死滅したかに見せかけて、今なお日本のカルチャーにおいて侮れない勢力を持っているヤンキー文化。そのヤンキー文化の源流と時代の中での展開、そしてその特徴を分析しようとした本です。
著者の難波功士は、今年の1月にちくま新書から『創刊の社会史』という本を出した人で、その時の情報量にも感心しましたが、この本もさまざまなメディアの膨大な情報の中から「ヤンキー」という現象をとり出そうとしています。
「ヤンキー」という語源は、1970年代・80年代の大阪・アメリカ村にたむろしていた派手な服を着た不良たちという説がありますが、著者はこれを退け、ヤンキーをもっと大きな流れに位置づけ直そうとします。
それこそ60年代の不良映画から、スカマン(ヨコスカマンボ族)、暴走族、バンド・アナーキー、矢沢永吉、親衛隊など、さまざまな現象を見ていくことで、いわゆる不良文化の変遷と、今のヤンキー文化の源流、そしてそうした文化の根深さを教えてくれます。
こうした幅広い資料から見えてくるのが、労働者階級的な文化、反学校、国内・地元志向、伝統的な性的役割の重視などの要素。
これによって、時代によりさまざまな形態をとりながらも、ある種の文化ラインとしての「ヤンキー」の姿が見えてきます。
また、著者が体験したイギリスの労働者階級の文化とヤンキーの比較を通じて、「資本主義社会の中でのブルーカラーの文化の一種としてのヤンキー文化」というようなものも見えてきます。
欲を言えば、「なぜヤンキー文化においては「大和魂」的な日本趣味とアメリカの若者文化が混じりあうのか?」という面についての分析も欲しかったですが(やはり「バットテイスト」ということなのかな?)、ヤンキー文化について考える上で非常に有用な資料となる本と言えるでしょう。
(本のつくりとして言えば、最後の用語解説と「見取り図」は特に必要なかった気もしますが。)
ヤンキー進化論 (光文社新書)
難波功士

著者の難波功士は、今年の1月にちくま新書から『創刊の社会史』という本を出した人で、その時の情報量にも感心しましたが、この本もさまざまなメディアの膨大な情報の中から「ヤンキー」という現象をとり出そうとしています。
「ヤンキー」という語源は、1970年代・80年代の大阪・アメリカ村にたむろしていた派手な服を着た不良たちという説がありますが、著者はこれを退け、ヤンキーをもっと大きな流れに位置づけ直そうとします。
それこそ60年代の不良映画から、スカマン(ヨコスカマンボ族)、暴走族、バンド・アナーキー、矢沢永吉、親衛隊など、さまざまな現象を見ていくことで、いわゆる不良文化の変遷と、今のヤンキー文化の源流、そしてそうした文化の根深さを教えてくれます。
こうした幅広い資料から見えてくるのが、労働者階級的な文化、反学校、国内・地元志向、伝統的な性的役割の重視などの要素。
これによって、時代によりさまざまな形態をとりながらも、ある種の文化ラインとしての「ヤンキー」の姿が見えてきます。
また、著者が体験したイギリスの労働者階級の文化とヤンキーの比較を通じて、「資本主義社会の中でのブルーカラーの文化の一種としてのヤンキー文化」というようなものも見えてきます。
欲を言えば、「なぜヤンキー文化においては「大和魂」的な日本趣味とアメリカの若者文化が混じりあうのか?」という面についての分析も欲しかったですが(やはり「バットテイスト」ということなのかな?)、ヤンキー文化について考える上で非常に有用な資料となる本と言えるでしょう。
(本のつくりとして言えば、最後の用語解説と「見取り図」は特に必要なかった気もしますが。)
ヤンキー進化論 (光文社新書)
難波功士
