山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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5点

巻島隆『飛脚は何を運んだのか』(ちくま新書) 5点

 飛脚の誕生から飛脚のその後までを辿った本になります。巻末の資料を入れると400ページ越えの厚さになり、興味深いことも色々と書いてあるのですが、1冊の新書としてはもっと刈り込むべきところは刈り込んだ方がよかったでしょう。
 また、著者にとって飛脚について扱った本はこれが3冊目ということで(『江戸の飛脚』(教育評論社)、『上州の飛脚』(みやま文庫)がある)、なるべくこの2冊と内容が被らないようにしたとのことですが、今回が初の新書ということを考えれば、重複を恐れずにわかりやすいエピソードを使いまわしてもよかったのではないかと思います。
 面白い部分もありますが、全体的にややもったいない本でした。

 目次は以下の通り
第1章 馬琴の通信世界
第2章 飛脚の誕生
第3章 三都の飛脚問屋の誕生と発展――ビジネス化した飛脚業
第4章 飛脚問屋と出店、取次所
第5章 飛脚輸送と飛脚賃
第6章 奉公人、宰領飛脚、走り飛脚
第7章 金融と金飛脚
第8章 さまざまな飛脚
第9章 飛脚は何を、どうやって運んだか
第10章 災害情報の発信
第11章 飛脚の遭難
第12章 飛躍する飛脚イメージ

 第1章では『馬琴日記』の中に登場する飛脚の姿が紹介されています。
 文政10(1827)年の日記を見ると、江戸の神田同朋町にすむ曲亭(滝沢)馬琴が大坂の版元との間で「すり本」(ゲラ)をやり取りしていた様子がわかりますが、この「すり本」を運んだのが飛脚です。
 馬琴は飛脚問屋京屋弥兵衛、嶋屋佐右衛門を利用しながら、上方の出版社と原稿のやり取りをして「朝夷巡島記」を刊行しています。
 馬琴の日記には、「六日限」「八日限」「十日限」「並便」などの、違いも記されており、急ぎかどうかによってさまざまな飛脚便があったことがわかります。飛脚便は現在の宅急便のような役割も果たしていたのです。

 第2章では「飛脚」という言葉がいつ生まれたのかが紹介されています。
 遠隔地との通信のために古代の日本では駅制の仕組みがつくられましたが、この仕組みは平安中期以降に機能しなくなってきます。
 こうした中、源平が戦った治承・寿永の乱の頃から「飛脚」という言葉が登場するといいます。九条兼実の日記「玉葉」の治承4(1880)年9月9日には「飛脚到来云々」という記述があり、石橋山の合戦で源頼朝が敗れたことが「飛脚」によってもたらされたことがわかります。
 「吾妻鏡」でも同じ治承4年に「飛脚」という言葉が登場しており、戦いの様子や結果を伝えるために「飛脚」が用いられるようになったことがうかがえます。
 この時代に「飛脚」を務めたのは、「雑色」と呼ばれた武士の身の回りの雑務をこなす雑役夫でした。

 室町時代になると、13代将軍足利義輝が「早道馬」を活用しています。義輝は徳川、織田、今川といった戦国大名に早道馬の献上を求めています。
 義輝は幕府の権力が低迷する中で、各地の大名の紛争を調停しようとしたことでも知られています。そのための連絡手段として早道馬を所望したと考えられます。

 本章では戦国大名の武田氏、今川氏、真田氏の文章に登場する飛脚についてまとめられています。細かい部分も多いので詳細な紹介は避けますが、さまざまな使いがある中で、情勢が大きく動いた時に「飛脚」が多く用いられたこと、寺院の僧侶が飛脚を務めることがあったこと(僧侶はアクシデントに巻き込まれる可能性が低かった)などがわかります
 
 戦乱の中で生まれた飛脚でしたが、江戸時代の泰平の世となってもなくなることはありませんでした。有力な大名は国元と江戸の連絡のために大名美脚を維持しましたが、大きく発展したのが民間の飛脚です。

 飛脚問屋は17世紀後半〜18世紀前半、将軍で言うと4代家綱から8代吉宗の頃にかけて発展しました。各地で特産品が生産され、遠隔地取引が盛んになると、通信や輸送の需要も増えてきます。
 江戸時代、大坂には大坂城代が置かれ、江戸との輸送・通信のために人足が月に3度江戸と大坂を往復するようになりました。この武家の飛脚が町人荷物を請け負うようになり、飛脚問屋が誕生しました。
 さらに、大坂や京都の八百屋、豆腐屋、茶碗屋などが副業として飛脚業を始めたり、人足派遣業者の口入屋が飛脚業を営むようにもなりました。

 飛脚問屋はまず上方で発展し、元禄時代には京都順番飛脚仲間が結成され、京都町奉行書の御用を請け負いました。
 大坂でも、時代は下りますが安永3(1774)年に大坂三度飛脚仲間が公認されています。この仲間の中には「江戸屋」を名乗るものが複数見られますが(85pの表参照)、これは行き先を屋号として名乗ったためです。
 江戸ではさらに遅れて、天明2(1782)年に江戸定飛脚仲間が公認され、その中でも十七屋孫兵衛は各地に支店を設け、高い知名度を誇りました。

 こうした中で、到着の早さを売りにする早飛脚も登場します。早飛脚は昼夜兼行で馬を乗り継いだり、「抜状」といって途中で荷物の中から急ぎの荷物だけを抜いて、走り飛脚を仕立てて先行して走らせることによって早い到着を可能にしました。
 こうした早飛脚は仲間同士で共同運行されており、これが明治になってからの陸運元会社の創業につながっていきます。

 第4章では第1章に出てきた馬琴がよく使っていた京屋弥兵衛と嶋屋佐右衛門の輸送ネットワークが紹介されています。
 京屋と嶋屋は東日本を中心に各地に「出店」を設け、主要街道沿いに本陣・脇本陣・旅籠などと契約して「取次所」を置くなど、広域のネットワークを形成していました。
 京屋は、生糸の産地である上野、甲府、紅花産地の山形、二本松などに出店を置いていました。各地の特産品の輸送や特産品に関する情報の受け渡しが大きな役割だったのです。
 上野には、桐生店、高崎店、藤岡店と複数の出店が置かれていましたが、それだけ絹織物や生糸が大きな取引であったことを物語っています。
 嶋屋も上野に前橋店、伊勢崎店、高崎店、桐生店、藤岡店を展開しています(他にも越後に進出しているのが嶋屋の特徴)。
 なお、本書では各出店の説明もしていますが、ここは割愛してもよかったと思います。

 第5章は飛脚便の種類とその料金についてです。
 まず、馬琴が利用した嶋屋について紹介されていますが、馬琴は並便(定期便)で松坂に返却本などを梱包した紙包を2つ(重量1340匁、約5キロ)送っています。この時の料金は金3朱、現在の金額に換算すると約2万円だといいます。
 並便は、馬に荷物をつける形で運ばせ、移動は昼のみで夜は飛脚宿(定宿)に泊まりました。江戸〜京都・大坂で15日での到着を目指しましたが、30日近くかかることもあったようです。

 当時、大名行列などによって問屋場で馬が不足することがありました、これを「馬支(うまづかえ)」と言います。また、当時は大きな河川に橋をかけていないことが多かったために河川が増水すると渡れませんでした。これを「川支(かわづかえ)」といいます。
 こうした障害によって、なかなか予定通りにはつかなかったといいます。

 料金についてはやや高く感じる人もいるかもしれませんが、汽車や自動車がない時代であり、重いものを運ぶのは大変だったのです。御状一通だと賃銀二分=銭20文であり、かけそばが16文だったので、それほど高くは感じないかもしれません。
 金銀などの輸送に関しては、紛失した場合には飛脚問屋が補償することになっていましたので、保険料込みといった形の料金設定になっていました。

 急ぎの場合は早便があります。四日限、五日限、六日限、七日限、八日限、十日限といったものがあり、六日限、七日限、八日限、十日限の定期便と、四日限、五日限、六日限の仕立便がありました。
 この場合、荷物を運ぶ宰領は昼夜兼行で荷物を運び、問屋場では馬士にチップを払って馬を確保しました。さらに、道中で早便の荷物だけを抜いて走り飛脚を先行させる「抜状」も行われました。
 料金は江戸から京都・大坂までの「六日限」で書状一通が賃銀2匁、銭に換算すると200文で、大体3750円程度だといいます。並便の10倍の料金です。
 走り飛脚は5里(約20キロ)を2時間半程度で走り、継所で交代しながらリレーしていきました。
 
 仕立便だとさらに料金は上がり、御状一通を運ぶ四日限仕立が金4両2分、五日限仕立が金3両、中山道経由の六日限仕立が金6両です(この料金の高さについて著者は道路事情の悪さを指摘しているけど、川の少ない中山道は大変だが確実に着くというのもありそう)。
 金1両=10万円とすると、四日限で45万円ほどとなり、まさに時間に高いお金を払う感じになります。

 第6章では飛脚問屋で働く人々が紹介されています。
 飛脚問屋の経営には、荷物の集配の拠点となる店舗とそこに働く奉公人、宰領飛脚、走り飛脚といった人々が必要でした。
 宰領飛脚は馬荷物を監督しながら基本的に騎乗して街道を往来します。宰領には馬不足や河川の増水などのトラブルを解決する能力が求められました。
 本書の163pに明治2(1869)年に今の埼玉県熊谷市でトラブルを起こした宰領の所持品一覧が載っていますが、かなりの金銭を所持しており、宿泊費や人馬継立の費用など、道中に相当なお金が必要だったことも分かります。

 飛脚のイメージというと荷物を持って走る走り飛脚でしょうが、実態についてはよくわかっていないそうです。
 走り飛脚の人材供給源は人足と呼ばれる肉体労働に従事する人々であり、中には背中や肩に刺青を持つ者もいたといいます。
 飛脚のどのように走ったのかもよくわかりませんが、本書では明和8(1771)年刊行の『万民千里善走伝』の中に書かれてる走り方を紹介しています。当時は道路状況が悪いために、地面の状況に気をつけて走ることが重要だったようです。

 第7章は飛脚が運んだ金や飛脚問屋が関わった金融についてです。
 この章のはじめでは安政2(1855)年に現在の群馬県の桐生市の渡瀬川で起きた「松原の渡し難船一件」と呼ばれる水難事故が紹介されています。この事故では現金6000両(現在の価値で約6億円ほど)が流されたために大騒ぎになりました(その後の革財布などは見つかったが現金は入っていなかった)。
 なぜ、このような大金が輸送され、しかも事故にあったかというと、難船事故の翌日は桐生の絹市の日であり、決済のために大金が必要であり、また、その日に間に合わせるために増水した川を無理に渡ったからです。

 このように現金の輸送には危険も伴いました。そこで飛脚問屋が関与する形での為替手形も組まれました。さらに飛脚問屋が呉服屋や問屋場に融資をしていたことを示す資料も見つかっています。飛脚問屋は金融のはたらきも担っていたのです。

 第8章は「さまざまな飛脚」と題されています、
 まず、幕府は継飛脚の仕組みを持っていました。継飛脚は関所や川の渡しなども優先的に通ることができ、江戸〜京都を64〜66時間、急用であれば58〜60時間ほどで結んだといいます。
 同じように大きな大名は自分の藩のための飛脚を持っていました。
 町飛脚は近国を対象として荷物や手紙を輸送した飛脚業者で、担ぐ箱に鈴がついていたために「チリンチリンの町飛脚」とも呼ばれました。江戸では町飛脚が回るルートが決まっており、今の郵便配達に近いイメージです。
 他にも大名行列に人足を派遣する人宿を上下飛脚と呼んでおり、飛脚業者の起源を考える上でも興味深い存在です。

 さらに本章では馬琴と『北越雪譜』の著者である鈴木牧之の手紙のやり取りと、それを取り持った二見忠兵衛という人物についても紹介しています(馬琴のひどさもわかる)。
 また、『馬琴日記』から近所への届け物などをした人物なども紹介しています。

 第9章では、参勤交代で江戸で暮らすための資金を国元から運んだ飛脚問屋や生糸などの特産品を運んだ飛脚などが紹介されています。
 また、新選組の飛脚利用のエピソードなども紹介されています。

 第10章は「災害情報の発信」と題されていますが、ここでは新聞やテレビのない時代に飛脚がメディアの役割をしていたことが書かれています。
 例えば、大阪堂島の米市場の価格情報や江戸での火事のニュースなどが飛脚問屋を通じて各地に伝わっています。
 また、地震や洪水などの大災害、幕末の江戸薩摩藩邸の焼き討ち、鳥羽・伏見の戦いの一報なども飛脚によってもたらされています。

 こうした役割については飛脚問屋も自覚的で、遠国で洪水や火事が起きたことを伝えてきた場合は、受け取った飛脚問屋は飛脚仲間の年行事や月行事に報告し、年行事が江戸の町年寄りに報告することになっていました。
 災害によっては飛脚の輸送路に大きな影響を与える場合もあります。そのためにも仲間内で情報を共有することが求められたのです。

 第11章は飛脚の遭難です。前述のように、飛脚の延着の原因は馬支と川支でしたが、それとともに飛脚を悩ませたのが火災で荷物を消失する「火難」、河川に落として荷物を濡らす「水難」、強盗などに荷物を奪われる「盗難」でした。これらを「二支三難」といいます。
 
 史料を見ると、馬が「老馬・弱馬」だったために転倒したケース、船から陸に上がろうとした際に「船開キ」があって馬が水に落ちたケースなどが紹介されています。
 また、飛脚を狙った盗賊もいました。史料を見ると道中で強奪されるよりも、旅籠などに宿泊中に狙われるケースが多かったようです。

 こうした荷物の紛失や毀損などについては飛脚問屋が弁済することが基本でしたが、嘉永7(1854)年の東海道地震の際には飛脚問屋から「今回は稀成る天災のため金銀はもちろん荷物も賠償できない」(289p)との主張がなされています。それ以前の大災害では荷主が負担することもあったそうです。

 第12章では、江戸時代の文学に登場する飛脚の姿が紹介されています。
 近松門左衛門の『冥途の飛脚』のほか、歌舞伎や山東京伝の黄表紙などに飛脚が登場します。さらに本章では、飛脚についての俳諧や川柳、狂歌、さらには各地の狐飛脚の伝承などを紹介しています。

 このように本書は飛脚についてさまざまなことを教えてくれます。ただし、内容としてはやや散漫になってしまっている部分もあり、もっとコンパクトにまとめるべきだったのではないかと思います。
 第3、5〜7、10〜11章で書かれていることは面白いと思うので、手に取ったがなかなかページが進まないという人は、そのあたりに飛んで読んでみてもいいと思います。


松里公孝『ウクライナ動乱』(ちくま新書) 5点

 同じちくま新書の『ポスト社会主義の政治』で、ウクライナの政治も分析していた著者が、ウクライナの政治と、2014年以降にウクライナから切り離されたクリミアとドンバスの政治を解説し、さらに2022年に始まったロシアによるウクライナ全面侵攻を分析した本。
 『ポスト社会主義の政治』も370ページを超える厚い新書でしたが、こちらは500ページを超えており、さらなるボリュームになっています。

 ただし、なかなか癖のある本でもありまして、ウクライナから切り離されたあとのクリミアやドンバスの政治状況を解説した日本語の本という点では貴重なのですが、ウクライナ内部の対立を詳述するあまりに、結果的にロシアの介入が見えにくくなる構成になっています。
 「今回の戦争の原因は約束違反のNATO拡大だ!」みたいなロシアのナラティブを採用しているわけではありませんが、ユーロマイダン革命以降の動きにおいてロシアを常に受け身的に描くことによって、結果的にロシアの責任が軽くなるような描き方がなされていると思います。

 目次は以下の通り。
第1章 ソ連末期から継続する社会変動
第2章 ユーロマイダン革命とその後
第3章 「クリミアの春」とその後
第4章 ドンバス戦争
第5章 ドネツク人民共和国
第6章 ミンスク合意から露ウ戦争へ
終章 ウクライナ国家の統一と分裂
 大部の本なので、以下はざっくりと紹介していきます。

 まず、著者は今回の戦争に至るまでの出来事を、ソ連崩壊からの流れとして捉えています。
 ソ連の工業の中心地であったことからソ連時代後期のウクライナは景気が良かったといいます。著者は1989〜91年までレニングラードの大学にいたそうですが、都市の景観はロシアよりもウクライナのほうが良かったそうです。
 しかし、1990年に2000億ドルを超えていた実質GDPは、99年には1000ドルを切り、その後上昇したものの、リーマン・ショック以降、1200〜1300億ドルあたりをうろうろしています(24p表1−1参照)。
 
 ソ連時代のウクライナは原料をロシアから輸入し、機械などをロシアに輸出する形でしたが、ソ連崩壊後、ロシアへの輸出は伸びなくなり、かといって、ウクライナに西側に輸出できるような技術力はなかったのです。

 こういた経済的困窮のもとで生まれるのはポピュリズムです。
 著者はポスト・ソ連の三代ポピュリストとしてグルジア(ジョージア)のサアカシヴィリ、アルメニアのパシニャン、ウクライナのゼレンスキーを上げています(30p)。
 ここからもわかるように著者のゼレンスキー大統領への評価は非常に低いです。

 ソ連の連邦制は民族領域連邦制と呼ばれる特殊な連邦制で、当該連邦構成主体の主人公である民族が決まっていました。
 新疆ウイグル自治区でウイグル人が第一書記になることは中国では考えられませんが、ソ連では基幹民族出身ではないとその自治体の第一書記にはなれないという慣行が定着し、また、その基幹民族の決定には先住主義が用いられたために、歴史的にどの民族が先に住んでいたかということが重要になりました。
 こうした状況下でなし崩し的にソ連が崩壊していったことが、さまざまな民族紛争を生むことになります。

 ウクライナの政治については、親欧と親露の対立で理解されがちです。ウクライナの東西の違いもあって、ウクライナ西部・親欧VSウクライナ東部・親露という図式です。
 しかし、これは単純すぎる見方で、このようなわかりやすい対立になったのは1994年と2004年の大統領選挙だけだったといいます。
 2010年のヤヌコヴィチとティモシェンコが争った大統領選においても、東部のヤヌコヴィチと西部のティモシェンコという図式はありましたが、それ以上に都市と農村や世代間の違いが顕著だったとのことです。

 また、親欧・親露といっても欧米への経済統合はウクライナの共産党を除く政治家とオリガークの一致点であり、それゆえにヤヌコヴィチもEUとの交渉を進めました。
 しかし、EUとアソシエーション条約を結び、ロシアのユーラシア関税同盟にも入ろうというヤヌコヴィチの都合のいい政策は破綻をきたし、EUとの条約調印を延期します。
 ここからユーロマイダン革命が始まります。

 ユーロマイダン革命は、独立広場(マイダン)での座り込みから始まりましたが、事態が急変したのは2013年11月30日未明の警察によるピケ参加者への暴行です。これがテレビで中継されたことで抗議の輪が大きく広がることになりました。
 年が明けても抗議は収まらず、2014年2月20日にはマイダン派の隊列に警察が銃撃する事件が起こります。この事件についてはさまざまな説が流れており、著者も警察による一方的な銃撃という見方には疑問を呈しています。
 21日夜、ヤヌコヴィチ大統領が逃亡したことでマイダン派の勝利となります。

 ここからヤヌコヴィチの与党の地域党の地盤でもあった東部では、ウクライナから分離する動きが出てきます。
 4月6日にはドネツクとルガンスクにおいて分離派が州議会・国家行政府建物を占拠し、翌日にドネツク人民共和国の成立を宣言しました。
 7日はハルキウでも分離派が占拠を行いますが、これは内務省特殊部隊によって排除されました。こうした動きはマリウポリなどでも起こっています。
 5月2日にはオデサでマイダン派と反マイダン派が衝突し、反マイダン派の40人以上が火災に巻きこれて死ぬ事件も起きています。

 最終的に武力衝突と第一ミンスク合意、第二ミンスク合意を経て、ドネツク人民共和国はウクライナの中央政府の支配から離れていくことになるのですが、本書はロシアの介入についてほとんど触れていないので、この流れは非常にわかりにくいです。
 ただ経緯はどうであれ、ユーロマイダン革命後に大統領になったポロシェンコ大統領は苦境に立たされます。
 ポロシェンコは2019年の大統領選挙で、ライバルのティモシェンコに勝利するために、「軍、言語、信仰」運動を始めます。幅広い領域でウクライナ後の使用を義務付けるなど、ウクライナ・ナショナリズムを活性化させるような政策をとりました。著者はこれらの政策がウクライナの分断をさらに進めたと考えています。

 2019年の大統領選挙で当選したのはポロシェンコでもティモシェンコでもなく、俳優出身のゼレンスキーでした。ゼレンスキーは大統領になると議会を解散し、議会選でも勝利しました。

 第3章ではクリミアの情勢を追っています。
 クリミアは1954年にロシアからウクライナへと移された地域で、多数派もロシア語話者でした。クリミアはクリミア自治共和国とセヴァストポリ市の2つの行政単位からなっていますが、本書がとり上げるのはクリミア自治共和国のほうです。
 クリミアはロシアがオスマン帝国から奪った土地ですが、そのときにクリミアに残ったのがクリミア・タタールと呼ばれる人々です。
 ウクライナ独立のとき、クリミアとウクライナでは権限などをめぐって揉めましたが、最終的にはウクライナ内の自治共和国として落ち着きました。

 ただし、クリミアを分離させようとする運動は1995年に自滅する形で終わります。クリミアの大統領職は廃止され、ウクライナの影響力が強まることになります。
 1998年に採択されたクリミア自治共和国の新しい憲法では、クリミア首相はウクライナの大統領がクリミア最高会議に首相候補を推薦し、最高会議が承認するという形で選ばれることになりました。
 
 2004年のオレンジ革命の結果、政権に就いたユシチェンコ大統領はクリミアでのロシア語の使用を制限する政策を進め、クリミアの人々の反発を受けました。一方、クリミアではヤヌコヴィチ支持が強まりました。
 2010年の大統領選挙でヤヌコヴィチが勝利すると、クリミアの首相にヤヌコヴィチ勝利に功績があったジャルティを送り込みます。ジャルティは腹心の部下をマケエフカ、ドネツクから連れて乗り込み、現地の幹部とすげ替えていきますが、彼らは「マケ」エフカ、「ドネ」ツク、そしてクリミアを見下す植民地的態度から外来幹部は「マケドニア人」と呼ばれました。

 ジャルティは、中央から資金を引っ張ってきてクリミアの開発を進めますが、2011年8月に53歳の若さでガンで亡くなります。
 クリミアでは、マケドニア人、クリミア・タタール、ロシア人の勢力が割拠する状態になりましたが、ロシア人勢力の中心となったのが後にクリミアのロシア編入を主導したアクショノフです。
 
 マイダン革命後、クリミアはロシアに編入されますが、この過程についても本書では常にロシアは受け身的に描かれており、わかりにくいです。
 編入後については、クリミア大橋の建設を始めとしてロシアがテコ入れを行ったこともあって経済が活性化しています。ただし、ロシア企業はクリミアに進出すると国際制裁を受ける可能性があるため、それほどロシア資本の進出は進まなかったといいます。結果的にクリミアの企業を保護することにも繋がり、それがクリミアの政治を安定させました。

 第4章はドンバス戦争ですが、ここも細かく書いてある割にはロシアの介入についてはあまり触れていません。

 ドンバスは炭鉱地域であり、そのためドンバス人には「炭鉱夫」「荒くれ者」といったイメージがあり、そのため、同じドネツク州でもクラマトルスクやマリウポリの市民などからは同一視されることを嫌がる声もあったとのことです。
 ドンバスはソ連時代に工業化が進み、そのために人口も流入し、ソ連末期にはウクライナ人が約5割、ロシア人が約4割となりました(ただし、ウクライナ人も大半はロシア語話者)。

 ソ連崩壊後のドンバスで中心になったのが「赤い企業長」と呼ばれる、地域の行政や社員への福祉の提供も代行するような新しい経営層でした。こうした「赤い企業長」が政治にも進出していきます。
 1994年の地方選挙では、「赤い企業長」に代わって新興のビジネスマンが知事や市長になっていきますが、基本的には恩顧政治が展開されていくことになります。

 ヤヌコヴィチはドネツク州の出身であり、そのために2004年のユシチェンコが勝った大統領選でも、ドネツクではヤヌコヴィチが圧倒的な得票率となっています(299p表4−2参照)。
 ユーロマイダン革命以前において、ヤヌコヴィチの地域党はドネツク州の州議会の90%以上の議席を占めていました。
 こうした中、ユーロマイダン革命によってヤヌコヴィチが逃亡したことはドネツクに政治的空白を生みました。

 著者によれば、当時、ドネツクの政治に大きな影響力を持っていた富豪のアフメトフらが中央政府との交渉力を高めるために分離主義者を泳がせたことが問題を大きくしたといいます。
 著者はマイダン革命後のドネツクで分離派の集会を実際に見たそうですが、分離に向けて確実に進んでいたクリミアに比べると、空疎なスローガンを叫んでいただけだったといいます。
 
 先述のように、2014年4月7日にドネツク人民共和国の成立が宣言されますが、このときプーチンは、クリミアと違ってドネツクの分離を受け入れるつもりはなかったと著者はみています。
 プーチンは独立を当住民投票の延期を求めますが、これにはウクライナの大統領選においてドネツクの票が失われれば、親欧的でNATOへの早期加盟を求めるような候補しか勝てなくなるといった読みがあったとされます。

 それにもかかわらず5月11日の住民投票でドネツク人民共和国の「独立」が承認されます。
 この時点でも東部は一定の平穏を保っていましたが、それを打ち壊したのが5月26日にポロシェンコ大統領が命じたウクライナ軍によるドネツク空港の空爆だといいます。
 その後の内戦においても、ウクライナはマイダン革命で活躍した武装グループを内務大臣に従属する国民衛兵隊として編成し、それをドンバスに送られたが、訓練を受けたロシア義勇兵には叶わなかったと書いていますが(330p)、「義勇兵」でいいのかはやや留保したいところです。

 第5章では、ドネツク人民共和国を他の旧ソ連の未承認国家と比べながら検討しています。
 プーチンは、2014年7月17日のマレーシアMH17撃墜事件や8月17日にウクライナ軍がルガンスク市の中心部に突入し、ドネツクも包囲されたことで、人民共和国が滅びない程度に助けるという方針を固めたと本書では分析されてます。
 8月28日には反抗に転じた人民共和国の部隊(ここでは著者はおそらくロシアの正規軍が含まれていたと書いている(359p)がマリウポリに迫りますが、著者は第一ミンスク合意をうまくいかせるための陽動的な作戦とみています。

 著者は2014年8月後半と2017年8月にドネツクに入ったそうですが、荒廃していたドネツクの街は、2017年人あるとロシアの援助もあって街もきれいになり、活気があったといいます。 
 政治的にもロシアの影響力が強まり、「建国者」たちや共産党などがパージされていきます。
 また、戦闘は落ち着いていたとはいえ、ウクライナ側からの砲撃は続いており、それに対する被害者意識がドネツク人民共和国の紐帯を強めたと著者はみています。

 第5章では今回の戦争(本書では露ウ戦争と呼称)が分析されています。
 まず、分離紛争解決の処方箋として、①連邦化、②land-for-peace(分離政体が実効支配地域の一部を献上することで独立を認めらもらう)、③パトロン国家による分離国家の承認、④親国家による再征服、⑤パトロン固化による親国家の破壊、の5つがあげられています。

 ①の解決方法については、ミンスク合意が基本的にはこの路線です。ただし、しばらく分離したあとに戻ってくることになると有権者のバランスが崩れます。沿ドニエストル共和国についてはもし戻ってきたらモルドヴァの政治家が困るとも言われており、ドンバスもそうかもしれないと著者は言います。
 ②はあまりない策で、③は南オセチアなどでとられました。また、2022年2月21日にロシアがドンバスの2共和国を承認したのもこれにあたります。
 
 ④について、著者はゼレンスキーがこれを目指していたとしています(第6章の第2節のタイトルは「ゼレンスキー政権の再征服政策)。
 ゼレンスキーは大統領選挙で、「ミンスク合意のリセット」を訴え、人民共和国の指導者とは会わずにプーチンとの直接会談による事態の打開を目指しました。
2021年になるとゼレンスキー政権の人民共和国に対する態度は厳しくなりますが、これはアゼルバイジャンのカラバフ紛争での勝利を見て、強硬策を検討し始めたためだとみています。

 前述のようにロシアは2共和国の承認に踏み切ります。③を志向したわけですが、3日後の2月24日にはウクライナへの全面侵攻、すなわち⑤に踏み切ります。
 プーチンはこの戦争を「予防戦争」だとしましたが、著者もこの理由付けは苦しいとしています。
 結局、プーチンはウクライナの体制変更を目指す戦いを始めますが、キエフ急襲作戦は失敗し、領土獲得に目的を変更して戦争が続きます。

 著者は、今回の戦争をNATOの拡大とそれに対するロシアの反発といった図式で見ることには反対で、あくまでもウクライナの問題だとみています。
 ロシアとウクライナは切っても切れない関係ですが、このような戦争を経験してしまった今、ウクライナから分離した地域の扱いを始めとして、露ウがどのように打開できるとかというと、なかなか難しいという結論になります。

 このまとめでは詳しく書きませんでしたが、本書ではクリミア自治共和国やドネツク人民共和国の政治家の動きなども追っており、他では得ることのできない情報を知ることができます。
 ただ、途中で何回か書きましたが、あまりにロシアの介入という要因が後景に退いてしまっているように思えます。もちろん、ウクライナはさまざまな問題を抱えた統一感のない国家だったのは事実でしょうが、やはり、ウクライナの分裂や今回の戦争に関してはロシアに一番の責任があると思うのです。
 今回の戦争について知りたいと思って、本書をまず初めに手に取るのはお薦めできないので、2冊め、3冊目の本ということになるでしょうね。
 

鳥越皓之『村の社会学』(ちくま新書) 5点

 山下祐介『限界集落の真実』、荒木田岳『村の日本近代史』、細谷昂『日本の農村』など、「村」をテーマにした新書を意外によく出しているちくま新書から、今度は「村の社会学」というタイトルを持つ本が登場しました。
 村は閉鎖的で前近代的なものと否定されがちですが、本書では村の持つ意味やその人間関係について改めて光を当てて考察しています。
 
 ただし、全体的にその考察は浅く、面白い着眼点がいくつかあるものの。それがあまり深められないままに、村の存在が肯定されている印象を受けます。
 個人的には、もう少し村の持つ抑圧とかに正面から向き合った上で、「それでもなお村は意味があるのだ」というような議論をしてほしかったです。

 目次は以下の通り。
第1章 村の知恵とコミュニティ
第2章 村とローカル・ルール
第3章 村のしくみ
第4章 村のはたらき
第5章 村における人間関係
第6章 村の評価と村の思想

 「ムラ社会」というと否定的なニュアンスで用いられることが多いですが、「コミュニティ」と言えば肯定的に用いられることが多いでしょう。同じように、「なわばり」というと古臭くて排他的なイメージがありますが、「居場所」と言えば、現代社会に必要なものと感じられるかもしれません。
 一方、「田舎の人は素朴で親切」といった言われ方もします。「素朴」かどうかはさておいて、著者は「親切」ではあるだろうと述べています。なぜなら、村では都市よりも「他者への配慮」が求められるからです。

 「村」には、地方自治体としての村と、「村落」「集落」なとと呼ばれる地域的なまとまりという2つの意味があります。後者は「部落」とも呼ばれていましたが、現在では被差別部落の問題もあってこの言葉は使いにくくなっています。
 本書が扱うのは後者の「村」で、氏神と神社、寺、祭り、道普請などの共同作業があります。
 だいたい江戸時代から続いていることが多く(ただし、荒木田岳『村の日本近代史』によると江戸時代の村も自然村落とは言えないものが多く混じっている)、村単位で年貢を納め、自治的な運営が行われていました。

 こうした村ではメンバーがやらなければならないこともありますが、それを「強制」という言葉で表せるかというと微妙だといいます。
 例えば、東日本大震災のときに福島県の川内村のある区では、区長からの放送によって避難民への食糧援助が呼びかけられて炊き出しがなされましたが、必ずしも「強制」とは言い難く、著者は「つとめ」という言葉がしっくりくるだろうといいます。

 例えば、道普請に出てこない人には1000円を徴収することを決めていた集落があり、それだけ聞けば「強制」ですが、独り暮らしの老婦人に対しては集会所に顔出すだけでいいというような運用がなされていたそうです。
 ある種の「スジ」、あるいは「タテマエ」が満たされていれば、それでいいのです。

 このようなコミュニティは、町では町内会という形でつくられましたし、近年では小学校の学区単位でコミュニティをつくろうという動きもあります。

 一口に日本の村と言ってもさまざまなものがあります。例えば、本家と分家などの家格が重視される村もあれば、年齢階梯制村落と言って年齢を基準にして村人の格が決まるような村もあります。そうした村では同世代の年長者をアニ、アネ、親世代をトト、カカ、オジ、オバ、祖父母の世代をジイ、バアとつけて呼びます。「健次アニ」のような形です。
 この家格と年齢というのは程度問題という面もあって、家格が重視される村でも青年団では年齢が重視されますし、家格の影響が弱い村でも結婚となると家格が持ち出されたりします。
 また、村での共同作業などでは「経験」が重視されます。

 本家と分家の関係は一見すると搾取・被搾取の関係にも見えますが、有賀喜左衛門はその本質を庇護・奉仕関係であると指摘しました。
 例えば、兄弟が3人いれば、田畑を平等に相続させることはせずに次男・三男には与えたとしても僅かな土地しか与えません。次男や三男の家は作付けなどの本家の労働を基本的には無償で手伝います。これだけだと一方的に搾取されている形ですが、その代わりに飢饉などのときには本家が分家の面倒をみる「保険」のようなはたらきがあるというのです。

 村には本家−分家といったタテの関係もありますが、講組関係とも呼ばれるヨコの関係もあります。福武直は東北には同族関係を基礎にした村落、西南日本には講組関係を基礎として村落が多いと指摘しました。

 村にはその下位組織として組やカイト(垣内)と呼ばれる地域組織が存在します。葬式や年中行事、水利の整備や清掃などを行いますが、こうした組織は家格など関係なしにフラットなものになっていることが多いです。
 
 他にも経済的な講として知られている頼母子講、おばあさんがよく集る観音講、若い主婦が集まる子安講、戸主が集まる日待講、特定の日に全員が集まる庚申講など、さまざまな講と呼ばれる集まりがあります。
 観音講という名前から見てもわかるように、表向きは信仰のために集まっているのですが、中心となるのはメンバー同士おしゃべりです。ただ、「講に行く」ということで、例えばお嫁さんなどでも堂々と出かけていくことができるわけです。

 また、水田というのは人工的な構築物であり、常に人が整備し、手をかけなければ維持できません。
 水源を維持するためには山林を整備することも必要であり、肥料に使う若枝、下草、落ち葉なども主に山から得ていました。そのために各村は山を持ち、山がないところでは平地に林を整備しました。
 
 こうした山や林は村の共同占有という形になります。そして、こうした場所を維持するためには共同労働が必要になります。個人の土地であれば個人が管理すればいいわけですが、共同占有という形なので共同労働という形をとるのです。
 この共同占有地は山や林や川以外にも、神社、共同墓地、集会所、灌漑池などがあります。共同占有地であっても特定の個人が集中的に利用しているようなケースでは、一種の利用権のようなものも発生します。

 共同占有地を維持するためにはメンバーが「自腹を切る」ことが必要です。そのためエゴイズムを抑える必要がありますが、農業経済学者の玉城哲によると、「個々の家いえが強いエゴイズムをもった「経済主体」になっているにもかかわらず、むらのような集団の中でそのエゴイズムを互いに主張しあうわけにはゆかない」ため、「むらは、エゴイズムを秘めながら、その表面化を抑圧する装置として働いていた」(108−109p)とのことです。

 村では弱者の救済も行われますが、それは単純な施しではなく、何らかの役目を担ってもらう形で行われることが多いと言います。柳田國男が紹介する「火炊き婆」という長者の家の台所で火の番をする老婆などはその例と言えるでしょう。
 一般的な家庭でも高齢者に対しては子守の役目が与えられ、生産活動に従事する現役世代をバクアップしています。

 貧民に対しては、何らかの特権を付与することでその生活を成り立たせようとさせるケースもあります。例えば、山での焼き畑を許したり、動物やキノコ、小魚などを取る権利をもたせるのです。

 このように弱者を包摂する機能を持っていた村ですが、不始末を犯した者には厳しく、特に火事は許されない失敗として罰せられました。ある村では、火事を出すとその家は村の境界の外側に住むことを強制されたと言います。

 著者は村における教育について「非凡教育」ではなく「平凡教育」だとしています。
 非凡教育とは抜きん出た才能を育てるためのもので、テストなどによって順序がつけられます。一方、平凡教育はその地域社会で生きていくための知識を身につけるためのものであり、知らないと困りますが、仲間内で優越する必要はありません。
 著者は『サザエさん』におけるカツオが平凡教育の重要性を主張しているとして注目しています。

 村ではメンバー同士のコミュニケーションが重視されますが、まずはあいさつから始まります。
 群馬県みなかみ町藤原では、「こないだは」→「お達者で」→「今日も良い天気で」といった天候の話を客と主人がお互いに言い合ったあとで、今日の要件を切り出すという形でコミュニケーションが行われていたそうです。
 コミュニケーションに「型」があるわけですが、この型がありからこそコミュニケーションが苦手な人でも話がしやすいという面もあります。

 村では流動性がなく、同じメンバーで暮らし続けていくことから不公平が嫌われます。
 例えば、毎年、村人に畑の土地を割り振っていく割地制度は、特定の家だけが良い土地を占有したりしないための知恵だと思われます。
 村では寄り合いによって意思決定がなされますが、そこでは全員一致が原則とされます。民主的な決定方法としては多数決が思い浮かびますが、多数決は多数が少数に我慢を強いることにもつながります。
 そのために寄り合いは長時間に及び、村の活動が停滞してしまうこともありますが、それよりも全員の賛成というものが優先されるのです。

 こうした村は個人の自由を束縛するものとしても捉えられてきました。島崎藤村にしろ太宰治にしろ、日本の近代文学では村や家の束縛からどうやって自立的な個を確立させるかということが課題になっていました。

 一方、近代化に伴って村は自然に消滅していくのだという議論もあります。現在のところ、企業主体の農業はそれほど広まっておらず、やはり村という共同体がなければ農業を続けていくことは難しいと思われますが、農業の衰退と過疎によって村が消えていくというシナリオはあり得るでしょう。

 それでも著者は日本の村に共和主義を重ねて、これを擁護しようとしています。日本には根付かなかった思想だと思われている共和主義ですが、個人よりも仲間集団を大切にする共和主義は日本の村の考えと似ているというのです。
 もちろん、共和主義には反君主制の意味合いもあり、そうすると天皇制はどうなるのだ? ということになりますが、著者はこの部分をカッコに入れて、個人が仲間のために自己犠牲を払うという部分を重視し、日本の村は共和主義的であると主張しています。

 ここまで本書で興味を持った点を中心にまとめてみましたが、面白い論点はいろいろとあるんですけど、全体的に掘り下げが弱い感じがします。例えば、最後の共和主義の話でも、その共和主義的な村が戦前・戦中は天皇制を支えるイデオロギー装置みたいに見られたのはなぜなのか? など、もっと掘り下げてみるべきではないかと思います。

 日本の村はそれこそ鎌倉時代後期とか室町時代から続いてきたもので、そのスタイルに一種の合理性があるのは確かだと思います。ただ、同時に「ムラ社会」という言葉が否定的に語られることが多いように、否定されるべき対象であったことも確かでしょう。その否定されるべきものを含んだ議論が読みたかったなという印象です。


峯陽一『2100年の世界地図』(岩波新書) 5点

 サブタイトルは「アフラシアの時代」。「アフラシア」とはアフリカとアジアを合わせた造語で(この言葉自体はトインビーが用いている)、2100年にアジアとアフリカに住む人々がそれぞれ全世界の約4割となり合わせて8割になることを見据えながら、2100年の世界を展望した本になります。
 大まかに分けると、前半は2100年の未来予測にあてられており、後半は「アフラシアの時代」にふさわしい理念を探る試みとなっています。
 冒頭のカラー口絵をはじめとして前半の予測の部分は興味深いと思います。ただし、後半の理念の部分では「反西洋」が核となってしまっていて、「「アフラシア」といっても「アジア主義」の変形に過ぎないのでは?」という感想を持ってしまいました。

 目次は以下の通り。
第1部 2100年の世界地図
 第1章 22世紀に向かう人口変化
 第2章 定常状態への軟着陸
 第3章 新たな経済圏と水平移民
第2部 後にいる者が先になる
 第4章 ユーラシアの接続性
 第5章 大陸と海のフロンティア
 第6章 二つのシナリオ
第3部 アフラシアの時代
 第7章 汎地域主義の萌芽
 第8章 イスラーム
 第9章 「南」のコミュニケーション
終章 共同体を想像する

 21世紀の終わりの2100年、世界人口は112億人程度になると予想されています。
 そして、驚くべきはアフリカにおける人口増加です。ヨーロッパの人口が減少し、アジアでも2050年あたりをピークに人口は減少しますが、アフリカは21世紀を増え続け、2001年の約8億4千万人から2100年には約46億7千万人となり、約47億8千万人のアジアに肉薄します(9p図1−1、表1−1参照)。
 国別で見ても、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、タンザニアといった国々で人口が大きく増加し、特にナイジェリアは2100年には人口は約8億人に達し、インドネシアやアメリカを上回り世界第3位の人口になると予測されています。
 また、2100年には世界で高齢化が進み世界の高齢者人口の割合は35.5%になると予測されていますが、アフリカの高齢者人口の割合は14.6%であり(19p)、深刻な高齢化に直面しない唯一の地域となります。
 
 他の予測と違って人口予測はある程度長期の状態を予測できます。これは急に出生率が急上昇したり急降下したりしないこと、例えば20年後において20歳以上の人は現時点ですでに存在していることなどから導かれます。もちろん、地球規模の天災やパンデミックなどによって人口が大きく減る可能性はありますが、現在の人口やトレンドからある程度の予測が可能です。
 基本的に世界の出生率は低下傾向にあります。アフリカは高い出生率を誇っていますが。、それでも1960年代の6.72をピークに2010−15年には4.72まで低下しており(34p)、今後もこのトレンドは継続すると考えられます。
 アフリカの出生率も22世紀はじめには2.0代に落ち着くと見られており、世界人口も落ち着いてくると予想されているのです。

 22世紀はじめに世界人口が落ち着くとしても、心配なのはそれだけの人口をまかなえる食糧があるのかということです。ご存知のようにマルサスは悲観的な見方をしていましたが、実際には食糧生産は人口以上の伸びを見せており、現在のところ破局とはなっていません。
 ただし、温暖化が進めば熱帯地域で農業生産が打撃を受けると考えられており(口絵14参照)、問題になる可能性があります。

 人口動態に大きな影響を与える可能性があるのが移民です。移民というとアフリカやアジア、ラテンアメリカからヨーロッパやアメリカを目指す移民が思い浮かびますが、実際に多いのは地域内の移民であり、特にアジア内の移民が多くなっています(58p図3−2参照)。
 また、近年では中国からアフリカへと向かい人の動きも目立ちますが、将来的には出生率の高いアフリカから少子高齢化の進むアジアへの移民が進むかもしれません。

 ここまでが第1部、以降の第2部と第3部が「理念編」というべき部分になります。
 第4章では、フランクの『リオリエント』、ポメランツの『大分岐』、アリギの『北京のアダム・スミス』を用いながら、18世紀までは必ずしも西洋の優位が確立していたわけではないことを示し、ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』の決定論的な見方を批判してます。
 ただし、例えば著者は「ダイアモンドの議論には、近年の西洋中心主義の自己批判、あるいは「アジアの再興」といった議論の流れに対して、周到に挑戦する側面があり、その意味で溜飲を下げた読者も世界には多かったのではないだろうか」(83p)と書きますが、本当にそうなのでしょうか?
 著者の議論には「反西洋主義」のバイアスがかかっているようにも思えます。

 第5章ではルソーの『社会契約論』における野生人の話から、移動する人と多文化共生を構想しています。
 多文化主義は9.11テロ以降やや旗色が悪い状況ですが、著者は東京の下町などに見られるさまざまな国籍の人の「よそよそしい共存」という状態に期待を寄せています。EUとは違い、ASEANやAUでは加盟国の内政にそれほど干渉しません。そういった形の共存が可能ではないかというのです。
 
 第6章では今後のアフリカとアジアについて分裂と収斂という2つのシナリオを提示しています。
 まず、分裂のシナリオですが、これはアジアが経済成長する一方で、そのアジアがアフリカの資源を収奪するようなシナリオです。アフリカに対する投機的な投資は地下資源だけではなく、農産物などにも及んでおり、状況をますます悪化させる可能性があります。
 一方、アフリカで人口が増加し人口密度もアジア並みに高まってくる中で、労働成約型の製造業が発展するシナリオも考えられます。これにはアジア諸国がアフリカの人的資源の育成などに力を貸すことが必要です。

 第7章は「汎地域主義の萌芽」として、バンドン会議や汎アジア主義、汎アフリカ主義の思想を振り返っています。
 汎アジア主義としてはタゴール、岡倉覚三(天心)、孫文らが、汎アフリカ主義としてはフランス領マルチニックの詩人エメ・セゼール、タンザニアのニエレレ大統領、アパルトヘイトに反対し30歳で獄死した南アフリカのスティーヴ・ビコの言葉が紹介されています。
 いずれにも西洋流の考えや資本主義に対する道徳的な批判があります。もちろん、植民地支配の歴史などを考えるとこれらの批判は正当なのですが、こうした西洋批判の上に新しい何かが生まれるのかといえば、個人的には疑問です。

 第8章はイスラームについて。もしもアフリカとアジアが結びつく要素があるとすればこれでしょう。北アフリカから中央アジアに広がる一帯はもちろんのこと、イスラームはサブサハラ地域にも東南アジアにも広がっています。特に2050年のムスリム人口の予測を見ると(155p図8−2参照)、サブサハラ地域のムスリム人口は大きく伸び、その存在感も大きくなっています。
 イスラームは「不寛容」だというイメージがあるかもしれませんが、イスラームはアフリカの土着の教えも容認しながら勢力を広げています。そうしたこともあって「アフリカでは宗教を軸とする紛争がまれ」(162p)です。
 
 第9章では「「南」のコミュニケーション」と題して、アジアとアフリカのコミュニケーションを言語面から考察しています。
 著者は「交通の言語」、「理知の言語」、「情愛の言語」という3つの言語を想定しています。他者同士の意思疎通を行う「交通の言語」や学術研究などに使う「理知の言語」においては英語が強く、またいくつかの言語にその可能性がありますが、母語は「情愛の言語」として残るだろうとしています。

 こうした考察を経た上で、著者は終章で次のように述べています。

 アフラシアは、外にも内にも敵をつくらない温和な共同体になれるだろうか。アフリカとアジアに生きる人々を情念によって結びつける根拠があるとしたら、それは歴史的な他者との関係、すなわち西ヨーロッパという異空間の政治権力によって植民地支配を受けた歴史的経験だけである。この広大な空間を束ねる共通の属性は、他には存在しない。エチオピアやリベリア、タイや日本のように、植民地支配を免れた国々もあったが、面として地域を見ると、これらの国々も列強が支配を狙う対象だった。歴史的に日本は、列強の侵略に対する一種の過剰反応として、自ら帝国に化けてしまった。植民地的な関係が繰り返されてはならない。大国が中小国の自由を奪うことがあってはならいない。アフラシアは、「義」による想像の共同体である。(187p)

 個人的にはこの「反西洋」を軸とした連帯は健全なものとは思えませんし、植民地支配の経験をキーにするのであれば、やはり日本はアフラシアから外れるのではないでしょうか。
 いくら地理的なくくりは同じだとはいえ、日本にとって西アジアは遠い存在ですし、アフリカはなおさらです。まさに彼らは「他者」になります。もちろん、「他者」同士の連帯は可能ですが、そこで下手に「反西洋」の理念を持ち出しても、戦前のアジア主義がうまくいかなかったように、アフラシアもうまくいかないのではないでしょうか。
 個人的にアフラシアをまとめる可能性がある理念はイスラームしかないように思えますが、そうなれば、そのアフラシアからおそらく日本や中国などは外れることになるでしょう。

 最初に述べたように、前半の将来予測の部分は面白いと思いますが、後半の理念編の部分には大きな問題があるように思えます。20世紀半ばまでつづいた植民地支配はアフリカやアジアに大きな傷をもたらしたことは確かですが、その傷をテコにした共同体に未来があるとは思えないのです。


紀谷昌彦『南スーダンに平和をつくる』(ちくま新書) 5点

 2015年4月から2017年9月までの約2年半、日本の南スーダン大使を著者による、その仕事と日本の国際貢献のあり方を論じた本。
 南スーダン大使という当事者による記録は貴重ではありますが、外務省のプレスリリース的な部分が多く、著者個人の分析があまり出ていないのが少し残念なところ。また、南スーダン情勢に関してもそれほどわかりやすい説明がなされているわけではないので、2016年のジュバ衝突のインパクトや、衝突がなぜ起こって、どのように収拾されたのかといった点はあまり見えてきません。
 ただ、やはり当事者の記録や提言には興味深いところもあり、なるほどと思わせる部分もあります。

 目次は以下の通り。
第1章 南スーダン問題の構造―現場の視点から
第2章 政治プロセス―国内と国際社会の取り組みの双方を後押し
第3章 国連PKO―自衛隊のインパクト
第4章 開発支援―JICAが支えた国づくり
第5章 人道支援―国際機関と連携したリーダーシップ
第6章 NGO支援―現地NGOと連携した展開
第7章 危機管理―平和構築支援の安全確保

 南スーダンは2011年に独立した新しい国です。スーダンはもともと北部にアラブ系民族が、南部にアフリカ系民族が暮らしていいた土地で、英国がこの地域を支配する中で、南部を「閉鎖地域」として南北の交流を制限したことから、南北の分断が進みました。
 第二次世界大戦後は、英国もこの分断政策を改め、南北の統合をはかりますが、1956年のスーダン独立の前年から北部と南部の間で内戦が始まり、最終的に2005年に南北包括和平合意が署名され、2011年の国民投票によって南スーダンの独立が決まります。
 しかし、独立後には与党SPLM内の権力争いが持ち上がり、2013年12月から政府軍(SPLA)と反政府軍(SPLA‐IO)の衝突が起こりました。著者が赴任した2015年の5月は政府と反政府勢力の衝突解決合意が署名される直前の時期で、政情が安定しない中での赴任でした。難民・国内避難民は400万人以上で、国民の約3分の1にのぼっています。
 
 南スーダンにはさまざまなアクターが関わっています。まず周辺国としてエチオピア、ウガンダ、ケニア、スーダンなどが加盟する政府間開発機構(IGAD)があり、その外側にはAU(アフリカ連合)があります。
 もちろん、国連もPKOを派遣しており、その関与は大きいですが、先進国の中では米国、英国、ノルウェーが「トロイカ」として政治プロセスの支援や人道支援をリードしています。さらに、南スーダンの石油に投資している中国、エチオピアと関係の深いイタリアなども、南スーダンに関わっています。

 2015年の衝突解決合意でイニシアティブをとったのは米国でした。米国の圧力によって南スーダンのキール大統領は衝突解決合意に署名し、反政府派だったマシャール前副大統領が、第一副大統領として国民暫定政府に加わりました。
 ところが、この合意は2016年のジュバ衝突によって崩れてしまいます。マシャール副大統領はジュバから逃走し、反政府勢力の間でも分裂騒ぎが起こったのです。

 こうした中で日本は融和的に動いています。米国は南スーダン政府に対する武器禁輸と個人制裁強化決議案を国連安保理に提出しますが、日本は棄権に回り、この決議案は否決されました(60p)。対米追従にイメージが強い日本ですが、独自の動きを見せていたことがわかります。

 第3章以降では、日本の行ったさまざまな支援が紹介されています。
 まずは自衛隊のPKO活動です。日報問題のイメージが強くなってしまった自衛隊のPKO活動ですが、南スーダンには2012年から約350名規模の施設部隊が派遣されていました。
 自衛隊の施設部隊はUNMISS(国連スーダン・ミッション)の活動のために派遣されえおり、UNMISSの安全確保のための防護壁や退避壕の設置や強化などを行いました。さらに、南スーダンの国民にとってもプラスとなる幹線道路の整備も自衛隊は行いました。

 また、この本を読むと自衛隊が細々とした交流を行っていたことも見えてきます。孤児院の訪問や、ねぶたをはじめとする日本の祭りの披露、空手の演舞の披露、スポーツ大会のための会場整備や、スポーツ交流など、現地の人々との交流を積極的に行っていたことが見えてきます。
 ただし、ジュバ衝突のときに自衛隊がどれくらい危険な状況下にあったのかということなどは書かれていません。

 第4章では、JICAを中心とした開発支援を扱っていますが、まずは政府に問題がある場合に支援を継続すべきかという問題がとり上げられています。
 欧米諸国は、南スーダン政府が対立をつくり出しているとして、援助を続けることは悪行に対して報奨を与えるようなものだという観点から支援の継続に否定的ですが、日本は政府と国民を峻別することは容易ではないとし、国民のためにも援助を継続すべきだというスタンスです。

 南スーダンは産油国であり、本来ならば比較的財源には恵まれているはずなのですが、政府が南スーダンポンドとドルの公定レートと実勢レートの乖離を放置して、特定の業者に公定レートでドルを手にすることができるようにしたせいで、外貨は流出し、財政状況は悪化していきました(108p)。

 そんな中で日本は治安部門に対して一貫して援助を続けるとともに、JICAを通じてさまざまなインフラ整備などを行いました。
 例えば、ナイル川に架ける橋「フリーダム・ブリッジ」の建設やジュバでの上下水道の整備などがあげられます。ただし、地元の期待も高かったこの2つの事業も2016年のジュバ衝突でストップしてしまったそうです。

 ただ、それ以外にも河川港の建設や農業・灌漑のマスタープランの作成、職業訓練、税関支援、スポーツ支援とオリンピックへの選手派遣など、さまざまな分野で日本による支援が行われていることがわかります。

 第5章では人道支援がとり上げられています。南スーダンのような内戦状態の国では、地方への支援は反政府勢力に流れてしまう恐れがあり、政府は地方への支援に消極的です。また、支援する側の安全を確保する必要も出てきます。
 また、短期的に人道支援は必要ですが、それに依存してしまうようになると、逆に経済発展が阻害される恐れも出てきます。
 
 日本に関しては、特に強調されているわけではありませんが、この章を読む限り、予算的な制約が厳しいようで、特定の分野に大規模な支援を行うよりも、ややニッチな部分に小さな予算を出していく「細切れ作戦」で支援を行っているとのことです。
 例えば、献血制度の構築や、警察支援、南スーダンの若手実務者を国連訓練調査研究所の広島事務所に招いての研修などがあげられます。

 第6章はNGOについて。南スーダンではさまざまなNGOが支援活動にあたっていますが、南スーダン政府のNGOに対する見方は必ずしも好意的なものではありません。
 南スーダン政府の関係者は、南スーダンに対する援助資金の多くがNGOの職員の給与等にあてられているのではないかと疑っており、NGOの登録料引き上げなどを試みたりもしたそうです(184p)。

 そうした中で、日本の大使館としてはまずはNGOにたずさわる日本人の安全確保が問題となります。南スーダンでは、2013年12月以降、ジュバ以外の地域はレベル4(退避勧告)であったため、撤退を余儀なくされたNGOもいました。
 著者自身は、国際NGOの中には国連などと緊密に連携しつつ活動を継続した団体も多いので、日本のNGOも同様に活動できるのではないか? と考えたりもしたそうですが、やはり邦人の安全確保が優先されたのです。

 一方、各国のNGOが行っている支援に対して、日本の大使館として資金協力を行う「草の根無償」というプロジェクトも行われました。 
 さらに、この章では、南スーダンからのハチミツの輸出など、ビジネスの可能性についても触れられています。

 第7章は「危機管理」というタイトルで、UNMISSや南スーダンの治安機関との連携の大切さ、ジュバ衝突の時にいかに動いたかということが簡単に触れられています。ただし、ここの記述は報告書のような感じで、実際の緊迫感などはあまり伝わってきません。

 数々のプロジェクトが中心になっていることからもわかるように、ジュバ衝突は大きなインパクトを持った出来事のはずなのですが、その衝撃がぼかされているような印象を受けるのがこの本の欠点なのではないかと思います。
 自衛隊の日報隠しではないですが、深刻な事態のはずなのに立場的にそれを書けないのではないかと邪推していまいます。

 ただ、副題に「「オールジャパン」の国際貢献」とつけながら、「おわりに」では「ただし、「オールジャパン」という松明は、日本の関係者を広く巻き込む上では効果的だが、他の支援国・機関を尻込みさせ、遮断させることにつながりかねないという点には注意すべきである」(221p)など、著者の経験に則した個人的な見解がうちだされている部分もあり、そういった部分に関しては興味深いです。


池上彰・上田紀行・中島岳志・弓山達也『平成論』(NHK出版新書) 5点

 少し前に出たものですが、ひょんなことから手に入ったので読んでみました。
 「平成論」という大きなタイトルが掲げられていますが、副題は「「生きづらさ」の30年を考える」で、宗教の問題を中心に平成という時代を論じたものになります。
 著者の4人がそれぞれ論考を寄せるような形の構成となっており、わかりやすく読みやすいですが、同時に論じ方はやや荒っぽいなと感じさせる面もあります。ちなみに著者の4人はいずれも東京工業大学でリベラルアーツ教育に携わっている教授や匿名教授になります。
 以下ではそれぞれの論考を簡単に見ていきたいと思います。

 目次は以下の通り。
はじめに 大正大学客員教授 渡邊直樹
第1章 世界のなかの平成日本──池上 彰
第2章 スピリチュアルからスピリチュアリティへ──弓山達也
第3章 仏教は日本を救えるか──上田紀行
第4章 平成ネオ・ナショナリズムを超えて──中島岳志
おわりに  上田紀行

 まずは池上彰の第1章ですが、ここでは平成の30年を、冷戦の終結、バブル経済の崩壊、地下鉄サリン事件、同時多発テロ、IS、リーマン・ショック、東日本大震災などの出来事をたどる形で振り返っています。そして、ここでキーワードをして上がるのが宗教です。
 冷戦の終結は平和をもたらすかに思われましたが、代わって登場したのが宗教対立でした。また、アメリカではキリスト教原理主義が勢力を広げ、日本でもオウム真理教という宗教団体によるテロ事件が起きました。宗教に再び注目が集まったのがこの30年とも言えるのです。

 ただ、わかりやすいストーリーではあるものの、議論にはやや荒っぽいところがあって、個々のトピックに関しては注意して読む必要があります。
 例えば、「「バース党員の公職追放」の報は、シーア派にしてみれば絶好のチャンスです。統治機構が崩壊し、無政府状態となったイラク国内でシーア派によるスンニ派攻撃が始まります」(36p)といった記述は、池内恵『シーア派とスンニ派』を読んだ身からするとずいぶん荒っぽいものに思えます。宗派対立が最初からあったというよりは、無政府状態の中で宗派が見出されていったという池内恵の見方が適切でしょう。
 他にもオウムとISに参加する人々を自殺願望のある若者というキーワードでくくり、それを受けて「イラクやシリアの内戦で実際に戦っている兵士や、戦火から逃れようとする避難民はどうかと言えば、彼らは自殺しません」(45p)という記述も、やや乱暴だと思います。吉田裕『日本軍兵士』(中公新書)を読めば、状況によっては兵士のほうが高い自殺率になることもわかります。

 第2章では、弓山達也が平成の日本の宗教事情を振り返りながら分析していますが、この章は面白いと思います。
 80年代、世界的なニューエイジ・ブームの中で、日本でも自分探し・輪廻転生、意識変容と行ったものが流行します。オウム真理教もその流れの中で登場していきました。筆者は1988年に麻原彰晃の説法を聞いたことがあるそうですが、会場が閉まった後も近所の公園で夜遅くまで続いた質疑応答を聞いて、ある人は「ブッダの初転法輪ってこんな感じだったんじゃないか」(67p)と言ったといいます。

 しかし、このオウム真理教が引き起こした95年の地下鉄サリン事件が日本の宗教に大きな衝撃をもたらします。
 87pに載っている「宗教を信じるか」という問いへの答えの推移を示したグラフを見ると、95年を境に「信じていない」が60%台後半から70%台前半に上がってきますし(一方、東日本大震災はこの質問の答えにあまり影響を与えていない)、94年から2014年にかけて、天理教の信者は189万人から117万人に、立正佼成会は655万人から309万人へと大きく減少しています(74p)。もちろん、信者の高齢化などの要因もあるのでしょうが、オウム以降、新たな信者獲得が難しくなっている状況があるのでしょう。
 
 ただし、宗教的なものが消え去ったかいうとそうではありません。平成における宗教的なものとしては00年代半ば以降のスピリチュアル・ブームがあります。
 05年に江原啓之の「オーラの泉」が始まり、07年からはゴールデンに進出しますが、それとともにスピリチュアルなものへの関心が高まり、「すぴこん」と呼ばれるイベントが多くの人を集めました。これがパワースポット・ブームなどにもつながっていくわけですが、この「すぴこん」では教団宗教は排除されました(84p)。
 著者は、章の後半で、東日本大震災が日本人の宗教的行動への影響は観測されないが(89p図2参照)、個々の僧侶の活動や「祭り」の復興など、震災が日本人の宗教観を再び変えていくのではないかとしていますが、データなどを見る限り、日本人はオウム・ショックによる宗教不信から抜け出せていないように思えます。
 
 第3章は上田紀行が仏教の可能性を検討しているのですが、冒頭から「2000年代半ば、とにかく経済を立て直すことだけに特化した結果、安心や信頼が失われる「第三の敗戦」が起きた」(110p)と書いていて、ガクッときました。第一の敗戦は1945年、第二の敗戦はバブル崩壊らしいですが、この「第三の敗戦」はさすがに「敗戦」概念の乱用ではないかと…。
 この第三の敗戦は、小泉首相が「政治家だって使い捨てだ」と言ったのに対して、著者が大学の授業でそう思うかどうか聞いたところ、200人中100人ほどが手を上げてがっくり来たという体験から来ているそうです。

 また、あなたがある企業に務めていて転勤先の途上国で会社が公害問題をおこしていることを知ったら告発するか?というアンケートをとったときも、200人中180人が「何もしない」しないに手を上げたことにショックを受けたといいます。
 しかし、東日本大震災のあとの11年の3月に、同じアンケートをしたところ「何もしない」が70人に減り、6月に再びアンケートをしたところ「何もしない」が30人になったそうです。著者はここに震災以降の「目覚め」を見るのですが、3月のアンケートはともかくとして、3ヶ月後に同じアンケートをすれば、学生は教員の考えを忖度するのではないでしょうか?
  
 第4章では、中島岳志がナショナリズムをとり上げています。地下鉄サリン事件以降、「生きづらさ」を抱えた若者が宗教に入って行くことができなくなりナショナリズムがその代替的な役割を果たしたという見立てはそのとおりだと思いますし(97年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足、98年に小林よしのりの『戦争論』)、60〜70年代からつづく土着世界への回帰を主張する右翼的なものとスピリチュアルなものには親和性があって、安倍首相の夫人である昭恵氏などは、まさにそれを象徴するような人物だというのもその通りだと思います(昭恵氏が小池都知事との対談(2016年の『週刊現代』で語っという「「日本を取り戻す」ことは「大麻を取り戻すこと」」(181p)という発言は改めてすごい!)。
 
 ただ、材料としては面白いのに、それを分析するロジックが20年前の宮台真司のものとあまり変わらないところがもったいないです。
 著者は岡崎京子『リバーズ・エッジ』、鶴見済『完全自殺マニュアル』といった著作から現代の若者をとりまく「生きづらさ」を取り出すわけですが、ともに25年近く前の著作です。

 むしろ、平成全体を論じる上で注目すべきは、この章に引かれている『完全自殺マニュアル』の「はじめに」にある「あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ」(164p)という、「どうせこの程度のもの」が、いつの間にか考えうる限りかなり望ましい人生になってしまったことではないでしょうか?
 「クレヨンしんちゃん」の父親のヒロシが、「うだつのあがらないサラリーマン」だったはずなのに、今見るとかなり順調に見えてしまうのと同じ問題です。
 この経済状況の変化を織り込まない限り、平成の後半の問題はうまく見えてこないと思うのです。

 また、戦前の血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件に関して「これらの事件の背景にあったのは、天皇による世界統一というビジョンと、そこに加わる若者たちの「生きづらさ」という問題です」(178p)とまとめてしまうのは、さすがに乱暴すぎではないかと。

 このように、全体的に議論の荒さが気になります。また、「生きづらさ」というがマジックワードになってしまっている面もあると思います。
 ただし、ここに提示されている材料に関してはなかなか面白いものがあるので、この本を読んで、改めて平成という時代を振り返って考えてみるのもいいでしょう。

真野俊樹『医療危機』(中公新書) 5点

 同じ中公新書から出た『入門 医療政策』が面白かった著者が、「うまい(医療技術が高い)、安い、早い(待たなくても医療機関を受診できる)」という状況が崩れつつある日本の医療について、医療におけるイノベーションを中心にその改革を探った本。
 増え続ける医療費を前にして、「1 自己負担や保険料を上げて収入の増加をはかる」、「2 医療機関へのアクセス制限や保険適用の範囲を絞って支出の増加を防ぐ」という2つの選択肢が思いつきますが、それ以外の第三の道として「イノベーションによって支出を減らしたり医療資源を節約することはできないだろうか」というのが本書の目指す方向性です。
 アメリカをはじめとしてインド、シンガポール、ドバイ首長国、スイス、エストニアなどさまざまな国での興味深い取り組みが紹介されていますが、前著の『入門 医療政策』に比べると、ややそういったミクロの話がマクロの制度的な話とうまくつながっていない面があるかもしれません。

 目次は以下の通り。
第1章 危機を迎えた医療制度
第2章 アメリカの医療改革に学ぶ(1)
第3章 アメリカの医療改革に学ぶ(2)
第4章 医療に求められるイノベーティブな視点
第5章 医療イノベーションの萌芽
第6章 患者と医師に求められるイノベーション
終章 医療の未来はどこにあるか
 
 OECD加盟国における医療費の対GDP比をみると日本は、アメリカ(16.9%)、スイス(11.5%)につぐ第3位(11.2%)で、上昇傾向にあります(4ー5p)。一方、少子高齢化によって以前のような高い経済成長は難しく、国民皆保険制度を維持するために財政的な負担は厳しくなっていくことが予想されます。
 さらに医療の高度化も医療費を上昇させる一因です。年間約1700万円する抗がん剤のオプジーボ(その後の薬価改定で半額に引き下げられた)や重粒子治療や陽子線治療などは、それまでの治療法に比べるとかなり高額なもので、これらの普及は医療保険制度を揺るがしかねません。

 しかし、その治療法によって慢性的な疾患が治るのであれば話は別です。この本ではC型肝炎の対する新しい薬のことが紹介されています。この薬剤も数百万単位の費用がかかるといいますが、これによってC型肝炎が完治するのであれば、それはかえって経済的かもしれません(23ー24p)。
 つまり、高度な医療が慢性的な疾患を完治させるのであれば、医療技術の発展が医療費を削減するという可能性もありえるのです(このことについては石井哲也『ゲノム編集を問う』(岩波新書)でも触れられていた)。

 これを受けて第2章と第3章ではアメリカの取り組みを紹介しています。前にも述べたようにアメリカの医療費のの対GDP比は突出して高く、医療保険制度も不十分なので(オバマケアができて改善されましたが)、医療改革のお手本としては参考にならない気もします。
 しかし、多くの問題を抱えているからこそ先進的な取り組みがなされているという面もあります。

 ただ、アメリカの取組みについての紹介は、個々の事例としては面白いものの、そうしたミクロの取り組みがマクロな医療制度にどのように反映されているかという点がないので、やや物足りなくも感じました。
 この本で紹介されているメイヨークリニックをはじめとするアメリカのトップクラスの病院の取り組みはやはりすごいですし、スーパーマーケットやドラッグストアに併設されナースプラクティショナーという看護師の上級資格を持つ者が治療にあたるリテールクリニック(コンビニエントクリニック)も興味深かったですが、それがどの程度、医療費の削減などにつながっているのかということはわかりません。

 一方、第5章でとり上げられているインドやエストニアの話はなかなかマクロにもつながる話があってなかなか興味深いです。
 まず、エストニアですが、ここは電子政府のしくみが発展している国として知られていて、IT化は医療の分野にも及んでいます。
 例えば、EHR(Elctronic Health Record)は医師がカルテの要約を共通サーバーにあげるしくみで、そこには患者の家族歴や既往歴、過去の経緯、画像、薬剤アレルギーの有無、薬の服用歴などのデータが集められています。
 この共有情報には医師、看護師、患者がアクセスできます。センシティブな情報も含むためプライバシーを心配する声もあるでしょうが、それに関してはどの医師がいつ自分の情報にアクセスしたのかを患者が知ることができるしくみによって歯止めをかけています(166ー167p)。これは日本ではなかなか思いつかないしくみではないでしょうか。
 
 インドでは医療ツーリズムがとり上げられています。インドの医療ツーリズムの魅力はその価格で、アメリカで7万〜13万3千ドルする冠状動脈バイパス手術はインドでは7千ドルで行えます(127p)。
 インドで医療ツーリズムが発展しているのは、その技術に比較して国内の医療市場が小さい(人口は多いが医療保険は未整備で医療にアクセスできる人が少ない)からです。一方、日本の医療市場は巨大です。「医療ツーリズムが日本の医療を救う」というような言説もありますが、そのシェアから見て医療ツーリズムが日本の医療を大きく変えることはないだろうというのが著者の見立てになります(136p)。

 また、スイスの「自殺ツーリズム」(スイスでは自死幇助が認められているが、それを外国人にも行う)についても、ちらっとだけですが触れられています(157ー159p)。

 こうした各国の医療改革を踏まえて第6章では日本の医療のイノベーションの可能性を探っています。
 ただし、章のタイトルは「患者と医師に求められるイノベーション」となっていて、制度や技術面よりも患者と医師の「心構え」のあり方などが中心です。

 ここでは、患者に求められるイノベーションとして、「救急車の利用を減らす」、「かかりつけ医を持つ」、「QOL(生活の質]の視点を導入する」などが、医師に求められるイノベーションとして、「専門医から家庭医、総合医へ」、「ICTとコミュニケーション」、「リーダーシップの重要性」などがあがっていますが、これらは果たしてイノベーションなのでしょうか?

 もちろん、「小さなイノベーションの集積が大きな変化を生み出す:という考えもあるでしょうが、これらの事項は今までに考えられてきたことの延長で、決してイノベーションというような変化ではないと思います。
 もし、著者の想定する「イノベーション」がこの第6章に書かれていることで尽きているのならば、残念ながら日本の医療費の膨張をイノベーションで乗り切ることは難しいでしょう。

 いくつか面白い材料は出ていますし、医療技術などの最新の動向も知ることが出来るのですが、それらをどう活かして日本の医療制度を変えていくのかというところまでアイディアが練り上げられていない点がやや残念です。
 
医療危機―高齢社会とイノベーション (中公新書)
真野 俊樹
4121024494

米川正子『あやつられる難民』(ちくま新書) 5点

 もと難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員としてルワンダやケニア、コンゴ民主共和国などで活動した著者が、難民支援の実情や偽善性を告発した本。UNHCR職員だった人物による内部からの批判であり、また日本で流布している「虐殺を乗り越えたルワンダ」という言説を真っ向から批判する主張は価値がありますし、著者の熱意というのもうかがえます。
 ただ、残念ながら本の構成や文章の組み立てがあまり良くなく、やや読みづらい本になってしまっています。

 目次は以下の通り。
第一章 難民問題の基本構造
第二章 難民とUNHCR、政府の関係
第三章 難民キャンプの実態とアジェンダ
第四章 難民と安全保障――ルワンダの事例から
第五章 難民の恒久的解決――母国への帰還と難民認定の終了
第六章 人道支援団体の思惑とグローバルな構造

 本書のタイトル「あやつられる難民」とは、難民を支援するはずの政府(難民受け入れ国政府と援助の資金などを拠出する政府)や国連(UNHCR)、NGOがときに難民を利用し操作し、難民に対する加害者になっている現状を告発するためいつけられています(17p)。
 特に著者が活動していたルワンダやコンゴではその傾向が強かったようです。
 著者はこうした中で自らの活動に疑問を感じ、また、難民についての研究者バーバラ・ハレル=ボンド氏の研究に触れることでその認識を深めたといいます。

 おそらく、最初に著者の体験談やバーバラ氏の著作についての説明があるとわかりやすくなったと思うのですが、この著者の体験やバーバラ氏の主張は、このあと細切れに紹介されていく形になり、「難民とは何か?」という大問題に移っていきます。
 ただ、そうした大きな問題の説明の中でもちょくちょく著者の体験が挟み込まれるので、その論旨はわかりにくくなっています。

 第2章ではUNHCRの問題がとり上げられています。
 UNHCRというと日本の緒方貞子が高等弁務官をつとめたこともあり、難民を守る組織として知られています。
 しかし、UNHCRといえども資金を提供するドナー国の影響は無視できず、その方針はしばしばドナー国の政府(アメリカをはじめとする先進諸国)の都合に左右されると言います。
 また、難民を法的に保護する存在から、難民に現地で福祉を提供する存在に変質しつつあるとの指摘もあり(78-80p)、むしろ難民の移動を制限しているケースもあります。
 また、UNHCRの職員の中には難民に対して「上から目線」であったり、自分のキャリアばかりを考えている者もおり、官僚主義的な対応も目につくということです。

 第3章は難民キャンプについて。
 現在では難民を保護する場所として一般的になった難民キャンプですが、そのルーツには捕虜収容所や強制収容所があります。
 本来、難民条約には難民を受入国に統合させていく規定がありますが(117p)、「今日の難民はキャンプで「保管」され、拠出国が提供した支援で生存している」(118p)状態だといいます。
 UNHCRの『緊急対応ハンドブック』には「キャンプは最後の手段」と明記されていますが(119p)、実際はキャンプがあって当然という認識になっているそうです。

 援助物資を届けるためにはキャンプは便利な場所ですが、そのキャンプであっても食料の配給や居住スペースが不十分なこともあり、何よりも長期間のキャンプでの生活は難民の無力感を高めます。
 何もすることがないキャンプの中で子どもたちの間では早い時期から性的行為がさかんになり、今後の難民キャンプでは「15歳以上の女の子の大多数が妊娠しているか出産経験者」(134p)だそうです。
 
 また、男性はやることがなくさらに無力感を高めます。これらの男性が戦闘員にリクルートされてキャンプが「軍事化」することもあります。
 コンゴでは隣国のルワンダが難民をルワンダ兵士にリクルートする例もあるそうで、それらの「コンゴ難民」をコンゴの天然資源の確保に利用しているとのことです(154p)。
 ソマリア難民が身を寄せているケニアのダダーブキャンプでは難民がテロ行為に関わったとして、ケニア政府がキャンプの閉鎖に動くといった事態も起きています(155-158p)。

 第4章はルワンダの事例について。
 映画『ホテル・ルワンダ』などで描かれた1994年のルワンダの虐殺についてはご存知の人も多いでしょう。多数派のフツ族が少数派のツチ族を大規模に虐殺されたとされる事件です。
 その後、ルワンダは「和解が進んだ「開発の成功例」や「アフリカの優等生」というイメージ」(174p)で語られていますが、著者はそれは表層的な見方だといいます。

 ルワンダでは1959年の社会革命後、多くのツチ族が難民として周辺国に流出しました。1987年にこれらの難民は帰還を目指してRPFを創設します。このRPFは「あらゆる可能な手段を使って」の帰還を目指しており(176p)、90年にルワンダに侵攻します。
 そして、94年の虐殺のあとRPF政権が成立し、カガメ大統領が実権を握ります「虐殺を止めた」ということで、国際的なイメージは良いカガメ政権ですが、実際はRPFによるフツ族への虐殺もあったとのことですし、国外に難民として逃れた反対派の人物の暗殺を行ったりもしているそうです。
 カガメ政権はルワンダ国外のルワンダ難民のキャンプにスパイを潜り込ませて監視するなど、抑圧的な姿勢を強めており、また、先述のように隣国のコンゴでは難民を使って天然資源の確保などを行っています。

 第5章は難民の帰還問題について。
 難民が平和裏に帰還できればそれに越したことはありませんが、実際には母国で迫害される恐れのため帰還を躊躇する難民も多いです。
 しかし、問題はないとしてUNHCRが難民を「強制帰還」させることもあるそうです。時に難民受入国やUNHCRが難民への食料の配給を減らすことで帰還を促すこともあるとのことです(226ー228p)。
 特に著者はコンゴからルワンダへと難民が「強制帰還」させられたことを問題視しています。
 難民の地位が喪失される難民地位の終了条項というものがあり、この難民の地位終了が決まると難民は帰還するか受入国で帰化するかの選択を迫られます(238ー239p)。ルワンダ難民に関しては、ルワンダ政府の長年の申請もあり、2009年にUNHCRはルワンダ難民に終了条項を適用すると発表、2013年に実際に適用されました。
 しかし、先ほども述べたように現在のカガメ政権は抑圧的であり、難民の多くは現政権に恐怖心を抱いています。こうした中で終了条項を適用したUNHCRを著者は問題視しているのです。

 第6章は「人道支援」ということにまつわる問題について。
 ここでは基本的に「人道」という名のもとに、犯罪的な行為や国益の追求が行われている現状を告発しています。
 やや難癖に近いものもあるのですが、アメリカのCIAなどが人道支援機関を利用して現地の軍事情報などを探っている疑いがあるという話は頭に入れていてよいかもしれません。

 基本的に個人的に気になった内容はこんなところですが、今まで書いてきたことは決してこの本の正確なまとめにはなっていません。まとめが困難なほどに論旨がいろいろな所に飛んでいるからです。
 最初にも書いたように著者の熱意というものは十分に伝わってきます。ただし、きちんとした構成なしに情報を詰め込んだ感もあり(その情報もきちんとしたものと伝聞が入り交じっている)、著者の言いたいことが十分に伝わるのかというとやや疑問にも思えます(個人的な見解としては、ルワンダ難民の問題を中心に、著者の体験→ルワンダ虐殺の背景説明→ルワンダ難民の実情→UNHCRの機能不全、というような構成にしたほうが良かったのではないかと思います)。


あやつられる難民: 政府、国連、NGOのはざまで (ちくま新書 1240)
米川 正子
448006947X

宮地弘子『デスマーチはなぜなくならないのか』(光文社新書) 5点

 ソフト開発の現場で、いくら仕事をしても仕事が終わらないような状況を「デスマーチ(死の行進)」と呼びます。そのデスマーチについて、自らも元エンジニアである著者が仕事を辞めた後に大学院で社会学を学び、社会学の視点から迫ってみせようとした本。
 自らの経験について、社会学を学んでその視点から語り直そうとする点では、同じ光文社新書の中野円佳『「育休世代」のジレンマ』と重なります(ただ、こちらは上野千鶴子ゼミではないです)。
 そして、『「育休世代」のジレンマ』と同じように自分の経験した、あるいは想像できる出来事ばかりを追っていて、他の事例との比較といった観点は薄いです。
 この本を読んで、「こんなのはデスマーチではない!」と怒る人もいるのではないかと思います。

 目次は以下の通り。
第一章 究極の迷宮――どのようなものづくりとも異なるソフトウェア開発の特質
第二章 「デスマーチ」の語り――ソフトウェア開発者たちに聞く経験
第三章 当事者にとっての「デスマーチ」の経験とは
第四章 「人々の社会学」という考え方――逸脱の問題から常識の問題へ
第五章 「あたりまえ」の起源を探る
第六章 今、「デスマーチ」が問題化していることの意味
第七章 IT化時代の社会問題としての「デスマーチ」

 第一章ではソフトウェア開発の特殊性について述べられています。
 大規模なソフトウェアでは、「ウォーターフォール」モデルという、まず仕様書を作り、その仕様書を拠り所として設計・実装・試験という過程が行われるやり方が採用されることが多いですが、プログラムの構造は複雑であり、プログラムのある部分が他の部分とうまく同調しないこともありますし、また、注文側の変化にニーズに応じてソフトウェアの機能に対し新たな要求が出てきます。結果として、仕様書のとおり作れば万事OKとはならないケースが多いのです。

 第二章、第三章では「デスマーチ」を経験したエンジニアへのインタビューが行われています。
 主にインタビューされているのは三名で、いずれも大手外資系のソフトウェア開発会社X社の社員や元社員です。X社では出勤時間や服装などはかなり自由で、エンジニアの裁量が重視されている会社です。一見すると「デスマーチ」とは無縁の会社ですが、そんな中でも、仕事のしすぎで燃え尽きるエンジニアはいるのです。

 この本で「デスマーチ」の経験者として中心的にインタビューされているのは、40代前半のAさんです。AさんはX社が開発したデジカメのデータ取り込みとデジカメのリモートコントロールをするソフトのプログラマーでした。
 プロジェクトのメンバー仕様を決めスケジュールを管理するエンジニアが1人、試験担当のエンジニアが4人(さまざまなメーカーのデジカメに対応するために試験に人数が必要だった)、そしてプログラマはAさん1人です。
 
 比較的小規模なプロジェクトでしたが、各メーカーごとのデジカメの仕様の違いに泣かされ、プロジェクトは遅れ気味になっていきます。しかも、デジカメに同梱するために納期は厳密に決められており、遅れは許されない状況でした。
 ここでAさんは「できません」とは言えなかったといいます。著者はこの背景にエンジニアの文化を見ています。こうした仕事の抱え込みはエンジニアにとっては当たり前の光景であり、他人に助けを求めるのは「恥」だとされることが多いというのです。
 結局、Aさんは休日出勤を繰り返しなんとか形にしますが、そこで燃え尽きてしまい、いわば「名誉の戦死」(76p)をした形になったといいます。

 このエンジニアの文化に関しては、同じX社に新入社員として入ったBさんへのインタビューからも裏づけられます。
 新入社員だったBさんは、ろくな説明もないままに「とにかくバグをあげろ」という上司に反発し、仕事が残っていても帰っていたといいますが、その割を食う形で同じプロジェクトの先輩社員は「燃え尽きて」退職したといいます。
 新入社員だったBさんには、とにかく「できません」と言わずに仕事を抱え込むエンジニアの文化がわからなかったのです。

 また、Aさんの2回目のインタビューでは、Aさんが浪人時代のバイトからこの業界に入り、ゲームプログラマからX社に中途で入ったという経歴が辿られています。
 学歴もなかったAさんは、ここで「ステータス」を得たわけですが、だからこそ「無能」と思われたくない気持ちも強く、それも仕事の抱え込みにつながったと分析されています。

 第4章は著者の依拠するエスノメソドロジーが紹介されているのですが、「常識、あたりまえを疑う」といったことが紹介されているくらいで、例えば会話分析などには触れられていません。
 ここからもわかるように、この本で行われているインタビューは、普通のインタビューで、会話分析に技法などは使われていません。
 
 第5章では、30年以上ソフトウェア開発の現場で働く女性のCさんのインタビューを通して、ソフトウェア開発環境の変化とその文化の来歴が分析されています。
 国立大の電気工学科を卒業したCさんは、男性社会のなかで就職などにも苦労しますが、大手外資系のX社に入ることで活躍の場を得ました。
 当時にX社の日本法人はかなりいい加減な組織であり、Cさんはカルチャーショックも受けたといいますが、その後、アメリカ本社への長期出張などを通じてエンジニアとしてのキャリアを積んでいきます。
 1990年代のX社は急成長する市場とともに成長しており、若いエンジニアたちが昼夜を問わずに働いていました。

 しかし、そうした雰囲気は2000年前後に変わってきたといいます。ITバブルが弾け、業界の成長に陰りが見られるようになり、Cさんも父の看病などで今までのような働き方はできなくなりました。
 また、Cさんの意識や役割も開発者からビジネスを重視する立場へと変化していったといいます。
 この後、リーマンショックのときにX社でも人員整理が行われ、X社の文化も変わっていきました。内部のやり取りはより官僚主義的になり、また、若手のエンジニアたちも子育てや親の看取りなどもあって今までのような働き方はできなくなってきたといいます。

 こうしたインタビューを経て、著者は「デスマーチ」の原因を次のようにまとめています。
 まず、1人で仕事を抱え込むエンジニアの文化があります。しかしソフトウェアの大規模化と複雑化、さらに草創期を支えたエンジニアたちが年を取り、そのような仕事のやり方は年々難しくなっています。
 ところが、「1人で抱え込む」に変わる文化は職場では育っておらず、エンジニアの文化と現状の齟齬が「デスマーチ」を生み出しているのです。

 おそらく、著者の分析はある程度正しいのだと思います。けれども、多くの人はこれが「デスマーチ」の原因だと言われても納得しないのではないでしょうか?
 これは著者がとり上げた世界というのがソフトウェア開発の中のほんの一部の現場で、多くの人が想定する「デスマーチ」とずれているからだと思います。
 「デスマーチ」といって一般人が思い浮かぶのは、現在進行中のみずほ銀行のシステム開発などではないかと思うのですが、ここではそういった日本の多重下請けシステムの中での「デスマーチ」などはとり上げられていません。この本でとり上げられているのは比較的「スマート」に見える現場のみです。

 また、エスノメソドロジーについて触れられていますが、この程度の分析であれば、わざわざエスノメソドロジーを持ち出さなくても、と感じます。
 新書では難しいかもしれませんが、エスノメソドロジーの名を出すのであれば、もう少し精密なインタビューの分析が欲しい所です。
 ソフトウェア開発の外野から見て、「「プログラマ35歳定年説」ってこんな感じだから言われるのか」みたいな発見はありましたし、業界の変遷など、いくつか面白い部分はあるのですが、「デスマーチ」の分析とすると物足りない面が残ります。


デスマーチはなぜなくならないのか IT化時代の社会問題として考える (光文社新書)
宮地 弘子
4334039545

宇野惟正『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書) 5点

 日本でCDがもっとも売れた1998年、そしてその年にデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという4人のアーティストについて、元『ロッキング・オン・ジャパン』の編集などを務めた著者が語った本。
 90年代J-Popのメインストリームを避けた佐々木敦『ニッポンの音楽』に比べると、宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoに加えて、浜崎あゆみまでを対象にした「メインストリームど真ん中」路線には好感が持てます。
 第2章では「過大評価される渋谷系」という節を設けていますが、これは90年台前半の音楽を「渋谷系」に代表させた佐々木敦『ニッポンの音楽』への批判とも取れるでしょう。

 ただ、語られている内容はやや散漫で物足りない面があります。
 「1998年の宇多田ヒカル』というタイトルを立てた場合、「1998年」に焦点を当てるか、「宇多田ヒカル(とその他のアーティスト)」に焦点を当てるか、2つの道があると思うのですが、この本はややどっちつかずの印象です。

 目次は以下のとおり。
第1章 奇跡の1998年組
第2章 1998年に本当は何が起こっていたのか?
第3章 1998年の宇多田ヒカル
第4章 椎名林檎の逆襲
第5章 最も天才なのはaikoかもしれない
第6章 浜崎あゆみは負けない
第7章 2016年の宇多田ヒカル

 第1章と第2章は、「1998年」にフォーカスを当てています。
 1982年、1998年、2014年と16年間隔でチャートを見てみると、1982年はアイドルやいわゆる歌謡曲がシングル・ランキングの上位を賑わしており、2014年はAKB系のグループとジャニーズ系のグループによってシングル・ランキングが埋め尽くされています。
 つまり、J-Popは1998年を中心として盛り上がり、ある意味で「終わった」と言ってもいいような状態です。

 著者はこのことを踏まえた上で、「なぜ、1998年にそんなにCDが売れたのか?日本人はCDを買ったのか?」という問に進むのですが、この答えが非常に弱いです。
 著者は、日本の電機メーカーがCDという規格をプッシュしたことに触れた上で、多くの音楽リスナーが「CDは半永久的に劣化しないメディアである」、「CDに収録されているデジタル音源は一般リスナーが手にすることができる最も音質の優れた音源である」という2つの定説を信じていた、と言います(55-58p)。

 90年代のリスナーの多くはこの2つの定説を信じてCDを買ったのでしょうか?
 おそらく、実際に90年代にCDを買った多くのリスナーは違うと思います。このあと着メロのような質の悪い音源が広がりますし、当時爆発的に売れた8cmのシングルを後生大事に持っている人も少ないでしょう。
 90年代後半に高校生や大学生であった人ならば、CDが売れた要因としてカラオケをあげると思うんですけど、この本ではそのカラオケや、90年代後半のその他のサブカルチャーや経済事情といったものをほぼとり上げていません。
 ですから、「1998年」という時代の分析をこの本に求めても、納得のできる答えは帰ってこないです。

 というわけで、この本の読みどころは「宇多田ヒカル(とその他のアーティスト)」が、いかに今までのアーティストと違い、98年以降の音楽シーンを作っていったかということになります。

 この本では、宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoの3人が、既存の音楽ビジネスといかに戦ったか(距離をとったか)ということが語られています。
 宇多田ヒカルは最初から個人事務所で活動を始めましたし、椎名林檎も個人事務所を作っています。aikoもレコード会社主導のシングル「あした」でデビューした後、改めて契約をしなおして独自の活動を守ろうとしています。
 aikoがフェスに出ないのは「そういえば出てないか」と思いましたし、雑誌でも原稿をチェックできないインタビューは受けないということは、この本を読んで初めて知りました。

 既存の音楽ビジネスの、まさに王道を歩んだ浜崎あゆみを含めて、4人のアーティストがCDバブルからその崩壊の時期をいかに戦ったということについては、いろいろとエピソードが書いてあって興味深いと思います。

 けれども、肝心の音楽について、この本はほとんど語っていないと思います。
 例えば、aikoについての章では、菊地成孔と松任谷由実というミュージシャンのaiko評が引用されています。言っている内容もミュージシャンならではのもので、素人にはわかりにくい部分もあります。
 この後で、著者は自分は「独自の世界観」といった何も言っていないような言葉を使わないようにしてきたと述べ、同じ理由で「天才」という言葉も使わないようにしてきたと断った上で、「でも、aikoについて書くときだけはどうしても、「天才」という言葉だけを残して、その場から逃げ去りたい気持ちになってしまうのだ」(184p)と章を閉じています。

 aikoの音楽を語ることの難しさというのは当然わかりますが、これではまさに何も言っていないに等しいですし、せめて、ミュージシャンのaiko評を音楽の素人にも理解できるように噛み砕くといった努力がほしいです。
 もちろん音楽というものを言葉で表現することは難しいですが、優れた文章(例えば、岡田暁生『西洋音楽史』)は、それが不可能ではないことを示しています。

 宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという4人のアーティストについて知っている人には、いろいろな裏事情が知ることのできる本と言えるかもしれませんが、知らない人にこの4人の魅力や、1998年のシーンというものを理解させる本にはなってないないというのが正直な感想です。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)
宇野維正
4106106507

玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』(ちくま新書) 5点

 「近代ヨーロッパの拡大が世界を一変させた」
 これはこの本の帯にある文句ですが、ヨーロッパで生まれた「近代」というしくみに賛成する人も反対する人もこの言葉には同意せざるをえないでしょう。
 そんなヨーロッパの「覇権」が、いつ、どのようにして生まれ、アジアをはじめとする他の地域を圧倒するに至る鍵はどこにあったのかということを、主に経済的な面から分析したのがこの本です。

 目次は以下のとおり。
序章 ヨーロッパ化した世界
第1章 軍事革命と近代国家
第2章 近代世界システムの誕生
第3章 大西洋貿易とヨーロッパの拡大
第4章 アジア進出とイギリス海洋帝国の勝利
終章 近代世界システムの終焉

 第1章では、ヨーロッパの軍事革命について、オランダのマウリッツが行った軍制改革によって軍隊と社会の規律化が進んだということと、戦争を遂行するために国家財政が強化されていったことなどが指摘されています。
 特に地租中心だったフランスと贅沢品への間接税が中心だったイギリスの税制を比較して、イギリスのほうが経済発展とともに税収が伸びるしくみで戦費調達能力が高かったという指摘などは興味深いです。

 第2章ではウォーラーステインの「世界システム論」の考えを紹介しながら、アントウェルペン(アントワープ)からアムステルダムへの商業の中心の移動とオランダの覇権について語っています。

 第3章は大西洋貿易について。大西洋貿易といえばイギリスの三角貿易が頭に浮かぶと思いますが、この本ではポルトガル、スペイン、フランス、オランダといった国々の大西洋貿易についても触れています。
 特に奴隷の輸送数を示した101pの表は興味深く、これを見ると奴隷貿易においてポルトガル船が全期間にわたって活躍していることがわかります。
 こうした大西洋貿易において、他の国はそこで得た富が他地域に流れるようなしくみがあったが、イギリスが得た富はほぼイギリスに流れていったということが、イギリス繁栄の鍵であったと著者は見ています。

 第4章はヨーロッパのアジア進出について。著者は海運という点に注目し、19世紀以前、「アジアの船が、ヨーロッパの海上まで進出したことは一度もない」(141p)と、アジアに対してヨーロッパが優位となった理由を述べています。
 また、ポルトガルとイギリスという2つの海洋帝国を比較し、ポルトガルが「商人の帝国」であったのに対して、イギリスは国家が中心となっており、その中央集権的な対外進出が覇権をもたらしたとしています。

 このように面白い部分もあるのですが、全体的にややちぐはぐな記述もあって、内容をまとめきれていない感もあります。
 
 例えば、軍事革命について、序章で「ヨーロッパの台頭は、軍事革命が開始した15世紀に由来すると考えて良い」(26p)と書きながら、第一章では「ジェフリ・パーカーによれば、軍事革命の革新は16世紀にあった」(33p)と書いています。また、著者が組織面での軍事革命の立役者として紹介するのは、16世紀後半から17世紀にかけて活躍したオランダのマウリッツです。
 まあ、1494年から始まったイタリア戦争を軍事革命の始まりとしているのかな?と思いますが、もう少し時代をはっきりさせる記述のほうが良いでしょう。

 また、ヨーロッパの対外進出について、「その先頭に立ったのは、ヘゲモニー国家オランダではなく、イベリア半島にあるスペインとポルトガルであった」(82ー83p)という記述もありますが、これも「スペインやポルトガルが新大陸やアジアに進出していったのはオランダが独立する前じゃ…」と言いたくなります。 
 他にも113pの地図のボルドーとナントの位置が明らかにおかしい(両方ともイベリア半島にある)など、やや表現や本のつくりが甘い気がします。特に今年、ポメランツの『大分岐』という緻密な分析をした本を読んだばかりだったので、なおさらそう感じるのかもしれません(あと、終章の現代についての分析も個人的には見当外れの部分が多いと思う)。

 もう少し時代やテーマを絞ったほうが、まとまりの良い本になったのではないでしょうか。


ヨーロッパ覇権史 (ちくま新書)
玉木 俊明
448006852X

中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書) 5点

 『戦後日本の国家保守主義』を著し、日本再建イニシアティブ『民主党政権 失敗の検証』(中公新書)の第6章 「政権・党運営――小沢一郎だけが原因か」(この分析は面白かった!)を担当した政治学者による、近年進む、日本政治の「右傾化」を概観、分析した本。
 現在の安倍政権だけではなく、ここ30年ほどの歴史のなかでの「右傾化」をとり上げています。

 この本が分析する日本の「右傾化」のポイントとは次の3つです。
 1つ目は、日本の「右傾化」は社会主導ではなく政治主導(政治エリート主導)であること。2つ目は、何回かの揺り戻しを経ながら徐々に進んでいること。3つ目は、旧来の右派が勢力を伸ばしたというよりは「新自由主義」と「国家主義」が結合した「新右派」がその中心となっている点です(3-5p)。

 著者は本書6pの「新右派転換の波」と題された表で、過去30年の「新右派転換の波」として、1982~87年の「中曽根康弘「戦後政治の総決算」」、89~94年の「小沢一郎「政治改革と政界再編」」、96~98年の「橋本龍太郎「六大改革」「バックラッシュ」」、2001~07年の「小泉純一郎「構造改革」安倍晋三「戦後レジームからの脱却」」、2012年~の「安倍晋三「日本を、取り戻す。」「この道しかない。」」の5つを示しています。
 そして、これらの波の間にあるのが89年の自民の参院選の敗北、94~96年の「自社さ政権」、98年の自民の参院選の敗北、07年の自民の参院選の敗北、09~12年の民主党政権であり、これらが「右傾化」に対する「揺り戻し」ということになります。

 55年体制下の自民党政治は「開発主義」と「恩顧主義」の組み合わせでした。政治主導の経済発展を目指す「開発主義」と、公共事業などで地方に恩恵をもたらす「恩顧主義」が自民党政治の両輪であり、国民の指示を得るための手段でした。
 しかし、70年代以降の財政悪化などによって、この組み合わせは維持できなくなります。また、経済大国化した日本は国際社会でもさまざまな役割を求められるようになります。
 こうした中で、自民党の新たな中心となったのが「新右派」です。

 「新右派」とは、著者によれば「新自由主義」と「国家主義」の結合です。
 著者によれば、「新自由主義」は「経済的自由主義」、「国家主義」は「政治的反自由主義」と言い換えることが可能だとのことですが(19p)、この「自由」と「反自由」の結合はいかにして可能なのか? 著者は次の3つの理由をあげています。
 1つ目は、自己利益を追求するアクターによって世界が構成されると考える「リアリズム」的な世界観を共有していること、2つ目は、どちらもエリートにとっては都合の良い理論だということ、3つ目は、「新自由主義」的な経済体制の実現のために「強い国家」が要請されるという政治的な補完性です(19ー22p)。

 こうした理論的枠組をもとに、1980年代から現在に至るまでの政治の「右傾化」の流れをたどる部分が本書のメインになります。
 ここ30年の日本の政治において、宏池会・田中派に代表される「旧右派」は主役を「新右派」に譲り、右派のカウンターである「革新」は退潮しました。
 そして、中曽根康弘、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三といった政治家のもとで日本の政治は以前よりもずっと「右傾化」してしまったのです。

 ただ、個人的には、この中曽根康弘、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三という5人の政治家を同じ「新右派転換の波」としていしまうところには違和感を感じます。 
 確かに安倍晋三については「右傾化」と言われても仕方のない印象を与えるものがあると思いますが、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎という3人を同じ「新右派」としてまとめてしまっていいものなのでしょうか?
 もし、そうならばなぜ小沢一郎と橋本龍太郎は袂を分かち、橋本龍太郎と小泉純一郎は自民党総裁選で激しく争ったのでしょう。また、小泉・小沢連合というのも「反原発」という部分を除けば考えにくい組み合わせです。

 もちろん、この3人の政治家の打ち出した政策には「政治家主導」、「小さな政府」といった共通点はあります(小沢一郎に一貫した経済政策があるのかは謎ですが)。しかし、それは必ずしもこの3人がずっと持ち続けていた思想ではなく、社会からの要求を受け入れてのものだと考えたほうが自然なのではないでしょうか?
 90年代から00年代にかけて、日本は「失われた20年」とも言われる不況の中で「改革」が要請され、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎といった政治家はそれぞれのスタンスでそれに応えようとしたのでしょう。
 ここから、「日本の「右傾化」は社会主導ではなく政治主導(政治エリート主導)である」という著者の主張は、「右傾化」に「新自由主義」的政策まで含めるのであれば、それは少し違うのではないでしょうか。
 このように、この本の政治の捉え方はやや大雑把すぎると思います。

 また、この本で描かれる「右傾化」という現象は否定的です。「寡頭支配」(26p)という言葉まで使われており、民主主義の否定へと突き進む現象です。
 ただ、こうなると中曽根康弘、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三といった首相の支持率が高かったことはどのように説明できるのでしょうか?
 この本のなかでは「小選挙のマジック」という言葉が使われており、小選挙区制のもとでは、過半数に満たない得票率でも大きな議席を獲得できてしまう問題点が指摘されています。
 確かにその通りです。しかし、小選挙区制というしくみは「右派」勢力以外にも適用されるわけで、実際、2009年の衆院選では民主党が小選挙区制のしくみを活かして圧勝しています。野党がまとまっていれば、小選挙区制は必ずしも自民党にだけ有利な制度というわけではないはずです。
 やはり、著者が「新右派転換の波」とまとめる政治家たちがなぜ支持を得たのかという部分の分析がもっと必要でしょう。

 個人的に、安倍首相の周囲にいる戦前の国家主義を賛美するような政治家の存在には危惧を覚えているので、著者の問題意識や危機感というものは分かりますし、興味深い論点もあるのですが、もう少し「新右派」的政策に対する国民の支持(特に「新自由主義」的な政策への支持)というものを受け止めて、その背景やリベラルの「失敗」を見ていく必要があると思います。

右傾化する日本政治 (岩波新書)
中野 晃一
4004315530

上垣外憲一『勝海舟と幕末外交』(中公新書) 5点

 幕末に起こったロシア軍艦ポサドニック号による対馬の占拠事件、この事件の解決に自らが関わったという『氷川清話』の勝海舟の談話を手がかりに、この事件の真相と、そこに至るまでの勝海舟の活躍と幕府の外交について書かれた本。
 著者は、日本と朝鮮半島の関係史などを中心に研究を行っている比較文学・文化学の専門家で、歴史学者ではありません。
 そのため、その叙述のスタイルも厳密に史料に基づいたものではなく、かなり想像や推測が入っています。

 まず、ポサドニック号による対馬の占拠事件ですが、これは司馬遼太郎の作品などにも出てくるので聞いたことのある人も多いと思います。1861年にロシア軍艦ポサドニック号が対馬に来航し浅茅湾に投錨、対馬藩の反対をよそにそのまま居座り続け一部地域の租借を求めた事件です。
 対馬藩は幕府に相談したものの、幕府とロシアの交渉でもロシア側はなかなか退去せず、結局、幕府はイギリスの力を頼ってロシアの軍艦を退去させることに成功します。

 この本では、このイギリスの力を借りてロシアを退去させるという外交を成功させた立役者が勝海舟だとしています。
 『氷川清話』には以下のように書かれています。
 さあこゝだ。対馬は、この時、事実上すでに露西亜のために占領せられたも同様であつたのだ。つまりかういふ場合こそ、外交家の手腕を要するといふものだ。ところでおれは、この場合い処する一策を案じた。それは当時長崎に居つた英国公使といふのは、至極おれが懇意にして居つた男だから、内密にこの話をして頼み込み、また長崎奉行からも頼み込ました。さうすると公使は、直に北京駐在英国公使に掛合ひ、その公使は、また露国公使に掛合つて、堂々と露国の不条理を詰責して、わけもなく露西亜をしてたうとう対馬を引き払はせてしまつたことがあつた。これがいはゆる彼に由りて彼を制するといふものだ。(201p)

 「さすが勝海舟!」と思わせる回想ですが、勝海舟のこの回想は事件から35年以上たった1897年あたりに行われたものであり(かなり前のことを話しているため本書の中でも回想における年代の間違いなどは複数指摘されている)、しかも『氷川清話』には談話を取りまとめた吉本襄が歪曲、改竄した部分をあると言われていますし、勝海舟自体「法螺ふき」と批判されることもありました。
 そうしたこともあって、例えば、Wikipediaの「ロシア軍艦対馬占領事件」でも、勝海舟の関わりについては何も触れられていません。

 Wikipediaの「ロシア軍艦対馬占領事件」では、最初、外国奉行の小栗忠順が交渉にあたり、対馬を直轄領にすること、国際世論に訴えることなどを主張したが幕府内部で受け入れられず、小栗は外国奉行を辞任。困った幕府に対して、イギリス公使オールコックとイギリス海軍中将ホープがイギリス艦隊の圧力によるロシア軍艦退去を提案したということになっています。

 この記述を見ると、イギリス(外国)を頼ることを最初に提案したのが小栗忠順ということになりますが、この本では小栗は「親露派」であり、対馬を直轄地にした上でロシアに租借を認め、ロシアと組んでイギリスの脅威に対向する考えをもっていたとされています。
 そんな幕府の中での「親英派」が事件のさなかに外国奉行に再任された水野忠徳であり、勝海舟でした。「イギリスの脅威」を恐れるあまりにロシアに頼ろうとした小栗に対して、列強の間で上手くバランスを取って交渉をまとめあげたのが勝だというのです。
 なかなか面白い見立てなのですが、やはり強引さも感じます。

 確かに、幕府の中にはイギリスよりもロシアのほうが信頼できると考えた人もいたと思いますし、場合によっては対馬の港をロシアに使わせることをやむなしと考えた人間もいたかもしれません。
 ただ、この本の中で提示されている史料などを見ても、さすがに小栗忠順が対イギリスのために対馬をロシアに租借させることを考えていて、そのために対馬を幕府の直轄地にしようとしていたとまでは言えないのでは。
 対馬を直轄地にしようとしたのは、ラクスマンやレザノフの来航に伴って蝦夷地を直轄地にしたのと同じ考えで、対馬藩では対馬を防衛できないと判断したと考えるのが自然な気がします。
 事件の解決に勝の人脈などが生きた場面もあったのかもしれませんが、イギリスを頼ることについては幕府の中にそれなりのコンセンサスがあったのではないでしょうか?

 このようにメインとなるポサドニック号事件に関してはかなり強引な推測が含まれている本だと思います。
 ただ、日露和親条約を結んだプチャーチンが、シーボルトの助言もあって日本に対して紳士的に接し幕府の中ではアメリカよりもロシアの評判が高かったという話や、プチャーチンの旗艦であったディアナ号が安政東海大地震で損害を受け、その代わりに日本でヘダ号が建造された話(ヘダ号のヘダは建造が行われた戸田の地名から)、アロー戦争の日本の外交交渉への影響など、ポサドニック号事件にいたるまでは興味深いエピソードも多く、幕末の外交を違った視点から見ることができる本ではあります。

勝海舟と幕末外交 - イギリス・ロシアの脅威に抗して (中公新書)
上垣外 憲一
4121022971

神田千里『織田信長』(ちくま新書) 5点

 8月に紹介した金子拓『織田信長 <天下人>の実像』(講談社現代新書)と同じく、「革命児」、「あらゆる権威を無視した男」といった大河ドラマなどでよく見られる信長像の刷新を狙った本。
 信長と朝廷の関係に重点を置いた『織田信長 <天下人>の実像』に比べると、信長の行動をを幅広く検討しており、「なるほど」と思う箇所も多いのですが、この本も従来の説を否定するために、強引な解釈をしてしまっていると感じます。

 目次は以下の通り。
信長の「箱」―はじめに
第1章 信長と将軍
第2章 信長と天皇・公家
第3章 「天下布武」の内実
第4章 分国拡大の実態
第5章 信長と宗教
第6章 「革命児」信長の真実
信長の「本当の箱」―おわりに
 
 第1章と第2章は信長と既存の権威について。
 既存の権威をことごとく無視したと考えられることが多い信長ですが、史料を見ると将軍の権威に敬意を払っている部分もあり、また和睦などで将軍の力を必要とすることも多かったことがわかります。
 ただ、この信長と将軍・足利義昭の関係については、1570年(永禄13年)に作成されたとされる「殿中御掟追加5か条」をどう捉えるかが問題になるでしょう。著者はこの文書は信長と義昭の関係を決定づけたものではないといいますが、その中の「天下の事はどのようにも信長にお任せになった以上、将軍のご命令なしに、信長が自分の判断で計らうべきこと」(40p)という部分は、将軍の権威を決定的に傷つけるものだと思えます。

 信長と朝廷の関係については、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』で詳しく書かれていましたが、この本でもその金子氏の研究をもとに、信長が常に朝廷に圧力をかけていたというような事実はないということが主張されています。
 これはおおむね納得がいくのですが、金子拓『織田信長 <天下人>の実像』についてのエントリーでも書きましたが、「興福寺別当職相論」で天皇の綸言を撤回させたことについて、この本でも納得できる説明はありませんでした。

 第3章、第4章では、信長がいわゆる「全国統一」を目指したわけではなかったことが論じられています。
 「天下布武」の「天下」とは五畿内のことであり日本全国の意味ではなく、五畿内を中心とする地域の安定こそが信長の目的であったというのです。
 そして、五畿内から大きく離れる武田氏や毛利氏との戦いは、あくまでもお互いの領国の「境目」を巡っての争いが発展したものであり、信長に大きな領土的な野心はなかったと考えます。
 ただ、この考えで問題となるのが晩年の四国攻めでしょう。土佐の長宗我部元親は信長と友好関係を結んでいながら、結局は信長に征伐されそうになっています。このあたりを領土的野心抜きで解釈するのは少し厳しい気がします。
 ちなみに金子拓『織田信長 <天下人>の実像』では四国攻めの直前に「変心」したことになっているのですが、この本では四国攻めについてほとんど言及されていません。

 第5章の「信長と宗教」は、信長と仏教キリスト教徒の関わりを史料に即して改めて点検したもので、安土宗論の解釈をはじめ、解釈には納得出来ない部分が多いのですが、とり上げられている史料などに関しては興味深いものが多かったです。
 そして第6章がまとめで、ここでは世間の評判を気にし、他の大名と協調しようとする信長の一面にスポットライトが当てられています。

 このように今までの信長のイメージを覆そうという本なのですが、覆すことにこだわって強引な解釈が目立つように感じました。
 「革命児・信長」のイメージは確かに一面的で間違っている面もあると思うのですが、だからといってそれをすべて否定した所に真実があるとも思えません。
 この本は今までの一貫したイメージを否定しようとするあまり、真逆の一貫したイメージをつくりあげようとしているように感じます。
 個人的には、信長は「機会主義者」ともいうべき人間であって、その都度利用できるものを利用していった人間に思えますが、どうなんでしょうかね?

織田信長 (ちくま新書)
神田 千里
4480067892

増田寛也編著『地方消滅』(中公新書) 5点

 「896もの自治体が消滅しかねない!」とのセンセーショナルな予測で注目を集めた「日本創生会議」の政策提言を本にまとめたもの。
 目次は以下の通り。
序章 人口急減社会への警鐘
第1章 極点社会の到来―消滅可能性都市896の衝撃
第2章 求められる国家戦略
第3章 東京一極集中に歯止めをかける
第4章 国民の「希望」をかなえる―少子化対策
第5章 未来日本の縮図・北海道の地域戦略
第6章 地域が活きる6モデル
対話篇
やがて東京も収縮し、日本は破綻する 増田寛也×藻谷浩介
人口急減社会への処方箋を探る 増田寛也×小泉進次郎×須田善明
競争力の高い地方はどこが違うのか 増田寛也×樋口美雄

 地方では若い女性の流出が止まらずに、少子化+人口移動で自治体そのもの存続が危ぶまれること、人口が流入する東京圏もその出生率は低く、今は地方からの人口移動で活力を保っている東京もいずれはその経済活動が維持できなくなることを指摘した将来予測は、これからの日本を考える上でもきわめて重要なものです。
 また、北海道に絞ってそれぞれの都市圏の将来を予測した第5章、若年女性が増加するとい予測されている都市とその特徴について紹介した第6章も興味深いです。
 さらに、巻末には全国市区町村別の人口推計も載っているので(福島県だけは県単位のデータのみ)、自分の住んでいる自治体がどのような状態かをチェックすることも出来ます。
 
 けれども、その処方箋について書かれた部分はいただけません。
 若い女性の減少が大きな問題であるという着眼点はいいですし、だいたい1.8程度であろうと考えられる女性の希望出生率の実現を目指すという目標もいいと思います。そして対策のスピードが早ければ早いほどいいというのもその通りでしょう。

 ところが、メインとして打ち出されている処方箋は「地方中核都市の強化」です。
 東京圏への人口流出を食い止めるためには、地方中核都市を強化し人口移動に対する「ダム」をつくることが必要だといいます。そして地方中核都市が強化されれば人材と仕事が集まり、「東京圏に比べて住環境や子育て環境も恵まれているから、若者世代の定住が進み、出生率も上がってくるだろう」(50p)というのです。

 他にも第3章では「コンパクトシティ」、「「スキル人材」の再配置」、「地域金融の再構築」、「農林水産業の再生」といったお題目が並んでいます。
 これらの政策が無意味だとは思いませんが、若年女性を支えなければならないという当初の問題意識からずいぶんずれてしまっていると思います。
 
 出生率を上げるには「雇用と所得、それを支える経済成長」が決定的に重要です。確かに、この本で打ち出されている政策の中には長期的な地域の経済成長につながるものもあるでしょう。
 しかし、これらの政策が「今産みたくても産めない女性」の状況を改善するかというと、それはあまり期待できないのではないでしょうか。

 しかも、この本では「マクロ政策の推進は、経済力が突出した東京圏の経済力をさらに高め、地方との経済・雇用の格差を拡大する方向に働き、「地方消滅」を加速させるおそれすらある」(37p)と書いてしまっています。
 こうなると、著者たちの狙いが少子化対策や女性支援ではなく、何よりも地域振興にあるのではないかと勘ぐってしまいます。
 
 第5章や第6章を読む限り、製造業の立地というのは安定した雇用を提供するという意味で非常に重要です。そして地方でその製造業が失われた原因の一つが円高です。それなのにマクロ政策に否定的な見解を示すというのはどういうことなのでしょうか?

 他にも子育て支援や働き方についての提言もあるのですが、働き方に関しては長時間労働の抑制のために「「残業割増率50%」の全時間帯への適用を検討すべき」(83p)と書きながら、同じページで企業のリーダー層を目指す総合職の女性については、「時間外労働に対する割増賃金という「時間ベース」の労働管理から、「成果ベース」の労働管理に転換」することを検討すべきだと述べています。
 別に完全に矛盾した内容というわけではないですけど、この制度が著者たちの想定通りに上手くはたらいて長時間労働が抑制されるという保障はまったくないですよね。

 最後に3つ並んだ対談も出てくるのはすべて男性。地域振興の話が多く、それに比べると、若い女性に安定した雇用を提供しようとか、子育てを社会的に支援しようとかそういった話は弱いです。
 とり上げているデータは面白いものの、それが新たな公共投資のネタとしてしか利用されていない印象を受けました。

地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也
4121022823

金子拓『織田信長 <天下人>の実像』(講談社現代新書) 5点

 タイトルからすると、織田信長を包括的に論じた本にも思えますが、以下の目次を見ると、ほぼ信長と朝廷の関係に焦点を絞ったかなりマニアックな本だということがわかると思います。
序章 信長の政治理念
第1章 天正改元―元亀四(天正元)年
第2章 正親町天皇の譲位問題―天正元年~二年
第3章 蘭奢待切り取り―天正二年三月
第4章 まぼろしの公家一統―天正二年
第5章 天下人の自覚―天正二年~三年
第6章 絹衣相論と興福寺別当職相論―天正三年~四年
第7章 左大臣推任―天正九年
第8章 三職推任―天正一〇年
終章 信長の「天下」

 この本の基本的な主張は、「信長が朝廷の権威を完全に無視して政治を行おうとし、それに抵抗した正親町天皇との間に激しい対立があったという事実はない」というものです。
 この信長と朝廷の対立説というのは、比較的人気のある説で、本能寺の変についても「朝廷黒幕説」というのはよく言われるものです。
 その信長と朝廷の対立説を、著者は史料の丁寧な読解によって否定しようとします。
 確かにこの本を読むと、必ずしも信長が朝廷に高圧的だったとはいえないことが分かりますし、対立説の論拠には強引なものもあることがわかります。
 ただ、それは納得するにしても、著者の描き出す「信長の実像」については納得できませんでした。

 まず、この本では信長の掲げた「天下布武」の天下が「全国」という意味ではなく、京都とその周囲のことであり、その地域の安定である「天下静謐」こそが信長の目的だったといいます。
 そして、室町幕府を否定する狙いはなく、最初は足利義昭を補佐することによって「天下静謐」をめざし、その義昭が「天下静謐」のための働きができないとなると、自らがその地位にとってかわり、「天下静謐」のために戦い続けたというのです。

 「天下布武」の天下が「全国」ではなく、信長の当初の目的はあくまでも義昭を担いで「天下静謐」を目指すものだったというのは納得できます。
 しかし、著者はこの信長の「天下静謐」という行動原理が、本能寺の変が起こった1582年に四国攻めを決断した時まで維持されたと考えます。この年の「三職推任問題」、朝廷が信長を関白か太政大臣か征夷大将軍に任じようとしたことが、信長を全国統一へと駆り立てたというのです。

 さすがにこれは厳しい解釈ではないでしょうか。
 「天下静謐」を何よりも重視するならば、義昭をはじめとする敵対勢力ともっと妥協したのではないかと思いますし、義昭追放後も、他の足利氏の誰かを将軍につけるという手もあったのではないでしょうか(例えば、14代将軍義栄の弟の義助とか)。
 
 また、この本では信長と朝廷の関係を資料を元に丁寧に辿り、信長が朝廷と協調し、そのやり方を尊重していたことを明らかにしています。
 ですから、信長が最初から朝廷の権威を無視して高圧的に振舞っていたというのは間違いだと言えます。
 ただ、第6章でとり上げられている「興福寺別当職相論」では、興福寺の次期別当職を巡って正親町天皇の決定を信長が覆し、この件に関わった公家たちを厳しく処分、正親町天皇の子の誠仁親王が信長に詫び状を出しています(203ー210p)。
 
 著者はこの事件について信長は従来の風習に従っただけであり、「信長は朝廷を統御したり勅断をゆがめたりしようとはしていない」(211p)と結論づけていますが、天皇の綸言を撤回させることは「勅断をゆがめる」ことにはならないのでしょうか?

 全体的に、この本は信長という人間が常に一貫したスタンスで動いているということを前提にしすぎていると思います。
 「天下静謐」が当初の目的だったから信長の目的は「天下静謐」、最初朝廷を尊重していたからその後も朝廷を尊重し続けたはず、というような見方です。
 しかし、当初の目的が「天下静謐」でも「全国統一」が実現可能なものとなってくれば、当然目的は代わるでしょうし、朝廷についても最初は利用価値を感じて尊重したとしても、その利用価値が感じられなくなれば次第に軽んじるようになるのはあたりまえだと思うのです。

 でてくる事件や史料に関しては面白い面もあるのですが、著者の解釈には疑問が残った本でした。

織田信長 <天下人>の実像 (講談社現代新書)
金子 拓
4062882787

清水真木『感情とは何か』(ちくま新書) 5点

 「感情とは何か」というタイトルはありきたりですが、サブタイトルの「プラトンからアーレントまで」を聞くと、「おやっ?」と思う人が多いと思います。
 まず、「感情とは何か」というタイトルからは心理学の本を想像する人が多いでしょうし、ある程度、哲学に詳しい人でもプラトンとアーレントという名前には、「おやっ?」と思う人が多いと思います。感情について思索を重ねた哲学者は多いですが、プラトンもアーレントもその分野のメジャーどころとは言えないからです。

 ですから、本の切り口としては成功していると思います。
 実際は、プラトンとアーレント以外にも、ストア派、デカルト、マルブランシュ、ヒュームなど、感情について考えたメジャーな哲学者も扱っているので、それほど突飛な構成というわけでもないのですが、最後にアーレントを持ってきたことで、「感情はたんなる気分やや印象ではなく「よい」「悪い」といった価値判断を含むものである」という、著者の主張がより明確になっています。

 ただ、著者の全体的なスタンスはあまり評価できるものではありませんし、その文体や書き方は個人的には非常に嫌な感じを受けます。

 まず、著者のスタンスについて。
 この本では第1章でプラトンやストア派、デカルト、マルブランシュなどの感情についての理論を紹介し、第2章で心理学などが取り組んでいる「感情の科学」や、情動主義を批判しています。
 「感情の科学」や情動主義を批判することはかまいません。ただ、ここで著者の規定する「感情の科学」とは次のようなものです。

 感情を主題的に取り上げることを標榜するいくつかの学問分野は、出力の性質の差異のみにもとづいて他から区別されます。たとえば、経済現象に関係するものに出力の範囲を限定して入力を観察するとき、ここに「行動経済学」の一部をなすものが成立し、観察すべき範囲を社会生活全般に拡大することにより、これは「社会心理学」に属する研究となります。
  (中略)
 「感情の科学」の目標は、どのような条件のもとでAが怒るか、あるいは、同じことですが、どのような条件のもとでならAが怒らないかを明らかにすることに尽きます。少し抽象的に言い換えるなら、「怒り」の表現として漠然と承認されている何らかの出力が観察されるための条件を記述するのが「感情の科学」であることになります。(162ー163p)

 ここで説明されているのは、かなり古い時代の心理学であり、現在はこんな「素朴」なシステムが研究されているわけではないですよね。
 例えば、心理学のについては下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)、行動経済学についてはダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』を読めば、そこで扱われている感情や心のシステムがもっと複雑であることがわかると思います。
 感情にはつねに「価値判断」という先行する枠組みがあるかどうかは意見の別れるところでしょうが(下條信輔『サブリミナル・マインド』で紹介されている「エピネフリンの実験」や「つり橋の実験」をみるとつねに先行する枠組みがあるとは思いませんが)、この本では実際のレベルよりもかなり低いレベルの「感情の科学」を持ちだして、哲学の優位を示そうとしています。
 これはフェアな態度とはいえないと思います。

 次に文体や書き方。「知的公」(40p)とかそういう言葉を使うのにもうんざりしますし、全体的に「哲学を学んだ人間は凡人とはちがう」というムードが漂っていて嫌になります。
 例えば、「私が「マクドナルドのハンバーガーはおいしい」と言うなら、その発言は、「清水さんの味覚って幼稚なのね」という、私にとってありがたくない反応を周囲に惹き起こすでしょう」(179ー180p)とか。
 ソクラテスの「無知の知」というのは一つの素晴らしい態度だと思いますが、その言葉を振りかざすだけであらゆる専門家よりも優位に立てると考えているのではないかと思われる哲学者がいますが、この本に漂っているムードがまさにそれです。
 
 そのくせ、「「善意の原理」(principle of charity)をめぐるクワイン(1908〜2000年)の指摘を俟つまでもなく(『言葉と対象』<1960年>)」(182p)などと書いています。「善意の原理」(principle of charity)はデイヴィッドソンですよね(一応、クワインの『言葉と対象』の第2章13節でのちのデイヴィッドソンの「善意の原理」につながる議論はされていますが)。

 というわけで、個人的には嫌な部分が目立った本でしたが、「哲学において感情がどのように扱われてきたか?」ということを知るには悪くない本だと思います。

感情とは何か: プラトンからアーレントまで (ちくま新書)
清水 真木
4480067817

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
下條 信輔
4121013247

入江昭『歴史家が見る現代世界』(講談社現代新書) 5点

 ハーバード大学名誉教授にしてアメリカ歴史学会の会長も務めた著者が、変わりゆく現代世界と歴史学について語った本。
 歴史学について語った部分はさすがに面白いのですが、現代世界の変化について語った部分はありがちな理想論で、個人的にはあまり刺激を受けませんでした。
 目次は以下のとおり。
第1章 歴史をどうとらえるか
第2章 揺らぐ国家
第3章 非国家的存在の台頭
第4章 伝統的な「国際関係」はもはや存在しない
第5章 普遍的な「人間」の発見
第6章 環地球的結合という不可逆の流れ
結 語 現代の歴史と記憶

 第1章では、まず「いつから「現代」なのか?」という問いからはじめ、「冷戦後が「現代」なのだ」という冷戦史観を批判しつつ、グローバリゼーションこそが「現代」を過去と分かつ重要なポイントであり、そのために歴史学も今までの国家の枠組みにとらわれたものではなく、「グローバル」、「トランス・ナショナル」に展開していかなければならないとしています。
 近年、歴史学の世界では「グローバル・ヒストリー」ということがさかんに言われていますが、この第1章を読むと、こうした概念が登場した理由というものがよくわかると思います。

 第2章の「揺らぐ国家」も、提出されている問いには興味深いものがあります。第2章の中の見出しには「福祉国家はグローバリズムと両立するか」、「グローバル・ガバナンスという問題の浮上」といった項目がありますが、いずれもしっかりと考えていくべき論点でしょう。

 ところが、そういった問への答え、現代世界が進むべき道やそのための方法を語った部分の議論が大雑把で物足りない。
 第3章以降は、基本的に「国家の枠を越えたグローバルな取り組みが増えている」、「これからは国家の枠組みに縛られない「人間」、「地球」に時代!」みたいな話が続くわけです。

 例えば、冷戦の終結についても次のように説明しています。

 現実主義的な専門家が冷戦の行方を予測できなかったことからわかるように、国際関係としての冷戦は、もともとグローバルな世界と相対するものであり、人権その他の力が強くなっているときに、人類の運命を左右するほどの影響力は失っていたのである。
 人権などを通してつながる世界は、冷戦によって定義された世界とは異質なものであり、前者が高揚すればするほど後者が後退、最終的には消滅してしまうのも不思議ではなかった。
 そのような文脈で見ると、「ヘルシンキ宣言」で参加国すべてにおける人権の尊重が取り決められた時点で、歴史は「冷戦の時代」から「世界主義の時代」に入ったのだといえる。(173p)
 
 確かに、「ヘルシンキ宣言」で設立された全欧安全保障協力会議は冷戦の終結に大きな役割を果たしましたが、そこに対話の枠組みが生まれたことに意味があるのであって、「人権の尊重が取り決められた」ことが、冷戦の終結につながったとは思えません。
 やはり、ソ連の経済の行き詰まりが一番の要因でしょう。

 また、この本では人権を、「国家の枠組みを超えるもの」として扱っていますが、現在のところ人権を保障する中心的な機関はやはり国家でしょう。
 さきほど、この本の小見出しに「福祉国家はグローバリズムと両立するか」というものがあることを紹介しましたが、今考えるべきなのは「人権と国家の対立」ではなく、「自国民の人権を守ってきた福祉国家がグローバリズムにどう対処すべきか?」といった問題なのではないでしょうか?

 また、大きな流れとしてのグローバル化は認めるにしても、EU統合の終焉(遠藤乾『統合の終焉』を参照)、東ティモールや南スーダンなど、それにもかかわらずつづく独立の動きなどもフォローして欲しかったですね。

 同じくアメリカで活躍し、この本の著者の入江昭より4歳年下の青木昌彦の『青木昌彦の経済学入門』が、参考文献に最近の本がずらっと並んだ「現役感」に満ちた本だったのに対して、この本には参考文献の一覧もなく、学者としては「あがって」しまった人の本だと感じました。

歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書)
入江 昭
4062882574

島宗理『使える行動分析学』(ちくま新書) 5点

 サブタイトルは「じぶん実験のすすめ」。「じぶん実験」とあるので、いくつかの簡単な実験から人間の認知の歪みとか行動のバイアスみたいなものを探る本なのかな?と思って購入したのですが、「目標を達成するにはどうしたら良いか?」というような本でした。

 ダイエットや毎日の運動、英語の勉強など、こつこつ毎日やれば良い結果がついてくるのがわかってるのに結局は三日坊主で終わってしまうことは多いです。
 実際にそういったことに悩んでいる人は多いでしょう。イアン・エアーズの『ヤル気の科学』では、そういった三日坊主をなくすために、何らかの約束(コミットメント)をすることが重要で、そのためのネットサービスを立ちあげたことが紹介されていました。
 ただ、日本ではそうしたネットサービスはまだ一般的ではないですし、ちょっと大げさに関してしまうかもしれません。
 そこでもうちょっと気軽にチャレンジできるのがこの本で紹介されている「じぶん実験」でしょう。

 「じぶん実験」といっても、基本的には改善したい行動に対してどうやってアプローチするのか?ということを手順に従って決め、それが決まったら日々の行動を記録し可視化する、といった程度のものです。
 ただ、帯に「理系発想の心理学」とあるように、問題へのアプローチの仕方は系統だっていて、役に立つと思います。

 まずターゲットにするのは行動で、「〜をしない」という形のものはターゲットにしません。
 この本では「死人テスト」という言葉が使われていますが、ようするに死人にはできないことです。例えば、「お酒を控える」というのは死人もできます。飲めませんから。そこで「お酒を飲む」という行きた人間にしかできないことをターゲットにしてそれを記録し、改善をはかるのです。

 そうしたら、その行動が出現する状態を映画やドラマのワンシーンのようにイメージし、どのようなときに出現するかを書き留めます。さらに後続する現象をあげていきます。このときにその行動の自発頻度を高める出来事や条件を「好子(こうし)」、逆に行動の自発頻度を低める出来事や条件を「嫌子(けんし)」と言います。
 この「好子」、「嫌子」を書き出すことで行動を阻んでいるもの、あるいは行動を続けていくための助けになりそうなものを探します。
 ただし、いくら「好子」があってもそれが現れるのが相当先ならば、あまり効果はありません。「塵も積もれば…」という形の成果は、なかなか人間の習慣をかえられないのです。

 ですから、「彼女をつくるために」とか「お腹が割れるように」という理由で毎日腹筋を続けるのは難しいとのことです。表を作って丸をつける、腹筋ができたらなにかご褒美的なものを設定するなど、直後に何か「好子」を設定するのがよいそうです。
 
 そして、行動ができたかできなかったかを記録し、グラフ化します。このグラフは簡単なものでいいそうですが、レコーディングダイエットなどに見られるように、成果を記録し、それを見えるようにするというのはやはり大きなポイントのようです。

 先ほど腹筋の話は、実際に著者が大学の授業で学生に課題としてやらせたものの一つです。この本には他にも、「片付けられない」「きれいな字を書く」「骨を鳴らさない」「試験勉強をする」「毎日新聞を読む」といった学生の取り組みが紹介されています。
 同じような悩みを抱えている人は、この本を手にとってそこの部分だけでも見てみるといいかもしれません。

 ただ、この本で解説されている心理的なメカニズムは非常に単純なもので、深みやなにか新しい知見のようなものはありません。
 前述のエアーズの本には、「なぜ目標を守ることが難しいのか?」ということに対する心理的なメカニズムの解説などがありましたが、この本では行動を変えるために役立つシンプルなメカニズムが紹介されているだけです。
 もともとそういう本なので仕方がないのでしょうが、個人的にはそこが物足りなかったです。

使える行動分析学: じぶん実験のすすめ (ちくま新書)
島宗 理
4480067728

瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書) 5点

 元裁判官による裁判所批判の本。帯には「最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官衝撃の告発!」とあり、実際、興味深い指摘もあるのですが、著者の語り口が、あまりに大げさ、あるいは世の中を憂う文学青年のようで、その内容をどこまで真に受けるべきなのか迷う本でもあります。

 例えば、著者は現在の裁判所について「一種の柔構造全体主義体制、日本列島に点々と散らばる「精神的な収容所群島」となっていると考える」(53p)と述べています。
 さらに「最高裁判事の性格類型別分類」という小見出しを設け(54p以下)、そこで最高裁の判事を「A類型 人間として味わい、ふくらみや翳りを含めたそうした個性豊かな人物 5%」、「B類型 イヴァン・イリイチタイプ 45%」、「C類型 俗物、純粋出世主義者 40%」、「D類型 分類不能型あるいは「怪物」? 10%」と分類しています。
 ちなみに「イヴァン・イリイチタイプ」とは、トルストイの『イヴァン・イリイチの死』の主人公をモデルにした類型で「一言でいえば、成功しており、頭がよく。しかしながら価値観や人生観は本当は借り物という人々である。その共通の特質は、たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系といったものである」(56p)とのことです。

 このような表現に迫真性を感じる人は読むといいと思いますし、引いてしまう人は読まなくてもいいといった感じでしょうか。
 著者は、関根牧彦というペンネームで『映画館の妖精』という小説(?)を書いたり、本文のなかにも度々「自分はもともと学者向きだった」という言葉が見られたり、あるいは、あとがきでビートルズの歌詞やボブ・ディランの言葉を引用していることから、「文学的」な方なのでしょう。
 しかし、個人的にはこの「文学的」な資質と表現が、裁判所を見る目を曇らせているようにも思えます。

 ただ、興味深い指摘もいくつかあります。
 一つ目は、裁判員制度の導入の背景に、刑事系裁判官の民事系裁判官に対する巻き返しがあるという指摘。
 近年、民事事件が増えるとともに刑事系の裁判官はその数を減らし、また若手の人気もなくなっているといいます。そこで、刑事系の裁判官が巻き返しのために今まで消極的だった国民の司法参加に積極的になったというのです。
 この本では、裁判員制度の導入に関して、「実質的な目的は、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢であった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」(67p)という見方を紹介しています。
 実際、2006年から最高裁長官に2人続けて刑事系の裁判官で、これはこれまでで初めて(73p)、その他のポストでも刑事系裁判官の進出が目立つそうです。

 二つ目は、裁判官は決して忙しくないという指摘。
 民事裁判においてやたらに和解を進める理由や、法廷での審理がいい加減な理由として「日本の裁判官は大量の事件を抱えていて忙しすぎる」というものがありました。映画『それでもボクはやってない』でも、こうした説明がされています。
 ところが、著者はこれは一種の「神話」であって、東京近辺の民事系の裁判官などを除けば、それほど多忙ではないといいます。
 実際、「地裁訴訟事件新受件数は、2012年度には、民事(行政を含む)はピーク時である2009年度の74.9%に、刑事はピーク時である2004年度の67.5%に減少」(160p)しており、一方で裁判官の人数は増えているそうです。
 
 あと、この本のメインの主張としては、裁判所の改革には硬直したキャリアシステムをやめ、弁護士から裁判官を登用する法曹一元制度を実現することだとしています。
 確かに、裁判所の人事や裁判官の実情がこの本に描かれたとおりであるならば、既存の制度を大きく変えることが必要でしょう。
 けれども、この本の書きぶりだと、それをどこまで信じていいのか?という疑問が残ります。
 個人的には、日本の裁判所についての本であれば、ダニエル・H・フット『名もない顔もない裁判所』のほうをお薦めします。


絶望の裁判所 (講談社現代新書)
瀬木 比呂志
4062882507

佐藤信之『鉄道会社の経営』(中公新書) 5点

 日本の鉄道会社というのは鉄道を運航するだけではなく、商業施設をつくったり、沿線の宅地開発を行ったり、観光地の開発を行ったりと、日本の都市やレジャーを考える上で欠かせない存在です。
 そんな鉄道会社の経営について多角的にとり上げたのがこの本。以下で紹介する目次を見ればわかるように盛りだくさんの内容になっています。ただ、その盛りだくさんの内容を整理するための視座が弱いと思います。

 目次は以下のとおり。
1 鉄道の経営とは
2 日本の鉄道事業の特徴
3 新幹線鉄道網の形成
4 都市鉄道の整備
5 鉄道会社のレジャー開発
6 鉄道会社の増収努力
7 鉄道会社の観光開発
8 鉄道会社の沿線開発―住宅地とターミナル
9 鉄道会社のエキナカビジネス―JR東日本の場合
10 必要な鉄道の維持のために

 このようにとり上げる内容は多岐にわたっています。しかも、著者は当然のことながら鉄道マニアらしく、冒頭では青森県の津軽鉄道の朝の情景が、使われる車両や運転員の点呼の様子まで詳しく描写されています。おそらく鉄道マニアであれば楽しめると思います。
 そして、このローカル線である津軽鉄道の経営を見たあと、今度は巨大企業のJR東日本の姿を概観しています(東北新幹線の運賃収入が山手線の運賃収入を上回っているのは知らなかった)。

 つづく「2 日本の鉄道事業の特徴」では、インドネシア政府の関係者の「なぜ日本の鉄道会社は黒字なのか?」という疑問をとり上げながら、日本の鉄道網や鉄道会社の特徴を述べています。
 ところが、この後の構成があまり良くないです。
 つづいて「3 新幹線鉄道網の形成」、「4 都市鉄道の整備」となるのですが、ここは日本の鉄道の発展の歴史が語られていて、「なぜ日本の鉄道会社は黒字なのか?」という疑問に答えるものではありません。
 もちろん、新幹線はJRの収益の柱ではありますが、ここで語られるのは基本的に新幹線整備の歴史ですし、「4 都市鉄道の整備」でも中央線の複々線化など、経営というよりも路線整備の歴史が語られています。

 かと言って、すべてが歴史をたどる形で語られているわけでもありません。
 例えば、当然ながら阪急の創始者でもある小林一三の話も出てくるのですが、宝塚の話は「5 鉄道会社のレジャー開発」、沿線開発とデパートについては「8 鉄道会社の沿線開発」でとり上げられるなど、記述は分散しています。
 また、JR、大手私鉄、ローカル線というふうに分けて書かれているわけでもないです。

 ですから、「鉄道会社の経営」といった時に、その歴史的な変遷を見るのか、他の産業との違いに注目するのか、経営規模や地域ごとの差に着目するのか、あるいは現在の取り組みを追うのか、そのあたりがはっきりしないんですよね。 
 確かにとり上げられているトピック自体は興味深いのですが、「日経ビジネスオンライン」とか「東洋経済オンライン」とかの記事が集まったような印象を受けてしまいます。
 鉄道マニアからするとうれしい情報量かもしれませんが、そうでない身からすると、もう少し切り口をはっきりさせて欲しかったです。

鉄道会社の経営 - ローカル線からエキナカまで (中公新書)
佐藤 信之
4121022459

坂野潤治『西郷隆盛と明治維新』(講談社現代新書) 5点

 昨年、『日本近代史』(ちくま新書)という力作を世に送り出した坂野潤治が、その『日本近代史』の中でも取り上げた西郷隆盛の実像に迫った本。
 内容的には『日本近代史』と重なるところもあり、特に幕末の西郷隆盛の考えとその意義付けに関しては面白いのですが、『日本近代史』とほぼかぶっています。一方、『日本近代史』であまりとり上げられなかった征韓論と西南戦争についてはより突っ込んだ記述がしてあるのですが、著者の西郷への思い入れが強すぎて、やや冷静さを欠いた議論になっていると思います。

 西郷隆盛というのは非常につかみにくい人物で、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』が『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』に比べてすっきりしないのも、この西郷の「わかりにくさ」に起因しているのだと思います(結果的には『翔ぶが如く』では大久保利通のほうが魅力的に描かれていると思う)。
 一方、「西郷隆盛ファン」というのも多く、著者のその一人で、そのことを隠していません。佐々木克『幕末政治と薩摩藩』の内容に依拠していることを示しつつ、佐々木克の解釈に疑問を呈した次の文章などは歴史学者の文章とは思えないほどです。
 極言すれば解釈の相違は、西郷隆盛が好きか大久保利通が好きかという、幕末維新史の主人公に対する歴史学者の好みの違いからくるものである。そしてその背後には、幕末薩摩藩の頂点に位した島津斉彬と島津久光の評価の相違がある。明治日本を十分な知識をもって導けたはずの西郷隆盛を、一八五九年初めから丸五年間流刑に処した島津久光には嫌悪の情しか湧いてこないし、その久光に忠勤を励んだこの五年間の大久保利通にも、著者は好感をもてない。(56p)
 個人的には、西郷が復権できたのは、大久保利通が久光の側近の地位にいたからだと思うのですが、どうなのでしょう?

 ただ、それでも幕末期の西郷については、彼の先進性をさまざまな史料からうまく引き出して見せていると思います。
 西郷は自ら「攘夷」を唱えることはほとんどありませんでしたが、幕政の刷新、そして上院・下院の議院を持った新しい政治の創造には、薩摩藩だけではなく「尊王攘夷派」の志士を含め、幕府の中の開明派(勝海舟や大久保一翁など)との「合従連衡」が必要だと考えていました。
 島津久光による幕政改革や、有力諸侯による朝廷会議が失敗した後に、再び薩摩藩が政治のイニシアティブを取り戻すことができたのも、この本で著者が指摘する「合従連衡」の考えが西郷にあり、またそのためのネットワークを西郷が持っていたからでしょう。

 けれども、征韓論と西南戦争についての部分はやや厳しいものがあると思います。
 この本では毛利敏彦『明治六年政変の研究』に基づいて「西郷は「征韓」を唱えたのではなく、朝鮮への「使節派遣」を唱えただけであり、自分が殺されれば「征韓」の口実になるといったのは「征韓派」の板垣退助を説得するためのものである」と主張しています。
 ただ、この毛利敏彦の研究には様々な批判があり、多くの歴史学者が納得しているものではありません。著者も、毛利敏彦説をとるならば、もう少し丁寧に毛利説への批判に答えていくべきだと思います。

 また、西南戦争について著者は「西郷にとっては、大義なき内戦だったのである」(198p)と述べ、私学校の急進派に引きずられる形で決起せざるを得なくなったと見ています。 
 この見方には個人的に賛成なのですが、それならばもう少し西郷を取り巻く状況についての分析があってもよかったと思います。西南戦争については、「筆者の筆は進まない」(186p)と、著者自らが宣言してしまっているわけですが、幕末期には薩摩藩急進派の暴発を抑えた西郷が、西南戦争ではそれに乗ってしまった説明がもう少し欲しいですよね。

 というわけで、『日本近代史』を読んでいればこの本を読まなくても十分な気がします。『日本近代史』を読んでいなくて、西郷について知りたいという人にはいいかもしれませんが、時間があれば、やはり『日本近代史』にチャレンジしたほうがいいと思います。

西郷隆盛と明治維新 (講談社現代新書)
坂野 潤治
4062882027

日本近代史 (ちくま新書)
坂野 潤治
448006642X
 

山室恭子『江戸の小判ゲーム』(講談社現代新書) 5点

 松平定信の寛政の改革。節約と風紀の取締が中心だった一連の政策は、近年、前任者の田沼意次の改革などに比べると評価が低いですが、その定信の改革をゲーム理論から分析し、そこに武士と商人の間の持ちつ持たれつの関係と「WinーWinの関係」を見出そうとした意欲作。
 帯に「松平定信と経済官僚たちの所得再分配のためのプロジェクトX !」とありますが、歴史的な出来事がまさにプロジェクトX的なノリで書かれており、読みやすいです。
 が、読み物としては面白くても、江戸時代の経済政策をゲーム理論など現代の経済学から分析しようというねらいに関しては残念ながら失敗していると思います。

 まず、この本では寛政の改革で行われた棄捐令について分析します。
 この棄捐令は、旗本・御家人などの救済のため、彼らに金を貸していた札差に対して六年以上前の債権破棄、および五年以内になされた借金の利子引き下げを命じたもので、いわゆる徳政令です。
 もちろんこれは金を貸していた札差にとってはたまったものではないですが、マクロ的に見れば借金で身動きの取れなくなった武士たちを救済することで武士たちの購買力を復活させ経済を活性化するという効果があります。
 また、この本を読むと、棄捐令の発令にあたっては札差の経営に配慮して、札差が破産しないように幕府が資金提供などをしていることもわかります。
 
 しかし、これをもって「WinーWinの関係」があるというのは無理があるのではないでしょうか?
 いろいろな配慮はあったものの、札差が棄捐令を受け入れたのはそれが利益に繋がるからではなく、幕府の権力を恐れたからでしょう。この本では触れられていませんが、定信は風紀の取締に関してはかなり恐慌な姿勢をとっており、洒落本作者の山東京伝は手鎖50日の処分を受けています。
 それに経済全体にプラスだからといって札差にとってプラスだったとは言えないはずです。のちに札差から近代的な資本家へと成長した例はほとんどありませんが、これは棄捐令に代表される幕府の恣意的な経済政策が資本の蓄積を妨げたからでしょう。

 続いてこの本では、七分積金の制度をとり上げます。
 寛政の改革の中でも評価の高いこの制度は、実は「地代を2割ほど下げて、それによって物価を2割ほど引き下げさせよう。そのためには町会費である町入用を引き下げれば、地代の値下がり→物価の値下がりとなるだろう」という、冷静に考えればどうしようもないほど甘い考え方から生み出された取り組みがもとになっています。
 結局、このプランは失敗し、町入用の節約とそれに基づいた基金の設立だけが達成されることになるのですが、このドタバタ劇は確かに面白いです。でもゲーム理論とは関係ないですね。

 さらにこの本では幕府の貨幣改鋳に触れ、従来の「貨幣の改鋳の目的=品位を落とした貨幣の発行による差益(出目)の獲得」という説を退け、「退蔵貨幣の解消」こそがその目的であったとしています。
 銀行システムがない江戸時代では、大商人などが貨幣を家に貯めこむと、そのぶん世間に流通する貨幣量が減ってしまいます。この貨幣の不足はデフレを生み、経済の停滞をもたらします。この本では貨幣選好の強さを表す「マーシャルのK」の考えに注目し、貨幣の改鋳は貨幣の回転を促すための施策なのだと位置づけています。
 
 たしかにこの側面は重要です。だからといって「出目の獲得」という目的が完全に否定されるとも思いませんし、ここはもう少し大きな目で当時の経済を見るべきだと思います。
 江戸時代の半ばになると各地の鉱山から産出される金銀の量は減る中で、長崎貿易では大量の金銀が海外へと流出していました。つまり、だんだんと日本に存在する金銀の量、つまり貨幣量は減っていくわけで何もしなければ貨幣不足に陥ってしまいます。
 そこに登場したのが五代将軍綱吉のもとで勘定奉行を務めた荻原重秀です。彼は貨幣の改鋳とそれを以前の貨幣と同じ価値で流通させることによって、金属貨幣を現在の紙幣のような名目貨幣にしようとしました。これによって金銀の生産量の軛をのがれようとしたのです(荻原重秀の政策については村井淳志『勘定奉行荻原重秀の生涯』(集英社新書)を読んでください)。
 が、なぜかこの本では荻原重秀については完全スルー。江戸中期以降の貨幣改鋳のみを取り上げています。

 というわけでねらいは面白いけど、その内容にはやや不満があります。ただ、幕府と商人たちの駆け引きを見ることで、「支配する」「支配される」とは単純に言い切れないような持ちつ持たれるの関係が見えてくる部分は面白いですね。

江戸の小判ゲーム (講談社現代新書)
山室 恭子
4062881926

杉田敦『政治的思考』(岩波新書) 5点

 政治についてのエッセイ。別にひどく間違ったことを言っているわけではないし、現在の政治について考えさせるヒントもある本なのですが、全体の叙述のスタイルには不満もあります。
 
 1章につき1つのテーマを考えるスタイルになっていて、目次は以下の通り。

 第1章 決定―決めることが重要なのか
 第2章 代表―なぜ、何のためにあるのか
 第3章 討議―政治に正しさはあるか
 第4章 権力―どこからやってくるのか
 第5章 自由―権力をなくせばいいのか
 第6章 社会―国家でも市場でもないのか
 第7章 限界―政治が全面化してもよいのか
 第8章 距離―政治にどう向き合うのか

 例えば、第1章の「決定」では、最近の「決められない政治」批判が俎上に上げられ、「誰が」「何を」「いつ」「どのように」決めるのかということをそれぞれきちんと考える必要があることが述べられています。
 第2章の「代表」では、「代表すること」の難しさが語られ「マニフェスト至上主義」が批判されています。そして、代表制を一種の演劇に見立てる(政治家がそれぞれの役回りを演じることで国民は政治について理解する)著者なりの見方が示されています。

  第5章の「限界」では、「ところで、最近では芸術や学問・文化に関して、それをどこまで助成するかは政治が決めてもいいという考え方が力を得ています」 (155ー156p)という記述とそれに対する専門性の擁護がなされていて、橋下市長の文楽助成問題を念頭においた議論などもなされています。
 今の政治情勢に不満のある人は、この本を読んで頷くことが多いのではないでしょうか?

 ただ、残念ながらこの本にはそこからの広がりがないです。
 この本では政治家や政治学者の固有名詞が登場せず、参考文献も示されていません。
 「あとがき」の中で著者は「権威ある名前にふれることで、読者が思考を停止することをおそれたからです」(194p)とその理由を書き、あえて言及しなかったとしています。

 しかし、この手の新書では、その新書からさらなる学問の世界へと道を示すことに意義があるのではないでしょうか?
 例えば、同じエッセイスタイルの猪木武徳『経済学に何ができるか』(中公新書)では、現代の問題と経済学者たちが生み出してきた理論をつなぎ、経済学の可能性と限界を教えてくれる内容になっていました。
  それに対して、この本を読んでも政治学の可能性や限界を知ることはできませんし、ここから先に進むこともできません(もちろん「これは政治学の本ではあり ません」と言われたら「そうですか」と返すしかないですが、それならば著者がどういう立場で語っているのかを知りたい)。
 事細かに注をつけろとは言いませんが、せめて次の文章、「ある思想家は、政治学ではまだ「王の首を切り落としていない」と表現しています」(90p)の思想家の名前くらい出すべきだと思います(これは確かフーコーのはず)。

 杉田敦の政治的な立場が「ソーシャル(社会民主主義)」であることが明確にわかったというような発見もありましたが、個人的にはやや不満も残る本でした。

政治的思考 (岩波新書)
杉田 敦
400431402X

濱野智史『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書) 5点

AKBを一種の「宗教」と考え、その魅力と可能性を追求したというか、一人の優秀なインテリがその知識と妄想力を最大限に発揮して自分の「推しメン」の素晴らしさについて語った本。読んでいるぶんにはけっこう面白いですよ。

 2ちゃんねるの洋楽板とかに行くとアルバムレビューで、ロッキン・オンのやたら大げさなアルバムレビューを真似たネタレビューがあって、そこでは例えばColdplayのアルバムなんかが「このアルバムはロックの歴史を塗り替えた、否、これは新しい宇宙の誕生なのだ!」とかいう、とにかく大げさならばなんでもいいような怪作レビューがあったりするわけだけど、読んでいるときはそんな気分。
 マルクスやカント、そして吉本隆明の「マチウ書試論」が引用されたり、「サリンの代わりに握手券と投票権をばらまくオウム」「もちろんAKBのこと)といった過激な表現が飛び出したり、まるで壮大なネタの交響曲のようです。

 が、書いてる本人はネタじゃなくてマジなんですね。
 特に次の部分の「マジ」さには一種の感動を覚えるほど。
 著者の「信仰」のモードも大きく変化した。アイドルオタク用語でいうところの「認知」(あるいは「認識」)である。それは何度も握手会などに通うことで、メンバーに顔や名前を覚えてもらうことを意味する。そして筆者はいま驚いている。あのぱるるに「認識」されているということが、これほどまでに自分の内面を律しうるということに。ぱるるに知られているのだから、正しく生きなければならなぬ。そうした思いが強く溢れでてくるのだ。(203p)
 
 これを読むと北田暁大が『嗤う日本の「ナショナリズム」』で言っていた、「ネタ」と「ベタ」の近さというものを改めて実感する気がします(北田暁大は「たけしの元気が出るテレビ」などのネタ番組がいつの間にかベタな感動へと直結する例などを考察していた)。
 そういった意味で、あるアイロニストが「ベタ」あるいは「ロマン主義」に転向していった貴重な記録といえるのかもしれません。

 ただ、「宗教論」あるいは「AKBが画期的な何かを生み出した」という論考としてはダメだと思います。
 まず、「AKBが画期的だ!」と論じる者は、AKBとキャバクラの違いをはっきりさせるべきでしょう。
 この本ではAKBの画期的な点として「近接性」(劇場や握手会でのファンとの近さ)や「偶然性」(劇場での立ち位置やメンバーからの偶然的な「レス」)などをあげていますが、キャバクラは隣に座るわけだからもっと「近接性」があるわけですし、キャバクラにハマる多くの人は綿密なリサーチをしていくのではなく、たまたま入った店のたまたま知り合ったキャバ嬢にハマるのではないでしょうか?(「偶然性」)
 そして「推しメン」を男たちが金の力で押し上げるというシステムはまったく同じですよね。AKBのメンバーにはそういった意識はないでしょうが、運営側はある程度は意識しているのではないでしょうか?

 さらに著者の言う「世界宗教」のレベルとなると、メンバーが少女(20代半ばまでいますが)のみという点はどう克服されるのでしょうか?
 AKBをはじめ、人気女性アイドルは同性からも支持を受けており、むしろ年下の同性からしじされてこそ「アイドル」という存在なのだと思います。ただ、年上の同性から支持されるアイドルというのは個人的にあまり想像できません。老若男女すべてからの支持を調達するには「少女のみ」という構成ではむりがあるはずです。
 しかし、もしも劇場に「少女」とともに「少年」が並ぶような形であったとしたら、男である著者は果たしてここまで熱烈に支持するのでしょうか?

 また、欠点のあるセンター(前田敦子)がその欠点ゆえに匿名のファンから叩かれ、その匿名の悪意を受け止めることで輝くという構造は、少し天皇制を思わせるようで面白いのですが、例えば、若いころの吉永小百合のような(世代が違うのでどの程度すごかったのかはわからないですけどね)完璧なセンターが登場したらどうなるのでしょうか?
 AKBの「宗教性」はなくなるのでしょうか?

 この本は著者の熱意で書かれている本で、冷静な問いを受け止めて書かれている本ではないですね。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
濱野 智史
4480067000

井上寿一『政友会と民政党』(中公新書) 5点 

戦前の政友会と民政党の二大政党制について、その軌跡をたどった本。最近出た筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』と内容が被りますが、『昭和戦前期の政党政 治』の記述が護憲三派内閣に始まり五・一五事件で終わったいるのに対して、この本は政友会の結党の歴史や、五・一五事件で政党内閣が崩壊したあとの二大政 党の動きまで追っているのが特徴です。
 まさに戦前の日本の二大政党の誕生から消滅までを追った本と言えます。

 ただ、「政友会と民政党」というタイトルにこだわっているのか、ややわかりにくいところもあります。
  政友会に関しては、伊藤博文による結党から書いてあるので政友会がどのような政党であるかということはつかみやすいと思うのですが、民政党に関しては、そ の前身の憲政会、そして憲政会を率いた加藤高明についての記述がほとんどないので、これでは民政党の位置づけというものがよくわからないと思います。
 民政党自身は、1927年に憲政会と政友会から分裂した政友本党が合流してできた政党ですが、政友本党の党首・床次竹次郎は2年後に政友会に復党するような状況で、民政党の中核を担ったのは憲政会です。
  この本では民政党の源流として大隈重信のつくった立憲改進党を紹介していて、確かにそれは間違いないのですが、政策や人材の面でもとになっているのは桂太 郎のつくった立憲同志会であり、そこから発展した憲政会。この立憲同志会〜憲政会の緊縮財政政策と官僚出身の人材(加藤高明や濱口雄幸や若槻礼次郎)と いったものを押さえておいたほうが、民政党に対する理解はより深まると思います。

 また、党機関紙を読み込んでいて、今まであまり注目されていなかった両党の政策がわかるのはいいのですが(例えば、政友会は政府案よりもよりも踏み込んだ婦人公民権法案を出している(111ー112p))、政界の動きに関してはけっこう重要な部分の欠落もある。
 特に政友会に関して、総裁になるまで鈴木喜三郎についてほとんど触れられていないのは、この本の大きな欠落でしょう。
  司法官僚出身で平沼騏一郎の推薦で田中義一内閣の内相になった鈴木喜三郎は、治安維持法を改定し、特高警察を強化。さらに1928年の第1回普通選挙で大 規模な選挙干渉を行うなど問題のある人物で、森恪や義弟の鳩山一郎とともに政友会の右傾化をもたらした人物です。五・一五事件で犬養首相が暗殺されたあ と、「憲政の常道」でいけば後継総裁の鈴木に大命が降下してもおかしくなかったのですが、鈴木の人物を危惧した西園寺は政党内閣をあきらめ斎藤実内閣を成 立させています。鈴木喜三郎はこの時期の政友会を語る上で欠かせない人物なのです。

  あと、張作霖爆殺事件の処理をめぐる田中義一の辞職についての記述で「政友会の最有力者森恪」との表現がありますが、これもどうでしょう。森恪が田中内閣 で大きな影響力を持っていたのは確かですが、それは田中首相が外相を兼務している中で、森が外務政務次官だったからで、「政友会の最有力者」という位置づ けは過大な評価な気がします。

 このように個人的には不満も多いこの本ですが、良い所は政党内閣崩壊後の政党の動きをフォローしている点。
 五・一五事件と政党内閣の崩壊を持って日本の二大政党制の崩壊と捉える考えが多いですが、二大政党自体はその後も存続しています。
 存続した二大政党がどのような路線だったのか?政党内閣復活の機運はあったのか?この本はそういった疑問に答えてくれます。
 岡田啓介内閣のもとで、もともと官僚出身者の多い民政党が、陸軍の永田鉄山の構想した内閣審議会や内閣調査局に協力し、「官僚ファッショ」を嫌う政友会は天皇機関説などを利用して岡田内閣の倒閣を目指す。政党内閣崩壊後も両党の路線の違いが窺える部分です。

 そして、この本を最後まで読むと、政党内閣の崩壊の理由の一つに政党の側に力を持ったリーダーがいなかったことがあることがわかります。
  政友会は歴史のある政党でしたが、原敬の死後、政友会たたき上げの政党政治家を党首にいただくことはありませんでした(犬養毅は革新倶楽部からの合流組で 担がれた存在)。このあたりに日本の戦前の政党の大きな弱点があったのだと思いますし、リーダーをなかなか生み出せないという部分では今の日本の政治にも 通じるものがあります。

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
井上 寿一
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神門善久『日本農業への正しい絶望法』(新潮新書) 5点

『さよならニッポン農業』(NHK生活人新書)が非常に面白かった神門善久による2冊目の新書。単純な農業保護論でも、経済学の立場からでもない提言というスタンスは変わらないのですが、東日本大震災であまりに「憂国の情」が強くなってしまったのか、今回の本は冷静な議論とはいえない部分も多く、やや残念な感じです。

 著者は、日本の農業が「危機」であると考えていますが、その危機の原因を「輸入自由化」や「行き過ぎた保護」、「農協」などに見るのではなく「技能の消滅」に見ています。
 近年、マスコミでたびたび農業がとり上げられ、一種の「農業ブーム」が起きていますが、そこでスポットライトの当たる新しく農業にチャレンジする人による無農薬有機栽培や、企業による「野菜工場」などは、いずれも日本の農業の強みである土づくりを始めとする「技能」を受け継いでいない「ハリボテの農業」だと著者は言います。

 「有機栽培」というと、それだけでさもおいしい野菜であるような印象がありますが、著者によれば処理が不適切な家畜の糞尿が大量に投入されれば土地は窒素過多になって野菜の味は落ちるとのことです。
 また、「野菜工場」や大規模で効率化を目指した農業はいずれもエネルギーの大量投入によって成り立つもので、味もそれなりものです。
 それよりも土地の狭い日本では、優良農地に手間暇を掛け、美味しい味と高い収穫量をめざす「技能集約型農業」こそが望ましいというのが著者の意見です。

 これは基本的には正しい考えだと思うのですが、この本では「絶望」ばかりが目立って、その「技能集約型農業」を目指す建設的な提言がなされていません。
 もちろん、だから「絶望」なのだとも言えますが、この本を読むかぎりうまく問題が解きほぐされずにぐちゃぐちゃなままになっている印象です。

 著者は「技能」が衰えた要因として、「農地利用の乱れという「川上問題」」、「消費者の舌の劣化という「川下問題」」(229p)をあげています。
 このうち、農地利用の問題は『さよならニッポン農業』で中心的に論じられていた問題で、ぜひとも改革を行わなければならないものなのですが、「消費者の舌の劣化」で問題を片付けられると、そこから先に進まないですよね。

 例えば、現在の農協で集荷してスーパーに出荷されるような流通システムでは、消費者が野菜を「おいしい」と感じでも、その要因が農家の「技能」なのかを見分けるすべはないですよね。
 個々の農家の「技能」がまったくわからない状態では、消費者はその野菜の美味しさの理由を「技能」ではなく、「鮮度」「有機栽培」といったものに求めるのは自然でしょう。消費者は結局野菜の「産地」くらいしかわからないわけで、今のところ「技能」を評価してもらおうと思ったら、産地全体で取り組んでブランド化するしかないですよね。
 そういった意味では、著者の毛嫌いする生産者の顔写真付きの野菜というのも、「技能」を正当に評価してもらうための一つの試みでしょう。

 農地利用の問題についての指摘は相変わらず鋭い部分があると思いますし、「JAの弱体化」についての指摘も興味深いのですが、全体的に冒頭に書いたように「憂国の情」に囚われて冷静な分析ができていないように思えます。

日本農業への正しい絶望法 (新潮新書)
神門 善久
4106104881

松尾匡『新しい左翼入門』(講談社現代新書) 5点

決してつまらなくはないし、著者の持ちだす「嘉顕の道」、「銑次の道」という図式もそれなりにわかりやすい。けど、読み終わってもこの本が書かれた目的、あるいは狙いといったものがあまりよくわかりませんでした。

 本書の目次は以下の通り。
第1部 「二つの道」の相克史 戦前編
第一章 キリスト教社会主義対アナルコ・サンジカリズム――明治期
第二章 アナ・ボル抗争――大正期
第三章 日本共産党結成と福本・山川論争――大正から昭和へ
第四章 日本資本主義論争――昭和軍国主義時代

第2部 「二つの道」の相克史 戦後編
第五章 共産党対社会党左派・総評
第六章 ソ連・北朝鮮体制評価の行き違い軌跡
第七章 戦後近代主義対文化相対主義――丸山眞男と竹内好

第3部 「二つの道」の相克を乗り越える
第八章 市民の自主的事業の拡大という社会変革路線
第九章 「個人」はどのように作られ、世の中を変えるのか
 これを見れば分かる通り、基本的に本書の内容は日本の左翼運動史です。
 明治から現代に至る左翼運動の歴史がわかりやすい図式によってきれいに整理されています。この図式というのが。冒頭にも書いた「嘉顕の道」と「銑次の道」いうやつです。
 これはNHKで1980年に放送された明治期の日本を舞台にした大河ドラマ「獅子の時代」の登場人物である苅谷嘉顕と平沼銑次をモデルにしたものです(この二人は架空の人物)。
 苅谷嘉顕は薩摩藩の藩士でイギリスに留学、西洋的な理想に染まって日本の現状を変えようとした人物。一方、平沼銑次は会津藩士で維新後は下北半島斗南で苦労を重ね、最終的には秩父の農民放棄に加わります。

 著者は、社会運動家には、「上から目線」で改革を進めようとする「嘉顕の道」と、「現場主義」で現場からの実感によって運動を進めようとする「銑次の道」という2つのタイプが存在するとして、その対立の図式から日本の左翼運動史を描き出します。

 例えば、「アナ・ボル論争」では、堺利彦・山川均・荒畑寒村らのマルクス主義系が「嘉顕の道」で、大杉栄らのアナーキスト系が「銑次の道」、「福本・山川論争」では福本イズムが「嘉顕の道」、山川イズムが「銑次の道」というわけです。
 ちなみに「苅谷嘉顕タイプ」と「平沼銑次タイプ」となっていないことからもわかるように、この「嘉顕の道」と「銑次の道」というのは個人の特徴ではなく、立ち位置みたいなものです(実際、山川均はこの本では「嘉顕の道」から「銑次の道」へと立場を変えたことになっている)。

 また、左翼運動に限らず、丸山眞男と竹内好に関しても、丸山を「嘉顕の道」、竹内を「銑次の道」として分析しています。

 著者は「嘉顕の道」と「銑次の道」の欠点を次のように説明しています。
 「嘉顕の道」は、現場の事情から遊離して、理論や方針を有無を言わさず押し付け現場の人々を抑圧する可能性がある。一方、「銑次の道」は他集団のことを考慮せずに集団エゴ的な行動をとったり、内部で小ボスによる私物化が発生したりする、と。
 確かに、これは左翼運動にありがちな問題点で、そのことからも著者の図式というのは有効だと感じました。

 ただ、だからどうなんだ?という気持ちも残ります。
 「嘉顕の道」と「銑次の道」をうまく統合するはずの第3部が漠然としていることもあって、そこまで左翼の運動史をたどってきた意味というのがいまいち見えないんですよね。
 そして、この本を読んだ多くの人が一番立派なのは賀川豊彦だと感じると思うのですが、その賀川は添え物的な扱いで、メインの左翼の話からは外れます。この本を読むかぎり、「嘉顕の道」と「銑次の道」の間で社会運動家として大きな足跡を残したのは賀川のように思えるのですが、話は賀川から広がっていくわけではなく、また左翼の歴史に戻ってしまいます。

 他方で、「左翼運動史」としてこの本を捉えると厳密性に欠けますし、宮本顕治への分析がもっと欲しかったですし、また「新左翼」に対する記述もほとんどないです。
 
 面白く読める部分もあるのですが、著者のねらいとそのために用意された材料がちぐはぐな印象を受けた本でした。

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)
松尾 匡
4062881675

国枝昌樹『シリア』(平凡社新書) 5点

2006年から2010年にかけて在シリア大使も務めた人物による、現在のシリア情勢と親子2代に渡るアサド政権について分析した本。
 海外に比べると日本におけるシリア情勢の扱いはずいぶん小さいですが、それでも基本的にはアサド政権の非道ぶりを報じるものが多いです。それに対して、この本は「アサド政権寄り」とも言えるスタンスを取っており、そこに大きな特徴があります。

 シリアではハーフェズ・アサドの政権が30年続き、その跡を次男のバシャール・アサドがついで10年になります。
 バシャール・アサドは若いころは眼科医になるためにイギリスに留学していたという人物で、長男のバーシルが交通事故で亡くならなければ、そのまま医者になっていたかもしれません。
 著者のバシャール・アサドに対する評価は比較的高く、シリアの改革の必要性を認識しており、経済改革も一定の成果をあげていると見ています。また、今回の民主化運動に対しても中東諸国の中では民主的な新憲法の制定を行うなどそれなりの対応をしているとしています。

 では、なぜシリアはここまで国際社会から批判されているのか?
 著者によれば、それは欧米諸国のシリア敵視政策と、武装勢力を支援するトルコ、シリア国内のムスリム同胞団を支援するサウジアラビア、そしてシリア政府による弾圧行為をセンセーショナルに報道するアルジャジーラの存在があります。

 アルジャジーラはシリア政府からシリア国内の特派員の退去を求められたあと、シリア国内の「現場証人」に音声出演をさせて政府の弾圧を伝えるという方法をとっていますが、著者はそのいくつかは武装集団による捏造だと捉えています。
 また、アルジャジーラの記者の中に辞職が相次いでいることに触れ、ベイルート支局長の「アルジャジーラは扇動と動員の指揮所になってしまった」という言葉を引用し(137ー138p)、アルジャジーラの偏向ぶりを指摘しています。

 また、トルコに関しては2002年にエルドアン政権が成立して以来、緊張関係もとけ有効も深まったのですが、2011年3月に民衆蜂起が始まると親シリア政策を大きく転換し、反政府の自由シリア軍もトルコの庇護下になるとしています。
 
 このように、現在のシリアの周囲にはアサド政権を崩壊させるための「陰謀」が張り巡らされており、アサド政権を一方的な「悪」と捉える見方は偏向しているし、シリア国民のアサド支持は根強く、エジプトやリビアのようにそう簡単にアサド正観は崩壊しないというのが著者の読みです。

 おそらく著者の指摘するこのようなことは正しいのでしょう。アルジャジーラの報道には偏向があるのでしょうし、欧米やトルコ政府のシリアへの見方もとても公平なものだとはいえないのでしょう。
 また、エジプトを見れば分かるように、ムスリム同胞団の力というのも見逃していはいけない要素だと思います。
 
 ただ、アルジャジーラやトルコ政府の背後には、中東の民衆の意志なり不満なりがあることをこの本はスルーしてしまっていると思います。
 「アラブの春」のはじまりとなったのはチュニジアですが、チュニジアのベンアリ政権も中東の長期政権の中ではその改革姿勢が評価されていたにもかかわらず、あっさりと倒されてしまいました。
 その結果がどうなるにせよ、やはり中東の若者たちの「自由」や「民主主義」を求める大きなうねりというものは無視できないもので、それを欧米や周辺諸国の「陰謀」に解消してしまうというのには無理があるのではないでしょうか。

 ただ、日本で耳にするニュースは「反アサド政権」的なものがほとんどなので、こういった違った視点を教えてくれる本の存在価値というのはあると思います。

シリア アサド政権の40年史 (平凡社新書)
国枝 昌樹
4582856446

森田邦久『科学哲学講義』(ちくま新書) 5点

ここ最近、「科学とは何か?」、「科学と非科学の違いはどこにあるのか?」といったことについて書いた本が増えていますが、この本もそんな1冊。
 ただ、「科学を擁護する」といったスタンスよりも「科学を懐疑する」といったスタンスが強いのが特徴でしょうか。

 同じようなテーマを扱った本に戸田山和久『「科学的思考」のレッスン』がありますが、戸田山和久の本が科学の限界を指摘しつつ、科学と科学リテラシーを語ろうとしていたのに対して、こちらは科学の曖昧な部分をなぞりながら、「科学とは何か?」という問題を考えていくようなかたちです。

 ヒュームの因果概念批判から始まって、原子のような見えないものは存在するのか?といった問題、量子力学の問題など、とり上げられている問題は興味深いですし、観察の理論不可性や全体論まで視野にいれながら、「科学の正しさ」を証明することの難しさを説いているところも面白いと思います。
 また、そういった問題を科学の題材と比較的身近な例をまじえて説明しているので、読みやすくはあると思います。

 ただ、「哲学」と銘打っている割には、そういった身近な例の使いかたが引っかかる。
 例えば、第2章で因果関係について説明している際に、「花子が石を投げる」という行為と、「花子が石を投げようとする」意図を、ともに「出来事」として記述しているのですが、意図とか意志は「出来事」なのでしょうか?
 哲学的にも「ちょっとどうなの?」と思う議論ですし、ベンジャミン・リベット『マインド・タイム』の議論などを読むと、「意志→行為」という因果は絶対ではなく、「行為→意志」という逆転した因果もあり得ることがわかります(リベットの議論についてはリンク先のブログを参照してください)。

 他にも、122p以下で、花子さんがずっと付き合っていた太郎さんと結婚したという情報よりも、ほとんど口の聞いたことのない次郎さんと結婚したという情報のほうが、「情報としての価値が高い」(123p)という記述があるのですが、これもよくわからない。
 この話は、反証可能性について述べている文脈で、反証可能性が高い命題はそれだけ価値が高いということを主張する例として出てくるのですが、「意外」であるのと「情報としての価値が高い」というのは違うことではないでしょうか(「花子が次郎と結婚した」という情報が、「花子は次郎と結婚したかしないかだ」という情報に比べて価値が高いというのはわかりますが、それが「太郎と結婚した」よりも価値が高いという論理は正直良くわからないです)。

 というわけで、おおまかな内容は悪くなかったのですが、個人的には著者の出してくる例でいちいち引っかかってしまいました。
 まあ、科学を説明するための単なる例だといえばそれまでなのですが、「科学哲学講義」と銘打つからには、もう少し「哲学的」な部分にも気を配って欲しかった気がします。

科学哲学講義 (ちくま新書)
森田 邦久
4480066705
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