レヴィ=ストロース以降の「フランス現代思想」についての解説書ですが、注目すべきはタイトルが「フランス現代思想」ではなく、「フランス現代思想史」となっている点。「フランス現代思想」というムーブメントが「終わった」ことを前提に、その内容と意義をたどる形になっています。
また、著者は「フランス現代思想」を専門にしている人物ではなく、専門はヘーゲル。フランス現代思想に取り組むようになったきっかけは、非常勤講師先で学生からドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』について講義してくれと頼まれて読んでみたが、まったくわからなかったことだそうです。
ということもあって、「フランス現代思想」の専門家がその研究対象の「凄さ」を伝えるような本ではなく、ドイツなどの現代思想と比較しながら、その内容をなるべく客観的に評価するようなスタイルになっています。冒頭からいきなりソーカル事件をとり上げていることからもそのスタンスはわかるでしょう。
目次は以下の通り。
目次を見るとわかりますが、フランス現代思想の思想家を網羅的に取り上げつつ、特にレヴィ=ストロース、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダに焦点を当てています。
これらの思想家については、その思想の変遷を含めてある程度丁寧に分析されています(一方、ラカン・バルト・アルチュセール、特にラカントアルチュセールについては簡単な紹介にとどまっています)。
紹介に関しても、レヴィ=ストロースの思想と数学グループのブルバキ派やヤコブソンの言語学との関係は、橋爪大三郎『はじめての構造主義』(自分は昔、この本で「フランス現代思想」に「入門」しましたが非常に面白かった記憶があります)よりも丁寧ですし、フーコーの権力論やドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で陥った隘路などの説明もわかりやすいです。
また、ドゥルーズの管理社会論やデリダの「郵便」モデルなど、現代のビッグ・データとデジタル・ネットワークの問題を予言した部分ににも紙幅を割いており、「フランス現代思想」が持っている「可能性」についても触れています(この「可能性」については第6章「ポスト構造主義以後の思想」でも検討されている)。
このようにここの思想家の紹介としてもいい本だと思いますが、やはりこの本の売りは日本では80~90年代にかけて「ブーム」としてまとめて消費された「フランス現代思想」を「歴史」としてきちんと位置づけている点でしょう。
レヴィ=ストロースのサルトル批判やデリダのレヴィ=ストロース批判など、各思想家間の関係や批判の構図も丁寧に説明していますし、さらには1968年の「五月革命」が思想家に与えた影響、90年代のデリダの発言の政治化の背景にあったフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」への反発など、各思想家の変化や発言の裏側にあったものがわかるようになっています。
よく一緒くたに使われる「ポスト・構造主義」と「ポスト・モダン」の違いについても、デリダとリオタールの対立を通して明確に描かれています。
特に、日本やアメリカでは80~90年代に広く受容された「フランス現代思想」が、本場のフランスではすでに下火になっていた、という指摘は重要でしょう。
フランスでは1973年にロシアの作家・ソルジェニーツィンがソ連の強制収容所の実態を暴露した『収容所群島』を発表した、いわゆる「ソルジェニーツィン事件」によって、マルクス主義は大きな打撃を受け、同時にマルクスから強い影響を受けていた「フランス現代思想」もまた大きな打撃を受けました。
「フランス現代思想」が、「ポストモダニズム」の思想とともに、「文化」を分析する方法として輸入された日本やアメリカとは違い、その思想が「政治的実践」と結びついていたフランスでは、マルクス主義の失墜の影響は大きく、改めて思想が受け入れられる「文脈」というものを考えさせられました。
独特の文体を持つ思想家たちの著作からの引用が多いため、その点で読みにくく感じる人もいるかもしれませんが、引用部分に対する著者の解説も行き届いており、じっくりと読めばその難解な言い回しも理解できるようになっています。
哲学や「フランス現代思想」についての知識があまりない人には難しい面もあるかもしれませんし(「フランス現代思想」についての知識がゼロなら先ほど触れた橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)
あたりから読むといいと思う)、当然ながら「この思想家のこの部分の記述がない!」といった批判もあるとは思いますが、「フランス現代思想とは何だったのか?」という問題に答えてくれるいい本だと思います。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
岡本 裕一朗

また、著者は「フランス現代思想」を専門にしている人物ではなく、専門はヘーゲル。フランス現代思想に取り組むようになったきっかけは、非常勤講師先で学生からドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』について講義してくれと頼まれて読んでみたが、まったくわからなかったことだそうです。
ということもあって、「フランス現代思想」の専門家がその研究対象の「凄さ」を伝えるような本ではなく、ドイツなどの現代思想と比較しながら、その内容をなるべく客観的に評価するようなスタイルになっています。冒頭からいきなりソーカル事件をとり上げていることからもそのスタンスはわかるでしょう。
目次は以下の通り。
はじめに
プロローグ フランス現代思想史をどう理解するか
第1章 レヴィ=ストロースの「構造主義」とは何か
第2章 構造主義的思想家たちの興亡――ラカン・バルト・アルチュセール
第3章 構造主義からポスト構造主義へ――フーコー
第4章 人間主義と構造主義の彼方へ――ドゥルーズ=ガタリ
第5章 脱構築とポスト構造主義の戦略――デリダ
第6章 ポスト構造主義以後の思想
エピローグ 〈フランス現代思想〉は終わったのか
おわりに/ブックガイド
目次を見るとわかりますが、フランス現代思想の思想家を網羅的に取り上げつつ、特にレヴィ=ストロース、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダに焦点を当てています。
これらの思想家については、その思想の変遷を含めてある程度丁寧に分析されています(一方、ラカン・バルト・アルチュセール、特にラカントアルチュセールについては簡単な紹介にとどまっています)。
紹介に関しても、レヴィ=ストロースの思想と数学グループのブルバキ派やヤコブソンの言語学との関係は、橋爪大三郎『はじめての構造主義』(自分は昔、この本で「フランス現代思想」に「入門」しましたが非常に面白かった記憶があります)よりも丁寧ですし、フーコーの権力論やドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で陥った隘路などの説明もわかりやすいです。
また、ドゥルーズの管理社会論やデリダの「郵便」モデルなど、現代のビッグ・データとデジタル・ネットワークの問題を予言した部分ににも紙幅を割いており、「フランス現代思想」が持っている「可能性」についても触れています(この「可能性」については第6章「ポスト構造主義以後の思想」でも検討されている)。
このようにここの思想家の紹介としてもいい本だと思いますが、やはりこの本の売りは日本では80~90年代にかけて「ブーム」としてまとめて消費された「フランス現代思想」を「歴史」としてきちんと位置づけている点でしょう。
レヴィ=ストロースのサルトル批判やデリダのレヴィ=ストロース批判など、各思想家間の関係や批判の構図も丁寧に説明していますし、さらには1968年の「五月革命」が思想家に与えた影響、90年代のデリダの発言の政治化の背景にあったフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」への反発など、各思想家の変化や発言の裏側にあったものがわかるようになっています。
よく一緒くたに使われる「ポスト・構造主義」と「ポスト・モダン」の違いについても、デリダとリオタールの対立を通して明確に描かれています。
特に、日本やアメリカでは80~90年代に広く受容された「フランス現代思想」が、本場のフランスではすでに下火になっていた、という指摘は重要でしょう。
フランスでは1973年にロシアの作家・ソルジェニーツィンがソ連の強制収容所の実態を暴露した『収容所群島』を発表した、いわゆる「ソルジェニーツィン事件」によって、マルクス主義は大きな打撃を受け、同時にマルクスから強い影響を受けていた「フランス現代思想」もまた大きな打撃を受けました。
「フランス現代思想」が、「ポストモダニズム」の思想とともに、「文化」を分析する方法として輸入された日本やアメリカとは違い、その思想が「政治的実践」と結びついていたフランスでは、マルクス主義の失墜の影響は大きく、改めて思想が受け入れられる「文脈」というものを考えさせられました。
独特の文体を持つ思想家たちの著作からの引用が多いため、その点で読みにくく感じる人もいるかもしれませんが、引用部分に対する著者の解説も行き届いており、じっくりと読めばその難解な言い回しも理解できるようになっています。
哲学や「フランス現代思想」についての知識があまりない人には難しい面もあるかもしれませんし(「フランス現代思想」についての知識がゼロなら先ほど触れた橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
岡本 裕一朗
