丸山眞男に「17世紀に身を置きながら18世紀を支配した」思想家と言われたジョン・ロック(ii p)。社会契約説、『統治二論(市民政府二論)』の著者、抵抗権・革命権の提唱者、アメリカ独立革命への影響、所有権を理論付けた人物など、いくつかのことが思い浮かぶでしょうし、また、議会政治、寛容、所有権などを考える上で、今なおその出発点となる思想家です。
そんなロックについての新書ですが、この本は評伝というわけではありません。ロックの生涯に関しては第一章で30ページほどにまとめられているのみです。また、彼の思想を噛み砕いて説明した本でもありません。よく知られている抵抗権や革命権、ロックの所有権の理論などを概観するような部分はほとんどないです。
では、どんな本なのかというと、「ロックの思想を位置づけた本」という表現があっているかと思います。政治だけでなく認識論や宗教の問題にも多くの思索をめぐらしたロックですが、この本では、そのロックの思考にはいかなる一貫性があり、どのような時代背景と対応しているのかを論じています。
ここ最近の新書の中では難解な部類で、第2章までは「ロックの思想は難解だ」ということを言おうとしている本にも思えますが、第3章、4章と読み進めるに連れ、その難解さの理由もわかってきます。
難しい本ですが、格闘する価値のある本だと言えるでしょう。
目次は以下の通り。
第1章ではロックの生涯が語られています。
ジョン・ロックは1632年に生まれました。父は治安判事の訴訟代理人兼書記をつとめていた人物で、多少の土地を所有するジェントリーでもありました。父・母はともに敬虔なピューリタンで、ロックもピューリタンとして育ちます。
1642年にいわゆるピューリタン革命が起こると、ロックの父は議会派の騎兵隊の一将校としてこれに参加し、そこでポファムという人物と知り合い、そのポファムの支援もあって、ロックはウェスタミンスター・スクールからオックスフォード大学へと進みました。
1660年頃になるとロックは思想家として生きる覚悟を決め、『世俗権力二論』、『自然法論』といった著作を完成させます。
1666年、ロックはアシュリー卿と出会い、侍医としてロンドンのアシュリー卿の屋敷で暮らすようになります。ロックはアシュリー邸で行われていた知識人の集まりに参加するとともに、のちに議会派の大物政治家となるアシュリー卿の政治活動を支えました。
アシュリーは1672年に国王のチャールズ2世からシャフツべリ伯に叙せられますが、国王の親フランスの姿勢に危機感を覚えたシャフツベリは反国王に転じ、1682年にオランダに亡命し、翌年に亡くなります。そして、シャフツベリの腹心であったロックも1683年にオランダに亡命するのです。
1688年に名誉革命が起こるとロックもイギリスに帰国します。そして、『寛容についての手紙』、『統治二論』、『人間知性論』を発表し(『人間知性論』以外は批判を恐れて匿名で出版された(26p))、1704年に亡くなっています。
第2章ではロックの思想が概観されています。
ロックは内部にさまざまな矛盾を抱えた思想家で、わかりやすい意図や枠組みに沿ってその思想を理解することは困難です。
例えば、『人間知性論』では経験に先立つ生得性や実在性を否定していますが、『統治二論』では「神の意志」としての自然法が先験的に人間に内在しているとしています(40p)。
著者は、ロックの著作には『世俗権力二論』、『寛容論』、『統治二論』、『寛容についての手紙』の政治=寛容論の系譜と、『自然法論』、『人間知性論』、『キリスト教の合理性』の認識=道徳論の系譜があるとし(49-50p)、その系譜の中での理論変化と、2つの系譜の関係を頭に入れる必要があるとします。
その上で、著者はロックの不動の信条として「神を人間に服すべき規範をあたえてくれる存在として信仰し、生きるに値する人間の善き生の条件をその規範にしたがって生きることにみいだす」(60p)ということをあげています。
第3章では、『統治二論』や『寛容についての手紙』に見られるロックの政治論が検討されています。
「政治的なもの」を全面に押し出したホッブズに比べると、ロックの著作では「政治的なもの」が制限されているように見えます。これがロックが現在の「リベラル」な政治と親和的な理由ですが、ロックがこのような考えに至ったのにはいくつかの理由があります。
まずは内乱から王政復古、そして名誉革命という動乱の時代を生きた経験です。ロックは政治について「われわれは、それとともに泳ぐか沈むかしなければならない」(69p)と述べていますが、これはそのような時代背景があってこその言葉でしょう。
また、ロックは、「「政治的なもの」について、「武装」して守るべき自分に固有の領域の外の「世界」から侵入して来る「悪」という印象」(74p)をもっていたといいます。
ロックにとって政治は人間において不可避なものであり、同時に宗教上の「魂への配慮」といったものから分離されるべき領域なのです。
ロックの『統治二論』は、フィルマーの王権神授説を批判したものですが、ここでの批判のポイントは、フィルマーが君主の絶対性を強調することで、「神への義務をつらぬく人間の自発性や主体性を否定することになる」(86p)ということでした。
ロックは神による抑圧を嫌ったのではなく、君主を神格化することが神への義務をおろそかにすることにつながると考えたのです。
ロックの「プロパティ」論も、ブルジョワ的な自由主義というよりは、この神との関わりの文脈の中で位置づけられます。
ロックの「プロパティ」は、「「資産」のほかに、人間の身体や人格にかかわる「生命、健康、自由」までをふくむものとされて」(87p)いますが、これらは「それなしに人間が神への義務をはたすことができないもの」(88p)と考えられます。
ロックにとって「プロパティ」は、神に対する義務を果たすために必要不可欠なものであり、自己保存や再生産を可能にする「資産」もこれに含まれるのです。
ロックは神は政治的統治の目的に関しては「沈黙して」いると考えました。そこで、次善の目的として想定されるのが「プロパティ」の保全です(94p)。
つまり、ロックは「「プロパティ」を非政治的な領域として聖域化するために政治的統治が要請されるという逆説的な」(95p)議論を行っているのです。
ロックの想定する「人間は、自らの「プロパティ」を聖域として他者の侵害から守るためいに、まず、社会契約を結んで自然状態から政治社会に移行し、ついで、政治的統治者を選出した上で「プロパティ」の保全のために彼らに立法能力を頂点とする政治権力を「信託」する」(97p)のです。
これが有名な抵抗権にもつながります。「プロパティ」を侵害する統治者は、「「プロパティ」の保全を欲する「神の意志」への「叛逆者」」(99p)であり、抵抗は「神の意志」に仕える人間の義務でもあるのです。
ロックの寛容論の枠組みも「「政治的統治の任務と宗教の任務とを明確に区別」する政教分離論」(107p)でした。
政治の目的を「プロパティ」の保全だとしたロックは政治権力の「魂の救済」への介入を否定しました。「永遠の生命」を目的とするキリスト教と「現世的利益」にかかわる政治とは、その目指すところに違いがあるとロックは考えていたのです。
また、ロックは「いかなる人間も生まれながらにある教会の一員であるわけではない」(118p)と考えており、信仰に対して個人主義的な考えを持っていました。
ここからも自分と異なる宗派や協会に対する寛容が求められたのです。
ただし、寛容に扱われてはならない者として、ロックは、「「政治社会の維持に不可欠な道徳的規則」を否定する意見の持ち主」、「「統治権力を奪い取り、仲間である臣民の資産や財産を手に入れる」ことを意図して「寛容の義務」を否定する者」、「カトリック教徒のように、「自国のなかに外国の支配権が確立されること」を容認する教会の構成員」、「「人間の社会の絆である約束、契約、誓約」の拘束をうけない「無神論者」」は寛容の対象とならないとしています(123-124p)。
第4章は『人間知性論』と『キリスト教の合理性』に代表されるロックの認識=道徳論について。
『人間知性論』は認識論を中心とした本ですが、著者がロックが一番知りたかったことは道徳規範であろうと述べています。
ロックは、「神は、私たちの関心事の大部分について、人間がこの世で置かれた凡庸と試練との状態にふさわしく、蓋然知という薄明だけを私たちにあたえた」(151p)との言葉を残していますが、神が与えた道徳規範も明示的に示されたものではなかったのです。
1689年に『人間知性論』は出版されましたが、その後も改訂を続け、第5版まで出しています。これは『人間知性論』がなお未完成の作品であったことを示しています(158p)。
著者は『人間知性論』が、「神の存在相目」、「神があたえた規範の論証」、「その認識根拠の証明」について問題を抱えていたと考えます(160ー161p)。
そこで、ロックは「啓示」から人間の生の規範を引き出す方向へと向かいます(167p)。これが『キリスト教の合理性』です。
ロックは、イエスによって「啓示」された「だから、あなたたちが人々からして欲しいと思うことはすべて、そのようにあなたたちも彼らにせよ」(186p)という一般黄金律を聖書から引き出しますが、それは政治=寛容論で打ち立てた規範を包摂するものでした。
著者は、この解答を「挫折」であり「後退」でもあるとしますが、同時にロックの知的誠実さを証明するものだとも考えています(188p)。
エピローグではロックの思想の今日的な意味も考察していますが、簡単に触れられている程度で、ロックの思想が現代にいかなる影響を及ぼしているかといったことに関する言及はそれほどありません。
このように最初から最後まで面白いという本ではないのですが、第3章と4章、特に第3章は非常に面白いと思います。
ロックの『統治二論』はかなり昔に読んだのですが、そのときは現代の政治制度に通じる部分だけに注目して、この本で描かれるようなキリスト教思想家としての部分にはあまり気付けていなかったと思います。今回、この本を読んでとても勉強になりました。
思想家の全体像を提示した本というよりは、狭く深く、その本質を探ろうとした本です。
ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)
加藤 節

そんなロックについての新書ですが、この本は評伝というわけではありません。ロックの生涯に関しては第一章で30ページほどにまとめられているのみです。また、彼の思想を噛み砕いて説明した本でもありません。よく知られている抵抗権や革命権、ロックの所有権の理論などを概観するような部分はほとんどないです。
では、どんな本なのかというと、「ロックの思想を位置づけた本」という表現があっているかと思います。政治だけでなく認識論や宗教の問題にも多くの思索をめぐらしたロックですが、この本では、そのロックの思考にはいかなる一貫性があり、どのような時代背景と対応しているのかを論じています。
ここ最近の新書の中では難解な部類で、第2章までは「ロックの思想は難解だ」ということを言おうとしている本にも思えますが、第3章、4章と読み進めるに連れ、その難解さの理由もわかってきます。
難しい本ですが、格闘する価値のある本だと言えるでしょう。
目次は以下の通り。
プロローグ―実像をもとめて
第1章 生涯
第2章 思想世界の解読―方法の問題
第3章 政治と宗教―「神の作品」の政治=寛容論
第4章 生と知―「神の作品」の認識=道徳論
エピローグ―ロックからの問い
第1章ではロックの生涯が語られています。
ジョン・ロックは1632年に生まれました。父は治安判事の訴訟代理人兼書記をつとめていた人物で、多少の土地を所有するジェントリーでもありました。父・母はともに敬虔なピューリタンで、ロックもピューリタンとして育ちます。
1642年にいわゆるピューリタン革命が起こると、ロックの父は議会派の騎兵隊の一将校としてこれに参加し、そこでポファムという人物と知り合い、そのポファムの支援もあって、ロックはウェスタミンスター・スクールからオックスフォード大学へと進みました。
1660年頃になるとロックは思想家として生きる覚悟を決め、『世俗権力二論』、『自然法論』といった著作を完成させます。
1666年、ロックはアシュリー卿と出会い、侍医としてロンドンのアシュリー卿の屋敷で暮らすようになります。ロックはアシュリー邸で行われていた知識人の集まりに参加するとともに、のちに議会派の大物政治家となるアシュリー卿の政治活動を支えました。
アシュリーは1672年に国王のチャールズ2世からシャフツべリ伯に叙せられますが、国王の親フランスの姿勢に危機感を覚えたシャフツベリは反国王に転じ、1682年にオランダに亡命し、翌年に亡くなります。そして、シャフツベリの腹心であったロックも1683年にオランダに亡命するのです。
1688年に名誉革命が起こるとロックもイギリスに帰国します。そして、『寛容についての手紙』、『統治二論』、『人間知性論』を発表し(『人間知性論』以外は批判を恐れて匿名で出版された(26p))、1704年に亡くなっています。
第2章ではロックの思想が概観されています。
ロックは内部にさまざまな矛盾を抱えた思想家で、わかりやすい意図や枠組みに沿ってその思想を理解することは困難です。
例えば、『人間知性論』では経験に先立つ生得性や実在性を否定していますが、『統治二論』では「神の意志」としての自然法が先験的に人間に内在しているとしています(40p)。
著者は、ロックの著作には『世俗権力二論』、『寛容論』、『統治二論』、『寛容についての手紙』の政治=寛容論の系譜と、『自然法論』、『人間知性論』、『キリスト教の合理性』の認識=道徳論の系譜があるとし(49-50p)、その系譜の中での理論変化と、2つの系譜の関係を頭に入れる必要があるとします。
その上で、著者はロックの不動の信条として「神を人間に服すべき規範をあたえてくれる存在として信仰し、生きるに値する人間の善き生の条件をその規範にしたがって生きることにみいだす」(60p)ということをあげています。
第3章では、『統治二論』や『寛容についての手紙』に見られるロックの政治論が検討されています。
「政治的なもの」を全面に押し出したホッブズに比べると、ロックの著作では「政治的なもの」が制限されているように見えます。これがロックが現在の「リベラル」な政治と親和的な理由ですが、ロックがこのような考えに至ったのにはいくつかの理由があります。
まずは内乱から王政復古、そして名誉革命という動乱の時代を生きた経験です。ロックは政治について「われわれは、それとともに泳ぐか沈むかしなければならない」(69p)と述べていますが、これはそのような時代背景があってこその言葉でしょう。
また、ロックは、「「政治的なもの」について、「武装」して守るべき自分に固有の領域の外の「世界」から侵入して来る「悪」という印象」(74p)をもっていたといいます。
ロックにとって政治は人間において不可避なものであり、同時に宗教上の「魂への配慮」といったものから分離されるべき領域なのです。
ロックの『統治二論』は、フィルマーの王権神授説を批判したものですが、ここでの批判のポイントは、フィルマーが君主の絶対性を強調することで、「神への義務をつらぬく人間の自発性や主体性を否定することになる」(86p)ということでした。
ロックは神による抑圧を嫌ったのではなく、君主を神格化することが神への義務をおろそかにすることにつながると考えたのです。
ロックの「プロパティ」論も、ブルジョワ的な自由主義というよりは、この神との関わりの文脈の中で位置づけられます。
ロックの「プロパティ」は、「「資産」のほかに、人間の身体や人格にかかわる「生命、健康、自由」までをふくむものとされて」(87p)いますが、これらは「それなしに人間が神への義務をはたすことができないもの」(88p)と考えられます。
ロックにとって「プロパティ」は、神に対する義務を果たすために必要不可欠なものであり、自己保存や再生産を可能にする「資産」もこれに含まれるのです。
ロックは神は政治的統治の目的に関しては「沈黙して」いると考えました。そこで、次善の目的として想定されるのが「プロパティ」の保全です(94p)。
つまり、ロックは「「プロパティ」を非政治的な領域として聖域化するために政治的統治が要請されるという逆説的な」(95p)議論を行っているのです。
ロックの想定する「人間は、自らの「プロパティ」を聖域として他者の侵害から守るためいに、まず、社会契約を結んで自然状態から政治社会に移行し、ついで、政治的統治者を選出した上で「プロパティ」の保全のために彼らに立法能力を頂点とする政治権力を「信託」する」(97p)のです。
これが有名な抵抗権にもつながります。「プロパティ」を侵害する統治者は、「「プロパティ」の保全を欲する「神の意志」への「叛逆者」」(99p)であり、抵抗は「神の意志」に仕える人間の義務でもあるのです。
ロックの寛容論の枠組みも「「政治的統治の任務と宗教の任務とを明確に区別」する政教分離論」(107p)でした。
政治の目的を「プロパティ」の保全だとしたロックは政治権力の「魂の救済」への介入を否定しました。「永遠の生命」を目的とするキリスト教と「現世的利益」にかかわる政治とは、その目指すところに違いがあるとロックは考えていたのです。
また、ロックは「いかなる人間も生まれながらにある教会の一員であるわけではない」(118p)と考えており、信仰に対して個人主義的な考えを持っていました。
ここからも自分と異なる宗派や協会に対する寛容が求められたのです。
ただし、寛容に扱われてはならない者として、ロックは、「「政治社会の維持に不可欠な道徳的規則」を否定する意見の持ち主」、「「統治権力を奪い取り、仲間である臣民の資産や財産を手に入れる」ことを意図して「寛容の義務」を否定する者」、「カトリック教徒のように、「自国のなかに外国の支配権が確立されること」を容認する教会の構成員」、「「人間の社会の絆である約束、契約、誓約」の拘束をうけない「無神論者」」は寛容の対象とならないとしています(123-124p)。
第4章は『人間知性論』と『キリスト教の合理性』に代表されるロックの認識=道徳論について。
『人間知性論』は認識論を中心とした本ですが、著者がロックが一番知りたかったことは道徳規範であろうと述べています。
ロックは、「神は、私たちの関心事の大部分について、人間がこの世で置かれた凡庸と試練との状態にふさわしく、蓋然知という薄明だけを私たちにあたえた」(151p)との言葉を残していますが、神が与えた道徳規範も明示的に示されたものではなかったのです。
1689年に『人間知性論』は出版されましたが、その後も改訂を続け、第5版まで出しています。これは『人間知性論』がなお未完成の作品であったことを示しています(158p)。
著者は『人間知性論』が、「神の存在相目」、「神があたえた規範の論証」、「その認識根拠の証明」について問題を抱えていたと考えます(160ー161p)。
そこで、ロックは「啓示」から人間の生の規範を引き出す方向へと向かいます(167p)。これが『キリスト教の合理性』です。
ロックは、イエスによって「啓示」された「だから、あなたたちが人々からして欲しいと思うことはすべて、そのようにあなたたちも彼らにせよ」(186p)という一般黄金律を聖書から引き出しますが、それは政治=寛容論で打ち立てた規範を包摂するものでした。
著者は、この解答を「挫折」であり「後退」でもあるとしますが、同時にロックの知的誠実さを証明するものだとも考えています(188p)。
エピローグではロックの思想の今日的な意味も考察していますが、簡単に触れられている程度で、ロックの思想が現代にいかなる影響を及ぼしているかといったことに関する言及はそれほどありません。
このように最初から最後まで面白いという本ではないのですが、第3章と4章、特に第3章は非常に面白いと思います。
ロックの『統治二論』はかなり昔に読んだのですが、そのときは現代の政治制度に通じる部分だけに注目して、この本で描かれるようなキリスト教思想家としての部分にはあまり気付けていなかったと思います。今回、この本を読んでとても勉強になりました。
思想家の全体像を提示した本というよりは、狭く深く、その本質を探ろうとした本です。
ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)
加藤 節




