サントリー学芸賞を受賞した『伊藤博文』(中公新書)の著者による、明治法制史の点描といえる本。
伊藤博文、山県有朋、井上毅といった有名人物の思想から、幕末の欧米への使節が見た「国のしくみ」についての観察、シュタイン、グナイスト、クルメツキといった外国人学者の日本の立憲制に対するアドバイスなど、さまざまな角度から明治国家の成り立ちを描き出しています。
内容的には清水唯一朗『近代日本の官僚』に似ている点もあって、「日本の近代国家建設の歩み」を描いている点は共通しています。ただ、あちらの本には「官僚たちの立身出世の物語」といった側面もありましたが、こちらは「日本の近代国家建設の歩み」に照準を絞っています。
この本の冒頭のエピソードは、シュタインについてのものです。シュタインが大日本帝国憲法制定において伊藤博文にさまざまなアドバイスをしたことはよく知 られていますし、伊藤だけではなく、山県有朋をはじめとするさまざまな人物が「シュタイン詣で」を行ったことを知っている人も多いでしょう。
しかし、この本で取り上げられている「シュタインが福沢諭吉の論説を読んで書簡を送っていた」というエピソードを知っている人はそう多くはないのではないでしょうか(僕も初めて知りました)。
シュタインは、横浜で刊行されていた英字新聞”The Japan Weekky Mail”を取り寄せて読んでおり、そこで福沢の『時事小言』の紹介記事を知り、わざわざ福沢に「あなたの書は、「政体改良の為めに大切なる著書」だ」(27p)と送ってきたのです。
ここから著者は、ドイツでサヴィニーによって始められた「歴史法学」と、さらにサヴィニーに代表される「ローマ法学派」とグリム兄弟(あのグリム童話のグリム兄弟、彼らは実は法学者でもある)に代表される「ゲルマン法学派」について触れます。
シュタインのエピソードにおいて、このドイツの法学の話は簡単に触れられているだけですが、この「法をめぐる対立軸」は、幕臣で駐仏日本公使も勤めながら維新後は新聞記者として過ごした栗本鋤雲のエピソードや、民法典論争のエピソードで再びとり上げられます。
ナポレオン法典を高く評価し、全ドイツに適用される民法典の確立を主張したティボーに対し、サヴィニーは「法は言語や習俗と同様、民族精神 (Volksgeist)の発露であり、民族の歴史的発展の所産にほかならない」(210p)として、性急な法の制定に反対しました。
ここでサヴィニーはドイツの大学で教えられてきたローマ法学こそがその基盤になると考えましたが、グリム兄弟は「民族固有の法」を求め、ゲルマン法という民衆法こそが基盤になるとしました(これが古い伝説や昔話の蒐集につながる)。
というわけで、「民法出て忠孝亡ぶ」の日本の民法典論争は、このティボー対サヴィニー(あるいはグリム兄弟)の焼き直しでもあるわけです。
著者はこの民法典論争が、フランス流の法学を教えていた大学とイギリス流の法学を教えていた大学の間の「パンの争い」に過ぎないとも指摘していますが、 (213p)、この「普遍」VS「固有の文化」ともいうべき論争はヨーロッパの後進地域でも切実な問題だったらしく、バルカン半島出身の法学者ボギシッチ は松方正義を通じて日本の民法典について進言しています。
さらにこの歴史法学こそ、「明治国家のグランドデザイナー」とも呼ばれる井上毅の思想のバックボーンの一つとなったものでした。著者は井上について「彼が めざしていたのは、ドイツ歴史法学の方法に則って日本旧来の儒教的道徳を再生させることにあったと見なし得る」(225p)とその思想を解説しています。
このように、日本の国家形成における課題が、実は当時のヨーロッパの後進国における課題とリンクしていたことを示す部分は非常に興味深いです。
ただ、ここまでの紹介では、この本が法にまつわる難しいことばかりを書いているように思えるかもしれません。
この本にはこうした法についての話題の他にも、幕末・明治期のさまざまな人物による海外体験の記録が紹介されています。詳しくは書きませんが、「文久使節 団」や「徳川昭武使節団」(パリ万博のための使節)など、それほど知られていない使節団の見聞について触れられていてこちらも興味深いです。
個人的にこの著者の『伊藤博文』は、伊藤の事蹟をよくまとめあげているものの伊藤の人間性のようなものはいまいち描き出せていないように感じたのですが、 この本では短いエピソードの中にもそれぞれの人物の人間性を感じさせる部分が多く、『伊藤博文』よりも面白く読むことが出来ました。
明治国家をつくった人びと (講談社現代新書)
瀧井 一博

伊藤博文、山県有朋、井上毅といった有名人物の思想から、幕末の欧米への使節が見た「国のしくみ」についての観察、シュタイン、グナイスト、クルメツキといった外国人学者の日本の立憲制に対するアドバイスなど、さまざまな角度から明治国家の成り立ちを描き出しています。
内容的には清水唯一朗『近代日本の官僚』に似ている点もあって、「日本の近代国家建設の歩み」を描いている点は共通しています。ただ、あちらの本には「官僚たちの立身出世の物語」といった側面もありましたが、こちらは「日本の近代国家建設の歩み」に照準を絞っています。
この本の冒頭のエピソードは、シュタインについてのものです。シュタインが大日本帝国憲法制定において伊藤博文にさまざまなアドバイスをしたことはよく知 られていますし、伊藤だけではなく、山県有朋をはじめとするさまざまな人物が「シュタイン詣で」を行ったことを知っている人も多いでしょう。
しかし、この本で取り上げられている「シュタインが福沢諭吉の論説を読んで書簡を送っていた」というエピソードを知っている人はそう多くはないのではないでしょうか(僕も初めて知りました)。
シュタインは、横浜で刊行されていた英字新聞”The Japan Weekky Mail”を取り寄せて読んでおり、そこで福沢の『時事小言』の紹介記事を知り、わざわざ福沢に「あなたの書は、「政体改良の為めに大切なる著書」だ」(27p)と送ってきたのです。
ここから著者は、ドイツでサヴィニーによって始められた「歴史法学」と、さらにサヴィニーに代表される「ローマ法学派」とグリム兄弟(あのグリム童話のグリム兄弟、彼らは実は法学者でもある)に代表される「ゲルマン法学派」について触れます。
シュタインのエピソードにおいて、このドイツの法学の話は簡単に触れられているだけですが、この「法をめぐる対立軸」は、幕臣で駐仏日本公使も勤めながら維新後は新聞記者として過ごした栗本鋤雲のエピソードや、民法典論争のエピソードで再びとり上げられます。
ナポレオン法典を高く評価し、全ドイツに適用される民法典の確立を主張したティボーに対し、サヴィニーは「法は言語や習俗と同様、民族精神 (Volksgeist)の発露であり、民族の歴史的発展の所産にほかならない」(210p)として、性急な法の制定に反対しました。
ここでサヴィニーはドイツの大学で教えられてきたローマ法学こそがその基盤になると考えましたが、グリム兄弟は「民族固有の法」を求め、ゲルマン法という民衆法こそが基盤になるとしました(これが古い伝説や昔話の蒐集につながる)。
というわけで、「民法出て忠孝亡ぶ」の日本の民法典論争は、このティボー対サヴィニー(あるいはグリム兄弟)の焼き直しでもあるわけです。
著者はこの民法典論争が、フランス流の法学を教えていた大学とイギリス流の法学を教えていた大学の間の「パンの争い」に過ぎないとも指摘していますが、 (213p)、この「普遍」VS「固有の文化」ともいうべき論争はヨーロッパの後進地域でも切実な問題だったらしく、バルカン半島出身の法学者ボギシッチ は松方正義を通じて日本の民法典について進言しています。
さらにこの歴史法学こそ、「明治国家のグランドデザイナー」とも呼ばれる井上毅の思想のバックボーンの一つとなったものでした。著者は井上について「彼が めざしていたのは、ドイツ歴史法学の方法に則って日本旧来の儒教的道徳を再生させることにあったと見なし得る」(225p)とその思想を解説しています。
このように、日本の国家形成における課題が、実は当時のヨーロッパの後進国における課題とリンクしていたことを示す部分は非常に興味深いです。
ただ、ここまでの紹介では、この本が法にまつわる難しいことばかりを書いているように思えるかもしれません。
この本にはこうした法についての話題の他にも、幕末・明治期のさまざまな人物による海外体験の記録が紹介されています。詳しくは書きませんが、「文久使節 団」や「徳川昭武使節団」(パリ万博のための使節)など、それほど知られていない使節団の見聞について触れられていてこちらも興味深いです。
個人的にこの著者の『伊藤博文』は、伊藤の事蹟をよくまとめあげているものの伊藤の人間性のようなものはいまいち描き出せていないように感じたのですが、 この本では短いエピソードの中にもそれぞれの人物の人間性を感じさせる部分が多く、『伊藤博文』よりも面白く読むことが出来ました。
明治国家をつくった人びと (講談社現代新書)
瀧井 一博




