インド社会の特徴としてあげられるのが「カースト制度」です。このカースト制度のもとで「ダリト(不可触民)」と呼ばれる被差別民がいるということも知られていると思います。
ただし、このカースト制度というのはかなり複雑です。学校などではバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという4つのヴァルナ(種姓)があるということを習うかもしれませんが、実際はもっと複雑で外部からはそう簡単には理解できないものになっています。
本書はそうしたカースト制度の実態を教えてくれるだけではなく、差別されている不可触民(ダリト)へのインタビューなどを通じて、どのように差別され、どのような生活を送り、差別についてどのように感じてるのかというとを教えてくれます。
差別というのは非常にデリケートな事柄であり、なかなか外部からは見えにくいことですが、本書はその実態に迫っています。
カースト制度を通じて、インド社会の特殊性を教えてくれると同時に、どの世界でもみられる差別の普遍性にも気づかせてくれる読み応えのある本です。
目次は以下の通り。
序章 カーストとは何か第1章 不可触民とされた人びと―被差別集団の軌跡第2章 差別批判と解放の模索―迷走のインド政治第3章 清掃カーストたちの現在―社会的最下層の実態第4章 インド社会で垣間見られるとき第5章 世界で姿が見えるとき終章 カーストの未来、インド社会のゆくえ
本書では、まずカーストを次のように説明しています。
カーストとは、結婚、職業、食事などに関してさまざまな規制を持つ排他的な人口集団である。カースト間の分業によって保たれる相互依存の関係と、ヒンドゥー教的価値観によって上下に序列化された身分関係が結び合わさった制度をカースト制と呼ぶ。(5-6p)
もともと「カースト」は外来語で、ポルトガル語の「血筋、人種、種」などを意味する「カスタ」に由来します。
このカーストには、インド社会における「ヴァルナ」と「ジャーティ」という2つの概念が含まれています。
ヴァルナは北方からインドに侵入したアーリヤ人が持ち込んだものと言われ、紀元前8〜7世紀に成立したと言われます。バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという4つの区分があり、さらに紀元後4〜7世紀にシュードラの下に不可触民=ダリトというカテゴリーが付け加えられたと言われます。
このカーストをイギリスが植民地支配に利用したことが、曖昧で体系だっていなかったカースト集団やカースト制の概念を実体化させたともいいます。
ただし、著者は「カーストはイギリスによってつくられた」という見方は誤りだといいます。
例えば、ガーンディーはイギリスの植民地支配に抵抗しましたが、職業の世襲を重視し、カーストを「健全な分業」とし、「優劣のないカースト」を求めていました。カーストはインド社会における巨大な分業の体系でもあるわけです。
現在では、ダリトに対する暴力や差別的行為はインドの憲法や法律で明確に禁止されています。
農村では差別的習慣が残っているものの、都市部ではそのような習慣が大っぴらになることはありませんし、清掃カーストを指す「バンギー」という呼称も差別用語として使われなくなっています。
それでも差別がなくなったとは言えず、さまざまな場面で顔をのぞかせるのです。
紀元前6世紀頃のインドにはさまざまな賤民集団がおり、仏典には「チャンダーラ」と呼ばれる身分が登場します。
チャンダーラは、シュードラの男とバラモンの女の混血に由来するとも言われますが、チャンダーラは上位のカーストのものが不浄なものとして忌み嫌う、死刑執行、動物の死体処理、清掃、土木作業などに従事していました。
紀元後になると隷属民とされていたシュードラと庶民であるヴァイシャの境界が曖昧になりますが、その一方で不可触民の数が増え、カテゴリーとして確立していったと考えられます。
この不可触民という身分は、イギリスの植民地支配の中で政治的に位置づけられていきます。
特に重要なのが1930年代にイギリスが導入した「指定カースト」という制度です。これは不可触民に優遇措置を講じるために不可触民という集団を公的に認知したものでした。
この集団に認定されると、国会下院、州議会下院での議席や公職の留保、教育・経済面での優遇措置などを受けられますが、集団が認定されるか否かは政治的な判断に任されています。
このようなアファーマティブ・アクションは他国では立法で行われていますが、インドでは憲法に書き込まれているのが特徴です。
不可触民=ダリトは細かい集団に分かれています。また、人口のどのくらいの割合を占めているかも州によって大きく違い、指定カーストの人口比が30%を超えるパンジャーブ州のような州もあれば、ミゾラム州では0.1%しかおらず、代わりに指定カーストと同じく政府の保護的措置を受ける「指定部族」が多いといいます(50−51p1−2参照)。
政府の保護的政策によって差はつまりつつありますが、識字率をみると、指定カーストはインドの平均に比べて低く、特に女性は低い水準にとどまっています(55p1−3参照)。
また、全体的に北部の州では指定カーストの識字率が低い傾向があります(56p1−4参照)。
同じくダリトへの差別を解消を訴えながら、そのアプローチが大きく違ったのがガーンディーとアンベードカルです。
ガーンディーが進めたのが「ハリジャン運動」です。ガーンディーらは、「不可触民を「友なく、無力で、弱い存在」として、神に保護されるべき人たちと評し、ハリジャンと表現していた」(70p)のです。
ガーンディーは不可触民の問題を差別する側の心の問題として捉え、差別する側の改心によって差別をなくそうとしました。
ガーンディーは先述のようにカーストを否定してはおらず、例えば、清掃の仕事をするバンギーを「社会全体の健康を衛生に維持により守り保障する。[中略]バンギーはすべての奉仕の基礎をなしている」(73p)と称揚することによって差別をなくそうとしました。
一方、アンベードカルは不可触民出身であり、ガーンディーのやり方を温情主義的だと考えて批判しました。
アンベードカルはダリトが今の境遇から抜け出すためには、憐憫に頼るのではなく、ダリト自身が教育を受け、従属的立場を自覚して自力で改革に取り組まなければならないと考えました。
そして、死の直前に彼と同じカーストの人々50万人とともに仏教への集団改宗を行っています。
1930年代にガーンディーとアンベードカルの間で論争が行われましたが、その争点の1つが選挙制度でした。
1919年のインド統治法で、インドでは宗教を基本とする分離選挙制度が徹底され、各教徒の人口比に応じて州立法参事会の議席が配分されることになりました。
ここで不可触民の宗教帰属が問題になります。不可触民の中からはキリスト教などへ改宗する動きがありましたが、これはヒンドゥー教の勢力衰退につながります。そこで、ヒンドゥー教徒も不可触民の問題を取り上げざるを得なくなります。
ガーンディーは不可触民は紛れもないヒンドゥー教徒という立場で、不可触民に固有の権利を認めることは分離主義につながってしまうという考えでした(実際にイスラーム教徒はパキスタンとして分離した)。
しかし、アンベードカルによれば、ガーンディーのやり方では不可触民運動から不可触民の当事者が排除されてしまうといいます。アンベードカルは分離選挙によって不可触民が議会に代表を送ることが重要だと考えました。
結局、ガーンディーが命がけの断食を行うことで、アンベードカルの妥協を引き出します。分離選挙は行われず、不可触民の留保議席を増やすことで決着がつきました。
独立後、しばらくは経済開発と民主化によって差別は解消されるだろうという楽観的な見通しがありましたが、うまくいきませんでした。
1967年に国民会議派が初めて国会での優位を失うと、貧困問題への取り組みが重要視されるようになり、60年代末から指定カースト向けの政策が拡充されていきます。
1980年代になると、留保政策の影響もあって指定カースト出身者の社会進出が進みます。ただし、1991年に経済の自由化が始まると、指定カーストの最大の受け皿であった公務員の採用数が減少していくことになります。
インド政府は特に不浄視されている屎尿処理人の境遇を改善するための政策を打ち出していきますが、その政策の柱の1つは水洗便所の設置や乾式便所の改善で、差別をなくすというよりは、その仕事をしなくてすむようにするものでした。
しかし、従来の乾式便所がどれくらい残っているのか、屎尿処理人の転職は進んだか、といったデータは不十分で、十分に効果をあげているかどうかはわからないといいます。
ダリトの中でも最下層と位置づけられているのが屎尿処理人を含む清掃カーストです。
その起源は意外に新しいとも言われ、イギリス植民地支配の中で都市が発展し乾式便所が普及してから集団が形成されたという研究もあるそうです。
ただし、デリーの場合だと、農村の掃除や動物の死骸の処理などを行っていた「チューラー」と呼ばれるカーストが都市の清掃を担うようになったと言われるように、以前から差別されていた階層の人々だったようです。そして、清掃カーストにも呼び名のちがったさまざまな集団があります。
ダリトの職業はヒンドゥー教の浄/不浄の概念と強く関わっています。死に関するもの、排出物、廃棄物、血液などに接触するものは不浄とされ、ダリトの仕事とされてきました。
2011年の国勢調査によれば、インドではトイレのない世帯が53.1%、農村部では69.3%だったそうですが、これはトイレを不浄とみなすヒンドゥー教の考えにより、家の中にトイレを作ることを敬遠することも背景にあるといいます。
カーストと職業の結びつきは産業構造の変化や村落共同体の衰退によって緩和されつつあるといいます。
ただし、清掃カーストについては他のダリトカーストに比べ職業との結びつきがむしろ強まっていると言われます。急速な都市化によって清掃の仕事が増えていること、清掃カースト出身者が他の仕事につける機会が十分でないことなどが原因だと考えられます。
一方、皮革カーストの「チャマール」は、多くの清掃カーストよりも識字率や高等教育への進学率が高く、他産業へと進出しています。
ここでは基本的に文献資料を通じてカーストのことが解説されてきましたが、第4章では実際の著者の体験やインタビューを通じてカーストの実態が語られています。
ヒンドゥー教では、浄/不浄の考えから、食事では菜食主義が良く、肉を食べるとしても豚は不浄であり、避けるべきものとされています。また飲酒も避けるべきものとされています。特にガーンディーは禁酒運動を推進しました。
一方、豚はダリトにとって貴重なタンパク源であり、飲酒をするダリトも多いです。ただ、これには屎尿処理人などは、酒でも飲まなければ強烈な匂いの中で作業はできないという面もあるようで、仕事前に飲まざるを得ないという人もいるといいます。
飲食に関して、インドでは「誰と食べるか?」というのはデリケートな問題で、上位カーストは自分よりも下位のカーストから不浄性が感染しないように注意を払っています。
その一方で、ダリトの従属性を示すための行為として、ダリトに残飯が与えられるという行為があります。
屎尿処理を行っている女性によると、残飯は「手渡しではなく。いったん床に投げられるか、置かれるのよ」(158p)とのことで、店などでもダリトには釣り銭を投げて渡すことも多いといいます。
こうしたことがあるせいか、ダリトの集会では集会後に食事が提供され、みんなで一緒に食べるといいます。
カーストが問題になるのが結婚です。近年ではカーストの壁を乗り越えてダリトカースト出身者が上位カースト出身者が結ばれるケースもありますが、それが相手方の家族や親族との軋轢を引き起こし、場合によっては暴力事件に発展するケースもあるといいます。
特にカーストの高い女性とカーストの低い男性の結婚は忌み嫌われ、家の「名誉を守る」ために殺人事件が起こることもあります。
本書では具体的なカーストを超えた結婚の例が2つ紹介されています。
一人はディーピカー(仮名)という女性で、バールミーキ出身ながら名門大学の助教という地位でカーストの異なる男性と恋愛結婚しています。
ディーピカーがこの地位につけた背景には、父親が大学の清掃職をしており、彼女が11歳のときに父親は亡くなってしまったものの、長女がその職を継ぐことができたからだといいます。政府系の清掃職では家族がその職を継ぐ慣行がみられるのです。
長女が結婚したあとは母親が清掃職を継ぎ、ディーピカーは家族のサポートを得て進学することができたといいます。
もう一人のレーカー(仮名)は、父親は国鉄の技士である公務員で、親族に清掃員は一人もいなかったといいます。
レーカーは博士号まで取得し、34歳で同じ大学出身でバールミーキ男性と結婚しました。代理出産で息子をもうけましたが、息子にはカーストのことは知らせていないといいます。
ただし、指定カーストとして優先枠を利用するためには自らのカーストを明かす必要があり、指定カーストの留保枠を使うかどうかは一つの決断になります。
留保制度などによってダリトの生活に一定の向上は見られますが、それへの反発もみられます。
インドでは2014年にインド人民党のモディー首相が就任して以来、ヒンドゥー・ナショナリズムの風潮が強まり、ムスリムへの暴力事件などが増えていますが、ダリトを標的とした暴力もあるといいます。
政府の公式統計においても、指定カースト、指定部族を標的とした犯罪は2015年から増加傾向にあります(203p5−2参照)。
特にダリトの女性への性犯罪は増えており、2016〜19年にかけてインド全体のレイプ事件は約17%減少しましたが、ダリトカースト女性の被害件数は約37%増加しています。
また、こうした事件が起きても警察の動きが鈍い、公共的な議論が盛り上がらないといった状況もあります。
2005年におきた「ゴーハーナー事件」は、地主のカーストであるジャートとバールミーキのカースト間の争いから、ジャート側の1500〜2000人の暴徒がバールミーキの居住区を襲ったという事件で、警察や行政が予兆を掴んでいたにもかかわらず起きています。
上位カーストの中には留保制度への不満もあり、また、農村部では旧来のカーストのパワーバランスが崩れてきたことが暴力の背景にあるといいます。
さらに近年では「牛保護団」なる団体のメンバーが牛皮を運んでいたダリトを集団でリンチする事件が起こるなど、ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりを背景とした事件も起こっています。
高学歴を得たダリトにもさまざまな抑圧はあり、2016年にはハイデラバード大学でダリト出身の大学院生ローヒト・ヴェームラーが自殺する事件が起きています。
ヴェームラーはダリトの学生団体にも関わっていましたが、インド人民党に近い民族義勇団(RSS)傘下の学生団体からの圧力などが自殺につながったとも言われています。
この事件は高学歴のダリトの若者に大きな衝撃を与え、自らダリトであることをカミングアウトする運動なども起きました。
カーストによる差別は、海外のインド人コミュニティやインド人が多く働く企業の中にもあり、BLM運動などと共振しながら、差別の撤廃を求める動きが起こっているといいます。
この海外でのカーストの問題や、映画の中に出てくる差別の一端などはコラムにまとめられており、そこも本書の読みどころとなっています。
以上のように本書はカーストという外からはわかりにくいものに肉薄した内容になっています。
前半の文献資料から組み立てている部分だけではやや漠然としている部分が、後半の著者の現地での経験やインタビューなどを通じた部分を通じて一気にクリアーになっていきます。
最初にも述べたように、本書を読むことでインド社会の特殊性と差別の普遍的な側面(日本の部落差別を思い起こさせる部分もある)が同時にわかるようになっており、インドと差別を考えるうえで重要な1冊となっています。





