山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

2016年04月

岩下明裕『入門 国境学』(中公新書) 7点

 同じ中公新書の『北方領土問題』で、「1:3」、「面積等分」などの日露両国「引き分け」による解決方法を提示した著者の本。
 タイトルから、日本の領土問題を中心に国境をめぐる世界のさまざまな争いを概観するような本を想像しましたが、「ボーダースタディーズ」という近年になって登場した新しい学問領域とその活動を紹介する本になっています。

 目次は以下の通り。
はしがき 「日本の領土」、何が間違っているのか
序章 世界の境界・国境を比較する
第1章 境界の現場を歩く
第2章 ボーダースタディーズとは何か
第3章 国境・誰がこの線を引いたのか
第4章 領土問題の構築を解体する
第5章 透過性と分断から地域を考える
第6章 国際関係をボーダーから読み換える
第7章 日本の境界地域をデザインする
終章 国境のなかに光を見る
補論 新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか


 「ボーダースタディーズとは何か?」、この本の第2章の冒頭では次のように説明されています。
 ボーダースタディーズとは、人間が存在する実態空間そのものおよびその人間の有する空間および集合認識のなかで派生する差異化(自他の区別)をもたらす境界をめぐる現象を材料に、グローバル化する世界においてさまざまに形成され変容する空間の脱/最領域化とその境界を多面的に分析する学問領域である。(22p)

 なかなか難解な定義であり、この定義だけを読んで、面白そうと思う人は少ないかもしれません。しかし、この本ではさまざまな事例を上げていくことで、ボーダースタディーズが興味深い学問領域であることを教えてくれます。
 
 まず、この本のタイトルとなっているのは「国境学」ですが、本書のなかでは基本的に「ボーダースタディーズ」というように「ボーダー」という言葉を用いています。
 「国境」だと、国と国の境しかあつかえませんが、「ボーダー」となるともっといろいろなものが入ってきます。例えば、パレスチナの地にイスラエルが築いたフェンスは「国境」ではないですが、「ボーダー」として機能しています。そしてこれを「壁」と見るか「フェンス」と見るかでも争いがあります(63p)。

 イスラエルの築いたフェンスやベルリンの壁のようにはっきりと目に見える「ボーダー」もありますが、同時に目に見えない「ボーダー」もあります。
 EUのように国境がほとんど意識されないようなケースもありますし、領海に線が引かれていることもありません。また、根室のように事実上は「国境のまち」でありながら、政府の立場上、「国境」とはされないような場所もあります(52-54p)。

 また、「ボーダー」というものは人為的なものであり、国家などによって「構築」されたものです。この本の第4章では竹島(独島)がそのようなものの代表例としてとり上げられています。
 韓国における独島はたんなる領土というよりも、歴史的・国家的なシンボルであり、著者に言わせれば2012年にオープンした独島体験館では「わずか0.23平方キロメートル、そのあたりの公園よりも小さな島が、途方もない宇宙の中心のように描かれている」(114p)そうです。
 この「構築」されたものとしては日本の北方領土問題にもそういった要素があります。四島が「固有の領土」としてパッケージングされたのは、戦後すぐではなく日ソの平和条約締結が行き詰まった1950年代後半~60年代前半にかけてのことです(119-122p)。

 「ボーダー」が何を通し、何を通さないかというのも重要です。
 アメリカとメキシコの国境は、アメリカからメキシコに行くときは簡単に超えることが出来ます。一方、メキシコからアメリカにはいろうとすると大変です。不法移民や麻薬の密輸取り締まりのために、メキシコからの入国者は何時間も待たされることになります。
 ここ最近のヨーロッパに押し寄せる難民の問題などは、「ボーダー」が、まさに何を通し、何を通さないかということを改めて考えさせるものだったと言えましょう。

 さらに第6章では、国境に注目した地政学的な分析も紹介しています。
 陸続きの国境も持つということは、相手の国と嫌でも関係していかなければならないということになります。特に、その国境が紛争を抱えていたりすると、その紛争に外交全体が縛られます。
 一方、東アジア地域におけるアメリカはどこの国とも陸続きの国境がなく、比較的自由に振る舞えます。この本ではニクソンによる米中接近などをそうした国境紛争をめぐる地政学的な観点から分析しています。

 終章では、ボーダーツーリズムを提案するなど、地政学的な側面とはまったく違ったボーダースタディーズの可能性を打ち出しています。
 福岡から対馬に行って観光し、さらに高速船で釜山へ渡るプランなど、国境を意識させ通過するというツーリズムは、普通の旅行とはまた違った面白さがあるでしょう。

 このようなボーダースタディーズにはかなりいろいろな要素が詰め込まれています。
 まだ可能性として示唆されている部分も多いですが、確かにエリア・スタディーズとはまた違った切り口を与えてくれそうです。
 また、ここではボーダースタディーズのエッセンス的な部分だけを紹介しましたが、この本では著者の体験や研究遍歴とともにボーダースタディーズの内容が語られており、補論の「新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか」を含め、学者の一つのロールモデルを教えてくれる本でもあります。

入門 国境学 - 領土、主権、イデオロギー (中公新書)
岩下 明裕
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山下一仁『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書) 6点

 元農林水産省の官僚で、『農協の大罪』などの著作のある著者が最近のバター不足の真の原因について迫った本。
 2014年から続いているバター不足に関して、農林水産省は、夏の猛暑で乳牛に病気が発生したことと、酪農家の離農などで乳牛の頭数自体が減っていることをその原因としてあげています。生乳の生産量が減り、さらにバターに回される分が減ったのでバター不足が起きたというのです。
 しかし、著者は2010年と2011年に2013年を上回るバター生産量の減少があったにもかかわらず、バター不足が起きなかったことを指摘し、バター不足の原因をその乳価の決まり方と複雑な流通過程に求めていくのです。

 バター不足の原因という1つのテーマを扱うにしては245pもある本で、正直、もう少し端的に結論を提示することもできたのではないかと思いますが、この本に積み上げられた制度の説明からは、複雑になりすぎて前例を踏襲するしかできなくなった日本の農政の姿が見えてきます。

 目次は以下のとおり。
第1章 消えたバターについての酪農村の主張
第2章 日本の酪農とアメリカの切れない関係
第3章 牛乳・乳製品は不思議な食品
第4章 複雑な酪農事情と政策の歴史
第5章 乳製品の輸入制度はこうしてできあがった
第6章 さあ、謎解きです―バターが消えた本当の理由
第7章 日本の酪農に明日はあるか?

 酪農家の年間所得は2014年度で974万円、休みが取れないなどの厳しさはありますが、コメ農家の412万円などと比べると倍以上の所得があり、農業経営のなかでは比較的うまく言っている部類だと言えます(28p)。
 これは酪農家が一戸あたりの乳牛の頭数を年々増加させているためで、日本の農業の課題となっている規模拡大に酪農家は成功しているのです。

 では、酪農家は安泰かというとそうではありません。
 牛乳の消費量は徐々に減少していますし(著者はその要因として緑茶飲料の伸びをあげているけど、ここは少子化とかもう少しいろいろあるんだと思う)、コストの大半を占めるエサ代は高止まりしています。
 日本の酪農は乳牛のエサとして配合飼料を与えています。この配合飼料は主にアメリカから輸入されたとうもろこしでできているのですが、日本の配合飼料の価格はアメリカの倍近い価格になっています(第2章でそのことがとり上げられていて、エサ米振興の問題などが書かれているのですが、結局のところ、なぜ日本の配合飼料が高いのか?という理由はよくわからないです)。

 乳牛から絞られた生乳からはさまざまな製品が生まれます。生乳を殺菌・遠心分離をするとクリームと脱脂乳になり、クリームからはバターが、脱脂乳からは脱脂粉乳がつくられます。
 牛乳は保存が効きませんが、バターや脱脂粉乳は保存が効きます。その一方で、乳製品には可逆性があり、バターと脱脂粉乳に水を加えると本の牛乳(加工乳)になります。
 冬場は牛乳の消費量が落ちるので、冬にあまった牛乳からバターと脱脂粉乳をつくり、それを夏に牛乳(加工乳)として供給することもあるそうです(96p)。

 それにもかかわらず、日本では飲用向け乳価と乳製品向けの乳価は別々となっており、流通、価格決定のメカニズムとも複雑なものになっているのです。
 基本的に飲用向け乳価は高く、乳製品向け乳価は安くなっています。そして、乳製品向けの乳価には政府による不足払い制度がつくられ、酪農家は乳製品向けの生乳について一定の価格保証を受けることになりました。
 この不足払い制度はGATTのウルグアイ・ラウンド交渉によって変更され、以前のような価格保証制度ではなくなりましたが、2つの乳価というしくみは維持されたままになっています。

 こうしたことを踏まえて、ようやく第6章の「さあ、謎解きです―バターが消えた本当の理由」に辿り着くわけです。
 著者がまず指摘することは「バター不足が言われても、脱脂粉乳不足が言われることはない」ということです。
 単純に言うと牛乳から脱脂粉乳を取り出したものがバターになります。脱脂粉乳というと「昔の給食」というイメージがあるかもしれませんが、低脂肪乳などの成分調整牛乳の原料で、今も一定の需要があります。
 
 しかし、この成分調整牛乳の需要を大きく減らしたのが2000年に起きた雪印事件です。脱脂粉乳からつくられた「雪印低脂肪乳」が引き起こした食中毒事件により低脂肪乳の
イメージは悪化、脱脂粉乳の需要は減少します。
 バターの需要に合わせて生産を行うと脱脂粉乳が余ってしまい、脱脂粉乳の需要に合わせて生産を行うとバター不足になってしまう状況となったのです。

 以前は不足する脱脂粉乳を海外から輸入していましたが、現在不足しているのはバターです。当然、不足分は輸入でということになるのですが、バターの輸入は国の機関(農畜産業振興機構alic)が一元的に行っており、民間業者が自由に行えるわけではありません。
 2011年度には1万4千トン、2012年には9千トンの輸入が行われたため、バターの生産量現象があっても現在のようなバター不足は起きませんでした。一方で、2013年度は3千トン、バター不足が社会問題化した2014年度は1万3千トンと、バター輸入量は抑えられています。
 著者はこれを民主党から自民党への政権交代の影響だと見ています(205p)。農林族の強い自民党に遠慮してバターの輸入拡大に踏み切れなかったというのです。

 まあ、最期の政権交代の影響についてはなんとも言えないところがありますが、確かにマスコミがあまり報じない(報じているメディアもあったかもしれませんが)バター不足の原因というのはわかりました。
 けれども、やはり回りくどすぎる面はあると思います。コメをはじめとする日本の農政について言いたいとことは分かりますし、著者の意見に賛同する部分も多いのですが、バターから離れる部分については別に章立てをするなりコラムにまとめたほうが良かったと思います。
 そういった意味で、もうちょっと編集がきちんとなされていれば、もっと読みやすい本になった感があります。

バターが買えない不都合な真実 (幻冬舎新書)
山下 一仁
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佐藤洋一郎『食の人類史』(中公新書) 9点

 サブタイトルは「ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧」。タイトル、サブタイトルともにスケール感がありますが、そのタイトルに負けない広く深い内容になっていると思います。
 「食べる」という視点から、狩猟採集、農耕、牧畜という3つの生業に注目し、ユーラシア大陸におけるそれぞれのあり方を歴史的、地理的に探っていく内容で、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を思い起こさせるような本になっています。

 目次は以下のとおり。
第1章 人が生きるということ
第2章 農耕という生業
第3章 アジア夏穀類ゾーンの生業
第4章 麦農耕ゾーンの生業
第5章 三つの生業のまじわり
終章 未来に向けて

 まず、この本では人間が生きるためには糖類とタンパク質という栄養素が必要であると指摘します。
 ユーラシア大陸では糖類は穀物(米や麦や雑穀)やジャガイモから取られ、タンパク質は肉や魚やミルクや豆から取られています。
 ポイントは糖類とタンパク質の両方が必要であるということで、「米だけ」「肉だけ」という生活は成り立ちません。また、ダイズを除くとタンパク質は保存が効きにくく、農耕を行う人々はタンパク質をどう摂取するかがひとつの課題でした。
 そこで、日本では魚が必要とされましたし、他の地域ではチーズやソーセージなどの形でタンパク質を保存する技術が開発されたのです。

 そうした栄養面での必要性を踏まえた上で、第2章では農耕について検討していきます。
 この本では農耕を「自らが生きるために主に植物性の食材を生産する営み、生業」、農業を「他人、それも不特定多数の他者のために、食料だけでなくその衣食住にかかわる資材を生産する産業」(38p)と定義し、まずは農耕のおこりを探っていきます。

 農耕を行う上で一つのポイントとなるのが野生種からの「選抜」です。人間によって栽培されている作物の多くは、実が大きいなど人間にとって都合の良い性質を持っていますが、それは人間が長い時間をかけてそのような種を「選抜」してきたからです。これは家畜でも同じで、家畜も人間に都合の良いように長い年月をかけて「改良」されてきました。
 
 そのため栽培種は野生種に比べて圧倒的にDNAの多様性がないといいます。ラオスのイネの野生種が自生している場所では、RM1と呼ばれる領域の遺伝子の配列パターンが23種確認できましたが、日本で栽培されているイネは3種のみだそうです(45-49p)。
 そして、この遺伝子のパターンの乏しさが農耕のはじまりを考え上でのポイントとなります。
 例えば、青森県の三内丸山遺跡では周囲にクリの林があったことが知られていますが、三内丸山遺跡で見つからクリの殻のDNAの多様性は野生のそれよりも少なく、これは縄文時代にも農耕の要素があった証拠といえるかもしれません(98-101p)。

 この本ではユーラシア大陸を「アジア夏穀類ゾーン」と「麦農耕ゾーン」に分け、ユーラシア大陸の農耕を分析しています。
 「アジア夏穀類ゾーン」とは、東南アジアから日本にかけて広がる地域で、多雨(多くの場所では夏に雨が多い)で森林が発達しているのが特徴です。 
 一方、「麦農耕ゾーン」の特徴は、冬雨地帯で「アジア夏穀類ゾーン」に比べると降水量が少ないことです。

 「アジア夏穀類ゾーン」には、針葉樹林、落葉広葉樹林、照葉樹林、熱帯林といった森林があり、それぞれに生態系、そこに暮らす人間の生業は違ってきます。

 日本には落葉広葉樹林と照葉樹林があり、これが東日本と西日本の文化の違いにつながっているという説もあります。
 東北や東日本に広がる落葉広葉樹林はナラ、ブナ、ケヤキなどの森林で、この森林が生み出すドングリやクリ、そして川を遡上するサケなどが縄文文化を支えました。
 一方、西日本に広がる秋になっても葉の落ちない照葉樹林の林は落葉広葉樹林に比べると薄暗く、人間にとっては利用しにくい森林でした。人々は森を焼き払いながら農耕を行い、稲作へと進んでいったと考えられています。

 水田での稲作は中国の江南で始まったと考えられています。この地域の湖沼や水田のためにつくられた水路は淡水魚の棲家となり、コメからはデンプン、サクナからはタンパク質を摂取する食生活が出来上がりました。
 熱帯林においても、後年になって森林が切り開かれ、稲作が普及していくことになります。

 一方、「アジア夏穀ゾーン」と「麦農耕ゾーン」のちょうど間に位置するのがインドです。
 インドでは一般的に肉食が忌避されてきました。代わりに人々にタンパク質を供給したのはマメになります。
 インドで肉食が忌避されているのは、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教といったインドの宗教が肉食を嫌ったからですが、著者はインドの人口が昔から過密で、食肉にするための家畜を飼うだけの余裕がなかったからではないかと推理しています(145-147p)。
 また、ミルクも多く飲まれましたが、インドのウシ(セブウシ)やスイギュウは、年中妊娠が可能で年間を通して搾乳ができたために、チーズを食べる文化は発展しなかったそうです(150ー151p)。

 「麦農耕ゾーン」において中心となるのは当然コムギですが、タンパク質を供給するのは家畜からつくられるミルクや肉です。
 この家畜の存在が必須である点が、タンパク質を天然の魚から摂っていた日本などとの大きな違いになります。
 また、小麦の育ちにくい寒冷な地域では糖質の摂取が課題となっていましたが(タンパク質についてはニシンなどの水産資源もあった)、それを解決したのが新大陸からもたらされたジャガイモでした。

 ムギに関しては粉にしてからパンなどにする粉食が発展しました。粉食が発展した理由として、著者は「ふすまの部分を取り除くため」という通説に疑問を呈し、ムギ栽培が始まったころに西アジアには土器がなかったこと指摘しています。
 人は加熱しないとデンプンをうまく吸収することができませんが、煮るには土器が必要となります。土器は東アジアで発明されたため、西アジアの人々は粉にして水でこねて焼いたのではないかというのです(190ー192p)。

 コムギに関してはどのように中国に伝わたのか?という謎もあります。
 今のコムギであるパンコムギは、今から8000ないし9000年前にアナトリア地方からカスピ海の南岸の地域で生まれたと考えられています(181p)。
 中国にはそこからシルクロードのオアシスを通って伝わったという説が有力ですが、中国の遺跡からみつからコムギの初見は、むしろ東ほど古く西ほど新しいものになっています。ここから、コムギの「中国起源説」も出てくるわけですが、著者はこれを否定した上で、コムギは遊牧民によって運ばれたのではないか?という考えを提示しています(236-239p)。

 農耕に適さない中央アジアでは遊牧が生業の中心となりましたが、遊牧生活では肉やミルクからタンパク質はとれるものの、糖質は不足しがちです。
 そこで遊牧民たちは農耕民と交易をしたりして糖質を手に入れたわけですが、著者は遊牧民による農耕民の「連れ回し」のようなものがあったのではないかと考えています。そして、これがコムギを西から東へと運んだのではないかというのです(171p)。

 さらに第5章では、農耕、遊牧、狩猟採集の3つの生業の対立と補完関係について触れています。
 土地を囲い込み、そこに農地をつくり上げる農耕民は、ときに家畜を連れて移動する遊牧民や、自然物を食料とする狩猟採集の民と対立しますが、農耕と遊牧の混合形態として牧畜が生まれましたし、また、日本でも100%農耕というわけではなく、人々は山菜やきのこなどを採取したり、漁労を行ったりしながら暮らしてきました。これらの生業はきれいに分けられるものではないのです。

 引用した部分のページがけっこう前後しているように、もっと整理できた部分もあったと思いますが、とり上げられるエピソードの豊富さと、「人」ではなく「自然環境」をして語らしめるような歴史は非常に面白いです(これこそが「地理」なのかもしれませんが)。
 
 例えば、先日ユネスコの世界無形文化遺産に「和食」が登録されたましたが、そのときにさかんに言われ矢野は「日本人の文化」といった言葉です。一方、この本では次のような切り口で語っています。
 一汁三菜の「汁」は豊富な水の存在を背景にする。出汁のうまさは、多様な魚種があることのほか、軟水であることが条件になる。内陸に塩がなく、しかも川が急流であることが、日本列島の水を軟水にしたといわれる。(271p)

 歴史の教科書とはまったく違う角度からスポットライトを当てた本であり、多くの発見がある本だと思います。

食の人類史 - ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧 (中公新書)
佐藤 洋一郎
4121023676

佐藤親賢『プーチンとG8の終焉』(岩波新書) 6点

 2003年末から07年初めまでと、08年9月から12年末までの二度、共同通信のモスクワ支局長を務めた著者が、ウクライナ情勢を中心としてプーチンの動きやその思考を追った本。
 クリミア編入の制裁によってG8から排除されたロシアの動きを、ウクラらいなとロシアの歴史的な関係、そしてプーチンの政治スタイル、思想から読み解こうとした本になります。

 目次は以下の通り。
序章 「戦後七〇年」の国際社会
第1章 ウクライナの政変とクリミア編入
第2章 戦略なき独立―ウクライナ略史
第3章 漂流する世界
第4章 ロシアの将来―プーチンなくしてロシアなし

 冷戦の終結後、「唯一の超大国アメリカとそれに挑戦する中国」というのが大きな流れとしてあったわけですが、近年、国力はともかくとして国際政治のプレイヤーとしては米中に負けない存在感を示しているのが、プーチンのロシアです。
 特にクリミア編入とウクライナへの干渉、そしてシリアへの軍事介入は、「冷戦の再来」とも言われる事態を生み出すとともに、ロシアの存在感を改めて示しました。

 プーチンの存在感も増しており、フランスのマリー・ルペンをはじめとする欧州の極右勢力はプーチンへの親近感を隠そうとしません(この本では欧州の極右勢力に対するロシアの資金援助についても指摘されている(149-151p))。
 「反グローバリズム」、「国益重視」の強いリーダーとしてプーチンはひとつのモデルとなっているのです。

 ロシアがG8から離れることになったきっかけはウクライナでの政変と、その後に起きたロシアによるクリミア編入でした。この本の第1章では、その動きをドキュメントタッチに描いていきます。
 
 2013年11月のヤヌコビッチ大統領によるEUとの連合協定締結交渉凍結の発表から、ウクライナでは反ヤヌコビッチの動きが強まり、翌2014年の2月には市民と治安部隊が衝突、その後ヤヌコビッチ政権は崩壊します。
 そんな中、クリミアの空港が謎の武装集団に占拠され、親ロシア派がクリミアを支配していきます。

 当初、これらの武装集団を「地元の自警団だ」と語っていたプーチンでしたが(46p)、4月にはテレビのインタビューで「もちろん、われわれの部隊がいた」と答えるなど(67p)、欧米の制裁にも関わらず、堂々とクリミアの編入を進めました。
 さらにウクライナ東部でも、ロシア軍にバックアップされた親ロシア派がウクライナからの分離を画策するなど、ロシアの動きは止まりませんでした。
 外国における武力行使に非常に慎重な態度を示すアメリカのオバマ大統領に対して、プーチンは大胆な行動力を示したのです。

 ただ、この本を読むとプーチンの戦略の危うさも見えてきます。ウクライナ東部に樹立が宣言された親ロシア派の「ドネツク人民共和国」の国防相を名乗るストレルコフという男がいます。
 彼はロシアの諜報機関GRUに属する将校とされ、モルドバから事実上分離した「沿ドニエストル共和国」の親ロシア部隊に属したことがあり(この「沿ドニエストル共和国」については廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア』(光文社新書)が詳しい)、ユーゴ紛争やチェチェン紛争にも参加した武闘派です。
 ストレルコフはウクライナ東部における親ロシア派の部隊の指揮していましたが、ウクライナでのマレーシア機撃墜事件後、「国防相」のポストを降ろされています。

 おそろくプーチンの思惑を超えてストレルコフが暴走したために更迭されたと思われますが、ストレルコフはその後、「プーチンは自分の取り巻きからリベラルな連中を排除すべきだ。このままではプーチンはハーグの国際刑事裁判所(ICC)で裁かれることになる」(82p)と発言するなど、プーチンを批判しています。
 プーチンの強硬路線は、プーチンがコントロール出来ない存在を生み出す可能性もあるのです。

 第2章はウクライナ情勢をより深く理解するためウクライナの略史。
 ソ連崩壊い伴う独立と、ウクライナからの核兵器の撤去、そしてオレンジ革命前後の動きが触れられています。
 ティモシェンコの生い立ち(間違い電話の相手(共産党幹部の息子)と結婚、実は黒髪で染めている)など、「へぇ~」と思う部分もありますし、ウクライナ情勢の解説としてはまとまっていると思いますが、この第2章はプーチンのロシアというこの本の本筋からはやや外れています。

 第3章では、近年の発言などから改めてプーチンの世界観、思考といったものが読み解かれています。
 プーチンは冷戦終結後のアメリカの「一極支配」に強く反発しており、「突然百万の富を手にした成り金のようなものだ」(136-137p)と強く批判しています。
 一方で、「第二次大戦後につくられたシステムは十分に包括的であり、現状に適合した現代的内容を加える事ができる」(140p)とも述べており、国連をはじめとする場所でのロシアの「大国としての地位」が守られることが一つの目標となっていると考えられます。

 第4章はロシアの未来について。
 欧米の制裁によって経済情勢が悪化した2014年の年末のプーチンの記者会見において、ロシアの記者は次のように語りました。
 みんなが、プーチン氏はどんな雰囲気で会見するのだろうかと話していました。なぜなら、この国の多くの人の気分はそれによって左右されるからです。あなたはもう何度も笑顔をみせてくれました。あなたの楽観的な性格に感謝します。あなたがおっしゃった通りになると期待しています。(196p)

 もはや質問でも何でもないおべっかですが、これはロシアという国がプーチンという個人に左右されるようになっている証とも言えるべきやり取りです。
 野党はもちろん、与党内部にもプーチンの後継となるような人物は見当たらず、「ポスト・プーチン」は不透明な状況です。

 この本では、ロシアを支えてきた力として「国連重視」「エネルギー資源」、「核兵器」という三本柱をあげています(226p)。
 このうち、「エネルギー資源」はここ最近、原油価格の低迷によって、以前のような強みを発揮できなくなっています。その一方、ウクライナやシリアへの軍事介入などで国防費は膨張しており、経済的な余裕はますますなくなっています。
 イラク戦争に見られるアメリカの国連軽視、ロシアの核の威力をそぐMDの存在など、この三本柱は挑戦を受けており、その中で、どう「大国としての地位」を維持していくかが、プーチン、そして「ポスト・プーチン」の課題と言えるでしょう。

 個人的には、第2章の記述を削って、シリアにおけるロシアの動きをもう少し詳しく追って欲しかったという思いもありますが、プーチンのロシア、さらに「ポスト・プーチン」のロシアを考えるためのさまざまな材料を提供してくれる本だと思います。


プーチンとG8の終焉 (岩波新書)
佐藤 親賢
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安達誠司『中国経済はどこまで崩壊するのか』(PHP新書) 7点

 PHP新書でこのタイトルというと、妄想全開の「中国経済崩壊本」のように思えます。また、「おわりに」に書いてあるように、2月に出版の打診を受けて3月に緊急出版ということで中国経済に関する研究を読み込んで書かれた本ではありません。
 と、このように書くと中身が心配になりますが、そこは『円高の正体』(光文社新書)などでこれまで鋭い経済分析を見せてきた著者だけあって、最近のマーケットの動きから中国経済の今後を冷静に占っています。
 しっかりとした経済学的の素養があるエコノミストによる、現在の中国経済のスナップショットといった本です。

 目次は以下の通り。
第1章 「バブルリレー」のバトンは中国が握っている?
第2章 中国経済ハードランディング論の真実
第3章 崩壊サイクルに入った人民元の固定相場制
第4章 中国人の経済思想から未来を読み解く
第5章 これから十年、中国経済・三つのシナリオ
終章 AIIBから日本への影響まで―残された論点

 第1章にあるバブルリレーとは、1980年代後半以降、世界のどこかでバブルが起き、それが崩壊してはどこかの国で次のバブルが起きているいうもの。そして、バブルリレーのバトンは現在中国にあり、そろそろ調整があるのではないかというのが著者の見立てになります。
 
 このように書くと、「チャイナ・ショックがやってくる!」と思う人もいるかもしれませんが、バブルの崩壊が世界経済に大きな影響を与えるとは限りません。事実、日本のバブルの崩壊は、国内には大きな爪痕を残しましたが、世界経済に大きなインパクトを与えたわけではありませんでした。
 「「世界全体のGDPの二割超のシェアを有する中国でバブルが崩壊すれば、当然、他国への影響も大きいはずだ」と主張する識者の方もいるが、バブル当時の日本のGDPは、世界全体のGDPの三割近くを占めていた」(22p)のです。
 ちなみに著者は次のバブルの可能性としてオーストラリア、カナダ、ノルウェーなどの資源国の不動産をあげています(48-49p)。

 第2章は、今年のダボス会議でジョージ・ソロスがとり上げたことから話題になった、中国経済の「ハード・ランディング論」について。
 この「ハード・ランディング」の可能性といて、著者は人民元レートの切下げ(さらには変動相場制への移行)と不動産バブルの崩壊をあげています。
 このうち人民元レートについては第3章でもとり上げられている非常に重要な論点です。

 一方、不動産バブルの崩壊に関しては、著者は政府の力が強い中国では制御は可能と見ています。
 むしろ、中国経済の調整に関してはもう少し長期的な視点で見るべきだというのが著者の考えです。

 著者によると現在の中国経済は、ちょうど高度成長が終わった70年代の日本経済と重なるといいます(現在の中国の1人あたりのGDPは77~78年の日本経済とほぼ同じ(68p)。
 高度成長を終えた日本では、設備投資の伸びが鈍り安定成長へと移行しましたが、中国ではいまだに設備投資の伸びが一時ほどではないにしろ続いています。この資本ストックの調整が中国経済の課題になります。
 中国の内陸部にはまだまだ投資すべき地域が残っているという考えもありますが、田中角栄の「列島改造」がうまく行かなかったように、低成長への移行は回避できないだろうと著者は考えています。

 このように中国経済の減速は中国が安定成長へと移行するために不可避なものなのですが、厄介なのが固定された人民元相場と、それを維持するために起こっている副作用です。
 
 中国の人民元は、政府が事前に定めた一定の水準で為替レートが決まっています。
 現在、人民元には下落圧力がかかっており、こうした中で為替レートを維持するには、政策当局が外国為替市場で外国通貨を売って人民元を買うという介入を行うか、利上げによって人民元高を狙う必要があります。

 ところが、利上げはただでさえ減速している中国経済にブレーキをかける事になりますし、人民元買いの介入も国内の資金を吸収することになります。
 中国では2014年の11月以降累計で6回の利下げを実施していますが、市場金利は逆に上昇しています。為替レートを維持するために当局が資金を吸収してしまっているからです(53ー55p)。
 このあたりは中国経済を専門とする梶谷懐も指摘しているところで(ココココ)、人民元レートの維持のために、金融緩和の効果が封じられてしまっているというのが現在の中国経済の大きな問題点です。

 ですから、人民元の変動相場制への移行が中国経済の長期的な安定をもたらすというのが著者の考えです。
 ただ、なぜ中国当局が人民元安を嫌がっているかということに関しては、明快な理由は提示されていません。人民元安が予想されると富裕層が資産を海外に逃避させてしまうこと(キャピタル・フライト)などがあげられていますが(57ー59p)、それだけで説明することは難しいと思います。

 ただ、いつまでも人民元を高いレートで固定しようとすると、金融緩和の効果は封じられますし、ヘッジファンドなどから通過アタックを受ける恐れもあります。
 ジョージ・ソロスの発言については「ポジション・トーク」という意味合いがあるとしながらも、著者は中国の外貨準備は盤石ではないと見ています。

 第4章は小室直樹の「中国は儒教と法家の二重の思想体系を持つ」という指摘などから、中国の経済運営に関する考えを探ろうとしたもの。

 そして第5章では、著者の考える中国経済に関する3つのシナリヲが示されています。
 1つ目は「変動相場制の採用により、対外開放路線へ」(安定成長シナリオ、名目5%程度の成長)、2つ目は「「中所得国の罠」による長期停滞」(低成長シナリオ、名目1〜2%程度の成長)、3つ目は「統制経済の教科と対外強硬路線」(対外戦争の可能性が浮上し経済成長率を語る意味がなくなる)というものになります。
 
 筆者の主観的な見方としてそれぞれが起こる確率は1つ目のシナリオが40%、2つ目のシナリオが55%、3つ目のシナリオが5%(158p)。
 この確率については特に根拠が示されているわけではないですが、1つ目のシナリオではもう1回のバブルの可能性、2つ目のシナリオではスタグフレーションの可能性などが指摘してあって、この第5章の予想は興味深いです。

 最初にも書いたように、地道な分析を積み上げたような本ではないですが、「マーケットから見た中国経済」が見えてくる本です。また、「バブルリレー」についての分析など中国経済にとどまらないものもあり、世界経済を見ていく上でも有益な本だと思います。

中国経済はどこまで崩壊するのか (PHP新書)
安達 誠司
4569830579
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