山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2010年10月

山岸俊男+メアリー・C・ブリントン『リスクに背を向ける日本人』(講談社現代新書) 7点

 社会心理学者の山岸俊男と、一昨年出版の日本の若者を取り巻く状況を分析した『失われた場を探して』が素晴らしかったアメリカ・ハーバード大学ライシャワー日本研究所教授・メアリー・C・ブリントンによる対談本。
 対談本、しかも外国人を交えた対談本となると、どうしても「ここが変だよ日本社会」みたいになってしまいがちで、この本もそういった部分がないわけではないですが、印象論ではなくデータで語ろうとする山岸俊男の姿勢と、ブリントンの日本社会に深い理解によって、ありがちな本よりはかなり深い内容になっていると思います。

 タイトルは「リスクに背を向ける日本人」で、確かに日本人はリスクを嫌いますが、それは失敗した時のリスクがアメリカなどの諸外国よりも大きいからでもあります。
 この本で二人が再三指摘するのは、「セカンドチャンス」のない日本のリスクの大きさ。一度失敗すると再起が難しい日本社会では、リスクに背を向けざるを得ないというのが、二人の一致した見方です。

 この問題を解決するにはどうしたらいいか?
 平凡ですが意識と制度を変えていかなければならないというのが二人の答えです。
 特に山岸俊男は現に制度が存在する以上、意識の変革だけを行っても無意味で、労働市場を中心とする制度の改革が必要だと訴えています。

 基本的に同じような認識を持っている二人なので、意見の対立によるダイナミックな展開などはないのですが、山岸俊男の持ってくるデータとやや過激な意見が面白い。
 
 例えば、子供を育てるコストが大きくなった現代社会では、経済的な利益ではなく非経済的な利益である「アフェクション」(愛情、愛情表現)が子どもに求められているとして次のようなデータを持ってきます。
 95 年度『国民生活白書』の、「子どもが一人なら男女どちらをのぞむか」という設問の答えの推移を見ると、72年男の子52%(81%の間違いっぽい)女の子19%、82年男の子52%、女の子 48%、87年男の子37%女の子63%、92年男の子24%女の子76%。80年代に男女が逆転し、今は圧倒的に女の子が望まれています。

 これについて山岸俊男は次のように説明しています。
対人コミュニケーション能力の欠陥と結びついているとされる自閉症やアスペルガー症候群などが圧倒的に男性に多いことなどを考えると、コミュニケーションを通しアフェクションをやりとりする相手としては、男の子より女の子が好ましいことになる。極端な少子化の進行とともに生じた女児に対する好みの増加は、アフェクションの提供者としての子どもに対する需要の増加を意味しているように思われるんだ。(171ー172p)

 少しいいすぎな気もしますが、山岸俊男はこのような赤裸々なデータを持ってくるのがうまい。
 こうした山岸俊男のデータをブリントンの経験がうまく中和している感じです。

 色々と考える材料の詰まっている本だと思います。

リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)
山岸 俊男 メアリー C・ブリントン
4062880733


輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)8点

 副題は「「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」。「演歌」という「伝統的」と思われているジャンルが、1960年代に成立し、そして70年代から80年代にかけて「日本の心」となっていった過程を丁寧に論じた本。
 新書の枠をはみ出すようなページ数(350ページ超)と情報量で、読みやすい本とは言えないのですが、たんに「演歌」だけにとどまらず、日本の大衆文化と政治性を深く出した本です。

 「演歌」の語源は、自由民権運動の時に歌われた「演説の歌」であり、明治・大正と「演歌」は脈々とその歴史をつないできた、という演歌の「伝統性」はちょっと調べれば怪しいものだとわかります。
 「演歌の女王・美空ひばり」のデビューは「ブギの女王・笠置シズ子」のモノマネでしたし、「演歌の王道」のように思われる古賀政男のメロディも戦前期は「ラテン風」、「南欧風」と言われていました。また、藤山一郎、淡谷のり子といった歌手たちは、いずれも音楽学校で西洋的な歌唱法を身につけた歌手であり、いわゆる「コブシ」や「唸り」といった演歌の歌唱法とは一線を画しています。

 「演歌」は歴史の中で綿々と受け継がれてきたのではなく、ある時点でさまざまな歌が「演歌/艶歌」としてカテゴライズされ、そして「伝統的」、「日本的」とされたのです。

 作曲家・船村徹と作詞家・高野公男のコンビがつくりあげた「都会調」に対する「田舎調」の楽曲群。畠山みどりがパロディ的に持ち込んだ「浪曲」の意匠。「下積み」や「流し」のイメージを売り物にした、こまどり姉妹や北島三郎。洋風ブルースで夜の盛り場を歌った青江三奈や森進一。戦後民主主義批判の中で見出された日本の土着的、あるいは夜の盛り場の歌。それを言説化してみせた五木寛之。その五木寛之のイメージする「艶歌」を体現してみせた藤圭子。「艶歌」の「艶」の字が常用漢字でなかった頃から入り交じる「演歌」と「艶歌」。
 挙げていけばキリがないのですが、これらの様々な要素と状況が重なって、「演歌」というカテゴリーが誕生します。

 正直、あまりにも多くの要素がありすぎて、もうちょっとすっきりとした見取り図は描けなかったのか?とも思いますが、このあまりにも雑多な要素から見えてくる政治性というのも面白い。


やくざやチンピラやホステスや流しの芸人こそが「真正の下層プロレタリアート」であり、それゆえに、見せかけの西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という、明確に反体制的・反市民的な思想を背景にして初めて、「演歌は日本人の心」といった物言いが可能になった、ということです(290p)

 これは藤圭子の登場によって「エンカ」という言葉が流行語になった現象を説明したあとに置かれた文章ですが、ここからは日本の「労働者階級」の弱さ、「反近代」という立ち位置を共有する右翼と左翼の同根性など、さまざまなことが連想できます。
 
 さらに、「演歌=韓国起源説」を否定したあとで引用されている平岡正明の北島三郎についての「おねがいだから、在日朝鮮人であってほしい」との発言。知識人のある種のマイノリティーへの歪んだ入れ込みが戦後の大衆文化を駆動してきたこともうかがえます。

 この他にも小柳ルミ子などによって「風俗」的なイメージが脱色された演歌とそれにのっかったNHK、「歌謡曲」というジャンルの消長など興味深い部分も多いです。
 もう少し整理されていたほうがよかったのでしょうが、演歌に興味がなくても、戦後の大衆文化、そして文化と政治の問題に興味がある人はぜひ読むべき本だと思います。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介
4334035906


歌田明弘『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書) 6点 

 「電子書籍元年!」などと言われながら、日本では掛け声だけでなかなか前に進んでいかない電子書籍、その歴史と現在の状況についてまとめた本です。
 ネットでこの手の情報を追いかけている人にとっては目新しい部分はないかもしれませんが、電子書籍をめぐる今までの動きと、全貌の捉えにくいGoogleの戦略を知る上で有益な本と言えるでしょう。

 アメリカではキンドルが普及し始め、iPadと
iBooksの登場によって電子書籍が普及のタームに入ろうとしていますが、日本ではキンドルもiBooksも本格展開していません。
 そもそも、日本では1998年に新しい電子書籍端末ちお電子書籍の夢が語られていました(本書23p参照)。しかし使い勝手の悪さ、消費者にとって不便な設計が、10年以上日本での電子書籍の普及を妨げていたのです。

 ですから、著者はキンドル的な電子書籍端末の普及に関してはやや懐疑的であります。
 再販制度によって守られている日本の書籍を紙の本より安い値段で電子書籍化すると「一物二価」の状態なってしまい、書店との摩擦が起こってくるからです。
 もちろん、昨今の出版不況を見ると、それでも行動する必要があるのでしょうが、再販制度や著作権という強力な規制に守られた出版業界が革新的なサービスを生み出すことは難しいのではないか、ということがこの本からは伝わってきます。

 そんな中で著者が紙幅をとり、なおかつ現状を大きく変えるものとして期待しているのがGoogleの動き。
 神の世界の情報をすべてネットの世界にひっぱてこようというGoogleの戦略には、「電子書籍」という言葉を超えたインパクトがあります。
 そんなGoogleを巡る動きを丹念に追っているところがこの本の読みどころでしょう。

 日本の電子書籍をめぐる問題に関しては少し踏み込み不足な気もしますし、隠れた巨大市場の携帯マンガへの目配りも足りない気もします。またフラッシュ使用の「ウェブ新書」に期待を寄せている点もなんかずれている気がします。
 ただ、電子書籍の歴史の整理とGoogleの戦略を考えるという点では面白い本だと思います。

電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)
歌田 明弘
4480065768


今谷明『室町の王権』(中公新書) 9点

 初版は1990年、20年前の新書です。評判の本ながら今回初めて読んでみましたが、これは面白い!これからも本屋の棚に残り続けるべき作品と言えるでしょう。

 松本清張の「天皇家を超える実力者は多くあらわれている。(中略)どうして実力者は天皇にならなかったのか」という問いが本書の冒頭に掲げられていますが、著者はこの問いに対して、日本史史上もっとも天皇の存在が危うくなった室町初期の足利義満による皇位簒奪計画を丁寧に検証することでこの疑問に答えようとします。

 室町幕府の三代将軍にして南北朝の統一を成し遂げ絶大な権力を誇った足利義満。彼はまた、明との貿易において「日本国王」を名乗ったことでも知られています。
 そして対外的に名乗るだけではなく、彼はまさに日本の「王」として君臨しようとしました。
 太政大臣、さらには准三后(太皇太后、皇太后、皇后の三后に准じた地位)にまで登りつまた義満は公家たちを従え、後円融上皇を孤立させ着々と天皇家のもつ権限を手中に収めていきます。

 叙任権、祭祀権、皇位への干渉、さらには後小松天皇の母の死にあたって難癖をつけ、自らの妻を准母(天皇の代理の母)に押しこんでいくなど、義満のとった策は周到かつ強引。
 このあたりの動きはまるでミステリー小説を読むような面白さもあります。

 また、日明貿易に関しても、貿易の利益だけでなく、義満が国際社会において「日本国王」として認知されることを欲し、またそのことに成功したことがわかります。
 中国の冊封体制下に入ったことについて義満が批判されることもありますが、これによって例えば朝鮮からも義満は「日本国王」として認められているのです。

 この義満の天皇家乗っ取り計画は、彼の急死によって絶たれますが、著者は、義満には次男・義嗣を親王に準じる形で元服させ、義嗣に天皇の位を継がせる計画があったのでは?と推理します。
 長男の義持に将軍を、次男の義嗣に天皇を継がせ、その両者の上に君臨することが義満の最終的な野望ではないかというのです。
 
 この推理に関してはその成否は判断できませんが、説得力のあるシナリオであることは確かです。
 また、義満以降、天皇家が権力は失いながらも権威ある調停者としてしぶとく復活してくる様子も描かれており、たんに義満の王位簒奪計画だけでなく、中世から近世にかけての天皇のあり方を分析した本としても興味深いです。

 もはや新書の古典といっていい本かもしれませんね。

室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)
今谷 明
4121009789


 

富永茂樹『トクヴィル』(岩波新書) 4点

最初、社会学者の「富永健一」によるトクヴィルの本かと思って手にとったんですが、同じ富永でもこちらは茂樹氏。この富永茂樹氏も先行は知識社会学らしいです。  
トクヴィルと同時代のことに関しては良く調べてあって、トクヴィルの生きた時代の雰囲気は知ることができます。ただ、正直のところ焦点のさだまっていない本だと思いました。
  最初はトクヴィルの家系やトクヴィルが若い頃に襲われた「憂鬱」の分析などから始まるので、トクヴィルを内在的に読み解いていくのかと思いましたが、分析にはトッドなど後世の人物のものも差し挟まれますし、全体的にトクヴィルの思想を読み解くのか、トクヴィルの生きた時代を読み解くのかがはっきりしていないです。

  同じ岩波新書の宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』は、トクヴィルの思想をもとに現代の政治的な課題の解決方法を探ろうとしていましたが、この『トクヴィル』にはそういった視点もあまりありません。  強いて言えば「歴史エッセイ」的なものに仕上がっていて、政治学や社会学の面からトクヴィルに興味を持った人間にとってはやや物足りない出来です。
  せめて、トクヴィル再発見のひとつの契機伴っているアーレントのトクヴィル論くらいは紹介してもいいと思うのですが、それもありません(けれども「人間の条件」と題された1節はあって明らかに著者はアーレントを読んでいる)。
  終章の「トクヴィルと「われわれ」」も個人的には非常に粗雑に思えました。

 トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)
富永 茂樹
400431268X

山口真美『美人は得をするか 「顔」学入門』(集英社新書) 5点

 人間の顔について科学的に分析した本。人間がいかに顔に注意を払い、そして顔をふつうのものとは違ってみているかが分かります。

 他人の顔への注目は赤ん坊の時から始まり、人は自動車のヘッドライトや様々な模様の中にまで顔を見出します。
 そんな人間の顔に対する認知についていくつかの面白い知見が得られる本です。

 ただ、タイトルの疑問には全く答えていないのがこの本の欠点。
 一番微妙であり、なおかつ人々が関心をもつ「顔の良し悪し」の問題についてこの本は全くと言っていいほど踏み込んでいません。正直なところ、「看板に偽りあり」と言っていいでしょう。

 例えば、L・A・ゼブロウィッツ『顔を読む』では、美しい顔がもたらす「威光効果」、童顔の損得など、顔が他人の判断にどのような影響を与えるのかということが、様々な研究を元に示されています。

 もちろん、専門書と新書を比べることはできませんが、「美人は得をするか」というタイトルを掲げるならば、もっと生々しい議論も必要なのではないでしょうか?

美人は得をするか 「顔」学入門 (集英社新書)
山口 真美
4087205584


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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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