去年刊行された『仕事と家族』(中公新書)で、少子化をもたらしている日本の仕事と家族の問題点を幅広く分析した著者が、「家族の現在」についてまとめた本。
前半はややぼやけている部分もあるのですが、後半では非常に鋭い問題提起がなされていると思います。
第一章は「家族はどこからきたか」。
「男女がともに相手を好きになり、合意の上で親密な仲になる。関係がうまくいかなければ、別れる。好きな相手ができたら、女性でも積極的に男性に求愛する」、「男女ともに財産の所有権を持つ」と聞けば、戦後以降の「新しい家族」のことだなと思う人が多いでしょうし、「男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする」と聞けば、昭和までよく見られた「古い家族」だと思う人が多いでしょう。
しかし、古代の日本では男女の関係は比較的「緩く」、いわゆる「家」制度的なものは確立していませんでした。そこには、現代の北欧社会に通じるような、「結婚」を重視しない関係性があったのです。
ところが、次第に「家」や「血のつながり」を重視する考えが浸透してくるようになり、「姦通」なども厳しく罰せられるようになります。そして明治になると、家長が財産を独占し、家族のメンバーに大きな権力を振るうようになります。男性優位の家族が出来上がっていくのです。
このように、この第一章では「古い家族」というのがもっと長いスパンで見れば「古くない」というように家族の形が相対化されているのですが、やや疑問が残りました。古代のようなはるか昔の社会の「現代性」のようなものを指摘することは、あまり意味がないと思うのです(例えば縄文時代の「平等」と現代の「平等」は比べられないと思う)。
35p以下に、近世社会における農村の「夜這い」や商家の婿取りに触れている部分があるので、そうしたエピソードで十分だったのではないでしょうか。
第二章の「家族はいまどこにいるのか」では、第二次世界大戦後に進んだ家族の変化を追っています。
産業革命後、工場などで働き賃金をもらう労働者が増えてきます。当初は、工場で働く女性も大勢いましたが、男性労働者の賃金が上がってくると、家庭と「仕事の場」が切り離されたこともあって、「男は仕事、女は家庭」という規範が強まってきました。
この動きは欧米では1950~60年代、日本では1970年代にピークを迎えます。日本では、戦後も農家や自営業の家庭が多かったので、専業主婦家庭の浸透はやや遅れたのです(61-63p)。
また、戦後の日本の特徴として「見合い婚から恋愛婚へ」という流れがあります。
67pのグラフを見ると、60年代後半を境にきれいに恋愛婚が見合い婚を逆転していますが、著者はそう単純には分析できないといいます。見合い婚の中には、出会いは親がセッティングするけど決定するのは当人というパターンもありますし、逆に恋愛婚の中にも出会いは自分たちでしたけど、結婚には親の同意が必要だったというパターンもあるからです。
そして、著者は、現在の日本において娘の結婚の方により親の同意が必要とされる現象に注目し、そこに男女の経済格差の問題を見ています。
第三章は、「「家事分担」はもう古い?」。
共稼ぎ世帯が増えるに連れて、「家事分担」が叫ばれるようになっていますが、実証研究によると日本では一日の平均の妻の労働時間が夫のそれと比べて1時間長くなると、一週間あたりの家事の頻度が0.05~0.08回ほど縮まるそうです(102p)。これを見る限り、いまだに夫婦間の家事負担には圧倒的な不公平があるといえるでしょう。
ただし、同じ程度に家事負担が妻に偏っている夫婦でも、家事分担がより平等な国とそうでない国を比べてみると、平等な国のほうが妻の不満が出やすいという研究もあり(107p)、日本のように女性に家事分担が偏っている国では不満が出にくいという現状もあります。
こうした「不公平」に対して、フェミニズム政治学者のスーザン・オーキンなどは「正義の不徹底」だと批判していますが(109p)、「私的領域」と考えられている家事の世界に政府が介入すべきかどうかということはなかなか難しい問題です。
第四章は、「「男女平等家族」がもたらすもの」。ここからがこの本の面白いところといえるでしょう。
近年、先進国では夫婦共働きの家族が増えており、先進国に限れば共働きカップルのほうが出生率も高いという傾向も出ています(147ー149p)。
ここから共働きのカップルを支援する正当性といったものも出てくるのですが、著者はここにいくつかの「落とし穴」があるといいます。
1つ目は育児などのケア労働がより貧しい人に振りかかるという問題です。育児への公的支援が貧弱なアメリカなどでは、育児に「ナニー」と呼ばれるベビーシッターが当たることが多いのですが、多くのナニーは貧しい階層の人間であり、自分の子どもの世話をせずに金持ちの子どもの世話をしているという現実があります。階層社会が共働きを可能にしている面もあるわけです。
2つ目はアメリカの社会学者ホックシールドが唱える「過程と仕事の世界の逆転」とも言うべき現象(161p)。
共働きカップルは家事や育児を二人で行っていくことが必要で、家庭のマネジメントが重要になってきますが、それが「安らげる家庭」というものを壊しているというのです。
3つ目は共働きが格差をもたらすという問題。これは橘木俊詔・迫田さやか『夫婦格差社会』(中公新書)でもとり上げられていた問題で、以前は「夫の収入が高ければ専業主婦が多くなり、夫の収入が低ければ妻の有業率が高まる」という「ダグラス・有沢の法則」がはたらいていたが、今は豊かな男女が共働きによってさらに豊かになるという現象が起きています。
豊かな人と貧しい人がランダムに結婚するような社会ならば問題は少ないかもしれませんが、現実の社会は豊かな人は豊かな人と結婚するという同類婚の傾向が強いです。
また、課税に関しても共働き世帯が増えてくると、個人単位で課税するか世帯単位で課税するかという問題も出てきます。著者はいくつかの課税スタイルを分析し、共働きを促進し、出生率を上げ、世帯格差を縮めるという3つの目標を実現する方式はなかなかないということです(191p)。
第五章は「「家族」のみらいのかたち」。
家族にはセーフティネットとしての機能がありますが、あまりにそれが重視されるようになると、今度は家族が「リスク」になりかねません。そして、それが「家族からの逃避」を生み出す可能性もあります。
著者は「家族がなくても生活できる社会」を目指すことで、逆に家族が形成しやすくなるとしています。
また、最後にカップルにおける親密性と不倫などを許さない排他性の問題、さらに第三章でも触れられていた「私的領域における公正さ」の問題を分析しています。
ややまとまりを欠いた分析になっていると思うのですが、特定の人を「特別扱い」しないリベラリズムと「特別扱い」が基本となる家族の緊張関係というものは、今後ますますクローズアップされてくるのではないでしょうか。
このように多面的なアプローチから「現代の家族」に迫っています。前作の『仕事と家族』が少子化問題へのアプローチということで一貫していたのに比べると、いろんなアプローチが混在していて、やや議論をつかみにくいところもあるかもしれません。
ただ、それは現在の家族が直面している「難しさ」の反映でもあり、この本はその「難しさ」について教えてくれる本です。
結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)
筒井 淳也

前半はややぼやけている部分もあるのですが、後半では非常に鋭い問題提起がなされていると思います。
第一章は「家族はどこからきたか」。
「男女がともに相手を好きになり、合意の上で親密な仲になる。関係がうまくいかなければ、別れる。好きな相手ができたら、女性でも積極的に男性に求愛する」、「男女ともに財産の所有権を持つ」と聞けば、戦後以降の「新しい家族」のことだなと思う人が多いでしょうし、「男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする」と聞けば、昭和までよく見られた「古い家族」だと思う人が多いでしょう。
しかし、古代の日本では男女の関係は比較的「緩く」、いわゆる「家」制度的なものは確立していませんでした。そこには、現代の北欧社会に通じるような、「結婚」を重視しない関係性があったのです。
ところが、次第に「家」や「血のつながり」を重視する考えが浸透してくるようになり、「姦通」なども厳しく罰せられるようになります。そして明治になると、家長が財産を独占し、家族のメンバーに大きな権力を振るうようになります。男性優位の家族が出来上がっていくのです。
このように、この第一章では「古い家族」というのがもっと長いスパンで見れば「古くない」というように家族の形が相対化されているのですが、やや疑問が残りました。古代のようなはるか昔の社会の「現代性」のようなものを指摘することは、あまり意味がないと思うのです(例えば縄文時代の「平等」と現代の「平等」は比べられないと思う)。
35p以下に、近世社会における農村の「夜這い」や商家の婿取りに触れている部分があるので、そうしたエピソードで十分だったのではないでしょうか。
第二章の「家族はいまどこにいるのか」では、第二次世界大戦後に進んだ家族の変化を追っています。
産業革命後、工場などで働き賃金をもらう労働者が増えてきます。当初は、工場で働く女性も大勢いましたが、男性労働者の賃金が上がってくると、家庭と「仕事の場」が切り離されたこともあって、「男は仕事、女は家庭」という規範が強まってきました。
この動きは欧米では1950~60年代、日本では1970年代にピークを迎えます。日本では、戦後も農家や自営業の家庭が多かったので、専業主婦家庭の浸透はやや遅れたのです(61-63p)。
また、戦後の日本の特徴として「見合い婚から恋愛婚へ」という流れがあります。
67pのグラフを見ると、60年代後半を境にきれいに恋愛婚が見合い婚を逆転していますが、著者はそう単純には分析できないといいます。見合い婚の中には、出会いは親がセッティングするけど決定するのは当人というパターンもありますし、逆に恋愛婚の中にも出会いは自分たちでしたけど、結婚には親の同意が必要だったというパターンもあるからです。
そして、著者は、現在の日本において娘の結婚の方により親の同意が必要とされる現象に注目し、そこに男女の経済格差の問題を見ています。
第三章は、「「家事分担」はもう古い?」。
共稼ぎ世帯が増えるに連れて、「家事分担」が叫ばれるようになっていますが、実証研究によると日本では一日の平均の妻の労働時間が夫のそれと比べて1時間長くなると、一週間あたりの家事の頻度が0.05~0.08回ほど縮まるそうです(102p)。これを見る限り、いまだに夫婦間の家事負担には圧倒的な不公平があるといえるでしょう。
ただし、同じ程度に家事負担が妻に偏っている夫婦でも、家事分担がより平等な国とそうでない国を比べてみると、平等な国のほうが妻の不満が出やすいという研究もあり(107p)、日本のように女性に家事分担が偏っている国では不満が出にくいという現状もあります。
こうした「不公平」に対して、フェミニズム政治学者のスーザン・オーキンなどは「正義の不徹底」だと批判していますが(109p)、「私的領域」と考えられている家事の世界に政府が介入すべきかどうかということはなかなか難しい問題です。
第四章は、「「男女平等家族」がもたらすもの」。ここからがこの本の面白いところといえるでしょう。
近年、先進国では夫婦共働きの家族が増えており、先進国に限れば共働きカップルのほうが出生率も高いという傾向も出ています(147ー149p)。
ここから共働きのカップルを支援する正当性といったものも出てくるのですが、著者はここにいくつかの「落とし穴」があるといいます。
1つ目は育児などのケア労働がより貧しい人に振りかかるという問題です。育児への公的支援が貧弱なアメリカなどでは、育児に「ナニー」と呼ばれるベビーシッターが当たることが多いのですが、多くのナニーは貧しい階層の人間であり、自分の子どもの世話をせずに金持ちの子どもの世話をしているという現実があります。階層社会が共働きを可能にしている面もあるわけです。
2つ目はアメリカの社会学者ホックシールドが唱える「過程と仕事の世界の逆転」とも言うべき現象(161p)。
共働きカップルは家事や育児を二人で行っていくことが必要で、家庭のマネジメントが重要になってきますが、それが「安らげる家庭」というものを壊しているというのです。
3つ目は共働きが格差をもたらすという問題。これは橘木俊詔・迫田さやか『夫婦格差社会』(中公新書)でもとり上げられていた問題で、以前は「夫の収入が高ければ専業主婦が多くなり、夫の収入が低ければ妻の有業率が高まる」という「ダグラス・有沢の法則」がはたらいていたが、今は豊かな男女が共働きによってさらに豊かになるという現象が起きています。
豊かな人と貧しい人がランダムに結婚するような社会ならば問題は少ないかもしれませんが、現実の社会は豊かな人は豊かな人と結婚するという同類婚の傾向が強いです。
また、課税に関しても共働き世帯が増えてくると、個人単位で課税するか世帯単位で課税するかという問題も出てきます。著者はいくつかの課税スタイルを分析し、共働きを促進し、出生率を上げ、世帯格差を縮めるという3つの目標を実現する方式はなかなかないということです(191p)。
第五章は「「家族」のみらいのかたち」。
家族にはセーフティネットとしての機能がありますが、あまりにそれが重視されるようになると、今度は家族が「リスク」になりかねません。そして、それが「家族からの逃避」を生み出す可能性もあります。
著者は「家族がなくても生活できる社会」を目指すことで、逆に家族が形成しやすくなるとしています。
また、最後にカップルにおける親密性と不倫などを許さない排他性の問題、さらに第三章でも触れられていた「私的領域における公正さ」の問題を分析しています。
ややまとまりを欠いた分析になっていると思うのですが、特定の人を「特別扱い」しないリベラリズムと「特別扱い」が基本となる家族の緊張関係というものは、今後ますますクローズアップされてくるのではないでしょうか。
このように多面的なアプローチから「現代の家族」に迫っています。前作の『仕事と家族』が少子化問題へのアプローチということで一貫していたのに比べると、いろんなアプローチが混在していて、やや議論をつかみにくいところもあるかもしれません。
ただ、それは現在の家族が直面している「難しさ」の反映でもあり、この本はその「難しさ」について教えてくれる本です。
結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)
筒井 淳也



