タイトルは『「性愛」格差論』で、非婚社会とかを論じた感じになってますが、もっと幅広く若者や現代社会について論じている本で、特に「ヤンキー」の部分なんかは、「ヤンキー文化」を取り上げた本があまりない中で貴重なものだと思います。
もともと斎藤環のけっこう大胆な思いつきというのは大好きで、この本での一番のそれは「キムタクという人はある意味、ヤンキー文化のもっとも洗練された体現者だと思いますね」(125p)という部分なんですけど、それ以外にもいろいろと鋭い仮説(?)が述べられています。
一方の酒井順子の方も、青春時代にケータイがなくてよかったと言い、「ケータイが存在するがゆえに、自分の人気度というものが常に他人に知られてしまう」(75p)と述べてる所とか、「「不良は本当はいい奴なんだ」という信仰があるような気がします」(127p)とか、短いながらも鋭いことを言っていて、対談の回転具合としてもいいですね。
対談本なので、それほど深い理論や現状認識が示されているわけではありませんが、ここ最近の、ニートや少年犯罪、ホリエモン現象などに彩られる「若者論」の視点をちょっとずらしてくれて、おもわずニヤリとできる本です。
斎藤環・酒井順子『「性愛」格差論―萌えとモテの間で』
もともと斎藤環のけっこう大胆な思いつきというのは大好きで、この本での一番のそれは「キムタクという人はある意味、ヤンキー文化のもっとも洗練された体現者だと思いますね」(125p)という部分なんですけど、それ以外にもいろいろと鋭い仮説(?)が述べられています。
一方の酒井順子の方も、青春時代にケータイがなくてよかったと言い、「ケータイが存在するがゆえに、自分の人気度というものが常に他人に知られてしまう」(75p)と述べてる所とか、「「不良は本当はいい奴なんだ」という信仰があるような気がします」(127p)とか、短いながらも鋭いことを言っていて、対談の回転具合としてもいいですね。
対談本なので、それほど深い理論や現状認識が示されているわけではありませんが、ここ最近の、ニートや少年犯罪、ホリエモン現象などに彩られる「若者論」の視点をちょっとずらしてくれて、おもわずニヤリとできる本です。
斎藤環・酒井順子『「性愛」格差論―萌えとモテの間で』