのです。
 さらに、韓国の植民地から解放記念日である8月15日の集会にはもはや1000人くらいしか集まっておらず、「反日デモ」の動員力は弱いという指摘(153p)という指摘も重要でしょう。
 韓国の日本に対する反発というのは中国のような「熱気」をともなったものというよりは、自分たちの「常識」との衝突といったようなものであり、ある意味で冷静ではありますが根強いものでもあります。

 そして、この本で一番「なるほど」と思ったのが日韓の「法」に対する考え方の違い。
 この本の41pに「韓国人は情が大事。日本はまるで弁護士のように法律ばかり持ち出すのでもどかしい」という李明博大統領が入ったとされる発言が紹介されていますが、儒教道徳の根強い韓国では「法」であっても「正義」にかなってなければ「法」ではなく、たとえ「法的責任」はなくても「正義」にかなっていないことがあればそれは謝罪すべきだし、「法」も変更されるべきだという考えがあります。
 日本からすると日韓基本条約で韓国の個人補償の請求権は放棄されており「法的に解決済み」となりますが、韓国では間違った認識のもとでつくられた法(慰安婦問題が浮上する前に締結された日韓基本条約)は遡って改定されるべきだという考えなのです(ちなみにこの本でも触れられていますが、慰安婦問題については90年台のアジア女性基金の取り組みを韓国側が拒否してしまったことが個人的には残念でならない。アジア女性基金の取り組みについては大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を参照)
 個人的にはこれに付き合う必要があるとは思いませんが、この韓国社会の特殊性は頭にいれておくべきでしょう。

 最後に、この本は3人の共著でお互いに多くの認識を共有していますが、浅羽祐樹と木村幹の間には少しスタンスの違いもあります。浅羽祐樹が両国のエリートがうまく自国をコントロールして両国が共有する国益を追求していって欲しいと考えているのに対して、木村幹はやや悲観的。これから両国をエリートが引っ張っていくのは難しく、地理的近接性をてがかりに互いの重要性を認識していくしかないといった立場をとっています。


徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理 (中公新書ラクレ)
浅羽 祐樹 木村 幹 佐藤 大介
4121504399

2012年の新書

今年は64冊の新書を読みました。
 新書ブームもすっかり落ち着いた感じですが、個人的にはいい本が多かったと思います。特に中公・岩波のラインナップが充実していたので、他社で読み落とした新書も多いと思います。というわけで、大事な本を読み落としているのかもしれませんが今年のベスト5を。


朝鮮人強制連行 (岩波新書)
外村 大

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岩波書店 2012-03-23
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 今年の1位はこれ。岩波で「朝鮮人強制連行」というタイトルを聞くとそれだけで警戒してしまう人も多いかと思いますが、資料に基づいた冷静な分析をしている本です。
 この手の日本の加害責任について書かれた本では、「左」の人がその中でも特に悲惨な目にあった人々の証言を用いて日本の国家と国民の加害者としての責任を 告発し、一方で「右」の人々はうまくいったいくつかのケースを出してきて「そんな悲惨な例だけではない」と否定する展開になりがちです。
 しかし、この本はそのどちらでもないアプローチになっていて、朝鮮人の強制連行について日本の残した公文書を中心にその実態を丹念に追い、そこに日本の植民地支配と戦前・戦中の日本社会の矛盾を見出しています。

 とり上げた記事→ http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51978517.html


イギリス帝国の歴史 (中公新書)
秋田 茂

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中央公論新社 2012-06-22
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 近年、よく耳にする「グローバルヒストリー」という言葉。その「グローバルヒストリー」の研究成果と面白さを18〜20世紀のイギリス帝国を題材にして味わわせてくれる本。
 サブタイトルは「アジアから考える」となっていて、一応、イギリスとアジア(特にインド)との関わりが分析の中心にはなっていますが、それ以外の地域への目配りもかなりのもので、18〜20世紀のイギリス帝国、そして世界の歴史をダイナミックに描き出しています。

 とり上げた記事→ http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51987700.html


日本近代史 (ちくま新書)
坂野 潤治

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筑摩書房 2012-03-05
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  細かいところにはいろいろと言いたいところもありますし、いくつか大事な部分が抜けている通史だとは思いますが、これは意義のある本だと思います。
  個人的には「司馬遼太郎は好きだけど歴史学の本を読む気にはならない」という人に特にお薦めしたいです。歴史学者が書いた本としては珍しく歴史上の人物が いきいきと描かれていますし、それでいて司馬遼太郎の時代にはまだなかった歴史学の研究の成果も取り入れられています。「司馬史観』を批判する歴史学者は多いですが、歴史学者がこういった思い切った通史をを書かない限りいつまでたっても「司馬史観」を塗り替えることは出来ないと個人的に思います。

 とり上げた記事→ http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51973842.html


百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
今野 真二

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岩波書店 2012-09-21
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 「明治期の日本語がいかに表記されたのか?」という、かなり細かい話題を追っている本なのですが、これは面白いです。
 漢字の字体、振り仮名、外来語、「同語異表記」と「異語同表記」、「消えたひらがな」、辞書の変遷などのトピックを通じて、明治期の言葉の揺れと、その揺れの終息、そして日本語に起きたこの100年の大きな変化が見えてきます。
 明治期の日本語の「書きことば」という非常に小さな対象を分析しながら、近代日本の大きな変化をあぶり出しています。

 とり上げた記事→ http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52001396.html


ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った (日経プレミアシリーズ)
竹森 俊平

4532261783
日本経済新聞出版社 2012-10-10
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 ユーロ危機という今最もホットな話題を丁寧に、そして時に大胆に読み解いてくれている本。
 (1) ユーロ圏はトランスファー(所得移転)同盟に転化させたくないリーダー国(ドイツ)の願望、(2) 共通通貨(ユーロ)を存続させたいとい う願望、(3) 北に比べて競争力の弱い南の産業が崩壊する結果、南から北への大量移民が発生し、北に移民のスラムが形成させるといった事態を避けたい欧州 全体の願望、の3つの願望がトリレンマになっていることを指摘し、ユーロの存続、解体がともに茨の道であることを説得力を持って論じています。

 とり上げた記事→ http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52004358.html


 これ以外だと、今村核『冤罪と裁判』(講談社現代新書)、川田稔『昭和陸軍の軌跡』(中公新書)、山下祐介『限界集落の真実』(ちくま新書)、新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)、千葉功『桂太郎』(中公新書)、今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)、砂原庸介『大阪―大都市は国家を超えるか』(中公新書)といったあたりが面白かったですね。
 今年で印象に残ったのは歴史もののレベルの高さ。専門書が売れないというせいもあるのかもしれませんが、堅実に売れるという面もあるのか、歴史ものについては相当レベルの高いものが新書で読めるようになっています。
 逆に、一時期勢いのあった社会学者の本は『商店街はなぜ滅びるのか』、『限界集落の真実』といった本があったものの、それほど目につかなかった感じですね。

細谷雄一『国際秩序』(中公新書) 8点

副題は「18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ」。
 帯にある「「均衡」「協調」「共同体」―近代ヨーロッパが生んだ国際秩序の基本原理である。本書はこの三つの体系を手がかりに、スペイン王位継承戦争から、ウィーン体制、ビスマルク体制、二度の世界大戦、東西冷戦、そして現代に至る三〇〇年の国際政治の変遷を読み解く」との言葉通りに、ここ300年の国際政治の歴史を著者ならでは視点で読み解いていきます。
 あくまでもヨーロッパ中心の歴史で、アジア・アフリカの植民地や南北問題を含めた国際政治史はごっそり抜け落ちていますが、ヨーロッパで育まれてきた国際政治の理念の思想的背景とその変遷を、実際の歴史に即しながら読み応えのある形でまとめた本になります。

 特定の分野の専門家から歴史を眺めた場合、いわゆる教科書などで習う歴史とは着眼点が違って面白いのですが、この本はまさにそのような本。
 例えば、イングランド国王のウィリアム3世、歴史の教科書では名誉革命の時にオランダからイギリス国王として迎えられた人物として名前が残っていますが、本書によるとウィリアム3世の重要性はヨーロッパに覇を唱えようとしたフランスのルイ14世の野望を抑えるために、オランダ、オーストリアと協力し「勢力均衡」の図式をつくりあげます。イングランドがヨーロッパのバランサーとなることでヨーロッパの安定を作り上げようとしたのです。

 また、メッテルニヒの主導したウィーン体制も、歴史の教科書ではフランス革命とナポレオンによるその精神の輸出に対する保守反動といった形でとり上げられることが多いですが、この本、そして国際政治史の中では非常に高く評価されています。
 ウィーン会議では、ドイツに懲罰的な賠償を課したヴェルサイユ条約とちがってフランスに対して懲罰的な賠償などはなされず、敗戦国のフランスもイギリス、オーストリア、プロイセン、ロシア、そしてフランスの五大国の「協調」が目指されました。メッテルニヒとイギリスの外相カースルレイを中心にたんなる「勢力均衡」ではない「協調」の体系が目指されたのです。

 一方、19世紀後半に成立したビスマルク体制に関しては、「協調なき均衡」と位置づけられています。現実主義者で「力」を信じたビスマルクは、価値観を同じくする者同士の「協調」よりも、「力の均衡」による平和を信頼しました。ビスマルクの卓越した政治的技術はその「力の均衡」を可能にしましたが、彼の引退後、その「力の均衡」は崩壊し、第1次世界大戦が始まります。

 著者によれば20世紀の初頭の国際政治の課題は、ドイツ、アメリカ、日本という新興国をいかに今までの国際秩序の中に組み込むかということでした。
 著者はイギリスの国際政治を中心的に研究してきた人物であるため、このあたりの動きは「イギリスがいかにこれらの新興国に対処したか?」という視点で分析されています。
 イギリスは日本と日英同盟を結び、アメリカとは「アングロ=サクソン主義」、「英語諸国民」といった理念で連帯を強めましたが、ドイツとは戦争に突入してしまいました。
 さらに「勢力均衡」を拒否し、新しい「国際共同体」をめざしたウィルソンの理想は、国際連盟という「均衡なき共同体」に結実しますが、その内実はもろいもので、日本の満州事変やドイツでのナチス政権の成立によってその試みは挫折します。
 この国際連盟の挫折について、著者は次のように述べています。
 ただ単に力を放棄するだけでは、正義は生まれない。「力を放棄」した結果、そこに生まれるのは、正義ではなく「力の真空」である。(215p)

 このため、第2次世界大戦後につくられた国際連合では「協調」、「共同体」の理念が重視される一方で、「勢力均衡」の考えも復活しました。著者は、この3つの理念が揃った第2次世界大戦後の国際秩序を非常に安定したものと見ています。このあたりも「冷戦構造」という戦争一歩手前の印象が強い戦後の国際政治のイメージを書き換えてくれます。

 そして21世紀の課題は、新たな新興国の中国をどうやって国際秩序の中に取り組むかだといいます。
 湾岸戦争後に新たに出現するかに見えた「国際共同体」はうまくいかず、今世界は再び「勢力均衡」を志向しているようにも見えます。新たに台頭した中国に対してアメリカは戦略的パートナーとしながらも、その力の拡大を抑制する動きに出ています。
 そこで実は重要なのが日本です。アジア・太平洋地域の「勢力均衡」を考えた場合、日本は大きなポイントとなります。著者はまず日米同盟によってこの地域の「均衡」を安定させ、その上で中国との「協調」、さらにその先に例えば「東アジア共同体」の可能性があるとしています。
  
 最初に書いたように植民地支配や南北問題に触れておらず大国中心の国際政治史であることは確かですが、歴史を読み直すと同時に、現在の日本の位置を知ることの出来る有益な本だと思います。

国際秩序 - 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ (中公新書)
細谷 雄一
4121021908

濱野智史『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書) 5点

AKBを一種の「宗教」と考え、その魅力と可能性を追求したというか、一人の優秀なインテリがその知識と妄想力を最大限に発揮して自分の「推しメン」の素晴らしさについて語った本。読んでいるぶんにはけっこう面白いですよ。

 2ちゃんねるの洋楽板とかに行くとアルバムレビューで、ロッキン・オンのやたら大げさなアルバムレビューを真似たネタレビューがあって、そこでは例えばColdplayのアルバムなんかが「このアルバムはロックの歴史を塗り替えた、否、これは新しい宇宙の誕生なのだ!」とかいう、とにかく大げさならばなんでもいいような怪作レビューがあったりするわけだけど、読んでいるときはそんな気分。
 マルクスやカント、そして吉本隆明の「マチウ書試論」が引用されたり、「サリンの代わりに握手券と投票権をばらまくオウム」「もちろんAKBのこと)といった過激な表現が飛び出したり、まるで壮大なネタの交響曲のようです。

 が、書いてる本人はネタじゃなくてマジなんですね。
 特に次の部分の「マジ」さには一種の感動を覚えるほど。
 著者の「信仰」のモードも大きく変化した。アイドルオタク用語でいうところの「認知」(あるいは「認識」)である。それは何度も握手会などに通うことで、メンバーに顔や名前を覚えてもらうことを意味する。そして筆者はいま驚いている。あのぱるるに「認識」されているということが、これほどまでに自分の内面を律しうるということに。ぱるるに知られているのだから、正しく生きなければならなぬ。そうした思いが強く溢れでてくるのだ。(203p)
 
 これを読むと北田暁大が『嗤う日本の「ナショナリズム」』で言っていた、「ネタ」と「ベタ」の近さというものを改めて実感する気がします(北田暁大は「たけしの元気が出るテレビ」などのネタ番組がいつの間にかベタな感動へと直結する例などを考察していた)。
 そういった意味で、あるアイロニストが「ベタ」あるいは「ロマン主義」に転向していった貴重な記録といえるのかもしれません。

 ただ、「宗教論」あるいは「AKBが画期的な何かを生み出した」という論考としてはダメだと思います。
 まず、「AKBが画期的だ!」と論じる者は、AKBとキャバクラの違いをはっきりさせるべきでしょう。
 この本ではAKBの画期的な点として「近接性」(劇場や握手会でのファンとの近さ)や「偶然性」(劇場での立ち位置やメンバーからの偶然的な「レス」)などをあげていますが、キャバクラは隣に座るわけだからもっと「近接性」があるわけですし、キャバクラにハマる多くの人は綿密なリサーチをしていくのではなく、たまたま入った店のたまたま知り合ったキャバ嬢にハマるのではないでしょうか?(「偶然性」)
 そして「推しメン」を男たちが金の力で押し上げるというシステムはまったく同じですよね。AKBのメンバーにはそういった意識はないでしょうが、運営側はある程度は意識しているのではないでしょうか?

 さらに著者の言う「世界宗教」のレベルとなると、メンバーが少女(20代半ばまでいますが)のみという点はどう克服されるのでしょうか?
 AKBをはじめ、人気女性アイドルは同性からも支持を受けており、むしろ年下の同性からしじされてこそ「アイドル」という存在なのだと思います。ただ、年上の同性から支持されるアイドルというのは個人的にあまり想像できません。老若男女すべてからの支持を調達するには「少女のみ」という構成ではむりがあるはずです。
 しかし、もしも劇場に「少女」とともに「少年」が並ぶような形であったとしたら、男である著者は果たしてここまで熱烈に支持するのでしょうか?

 また、欠点のあるセンター(前田敦子)がその欠点ゆえに匿名のファンから叩かれ、その匿名の悪意を受け止めることで輝くという構造は、少し天皇制を思わせるようで面白いのですが、例えば、若いころの吉永小百合のような(世代が違うのでどの程度すごかったのかはわからないですけどね)完璧なセンターが登場したらどうなるのでしょうか?
 AKBの「宗教性」はなくなるのでしょうか?

 この本は著者の熱意で書かれている本で、冷静な問いを受け止めて書かれている本ではないですね。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
濱野 智史
4480067000

井上寿一『政友会と民政党』(中公新書) 5点 

戦前の政友会と民政党の二大政党制について、その軌跡をたどった本。最近出た筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』と内容が被りますが、『昭和戦前期の政党政 治』の記述が護憲三派内閣に始まり五・一五事件で終わったいるのに対して、この本は政友会の結党の歴史や、五・一五事件で政党内閣が崩壊したあとの二大政 党の動きまで追っているのが特徴です。
 まさに戦前の日本の二大政党の誕生から消滅までを追った本と言えます。

 ただ、「政友会と民政党」というタイトルにこだわっているのか、ややわかりにくいところもあります。
  政友会に関しては、伊藤博文による結党から書いてあるので政友会がどのような政党であるかということはつかみやすいと思うのですが、民政党に関しては、そ の前身の憲政会、そして憲政会を率いた加藤高明についての記述がほとんどないので、これでは民政党の位置づけというものがよくわからないと思います。
 民政党自身は、1927年に憲政会と政友会から分裂した政友本党が合流してできた政党ですが、政友本党の党首・床次竹次郎は2年後に政友会に復党するような状況で、民政党の中核を担ったのは憲政会です。
  この本では民政党の源流として大隈重信のつくった立憲改進党を紹介していて、確かにそれは間違いないのですが、政策や人材の面でもとになっているのは桂太 郎のつくった立憲同志会であり、そこから発展した憲政会。この立憲同志会〜憲政会の緊縮財政政策と官僚出身の人材(加藤高明や濱口雄幸や若槻礼次郎)と いったものを押さえておいたほうが、民政党に対する理解はより深まると思います。

 また、党機関紙を読み込んでいて、今まであまり注目されていなかった両党の政策がわかるのはいいのですが(例えば、政友会は政府案よりもよりも踏み込んだ婦人公民権法案を出している(111ー112p))、政界の動きに関してはけっこう重要な部分の欠落もある。
 特に政友会に関して、総裁になるまで鈴木喜三郎についてほとんど触れられていないのは、この本の大きな欠落でしょう。
  司法官僚出身で平沼騏一郎の推薦で田中義一内閣の内相になった鈴木喜三郎は、治安維持法を改定し、特高警察を強化。さらに1928年の第1回普通選挙で大 規模な選挙干渉を行うなど問題のある人物で、森恪や義弟の鳩山一郎とともに政友会の右傾化をもたらした人物です。五・一五事件で犬養首相が暗殺されたあ と、「憲政の常道」でいけば後継総裁の鈴木に大命が降下してもおかしくなかったのですが、鈴木の人物を危惧した西園寺は政党内閣をあきらめ斎藤実内閣を成 立させています。鈴木喜三郎はこの時期の政友会を語る上で欠かせない人物なのです。

  あと、張作霖爆殺事件の処理をめぐる田中義一の辞職についての記述で「政友会の最有力者森恪」との表現がありますが、これもどうでしょう。森恪が田中内閣 で大きな影響力を持っていたのは確かですが、それは田中首相が外相を兼務している中で、森が外務政務次官だったからで、「政友会の最有力者」という位置づ けは過大な評価な気がします。

 このように個人的には不満も多いこの本ですが、良い所は政党内閣崩壊後の政党の動きをフォローしている点。
 五・一五事件と政党内閣の崩壊を持って日本の二大政党制の崩壊と捉える考えが多いですが、二大政党自体はその後も存続しています。
 存続した二大政党がどのような路線だったのか?政党内閣復活の機運はあったのか?この本はそういった疑問に答えてくれます。
 岡田啓介内閣のもとで、もともと官僚出身者の多い民政党が、陸軍の永田鉄山の構想した内閣審議会や内閣調査局に協力し、「官僚ファッショ」を嫌う政友会は天皇機関説などを利用して岡田内閣の倒閣を目指す。政党内閣崩壊後も両党の路線の違いが窺える部分です。

 そして、この本を最後まで読むと、政党内閣の崩壊の理由の一つに政党の側に力を持ったリーダーがいなかったことがあることがわかります。
  政友会は歴史のある政党でしたが、原敬の死後、政友会たたき上げの政党政治家を党首にいただくことはありませんでした(犬養毅は革新倶楽部からの合流組で 担がれた存在)。このあたりに日本の戦前の政党の大きな弱点があったのだと思いますし、リーダーをなかなか生み出せないという部分では今の日本の政治にも 通じるものがあります。

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
井上 寿一
4121021924

砂原庸介『大阪―大都市は国家を超えるか』(中公新書) 8点

帯には橋下徹の写真があり、「転換期に現れた橋下徹」との語句もあるので、いわゆる「橋下現象」を分析した本に思えるかもしれませんが、この本の射程はもっと長いものです。
  第1章から第3章で「橋下徹以前」の都市としての大阪の歩みと問題点を、日本における地方自治制度の変化の中から描き出し、第4章と第5章の前半で橋下徹 の改革と「大阪都構想」をとり上げ、第5章の後半部分と終章ではこれからの大都市と地方自治制度が直面していくであろう問題について著者なりの見解を打ち 出しています。

 以前、このブログで橋下徹・堺屋太一『体制維新――大阪都』をとり上げた時に書きましたが、大阪都構想の背景には、大阪市が「小さすぎる」し「大きすぎる」という問題があります。
 人口約260万の大阪市はグローバルな都市間競争を勝ち抜くための規模としては「小さすぎ」、空港や道路などのインフラ、成長戦略を考えるためには現在の大阪市の規模や範囲だけでは「小さすぎ」ます。
 一方、大阪市は基礎自治体としては「大きすぎ」ます。大阪市は人口で行けば都道府県レベルの規模であり、住民の細かいニーズを汲み取りながら政治を行なっていくには「大きすぎる」存在なのです。

 けれどもこの問題は近年になって急に浮上した問題ではありません。
  御堂筋をつくった關一市長の時代から、大阪市が大阪の抱える都市問題を解決するには「小さすぎる」ということは意識されていました。そこで關一は大阪市の 市域を大規模に拡張するとともに大阪市の周辺に宅地を開発し、それを高速鉄道によって結ぶという大阪市の市域を越えた都市計画を立案し実行しました。
 
  また大阪市と大阪府の二重行政の弊害についても、昔からある問題です。この本では、戦後の公害問題について、「市民からの働きかけを受けて公害対策を進め ようとする大阪市と法人関係税を主要な財源として産業の振興を重視する大阪府」の間に対立があって、対策がなかなか進まなかった事例が紹介されています (46ー48p)。

 この二重行政の弊害はバブル崩壊以降、大阪の経済力が落ち税収の伸びも止まったことからより大きな問題として認識されるようになりました。
 特に大阪市主導のWTCビルと大阪府主導のりんくうゲートタワービルが両者の調整なしに開業しともに苦戦を強いられた例は、この本で「リーダーシップ欠 如の象徴」と名付けられているように(100p)、大阪の二重行政の無駄の象徴として人びとに大きな印象を残しました。

 ここまでが第3章までの内容。橋下徹は登場せず、地方自治の法制度や財政制度の分析などが挟み込まれているのでやや難解に感じる人も多いかもしれませんが、丁寧に読んでいけば、日本の地方自治の問題点、そして橋下徹の大阪都構想という問題設定の必然性も見えてきます。
 橋下徹はそのキャラクターから「異端」の改革者に見えますが、その問題意識はきわめて「正統」なものとも言えるのです。

 ただ、橋下徹のわかりにくさの一つは「都市官僚制の論理」と「納税者の論理」をさまざまな所で使い分けている点。
 「都市官僚制の論理」とは、それこそ關一に通じるもので、しっかりとした都市計画を行政が立て、その計画のもとで都市の成長を追求していくべきだという考え。この場合、大阪市が都市計画の主体としては「小さすぎる」ことが問題になります。
  一方、「納税者の論理」とは、90年代後半から登場した「無党派」首長が旗印としたもので、税金の無駄遣いをなくし、民営化を進めてコストカットをはか り、さらに分権を進めることで納税者に税金の使い道について納得してもらう考えです。この場合、大阪市が住民の細かいニーズを汲み取り、税金の使い道を住 民が監視していくには「大きすぎる」ことが問題になります。

 この2つの論理は、それぞれ説得力のあるものでどちらが正しいとは言い難いものですが、よほど財源に余裕がない限り両方を追求することは難しいはずです。
 しかし、橋下徹の大阪都構想においてはこの両者の対立が覆い隠されているとして、著者は次にように書いています。
 しかし、「大阪都構想」をめぐる政治過程では、ふたつの論理のバランスが問われることはなく、ふたつの論理をともに強調する「大阪都構想」かいずれも強調しない現状維持かの選択が中心となってきた。(207p)

 ここから著者は橋下徹の大阪都構想の問題だけでなく、日本の地方自治制度の二元代表制の問題を取り出しています。
 これは著者のデビュー作の『地方政府の民主主義』でとり上げられていた問題でもあります。地方自治には地方議会と首長という住民に別々に委任されたアクターがいて、首長はその地域の一般的な利益を、地方議会の議員は地域における個別的利益を代表する傾向があります。
  地方議会の議員は当選回数を重ねないとなかなか力を持てないため、ある種現状維持的な政策を志向しがちですが、当選回数を重ねることなく権力の座に付くこ とのできる首長にとって必ずしも現状維持は重要ではありません。むしろ現状維持を否定することで「改革」を演出できるのです。
 しかし、「改革派」の首長も当選回数を重ねれば政策的なスタンスは現状維持的となり、そこでさらなる外部に立つ「改革派」が求められる。これが著者が『地方政府の民主主義』の最後の部分で描き出した現在の地方政治の一つの姿です。

 この本の終章では、そうした大阪、そして地方政治に状況に対して「都市における政党政治の創出を」という処方箋が示されています(213p〜)。
  議員の個人的利害や首長の個人的なパフォーマンスに頼らない政党政治こそが、大都市の将来を決めていく上で必要だというのです。そのために地方議員の選挙 に比例代表制を採用すること、さらに「議会が自治体のリーダーを指名する、国と同様の間接民主主義的な制度は検討に値する」(215p)とまで述べていま す。
 このあたりは、首相公選制の導入によって中央でも「トップによる改革」をめざす橋下徹の首長とは対照的ですよね。

 ここまで長々と書いてきましたが、この本にはこれ以外にも地方財政制度の変遷とその影響、日本における都市政党の可能性、55年体制の崩壊が地方政治に与えた影響など、読み応えのある部分が沢山あります。
  その分、内容はかなり詰まっていますし、大阪の歴史を政治制度の面から記述しているのでイメージがわきにくい面もあるかもしれません。ただ、それでも橋下 徹の改革、大阪をはじめとする日本の大都市のゆくえ、さらに日本の地方自治制度を考える上で非常の多くのことを教えてくれている本です。

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)
砂原 庸介
4121021916
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