「なぜ文明国ドイツにヒトラー独裁政権が誕生したのか?」、これはこの本の帯に書かれている問いであり、昔からとり上げ続けられてきた問いです。
ヴァイマル共和国という非常に民主的な体制からナチの独裁へ。この大きな変化の要因として、ヒトラーのカリスマ性、ナチの巧みなメディア戦略、ナチ政権の経済政策などがあげられてきましたが、そうした中で、ある意味でヒトラーやナチの「神格化」が行われてしまったというのも事実でしょう。
去年、出版された高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)では、主にヒトラーの演説のカリスマ性やナチのメディア戦略の「脱神話化」が行われていましたが、この本では、当時のドイツ社会を分析することによってヒトラーの「独裁体制」やナチ政権の政策の「脱神話化」を行っています。
さらに、これに加えてこの本は「なぜ反ユダヤ主義がホロコーストまで行き着いたのか?」という問いに答えており、ヒトラーとナチ政権への疑問に対して包括的に答えようとした本と言えるでしょう。
目次は以下の通り。
目次を見ればわかるように、ヒトラーの登場からホロコーストまで幅広く論じていますが、ここではいくつかのポイントに絞って紹介したいと思います。
まず、ヒトラーといえばクーデターなどではなく、ある程度民主的なやり方で政権を獲得したのですが、第三章ではその「からくり」が解き明かされています。
ナチ党は1932年の国会選挙で第一党になったものの、得票率は37.3%で、ヒトラーが首相に任命される前の33年の国会選挙では得票率を33.1%に落としています。つまり、ナチ党を支持した国民は1/3ほどなのです。
しかし、ヒトラー以前の内閣も実は国民の支持を得た内閣ではありませんでした。ヒトラーに先立つブリューニング、パーペン、シュライヒャーといった内閣は、いずれもヒンデンブルク大統領が任命した、国会に基盤らしい基盤を持たない内閣で、大統領の緊急令に依拠しながら政権を運営していました。ヒトラー登場前に、、ドイツの民主主義はすでに崩れかけていたのです。
ヒンデンブルクらの保守派は、もともと議会制民主主義に否定的で、その破壊をヒトラーに期待し、それが終われば再び自分たちが政権を握る気でいました。ところが、逆にヒトラーに利用されることになるのです。
次にナチ政権の経済政策の「からくり」について。
失業問題の解決はヒトラーの「功績」としてよくあげられるものですが、この本の第五章を読むとその「功績」を手放しで認められないことがわかると思います。
景気対策はパーペン、シュライヒャー内閣の時から行われていましたし、失業者の現象にも「からくり」があります。ヒトラーは若者の勤労奉仕を導入し、さらに徴兵制を復活させます。これによって若い男性は労働市場から退出し、失業者ではなくなりました。また、女子就労者を家庭に戻すために、「結婚奨励貸付金制度」をもうけました。これは結婚を機に家庭に戻り、二度と就労しないという条件で上限1000マルクを貸し付ける制度で、出産すれば子どもの数に応じて返済が免除されました。これによって女性を労働市場から退出させ、失業者を減らしたのです(210ー214p)。
他にも第五章では、ヒトラーの「独裁」についても、むしろ「多頭支配(ポリクラシー)」であると分析してます。
ナチ党に一元的な意思決定機関は存在せず、ゲーリングやゲッペルス、ヒムラー、フリックといったサブリーダーがいくつもの組織を指導し、それぞれヒトラーに評価されることを競っていました。そしてヒトラーにも見通せないような「ジャングルのような権力関係」(202p)が出来上がっていくのです。
第六章と第七章では、ヨーロッパに広く見られた「反ユダヤ主義」がなぜホロコーストにまで行き着いてしまったのか、ということが分析されています。
ナチのユダヤ人政策の背景にあったものは、「極端なレイシズム」と「優生学」と(人種的な)「反ユダヤ主義」の3つで、これが絡まってその政策がエスカレートしていくことになります。
当初、ナチはユダヤ人のドイツから「追放」を政策としていました。ユダヤ人は公職から追われ、その資産や家屋を没収されていくのですが、同時にドイツ人の中にはユダヤ人のついていたポストにありつき、ユダヤ人の住んでいた家を手に入れるものもいました。「追放」政策は、ドイツ人にも利益をもたらすものだったのです(291ー293p)。
ところが、強制収容所での処刑となるとそういった利益だけでは説明できません。
ユダヤ人の「追放」政策が行き詰まったのは、第2次世界大戦が始まり、ドイツが東ヨーロッパに占領地域を広げてからでした。新たな占領地域には、ドイツ本国以上のユダヤ人が暮らしており、「追放」しようにもその行き先はありませんでした。一方、ヒトラーはポーランドやバルト諸国などのドイツ人の帰還を進めようとしたため、そのための土地を確保する必要もあり、ますますユダヤ人の行き場はなくなっていったのです。
結局、ドイツ本国で優生思想のもとに行われていた障害者や遺伝病患者などへの「安楽死政策」がユダヤ人に対しても採用されることになり、アウシュビッツをはじめとする「絶滅収容所」が建設されていくのです。
ヒトラーの「妄想」とも言っていい反ユダヤ主義(ドイツの対米開戦についても「反ユダヤ主義」が背景にあることが指摘されている(323ー326p))と、官僚機構のつじつまを合わせるための愚かな決定の積み重ねが、ホロコーストにまで行き着いてしまったわけで、改めてその怖さを感じます。
このようにこの本はかなり盛りだくさんの内容になっていて、ヒトラーやナチ政権を知る上で基本図書となるものだと思います。
ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)
石田 勇治

ヴァイマル共和国という非常に民主的な体制からナチの独裁へ。この大きな変化の要因として、ヒトラーのカリスマ性、ナチの巧みなメディア戦略、ナチ政権の経済政策などがあげられてきましたが、そうした中で、ある意味でヒトラーやナチの「神格化」が行われてしまったというのも事実でしょう。
去年、出版された高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)では、主にヒトラーの演説のカリスマ性やナチのメディア戦略の「脱神話化」が行われていましたが、この本では、当時のドイツ社会を分析することによってヒトラーの「独裁体制」やナチ政権の政策の「脱神話化」を行っています。
さらに、これに加えてこの本は「なぜ反ユダヤ主義がホロコーストまで行き着いたのか?」という問いに答えており、ヒトラーとナチ政権への疑問に対して包括的に答えようとした本と言えるでしょう。
目次は以下の通り。
第一章 ヒトラーの登場
若きヒトラー/政治家への転機/ナチ党の発足まで/党権力の掌握/クーデターへ
第二章 ナチ党の台頭
カリスマ・ヒトラーの原型/「ヒトラー裁判」と『我が闘争』/ヒトラーはどのようにナチ党を再建したのか/ヒトラー、ドイツ政治の表舞台へ
第三章 ヒトラー政権の成立
ヒトラー政権の誕生/大統領内閣/議会制民主主義の崩壊
第四章 ナチ体制の確立
二つの演説/合法的に独裁権力を手に入れる/授権法の成立/民意の転換/体制の危機
第五章 ナチ体制下の内政と外交
ヒトラー政府とナチ党の変容/雇用の安定をめざす/国民を統合する/大国ドイツへの道
第六章 レイシズムとユダヤ人迫害
ホロコーストの根底にあったもの/ヒトラー政権下でユダヤ人政策はいかに行われていったか
第七章 ホロコーストと絶滅戦争
親衛隊とナチ優生社会/第二次世界大戦とホロコースト/絶滅収容所の建設/ヒトラーとホロコースト
目次を見ればわかるように、ヒトラーの登場からホロコーストまで幅広く論じていますが、ここではいくつかのポイントに絞って紹介したいと思います。
まず、ヒトラーといえばクーデターなどではなく、ある程度民主的なやり方で政権を獲得したのですが、第三章ではその「からくり」が解き明かされています。
ナチ党は1932年の国会選挙で第一党になったものの、得票率は37.3%で、ヒトラーが首相に任命される前の33年の国会選挙では得票率を33.1%に落としています。つまり、ナチ党を支持した国民は1/3ほどなのです。
しかし、ヒトラー以前の内閣も実は国民の支持を得た内閣ではありませんでした。ヒトラーに先立つブリューニング、パーペン、シュライヒャーといった内閣は、いずれもヒンデンブルク大統領が任命した、国会に基盤らしい基盤を持たない内閣で、大統領の緊急令に依拠しながら政権を運営していました。ヒトラー登場前に、、ドイツの民主主義はすでに崩れかけていたのです。
ヒンデンブルクらの保守派は、もともと議会制民主主義に否定的で、その破壊をヒトラーに期待し、それが終われば再び自分たちが政権を握る気でいました。ところが、逆にヒトラーに利用されることになるのです。
次にナチ政権の経済政策の「からくり」について。
失業問題の解決はヒトラーの「功績」としてよくあげられるものですが、この本の第五章を読むとその「功績」を手放しで認められないことがわかると思います。
景気対策はパーペン、シュライヒャー内閣の時から行われていましたし、失業者の現象にも「からくり」があります。ヒトラーは若者の勤労奉仕を導入し、さらに徴兵制を復活させます。これによって若い男性は労働市場から退出し、失業者ではなくなりました。また、女子就労者を家庭に戻すために、「結婚奨励貸付金制度」をもうけました。これは結婚を機に家庭に戻り、二度と就労しないという条件で上限1000マルクを貸し付ける制度で、出産すれば子どもの数に応じて返済が免除されました。これによって女性を労働市場から退出させ、失業者を減らしたのです(210ー214p)。
他にも第五章では、ヒトラーの「独裁」についても、むしろ「多頭支配(ポリクラシー)」であると分析してます。
ナチ党に一元的な意思決定機関は存在せず、ゲーリングやゲッペルス、ヒムラー、フリックといったサブリーダーがいくつもの組織を指導し、それぞれヒトラーに評価されることを競っていました。そしてヒトラーにも見通せないような「ジャングルのような権力関係」(202p)が出来上がっていくのです。
第六章と第七章では、ヨーロッパに広く見られた「反ユダヤ主義」がなぜホロコーストにまで行き着いてしまったのか、ということが分析されています。
ナチのユダヤ人政策の背景にあったものは、「極端なレイシズム」と「優生学」と(人種的な)「反ユダヤ主義」の3つで、これが絡まってその政策がエスカレートしていくことになります。
当初、ナチはユダヤ人のドイツから「追放」を政策としていました。ユダヤ人は公職から追われ、その資産や家屋を没収されていくのですが、同時にドイツ人の中にはユダヤ人のついていたポストにありつき、ユダヤ人の住んでいた家を手に入れるものもいました。「追放」政策は、ドイツ人にも利益をもたらすものだったのです(291ー293p)。
ところが、強制収容所での処刑となるとそういった利益だけでは説明できません。
ユダヤ人の「追放」政策が行き詰まったのは、第2次世界大戦が始まり、ドイツが東ヨーロッパに占領地域を広げてからでした。新たな占領地域には、ドイツ本国以上のユダヤ人が暮らしており、「追放」しようにもその行き先はありませんでした。一方、ヒトラーはポーランドやバルト諸国などのドイツ人の帰還を進めようとしたため、そのための土地を確保する必要もあり、ますますユダヤ人の行き場はなくなっていったのです。
結局、ドイツ本国で優生思想のもとに行われていた障害者や遺伝病患者などへの「安楽死政策」がユダヤ人に対しても採用されることになり、アウシュビッツをはじめとする「絶滅収容所」が建設されていくのです。
ヒトラーの「妄想」とも言っていい反ユダヤ主義(ドイツの対米開戦についても「反ユダヤ主義」が背景にあることが指摘されている(323ー326p))と、官僚機構のつじつまを合わせるための愚かな決定の積み重ねが、ホロコーストにまで行き着いてしまったわけで、改めてその怖さを感じます。
このようにこの本はかなり盛りだくさんの内容になっていて、ヒトラーやナチ政権を知る上で基本図書となるものだと思います。
ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)
石田 勇治
